家族

2014年3月22日 (土)

まつこです。

今日は出発前の挨拶のため、大阪の母のところに行ってきました。

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[寒い朝、青空に映える富士山。富士山ともしばしのお別れです]

母が老人ホームに入居した直後は、大阪と東京を新幹線で往復しても、富士山を眺める気持ちの余裕などなかったな・・・と3年前の春を思い出しました。

弟の車で外出することもできた1年目、お天気の良い日に近所を一緒に散歩した2年目、ベランダに出て空を眺めた3年目。今はそのどれも出来なくなってしまいました。会話もほとんど断片的です。1年後、私がイギリスから戻って会いに行く日には、もう話はできなくなっているだろうと覚悟しています。

最後に「じゃあ、ママ、私、イギリスに行ってくるからね。元気でいてね」と、できるだけさり気なく言ってみました。母は私の手を取り、少し何か考えたような表情になって、こう言いました。

「そうね・・・あなたは、変われるわ」

母の本当に残り少なくなった語彙から、母が最後の力をふりしぼるようにして選んだ言葉は「あなたは、変われるわ」でした。1年間、充実した日々を過ごして成長してきてほしい、ということを言いたいのだと思います。私の手を握った母の手は温かく、目には笑みが浮かんでいました。

この母からの祝福に感謝して、1年を大事に過ごそうと思います。

2014年3月15日 (土)

ありがとう

まつこです。

先週の土曜日、母を訪ねました。

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[雲のかかる富士山]

少しだけ春の気配が空気の中に感じられる朝、新幹線から見る富士山は雲がかかっていました。

最近の母はほとんどいつも眠っています。私が声をかけると、「あら・・・」と一言だけ発し、また目を閉じてしまいます。他の入居者の方たちが「せっかく東京から来ているのに、娘さんのこともわからなくなっちゃって可哀想にねえ」と同情してくださいます。

他の入居者さんたちにとっても、同じフロアに暮らす母の症状が急速に進んでいくのを見るのは悲しいことのようです。母よりずっと年上の80代後半や90代の方が、母を見て辛そうな表情をなさるのを見ると、言葉につまります。

ただ、母はこんな状態なのですが、時折、瞬間的にはっきりした表情で言葉を発することがあります。先週の土曜日、どうせ言っても通じないだろうと思いながら、「ママ、私、イギリスにしばらく行くことになったのよ」と話したら、「あら、それはいいわね、よかったわ!」と、はっきりとした表情でうれしそうな歓声をあげました。

実は来週の日曜日から在外研究が始まります。1年間、日本を離れることになります。こういう状態の母を残していくのはとても気がかりだったのですが、この母の声を聞いた瞬間に心のモヤモヤがふっきれました。

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[これは弟が買ってきてくれたお人形。これを見て、「あら、かわいい」と母は声を出しました。これもこの日に聞けてうれしかった一言です]

職員の方に「立ってください」と言われても、無念無想といった表情で目を閉じている母ですが、子供の朗報には反応するのです。子供への期待が最後の生命力になっているような気がします。

「ママ、ありがとう」と、すぐにまた目を閉じた母に心の中でつぶやきました。母へのこの感謝の気持ちを胸に、元気に出発しようと思います。

2014年2月22日 (土)

最後の子育て

まつこです。

目下、締め切りかかえて不眠不休・・・というのは大げさですが、ちょいと忙しい日々がもう3週間ほど続きます。そんな中でも母のことが気になり、先週、大阪まで出かけました。

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[この日は山梨県では豪雪で被害がでていました。こんなに美しい富士山ですが、この山の向こう側ではたいへんな思いをしていた方たちがたくさんいました]

先回、「次に来る時にはもう寝たきりになっているのかも」、と思っていたのですが、弟がしょっちゅう出かけて立つ練習や歩く練習をさせたそうで、母はトボトボではありますが歩けるようになっていました。

ここにきての弟の熱意には頭が下がるものがあります。何か手に握るものがあった方がいいからと、突起付きのゴムボールみたいなのとか、お腹を押すと「ハロ〜」と挨拶する小さなお人形とか、いろんなものを買ってきて効果を試しています。母に対する息子の思いというのは、これは娘とはちょっと違うもののようです。

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[今年もおひな様が飾られました。母と弟夫婦と私で集合写真。もはや一日一日が貴重で、訪問のたびに記念写真です]

母は新潟、弟一家は大阪、私たちは東京と、長い間、遠い所で一人ぽつんと暮らしていた母ですが、こうして老人ホームに入ってから、しばしば家族に囲まれるようになりました。親の老いを受け入れるのは難しいことですが、その苦労を分かち合うことで家族のつながりが強くなっているような気がします。

母を見てつらそうにしていた弟が、最近は笑顔で介護している様子を見ると、なんだか母が最後の子育てをしているような気もします。「がんばれママ! がんばれ弟!」と思いながら東京に帰りました。

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[うめぞうも協力してくれています。これは当日の朝、うめぞうが作ってもたせてくれた朝ご飯。新幹線の中で富士山見ながら食べました]

2014年1月26日 (日)

弟と母

まつこです。

インフルエンザが流行っていますが、母が入居している老人ホームでも数名の感染者が出てしまいました。予防接種は受けていたのですが、母もかかってしまいました。2週間ほど家族の面会も断られていてました。
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[昨日の朝、新幹線から見た富士山]

そのため昨日は3週間ぶりの訪問となりました。40度近い高熱が続いて食事もしばらくは食べられなかったので、母はすっかり体力を落とし、前回の訪問時よりもがっくりと弱っていました。もう立つこともできず、食事もペースト状のものに変わっていました。体に力が入らず車椅子に座っているのも辛そうです。

寝たきりになる日も近いのだろうと私は諦めているのですが、弟は「インフルエンザの前の状態までもどしたい」と言い、「さあ、立ってみよう、足に力入れて、いち、に、さん・・・」と、一生懸命リハビリふうのことをやっています。遠ざかっていく母を静かに見守ろうとする私と、なんとか少しでもひきとめようとする弟。違いはあっても、それぞれに母への思いは強いのだと思います。

東京に戻るため一足先に老人ホームから帰る私を、「じゃあ、玄関まで見送りに行くよ」と弟は母の車椅子を押しながらロビーまで出て来てくれました。くったりと力なく目を閉じて車椅子に座る母に、「姉貴が帰るから手を振ってあげて」と弟は一生懸命呼びかけていました。母はうっすらと一瞬目をあけただけでした。もう手を振る力はないようです。

この二人の姿は、人生の忘れがたい一場面として、心に残る気がします。辛いけれど大切な家族の思い出として、心に刻まれた一場面でした。

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[老人ホームのエントランスの植え込み。春までもう少しです]

2013年10月19日 (土)

100才!

まつこです。

めったに見ることのないありがたいものをお見せしましょう。

じゃーん!

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[総理大臣から表彰状とともに届いた銀杯]

うめぞうのお父さんが昨日、100才の誕生日を迎えました。昨日は老人ホームから自宅に戻って、お祝いの会をしました。

日本では100才を迎える時には、総理大臣名で銀杯も届きます。老人ホームに届けられたこの銀杯をお父さんは「これで今晩は乾杯するんだ」と、うれしそうに持ち帰ってきました。私たちも、この銀杯で一杯ずつお酒をいただきました。なんかご利益ありそう!

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[100才のバースデーをすき焼きで祝う]

白寿の祝い膳といえば鯛のお頭付きなどを思い浮かべますが、お父さんの好物はすき焼き。長寿の秘訣は「肉食」のようです。100才になってもお肉を美味しそうに召し上がります。

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[100才おめでとうございます!]

すき焼きだけじゃちょっと華やかさにかけるので、ケーキも用意しました。義父母とウメマツの4人だけだったので小さいケーキですが、メッセージのプレートをつけてもらいました。すき焼きのあとケーキもペロリと召し上がり、まだまだお義父さん元気です。

老人ホームに暮らすようになってからも、健康管理は自分でするという意志がとてもはっきりしていて、薬も自分で管理し、血圧も自分で計っています。この自己管理能力の結果が100才です。このあっぱれな生きる姿勢を、ぜひとも見習いたいものです。

2013年5月 5日 (日)

田舎の嫁

まつこです。

今週の土日はうめぞうの両親が老人ホームから一時帰宅をすることになり、私も家事協力のため一泊してきました。

入居して二ヶ月半。二人とも新生活に慣れたようですが、お義母さんが暇を持て余しがちとのこと。先週、ホームを訪ねたうめぞうは「だったらせっかく持ち込んだミシンを使ってみたら?まつこにエプロンでも作ってあげたら喜ぶよ」と提案したそうです。お義母さん、さっそく張り切って作ってくれました。

しかし・・・

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[お義母さんお手製の割烹着]

それはうめぞうが想像していたような可愛い「エプロン」ではなく、絣っぽい布で作ったしぶ〜い「割烹着」でした。

「まつこさん、エプロン作ったわ。着てみて〜」と差し出された絣の割烹着を見て、一瞬、たじろぐ私。うめぞうの目は「頼む、母親を喜ばせるために着てくれ!」と訴えています。「よしきた、了解!」と目で合図を送り着てみました。

しかしそのとたん、うめぞうが爆笑しました。

「田舎の嫁って感じだな!」

でもお義母さんは、「丈もちょうど良かったわね〜」と満足げでした。

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[正面から見た田舎の嫁スタイル]

この田舎の嫁スタイルで、一泊二日、がんばりました。老人ホームの食事は管理栄養士さんが献立を作ってくれるので栄養は過不足ないのですが、あまり食べられないものもあります。そういう老人ホームであまり出されないものを中心に作ってみました。

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[筍入りのすきやき]

1日目の夕食はすき焼き、2日目は朝食は洋風(スクランブルド・エッグ、ハム、サラダなど)、昼食はきしめん(義父母は長年名古屋在住でした)、夕食は筍の煮物やお刺身などの和食(老人ホームではお刺身は滅多に出ません)。99歳のうめパパ、88歳のうめママが、おいしいと言ってたくさん食べてくれました。

実母の老人ホーム訪問と、義父母の一時帰宅で3連休が終わり、ゴールデン・ウィークというよりシルバー・ウィークという感じでしたが、でも喜んでもらえたので、これはこれでよし。あの田舎の嫁スタイル割烹着を着て親孝行をしたという功績を讃えて、うめぞうは近所のコンビニでファッション雑誌を買ってくれました。おさんどんの合間に割烹着姿で「大草直子の提案するおしゃれ小革命」などという記事を食い入るように読んでしまいました。

(注:「田舎の嫁」という表現が頻出しますが、田舎のお嫁さん、ごめんなさい。本当の田舎のお嫁さんはもっとオシャレなエプロンしてますよね。)

2013年1月14日 (月)

うめちゃんの写真

まつこです。

うめぞうの両親が、老人ホームへの入居を決めました。義父99歳、義母88歳の寿カップルです。

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[60年くらい前のうめちゃん]

これまでは二人でほぼ自立的な生活をしていたのですが、いかんせん高齢なので、老人ホームで暮らしてもらう方が、家族としても安心です。長年お世話になっている主治医が、老人ホームを開設されたので、そちらにお世話になることを決意しました。

週末はその老人ホームの見学や契約手続きなどをしました。実際の入居はもう少し先ですが、必要な手続きや家具の準備など、いろいろやることがあります。高齢者はそういう手続きや準備の煩わしさを考えただけで、二の足を踏んでしまうものです。「めんどくさいことはぜーんぶ私たちが引き受けますから大丈夫ですっ!」と安心してもらうことが大切だと実感しています。

私の母の時には、震災後直後に急遽、入居を決めましたが、今度は少し余裕があります。うめぞうの両親が入居するのは、1DKみたいな二人部屋です。人生の後半に再び、こじんまりとした空間で、夫婦二人で過ごすことになります。できるだけ気持ちの良い住まいにしてあげたいので、私は張り切って、カーテンや家具などを買いそろえています。

義母はボチボチと今の家の中の整理をし始めました。しかしなんといっても高齢。高齢者はものが捨てられない傾向が強まるものです。押し入れをのぞいては、「まつこさん、こんなの出てきたけれどいらない?」と言って、メリヤスの端切れとか綿(わた)とか古〜い三越のポイント・カードとかその他、予測のつかないものを取り出しては、「あら、いらないの・・・じゃあ、ここに入れておくわね」とまた元に戻すという具合です。

うめぞうの子供の頃の写真も出てきました。お気に入りだったらしく、この写真は焼き増ししたのが何枚も出てきたので、これはもらってきました。たぶん60年くらい前のうめぞうです。20代だった若い頃のお義母さんが、息子のために編んだカーディガンを着ています。

こうやって古い思い出を語り合いながら、新しい生活の準備をする日々がしばらく続きます。


2012年12月22日 (土)

プレゼント大作戦

まつこです。

クリスマスまであと数日。急いでプレゼントを求めて買い物をしている人も多いのではないかと思います。

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[母と弟と私]

先週末は京都出張のついでに、大阪の母を訪ねました。老人ホームもクリスマスの飾り付けがされていて華やかです。弟夫婦、うめぞうもやってきて、ツリーの前で何枚も写真をとりました。

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[プレゼントの箱が気になる母]

母はクリスマス・ツリーそのものより、ツリーの足下に置かれているプレゼントの箱が気になって仕方がないようです。「あら〜、これ誰にあげるのかしら?」「何が入っているのかしら?」と繰り返し聞いていました。

様々な思い出がどんどんと深い霧の中に消えていくように、母は記憶を失っています。そんな母に、たぶん覚えていないだろうと思いながらも、「プレゼントを隠しておくために、ママはタバコ屋のおばあちゃんに頼んでプレゼントを預かってもらっていたよね?」と聞いてみました。すると、覚えていました!

「そうなのよ、そうしないとあなたたちが、私が仕事でいない昼の間に探しちゃうでしょう。だから頼んで置いといてもらったのよ・・・」と思い出話しをし始めました。

子供にとってはクリスマスは1年で一番楽しみな日です。子供たちの喜び驚く顔を見ることは親にとっても幸せな経験です。そのために母は何か口実を作って有給休暇をとり、プレゼントを買いに出かけ、そのプレゼントをご近所のお宅に預かってもらっていたのです。クリスマス・イブの晩に、私たちが寝付いてから、母はタバコ屋までそれを引き取りにいっていたらしいです。

ちなみに有給休暇をとって(学校さぼって)、プレゼントを買いに行ったことは忘れていました。「そんな・・・子供のためとはいえ、仕事を休んだりはしないわよ」 と言っています。ここまで認知症が進んでも、都合の良い記憶と都合の悪い記憶の振り分けはするのだと、妙に感心しました。

すでにサンタクロースはいないとわかっていた頃です。親はいったいいつプレゼントを買いにいくのだろう、24日になってもプレゼントを買って来た気配がないのはなぜだ・・・と不安なままベッドに入った私たちはなかなか寝付けませんでした。

次の日、目が覚めた時に枕元にプレゼントの箱を見つけた時の驚きは、今でも良い思い出です。

お子さんのいるご家庭では、今週末はこんな「プレゼント大作戦」が繰り広げられていることでしょう。パパとママの秘密の作戦の成功を祈っています。

2012年11月 1日 (木)

喜寿

まつこです。

今日から11月。東京も空が澄み渡って、早朝には朝焼けがきれいです。

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[朝6時過ぎくらいの東の空]

今日は母の誕生日。77歳です。朝から何度か電話をかけてはみるものの、母は受話器を取りません。最近、ベッドで眠っている時間が長くなり、電話の呼び出し音にも反応しなくなってしまいました。

仕方がない・・・と思いながら、少し寂しい気持ちで秋の空を眺めていると、午後になって義妹からメールが届きました。「おかあさんの誕生日ですね」というタイトルで、写真が添付されていました。

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[義妹がケーキを持って母を訪ねてくれました]

メールを見てすぐに電話をしてみると、義妹はまだ母の居室にいてくれて、電話を取り次いでくれました。

まつこ:「今日はママの誕生日だよ。77歳だよ。おめでとう。」
母:「え、私の誕生日? ちっとも知らなかったわ。」
まつこ:「77歳だよ。元気で誕生日を迎えられてよかったね。」
母:「そう、子供の頃は病弱だったのにね。」
まつこ:「誕生日のお祝いしてもらってよかったね。」
母:「え? 誕生日? 知らなかったわ。」(会話冒頭部分に戻る。以下同文。)

たったこれだけの内容の会話ですが、誕生日に声が聞けて良かったです。ささやかな喜びですが、いちおう「喜寿」。「ママ、77歳だよ。おめでとう!」を5分程度の長さの電話で、10回くらい繰り返した誕生日でした。

2012年5月19日 (土)

血は争えない

まつこです。

風邪もぎっくり腰も85%くらい治った気がします。あとひといき。

先週の週末は京都に行く前に、うめぞうの叔父さんのお見舞いに行きました。

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[あなご飯ともみじ饅頭]

この写真で出かけた先はお分かりになると思います。広島です。

うめぞうの叔父さんは原爆が投下されたとき広島にいて、原爆手帳を持つ被爆者ですが、92歳の今日に至るまで元気に過ごしてきました。そのお兄さん、つまりうめぞうのお父さんは98歳。こちらは皆さん長寿の家系で、80代はまだまだ初老、90代からがいよいよ高齢者、という感覚が基準になっています。

この叔父さん、うめぞうが何か話しかけても、耳が遠いのか返事もせず、自分の話をずっと続けます。でも私が話しかけると、ニコニコしてこちらを向いて聞いてくれます。看護師さんと廊下ですれ違うとハイタッチしていました。女の人が好きなんですね。私の手を握ってうれしそうにしている叔父さんを見ながら、「うめぞうもきっと長生するだろうな」と確信しました。

広島に行ったらぜひ食べたいものがありました。駅弁のあなご飯です。私の母方の祖母は、日本が植民地支配をしていた時代に、京城(今のソウル)で生まれ育ちました。毎年、夏休みになると、新潟に帰省したのだそうです。その帰省のたびに「下関で汽車に乗って、宮島のあなご飯の駅弁を食べるのが楽しみだった」と何度も懐かしそうに語っていました。

子供の頃からその話を繰り返し聞いていた私は、ぜひ広島まで行ったらあなご飯の駅弁を食べたいと思っていたのです。ふんわり柔らかく煮えた穴子がのったお弁当はとても美味しくて、「ああ、おばあちゃんがあんなに懐かしんでいたのもわかるなあ」と、ずっと前に亡くなった祖母のことを思い出しました。

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[老人ホームには鯉のぼりがたくさん飾られていました]

京都滞在中に、うめぞうと二人で老人ホームの母も訪ねました。母の症状は確実に進んでいて、私以外は家族の顔と名前も一致せず、自分との関係もわからなくなってしまいました。うめぞうが「おかあさん、お元気そうですね。顔色もいいし」と話しかけると、「母はいませんよ」と、とんちんかんな答え方をするといった具合です。

その母が、必ず興味を抱くのは私の身につけているものです。「あら、いい色ね」「あら、これは素敵ね」と気に入ったものがあるとほめてくれるのですが、母が特にお気に召すのは、たいてい私が思い切って買った、ちょっとお高めな、いわゆるブランド品なのです。ヘルノのダウンコートは「あら〜、いいわね〜、いいのが見つかって良かったわね〜」とファーの部分をなでながら、何回も言っていました。クロエのバッグも「いいわね〜、ちょっと持たせて」と見るたびに言います。一方、ナイロン製のエコバッグとか、無○良品のセーターとかにはコメントなし。

うーん、家族の顔を忘れても、ブランド品を見抜く力は残るんでしょうか。確かに昔はおしゃれ好きな母でしたが・・・。私も将来ボケちゃったとしても、エルメスのスカーフとかカルティエの時計とか見たら、「あら、いいわね〜、私も欲しいわ〜」とか言いそうな気もします。

やっぱり血は争えないと、広島でも大阪でも思った旅でした。

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