演劇・映画・音楽

2018年1月 3日 (水)

ギンレイ・シネマ・パスポート(5): ローマ法王になる日まで

まつこです。

大晦日の夜はうめぞうの友人を誘って3人でギンレイ・ホールに映画を観に行きました。現教皇のフランシスコの若き日々を描く『ローマ法王になる日まで』です。

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[若き日のベルゴリオ(のちのフランシスコ)は常に民衆とともにある行動の人]

軍事独裁政権下のアルゼンチンで政治的弾圧を受けながらも、ベルゴリオは決然とした行動をとり続けます。強烈に青い空、赤い土ぼこり、胸締めつけるタンゴの音楽、そして残虐な暴力と息苦しい言論弾圧。70年代から80年代のアルゼンチンの激動の歴史の一端が学べる映画でした。軍事政権が終焉を迎えたあも、ベルゴリオは開発に取り残される貧民たちに寄り添います。柔和な青年がたくましい指導者へと成長していく物語でもありました。

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[さまざまな苦悩の結び目を解いてくれるマリア]

そのベルゴリオの転機になるのが、ドイツに留学している時のベルゴリオと「結び目を解くマリア」の絵との出会いです。アウグスブクルの教会で、このマリアに向かいスペイン語で祈りを捧げる移民の話を聞くと、残虐な政治情勢の中で殺伐としたものを抱え込んでしまっていたベルゴリオが、魂を洗われたように、ふたたび穏やかな表情を取り戻します。

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[背負った弟の遺体の火葬の順番を待つ少年]

アルゼンチンに戻ったベルゴリオはこのマリアの絵が印刷されたカードを人々に配って苦悩の結び目が解かれることを祈ります。今朝の新聞によると、今年の年末年始にあたり、フランシスコ法王は長崎で被爆した「焼き場に立つ少年」の写真をカードにして配布することにしたそうです。

小さなカードの中に大きな祈りをこめてメッセージを発する。映画の中のベルゴリオと、ニュース報道の中のフランシスコ法王が同じ人なのだと、あらためて思いました。


2017年12月29日 (金)

映画『女の一生』

まつこです。

久しぶりに訪れた岩波ホール。見たのはフランス映画『女の一生』。

主人公ジャンヌの一生は波乱続き。ハンサムな子爵と結婚したものの夫は女中に子供を産ませるわ、人妻とW不倫するわ。夫がダメなら息子もダメ。徹底して金にだらしない。支えてくれた実家の両親も亡くなり、経済的に破綻し、屋敷も売払い、ひたすら没落の一途。

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[オフィシャルサイトより]

このジャンヌの10代から40代までの一生を演じたのはフランス女優のジュディット・シュムラ。この女優さん、横顔の演技が印象的でした。

横顔だけでわかる女の一生です。

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[結婚前、伸びやかな娘の横顔]

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[夫に愛されている幸せな横顔]

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[裏切られた妻の横顔]

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[孤独を引き受けた女の横顔]

横顔って気がつかないうちに心のうちが映し出されているものかも。女の一生は横顔に表れる・・・。たまには三面鏡で自分の横顔もチェックしてみましょう。

2017年12月26日 (火)

ギンレイ・シネマ・パスポート(4): Beauty and the Beast

まつこです。

ギンレイ・シネマ・パスポートの4回目は、いかにもクリスマスらしい映画『美女と野獣』。

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[エマ・ワトソンのベルは強い意志と行動力を持ったフェミニスト]

ディズニー映画もファンタジーも日頃は興味がないのですが、飛行機の中で一度見て、映画館でも再度見てみようと決めていました。CGの吹き替えで顔の露出こそ少ないものの、エマ・トンプソン、イアン・マッケラン、ユアン・マクグレガーなど、イギリスの実力派俳優たちががっちりと脇を固めています。舞台はフランスですが、美しいイギリス英語が楽しめます。

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[王子様役がぴったりのダン・スティーヴンズ]

でもこの映画で顔が見えないのは、なんといっても野獣役のダン・スティーヴンズ。『ダウントン・アビー』のマシューのイメージを払拭すべく、ハリウッドに渡り、髪の色も濃く染めて、いろいろ個性の強い役に挑んでいるようですが、この人、やっぱり正当な二枚目の役があっているのよねえ。

ケンブリッジのエマニュエル・カレッジで英文学を学び、名門ドラマ・クラブのマーロウ・ソサエティでマクベス役をやって注目され、ブッカー賞の審査員もつとめたことがあるというエリート俳優。ホワイト・タイやロココ調の衣装が似合う貴重なハンサムです。あまり無理してあれこれ奇抜な役に挑戦せず、その美しい金髪碧眼で私たちの目を楽しませ続けて欲しい!

『美女と野獣』は、このダン・スティーヴンズが野獣から王子様に戻ったら、すぐにエンディング。ああ、王子様のダンス姿をもう少し長く眺めていたかったのになあ・・・。

⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

2017年11月11日 (土)

今週のギンレイ(3) La La Land

まつこです。

ギンレイパスポート使用3回目はLa La Land。輝けるショービジネスの都Tinsel Townで明日を夢見る若者たちの恋。文句なしの娯楽映画です。⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

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[歌って、踊れて、ピアノも弾けるライアン・ゴズリング]

私は前に飛行機の中で見てしまっていました。そのちょっと切ない結末を知りながら再度見ると、若さが弾けるばかりの冒頭の場面から、早くもちょっとセンチな気分になり、二人が恋に落ちる頃には鼻の奥がツーンとなり、エピローグでは涙がポロリ。

うめぞうもウルっとしているんじゃないかと思い映画館を出たところで聞いてみると・・・。

うめぞう:「僕はカントの『純粋理性批判』のこと考えながら見ていたよ。人間の自由意志をどうとらえるかの問題だね。」
まつこ:「はあ〜、うめぞう、なに言ってるの???」
うめぞう:「人生を自らの自由な意思で選んだのか、自らの力ではどうにもならない運命と考えるのかの問題だけど、目の前の幸せをあえて選ばないこともカントのいう自由意志なんだ。それに対し決定論は・・・」

うめぞう、お得意の哲学講義が始まってしまいました。しばらくしゃべらせたあとで「でも、うめぞう、ちょっとグッときたんだじゃない?」と聞いてみると、「うん・・・あのピアニスト、かわいそう・・・」としょんぼりした顔をしています。

ははーん、うめぞう、La La Landの結末の切なさに心ふるえ、その涙をこらえるため、カントの自由意志と決定論についての議論を披瀝していたようです。夫婦とも年とって、だんだん涙腺がゆるくなってきています。映画よかったわね〜と、ハンカチで目元をおさえるおばあちゃんと、小難しげな批評で涙をごまかすおじいちゃんに、なりかけているようです。

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[パリから進出してきたSacree Fleur]

ギンレイで映画見たあとは、神楽坂で食事をするというのが定番のコース。今回はステーキ屋のサクレ・フルール。

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[これは150グラム]

メインのメニューはほぼステーク・フリットだけのこのお店。ステーキは150グラムか300グラムかを選べます。お肉大好きな私たちは、二人とも150グラムずつだとちと足りない。部位の異なる150グラムと300グラムをひとつずつ取って分け合うのがちょうど良い。

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[これが300グラム]

たっぷりお肉を食べると、老け込むにはまだまだ早いわ、という気分になってきます。

2017年8月21日 (月)

『ジュリアス・シーザー』『アントニーとクレオパトラ』

まつこです。

ストラットフォードはもう秋でした。冷たい風にエイヴォン川の水面にさざ波がたちます。長袖のセーターに革ジャンで、肩をすくめて劇場へ向かいました。

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[秋風にススキも揺れる季節です]

今回は『ジュリアス・シーザー』と『アントニーとクレオパトラ』の二本立て。大理石の彫刻に古代ローマの衣装のトーガという、いかにも歴史スペクタクルの舞台装置ですが、意外と現代的なメッセージが込められています。いずれも政治に対するシニカルな幻滅感を反映した演出でした。

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[全員がトーガを着ていると、誰が誰だかわかりにくくなるのが難点・・・]

『ジュリアス•シーザー』の一番の見せ場は、アントニーの演説。政敵のブルータスを讃える言葉を挟みながら、巧みに世論を操り、大衆のブルータスに対する憎悪をかきたてます。「印象操作」そのものです。

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[言葉巧みに大衆を煽るアントニー]

 

シーザーの遺書を読み上げて、シーザーは人民を愛していた指導者で、決して独裁者ではなかったと熱く語るものの、それは実は「フェイクニュース」。手にしているのはただの白紙で、遺書なんて口から先の出まかせです。

シーザーも暗殺すべきほどの巨悪でもなければ、礼賛するほどの人格者でもない。それなのに、なんとなく雰囲気で暴走してしまう大衆は「ポピュリズム」そのものの。独裁者を駆逐しようと反乱を起こした人たちも、すぐさま内部分裂して政治変革なんて掛け声倒れ。

面白かったけれど、政治なんて所詮パブリシティの問題よね、と古代ローマまでシラケちゃってっていいのかな?

政治が無力なら、せめて恋愛にロマンは見出せるのか・・・と思いながら、2本目は『ジュリアス・シーザー』から数年後の出来事を描く『アントニーとクレオパトラ』です。

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[黒人の俳優Josette Simonが演じるクレオパトラ]

 

自己中心的で、享楽的で、衝動的で、超セクシーで、エキゾチックで、ヒステリックで、嘘つきで、高慢で・・・とことん度し難い女性がクレオパトラ。そんな女にはまっちゃったアントニーも、お気の毒さま。

ローマに戻れば男たちの薄汚いパワーゲームの世界だし、エジプトにくればクレオパトラに精力を吸い尽くされる。アントニーが活力の輝きを見せるのは戦場だけ。それなのに戦争までクレオパトラに邪魔されてしまいます。ほんとお気の毒。

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[こんな女性に捕まったら絶対に逃げられない]

このウルトラわがまま女王クレオパトラの見せ場が、最後の自害の場面。覚悟を決めた女王が、おもむろに手を頭に置いた・・・と思ったそのとたん、カツラを外してスキンヘッドに。おおー、スキンヘッドってかっこいい!と思わせる瞬間です。

さらに次の瞬間、侍女に衣装の着替えを命じ、するりと着ていたローブをぬぎます。スキンヘッドにオールヌード。なにひとつ飾りのない肉体が神々しく輝きました。ああ、かっこいい!!

このすっくと立つ黒い肉体に、装束をひとつずつつけ、超越的な不滅の存在へと変貌していきます。「私は炎と風になる。卑しきものは捨てていく」という決め台詞。ううう、かっこいい!!!

恋愛ってやっぱり自己演出よね、と思った恋愛悲劇の終幕でした。

というわけで、古代ローマの時代劇でありながら現代的なところが面白い演出でした。

2017年7月29日 (土)

映画3本

まつこです。

すでに小学生も夏休みなのに、大学生は試験期間で、大学教師は夏バテしながら答案の山と格闘中です。

そんな蒸し暑さと忙しさの中、映画3本立て続けに見ました。

1本目はイギリス映画Suffragette。『未来を花束にして』という口当たりの良い邦題になっていますが、女性参政権を求めて闘った20世紀初頭のロンドンの女性たちを描いた歴史もの。

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[ ヘレナ・ボナム・カーター、アンヌ・マリー・ダフらイギリス俳優たちがそろって好演]

イギリスの女性参政権運動の中心的リーダーは、自分たちに参政権が認められないことに疑問と不満を抱いた上中流階級の女性たちでした。ですが、そんな政治意識を持つ余裕などなかった労働者の視点から描かれているのが、この映画の面白さです。子供の時から洗濯工場の劣悪な環境で働き続けている女性が、家庭の幸福を犠牲にして、過激な運動の闘士へと変貌していきます。

迷いつつ突き動かされていく主人公と、その愚直な夫を、キャリー・マリガンとベン・ウィショーが好演。でも、運動のカリスマ的リーダー、エメリン・パンクハースト役でメリル・ストリープをちょっとだけ登場させたのは、いかにも「客演大スター」みたいで興ざめ。がんこなおばちゃん役ならぴったりのイギリス女優がいくらでもいるのに・・・。

2本目はドイツ映画Toni Erdmann『ありがとう、トニ・エルドマン』。私、いちおう、文学作品や演劇を解説することが職業の一部なんですが、この映画の面白さを言葉で語るのはあきらめます。あまりのおかしさに、涙でマスカラが落ちるほど笑ったのですが、そのおかしさを説明できない。完敗(?)です。

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[手前の毛むくじゃらの後ろ姿がエルドマン]

ドイツ映画らしくテーマは内面的で「人間らしく生きることとはなにか」といったことなのですが、実質主義のものづくりが得意なドイツらしく、「重量感たっぷりの土臭い笑い」がこれでもかというほど満載です・・・

と、こう書いてもなんのことか、さっぱり伝わらないでしょ・・・。タイトルのErdmannとは、Erde(土)とMann(人)を組みあわせた名前。途中で登場する得体の知れない「土人」が、わけわかんないけどおかしいというこの映画のシンボルです。

3本目はフランスを舞台にしたアメリカ映画、Paris Can Wait『ボンジュール、アン』。「人生の岐路に立つ大人の女性」のための映画という謳い文句ですが、フランスの美しい景色、おいしそうな料理、ほのかなロマンスの気配という、中年女性の願望と妄想をほどよくくすぐる娯楽映画です。

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[『リトル・ロマンス』の美少女も今は52歳。でもやっぱりきれい]

ぽにょ:「ダイアン・レイン、やっぱりきれいだったね」
まつこ:「でもシワ、隠してないね。シミはなかったけど。あとからでもシミは消せるからね」
ぽにょ:「デジタルだからね。あのバッグ、どこの?グッチ?」
まつこ:「エンド・クレジットにトッズってあったよ」
ぽにょ:「柔らかそうな皮のバッグだったね。使えそう」
まつこ:「でも皮のトートって、見た目より重いよ。あのパンツ、おもしろいデザインだったね」
ぽにょ:「ちょっとずんぐり見えたけど」
まつこ:「だから厚底のサンダル履いてたよ」
ぽにょ:「Americans have to have a reason for everythingって言っていたけど、そのとおりだよね」
まつこ:「そうそう。ま、全体にアメリカ人のフランス文化コンプレックスを描いだ映画だね」
ぽにょ:「ダイアン・レイン、シワだらけだったね」
まつこ:「きれいだけどシワあったね」(振り出しに戻る)

映画を見終わった後、おいしいものを食べながら、このようにとことん気楽なおしゃべりをするのにぴったりな映画でした。

2017年5月13日 (土)

T2 トレインスポッティング

まつこです。

『T2 トレインスポッティング』(T2 Trainspotting)、観てきました。ドラッグ中毒の若者たちのほとばしるエネルギーを斬新な映像で伝えた第1作から20年。おっさんになったジャンキーを、ダニー・ボイルはやはり鮮やかなキレのいい映像で描き出していました。

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[石造りのエジンバラの街を疾走するレントン]

1996年の『トレインスポッティング』は、オープニング場面が鮮烈でした。ユアン・マクレガーが演じるレントンがエジンバラの街を疾走する画像とイギー・ポップの「ラスト・フォー・ライフ」(Lust for Life)にのせて語られた"Choose life"のモノローグが大きな話題になりました。

"Choose life"ー「人生を選べ」と言われて、レントンは1996年の時点での選択肢を並べたてていきます。

「仕事、キャリア、家族、テレビ、洗濯機、車、CDプレーヤ、健康、保険、固定金利の住宅ローン、友人、バカンス、DIY、娯楽番組、ジャンクフード、三揃いのスーツ・・・」

ここには1996年時点での楽天的展望が反映しています。20年間の保守党政権で不況から抜け出し、「クール・ブリタニア」と呼ばれるような若々しい社会へとイギリスも変わりつつあると感じられていた頃。その勢いに乗って、この翌年には労働党の地滑り的勝利。ブレアがさっそうとして首相の座につきました。

しかし、こうした人生の選択肢はいずれも、人々の欲望を満たしながら、その欲望を狭苦しい檻の中へと囲こむ消費財です。そのことを直感的に気付いているレントンはこう宣言します。

「おれは選ばないことにする」(I choose not to choose life)

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[人生を選ばなかった人たち]

そして2017年ー

社会が用意した選択肢を選ばなかった人たちは、20年後もアウトサイダーです。その外部者の目で社会を眺めるレントンに、2017年の人生の選択肢は次のように見えています。

「ランジェリー、ハイヒール、バッグ、iPhone、Facebook, Twitter, Instagram, セレブリティのゴシップ記事、妊娠中絶反対運動、9/11陰謀説、非正規雇用、長距離通勤・・・」

20年たった今も、人々は欲望にとらわれていますが、その欲望はネット社会の中で氾濫する情報にも向けられています。何を食べ、誰と付き合い、どうやって年老いるかまで、ネットで見せないではいられない。だからレントンは悟ったように言います。

「人生なんてただのデータになっちまってる・・・中毒だよ。中毒になるんなら、別の中毒の方がいいぞ」

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[選ばなかった彼女は弁護士になっていた]

20年たっても懲りない連中。相変わらず暴力的で、刹那的で、嘘つきです。けれどアウトサイダーだからこそ、突き放して社会を眺め、その欲望のメカニズムのからくりを見抜く直感があるのです。

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[20年後の彼ら]

幼少時代の回顧あり、老いた父との再会あり、老いと死への不安もある。そんな中年男たちが、ときおり見せるしぶとい生命力。そのそれぞれの物語の中に、とんがった批判精神を忍ばせる、そのダニー・ボイルの手腕の確かさがはっきりとわかる映画でした。

2017年3月27日 (月)

映画『私はダニエル・ブレイク』

まつこです。

先週見た映画は『私はダニエル・ブレイク』(I, Daniel Blake)。イギリスの貧困問題の深刻さと、福祉政策の欠陥をむき出しにした、力強い作品です。

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[心臓病で失業中のダニエルと無職のシングル・マザーのケイティ]

ジョブ・センター(職安)の職員の機械的な対応、複雑すぎる制度、PCが使えないと申請すらできない手続きなど、この映画を見るとイギリスの生活保障制度の現実がよくわかります。

困窮者に食糧援助をするフードバンクに、無表情で並ぶ老若男女の長い列も描かれます。リーマンショック以降の緊縮財政や食品価格の高騰のせいで、イギリスではフードバンクの利用者が急増しているのだそうです。こうした現実への強い怒りがこめられた映画でした。

この映画を監督したケン・ローチは、英国アカデミー賞の授賞式のスピーチでも政府を鋭く批判しました。

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[Bafta授賞式で政府批判をするKen Loach]

"the most vulnerable and poorest are treated by the Government with a callous brutality that is disgraceful"「もっとも弱い人たち、もっとも貧しい人たちに対する政府の扱いは、冷酷で非人間的だ。恥ずべきことだ。」

イギリスでは強すぎる政治的メッセージゆえに興行的にはそれほど成功しないだろうと思われていたこの映画ですが、大方の予想に反して多くの人々の関心を集めヒット作となりました。老監督のぶれない姿勢と信念が人々の共感を呼んだのは確か。

ちなみにこの映画は「文部科学省特別選定作品」だそうです。反体制の気骨の人、ケン・ローチの映画を選定するなんて、ちょっと意外。ひょっとしてカンヌ映画賞パルム・ドールっていうお墨付きだけで決めたのかも・・・と、私は勘ぐっています。

2017年3月 7日 (火)

シアター・ライブ

まつこです。

BBCのクイズ番組University Challengeで、「『熊に追われて退場』(Exit, pursued by a bear)というト書きのあるシェイクスピア劇は何か?」という問題が出たことがあります。

答えは?

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[ケネス・ブラナーのレオンティーズとジュディ・デンチのポーライナ]

『冬物語』(The Winter's Tale)です。一昨年の暮れにロンドンでやっていたケネス・ブラナーのプロダクションのライブ映像を恵比寿の映画館で観に行きました。

妻と親友の間の関係を疑って、嫉妬するレオンティーズの複雑なセリフを、ケネス・ブラナーは一瞬のゆるみもなく語り、理性を失いった心理の渦の中へと観客の想像力を引きずり込んでいました。ジュディ・デンチも張りのあるセリフは老いを感じさせません。

でも私が、「おっ!」と心ひかれたのは、「熊に追われて退場」するアンティゴナスです。無垢な子供を捨てる罪の意識にさいなまれた老人の心の重さが、言葉にしっかり感じられる、このアンティゴナスいいな・・・と思って、よく見たらマイケル・ペニントンでした。

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[罪の重みを知って死んでいく老人]

ペニントンは1991年に来日したときは、この『冬物語』のレオンティーズでした。幼子を捨てるアンティゴナスがひざまずいて神に祈ると、その前に現れたのは国王レオンティーズ。王の手がアンティゴナスの頭に伸びると思えたその瞬間、その手は熊の手に変わりアンティゴナスを引き裂くという演出でした。アンティゴナスは王の残虐さの犠牲者だということを表現する巧みな場面でした。そのときのペニントンの冷酷な表情が印象的でした。

あれから四半世紀・・・ああ、時は流れたのね・・・ペニントンももうおじいさん役よね・・・そのうちケネスもアンティゴナスやるのかしら・・・としばし感慨に耽ります。劇の前半と後半の間の16年の時間の経過を語るコーラス役の「時」もペニントンが演じるに違いない、と期待して見ていたのですが、残念ながらそのセリフはポーライナ役のデンチに当てられていました。うーん、ここは死んだアンティゴナスが時の老人になって出てくる方が絶対いいのに。

その前の週にはアルメイダ劇場の『リチャード三世』を日本橋の映画館で見ました。

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[レイフ・ファインズのリチャードとヴァネッサ・レッドグレイブのマーガレット]

演出はルーパート・グールド。レスターでの歴史上の国王リチャード三世の遺骨の発掘を枠にするという演出でした。レイフ・ファインズのリチャードはいかにも暗い魂をかかえた悪人なのですが、レイフ・ファインズの語りが活きる複雑なセリフがあまりないのが惜しまれます。ヴァネッサ・レッドグレイブも弱々しくて、舞台で演じるのを見るのはもうこれが最後かな・・・という感じ。

スクリーンで見て面白いと、やっぱり生の舞台で観てみたかったという気持ちになってしまいますが、それでもこうしてイギリスの舞台を日本の映画館で見れるのはうれしいです。RSCの公演もぜひ日本でも上映してほしいものです。

2017年2月18日 (土)

映画『スノーデン』

まつこです。

先週の日曜日、夕飯が終わった後に映画を見に日本橋TOHOへ。食後の血糖値を下げるため日本橋まで4キロほど歩きました。日曜の夜遅い時間の日本橋はガランと静まりかえっています。にぎやかな昼のにぎわいとはまるで別世界のようでした。

で、見た映画はオリヴァー・ストーン監督の『スノーデン』。

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[ジョセフ・ゴードン=レビット演じるスノーデン]

アニメやコンピュータ・ゲームの好きなオタクの若者が、国家安全保証局や中央情報局に勤務するうち、個人情報を収集する国家の不正に幻滅し、自らの人生を犠牲にして国家を告発する。ごく普通のナイーブな青年が、権力の闇の深さを知って、強い信念の人に変貌していきます。恋人との出会いや葛藤もある。そういう点では青春映画のようです。

機密を盗み、『ガーディアン』が報道するまでのハラハラ、ドキドキする展開は、サスペンスたっぷり。最後にはエドワード・スノーデン本人が登場し、なぜ自分がすべてを捨ててまで告発をしたかを語ります。そのまっすぐな正義感は、アメリカ映画のヒーローそのもの。

若者の葛藤とロマンス、悪と正義の戦いがそろった、正統アメリカ映画でした。

ところでエドワード・スノーデンの告発によって、市民の個人情報を国家が勝手に収集、利用していると報道された時、私はけっこう白けた反応をしてしまいました。「私の個人情報?そんなの政府に把握される前に、Googleに全部把握されているわよ!」

インターネットを使っていると、やたらとツボにはまった広告が出てきます。ときどきGoogleは私以上に私のことをわかっているんじゃないかと思うほどです。

ちょっとシンプルなワンピースほしいかな・・・と思っていると、TheoryだのJosephだのの広告が写真付きでポンポン飛び込んできます。あーあ、定年まであと何年かな・・・と思っていると、「英語を使う仕事で今の収入を1.5倍に」と転職をうながす広告の文句が画面に表れます。

「イギリス紳士と結婚したくありませんか?」というのが出てきたことも(何回か)あります。

こういう広告を目にすると、国家権力もここまで把握はできていないんじゃなかろうか、と思うわけです。

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[澄んだ目を持つ青年スノーデン。こういう正義感が浮世離れしていると感じられる現実の方が問題]

そんな普通の市民には理解不能な高度に発達した情報処理技術がはびこる社会に暮らしているからこそ、エドワード・スノーデンのまっすぐな正義感がさわやかな清涼剤のように感じられるのでした。

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