哲学

2014年3月29日 (土)

アベノムジュン

うめぞうです。

最近、ブログを書かなくなったのは、もちろん色々な雑事に追われていたからだが、もう一つの理由は、今の政治に、ほとほとウンザリすることが多かったからだ。

経済や政治の実体にも、専門的知見にも疎いうめぞうが、あまり床屋政談のようなことを書いても仕方がないし、かといって倫理的な悲憤慷慨では面白くない。そこで今日は、今の政治がかかえているムジュンを、少し抽象的なレベルで考えてみることにした。

日本に限らず、今の先進国の政治は、相変わらずネオリベラリズが基調となっていると、うめぞうは考えている。簡単にいえば、人件費抑制のための合理化、雇用の規制緩和、法人税減税などによって、資本の収益性を高める政策パッケージだ。しかし、これを一方的に進めると労働者の購買力を削いでしまう。当面、購買力がある人も、将来不安から、収入を、消費や投資ではなく、貯蓄に回してしまうだろう。そうなれば、需要不足、つまり物の売れ行きの鈍化を招く。

ネオリベラリストたちも、そのことには気付いている。では、どうするか。考えられるのは、賃上げをして中間層を増やし、年金や社会保障を安定させて将来不安を取り除き、収入が消費や投資に回るようにすることだ。しかし、それはネオリベラリズムからの方向転換を意味する。グローバルな競争にさらされている企業には、そんな余裕はない。自分のところだけ賃金を上げれば、社会全体の購買力が上る前に、自分の会社がライバルに負けるだけのことだ。産業別の労働組合が労働賃金についての交渉力を持っていた時は、ライバル企業も一緒に労賃が上がるから、比較的賃上げをしやすかった。今はそれがなかなか難しい。そこで、与党が経団連を通じて、余裕のある会社はなんとかしろ、とやんわり脅すしかない。もちろん、それだってやらないよりはやったほうがいい。

ところが、そこでムジュンがでてくる。もともとネオリベラズムは、法律から規範的な実質を剥奪して、純粋な形式法として法を解釈し、経済活動の自由を最大化するのが目玉だ。しかし、今や、政治が業界のトップを集めて、企業の社会的責任を説きながら、上からの賃上げを要請せざるをえなくなっている。形式法的に根拠の無い賃上げは長続きしないだろうと、うめぞうは見ている。

賃上げがうまくいかないとなれば、次は、国がお金を使うしかない。こうしてオリンピックであれ、除染であれ、公共事業は資本の収益性を保つための生命線になる。ところがここにもムジュンが出てくる。ネオリベは、もともと公共セクターを、経済活動に対する障壁と感じてきたからだ。経済の自由化や規制緩和は、政策パッケージとしては、行財政改革や緊縮政策、通貨高政策と、むしろ親和性がある。これを通貨安政策とインフレ覚悟の公共事業と組み合わせていれば、政策間の齟齬が出てくる。

不思議なことに、現在、階級意識を強く持っているのは、貧困化する労働者層ではなく、むしろ富裕化するトップエリートたちだ。エリート大学を出て、官庁であれ、金融界であれ、国際機関であれ、指導的立場に立っている人々は、立場の違いを超えて同族意識を強くもっている。資本主義が持続不可能な限界に近づいていることを、ある意味で一番良く分かっているのは、彼らなのかもしれない。勝ち組が危機感をもち、負け組が諦めているのは、本当に困ったことだ。

2013年7月 6日 (土)

国家の役割

うめぞうです。

まつこは今週いっぱい、何やら仕事を抱えていて、「話しかけるな」光線を発散しているので、かわりに雑感を書くことにしよう。

このところ、同世代が集まると、時に国家の役割についての議論になる。たしかにこの世代は40年前の学生時代には、そんな議論をたくさんしていた。

大島渚の映画『日本の夜と霧』は、私たちよりは一世代上の60年安保世代を扱ったものだが、今の大学生があれを見ると、なぜ若者たちがあんなに切羽詰まった気持ちで、国家や革命について語れたのか、不思議に感じるだろう。しかし、70年代初めまでは、そんな雰囲気のなごりが、学生寮の畳部屋には、まだまだ残っていた。
でも、私たちが社会人になった頃から、だんだんと国家よりも、政治のこと、経済のこと、社会のこと、生活のことが、話題の中心になっていった。

ところが、ここにきてまた、「国家って何なんだろうね」という話がよく出るようになった。とくにリーマン・ショックの後は、国家の果たすべき役回りについて、よく議論をする。
話をごく簡単にしよう。舞台には4人の重要人物が登場する。それぞれの名前は以下のとおり。
Aは「金融資本」君。
Bは「超国家組織」君。
Cは「国民国家」君。
Dは「市民」君。
ここではA君に、ちょっと悪役を演じてもらう。本当は、A君の言い分だってちゃんと聞かねばならないのだが、A君は今、巨額のマネーをあずかって、それを合法的に増やすことを命じられている。
誰に命じられているのかは、ここでは問わない。A君だって、同じことをめざしている無数のライバルと闘っている。だから、けっこうつらい人生だ。甘いことを言っていると、すぐに舞台から引きずり降ろされる。

話の都合で、今日はD君には、ちょっと正義の役を演じてもらう。D君だって、そんなにいつも立派なわけではない。しかし、D君に言わせれば、自分の願いなど、とても、つつましいものだ。お腹をすかせることなく、一日健康で働いて、雨露しのげる屋根の下で、暖かい布団にくるんでゆっくり眠りたい。贅沢を言えば、隣に愛する人が寝ていれば最高だ。それ以上のことを自分は願っているわけではない。これがD君の言い分だ。

さて、悪玉と善玉をとりあえず単純に決めた上で、問題は、B君と、C君がどちらの味方か、ということだ。これが、同世代でも時々くいちがう。

どちらかというと、うめぞうはCの国家君は、ついついA君の方を見てしまう傾向があるとにらんでいる。だからここは、Bの超国家組織君を味方につけて、BD連合で、AC連合を監視してはどうか、と提案することが多い。たしかにB君は4人のうちで一番多種多様で、当たり外れが大きい。だから注意が必要だ。それはEU議会であったり、国連であったり、人権NGOであったりする。
しかし、それに対しては、よくこんな反論が出る。最後のところ、D君の味方になってくれるのは、やはりC君をおいてない。そしてA君に対抗する力をもっているのも、C君しかいない。B君はたしかに理念は立派かもしれないが、親身にはなってくれない。A君に取り込まれる危険はむしろ大きい。やはりCD連合でAB連合に当たることを、基本戦略とするべきだ、と。

こんな議論をしていると、仕事光線を発するまつこが言う。
「うめぞうの議論は、どうも善玉と悪玉を、単純化して考えるところが弱い。この世は、もっと複雑怪奇。とりあえず、呼吸を整え、なるようにしかならない世の中をしかと見据えて、自分の出来る範囲でなにか具体的なことをしたほうがいい。ふっふっふ、仕事は終わったぜ、ワインでも飲もう。」

2011年7月17日 (日)

理性のゆくえ

引き続き、うめぞうです。

原発事故などが起こると、どうしても科学について、理性について考え直そうという気分になる。
世界には次々と予測できないことが起こる。しかし、根本のところでは世界を一つにつなぎとめている何かしら原理のようなものがあるはずだ。人類は長らくそう信じてきた。その「何か」は色々な呼び方をされてきたが、西洋哲学では神や理性などがその代表格だ。ただしこれが単なる名称なのか、実在なのかについては、長い議論の歴史がある。
いずれにしても、こういう考え方にたてば、理性は世界の中(背後、根底)に存在していて、世界に秩序を与えていることになる。ただし人間には、それが不完全にしかわかっていない。だから知識や思考力を深めていけば、いつかは世界を動かしている究極原理にも到達できるはずだ。

ところが、そう思って知識や思考力を深めていったところ、どうも理性は世界の中にではなく、われわれの頭の中にあるんじゃないかと人間は気づき始めた。しかも、もっと悪いことに、神や理性の権威などというのは、結局のところ支配者たちが自分の権力を都合よく正当化するために使ってきた方便じゃなかったのか、という疑いもわいてきた。この疑惑を追及した偉大な先駆者は例によってカントだ。因果関係などは、人間が経験可能な現象界を認識するための知性の形式以上のものではないと、カントは気付いた。だから理性は己の限界をちゃんとわきまえていなければいけない。経験可能な現象を超えたものに、その知性の形式をあてはめるようなまねは、理性の乱用にあたる。しかし同時に、理性が個々の主体に生まれながら与えられている能力であるとすれば、それを使用する際に、外部の権威の指図を受ける必要もない。人間は理性的存在として、絶対的な自由と自律と、そしてそれにともなう責任を負っている。こうしてカントによって、理性の住まいは世界から自律的主体の中に移された。
しかし、それでは世界の中に秩序原理は存在しないのか。家族を作り、共同体を作り、国家を生みだす歴史の運動には、ひとつの論理が貫通していないのか。あまりに自律的個人に注目しすぎたカントを乗り越えようと、ヘーゲルはもう一度、世界に宿る歴史的理性という壮大な観念論の創作に挑戦した。市民社会では交易や労働や相互行為といった関係の網の目から、たえざる紛争が生じる。個々の主体はその関係の中に自らを失いながら、やがては反省的に自己を回復し、倫理的に一段高いところに立つ国家によって宥和される。その暗黙のモデルは内発的な近代化の遅れを国家主導で取り戻そうとしたプロイセンだった。

しかし19世紀も半ばになると、資本制社会の現実(マルクス)や、その中で孤立化する自我の寄る辺なさ(キルケゴール)が切実に感じられるようになる。もはや世界設計者としての客観的理性、その世俗的代行者としての国家などという物語には、とうてい信頼を寄せるわけにはいかなくなった。

こうしてヘーゲル以降、理性(Vernunft)という概念は客観的なものから、むしろ操作的(operativ)、手続き的(prozedural)なものへと変貌していく。同時に「理性的」という言葉よりも「合理的」という言葉の方が学問的に好まれるようになる。
そして次なるステップとして、20世紀になると、理性は何より言語に結び付けられるようになる。世界は最初から言語的に構造化された形でわれわれに与えられている。カントは現象界の背後にある物自体は自由な道徳行為の目標にはなりえても、合理的認識の対象にはなりえないと見た。20世紀になると、言語の背後にある世界想定が怪しくなってきた。

こういう長いプロセスを経て、現代の哲学には言語ゲームのルール審判者の役割が与えられるようになった。どのようなルールの言語ゲームのもとで、ゲームの勝者は「真」であるとか「妥当」であるとかといった賞状を手にできるかを、公平に判定するのだ。
しかし、ここに来てまた、言語にはなりにくい「感情」が果たしている役割をこれまであまりに過小評価してきたのではないかという反省が生まれている。また、もしすべてが言語ゲームならば、世界についての客観的認識という科学のルールは、どこでその「客観性」という属性を手に入れることができるのか、という疑問もわいてくる。

究極的にはすべて、戦争や貧困、差別や人権侵害のない平和で愉快な世界を作るための作業の一環だと思うのだが、理性の歴史もまだまだ先が見えてこない。

2011年7月10日 (日)

時間のイメージ

ひさびさにうめぞうです。

その間、大震災とまつこの母の転居、そこに新学期の業務や原稿の締め切りが押し寄せてきた。原発事故についてはいろいろと考えるところがあったが、なかなか落ち着いてブログを書く余裕がない。まつこに言わせると、うめぞうは原発のせいですっかり鬱になっていたそうだ。

そうこうするうちに62歳の誕生日。hiyokoさんをはじめ思いがけない方々から温かい言葉を贈られ、すっかり舞い上がって、また時々はブログを書こうと決心した次第だ。

Photo_2

[62歳だからろうそくは2本]

この年齢で誕生日を迎えると、やはり人生の残り時間について考えさせられる。ユダヤ思想の影響かもしれないが、その際、うめぞうはボートの漕ぎ手のように自分が背後に向かって進んでいるというイメージで時間を感じるよう努めている。ボートはいつか、とつぜん岸にぶつかる。それまで背後にどれくらい水辺が広がっているかはもちろん分からない。しかし確かなことは、年を重ねるごとに目の前にはより広い景色が広がっていくことだ。

われわれは通常、時間を前進としてイメージしている。その証拠に「過去を振り返る」という言い方をする。あるいは「未来に向かって前向きにものを考えなくては」などという。しかしこのイメージは現実とはまったくかけ離れている。なぜといってわれわれに見えているのは過去だけであり、未来はまったく視野の圏外にあるからだ。だからうめぞう流には「将来を振り返る」と言った方が正しい。過去に思いをいたすのは「後ろ向き」ではなく「前向き」なのだ。

認知症患者を身近に見てきたこの3年余り、人間の希望は過去の風景の中にこそあると何度も思った。義母の幼少時の自然との戯れ、姉妹との思い出、厳格な亡父や寛容な母親の片言隻句。おそらく義母が認知症にならなければ、それらをうめぞうが本人と共有することはなかっただろう。そうした過去の一こまが義母の表情をいっぺんに明るくする。認知症であっても過去は忘れさられるだけのものではない。それは日々新たに創造されてもいる。先ごろ義母は「夫は結核で早世した」という物語を創作した。希望が未来にあると思い込んでいる人は認知症患者の先行きに、あるいは自分自身の先行きにあまり明るい光を見出すことはできないかもしれない。しかし人生の楽しみが幼少時の追憶にあるならば、希望は常に眼前にある。年齢とともに広がり、豊かになる光景、まだわれわれが十分に発見し尽くしていない自分と他者の過去に幸福の源泉が潜んでいると考えれば、われわれはいくぶん「前向き」に生きられるだろう。

モーツァルト35歳、シューベルト31歳、ショパン39歳、シューマン46歳。これは早世した音楽家たちの没年だ。しかしこれに比べると哲学者には長生きが多い。40代前半で早世というのはスピノザやキルケゴールなど少数派だ。ソクラテスは70歳過ぎに処刑されたが、弟子のプラトンは80歳まで生きた。ライプニッツ70歳、カント80歳、シェリング79歳、ショーペンハウアー72歳、フッサール79歳、ハイデガーとヤスパースは86歳、エルンスト・ブロッホ92歳、ガダマー102歳、エルンスト・ユンガー103歳。昔の平均余命を考えると彼らはかなり長寿だった。その中におくとアリストテレスやヘーゲルの60歳初めというのが、むしろ若死にのように思えてくる。現在なお旺盛な執筆活動を続けているチャールズ・テイラーやユルゲン・ハーバーマスはいずれも80歳をこえてなお最先端の問題に立ち向かっている。哲学は加齢には比較的強い。

だからうめぞうも年々減っていく残りの人生を「振り返る」のではなく、年々増えていく過去の経験と出合いを「前向きに」直視していきたい。それがうめぞう62歳の誕生日の雑感だ。次回からは、その間に考えてきたことを、少しずつ語ることにしよう。

誕生日のお祝いを寄せてくれた方々、どうもありがとう。

2011年1月31日 (月)

理論と実践

うめぞうです。

まつこブログと比べると、うめぞうブログは、ついつい抽象的になりがちだ。
男女差や世代差もあるかもしれないが、やはり二人の好奇心が向かう対象の違いから来ているものだろう。

ところで身近な生活について具体的に考えるのと、世界について抽象的に考えるのと、いったいどっちが重要で、高級なことだろうか?

こんな質問は、もちろん無意味だ。
どちらも重要に決まっているし、どちらかについて深く考えれば、もう片方についても考えないわけにはいかない。
それでもこの無意味な問いは哲学史の中で、いやというほど繰り返されてきた。

西洋哲学の元祖と言えばプラトンとアリストテレスだが、この両者が世界初の哲学者と見ていたのはミレトスのターレスという人物だった。
ターレスについては、直径の円周角が常に直角になるという定理の発見や日食の予言、あるいは天候を予測してオリーブの圧搾機を買い占め巨利を得たことなどが、エピソードとして残されている。いずれも世界の計算可能性を示唆するもので、世界を神話から解放する第一歩をターレスが踏み出したことは間違いない。

しかしもう一つ、忘れられないエピソードがある。
それは、星の運行に興味を持っていたターレスが空ばかり見て歩いていて、穴に落っこちたという話だ。
このとき近くでこの光景を見ていた身分の低いトラキアの女が「あなたは空の星を見ていながら自分の足元の穴に気付かない」と言って大声で笑った。
片や金持ちのインテリであるターレスと、片や教養も身分も金もないトラキアの女が、その地位を反転させた瞬間だ。

このエピソードには見た目以上に重要な意味がある。それは観照的な理性と実践的な知恵との対立が、最初に明確な姿をとった瞬間でもあったからだ。

プラトンから始まった西洋哲学は、観照的な理性の側に圧倒的優位を認めた。労働の蔑視、職人仕事の軽視。日常生活を思考空間から追放する西洋形而上学の宿痾がここに始まる(ギリシャにもデモクリトスやディオゲネスのような破天荒で魅力的な人物がいるが、快活な男であったデモクリトスの著作はプラトンによって多くが焼かれてしまったようだ)。
こうした観照的な生活からの日常生活の排除は、思索からの女性の排除でもある。労働や育児を奴隷と女に一任したエリート男性たちは、それでは何をするかといえば政治と哲学だ。

男同士が天下国家を論じ、思想を語り合い、女性たちがその酒宴の世話をするという光景は、ヨーロッパでも日本でもついこの間まで見慣れた風景だった。うめぞうの同世代にはその光景にいまだにあこがれている親父たちが少なくない。この構図はフランス革命によっても、二つの世界大戦後の西側民主主義によっても、68年の学生運動によってさえも、基本的には覆されなかった。単発的に批判されたとしても、それはいまだに男性の、男性による、男性のための批判だった。

実践に対する理論の優位、具体性に対する抽象性の優位、女性に対する男性の優位、庶民に対する知識人の優位、存在に対する意識の優位…この構図が本格的に崩れてきたのはごく最近の事だ。

いったい最後のところ、何がその解体を押し進めたのだろうか。女性の高学歴化と社会進出?消費活動?インターネット?グローバル化?それとも理性の自己反省?
これが、ときにうめぞうの頭をよぎる疑問だ。

2010年12月31日 (金)

家族と宗教

久しぶりにうめぞうです。

気が付けば大晦日。
さて今年一年、うめぞうは何を考えて過ごしたかを振り返ってみると、二つのテーマが浮かんでくる。宗教と家族。しかし、これはあらためて、うめぞうにしては意外な感じのテーマではないかと思えてくる。
わが家はいちおう、まつこは右派、うめぞうは左派ということになっている。もっとも、まつこの意見によれば、うめぞうは体質右派だそうだが、いずれにせよ、こんな分類はもはやほとんど意味がなくなっている。
とはいえ、たとえばフランス革命のときに伝統を甘く見た革命をこてんぱんに批判したエドモンド・バークの意見にうなづくか、それともバークを批判して、フランス革命の理念を擁護したトマス・ペインの意見にうなづくかといわれれば、うめぞうはやはりペインの側に立つ。現実はバークの予想通りに進んだが、にもかかわらず、理念は何世紀もかけて自らを粘り強く実現していくと信じるからだ。
ところが宗教と家族というふたつの領域は、これまで長らくバーク系列の守護神だった。宗教と家族は、ほとんどの場合、近代的理性や個人主義などの底の浅さと、頭でっかちの傲慢さを批判する際に、保守派が拠点としてきたものだった。
ところがここ何年か、風向きが変わってきた。啓蒙主義の側に立つ論者、たとえばチャールズ・テイラーやウルリヒ・ベック、はては左派の論客テリー・イーグルトンまでが、宗教についての本を書いた。カント的理性主義の継承者と見られているハーバマスがローマ教皇と対談するなどということは、80年代までは想像もできなかっただろう。
その背景にあるのは、ひとつには啓蒙主義自身の自己反省だ。普遍主義を標榜する啓蒙主義は、文化や伝統によって理性の基準が変わるのは困るので、どうしても個別内容を振り落して、形式的なものに退却する傾向がある。カントの純粋理性が無時間的、非歴史的な数学的形式に近づくのはそのためだ。しかし、個別内容を捨象する形での普遍主義は、近代の致命的弱点である意味の空洞化に手を貸すことになる。これについての啓蒙主義自身の反省が、宗教や家族の再評価につながっている。自分が提供できない意味の源泉については、むしろそれを提供している意味領域と相互補完的に進んでいこうというわけだ。
そしてもう一つは、宗教や家族自体の中で進行している解体過程、いや、再組織化の過程だ。
ここが重要な点だが、上に挙げた論者が、そしてうめぞう自身も、期待をかけているのは、旧来の家族や宗教ではない。昔の宗教共同体や家族共同体への回帰やノスタルジーは、言葉の本来の意味で、反動的だ。今や、宗教や家族の内部でも、容赦なく個人化(ベック)が進行している。宗教は「自分自身の神」(ベック)を信奉する個人宗教となり、家族はゲイカップルや未婚の共同体を含めて、共同生活の多様な演出形式となっている。そしてまたシングルの増加。都市生活世帯の約半数は、今や、シングル世帯になりつつある。こうした現象を家族の解体として嘆く風潮があるが、うめぞうは、こうした変化を大歓迎している。単身生活を不幸でさびしい生活のように描くのは、まったくの偏見だ。シングルあり、未婚の母あり、同性婚あり、離婚や再婚あり。たしかにそこには、種々の悲劇もあるだろう。しかし伝統的家族にも悲劇の種は十分にあったのだ。個人の選択肢が広がることに伴う多様性を、まともな啓蒙的理性ならば、自らの形式主義的傾向を補うものとして大いに尊重するだろう。
ところで、今いっしょくたに論じた宗教と家族の関係はどのようになっているのか。
聖書をひもとくと、この点についてのイエスという人物、あるいはパウロという人物の特異なポジションが目を引く。ユダヤ教は徹頭徹尾、家族主義的だった。神への服従、父親への服従は絶対だ。親の言うことを聞かない反抗的な子供は、町の門の外に連れ出し、石打ちの刑で殺せとさえ言っている。タルムードには、結婚して子供を産まないのは犯罪行為だとすら言われている。ところがイエスは、こうしたユダヤ教の家族主義に果敢に反抗した。この点で、この人物は真の革命家だった。まさにスーパースターだ。
たとえばルカ伝の14章には「父、母、妻、個、兄弟、姉妹、さらに自分の命まで捨てて、私のもとに来るのでなければ、私の弟子になることはできない」というイエスの言葉が収録されている。マタイ伝10章では、自分がこの世に来たのは、「人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためだ」と語り、「わたしよりも父または母を愛する者はわたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」と言い放っている。またヨハネ伝の2章にはカナの婚礼でイエスが自分の母に向かって「女よ、あなたは、私と何の関係があるのか」と言っているし、19章では、十字架上に磔けになっても、心配する母親に向かって「女」(γυναι(グナイ)、ドイツ語ではWeib)と呼びかけている。自分の母親をかつて「女」などと呼んだ人は、このブログの読者には一人もいないだろう。マタイ伝12章やマルコ伝3章では、弟子がイエスに、あなたの母親や兄弟姉妹があなたを待っていますと告げると、「私の母、私の兄弟とは誰のことか」と問い返し、弟子たちを指して、この人たちこそ自分の母であり、兄弟だと言ってのけている。
ことほどさように、イエスが家族主義を敵視し、この絆を断ち切ることを、みずからの信仰革命のかなめと考えていたことは疑いえない。パウロもまた、その点では同じだった。彼がギリシャ世界に伝えたキリスト教は、ユダヤ教の家族主義へのアンチテーゼとしての個人主義的信仰だった。そしてこれがギリシャ的伝統に受け入れられ、西洋キリスト教が確立していく。それがその後、18世紀の啓蒙主義と、今日における個人主義的文化の礎石となったとうめぞうは考えている。ギリシャ文化は、古代にあって、うめぞうが知っている唯一の非家族的精神文化であり、うめぞうはやはり、ユダヤ教よりもギリシャ哲学を愛している。
うめぞうは若い人たちが愛する異性(同性)とともに共同生活を送ることを大いに勧める。しかし、それは一般に考えられているように、家族形成のためではない。まったく逆に、親との関係をいったん清算するためにこそ、その一歩が必要なのだ。うめぞうは、自分で言うのは何だが、現実には親孝行な息子だと思うし、またまつこを大いに愛しているが、これを「家族愛」と呼ばれると、少し抵抗したくなる。家族や宗教が、平和と愛情の源泉となるためには、いったんそれが、集団形成のルールから切り離され、自由な個人としての選択に委ねられねばならない、とうめぞうは考えている。これは、日本社会ではいかにも、似非インテリ風の個人主義に見えるだろう。しかし今年一年もやはり、うめぞうはこういう点では革命家でありたいと夢想しながら過ごしてきたようだ。こっけいといえばこっけいだが、この大晦日を一人で過ごしている皆さんに、うめぞうは心からエールを送りたい。豊かな共同生活は孤独を楽しむ強さからしか生まれない、と。
一年間、このブログを読んでくださった皆さん、どうもありがとう。それぞれの場所で、よいお年をお迎えください。

2010年10月22日 (金)

命令する神と対話する神

また、うめぞうです。

最近は、哲学のほうでも、宗教の話題が多い。ハーバーマスがローマ教皇と対話をしたり、「信仰と知識」について演説をしたり、チャールズ・テイラーが「世俗時代」について厚い本を書いたり、ウルリヒ・ベックが「私自身の神」について書いたり、はたまたテリー・イーグルトンが宗教について書いたりと、一時代前にはちょっと考えられないくらいに、宗教の役割の再定義、再評価が行われている。

上にあげた哲学者、批評家は、立場は違えど、すべて近代啓蒙主義のプロジェクトの支持者たちだ。近代が要求する合理性、政教分離、価値の分化、民主主義的手続きなどを尊重している。それでも近年、宗教、とくに西洋の一神教の伝統のよい部分を、近代のプロジェクトにうまく取り込んでいく道を真剣に模索しているようにみえる。近代がどうしても、もちこんでしまう形式化、意味の空白化を、なんらかの形で修正し、補うものが必要とされているのだろう。

ところでキリスト教、イスラム教、ユダヤ教という一神教の代表格は、ともにアブラハムを信仰の始祖と仰いでいる。このアブラハムの話を読んでみると、面白いことに、そこには一神教の神といえども、二つの明確に異なる相貌をもっていることに気づかされる。ひとつは命令する神、もうひとつは対話をする神だ。

命令する神、律法を付与する神については、よく知られている。夫婦とも老人になってから授かった愛息イサクを理不尽なことにいけにえに捧げよと命令する神、そのような残酷な命令によって信仰を試す神は、日本人から見ても典型的な一神教の神に見える。だから日本ではよく「一神教はどうも厳格すぎて、独善的になりやすい。その点、ヤオヨロズの神や、仏教は多様性を認める寛容さがあっていいよね」という議論を耳にする。

そんなときに日本人がしばしば見落としているのは、アブラハムと対話をする時の神の姿勢だ。たとえばソドムとゴモラの町の話がある。かつては、この町は、ホモセクシャルが横行していたために滅ぼされたという説が横行していた。まあ、そんなふうに読めそうな表現もなくはないが、近年では、寄留者への攻撃性、旅人に対するホスピタリティの欠如が神の怒りを買ったという説が有力だ。

それはともかくとして、倫理的に堕落したこの町を神が滅ぼそうとしたとき、アブラハムは主なる神に向かって、堂々とその決定の倫理的正当性を問いただしている。この町に正しい人間が50人いても、あなたは彼らを悪いものと一緒に滅ぼしてしまうのですか、とアブラハムは主を問い詰めるのだ。「全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」(創世記18章25節)と。

すると驚くべきことに、全能の主なる神は、ナルホド、と納得して、50人正しい人間がいればゆるそう、と約束する。それでもアブラハムはひきさがらない。では45人ではどうか。40人ではどうか、30人では、20人では、10人では、と主なる神を追いつめていく。

ここには、神といえども、公義の原則は守らねばならず、たとえわが子を犠牲にすることもいとわぬ絶対服従のしもべであっても、こと公義のためならば、神に向かって異を唱えるべきであり、神もまたその異議申し立てに耳を傾けなければならないという明確なメッセージがある。

こんなふうに三大一神教の伝統には、たんに「上から目線」で命令する神のほかに、公義について対話し、理屈さえ通っていれば、みずからの判断を修正する準備のある神の姿もまた存在しているのだ。もちろん、スペインの征服者たちによる中南米の略奪、殺戮ひとつをとってみても、一神教の神の名において犯された歴史的犯罪は枚挙にいとまがない。しかし、あまりにそこだけに集中して、一神教の伝統を一面的に理解してしまうと、ヨーロッパの哲学を理解するために決定的に重要なもう一つの水脈を、つまりは対話的理性の水脈を見落としたり、過小評価したりしてしまう。これもまた、日本のヨーロッパ理解が陥りやすい落とし穴のひとつだ。

2010年10月20日 (水)

サヨクとウヨク

ひさしぶりにうめぞうです。

実家に帰ると、86歳の母親から懐かしい言葉を聞くことがある。たとえばいまだに小麦粉はメリケン粉、ワインは葡萄酒と称する。ベビーパウダーを天花粉(テンカフン)などといっても、今の若い方には通じないだろう。そういえばサヨク、ウヨクという言葉も、もうそろそろ時代遅れになってきたようだ。今どきの学生たちがこの言葉を使ったのをついぞ聞いたことがない。

わが家ではいちおう、うめぞうがサヨク、まつこがウヨクということになっている。なっている、というのは、それぞれが、そのように自称しているということで、イデオロギー闘争などが生じるわけではない。

ウヨクといっても、まつこが神社で手を合わせたことなどたぶん一度もないだろうし、日の丸、君が代ともまったく接点がない。和食はほとんど食べず、みそ汁も漬物も基本的に口にしない。自民党に投票したこともなければ、皇室アルバムを見たこともない。基本的にコスモポリタンで、第三世界の子供の里親として、わずかながら月々お金も払っている。常日頃から日本を脱出したがっていて、旅行といえばまず海外、だから老後はどこか外国で過ごしたいという。

たしかにまつこは、アメリカ大統領選挙では、オバマよりもマケインを評価していたが、ペイリンなどを副大統領候補にしてからはすっかり見放し、最近のティーパーティ運動などまったくの論外、ひどく毛嫌いしている。だからウヨクといっても、普通のイメージとはちょっとちがう。生活感覚ではウメゾウのほうがよほど保守系オヤジなのだ。

ではなぜ、まつこは自分をウヨクと称するのか。うめぞうが思うに、これは、うめぞうをふくめ、現実をいつも憤慨している人々へのまつこの暗黙の抵抗宣言なのだ。人間はエゴイスティックで、勇気がなく、自分の快楽や生き延びを優先する、どうしようもない存在だ。自分で稼いだお金で消費生活を楽しめれば、世界にどんな矛盾があろうが、人間はけっこう幸せになる。このありのままの現実を、批判する前に、まずは正直に表明させてくれ、とまつこは言っているのだ。うめぞうは、このまつこの正直さを、非常に高く買っている。哲学の第一歩は現実を正直に認めることでなければならないからだ。

そう思ってよく観察すると、サヨクだってけっこう人生を楽しんでいるではないか。にもかかわらずサヨクは、第三世界の収奪を考えると、そうそう先進国の消費生活を楽しんでばかりはいられない、というポーズをついついとりたがる。そのかすかな偽善性が、まつこを自称ウヨクに追いやっているのだ。

日本に限らず、「道徳」の話は長らくウヨクの専売特許であり続けたために、サヨクはいまだにこの言葉をなかなか使えない。サヨクが語りたがるのは、一般に個人の行動ではなく、社会の構造や強制であり、あるがままの現実ではなく、あるべき理想なのだ。たしかにこのあたりの一面性がサヨクの弱いところかもしれない。これからはサヨクもまた個人の行為について、道徳について、自らの言葉を語るべきだろう。といいつつ、気が付けばやっぱり「べき」論を語っているうめぞうであった・・・

2010年9月29日 (水)

効率追求の果てにあるもの

うめぞうです。

前にも登場したロンドン在住の友人Оさんから、先日の記事についての感想が寄せられた。同世代の彼もまた、今になって母親や妻が作り続けてくれた弁当のことを思い出すという。

しかし、うめぞうからみると、Оさんもまた日々の積み重ねをたんたんと続けてきた優れた人物だ。うめぞうとはまったく出来が違う。そこで今日はОさんへの返事を書くことにしよう。

Оさん、メールをありがとう。 

僕は小学生の時から、小さなインプットで、大きなアウトプットを得ることに長けた実に小生意気な子供でした。小学校から大学まで、授業中にほとんど一度もノートを取らずに過ごし、なぜ本を読めば書いてあることを自分で書き写さないといけないのかわかりませんでした。

それだけではありません。ちょこっと勉強して80点取れるなら、100点取るために何倍も努力する必要がどこにあるのか。将来、受験科目にない科目の勉強をなぜやらねばならぬのか。こんなことがまったく理解できず、高校や大学の受験に必要な最低限の成績をとるために、受験に関係する科目だけ、しかも出そうな問題だけを効率よくつめこむ。そんな勉強をしてきました。

だから「読書百遍、意自ずから通ず」という言葉が伝えていることを聞く耳は一切なく、面白そうなところだけをつまみぐいして、解説を読んで、要点を頭に入れておしまい、という読書をしてきました。試験前の一夜漬け勉強をつづけ、年長者や先達に対する敬意も払わない。そんな子供であり、青年であり、また教師だったのです。そして、愚直に、要領悪く、言われたことを律儀に、たんたんとこなすだけで、その行為の意味を問わず、効率を問わず、およそ自己懐疑のないように見える友人たちを、内心どこかで小ばかにしていました。しかし、そうした友人たちはのちに素晴らしい仕事をすることになります。 

今思えば、戦後の伝統解体と高度成長期のイデオロギーを、友人たちに一歩先んじて骨の髄まで吸収していたのかもしれません。そして、その悪弊は今でも研究、教育、行政の全般に及び、僕自身の人格を作り上げています。その点では当時も今も、メンタリティは寸分も違いません。

唯一の違いは、そのことに気づくようになったことです。少し遅すぎたようにも思いますが、ともあれ地上の命がある間に気づかされてよかったと思っています。

効率追求の根底には、今の労苦が、未来の利得によって穴埋めされるという発想があります。だから労苦を最小化し、利得を最大化しようとするのです。しかし、それによって、現在の行為はつねに未来の成果のための手段と化します。今という時がたえず手段と化し、幸福の瞬間はたえず未来へと引き伸ばされる。目の前にいる他者が、自分の未来の幸福の手段と化す。これは資本主義の精神そのものです。

遅まきながら僕としては、今の行為が手段ではなく、目的そのものになるような生き方、そもそも目的と手段が分離しない生き方を目指したい。また同時に、あらゆる行為を手段化し、その手段の効率性を競わせることでなりたっている資本主義の仕組みを解明してみたい。

貴君のメールをよみながら、そんなことをつらつら考えました。

東京にもようやく秋風が吹いています。ロンドンはこれから急速に日が短くなるでしょうから、からだに気をつけて過ごしてください。

2010年9月28日 (火)

アルツ哲学再考

ひさびさにうめぞうです。

今月で、まつこの遠距離介護生活はちょうど3年になる。

「3日、3月、3年」と、よく言われる。いったん始めたことに、飽きが来る時期だ。さすがに昔の人は人間の性(さが)をよく弁えている。

この3年間、まつこはほとんど一日も欠かさず朝晩に電話をかけ続けた。2000回以上かけた計算になる。わが家ではこの電話を「ポコ電」と呼んでいる。まつこは、公務と旅行以外、ほとんど欠かすことなく毎週末、東京と柏崎の間を往復した。

対するうめぞうは、それほど貢献はしなかったが、それでも2週間に一度くらいはハガキを書き続けた。おそらく数十通はくだらないだろう。聞くところによると、その分厚いはがきの束を、いつも孫の自慢話をする自分の姉に見せているという。うつろな記憶力の中で、ひそかに自慢のお返しをしているのかもしれない。

さて、こんなふうに書くと、いかにもウメマツの孝行ぶりを自慢しているように聞こえるだろう。「えらいわねえ」と誉めてもらいたがっているんだな、と思われそうだ。

そんな心理が少しくらいはあることは否定しないが、今日、うめぞうが書きたいことは、それとはまったく別のことだ。

最近、まつこは過去3年間の疲れが自分の内側に次第に蓄積してきて、そろそろ心身の許容限界に近づきつつあるのではないかと、ひそかに不安を募らせている。しかし、うめぞうの見立てはまったく違う。この3年間の生活を経て、うめぞうには、ひとつ、くっきりと見えてきたものがある。

それは、ウメマツが、そしてわれわれの関係が、この3年の間に、確かな成長を遂げたということだ。朝起きてポコ電をする。勤務に出る。帰ってポコ電をする。これが4日繰り返されたところで新幹線に乗る。買い出しをして、4日分の料理をストックして帰途につく。日曜日の夜、家に戻り、月曜日の朝、同じことが始まる。週末がないため、週日の間に仕事の準備や人との会合をすませておかねばならない。

この単調な反復が、われわれの生活を律したのだ。

もう、気まぐれで映画を見にいったり、見境なく飲みほうけたり、だらだらとテレビを見たりする時間はほとんどなかった。最近では、前もって2人の手帳を照らし合わせ、約束を取り付けておかないと、夕食を一緒に取ることすらなかなかままならない。あまり考えることなく、たんたんと、あたりまえのように、日々の仕事を反復する。それだけだ。

この一見何でもないことが、われわれ二人に、いかに苦手なことであったかを、われわれはこの3年、身を以て学ばされたのだ。

そしてその学習過程の中で、うめぞうには、一つの光景が見えてきた。それは自分と姉と父親のために、3年どころか、10数年にわたって1日も欠かさず、早朝に起きて、食事を作り、弁当を作り、電化製品もろくにない貧乏生活の中で、明るく一家を支えてきた母親の姿だ。

そしてまつこの母親もまたしかり。目の不自由な夫と、脳こうそくで寝たきりの舅と、きつい性格の姑の3人の面倒をみながら、自分だけが、たった一人、まともな労働力として、子供2人を含む5人の人間を養ってきたのだ。それは、いっさいの気まぐれや、思いつきの遊びを許さぬ、30分の予定時間のずれすら、大きなストレスになるような生活だったはずだ。それが証拠に、記憶力がどんどん落ちているその中で、「早く家に帰らなければならないのに、どうしようかと思った」という話を、うめぞうは何度も何度も聞かされている。その生活は、はたから見れば、ほとんどマニュアル化された機械的な反射運動のつみかさねから成り立っているような生活に見えたはずだ。しかし今、こうした反復がもつ凄さをウメマツは日々教えられつつある。若き日々の両親の姿が、介護を通じてありありと思い出され、介護を通じて、親ともう一度、新たに出会っているのだ。こうした機会でもなければ、けっして会えなかったであろう親の姿と。

うめぞうは、こうした淡々とした積み重ねが作り上げる静かな威厳を、これまであまりにも見くびっていたことを深く反省している。その意味では、まつこの2000回の電話もまた、あっぱれだ。うめぞうには次第に神々しく見えてきた。

これから困難な道を経て死におもむこうとしているわれわれの親たちのかつての生活史からみると、ここ3年くらいのわれわれの生活を苦労と呼ぶのはまだ早い。まだまだ、われわれは人生の何たるかをわかっていない。そして、そのことをほんの少し学ばせてもらったことは、この3年のウメマツにとっては大きな恵みであった。

日々の単調な積み重ね自身が、ひとつのプレゼントなのだ。というのも、こうしてわれわれもまた、いつかは死におもむくための準備の一歩を踏み出すことができたからだ。親の介護から学ぶことは多い。アルツ哲学は、まだまだ奥が深いと感じる3年目だ。