家族

2018年6月29日 (金)

二人の母

うめぞうです

先週はうめぞうの母が93歳で他界。これでうめまつも4人の親すべてを看取ったことになる。うめまつダイアリーは10年前に介護ブログとして始まった。ふたたび介護ブログと化すのは、ずばりうめぞうの時だろう。それまで何年の猶予がまつこに与えられているか。これは神のみのぞ知る。それまでの貴重なインターバルは、ファッション・グルメ・カルチャー・英国事情で楽しんでいただければ幸いだ。

旅立った二人の母にはいくつかの共通点があった。元気な時代には人の面倒をよく見た。助けを必要とする人たち、特に心に傷を負っている人や社会的に恵まれない人たちには積極的に手を差し伸べた。学歴や地位にはまったく無頓着で、分け隔てなく人に接し、話に耳を傾けた。

その面倒見の良い二人の母が、施設に入所してからは面倒を見られる側に回った。それでも御世話をしてくださる介護士や看護師に「あなたも大変ね、どうぞお身体に気をつけてね」と声をかけた。だから介護士、看護師、その他のスタッフの方々から、とても慕われた。二人の母は次第に記憶力を失い、認知能力を失っていった。それでも他者の支援にいつも感謝し、その感謝を表明しようと努力した。

二人が施設の部屋で旅立った後、献身的に御世話くださった先生や看護、介護、リハビリ、マッサージ他のスタッフの方々が次から次へと現れた。子供であるうめまつが驚くほど、みんなが悲しみ、何人かは涙をぽろぽろ流した。そして「お母様には、いつも優しくしていただき、慰め、励まされた」と語ってくれた。この点は、二人の母のどちらもまったく同じだった。

施設に入ってから、二人の母はこれまでのように他の方々のために何かをしてあげることはできなくなった。やがて二人は、施設の中でも一番か弱い存在になった。他者を思いやるよりも、むしろ他者からの思いやりや支援なしには、自分自身が生きていけない、小さく弱い存在になった。しかし、それでもなお、二人の母の面倒を見てくださった方々は口ぐちに「自分はお母様から多くのものを与えられた」とおっしゃってくださった。これはいったいどうしてなのか。うめぞうは、母の葬儀の間、そのことを考えながら過ごした。

われわれは普段、人を助ける余裕のある人、たとえば財力や学力や体力に余裕のある人、いろいろな意味で強い人、豊かな人こそが、そうしたものを与えられていない弱い人、貧しい人を助けることができるし、助けなければならないと考えている。でも、うめぞうは二人の母を見送る中で、それは真実ではないということに気付かされた。自分では何も誇るものをもたず、何も他者に与えることができず、むしろ他者の助けなしにはまったく生きていけない絶対的な弱者が、その弱者のままの姿でなお、他者に何かを与えることができる。このことを、二人の母の最後の半年はうめぞうに教えてくれた。

二人の母は、なんとか感謝の気持ちを伝えたいというその意志を通じて、医療、介護、看護、リハビリ、マッサージを献身的に施してくださる方々が、いかに尊厳に満ちた、すばらしい価値のあるお仕事をなさっておられるかを、繰り返し繰り返し、伝えようとしていた。そして時には、日々の過重な仕事で疲れはてているスタッフの方々自身が、自分でも忘れてしまいそうになるにちがいない自分の仕事の意義や素晴らしさを、そしてまた自分自身の価値を、もう一度、思い出してくれるように願っていたと思う。人が人の愛情を求め、互いにそれに応えようとする能力は、狭い意味での認知能力よりもはるかに人間を人間らしい存在にしているのだということを、うめぞうは、二人の母の旅立ちをみて学ばされたように思う。

2018年4月11日 (水)

まつこです。

新緑の季節に、家族や老人ホームの職員の方達に見守られながら、母が息をひきとりました。認知症と診断されてから11年目、その間、このブログを通して多くの方から母や私に励ましのコメントをいただきました。あらためて感謝申し上げます。

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[母に会いに行く日は、新幹線から富士山の写真をよく撮りました。これが葬儀の日の朝の富士山です]

最期の数日間、老人ホームに泊まり込んで母のそばにいましたが、その間、職員の方達の本当に献身的な介護に感銘を受けました。

母の手をさすって「がんばってや、がんばってや」と声をかけ続けてくれた若い男性職員。夜を徹して30分に一度、巡回してくれて、母が無事に朝を迎えられたときには、「がんばってくれてありがとう」と号泣してしまった若い女性職員。いよいよ最期の時が近づいたとき、「私にできることがもうない」と泣いてくださった方もいます。亡くなったときも、次々と職員の方たちがきて、涙ぐみながら母の体をさすってくれました。

毎日の食事、排泄、入浴の世話をしてくださっていた職員の方たちは、血はつながっていなくても、母と濃密な触れ合いがあったのだと、改めて思い知らされました。母の世話をすることが自分にとっての癒しだったとまで言ってくださる方もいました。自分ではなにもできない、最も弱い存在となっても、人は他者と人間的なつながりを持ち続けられるのだと、教えられたように思います。

このブログは遠距離介護をしていた頃に、気分転換のために始めたものです。葬儀の前の晩、眠れなかったのであらためて読み返してみました。この10年間の母との思い出が、思った以上にたくさん残っていました。認知症になって次第に変わっていく母の姿を見るのは辛い経験でしたが、ほんとうに多くのことを学べた気がします。たとえ病を得たとしても、人は愛し、愛されることで、人生の終わりまで豊かな日々を過ごせるのだと、それが母が身をもって示してくれた、最期の教えでした。


2017年11月 4日 (土)

母の誕生日

まつこです。

秋らしい青空がようやく続くようになりました。

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[ススキと紅葉とで通勤経路も秋景色]

11月1日は母の誕生日。今年の誕生日は迎えられないかも・・・と思っていましたが、老人ホームの手厚い介護に支えられて、細々とした命を母はつなぐことができました。

誕生日といっても祝うという感じではなく、ベッドに横たわった母を弟と二人でじっと見つめるだけ。なにひとつできることがなくても、時折、こうして母を訪ねるのは、おそらく自分たち自身のためなのでしょう。

食事でもしようということになり、二人でお好み焼き屋に行きました。「せっかくだから大阪らしいものが食べたい。お好み焼き行ってみたい」という私のリクエストです。弟は怪訝な顔で「お好み焼きなんて食べるの?」と、何度も聞き返しました。

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[牛すじのお好み焼き]

母は子供の食べるものにこだわり、縁日の屋台で食べ物を買うなんて絶対に許してくれませんでした。

「縁日の焼きそば、食べたかったよね〜」
「お好み焼きも食べたことなかったね」
「りんご飴、うらやましかった〜」
「綿菓子だってダメだったもんね」
「僕なんかたこ焼きはタコを焼いたものだとずっと思ってたもん」

教師の家庭にありがちな、ストリートフードやジャンクフードに対する偏見がしっかり植え付けられてしまった私たち。弟は自分の姉がお好み焼きを食べる姿を想像すらできない。

「あの教育って、やっぱり間違えてたんじゃないかな」
「そうだよね。他の子たちから浮いてたよね、私たち・・・」

祝日をつぶして大阪まで日帰りででかけ、お好み焼きつつきながら弟と思い出話で盛り上がりました。こうして私たちが元気でいることが、命の終わりを迎えようとしている母にとっては、唯一の誕生祝いかもしれません。

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[夕暮れ時の富士山]

次回はぜひカレーうどんを食べたい、と弟に告げて東京に戻りました。日の暮れかかった富士山を眺めながら、このままの時間がもうしばらく続いてほしいと、そんな気持ちになりました。

2017年5月27日 (土)

緑燃ゆ

まつこです。

我ながらうまくなった、と感心するのは新幹線からスマホで撮る富士山の写真。

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[風薫る五月]

大阪の老人ホームに入居した母を訪ねるようになって、7年目。新幹線はできるだけ富士山側の席を取るようにします。富士駅の少し手前、この田んぼの中のまっすぐな道に差しかかったところが、いつもシャッターを切るタイミング。

「今日の富士山よ」「あら、きれいね」というような会話を母とすることができたのは、いつ頃までのことだったか・・・。このところ急激に衰えてきた母は、嚥下が難しくなり、水すらもトロミをつけて口に入れている状態になってしまいました。

新幹線に乗って訪ねたところで私にできることはなく、じっと私を見つめる母を、私もじっと見つめ返すだけ。

骨と皮だけにやせ細った母の体に手を触れると、自分を産み育てた力強い母性が、かつてはこの体の中にあったのだと、ひれ伏したくなるような思いにかられます。「小さく弱いもの」になった母は、生命とは畢竟このようなものなのだと、その厳粛さを教えてくれているような気がします。

帰路、初夏を思わせる青々と広がる風景を車窓に眺めつつ、自分もまた老いて、いつか命を終えるのだなと思いながら、不思議と穏やかな気持ちになりました。

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[老人ホームの飾り付けは傘と紫陽花。そろそろ梅雨の季節ですね]

2016年3月11日 (金)

まつこです。

今日は大阪の母に会いに行きました。この1年、母は次第に声を出すことができなくなり、会いに行っても話をすることはできません。私が話しかけても、じっと私を見つめ返すだけです。

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[書道クラブでの母の作品。老人ホームで秋の作品展で掲示されていました]

歩くこともできず、すっかり症状が進んでしまったのに、不思議なことに、書道だけはなんとかやっています。「人」「水」「川」といったごく簡単な文字だけなのですが、若い頃に身につけた筆使いが身体の中に残っているようです。

まつこ:「ママ、元気だった?私よ。」
母:・・・・・(沈黙。こちらの顔をじーっと見つめる)
まつこ:「今日は私の誕生日なのよ」
母:・・・・・(沈黙。微かに笑顔)
まつこ:「55才になったのよ」
母:・・・・・(沈黙。まったくの無表情)
まつこ:「◯◯産婦人科で産んだのよね?」
母:・・・・・(沈黙。微かに笑顔)
まつこ:「ママはそのときは25才だったのね」
母:・・・・・(沈黙。はっきり笑顔)
まつこ:「で、今はママは80才で、私は今日で55才よ」
母:・・・・・・(沈黙。全くの無表情)

これが今では母との精一杯のコミュニケーションです。でも失われたものを悲しんでばかりいてもしかたありません。運命を謙虚に受け入れながら、できる限りの努力をするのが「人」というものかと、あらためて思う「3月11日」です。

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[母はフラワーアレンジメントのクラブにも入っています。でもこちらはもう自分でやるのはムリなので、先生が作ってくださるのを部屋に飾るだけ。今月のアレンジメントは春らしくフリージアと桜]

帰宅したあとは、うめぞうが仕事でいないので、一人で過ごす誕生日。

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[シャンパンとイチゴショートケーキ]

千疋屋のショートケーキとモエ・エ・シャンドンで、ひとりしみじみ過ごしたバースデーの夜でした。

2014年3月22日 (土)

まつこです。

今日は出発前の挨拶のため、大阪の母のところに行ってきました。

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[寒い朝、青空に映える富士山。富士山ともしばしのお別れです]

母が老人ホームに入居した直後は、大阪と東京を新幹線で往復しても、富士山を眺める気持ちの余裕などなかったな・・・と3年前の春を思い出しました。

弟の車で外出することもできた1年目、お天気の良い日に近所を一緒に散歩した2年目、ベランダに出て空を眺めた3年目。今はそのどれも出来なくなってしまいました。会話もほとんど断片的です。1年後、私がイギリスから戻って会いに行く日には、もう話はできなくなっているだろうと覚悟しています。

最後に「じゃあ、ママ、私、イギリスに行ってくるからね。元気でいてね」と、できるだけさり気なく言ってみました。母は私の手を取り、少し何か考えたような表情になって、こう言いました。

「そうね・・・あなたは、変われるわ」

母の本当に残り少なくなった語彙から、母が最後の力をふりしぼるようにして選んだ言葉は「あなたは、変われるわ」でした。1年間、充実した日々を過ごして成長してきてほしい、ということを言いたいのだと思います。私の手を握った母の手は温かく、目には笑みが浮かんでいました。

この母からの祝福に感謝して、1年を大事に過ごそうと思います。

2014年3月15日 (土)

ありがとう

まつこです。

先週の土曜日、母を訪ねました。

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[雲のかかる富士山]

少しだけ春の気配が空気の中に感じられる朝、新幹線から見る富士山は雲がかかっていました。

最近の母はほとんどいつも眠っています。私が声をかけると、「あら・・・」と一言だけ発し、また目を閉じてしまいます。他の入居者の方たちが「せっかく東京から来ているのに、娘さんのこともわからなくなっちゃって可哀想にねえ」と同情してくださいます。

他の入居者さんたちにとっても、同じフロアに暮らす母の症状が急速に進んでいくのを見るのは悲しいことのようです。母よりずっと年上の80代後半や90代の方が、母を見て辛そうな表情をなさるのを見ると、言葉につまります。

ただ、母はこんな状態なのですが、時折、瞬間的にはっきりした表情で言葉を発することがあります。先週の土曜日、どうせ言っても通じないだろうと思いながら、「ママ、私、イギリスにしばらく行くことになったのよ」と話したら、「あら、それはいいわね、よかったわ!」と、はっきりとした表情でうれしそうな歓声をあげました。

実は来週の日曜日から在外研究が始まります。1年間、日本を離れることになります。こういう状態の母を残していくのはとても気がかりだったのですが、この母の声を聞いた瞬間に心のモヤモヤがふっきれました。

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[これは弟が買ってきてくれたお人形。これを見て、「あら、かわいい」と母は声を出しました。これもこの日に聞けてうれしかった一言です]

職員の方に「立ってください」と言われても、無念無想といった表情で目を閉じている母ですが、子供の朗報には反応するのです。子供への期待が最後の生命力になっているような気がします。

「ママ、ありがとう」と、すぐにまた目を閉じた母に心の中でつぶやきました。母へのこの感謝の気持ちを胸に、元気に出発しようと思います。

2014年2月22日 (土)

最後の子育て

まつこです。

目下、締め切りかかえて不眠不休・・・というのは大げさですが、ちょいと忙しい日々がもう3週間ほど続きます。そんな中でも母のことが気になり、先週、大阪まで出かけました。

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[この日は山梨県では豪雪で被害がでていました。こんなに美しい富士山ですが、この山の向こう側ではたいへんな思いをしていた方たちがたくさんいました]

先回、「次に来る時にはもう寝たきりになっているのかも」、と思っていたのですが、弟がしょっちゅう出かけて立つ練習や歩く練習をさせたそうで、母はトボトボではありますが歩けるようになっていました。

ここにきての弟の熱意には頭が下がるものがあります。何か手に握るものがあった方がいいからと、突起付きのゴムボールみたいなのとか、お腹を押すと「ハロ〜」と挨拶する小さなお人形とか、いろんなものを買ってきて効果を試しています。母に対する息子の思いというのは、これは娘とはちょっと違うもののようです。

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[今年もおひな様が飾られました。母と弟夫婦と私で集合写真。もはや一日一日が貴重で、訪問のたびに記念写真です]

母は新潟、弟一家は大阪、私たちは東京と、長い間、遠い所で一人ぽつんと暮らしていた母ですが、こうして老人ホームに入ってから、しばしば家族に囲まれるようになりました。親の老いを受け入れるのは難しいことですが、その苦労を分かち合うことで家族のつながりが強くなっているような気がします。

母を見てつらそうにしていた弟が、最近は笑顔で介護している様子を見ると、なんだか母が最後の子育てをしているような気もします。「がんばれママ! がんばれ弟!」と思いながら東京に帰りました。

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[うめぞうも協力してくれています。これは当日の朝、うめぞうが作ってもたせてくれた朝ご飯。新幹線の中で富士山見ながら食べました]

2014年1月26日 (日)

弟と母

まつこです。

インフルエンザが流行っていますが、母が入居している老人ホームでも数名の感染者が出てしまいました。予防接種は受けていたのですが、母もかかってしまいました。2週間ほど家族の面会も断られていてました。
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[昨日の朝、新幹線から見た富士山]

そのため昨日は3週間ぶりの訪問となりました。40度近い高熱が続いて食事もしばらくは食べられなかったので、母はすっかり体力を落とし、前回の訪問時よりもがっくりと弱っていました。もう立つこともできず、食事もペースト状のものに変わっていました。体に力が入らず車椅子に座っているのも辛そうです。

寝たきりになる日も近いのだろうと私は諦めているのですが、弟は「インフルエンザの前の状態までもどしたい」と言い、「さあ、立ってみよう、足に力入れて、いち、に、さん・・・」と、一生懸命リハビリふうのことをやっています。遠ざかっていく母を静かに見守ろうとする私と、なんとか少しでもひきとめようとする弟。違いはあっても、それぞれに母への思いは強いのだと思います。

東京に戻るため一足先に老人ホームから帰る私を、「じゃあ、玄関まで見送りに行くよ」と弟は母の車椅子を押しながらロビーまで出て来てくれました。くったりと力なく目を閉じて車椅子に座る母に、「姉貴が帰るから手を振ってあげて」と弟は一生懸命呼びかけていました。母はうっすらと一瞬目をあけただけでした。もう手を振る力はないようです。

この二人の姿は、人生の忘れがたい一場面として、心に残る気がします。辛いけれど大切な家族の思い出として、心に刻まれた一場面でした。

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[老人ホームのエントランスの植え込み。春までもう少しです]

2013年10月19日 (土)

100才!

まつこです。

めったに見ることのないありがたいものをお見せしましょう。

じゃーん!

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[総理大臣から表彰状とともに届いた銀杯]

うめぞうのお父さんが昨日、100才の誕生日を迎えました。昨日は老人ホームから自宅に戻って、お祝いの会をしました。

日本では100才を迎える時には、総理大臣名で銀杯も届きます。老人ホームに届けられたこの銀杯をお父さんは「これで今晩は乾杯するんだ」と、うれしそうに持ち帰ってきました。私たちも、この銀杯で一杯ずつお酒をいただきました。なんかご利益ありそう!

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[100才のバースデーをすき焼きで祝う]

白寿の祝い膳といえば鯛のお頭付きなどを思い浮かべますが、お父さんの好物はすき焼き。長寿の秘訣は「肉食」のようです。100才になってもお肉を美味しそうに召し上がります。

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[100才おめでとうございます!]

すき焼きだけじゃちょっと華やかさにかけるので、ケーキも用意しました。義父母とウメマツの4人だけだったので小さいケーキですが、メッセージのプレートをつけてもらいました。すき焼きのあとケーキもペロリと召し上がり、まだまだお義父さん元気です。

老人ホームに暮らすようになってからも、健康管理は自分でするという意志がとてもはっきりしていて、薬も自分で管理し、血圧も自分で計っています。この自己管理能力の結果が100才です。このあっぱれな生きる姿勢を、ぜひとも見習いたいものです。

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