読書

2022年2月14日 (月)

『老後とピアノ』

まつこです。

最近、月に一度か二度のピアノ・レッスン。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ1番の1楽章だけで、すでに4ヶ月以上かかっています。「長くやっていると少しは形になってきますね〜」と、先生は苦笑しながら言っています。見えすいたお世辞が言えない先生の、せいいっぱいの褒め言葉です。「もう少しできるようになると思いますから、もうしばらく続けてください」と言われ、いよいよ5ヶ月目に突入です。

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[分厚いソナタ集の最初の5ページだけボロボロになってきました]

あーあ、なかなかうまくならないなあ・・・と、落胆したり、なかば諦め気分だったり。そんな私の心のどまんなかに、直球ストライクでつきささってきたのが、元朝日新聞のアフロヘア記者、稲垣えみこさんの『老後とピアノ』

 

[もともとは『月刊ショパン』の連載だったそうです]

50歳で朝日新聞を退職し、ミニマルな生活をしながら、40年ぶりにピアノを再開した稲垣さん。子供の頃は練習きらいだったけど「今ならばちゃんとできるんじゃないだろうか?」という、当初のほの甘い予測も、40年ぶりにみた楽譜が「まるっきり暗号にしか見えない」というショックも、大人ゆえの見栄のため先生の前になると「こんなこと練習の時は一度もなかったのにィ〜」とボロボロになるのも、まるで私の経験をそのまま書いてもらっているよう。

老眼が進んでいて楽譜を拡大コピーするとか、むきになって練習しすぎてガチンガチンにりきんじゃうとか、体だけではなく脳が老化しているのをはっきり実感したりとか、シニアのピアノ・ライフにあるあるのエピソードが次々に出てきます。

でもこの本から私が学んだ最良のヒントは、稲垣さんがピアノを通してたどりついた「野望を持たず、今を楽しむ」という人生観です。ひとつひとつの音を慈しむように、老いていく人生の時を味わう。もっとうまくなりたいとか、人に聞かせてほめられたいとか、そんな向上心は若者には良いかもしれないけれど、老人は「先」などないのだから、目の前の小さなことを楽しめば、そこに思いもかけぬ美しいものとの出会いがあると、稲垣さんは語ります。

そうだそのとおり!そう思いながら弾くと、あら不思議、肩から力が抜けて、ピアノの音もちょっと良くなります。

稲垣さんは1965年生まれとのことなので、まだ50代ですが、「老後」という言葉を我がこととして堂々と引き受けているところもあっぱれです。実年齢よりも若く見えることばかりを追求する風潮に流されず、自分の幸福のあり方を見定めていく。そんな姿勢が、実にかっこよく思えてくる一冊でした。

2021年9月 5日 (日)

Scabby QueenとTwilight of Democracy

まつこです。

夏休みの課題図書として、自分のために選んでおいたのはこの2冊。スコットランドの作家Kirstin Innesの小説Scabby QueenとアメリカのジャーナリストAnne ApplebaumのノンフィクションTwilight of Democracyです。

選択の理由は単純で、ブレイディみかこが2020年の本として『みすず2020年読書アンケート』で推薦していたから。この人のオススメなら間違いなかろうと。

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[現代史への理解が深まる2冊]

Scabby Queenはスコットランド語でトランプの「ババ抜き」の意味です。主人公は若い頃に政治的なプロテスト・ソングを大ヒットさせたスコットランド人歌手クリオナ。1990年、サッチャーが導入した人頭税への反対運動のシンボル的存在となって以来、反グローバリズム運動、反イラク戦争、フェミニズム、スコットランド独立、ブレグジット反対など、政治的な主張を訴え続けるものの、いずれの戦いも失意のうちに敗北を重ねることになります。

赤毛と真っ赤な唇で、常に男たちを引き寄せるセクシーな魅力をふりまき、女たちも共に戦う同志としてひきつけるカリスマ性を持ちながら、どの関係も長続きせず、私生活は常にメチャクチャ。関わった人間は、振り回されたあげく、おしなべて傷つけられるという、アブナイ女です。そう、トランプのババ抜きで、忌まわしいカードが次々といろんな人の手を渡っていくように、多くの男女が次々とクリオナの混沌とした人生を共有し、苦々しい経験をしていきます。

小説はクリオナの2018年の自殺から始まり、1990年から始まる30年間を行きつ戻りつしながら、関わった人々ひとりひとりの視点から語られ、次第にクリオナという一人の女性の像と、その背景にある政治的変動が浮かび上がってくるという趣向です。

読むのに難渋したのは、スコットランド訛り。スコットランドの炭鉱町の労働者階級で育った少女が、ロンドンのミドル・クラスの男女、パキスタンやジャマイカの移民、グラスゴーの市民らとつきあうのですが、そのときそのときによって訛りの程度や特徴が微妙に変化します。活字でもそれが表現されているのですが、私の英語力ではとてもそれを音として全部想像することはできず、Audibleでスコットランド俳優が朗読するのを聴きながら読み進めたのですが、訛りが強くなると追いかけていくのがかなりきつくなります。最後は老人ホームに入っているクリオナの母が、いわゆるまだらボケの状態で、真偽のほどもあやしいことを、延々とモノローグで語るのですが、これが強烈なスコットランド弁で、いやはや、最後の1行までたどりついたときは、煙に巻かれたような呆然とした気分の読後感となりました。

両親の離婚、養育放棄から、たった1曲のヒットのあと、挫折の連続を生きた女性シンガーのまさに地べたからのイギリス現代史ですが、ほぼ同じ時代をエスタブリッシュメントの側から見ているのがApplebaumuのTwilight of Democracyです。イェールやオックスフォードで学び、The EconomistやThe Spectatorなど保守系メディアで活躍していたユダヤ系女性ジャーナリスト・歴史家であるアプルボームは、クリオナと対極の位置にいます。

また小説の主人公であるクリオナは常に突き放されて描かれる存在であるのに対し、アプルボームは自らの体験として現代史の語り手になっています。しかし、おもしろいのはいかなる点でも対照的な二人が、今日の政治状況の中で同じ不安と怒りを共有していることです。

1999年12月31日、いよいよ20世紀が終わるという日、ポーランド人外交官の夫とともに、たくさんの友人たちを招いて開催したパーティには、確かに楽観的な気分があふれていたと、アプルボームは懐かしく思い出します。そのパーティにいた友人や知人が、まさか20年後に、陰謀論者や排他的なナショナリストになっているなんて・・・という、個人的感慨がにじみ出ているのが、この本の特徴です。民主主義があっけなく後退し、権威主義が幅をきかせるようになった大きな要因は、知識人の退廃と変節であり、それは自分たちエリートの身の周りで起きた変化であったという苦々しい認識が一人称の視点で、しかし冷静に語られています。その知人のひとりがボリス・ジョンソン。

「ボリス・ジョンソンはオックスフォードで夫の友達だったわ。「友人」というのはちょっと誤解を招いてしまうかしら。正確に言うと二人ともブリンドン・クラブのメンバーだったよの。むしろライバルというべきかしら...2014年、ジョンソンとあと数人で食事に行ったわ。EUに存続か離脱かの国民投票をほんとうにするのか、という話題になったとき、「誰も本気で離脱なんて考えてないよ。ビジネス界も金融界も望んでないし。ありえないよ」と、彼はそう言っていたわ。多文化の大都市ロンドンのリベラルな市長らしくね。」

ジョンソンは無頓着で飽きっぽいナルシシストでしかなく、ただみんなに注目されたいというだけの理由で、過去を美化するノスタルジーに徐々に支配されていく政治的な流れの中で、強硬な離脱派になってしまったとアプルボームは喝破します。歴史家としての巨視と、一人称の語り手としてのパーソナルな視点がひとつになっているのが、このTwilight of Democracyの独自性でしょう。

小説とノンフィクションとジャンル違いの2冊が、このように交差するのも興味深く、スコットランド英語にはひどく手こずりましたが、有意義な読書体験になりました。

 

 

2021年8月16日 (月)

夏休み読書感想文 ダニエル・デフォー『ペスト』を読んで

まつこです。

夏休みといえば読書感想文。

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[平井正穂訳で読みました。原文で読まずにゴメンナサイ(?)]

武田将明訳(2017年)、中山宥訳(2020年)の新訳もあるのですが、今回は平井正穂訳で読みました。たぶんもともとは1959年に筑摩の世界文学体系に収録されたものだと思います。たまに前の世代に属する平井氏のような、少し古めかしくて格調高い日本語に触れると、自分の日本語感覚を若干軌道修正できるような気がします。デフォーの場合は、即物的なジャーナリスト的側面がある一方で、非常に信仰厚いプロテスタンティズムが著作の根底を支えているので、聖書への言及や引用も多く含まれています。文語訳聖書からの引用が地の文に馴染むのは、やはり平井訳の硬質な文体です。

このデフォーの『ペスト』(A Journal of the Plague Year)の描く疫病に苦しめられるロンドンの生活が、パンデミック下の現在といかに重なりあうかは、昨年からしばしばいろいろなところで論じられています。病の苦しみや死の恐怖だけでなく、防疫のための自由の制限、経済の退潮と人々の困窮、行政による貧困支援、デマに踊らされる大衆心理など、17世紀も21世紀も、感染症に襲われた社会でおきる問題の構造はまったく同じです。無症状者が感染に気がつかずに病気を広げてしまうことが問題だという、デフォーの指摘はそのまま今日でもあてはまります。「だから、もっと徹底的にPCR検査をして無症状感染者を特定することが重要なんだ!」と科学者が力説しても、なかなか検査を拡大しようとしない日本の行政の判断は、デフォーが持っていた近代的合理主義に及ばないということでしょう。

延々と続くと思われた苦しみも、やがて感染が収束する日がきます。新しい薬も新しい治療法もないまま、事態は好転します。今なら「集団免疫が獲得された」と言うところでしょうが、デフォーの時代は「神の、あの見えざるみ手のなせる業」と受けとめられました。デフォーはこの感染収束を過去の記録として描いているのですが、結末はしかし、苦々しいものです。これだけの悲惨な経験をしながら、あっというまに神への感謝も敬虔さも忘れ去ってしまう大衆に冷ややかな一瞥を投げかけて、長い長い記録は終わります。

「彼ら神の頌美(ほまれ)をうたえり、されどしばしがほどにその事跡(みわざ)を忘れたり」

この旧約聖書からのデフォーの引用が、現代にも再び思い出されるとしたら、コロナ収束後、何もなかったかのように、またあっけらかんと、人類の可能性を楽天的に信頼し、経済発展や科学技術開発をめざす姿勢が、あっというまに戻ってくる時でしょう。「いやー、コロナ終わってよかったねえ。え、次の感染症のリスク? また新しいワクチンできるから大丈夫でしょう!」そんな会話がすぐに聞かれるようになるだろう、というのがデフォーの記録の、時代を超えたもっとも鋭い洞察でしょう。

2021年1月29日 (金)

『JR上野駅公園口』

まつこです。

昨年、全米図書賞を翻訳文学部門で受賞して話題になった小説、柳美里の『JR上野駅公園口』をようやく読みました。

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[うちからは15分ほど歩くと不忍池です]

一人のホームレスの男性を通して、戦後から東日本大震災までの日本社会の変化と、その中で排除されてきた影の部分を浮かび上がらせる小説です。貧困という経済的な問題だけではなく、土着風俗の中にある排他性や、天皇制の持つ呪術的支配力という、現代の合理主義が置き去りにしてきた側面にも目をむけさせる小説でした。個人の物語にもなっていて、生と死、現実と心象の区別が曖昧になった領域に、亡霊のように漂う意識を描いています。

貧困、情念、死という、私たちが日頃、視線をそらせがちなものにあえて視線をむけさせる小説です。全米図書賞受賞というニュースがなければ、私もたぶん読まなかったと思います。福島の方言や浄土真宗のお経の言葉が混じるこんな小説を英語に翻訳した、翻訳者モーガン・ジャイルズの功績も非常に大きいものがあります。英訳のタイトルはTokyo Ueno Station.

もともとはイギリスのTilted Axis Pressという、非営利系の出版社から出された翻訳でした。Tilted Axis Pressはイギリスの帝国主義がもたらした、英語や欧米文化の世界支配への反省を出発点とし、アジア系作家の英訳を主に出版している出版社だそうです。

柳美里という韓国系作家の作品が、アメリカのアパラチア山脈の近くで生まれたアメリカ人女性によって翻訳され、それがイギリスで出版されたものがアメリカで賞を受ける。そうした長い経緯をたどったのちに、ようやく私が手にした小説で描かれていたのは、自宅から徒歩圏にある上野公園でした。

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[休日の上野公園。オリンピックを前にホームレスの人は排除されていなくなりました]

散歩したり、文化会館でコンサートを聞いたり、美術館に行ったり、公園内のレストランで食事をしたり、無意識に営んでいる日常生活の足もとにある地面や空気の中に、私たちが見ようとしない顔や聞こうとしない声があることを、この小説は静かに訴えてきます。

 

2019年5月 1日 (水)

趣味の読書

まつこです。

職業柄、本を読むことを「趣味」とはなかなか言いにくいのですが、この連休中は趣味の読書を楽しんでいます。

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[この連休中読んでいるのはこの2冊]

1冊目は平野啓一郎の『マチネの終わりに』。運命の人とすれ違い続けるという通俗小説的な筋書きですが、時間論、芸術論、職業における倫理など、硬質の議論が展開されています。ヒロインがユーゴスラビア人と日本人のハーフで日本語、英語、フランス語、ドイツ語、ギリシア語、ラテン語を操る知性派で、強い正義感も持ち、そのうえとびきりの美人。彼女が運命的出会いをしたのが世界的に活躍する天才ギタリスト。こういう絵に描いたような理想的な男女ではありますが、二人をそれほど若くなく(女40歳、男38歳)設定したところが、この小説の成功の要因でしょう。

人生に対する諦念と執着が交錯する年代の恋愛に、哲学や歴史が織り込まれていて、大人のための読み物になっています。文化的芳香にどっぷり浸れる小説でした。

もう一冊はD. H. ローレンスの『チャタレー夫人の恋人』です。これを私は朗読の配信サービスAudible.ukで聞きながら読んでいます。イギリスではもともとオーディオ・ブックという朗読の録音で読書を楽しむ人たちが一定数いて、一流の俳優たちによる素晴らしい録音がたくさんあります。E. M フォースターとかオースティンなどの小説、いわゆる英文学の名作をこの音声と活字とで楽しむのが私の「趣味」です。

『チャタレー夫人の恋人』はサマンサ・ボンドの朗読で聞いています。貴族チャタレー家の森番のオリバーは、グラマー・スクールで教育も受け、軍人としても中尉にまでなった人ですが、ヒロインのコニーとの会話では、あえて強いミッドランド訛りで話します。その訛りによって、貴族の妻であるコニーとの階級差や、煤けた炭鉱と森の豊かな自然が対比をなすミッドランドの風土が浮かび上がります。こういう訛りの持つ効果は目で活字を追っているより朗読で聞いた方がはるかによく理解できます。

昼間は英語の朗読を楽しみ、夜は日本の小説を読む。合間にピアノ弾いたり、碁を打ったり。老後は毎日、こんな生活なるのかなあ・・・。待ち遠しい定年後の生活を、ちょっとだけ味わっているような連休です。

2018年12月16日 (日)

Middle England

まつこです。

EU離脱をめぐって国民がバラバラになりもはや収拾がつかない状態になっているイギリス。でもその分断はもっとずっと前から始まっていたようです。そんな現在のイギリスを理解するのに恰好の一冊はこちら。

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[今年読んだ本のなかで一番おもしろかった]

Jonathan Coeの最新作Middle Englandは、2010年4月から2018年9月までのイギリス社会の変化を、複数の登場人物の人生の変化に重ね合わせて描いた小説です。

表紙は美しいイングランドの風景画が、真ん中で引き裂かれているデザインです。タイトルの「ミドル」は、主人公ベンジャミンが暮らすバーミンガム周辺のイングランド中部地方(The Midlands)とイギリスの中産階級(Middle Class)を指しています。イギリス社会の中核ともいえるこの「ミドル」が大きく引き裂かれてしまっているのです。

リーマンショック以降の緊縮政策の影響を受けたのは、貧困層だけではありませんでした。中産階級もまた疲弊し、多文化共生や政治的正しさといった理念を受け入れる余裕のなくなった人々は、移民や知識人に敵意を向けるようになります。

過ぎ去っていった青春の日々と古い恋愛への追想に埋没していた小説家ベンジャミンも、このイギリスの政治風土の地滑り的変化に無関心ではいられません。2010年の総選挙、2011年の暴動、2012年のオリンピックと節目節目で、家族や友人の間に亀裂が走り、その裂け目は2016年のEU離脱をめぐる国民投票で決定的なものとなる・・・。

この深刻な状況を、イギリス人特有の自嘲的な笑いで突き放しつつ描いたこの長編小説はまさに「ブレグジット悲喜劇」です。ときおりニヤリと笑いながら、イギリスだけでなく、ポスト・グローバル時代をむかえつつある社会の病理の深刻さを考えることのできる一冊です。

2018年11月17日 (土)

小説Pachinko

まつこです。

ある日、BBCのラジオ番組を聴いていたら、韓国系アメリカ人作家Min Jin Leeのインタビューをやっていました。『ニューヨーク・タイムズ』で30週以上にわたりベスト・セラーになっているという話題作、そののタイトルは『パチンコ』です。

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[Min Jin Leeは1968年生まれ。7歳の時に一家でニューヨークに移り住み、イェールを卒業して弁護士をした後に作家に転身。日本には2007年から2011年まで在住]

そのタイトルからうかがえるように舞台の大半は日本。植民地時代の韓国から始まり、大阪、横浜、長野、東京と場所を移しながら、4代にわたる韓国人一家の物語が語られる長大なサーガです。

BBCの番組司会者が「日本と韓国の間にこんな歴史があったなんて知らなかったわ・・・。えっ、日本に住む韓国人は韓国人であることを隠している人もいるの?なんで?えっ、今でも差別がある?なんで?」と仰天しながらインタビューするのを聞くと、なんとも居心地が悪くなってきます。

で、読んでみました。Pachinko。500ページを超える大長編ですが、ぐいぐい読めます。英語も難しくないので、日本人にもぜひ読んでほしい作品です。

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[文藝春秋から日本語訳が出る予定だそうです。でも英語は平易なので普通の大学生くらいな英語力でも読めます]

植民地時代、戦前、戦後、復興期、バブル経済と異なった時代を背景に、ひとりひとりそれぞれの困難を抱えて生きる様が大きなタペストリーを織りなしていきます。そこに在日コミュニティの多様性と複雑さが見えてきます。

その中でも、一世として来日し、異国でひたすら実直に黙々と働きながら二人の子供を育てたスンジャという一人の女性の生き方が、悲しみをたたえながらも力強い物語としてひときわ大きな印象を残します。もっとも無力で無口な一人の女性の人生が、この長大なサーガをつらぬく一本の心棒です。

歴史という抽象的なレベルで理解していたつもりのものが、ひとりひとりの人生という具体的な物語として語られるとき、体温や匂いや手触りをもった現実として感じられるようになる。差別とは構造の問題であると同時に、個別の痛切な経験なのだと認識できる。文学の力とは、そのようなものだと、あらためて感じました。

2018年2月 5日 (月)

ブレイディみかこ

まつこです。

最近、各出版社からひっぱりだこのブレイディみかこ。私もハマって3冊いっきに読んでしまいました。

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[出すものすべてベストセラーの勢い]

 

労働者階級の反乱 地べたから見たEU離脱』は、離脱に投票したワーキング・クラスの人々の現在の体制に対する不満や怒りをリアルに伝えています。『ヨーロッパ・コーリングー地べたからのポリティカル・レポート』は、ここ数年のイギリス政治情勢の変化を細かく知ることができます。

両方とも「地べたから」を副題にうたっているように、新聞やテレビなどメイン・ストリームのメディアからでは伝わらない、現実ありのままの姿を知ることができて、有益な本でした。

しかしこの3冊の中でもっともインパクト強かったのは、著者自身の生活を反映して書かれたコラム集『花の命はノー・フューチャー』。貧困、酒、パンクロックの中で生きてきた自分を、センチメントがいっさい入り込まない乾いた筆致で突き放して書いています。リズム感のある文体と鋭い洞察力で、ひとつひとつの文章が魅力を放っています。

アウトサイダーとして生きて行く覚悟のできている人の文章は、潔くてかっこいい。これからもパンクなおばちゃんとして、胸のすくようなレポートをイギリスから発し続けてくれるでしょう。

2018年1月 2日 (火)

更年期小説:How Hard Can It Be?

まつこです。

昨年、最後に読んだ本はアリソン・ピアソン(Allison Pearson)のHow Hard Can It Be? 15年前のイギリスのベスト・セラーI Don't Know How She Does Itの続編です。

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[1作目はメガヒット。サラ・ジェシカ・パーカー主演で映画化もされました。二匹目のドジョウはそこそこの売れゆきの模様]

15年前、幼児二人を抱えながらシティでヘッジ・ファンド・マネージャーをしていたケイトのその後の人生を描いています。今やケイトもあと数ヶ月で50歳。10代になった娘と息子はSNSやオンライン・ゲームに無我夢中、夫との結婚生活は冷え切り、親は老いて介護が必要。夫が仕事を辞めてしまったため、家計のために専業主婦から一念発起し再就職を図るものの、「オバサン」は門前払。やむなく42歳と年齢をごまかして、シティで営業職をゲット。

タイトルどおりどこまでも大変な生活で孤軍奮闘する中年ヒロインを襲うのは、更年期症状のあれこれ。不眠、不安、物忘れ、肌の乾燥、不正出血、情緒不安・・・。結末はロマンスの常套手段のハッピー・エンディングが用意されているのですが、480ページという大部のかなりな部分で、この更年期の諸症状との格闘ぶりが描かれています。

恋愛とショッピングとキャリアを組み合わせて人生を謳歌する若い女性たちを描いた娯楽文学がChick-litであるなら、更年期(menopause)の女性の悪戦苦闘を描いたこちらは"Meno-lit"と呼べるでしょう。更年期障害という色気のない話題を、堂々と娯楽文学の主題にしたのはあっぱれです。

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[入院中の気晴らしに読み始めました。初日なので余裕綽々で読書ざんまいの私]

作者アリソン・ピアソンは現在『テレグラフ』紙に寄稿している右派コラム二ストでもあります。ネット中毒や自立できない若者たち、億万長者に寄生するシティの金融業者たち、医療や介護の人手不足など、現代社会の構造的問題をひとりの中年女性の生活を通して浮かび上がらせているところにも手堅い手腕を見せています。

15年後あたりに、こんどは老齢期を迎えた女性のロマンスを描いてくれることを、大いに期待したいと思います。

2017年9月13日 (水)

デジタル・デトックス

まつこです。

あまりパッとしない天気の夏も終わり、あっというまに秋。その間、私が取り組んでいたのは「デジタル・デトックス」。パソコンやスマホの使いすぎが、体の様々な不調の原因と指摘する人は多いようです。そこで決意したのが・・・

夜8時以降はできる限りパソコン、タブレット、スマホを使わない。デジタル・デトックスです。

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[ネック・レスト・タイマー]

 

画面を見続けることで首に負担がかかり、それが肩こり、不眠、ひいてはウツを引き起こす、という説もあるようです(『首は絶対にもんではいけない!』)。PCで仕事をするときには、15分に一回、30秒の休憩を取る方が良いというのを読み、専用のタイマーまで買ってしまいました。

確かにこのデジタル・デトックスを始めて以来、体調はまあまあ良いように感じています。

もっと良いのが本を読む時間が増えたこと。で、最近読んで、圧倒的に面白かったのが前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』。学生への推薦図書にまでしてしまいました。

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[圧倒的なおもしろさ!]

若い研究者がフィールドワークでの苦労を描いた自伝なのですが、文章のうまさに加え、著者の研究に対する情熱がストレートに伝わってくるのがこの本の魅力です。ポスドクの身分の不安定さ、研究資金と語学力の不足など、苦労の種は尽きない研究生活ではありますが、アフリカの大地でひたすらバッタを追い求め続けるひたむきさと、その苦労をユーモラスかつドラマティックに語る話術がお見事。表紙の写真のヘンテコさにひるまずに手にとってもらいたい一冊です。

この秋はデジタル・デトックスと読書の季節にしたい・・・と思っています。