読書

2019年5月 1日 (水)

趣味の読書

まつこです。

職業柄、本を読むことを「趣味」とはなかなか言いにくいのですが、この連休中は趣味の読書を楽しんでいます。

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[この連休中読んでいるのはこの2冊]

1冊目は平野啓一郎の『マチネの終わりに』。運命の人とすれ違い続けるという通俗小説的な筋書きですが、時間論、芸術論、職業における倫理など、硬質の議論が展開されています。ヒロインがユーゴスラビア人と日本人のハーフで日本語、英語、フランス語、ドイツ語、ギリシア語、ラテン語を操る知性派で、強い正義感も持ち、そのうえとびきりの美人。彼女が運命的出会いをしたのが世界的に活躍する天才ギタリスト。こういう絵に描いたような理想的な男女ではありますが、二人をそれほど若くなく(女40歳、男38歳)設定したところが、この小説の成功の要因でしょう。

人生に対する諦念と執着が交錯する年代の恋愛に、哲学や歴史が織り込まれていて、大人のための読み物になっています。文化的芳香にどっぷり浸れる小説でした。

もう一冊はD. H. ローレンスの『チャタレー夫人の恋人』です。これを私は朗読の配信サービスAudible.ukで聞きながら読んでいます。イギリスではもともとオーディオ・ブックという朗読の録音で読書を楽しむ人たちが一定数いて、一流の俳優たちによる素晴らしい録音がたくさんあります。E. M フォースターとかオースティンなどの小説、いわゆる英文学の名作をこの音声と活字とで楽しむのが私の「趣味」です。

『チャタレー夫人の恋人』はサマンサ・ボンドの朗読で聞いています。貴族チャタレー家の森番のオリバーは、グラマー・スクールで教育も受け、軍人としても中尉にまでなった人ですが、ヒロインのコニーとの会話では、あえて強いミッドランド訛りで話します。その訛りによって、貴族の妻であるコニーとの階級差や、煤けた炭鉱と森の豊かな自然が対比をなすミッドランドの風土が浮かび上がります。こういう訛りの持つ効果は目で活字を追っているより朗読で聞いた方がはるかによく理解できます。

昼間は英語の朗読を楽しみ、夜は日本の小説を読む。合間にピアノ弾いたり、碁を打ったり。老後は毎日、こんな生活なるのかなあ・・・。待ち遠しい定年後の生活を、ちょっとだけ味わっているような連休です。

2018年12月16日 (日)

Middle England

まつこです。

EU離脱をめぐって国民がバラバラになりもはや収拾がつかない状態になっているイギリス。でもその分断はもっとずっと前から始まっていたようです。そんな現在のイギリスを理解するのに恰好の一冊はこちら。

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[今年読んだ本のなかで一番おもしろかった]

Jonathan Coeの最新作Middle Englandは、2010年4月から2018年9月までのイギリス社会の変化を、複数の登場人物の人生の変化に重ね合わせて描いた小説です。

表紙は美しいイングランドの風景画が、真ん中で引き裂かれているデザインです。タイトルの「ミドル」は、主人公ベンジャミンが暮らすバーミンガム周辺のイングランド中部地方(The Midlands)とイギリスの中産階級(Middle Class)を指しています。イギリス社会の中核ともいえるこの「ミドル」が大きく引き裂かれてしまっているのです。

リーマンショック以降の緊縮政策の影響を受けたのは、貧困層だけではありませんでした。中産階級もまた疲弊し、多文化共生や政治的正しさといった理念を受け入れる余裕のなくなった人々は、移民や知識人に敵意を向けるようになります。

過ぎ去っていった青春の日々と古い恋愛への追想に埋没していた小説家ベンジャミンも、このイギリスの政治風土の地滑り的変化に無関心ではいられません。2010年の総選挙、2011年の暴動、2012年のオリンピックと節目節目で、家族や友人の間に亀裂が走り、その裂け目は2016年のEU離脱をめぐる国民投票で決定的なものとなる・・・。

この深刻な状況を、イギリス人特有の自嘲的な笑いで突き放しつつ描いたこの長編小説はまさに「ブレグジット悲喜劇」です。ときおりニヤリと笑いながら、イギリスだけでなく、ポスト・グローバル時代をむかえつつある社会の病理の深刻さを考えることのできる一冊です。

2018年11月17日 (土)

小説Pachinko

まつこです。

ある日、BBCのラジオ番組を聴いていたら、韓国系アメリカ人作家Min Jin Leeのインタビューをやっていました。『ニューヨーク・タイムズ』で30週以上にわたりベスト・セラーになっているという話題作、そののタイトルは『パチンコ』です。

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[Min Jin Leeは1968年生まれ。7歳の時に一家でニューヨークに移り住み、イェールを卒業して弁護士をした後に作家に転身。日本には2007年から2011年まで在住]

そのタイトルからうかがえるように舞台の大半は日本。植民地時代の韓国から始まり、大阪、横浜、長野、東京と場所を移しながら、4代にわたる韓国人一家の物語が語られる長大なサーガです。

BBCの番組司会者が「日本と韓国の間にこんな歴史があったなんて知らなかったわ・・・。えっ、日本に住む韓国人は韓国人であることを隠している人もいるの?なんで?えっ、今でも差別がある?なんで?」と仰天しながらインタビューするのを聞くと、なんとも居心地が悪くなってきます。

で、読んでみました。Pachinko。500ページを超える大長編ですが、ぐいぐい読めます。英語も難しくないので、日本人にもぜひ読んでほしい作品です。

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[文藝春秋から日本語訳が出る予定だそうです。でも英語は平易なので普通の大学生くらいな英語力でも読めます]

植民地時代、戦前、戦後、復興期、バブル経済と異なった時代を背景に、ひとりひとりそれぞれの困難を抱えて生きる様が大きなタペストリーを織りなしていきます。そこに在日コミュニティの多様性と複雑さが見えてきます。

その中でも、一世として来日し、異国でひたすら実直に黙々と働きながら二人の子供を育てたスンジャという一人の女性の生き方が、悲しみをたたえながらも力強い物語としてひときわ大きな印象を残します。もっとも無力で無口な一人の女性の人生が、この長大なサーガをつらぬく一本の心棒です。

歴史という抽象的なレベルで理解していたつもりのものが、ひとりひとりの人生という具体的な物語として語られるとき、体温や匂いや手触りをもった現実として感じられるようになる。差別とは構造の問題であると同時に、個別の痛切な経験なのだと認識できる。文学の力とは、そのようなものだと、あらためて感じました。

2018年2月 5日 (月)

ブレイディみかこ

まつこです。

最近、各出版社からひっぱりだこのブレイディみかこ。私もハマって3冊いっきに読んでしまいました。

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[出すものすべてベストセラーの勢い]

 

労働者階級の反乱 地べたから見たEU離脱』は、離脱に投票したワーキング・クラスの人々の現在の体制に対する不満や怒りをリアルに伝えています。『ヨーロッパ・コーリングー地べたからのポリティカル・レポート』は、ここ数年のイギリス政治情勢の変化を細かく知ることができます。

両方とも「地べたから」を副題にうたっているように、新聞やテレビなどメイン・ストリームのメディアからでは伝わらない、現実ありのままの姿を知ることができて、有益な本でした。

しかしこの3冊の中でもっともインパクト強かったのは、著者自身の生活を反映して書かれたコラム集『花の命はノー・フューチャー』。貧困、酒、パンクロックの中で生きてきた自分を、センチメントがいっさい入り込まない乾いた筆致で突き放して書いています。リズム感のある文体と鋭い洞察力で、ひとつひとつの文章が魅力を放っています。

アウトサイダーとして生きて行く覚悟のできている人の文章は、潔くてかっこいい。これからもパンクなおばちゃんとして、胸のすくようなレポートをイギリスから発し続けてくれるでしょう。

2018年1月 2日 (火)

更年期小説:How Hard Can It Be?

まつこです。

昨年、最後に読んだ本はアリソン・ピアソン(Allison Pearson)のHow Hard Can It Be? 15年前のイギリスのベスト・セラーI Don't Know How She Does Itの続編です。

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[1作目はメガヒット。サラ・ジェシカ・パーカー主演で映画化もされました。二匹目のドジョウはそこそこの売れゆきの模様]

15年前、幼児二人を抱えながらシティでヘッジ・ファンド・マネージャーをしていたケイトのその後の人生を描いています。今やケイトもあと数ヶ月で50歳。10代になった娘と息子はSNSやオンライン・ゲームに無我夢中、夫との結婚生活は冷え切り、親は老いて介護が必要。夫が仕事を辞めてしまったため、家計のために専業主婦から一念発起し再就職を図るものの、「オバサン」は門前払。やむなく42歳と年齢をごまかして、シティで営業職をゲット。

タイトルどおりどこまでも大変な生活で孤軍奮闘する中年ヒロインを襲うのは、更年期症状のあれこれ。不眠、不安、物忘れ、肌の乾燥、不正出血、情緒不安・・・。結末はロマンスの常套手段のハッピー・エンディングが用意されているのですが、480ページという大部のかなりな部分で、この更年期の諸症状との格闘ぶりが描かれています。

恋愛とショッピングとキャリアを組み合わせて人生を謳歌する若い女性たちを描いた娯楽文学がChick-litであるなら、更年期(menopause)の女性の悪戦苦闘を描いたこちらは"Meno-lit"と呼べるでしょう。更年期障害という色気のない話題を、堂々と娯楽文学の主題にしたのはあっぱれです。

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[入院中の気晴らしに読み始めました。初日なので余裕綽々で読書ざんまいの私]

作者アリソン・ピアソンは現在『テレグラフ』紙に寄稿している右派コラム二ストでもあります。ネット中毒や自立できない若者たち、億万長者に寄生するシティの金融業者たち、医療や介護の人手不足など、現代社会の構造的問題をひとりの中年女性の生活を通して浮かび上がらせているところにも手堅い手腕を見せています。

15年後あたりに、こんどは老齢期を迎えた女性のロマンスを描いてくれることを、大いに期待したいと思います。

2017年9月13日 (水)

デジタル・デトックス

まつこです。

あまりパッとしない天気の夏も終わり、あっというまに秋。その間、私が取り組んでいたのは「デジタル・デトックス」。パソコンやスマホの使いすぎが、体の様々な不調の原因と指摘する人は多いようです。そこで決意したのが・・・

夜8時以降はできる限りパソコン、タブレット、スマホを使わない。デジタル・デトックスです。

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[ネック・レスト・タイマー]

 

画面を見続けることで首に負担がかかり、それが肩こり、不眠、ひいてはウツを引き起こす、という説もあるようです(『首は絶対にもんではいけない!』)。PCで仕事をするときには、15分に一回、30秒の休憩を取る方が良いというのを読み、専用のタイマーまで買ってしまいました。

確かにこのデジタル・デトックスを始めて以来、体調はまあまあ良いように感じています。

もっと良いのが本を読む時間が増えたこと。で、最近読んで、圧倒的に面白かったのが前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』。学生への推薦図書にまでしてしまいました。

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[圧倒的なおもしろさ!]

若い研究者がフィールドワークでの苦労を描いた自伝なのですが、文章のうまさに加え、著者の研究に対する情熱がストレートに伝わってくるのがこの本の魅力です。ポスドクの身分の不安定さ、研究資金と語学力の不足など、苦労の種は尽きない研究生活ではありますが、アフリカの大地でひたすらバッタを追い求め続けるひたむきさと、その苦労をユーモラスかつドラマティックに語る話術がお見事。表紙の写真のヘンテコさにひるまずに手にとってもらいたい一冊です。

この秋はデジタル・デトックスと読書の季節にしたい・・・と思っています。

2017年8月 6日 (日)

へそまがり書評

まつこです。

前からうすうす気がついていたけれど、私ってもしかして天邪鬼かも。

多く人のが「いいね〜」と感動するものに対して、「うーん、どこがいいのかなあ」としらけた反応をしてしまうことがあります。今回はこれ・・・

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[第157回直木賞受賞作。岩波書店初の直木賞。装丁がたいへん美しい]

佐藤正午の『月の満ち欠け』。61歳ですでに以前から手堅い手法が高く評価されている作家の作品だし、斎藤美奈子もほめていたから、思い切り楽しむつもりで手にとりました。でもイマイチのりきれなかった。残念。

なんで楽しめなかったか自分なりに分析してみると、女の子がかわいくないから。月がなんども満ち欠けを繰り返すように、何回も生まれ変わって自分の思いを伝えようとするというストーリーなのですが、その思いを託された女の子たちが妙に女くさい。子供のくせに執念深い目つきで、おじさんを追い求めるって、これは少女に思いを寄せられたい中年男の願望の裏返しなんじゃないか・・・と。

私はそもそもファンタジー系のものが苦手で、社会現象にすらなっているアニメの『君の名は。』にも、ぜんぜん心揺れませんでした。へそまがりなのかもしれません。

でも大絶賛、賞を総なめ、と世間が盛り上がっている時にこそ、違う意見を言えるささやかな勇気は必要です。天邪鬼けっこう。へそまがりでけっこう。だから、あえて言いましょう。星2つ。(満点は5)

2015年11月21日 (土)

The Gap of Time

まつこです。

あたふたと忙しい日々を過ごすうちに、読んだ本の中身もあっというまに忘れてしまいそう。最近読んだ本からいくつかメモを書きとめておきます。

ヴァージニア・ウルフ夫妻が始めた出版社ホガース・プレスでは「シェイクスピア・プロジェクト」というシェイクスピア作品10作を、近年のベストセラー作家に小説化してもらうという企画を始めました。

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[彫像復活の原作『冬物語』にちなんでルーヴル美術館で買ったミロのヴィーナスのしおりを使って読みました]

その第1作目は、ジャネット・ウィンターソンが『冬物語』を現代の小説に仕立てたThe Gap of Time。シェイクスピア劇に登場するシチリア王レオンティーズは、この小説ではロンドンのヘッジ・ファンドの運営会社シチリアの社長レオという設定です。刻々と変化する金融市場で時間の差によって生じる巨大な利益。レオはこの過酷な金融ゲームの勝者でありながら、自らの狂った嫉妬によって家庭を喪失した人生の敗者となります。

ボヘミア王ポリクシニーズはコンピュータ・ゲームのクリエイターのゼノ。捨てられた赤ん坊が美しい娘へと成長し、やがて和解をもたらすというシェイクスピアのおとぎ話の世界は、この現代小説ではゼノが作り出すヴァーチャルなゲーム空間に置き換えられています。

このようにウィンターソンは巧みに設定を現代社会に移し替えながら、シェイクスピア劇でも問われている「時」の意味をこの小説で探ります。嫉妬、憎悪、死という悲劇の中で未来への希望は失われる。けれど長い時を経て許しと和解を人々が選ぶとき、再び未来への希望が生まれ、それによって失われた過去が再び意味のある人生の一部として見えてくる。未来は過去によって作られ、過去は未来によって作り直される。「時」の持つ残酷さと治癒力を、独特の散文で印象的に描いた小説でした。

この小説で重要な舞台となるのがパリです。セーヌ川の橋下で娼婦を買う心荒んだ若き日のレオ。そのレオが出会うパリの歌手ミミ。親友レオに頼まれミミに求婚するためパリにやってくるゼノ。このゼノとミミの過ごすパリは美しい夜の叙情に包まれています。

汚いパリと美しいパリ、その二面性に、The Gap of Timeとはぜんぜん違う本でも出会いました。ジャンポ〜ル西の漫画。『パリ 愛してるぜ~』、『かかってこい、パリ』、『パリが呼んでいる』。パリに憧れた漫画男子の「男目線のパリエッセイ」です。貧乏なバイト生活をしながら見たパリは、ローアングルの地を這うように低い視点からリアルに描かれています。面白くてついつい三部作を一気読みしてしまいました。

貧困と猥雑のパリは「狂乱の20年代」と呼ばれる大戦間のきらびやかな時代にもありました。ジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記 (岩波文庫)』は、芸術家が集う華やかな時代の舞台裏を赤裸々に描いたルポルタージュです。ロシアからの亡命者、娼婦、詐欺師、どん底にうごめく人々の間に、オーウェルは自ら飛び込んで若き日を2年間過ごしました。感傷を排したリアルな筆致からは、体臭や騒音が生き生きと湧き上がってきます。

様々な人々を引き寄せてきたパリは、歴史のうねりをもっとも強く映し出す都市のひとつなのでしょう。パリという名前に、日本人女性が無邪気な憧れを抱く時代はたぶん終わりつつある(すでに終わった?)のだろうなと思いながらも、冬休みにパリー成田のチケットを買ってしまっていた私は、果たしてどうするべきか・・・いやはや、悩ましいところです。

 

2015年8月 5日 (水)

Universal Threat

まつこです。

8月から9月にかけてはケンブリッジで過ごす予定だったのですが、昨日、JALに電話をして、フライトをキャンセル。この夏は健康回復がまずは先決です。

というわけで、老眼鏡かけて、エアコンの効いた部屋に閉じこもる夏です。読みたくないものを無理して読むとストレスがかかって身体に悪そうなので、読みたいものだけを読むことにしました。

[『日本語が亡びるとき』(2008)は小林秀雄賞受賞の話題作でした。今年1月にコロンビア大学出版会から英訳が出版されました]

6月19日付の「タイムズ文芸付録」に水村美苗『日本語が亡びるとき』の英訳The Fall of Language in the Age of Englishの書評が掲載されていました。水村美苗ファンとしては読まないわけにはいきません。

書評者は村上春樹の英訳で知られているハーバードのジェイ・ルービン。タイトルは"Universal threat: The sturugglesof Japanese literature against its own internal handicaps and the advance of English."

『日本語が亡びるとき』はこのブログでも取り上げたことがありますが(「古い机」2008年12月30日)、英語も日本語もひっくるめて日本の言語教育の無為無策ぶりを痛烈に批判する鋭さが痛快でした。ファンタジー文学がハリウッド映画などを通してグローバルな市場で売れているのは、善悪が戦う大きな物語の枠は言語不要だから、という説にも納得しました。

日本語と日本文学を守るために日本人に向けて檄を飛ばした本でしたが、これが英訳されると、いわゆる「英語帝国主義」への挑戦と受け止められたようです。評者ジェイ・ルービンは水村が日本語の特殊性だけをことさら強調しすぎているのではないかと保留をつけながらも、英語のみを使ってナイーブな自己満足にひたっている人々のには見えないものがあるという点では、共感を示しています。

ただ、世界共通語としての英語による帝国主義的支配というと、英語そのものが持つ複雑な豊かさが見落とされてしまうきらいもあります。英語だけしか使わない人々にも他言語話者には簡単に理解できない文化や文学の蓄積はあるわけで、その点では日本語であれ、英語であれ、同じ問題に直面しているように思います。インターネットによる書き言葉の質の変化とか、テクノロジー万能の時代の思考スパンの短さとか、"Universal threat"に脅かされているのは、日本文学だけじゃなくて、英語文学だって同じじゃないでしょうか。

2015年6月27日 (土)

第四の男

まつこです。

もう1ヶ月ほど前のことになりますが、ケンブリッジの友人が雑誌記事を切り抜いて送ってきてくれました。Country Lifeというライフスタイル雑誌に掲載された記事「第四の男の正体はシェイクスピア」("I know who the fourth man is -- it's Shakespeare")です。

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[Country Lifeの当該号の表紙]

マーク・グリフィスという植物学者・歴史学者が数年間にわたって検証した結果、The Herballという題の本草学の本の表紙に描かれていた人物像の一人が、シェイクスピアだと確証できるという内容です。

Country Lifeは19世紀末に創刊された週刊誌で、美しきイングランドの田園、カントリーハウス、コテッジの庭、アンティークといった、悠々たるミドルクラスの生活の楽しみを美しいカラーグラビアと記事で伝える雑誌です。

グリフィスは、植物学、紋章学、図像学、古典学、書誌学等々の知識を駆使し、細密画のようなタイトル・ページの絵に秘められた暗号を読み解き、そこに描かれていた4人の人物を特定しています。それがCountry Lifeらしい美しいグラビアつきで20ページ近い記事にまとめられていて、読みものとしてはとても面白かったです。まるで推理小説を読むような感じ・・・そう、あの『ダ・ヴィンチ・コード』を読むような面白さです。

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[こちらがJohn GerardのThe Herballという本草学の本の表紙。右側の真ん中が問題の人物像]

肖像画が見つかったというだけでなく、若き日のシェイクスピアはバーリー卿ウィリアム・セシルをパトロンとし、息子ロバートの昇進のため、エリザベス女王を館に迎える歓迎の小品を書いたという、伝記の大きな見直しにつながる発見だとグリフィスは主張しています。

Country Lifeの当該号が出る前に、BBCや新聞各紙は大ニュースと伝えました。一方、アカデミックな世界からは、冷ややかな懐疑論や痛烈な反論が寄せられました。でも発見の真偽のほどはともかく、詳細な推論の積み重ねそのものには、知的ゲームの面白さがあることは確か。結論だけをとりあげて「トンデモ論」と切って捨てるのではなく、まずは読んで楽しむという余裕も必要かな、という気もしました。

まあ、こちらに知識がないぶんだけ、内容を鵜呑みにする素直な読者として楽しめるという面はあるのですが。本物のアカデミシャンはこういうのを読んで「楽しむ」というわけにはいかないのだろうなあ・・・。