英語

2015年10月29日 (木)

誤訳の定義は難しい

まつこです。

バターと蜂蜜をたっぷりつけたトーストに紅茶でまずはエネルギー補給。この朝食時に私はその日の講義の内容をうめぞうに話して復習をすることがあります。

「今日はね、ロンドン・オリンピックの開会式の解説する講義なんだけど、田園風景が産業革命で一変する大転換のパフォーマンスが見事でね。メリー・イングランドが「悪魔の工場」にダイナミックに変わるんだよ。まさにSatanic Millsだよ」

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[ロンドン・オリンピックの開会式で表現されたSatanic Mills]

しかし、この朝はここから会話が混線しました。

うめぞう:それポランニーの「悪魔の挽き臼」でしょ。
まつこ:ブレイクの詩だよ。「悪魔の工場」だよ。
うめぞう:ポランニー、知らないの?
まつこ:だれ、それ?
うめぞう:ポランニー、有名だよ。市場経済が拡大して資本主義が労働者を飲み込んでいくのを「悪魔の挽き臼」って呼んだんだよ。
まつこ:ふーん。でももとはウィリアム・ブレイクのJerusalemだよ。イングランドの国歌みたいなもんだよ。誰でも知っているよ。Satanic Millsは産業革命で工場が出現したことを指すというのが一般的な説明だよ。


さて、Satanic Millsを「悪魔の挽き臼」と訳したのは果たして「誤訳」でしょうか?ブレイクの詩は"was Jerusalem builded here,/ Among these dark Satanic Mills"です。かつてイエスがイングランドを訪れたのか。こんな工場ばかりのところにエルサレムがあったのか、と問う詩行です。この詩の文脈の中であれば「挽き臼」は明らかに誤訳でしょう。

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[ウィリアム・ブレイク自身が彩色したJerusalemの詩(長詩Miltonの序詞)]

ただし市場経済の強力なメカニズムや資本主義が人々を労働力として飲み込んでいく暴力性をイメージさせるには、「悪魔の工場」より「悪魔の挽き臼」という日本語の方がシンボリックで効果的かもしれません。

ここが「誤訳」の定義の難しいところです。日独の2言語で創作活動をしている多和田葉子さんは、翻訳家とは自分なりの理解を別の言語で再現する一種の演出家のようなものだから、自分としてのアイディアを持ってオフェンシブに仕事をすべきだと言っています。「誤訳のように見えて、実は名訳」というものがいろいろあるとも言っています。

しかし勇気をもって「誤訳」するためには、原文を誤読していないという自信が必要です。自信のない翻訳者は、誤訳と言われないようディフェンシブに安全な訳語を選んでしまいます。

この朝はこの「悪魔の挽き臼」が誤訳かどうかをめぐってうめぞうと議論している間に遅刻しそうになりました。

2010年7月27日 (火)

黄金のラッパゼンマイ?

まつこです。

数年前のことになりますが、うめぞうが初めてイギリスを訪れたときに、案内役をしようと思った私は、うめぞうにイギリスで行きたいところはどこかを聞いてみました。即座に「ロンドン塔と湖水地方」という答えが返ってきました。直球ど真ん中の答えです。

Wordsworth_ennerdale[湖畔に水仙の花が咲く・・・]

イギリスと言えば、血塗られた歴史の跡をとどめるロンドン塔と、ワーズワースやコールリッジなどロマン派の詩人たちがその美しい自然を愛した湖水地方―。こんなイメージを持っている人は多いと思います。

その湖水地方のあるカンブリアの観光局のHPに、2007年以来、一匹のリスが登場しています。MC Nutsという名のこのリスは、ワーズワースの有名な詩「水仙」をラップにして、湖畔で歌い踊るのです。

Wordsworth_wood_3 [これが歌って踊る巨大なリスのMC Nuts]

カンブリアの観光局が若い世代に湖水地方の魅力を伝えるために、詩が作られてから200年を記念して、ヒップ・ホップ・ヴァージョンに仕立てて、ビデオクリップまで用意したのです。これを取り上げた新聞「テレグラフ紙」の記事は、「奇想天外」とやや懐疑的な感想を伝えています("Squirrel rapper releases hip-hop Wordsworth")。

こんなパロディが作られるのも、原作の詩がとてもよく知られているからです。英語圏では子供の頃、学校で無理やり覚えさせられたという人もたくさんいます。

最近、この詩の一節を試験問題に出しました。冒頭の一番有名な部分です。

I wandered lonely as a Cloud
That floats on high o'er Vales and Hills,
When all at once I saw a crowd
A host of golden Daffodils;

古い訳ですが田部重治はこう訳しています。

谷また丘のうえ高く漂う雲のごと
われひとりさ迷い行けば
折りしも見出でたる一群の
黄金(こがね)色に輝く水仙の花

これがどういうわけか、学生の答案を見たら、「黄金のラッパゼンマイ」と書いてあるものが、次々に出てくるのです。1枚や2枚ではなく、数十人が「ラッパゼンマイ」です。「ラッパゼンマイ」って何???

どうやらミクシーか何かで、学生の間にこの珍妙な訳が広がってしまったようです。しかもこの「ラッパゼンマイ」の詩に「imaginationを通して人間の内面は崇高なものになりうるとするRomanticismの考え方が表れている・・・」ともっともらしい説明がつけられていたりしいます。「ゼンマイ」じゃなくて「スイセン」だったら満点あげられるのですが。

「みわたす限り一面の黄金のゼンマイ」じゃ湖水地方で山菜採りができるよ・・・と苦笑いしながら赤ペン握って採点しています。

2010年7月22日 (木)

アラフォー小説:One Day

まつこです。

1988年の夏を覚えていますか。デイヴィッド・ニコルズの『ワン・デー(One Day) は、1988年から2008年まで20年間、それぞれの年の7月15日を描くことで、主人公の男女二人の関係を追い続けるという趣向の小説です。

Photo[400ページ以上ありますが、ストーリー・テリングがうまいのでどんどん読めます。Starter for TenはDavid Nichollsの小説第一作目。こちらは夏休み中に楽しむ予定]

頭が良くて気の強い女と、意志薄弱なハンサムの男。二人はお互いが自分にとって最適な伴侶だということに心の奥底で気づきながらも、異なる道を歩き続けます。「幸せの青い鳥はすぐそばにいました」というありきたりな真実を、巧みなストーリー展開にのせて描きます。

全体的にコメディタッチでありながら、深い悲しみをたたえた物語でもあります。夏の日差しのような屈託のない若さにあふれていた20代、成功と挫折の30代、そして喪失と追憶の40代。「7月15日」という一日を定点にして20年という時間の流れを描くことで、人生が二度と取り戻せない日々の積み重ねだということを、静かに感じさせる物語になっています。今日、地下鉄の中で終わり近くの部分を読みながら、あまりに切ない展開にウッと息が詰まってしまいました。

20年間で徐々に、しかし大きく変化したイギリスの社会が、男女二人の物語の背景に浮かびあがるのもこの小説の魅力です。サッチャーへの反発を声高に語っていた80年代、メディアが大きな影響力を持ち、ロンドンが「クール」な風俗にあふれかえった90年代、そしてイラク戦争とロンドン同時爆破テロ。

主人公二人は1965年、1966年生まれに設定されています。ですから「アラフォー小説」といえます。笑いと涙がたっぷりな物語は映画化にぴったり。女と酒にだらしない超ハンサムの主人公は、20年前ならヒュー・グラントあたりに合いそうなのですが、もう歳が歳だからダメだな・・・などと思っていたら、やはり映画化の計画はすでに進んでいて、ともに80年代生まれのアン・ハサウェイとジム・スタージェスが主役に決まっているそうです。

映画は2011年に公開予定のようです。それに合わせて翻訳も出ることでしょう。80年代と90年代の自分をまぶしく思い出しているアラフォーの皆さんにぜひ読んでいただきたい一冊です。

2010年6月 4日 (金)

サンドイッチ・ウーマン

まつこです。

出張、締め切り、飲み会、会議、締め切り、買い物、会議、パーティ・・・このほかに通常の授業と家事と介護、ああ、時間が足りない!

Photo[時間が足りない!と思う女性のための小説です]

似たような悲鳴をあげているワーキング・ウーマンは世界中にわんさかいます。そんな忙しいワーキング・ウーマンの生態と本音を、おしゃべりな文体で滑稽に書きあげて英米でベスト・セラーになった小説がアリソン・ピアソン(Allison Pearson)のI Don't Know How She Does it(2002年)です。

30代半ばのケイトはロンドンのシティで働く有能なヘッジ・ファンド・マネージャー。ジェット機で大西洋の向こうとこっちを行ったり来たりの出張続き。9つの通貨の為替の動向を24時間注視しながら、5歳の娘と1歳の息子からも目が離せない。建築家の夫は優しいけれど、稼ぎが低い。ビジネス仲間のアメリカ人男性との間にほのかな恋が芽生えそうな気配もある・・・。そんなあれもこれもの生活は、まるでたくさんのボールを落とすことなく巧みに空中であやつる曲芸のよう。「なんでそんなことができるの?」(I don't know how she does it)と、周りの人は感心し、驚嘆している。けれど、自分でも気づいている。「こんなジェット・コースターみたいな生活はこれ以上はムリ・・・でも止められない」

「働くママたちへの国民的讃歌」とまで言われたこの本の筆者アリソン・ピアソンは、イギリスのタブロイド紙デイリー・メイルのコラムニストもしていました。ケンブリッジ大学出身で、ジャーナリストとして活躍するベスト・セラー作家の書くコラムは、女性読者に人気がありました。

ところが4月末でこのコラムは休止。最後のコラムは「ウツ病世代の女たち」(Depression's the curse of my generation and I'm struggling in its grasp)と題した休業宣言でした。ピアソンは1960年生まれ。ピアソンは同世代の女性を「サンドイッチ・ウーマン」と呼んでいます。キャリアのために最初の出産が30代以降となり、バブル期に夫ひとりの収入では家は買えず子育てしながら働かざるを得ない。子育てで忙しい真っ最中に、親の介護が始まって、あっちもこっちも手間がかかる両方の世代にはさまれてサンドイッチ状態というわけです。

アイルランドのベストセラー作家マリアン・キーズ(1963年生)、イギリス女優エマ・トンプソン(1959年生)、イギリスの人気テレビ・キャスターのフィオナ・フィリップス(1961年生)らが続々と「私もウツ状態です」と宣言し始めているとか。フィオナ・フィリップスは母親がアルツハイマーになり、その介護と二人の息子との家庭を両立させようと努力するうちに、ウツ状態となり番組を降りざるを得なかったそうです。フィオナ・フィリップは私と同じ年。母親も同じ病気。ちょっと身につまされる話です。私には子どもがいないので、サンドイッチ・ウーマンといっても、オープン・サンドですが・・・。

親が元気でも、子どもがいなくても、この高ストレス社会では忙しさにあえぐウツ病予備軍は男女を問わずたくさんいます。ウツ病の予防あるいは治療には、「笑い」と「手抜き」が欠かせません。仕事や家事や介護に疲れ果てて、追いつめられた気分になったら、「笑って手を抜けその仕事」を合言葉にして、心身の健康を保ちたいものです。

2010年4月20日 (火)

ジュリエットを追いかけて:Such Tweet Sorrow

まつこです。

今日は久しぶりに夕刻、早めの時間に帰宅できました。帰り道、部屋に飾る花など買ってきました。すごく良い香りのする、紫がかった深紅のバラです。

Photo[このバラの名前は・・・なんだか難しい名前でした。名前なんかわからなくても、香りに変わりはありません]

忙しい時には通勤や帰宅の電車の中で過ごす時間も貴重です。授業の準備(泥縄)、読書(今日から『1Q84』のBook 3)、iPodに入れたpodcastでニュースのチェック・・・などなど。さらに最近、ツイッター(Twitter)まで始めてしまいました。

イギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが『ロミオとジュリエット』をツイッターで「上演」(?)するという企画を始めたというニュースを聞き、さっそくアカウントを作ったわけです。設定を現代に移し、5週間にわたってライブで物語が展開するのを追いかけながら、観客(=読者)もセリフ(tweet)を書きこんで参加できるという企画です。

シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』では、恋心を確かめ合った夜、若い恋人同士は甘く切ない別れの言葉を交わします。

Good night, good night! Parting is such sweet sorrow (おやすみなさい、別れは甘く悲しいものね)

このセリフをもじって"Such Tweet Sorrow"というのが、今回のポスト・モダン・ヴァージョン『ロミオとジュリエット』のタイトルです。

母親が10年前に、モンタギューの運転する車にはねられて死去。再婚した父親とともに暮らすティーン・エイジャーのジュリエットがヒロインです。寄宿学校に入っていた兄ティボルトはドラッグ所持で退学処分。法律事務所で働きながらロンドン・マラソン参加を目指しトレーニング中の姉ジェスが、ジュリエットにとっては乳母代わり・・・と、全く現代的なイギリス社会を反映した設定になっています。

4月10日に始まって、刻々とセリフが書き加えられていますが、まだロミオとジュリエットは出会っていません。ロミオとティボルトが派手な喧嘩をしたり、ジュリエットが学校でモンタギュー側のサポーターにいじめを受け、対立の構図がはっきりしてきたところです。今週金曜日のジュリエットの誕生日パーティに、二人が運命的な出会いをするのではないかと思います。こういう枠組みはシェイクスピアのまま。

ツイッターというメディアを使っているので、「ライブ感」こそが持ち味です。総選挙を前にして、テレビで党首3人の討論会を見ながら、ジュリエットが「こんなのつまんない」と退屈したり、姉ジェスが「ブラウンとキャメロンがあんまりお互いをけなしあうから、これは(第3党の党首)クレッグに有利だわ」と感想を書きこんだりする、そんな状況が生中継されます。

140文字以内で書かれるので、文字数を節約するためにツイッター独特の暗号みたいな言葉づかいを読まなければなりません。U stand up 4 Montague & yet he ISN'T ur "family".(「身内」じゃないのに、モンタギューの側に立つのね)と、パブで声をかけてきたマキューシオにジェスは苛立ちます。このUは"you", 4は"for", urは"your"といった具合です。

Gna go to bed but... Iv been thinking about like... Turning 16 and like... Getting a bf and... You know... "Doing it".. Advice anyone? X (もう寝る時間・・・でもあれこれ考えちゃって・・・16歳になるってこととか、ボーイフレンドができるかなとか・・・それにほらアレをすることとか。だれかアドバイスちょうだい。じゃあね。)これは誕生日のパーティを前にドキドキしているジュリエットのつぶやき。こんな若い女の子の生態を、朝晩の通勤電車の中、携帯片手に追いかけています。

2010年1月25日 (月)

冬に読む怖い話

まつこです。

年末にロンドンの本屋で安売りしていたペーパー・バックを数冊買いました。その1冊ポール・トーディ(Paul Torday)のThe Girl on the Landingを読みました。電車の中で読む何か軽い小説を、と思って選んだ小説です。

Photo[怖い話が苦手な私がうっかり選んでしまった本]

「裕福ではあるけれど、退屈な夫との単調な結婚生活。ところがある日を境に夫は快活に変貌し、妻は初めて夫を愛し始める。だがその幸せは過去の秘密によって脅かされる・・・」裏表紙にこんな説明書きがありました。中年夫婦の愛憎の話かと思って読み始めたら、とても怖い話でした。よく見たら裏表紙にも小さい字で「スリラー」と書いてありました。

私は日ごろ威張っている割に、ものすごく怖がりなので、スリラーとか怪談はまず読みません。子供の頃、ディズニーの絵のついた『眠れる森の美女』の朗読レコードをクリスマスにもらったのですが、そこに登場する魔女が怖くて途中をとばしてハッピー・エンドの部分だけを繰り返し聞いていたというくらい、気が弱いのです。

ところがこのThe Girl on the Landingは「怖い・・・けど・・・やめられない・・・」と読み切ってしまいました。精神疾患を持つ夫の中には恐ろしい別人格が存在し、それが次第に現れてくるという筋書きです。その筋書き自体にはそれほど新奇性はないのですが、正常な現実と妄想の中を行き来する夫の視点で描かれている部分と、謎を追い求めて徐々に夫の心の暗部に足を踏み入れていく妻の視点で描かれている部分が複雑に交錯して、何が正常で何が異常なのかを判断する座標軸がだんだん不確かに感じられるような書かれ方がされています。夫の無表情、夫の笑顔、その背後に潜む心理的な暗闇。その暗部に読者までが引き込まれていくような感じです。

特定の精神疾患やその治療について、偏見を生じさせてしまいそうな記述もあり、そのあたりにやや難あり、という気はしましたが、物語作りや語り口はとても巧みです。驚いたことに1946年生まれの作者トーディは、2007年60歳で作家デビューを果たしたのだそうです。(デビュー作『イエメンで鮭釣りを』 は和訳もあります。)

日本では怪談は夏の風物詩の一つのようにとらえられていますが、イギリスではディケンズの『クリスマス・キャロル』など冬の幽霊譚なども多いようです。このThe Girl on the Landingも、季節が秋から冬に変わるとだんだん怖くなり、冬のスコットランドの冷え冷えとした景色の中で恐怖の頂点がやってきます。寒い冬にぞーっとした恐怖を味わいたい方にお勧めの一冊です。

2009年4月 4日 (土)

ヴィンテージものの良さ:A Vintage Affair

まつこです。

Photo今日の新潟は曇り空ですが、庭にはいろんな花が咲いています。秋にまつこが植えたチューリップも花を咲かせ始めました。でもなんでこんなに寸詰まりなの?こういう種類なのかしら?

先日、シルバー人材センターの人が、庭木の冬囲いをはずしてくれました。シルバー人材センターの人への連絡や支払などは、今のところ母がやっています。いつか家や庭の管理が母にできなくなった時、このド田舎のでかい家をどうすればいいのか・・・。考え始めると気が重いのですが、あらかじめ心配しても仕方ないので、そのときはそのとき、行き当たりばったりでいこうと思います。ある程度の計画性は必要ですが、心配し過ぎず、あえて思考停止する、というのも親が老いてきたときの心構えのように思います。

Photo_2ケ・セラ・セラ・・・というわけで、現実から読書にいったん逃避。今回、往復の飛行機の中で読んだのは例によってお気楽な「女子文学」(chick lit)の1冊。Isabel Wolff(イザベル・ウルフ)のA Vintage Affair(『ヴィンテージ・アフェア』)です。イザベル・ウルフは、これまでもガーデン・デザイナー、ラジオの悩み相談のパーソナリティ、ペットのトレーナー、お天気キャスターなど、ちょっと個性的な職業についている女性を主人公にしてきました。今回の第8作目の主人公フィービーは名門オークション・ハウス、サザビーズでのキャリアを捨て、Village Vintage(ヴィレッジ・ヴィンテージ)という名前の小さな古着屋を始めたという設定です。

2009年の1月に出版された小説で、描かれている物語の設定も2008年2月から2009月2月まで。"credit crunch"(信用収縮)という言葉がたびたび出てきますが、金融危機のロンドンを舞台に、億単位の取引をする世界最古のオークション・ハウスでの輝かしい経歴から、小さな個人経営の古着屋へ転身というあたりが、時勢を巧みに反映している部分です。

このVillage Vintage(ヴィレッジ・ヴィンテージ)のウィンドウを飾るのは、フランスのプロヴァンス地方のアンティーク・マーケットで買ったコットン・ドレスのような名もないものから、1930年代のマダム・グレのドレープの美しいドレスや、1940年代から80年代にかけてのシャネル、ギ・ラロッシュ、カルダン、オジー・クラークなどなど様々なデザイナーの手がけた時代を反映するイヴニング・ドレスやスーツの数々まで。素晴らしいカットや布地の手触り、細かな仕立ての職人仕事など、その描写を読んでいるだけでうっとりします。

それぞれの古着にはそれぞれの歴史があります。かつてそれをまとった女性たちの古い物語と、新たにそれを着る現代の女性たちの今の生き方が、時間を超えて交差します。老いや死、友情の喪失、そして再生といった物語が、古く美しいお洋服の歴史とともに語られていくという趣向です。

おもしろく読んだのですが、この小説にまつこは一つ不満を感じました。それは主人公フィービーの周りに、優しくて、ハンサムで、お金持ちと三拍子そろった男が3人もいることです。物語の始まる前に付き合ってた元彼、この小説の中で出会って付き合う彼、小説の終わりに付き合いが始まる彼。物語の「始め」、「中」、「終わり」の3人の男が、いずれも金融危機を切り抜けて生き延びているエリート・ビジネスマン、ロンドンの不動産バブルからタイミングよく抜け出しフランスのシャトーのワイナリーを所有しているナイスミドル、おばあちゃんから遺産を相続したミケランジェロのダビデ像に似たハンサム青年・・・。こんなの、ありえねー!

女たちの痛ましい過去が癒される物語なのですが、傷ついた主人公を1人癒すのに3人ものパーフェクトな男性は過剰でしょう。ヴィンテージのお洋服が丁寧に補修され、新たな輝きを取り戻すというモチーフが繰り返し使われているのですから、多少くたびれた男とか、いささか難ありという男が、実は味わい深いヴィンテージものだったという展開にしてほしかった。その点がちょっと減点されて、うーん、星4つかな。

Photo_3[記事と関係ないけど庭に「つくし」も出ていました]

2009年2月28日 (土)

女子の文学

まつこです。

今週は一人で新潟に来ました。電話で母が「編み物の仕方がよくわからなくなった」と言っていたので、この数日間に認知症が進んでしまったのかと懸念しながら来たのですが、それほど大きな変化はなくホッとしました。認知症というのは見ているとPCのハードディスクの不調とちょっと似ています。少し動きが重くなったり、急にフリーズしたりする古いPCも、余分なソフトを削除したり、いらないファイル消したりすると、またしばらく使い続けられます。編み物も、毛糸のつなぎ目みたいたなところを一緒にやってあげたら、そのあとせっせと編み始めました。セーフモードでできるだけそっとがんばってもらいます。

こうして毎週、新潟と東京を行ったり来たりしていますが、その行き帰りの新幹線の中ではよく雑誌や軽い読み物を読みます。今週は、新幹線の中でSophie Kinsella(ソフィー・キンセラ)のRemember Me? (『リメンバー・ミー?』)を読み終えました。いわゆる"Chick Lit"(チック・リット)と呼ばれる若い女性向けの通俗小説の一冊です。実はまつこはChick Lit愛読者なのです。

Photo[表紙のデザインがカラフルで派手なのもChick Litの特徴です]

"Chick"はもともと「ひよこ」という意味ですが、そこから「かわいこちゃん」というような、若干、俗な言い方で若い女性を指す意味で用いられるようになりました。"Lit"は「文学」"literature"を短くした言葉です。『ブリジッド・ジョーンズの日記』や『セックス・アンド・ザ・シティ』あたりから始まり、この10年ほどに、若い女性を主人公とし、若い女性を読者とする、若い女性によって書かれた物語が次々と出版され、どんどんと売れるという現象がおきました。

若い女性ですから当然、恋愛が大きなテーマとなります。しかし従来のハーレクィン・ロマンスなどと違うのは、登場する女性たちが、職業を持って経済的に自立しており、多くの場合、マスメディアや金融業界などで働く都市生活者であるということです。必然的に彼女たちの恋愛模様とともに、きわめて活発な消費生活が描かれます。

今回のキンセラのRemember Me?も主人公は室内装飾からビルシステムまで扱う会社の一部門を率いる女性ボスです。ハンサムな夫はロンドンで高級ロフトの取引をするデベロッパー。ところが交通事故にあってしまい、記憶を失ってしまいます。さえない安月給の独身OLだった3年前までのことは思い出せるのだけれど、キャリアの階段を急速に駆け上がり、グラビアそのままのような高級フラットで結婚生活をするようになった経緯をまったく忘れてしまったという設定です。

なぜワードローブにアルマーニのスーツがずらりと並んでいるのか、なぜ免許を持っていなかったはずなのにベンツのコンパティブルを持っているのか、なぜルイ・ヴィトンのバッグやダイアモンドがたくさんあるのか、なぜディオールの化粧品がぎっしりと引出しにはいっているのか。全然思い出せない・・・という具合に、商標名が次々に出てきます。ちょっと商品カタログを見るような楽しみがあるのがChick Litの一つの特徴です。

もうひとつ従来のロマンスとChick Litの違いは、フェミニズムの波に洗われた後の女性たちの持つセルフ・アイロニーや批判精神がほどよく取り入れられていることでしょう。甘いロマンティックなハッピーエンドが必ず用意されていたロマンスに比べ、Chick Litの場合は男性への幻滅やキャリア志向の挫折などが、しばしばモチーフとして利用されます。

Remember Me?でも不動産バブルに沸くロンドンを舞台として、金に糸目をつけずに高級マンションを売買することへの疑問や、経営合理化をはかるために不採算部門を閉鎖していともあっさりと人員整理をする企業への批判が盛り込まれています。作者のキンセラはもともとファイナンシャル・ジャーナリストだったので、世界同時不況の気配を察知し、恋愛小説の中にもその危機感を取り込んだということなのでしょう。

現代の女子は恋愛もし、キャリアも積み、消費文化を楽しみながら、社会経済について批判精神も持っているというわけです。そんな働く現代女子の生態を描いたChick Litが、バブル経済が世界的にはじけた今、これからどんなトレンドに向かうのか、ちょっと関心を抱いています。

追記:キンセラの作品には"shopaholic"(お買いもの中毒)のレベッカを主人公にしたシリーズがあります。こちらは邦訳もあるようです。シリーズ第1作The Secret Dreamworld of a Shopaholicは映画化もされました。『お買いもの中毒な私』として5月に日本でも公開予定とのことです。

2009年2月18日 (水)

ヒラリーは来たけれど

まつこです。

昨晩の続きです。

Photo[このキャンパスの中でタウンミーティングをやっていました]

NHKのニュースで東大でのタウンミーティングの様子が少し報道されました。それを見てまつこ、三度目のガッカリ。質問した学生の英語がつたなかったことよりも、質問の内容が小学生のようにナイーブであることに失望しました。国際的な舞台で活躍する指導者が来訪するのですから、できるだけ意義のある回答を引き出せるように、あらかじめ質問を募って、その中から質問者を選んでおくというような準備を主催者はしておくべきだったのではないでしょうか。

せっかくアメリカの国務長官がやってきたのですから、世界の現状や未来について若者が多少背伸びをした質問をする――。そんな議論の土台を作る努力を教育現場はするべきですね。その議論の土台に乗るためには、おのずと求められる英語力のレベルも高くなるはずです。「ヒラリーさんみたいに強い女の子になりたいわ」くらいの内容だったら、中学生レベルの英語で十分。

政治家にも、大学生にも、教師にも、大人にも子供にも、それぞれ求める要求水準をもう少し高くすべきなのでしょう。お互い甘やかしあっている間に、こんなふうになっちゃったのかな、と朝から嘆いているまつこです。

2009年2月 3日 (火)

イギリス人の自虐ネタ

まつこです。

出張やら何やらあれこれ仕事や用事がたてこみ、ぐだぐだ愚痴を並べたてていたら、1月31日の記事のコメントにあるように、うめぞうから「一人で一週間くらいイギリスに行ってこい!」と言われております。

それで思い出したのは『ハムレット』のセリフです。叔父に父を殺害されたのかもしれないという疑いを抱いているハムレットは、狂人のふりをして、真実を探ろうとします。母が叔父と再婚してしまったために、女性不信にも陥り、「ふり」だけではなく本当に精神のバランスを崩してしまいます。王子の言動が常軌をはずれていることに危機感を募らせた叔父は、急いでハムレットをイギリスに送り出そうとするのです。

Photo[2006年の夏、ロンドンで。後ろに見えるのはグリニッジの天文台です]

頭がおかしくなったせいで王子ハムレットはイギリスに送られてしまった。それが国中の人々の知るところとなり、ひそかに身を隠してデンマークに帰国したハムレットは墓掘り職人がこんな冗談を言っているのを耳にします。

「王子様のおつむの病気もイギリスで治るだろうよ。まあ、治んなくなって構わねえけどな・・・イギリスじゃ目立たねえよ。あそこじゃみんな王子様と同じくらい頭がへんだからな。」(A shall recover his wits there.  Or if a do not, 'tis no great matter there... 'Twill not be seen in him there.  There the men are as mad as he.)

シェイクスピアはロンドンの市民たちのために芝居を書きました。このセリフを聞いて劇場に集っていた観客たちは、どっと笑い転げたはずです。シェイクスピアの芝居にはこんなふうに自国のイギリス人をわざと笑い物にするジョークが結構出てきます。イギリス人の自虐ギャグはシェイクスピアの芝居にも表れているというわけです。

そういう自虐癖のあるイギリス人にとって、かっこうのネタがイギリスの天気です。その天候の悪さを嘆きながら、悪ければ悪いほど、どこか喜んでいる風情すらあります。友人のイギリス人は昨年の夏、"one of the wettest summers officially for over a hundered years"とメールに書いてきました。「明らかに過去100年で最も雨の多い夏」というのですが、ああ、また始まった、イギリス人の天気の愚痴ね、という感じです。

さて、その天気の悪いイギリスですが、行くべきか、行かざるべきか、それが問題です。ポンドも安くなっているし・・・と思いながらも、貯金通帳の残額と手帳に書き込まれた仕事の予定を、額にしわを寄せながらにらんでいるまつこです。

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