演劇・映画・音楽

2024年2月26日 (月)

The Motive and the CueとMy Neighbour Totoro

まつこです。

短いイギリス出張を終えて帰国しました。14時間のフライトと9時間の時差。時差ぼけが治らないうちに、また時差ぼけです。

今回ロンドンで見た芝居は2本だけ。夜の開演時間は、日本の明け方にあたり、途中、猛烈な眠気と戦いながらの観劇です。なので怪しい部分もあるのですが・・・。

まずはナショナル・シアターからウェスト・エンドに移動したThe Motive and the Cue。演出はサム・メンデスです。

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[写真はGuardianから借りました]

ジョン・ギールグッドが演出し、リチャード・バートンが主演したブロードウェイの『ハムレット』上演までのリハーサル期間、二人の意見のすれ違いや衝突を経て、新たなハムレット像を作り出していくプロセスを描いています。ギールグッドの自己韜晦とバートンの自己顕示欲の裏にはそれぞれの複雑な心理的屈折が隠れていて、それが次第に見えてきます。ギールグッドは同性愛、ギールグッドは飲んだくれの父との関係、それぞれスターとしての華やかなカリスマの陰の個人的な苦しみを、目をそらさずに直視したとき、二人のスターの力が融合する。

こう書くと複雑な心理劇のようですが、お色気撒き散らすエリザベス・テイラーとか、クセのある脇役たちが絡んで、軽妙な会話で劇は進行します。その合間にギールグッドとバートンの語る『ハムレット』のセリフが、古い録音で聴いた本物とそっくりの口調で挟まれます。

場面展開の合間にノエル・カワードの洒落た歌声が流れる演出で、全体が20世紀イギリス演劇へのオマージュのようになっています。カワード、ギールグッド、バートンとそろえばイギリス演劇の黄金期と言っても良いでしょう。なめらかで洒落たカワードの歌声が流れると、劇場全体がセピア色の雰囲気に包まれます。しかも会場がノエル・カワード劇場。終わるや否やいっせいに立ち上がり拍手喝采するイギリス人観客たちに挟まれて、これは「イギリス人のためのイギリス演劇を見た」という印象を強めました。

もう一本見たのは、アニメ『隣のトトロ』をRSCが舞台化したMy Neighbour Totoroです。

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[こちらの写真もGuardianから拝借]

豊かな自然にふれて、子供の想像力が人知を超えるものを見出していく、というテーマは文化の違いを超えて共有しやすいのでしょう。敗戦後それほど経ていない日本の田舎という舞台設定に、それほど違和感を感じずに劇場を埋め尽くした観客全体が、美しく楽しい舞台を大いに楽しんでいました。

巨大なトトロや小動物たちは、人形で描かれますが、それを動かす人形遣いたちは人形浄瑠璃の黒衣の扮装をしています。人形浄瑠璃や歌舞伎では黒衣は見えない前提になっていますが、このMy Neighbour Totoroの黒衣たちは時折、顔も見せ、その存在がむしろ強調されています。無数の黒衣たちがいっせいに体を揺らすことで、動植物の自然の大きな力が表現されるのです。人間たちは常に自然という黒衣に囲まれているんだと認識させる演出でした。

これら黒衣たちも含め、舞台の上はほぼ全員が東洋人。美しく流れる久石譲の音楽を演奏しているのも東洋人(日本人?)ミュージシャンたち。さらに劇中歌は半分以上、日本語で歌われます。RSCのステージが東洋人で埋め尽くされ、日本語が流れている。そのことを誰も驚かずに(いや、私は驚きましたが)、年齢も人種も入り混じった観客たちがみんなそろって楽しんでいる。他人種や他文化から吸収できるものを吸収し、自国の利益へと変換していく力が、イギリスという国のしたたかな開放性ですが、My Neighbour Totoroもその一端と思えました。

古い伝統へのオマージュと、新たな開放性と、ふたつの異なった面を見た二晩の観劇でした。

 

2023年9月24日 (日)

映画『ロスト・キング』

まつこです。

2012年、イギリス中部の都市レスターの、殺風景な駐車場から中世の国王リチャード三世の遺骨が発見されました。映画『ロスト・キング』はその大発見を題材にした映画です。

でも映画を見終わって強く印象に残ったテーマは、一人の女性アマチュア歴史家とレスター大学の関係者との間の微妙な関係・・・

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[主人公フィリパをサリー・ホーキンズが好演しています]

持病、職場での不満、元夫とのぎくしゃくした関係と、たくさんの問題を抱えた女性が、リチャード三世の実像を探ろうと調査・研究にのめり込んでいく。その熱意がやがて遺骨発掘につながるのですが、学位も持たないアマチュア歴史家にはスポットライトが当たらず、すべてレスター大学の功績にされてしまう。歴史的な発見そのものよりも、個人の情熱と組織防衛の緊張関係が、この映画の中心となるテーマと言えます。

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[フィリパ・ラングリーは自らの体験を本に著しています。その本の1冊がこの映画の題材になっています]

主人公フィリパには実在のモデルがいて、名前もそのままフィリパ。1990年代の後半にリチャード三世の伝記を読んだことをきっかけとして、リチャードの実像と遺骨を求めるプロジェクトを開始します。私は数年前にこの人が登場するドキュメンタリーを見ていて、ずいぶん意志の強い人だなあという印象を受けていました。なにか取り憑かれている女性で、ちょっと強迫観念的な感じ。そのため、この映画で大学関係者がフィリパに対し、適当にあしらうような冷淡な態度を取るのも、さもありなんという気がしました。

ただ組織の論理よりも、こういう個人の執念こそが、大きな成果をあげるということは、ままあること。「変わり者」をきちんと評価し、讃えるのは難しいことではありますが、「そういう時にこそ学問的公平さは必要なんだよねえ」と、あらためて思わされました。

一緒に映画を見に行ったのは、うめぞうと、同僚のぽにょ。3人とも大学関係者なので、映画を見終わったとたん、顔を見合わせて「レスター大学もやられたねえ」と苦笑いしました。実際、昨年、イギリスで公開された際には、議論となって、レスター大学関係者は反論もしたようです。(BBCの関連記事:The Lost King: Steve Coogan defends Richard III film in university row.)

ドキュメンタリーではなく、事実から想を得たヒューマン・ドラマなので、フィクションだと割り切ってしまえれば良いのですが、でもやっぱり、レスター大学の関係者たち、映画を見て焦っただろうなあ・・・。

 

2023年9月16日 (土)

推し活

まつこです。

「推し活」がブームだそうですが、私が最近ちょっとハマっているのは、「お茶かる」というYouTuber。芸大生4人組が結成したグループです。やんちゃな男の子たちがふざけ合っているようでいて、音楽に対しては真摯な姿勢をかいま見せる、そのギャップが萌えるポイントです。

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[ポップなロゴ]

そのメンバーの一人が我が家の近所の名曲喫茶で、コンサートを企画するというので聞きに行ってみました。若者YouTuberのコンサートなんて、若い女の子たちのファンが集まるんだろうなあ・・・私みたいなおば(あ)ちゃんが行ったら浮いちゃうかなあ・・・と、いささか尻込みしていたのですが、思い切ってうめぞう同伴で行って来ました。もはや孫の応援みたいな気分です。

「洋琴四手観音」と題された今日のコンサートは、メンバーのうち二人のピアニストによる連弾の演奏プログラムでした。ドヴォルザーク、ドビュッシー、チャイコフスキー、メンデルスゾーンなど、1時間ほどたっぷりと迫力ある連弾のサウンドを楽しむことができました。

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[四手観音のポーズをとるりゅーいち君とあらい君]

おどけた観音様のポーズを交えながら曲の紹介をしても、いざ演奏となると真剣な表情に変わり、曲が終わって拍手を浴びるとちょっとシャイな表情を浮かべます。この初々しさに目を細めるのは私だけではないようで、客席は意外と年齢層高めでした。

これからもこの若者たちの成長が、私の老後の楽しみ(?)になりそうです。

2023年2月 8日 (水)

『モリコーネ 映画が恋した音楽家』

まつこです。

なんだかいろいろあって、1月はブログの更新がすっかり滞ってしまいました。立ち寄ってくださったみなさん、ごめんなさい。

秋学期の成績も卒論所見も提出し、ここから2ヶ月が集中的に自分に栄養補給をする時期です。読みたい本、読まなければいけない本、書きたい原稿、書かなければいけない原稿のリストが長く伸びています。さて、このうち、どれだけやれるかな?ま、とりあえず見たかった映画を見ることから始めよう・・・。

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[書斎にたった一人で頭の中の音楽を指揮するモリコーネ。巨匠の最晩年からドキュメンタリーは始まります]

というわけで、見に行ったのは『モリコーネ 映画が恋した音楽家』です。2020年に亡くなった映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネの生涯をたどった映画です。『ニュー・シネマ・パラダイス』を一緒に作り上げたジュゼッペ・トルナトーレが監督。モリコーネの音楽が彩った数々の名画の断片と、モリコーネ自身へのインタビューとをまじえた、たっぷり2時間半のドキュメンタリー映画です。

芸術としてのクラシック音楽と、娯楽としての映画音楽を分け、映画音楽を商業目的として低く見る。そんな時代に映画音楽家として実績を積んでいくことに、モリコーネ自身が罪悪感を抱き、葛藤を抱えながら、素晴らしい音楽を作り続けていたことがよくわかる映画でした。彼がその葛藤を乗り越えたのは、モリコーネ自身の作り出した音楽が、芸術と娯楽という人為的な区分を無効にしてしまう深みと広がりを持っていたからにほかなりません。

このドキュメンタリーでは、数多くの映画人がモリコーネへの礼賛を口にするだけでなく、クラシックからロックまで幅広いジャンルの音楽家たちがモリコーネへの深い敬意を語ります。音楽は、言葉や時代を超えて人々が共有する情緒を喚起し、思索を促し、人生を彩ってくれるもの。その原理の前では、商業音楽と純粋芸術などという区別は無意味なものになります。そんな音楽を、尽きぬ泉のように次々と生み出しこの世に残してくれたことに、感謝する気持ちが湧いてきます。

やっぱりイタリア人らしいと微笑ましく感じられたのは、モリコーネの母と妻についての証言です。お母さんについては、「母から美しいメロディーを書けと言われた」とモリコーネ自身が回想します。妻については、監督のトルナトーレの証言ですが、モリコーネは自分の作った曲を、音楽の専門家ではない妻マリアに聞かせて、妻が良いと言ったものだけを世に出したそうです。「映画『ミッション』の「ガブリエルのオーボエ」は宣教師ガブリエルが先住民族と心を通わせるために吹く美しい曲です。親しみの感じられるメロディーがやがて、宗教的な荘厳さを感じさせる大曲へと展開していきます。巨匠モリコーネの平易でありながら深く美しいメロディーの、その根源には母と妻への愛情があるのでしょう。

 

2022年7月22日 (金)

久しぶりのコンサート

まつこです。

ようやく春学期の授業が終わりました。その間、ブログを書く余裕もありませんでした。アクセスしてくださった方がいらっしゃたら、申し訳ありません。

授業が終わったところで、楽しみにしていたコンサートに出かけました。

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[久しぶりのサントリーホール]

辻井伸行独奏、三浦文彰指揮、ARKシンフォニエッタで、オール・ベートーヴェン・プログラム。ピアノ協奏曲の4番と5番です。

お馴染みの5番「皇帝」を楽しみにでかけたのですが、4番が心に深く残りました。辻井さんのピアノの音色はいつも通り美しいのですが、まろやかにオケに溶け込んだり、力強くオケに伍したり、かと思うと、一本の絹糸のように美しい音をささやくように響かせたり、音色の変化が多彩でした。

特に4番の第2楽章の冒頭、弦楽器の低く力強いユニゾンと、ピアノ・ソロとの対話のようなやりとりが印象的でした。短調でもかすかな明るさを感じさせる透明感のあるピアノの音色が、宗教的な敬虔さすら感じさせて、胸を締めつけられるような気持ちになりました。

こんなにも音楽に身を捧げることに喜びをもって生きる人生もあれば、苦しみと憎悪に追い詰められ破滅的な行動へと向かってしまった人生もある。生を受けてこの世にある、せいぜい数十年というわずかな時間に、これほど美しいものを経験する人もいれば、果てしないの苦悩の中で生きざるを得ない人もいる。ひときわ美しい音色に耳を澄ませながら、昨今の不穏な出来事や、政治の腐敗、社会の荒廃との落差に、思わず頭を垂れて何かに祈りたいような気分になりました。

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[この二人に組み合わせ、ちょっとやんちゃなヴァイオリニストと純粋無垢なピアニストという感じ]

アンコールの2曲目を辻井さんが弾き始めると、オーケストラのメンバーも客席もどよめき、その中であわてて三浦さんがコンサート・マスターのヴァイオリンを借りて、見事に息のあった「チャールダッシュ」を聴かせてくれました。後で知ったのですが、当夜のコンサート・マスターは三浦さんのお父様だそうです。

最後はそんな小洒落た演出に、みなが笑顔になった一夜でした。

 

 

2022年4月10日 (日)

映画『白いトリュフの宿る森』

まつこです。

春休みも終わってしまいました(と言っても、あまり休みらしい休みもなかったのですが)。春休み中に心に残った映画がもうひとつあります。

『白いトリュフの宿る森』(The Truffle Hunters)。北イタリアのピエモンテの山の中で、犬の嗅覚をたよりに貴重な白トリュフを探す老人たちを描いたドキュメンタリー映画です。

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[犬とトリュフ・ハンターの心は強く繋がっています]

危険な夜の森に出かけていくのを止めようとする妻と、それでも魅せられるように夜な夜な出かけていく老人。どんなに強く家族に説得されようとも、白トリュフが採れる場所を教えようとしない老人。安ワインをがぶ飲みし、詩を書きなぐり、世捨て人のような生活をしながら白トリュフを探し続ける老人。そんな老いたトリュフ・ハンターたちの強い個性と、圧倒的に美しい自然の風景とが織り合わされた、抒情詩のような映画です。

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[北イタリアの深い森の美しさをたっぷりと見ることができます]

見に行く前は、この映画見たあとではトリュフのスライスがたっぷりかかったパスタを、猛烈に食べたくなるんだろうなあと想像していました。

しかし・・・

見た後では、トリュフはしばらく食べなくてもいいかな・・・という気分になります。

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[白トリュフを少しでも高く売ろうとする仲買人]

なぜかというと、貴重な白トリュフに群がる仲買人たちや、高級リストランテで白トリュフを味わう金持ちの、その欲望が醜く思えてくるから。途方もない値段がついて取引される白トリュフは、富と欲の象徴です。金銭欲、食欲、名誉欲、そうした欲望に突き動かされている人間には、どこか醜悪さがつきまとってしまう。

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[白トリュフは欲望の象徴・・・]

一方で、ただひたすらトリュフを見出すことに喜びを見出し、愛犬と心通わす老人たちの表情には、無垢な心が映し出されています。深い森の中で、犬だけを連れて一人きり、その孤独の中に喜びを経験している人間の姿は、自然と一体化して美しい。

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[心から信頼しあっている犬と老人]

欲望という煩悩を、ひととき、捨て去り、清らかな気分になれる映画でした。犬好きな方にもオススメの映画です。

2022年3月26日 (土)

映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』

まつこです。

3月は何本か映画を見ました。ぼちぼち感想を書いていきます。

まずはThe Duke(邦題『ゴヤの名画と優しい泥棒』)。

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[ヘレン・ミレンとジム・ブロードベントが初老の夫婦役を好演]

1961年に、ロンドンのナショナル・ギャラリーからゴヤ作のウェリントン公爵肖像画を盗まれたという実話にもとづく映画です。家族の絆、北部(ニューカッスル)の労働者とロンドンのエリートという階級差、裁判の陪審の心を動かす言語の力など、イギリスらしいテーマをくっきりと浮かび上がらせた佳作です。(監督はまだ60代半ばなのに、この映画が遺作となってしまったロジャー・ミッシェル・・・。早すぎる死が残念です。)

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[被告ケンプトン・バントンに接見するジェレミー。マシュー・グードがかっこいい弁護士を演じています]

名画を盗んだと告白する愚直な労働者と、切れ者の若手法廷弁護士は、同じイギリス人と言っても、まるで別世界の人間。二人が裁判を前に雑談するシーンがあるのですが、そこで「えっ!」と気になるセリフが出てきました。この弁護士は実在のJeremy Hutchinson。『チャタレー夫人の恋人』裁判や演出家マイケル・ボグダノフの弁護もしたことがあるリベラル派の弁護士です。労働党から選挙にも出ていますが、バロンの称号を持ち、最終的には貴族院議員になりました。この弁護士が「妻が女優」と語るのですが、その女優が当時のイギリス演劇界を代表する女優ペギー・アシュクロフトなのです。

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[若き日のアシュクロフト。『インドへの道』の老婦人のイメージが強かったのですが、若い時は端正な美人ですね]d

「へえ、アシュクロフトって弁護士の奥さんだったんだ・・・」と思いながら見ていたのですが、帰宅後、ちょっと調べてみたら、アシュクロフトは3回、結婚していて、それぞれの夫がいずれも大物。出版社ルーパート・ハート・デイヴィスの創業者、スラニスラフスキー理論をイギリスに紹介した演出家セオドア・コミサルジェフスキー、そしてこのジェレミー・ハッチンソン。いずれの結婚も離婚で終わっていますが、アシュクロフトって恋多き女だったのねーと再認識しました。

アシュクロフトをとりまくような男性たちは、いずれもエリート中のエリート。政界、法曹界、出版界、演劇界、いずれも「界」とつくのは限られた人のみが入れる特権的な人たちの集団です。1960年代のイギリスは、今よりもはるかに階級の格差がはっきりとしていた時代でした。「年金生活者にはBBCのライセンス料を免除せよ」と弱者への救済を、北部訛りで訴える風変わりな元タクシー・ドライバーを「良き友人」と呼んで、無罪を勝ち取った法廷弁護人の雄弁さに、純粋な言語遊戯としてレトリックの冴えを競い合うエリート臭をかすかに感じ取ってしまうのは、深読みでしょうか。でも、まあ、法服とカツラ姿のマシュー・グードが放つエリート臭もまたカッコ良くはあるのですが。

2022年2月27日 (日)

映画『ウエスト・サイド・ストーリー』

まつこです。

2回目まではファイザーで、今回、3回目の接種でモデルナをうってもらったところ・・・ガツンと副反応が出てしまいました。39度の発熱、頭痛、筋肉痛で、薬も飲んだのですが2日間ほどはぐったりして過ごしてしまいました。うめぞうは3回ともファイザーで、3回目の副反応は軽くてすみました。とにかくこれで感染や重症化のリスクが減って、少し安心です。

というわけで、映画を見に行ってきました。

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[観客はうめぞうだけ。これなら感染リスクはほぼゼロでしょう]

スティーヴン・スピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』です。舞台のミュージカル風な部分と、映画らしいリアルな迫真性ある部分とが、違和感なくつなげられていて、音楽も、ダンスも、ドラマも楽しめました。スピルバーグらしい明確なメッセージ性もあります。1950年代の再開発の進むニューヨークで、繁栄から取り残されているのはプエルトリコ系移民だけでなく、白人の不良グループも同じこと。主人公のトニーは前科のあるポーランド系移民。単に不良グループの抗争というのではなく、社会の中に居場所が持てない若者たちの欲求不満として描かれることで、今日の世界のあちこちにある「排除される人々」という構造的な問題が浮かび上がります。

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[背景となる時代の雰囲気をリアルに再現しています]

そんな若者たちを見守るのは、ドラッグ・ストアの店主である老未亡人。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のロレンス修道僧にあたる人物です。オリジナルのミュージカルではラブソングだったSomewhereを、この年老いた女性がたった一人でしみじみと歌うと、それは「理不尽がなくなる、そんな社会がいつかどこかで実現してほしい」という、希求の歌となります。この未亡人を演じたリタ・モレノは1961年版の映画でプエルトリコ移民のアニタを演じていました。その間の60年に、排除や差別の問題は少しは解決の方向に進んできたのだろうか・・・といったことも考えさせる良い場面でした。

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[舞台の演出を思わせる場面もあります]

映画を見た後でびっくりしたのは、マリアを演じた新人女優レイチェル・ゼグラーがなんとチノ役のジョシュ・アンドレス・リヴェラと交際しているという芸能ニュース。チノ役って『ロミオとジュリエット』のパリスにあたる恋の敵役です。誠実だけどさえないチノは、マリアに横恋慕してトニーを殺してしまう・・・えー、チノさえいなければトニーとマリアも幸せになれたかもしれないのに!ま、映画の中の物語とプライベートは別だからいいんだけど、でも、なんでチノなの・・・と憤慨するのは、恋敵としてのチノの演技が良かったからでしょう。

150分、たっぷりと堪能できる映画です。

 

2022年1月29日 (土)

映画『アイ・アム・ユア・マン』

まつこです。

ダン・スティーヴンズといえば、『ダウントン・アビー』のマシュー役で世界中の女性の心をつかんだ美形俳優。2012年のクリスマスに放送された特別編では幸せの絶頂で事故死するという予想外の展開に、多くのファンから「ひどいわ!クリスマスが台無しになったわ」と涙ながらの苦情が放送局ITVに殺到しました。

そんなマシュー、いやダン・スティーヴンズが理想の恋人を演じたらどうなるか・・・

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[マシュー、いやダン・スティーヴンズにじっと瞳を見つめられたら・・・どうする?!]

この恋人は生身の人間ではなくアンドロイドというのが、ドイツ映画Ich Bin Dein Mensche(邦題『アイ・アム・ユア・マン』)の設定です。

相手の反応を読み取って、理想の男性へと進化するようプログラムされたAI搭載のアンドロイドを、ダン・スティーヴンズが好演しています。相手の女性の怒りや悲しみや戸惑いを読み取るにしたがって、不自然な美形ロボットから次第に人間らしい表情をもった存在へと、次第に変化する様子をうまく演じています。人間的な表情の中に、ときおり混じりこむ機会っぽさが、コミカルな効果をあげます。

しかし相手の女性にとっては、きわめて悩ましい状況です。自分でも気がついていない自分の弱さ、直視することを避けている心の傷を、理解して受け入れてくれる男性を、アンドロイドと知りながら愛してしまう・・・。その皮肉な状況ゆえに、人間とAIは共存できるのか、愛とは何か、記憶とは何か、心とは何かという、実存的な問いと向かいあわざるを得ないのです。

ダン・スティーヴンズのコミカルな演技と、ドイツ映画らしい哲学が組み合わせになった映画です。「笑いながら考えたい」という方にオススメです。

 

2022年1月 2日 (日)

映画『キングズマン:ファースト・エージェント』

まつこです。

2021年、最後に見た映画はThe King's Man(『キングズマン:ファースト・エージェント』)。ひたすら娯楽に徹した破茶滅茶なスパイ・アクション映画です。こんなもの(失礼)は、主演がレイフ・ファインズでなければ見に行かないのですが、なにがあってもファインズは見続けると心に決めている私は、うめぞうと友人のポニョさんを誘って、公開初日に映画館に足を運びました。

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[父と子のドラマという面もある、いちおう]

ボーア戦争から第一次世界大戦にかけての歴史を背景にして、国際的な悪と戦う平和主義者のイギリス貴族というのが筋書きです、いちおう。でも筋なんてあってないようなもの。ラスプーチン、ヴィルヘルム一世、レーニンといった実在の巨悪に加え、イングランドを激しく憎むスコットランド人という架空の悪役に、ファインズ演じる伯爵が知恵と人脈とアクションを駆使して勝利するという勧善懲悪のスペクタクルです。

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[ボウラーハットにアンブレラ、これぞイギリス紳士という記号を散りばめています]

でもファインズのファンなら、それなりに楽しめます。スーツ姿で傘をステッキがわりにロンドンの街を歩くシーンを見ながら、『アヴェンジャーズ』という駄作で似たような役を演じたことを思い出し、いっぽう(歳のわりに)軽快で鮮やかな剣さばきを見れば、『ハムレット』のフェンシングの場面に想いをめぐらし、ズボンを脱いで下着姿でラスプーチンと組んず解れつするグロテスクな場面に赤面しながら、『胸騒ぎのシチリア』というシュールなサイコドラマでコミカルな演技を開花させたことを思い出すのです。空中からダイビングしようと、断崖絶壁にはりつこうと、目まぐるしいアクションも『グランド・ブタペスト・ホテル』で経験済みです。「だいじょうぶ、レイフ・ファインズなら何をやっても、私はファンをやめないから」と、決意を新たにしながら映画館をあとにしたのでした。

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[サヴィル・ロウの仕立て屋で息子の初めてのスーツをオーダーする父]

ファインズが出た佳作『愛を読む人』を連想させる場面もありました。第一次世界大戦の戦場で死んだ息子が書き残した詩を葬儀で朗読する場面です。教会の中にファインズの美しい英語が静かに響きわたります。詩の最後はホラティウスからのラテン語の引用で閉じられます。"Dulce et decorum est/ Pro patria mori"(祖国のために死ぬことは美しくふさわしい)ー 最愛の息子を失った痛切な悲しみが、表現を抑制されているがゆえに、より深く感じられます。これぞファインズらしい名場面・・・

しかし・・・この詩は実在のウィルフレッド・オーウェン(Wilfred Owen, 1893-1918)が書いたものです。戦争終結の1週間前に若い命を戦場で散らせた戦争詩人です。経済的理由で大学にも行けず、戦地で塹壕や毒ガスの凄惨さを書き綴った詩人です。架空の貴族の坊ちゃんの詩ではありません。

ファインズが朗読する部分は、戦友の死体を荷台に積む場面や、口から血を吐く音や、膿ただれた傷の様子が、生々しい言葉で語られ、そして最後にこう続くのです。

My friend, you would not tell with such high zest
To children ardent for some desperate glory,
The old Lie: Dulce et decorum est
Pro patria mori.

友よ、二度と熱く語ることはあるまい/ がむしゃらに栄誉を求める息子たちに向かって/あの古い嘘をー祖国のために死ぬことは美しくふさわしい、と。

戦争のむごたらしさを語る英語と愛国心の美しさを伝えるラテン語とを並置させたこの詩を、めちゃくちゃなアクション映画の中に忍び込ませたところが、この映画のアイロニーのひとつと言えます。ファインズ・オタクの人は心に残しておくべき場面でしょう。

 

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