認知症

2009年11月 1日 (日)

1年を経て

まつこです。

このブログを始めてちょうど1年経ちました。

Photo[また秋がめぐってきました。夏にヒヨドリが巣を作った南天にも赤い実がつきました]

東京と新潟の二重生活の忙しさ、母の認知症への不安、それらのストレスを解消しようと思ったのが、ブログを始めたきっかけです。介護だけではなく日々の暮らしの中で経験した楽しいことやおもしろいことを書き残せば、「そんな大変なことばかりではない」と楽観的な気持ちを持ち続けられるのではないかと思ったわけです。

1年の間、読んでくださったみなさん、コメントを書き込んでくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。ブログにコメントもらうというのがこんなに楽しいことだとは知りませんでした。人とつながることの喜びを感じました。

Photo_2[庭の木には実のついているものがたくさんあります。これは百日紅の実]

ブログを始めてもうひとつよかったことは、何か新潟らしい写真を撮ろうと心がけるうちに自然の変化に敏感になったことです。四季折々の色、におい、光、風、それらが毎週、どんどん変わることに気づくことができました。

Photo_3[こちらはクコの実だと思います。葉の色もきれいです]

また時折、母の状態を書き残すことで、1年間の変化も記録することができました。1年たって母は74歳になりました。生活の身の回りのことはそれほど変わりなくやっていますが、明らかにここにきて記憶障害や失語が目立つようになりました。

Photo_4[写真にはないけれどうめぞうのパンツまでアイロンがけしてくれました]

これだけ記憶障害があればいろんな事がどんどん出来なくなるのかと思っていましたが、洗濯や掃除などの単純な家事には、まだできることがずいぶん残っています。今日の新潟は曇り空。お洗濯ものがすっきりと乾かないからと言って、せっせとアイロンがけをしていました。婿殿うめぞうのパジャマや下着にもアイロンをかけきちんとたたんでくれました。

来年の今頃はもしかしたらアイロンがけも出来なくなっているのかもしれません。でも先のことを心配し過ぎず、現実の変化に一つ一つ対処していく一年にしたいと思っています。

そして私は今までと同じように、仕事や生活を積極的に楽しむ「攻め」の姿勢でいきます。ママが認知症になったって、美食もお洒落も旅行もあきらめませんっ! 介護しながらも楽しいことも引き続きたくさんこのブログに書ける1年にしたいと思っています。

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2009年10月31日 (土)

菊づくし

まつこです。

今日の新潟は快晴。ウメマツ二人は母を連れて紅葉を観に出かけました。ローカル線を乗り継いで降りたったのは弥彦駅。駅舎が神社を模した造りになっています。

Photo[派手かわいい駅舎です]

Photo_2[越後平野もかすんでいます]

弥彦は越後平野に突如そびえている高さ600メートルくらいの山です。ロープウェーで山頂まで登れます。山頂から佐渡が見えることを期待して出かけたのですが、残念ながら今日は気温が高すぎたのか、霞んでいて見えませんでした。

Photo_3[頂上で記念撮影]

紅葉はちょうど見頃を迎えていました。母は久しぶりの外出です。「お天気が良くていいわねー」と何度も繰り返します。こういうポジティブな内容の発言なら、100回連続で繰り返されても、聞く方はイライラはしません。

Photo_4[佐渡が見えず残念。でも紅葉はきれいです]

Photo_5[これが回転展望塔]

頂上には「展望レストラン」「360度のパノラマが眺められる回転展望塔」「お土産屋さん」などがあります。回転展望塔に乗ってみましたが、中でヘンテコな演歌と民謡の間みたいな音楽が流れ続けていました。昭和の匂いの残る観光地という感じです。こんなのないほうが自然の景観をじっくり楽しめる気がするのですが・・・。ちなみに料金は一人1000円。

Photo_6[杉の森の中はひんやりとした空気ですがすがしい気分になります]

山を降りると深山幽谷。深い森です。その森の中に弥彦神社があります。万葉集でも歌われている古い神社だそうです。なかなか堂々とした構えの神社です。

Photo_7[このピンクのラビット・ファーのベスト。10年くらい前にロンドンのJosephで買ったものです。わたしは気に入っているのですが、うめぞうからはマタギ・スタイルと呼ばれています]

Photo_8[菊祭りの準備が整った境内]

弥彦神社では明日から恒例の菊祭りだそうです。今日はすでに準備が整っていて、色とりどり、多様な形に仕立てられたたくさんの美しい菊を鑑賞することができました。

Photo_9[ずらりと並んだ菊]

Photo_10[盆栽の菊は可愛らしくて繊細な芸術作品のようでした]

Photo_11[菊の和えもの]

神社の周りには温泉街が広がっています。その中の一軒の料理屋さんでお昼ごはんを食べました。最初に出てきた和えものも「菊」でした。シャリシャリとした歯ごたえでおいしかったです。

この日帰り小旅行を提案してくれたのはうめぞうです。私は実はちょっとめんどくさくて、ためらっていました。「三人で出かける機会はあまりないよ。良い思い出になるよ」と言ってくれたのですが、わたしは「良い思い出っていったって、本人はきっと忘れちゃうよ。『思い出作り』って介護者の思い入れという面が強いからねー。なんてったって認知症なんだから、思い出作りは難しい・・・」とかなんとかグズグズ言っていたら、「そういう発想はマルクスかウェーバーだ!」と言われてしまいました。なんだかよくわからないけど、婿殿の優しさを唯物論的に否定するのは良くないと思い、しぶしぶ重い腰をあげて出かけることにしました。

いつも家にいるのが一番いいわ、あまり出かけたいとは思わないと言っていた母が、今日は「あー、よい一日だったわねー、出かけてよかったわ」と、何度も何度も言っています。しばらくすると弥彦に紅葉を見に行ったなんてことは忘れてしまうかもしれませんが、それでも楽しかったと、今この瞬間に思うことが貴いのだと、改めて思いなおしました。記憶は色あせ、消えていきます。残される記憶の量の集積ではなく、それぞれの瞬間の幸福感をこそ尊ぶべきなのでしょう。そのことに気づかせてもらった一日でした。

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2009年10月30日 (金)

はじめの一歩

まつこです。

昨晩からうめぞうと一緒に新潟に来ています。11月1日は母の誕生日。昨晩は少し早めにバースデー・プレゼントをあげました。今年のプレゼントはエプロンと本です。エプロンはまだ「まだできる家事はあるから、がんばってやってね」という期待をこめました。本は辰巳芳子さんの『庭の時間』と京都に住むイギリス人のベニシアさんの『ベニシアの京都里山暮らし ―大原に安住の地を求めて Venetia's Kyoto Country Living』。自然の変化をいつくしみながら日々を大切に生きるお二人の生活のような、静かな安らぎが母の生活にも満たされるようにという祈りをこめてこの2冊を選びました。

Photo[写真がきれいなので母は喜んで見ています]

母は大喜び。昨晩はさっそく新しいエプロンをつけ、2冊の本の美しい写真を眺めながら、今日はすごくいい日にだったわ!」と何度も繰り返し言っていました。今週は大好きな婿殿のうめぞうがやってくるというので、水曜日には美容院にも行ってきていました。なかなか好調です。

この母の上機嫌ぶりを見て、私はほっと一安心。実は今日は母の初めての介護認定の調査だったのです。あらかじめ「介護認定」と伝えると母が抵抗感を抱きそうだったので、「市役所の職員の方が健康状態の調査に来てくれる」という、やんわりとした表現で説明。安心して、警戒心を持たないようにしてもらうため、バースデー・プレゼントも数日早めにあげて楽しい気分になってもらおうという「作戦」でした。

Photo_2[婿殿うめぞうが一緒だと母もご機嫌。プレゼントされたエプロンを着て記念撮影]

調査員の方との面接は無事にすみました。母はそつなく答えていましたが、簡単な記憶テストにも答えられず、言葉がなかなか出てこないということも多かったため、症状は調査員の方にもよくわかってもらえたようです。帰り際に私にこっそりと、「プライドの高い方ですね。記憶できていないことや、わからなくなっていることをすごく上手にカバーしながら答えていらっしゃいました」と、印象を伝えてくださいました。さすがプロです。身の回りの世話などはまだできているので、あまり高い介護度には判定されないだろうが、利用できるサービスはあるとのことでした。

これでいよいよ本格的な介護に向けて、一歩踏み出しました。私自身も、ある一線を越えるような不安感を「介護認定」に関して抱いていたのだと思います。家族の中でできることには限界もあります。まして遠距離。これからは公的サービスや民間サービスの利用も取り入れながら、母にとっても私にとっても、できるだけ良い方法を模索していきたいと考えています。本格介護に向けて、はじめの一歩の一日でした。

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2009年10月23日 (金)

錦秋

まつこです。

昨夕、授業の後、同僚のゴーギャンに上野駅まで車で送ってもらい、新潟に帰省しました。事務職員の方にも、「これからご実家に帰省ですか? お気をつけて」と声をかけてもらいました。同僚たちの協力や理解は、気分がせっぱつまっているときに、非常にありがたいものです。

Photo_2[秋の青空は気持ちがいいです]

今朝の新潟は一片の雲もない秋の晴天。たいへん気持のよい一日です。鉄錆び色、濃い赤、オレンジ、黄色・・・庭の木々の葉の色が、青空に映えてきれいです。母の調子は、明らかにお天気に左右されます。こんな快晴の朝は、「この調子なら認知症とは気付かない」というレベルにまで、言動がしっかりとします。

Photo[母も青空と紅葉を見上げています]

そうなるとママ・スイッチがオンになるので、発言が妙に冴えます。母のお使いで銀行に出かけようとしていた私に、母が声をかけました。

ママ:あなたも大変ねぇ。こんなふうに東京とここを往復して、仕事と親の世話ばかりに明け暮れていたら、あなたがボケちゃうわよ。

思わず一瞬絶句した後、私は笑いが止まらなくなってしまいました。いやー、まことにその通り。母も自分の言ったことの可笑しさに苦笑いしていました。

ママ:ボケるっていうのは、つまりね、こんな田舎で刺激のない生活をしていると感覚が鈍くなるっていうことなのよ。え?海外に旅行に行きたい?そうそう、どんどん出かけたほうがいいわよ。本だけ読んでいたって吸収できるものは限られているんだから、学生に与えられるものも少なくなるわ。体が動くうちにどんどん行動しなさい。

Photo_3[庭の掃除をする母]

いやはや、こうなると絶好調です。これもお天気の良さのおかげでしょう。私が銀行から帰ると、せっせと庭の落ち葉を掃除していました。

あとひと月もすると、新潟は鉛色の雲に厚く覆われた冬になります。厳しい季節の前に、穏やかな秋の日のありがたさを、しみじみと実感した一日でした。今日の母の明るい笑顔と秋のきれいな青空を、しっかりと胸に刻んでおきたいと、心の中のシャッターもしっかりと切った錦秋の一日です。

Photo_4[昨晩は二人分のお弁当を買ってきて夕食にしました。お弁当の中にも紅葉がはいっています]

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2009年10月10日 (土)

秋の夜

まつこです。

うめぞうと一緒に新潟に来ました。先週、仕事と風邪でこれなかったので、中11日あけての帰省でした。新潟はもう肌寒く、庭の木の葉も紅葉し始めています。寒がりのうめぞうは、そろそろ暖房がほしいと言っています。

Photo[庭の木の葉も赤く色づき始めています]

10日以上来ないと、その間に火災保険の更新手続き、年金の振込通知、各種振替通知などの郵便物が届いています。いつもは数日以内に私が来て、必要な手続きがあればしてしまうのですが、しばらく来なかったので、母は自力で処理しようと試みたようです。

しかしだんだん書いてある内容が理解できなくなっているらしく、お金が振り込まれたという通知を持って銀行に行き、払込の手続きをしかけてしまったようです。整理してしまっておいた通帳やら証書やらもあれこれ出してごちゃごちゃにしてしまいました。

2年前に初めて認知症の診断を受けたときに、「火とお金の管理にまずは気をつけてください」とお医者さんに言われました。火の方は、暖房をオイルヒーターにしたり、自動消火装置つきのガス台にしたり、急ぎ対策を講じたのですが、お金の管理の方はなかなか難しいです。親の介護を経験した人たちから、「通帳は本人から頼まれるまで取り上げないほうがよい」と聞いています。良かれと思って管理してあげようとしても、老いた親は子供に通帳を取られたと思ってしまうというのです。

各種の売り込みや営業への対応も悩ましいところです。牛乳の宅配はすでにひとつお願いしているのに、しつこい売り込みに負けて、別のメーカーの乳製品の宅配を契約してしまいました。「ひとつは私のぶん、新しく取り始めた方はまつこの分」と母は言っています。牛乳やヨーグルトくらいなら良いのですが、最近は不動産業者が来ることもあるようです。「庭にアパートを建てないか」とか、「土地と家を売らないか」と聞かれたそうです。宗教の勧誘も厄介です。今のところ牛乳屋さん以外は、母は警戒心をむき出しにして対応して、事なきを得ていますが、これから不安ではあります。

今の母は、自分のお金は自分で管理するものだという自立心と、いろんなことがだんだんわからなくなってきたという不安の間にいるようです。それでも今日は娘と婿殿がやってくるというので、バスに乗って買い物に出かけました。婿殿によいところを見せようとしてか、新しいセーターなど自分用に買ってきていました。新潟産の甘エビなんかも買っておいてくれました。娘夫婦がやってくるのを楽しみに買い物に行くという気持ちがある間は、ぎりぎりまで「ママのお金はママのもの」という自尊心を傷つけないようにしながら、注意深く見守るしかないと思っています。

Photo_2[新潟の味、甘エビ。うめぞうが今日は殻むきを手伝ってくれました。鯛も地元のものです]

新潟の秋から冬へかけての味覚、甘エビ。もっちりとした舌触りと濃厚な味で美味しかったです。私のお気に入りの地酒「吉乃川」をぬるくお燗して飲むうちに、まあ、なんとかなるさ・・・と、ほろ酔い気分に、しばし不安は忘れた秋の夜でした。

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2009年9月13日 (日)

秋風

まつこです。

今週末の新潟はすっかり秋めいています。雲の合間に澄んだ青空がのぞき、ひんやりとした風が木々を揺らしています。

Photo[庭から手折ってきた枝をさりげなく活けた玄関。これを見て一安心]

庭木の葉もだいぶ色づき始めました。母はその庭から葉の色のきれいな枝を選んできて、玄関の一輪ざしに活けていました。毎週、帰省する際に、この玄関の一輪ざしは母の体調の指標になります。「ただいまー」と玄関を入ったときに、ここにしおれた花がそのまま入っていたり、何も活けてなかったりするときは、母の体力気力が落ちている時です。表情に乏しく、話も同じことの繰り返しということが多いです。

また逆に、そういう元気のない時には、適当な花を買ってきて、「玄関に花がないから活けて」と頼むことにしています。ガーベラでもトルコ桔梗でもなんでもいいんですが、母は花を飾るうちに元気が出て、その後の会話がスムーズになるということがしばしばありました。

昨日の夕方は玄関でこの枝を見て、「調子はまあまあ」と安堵しました。しかし・・・その日の朝、「おかずは適当に買っていくからご飯だけ炊いておいて」と電話で頼んでおいたのですが、きれいさっぱり忘れていました。お釜は空っぽ。「あなたが何か買ってきてくれるって言っていたから」とキョトンとした表情でした。うーん、こういう記憶力はだいぶ落ちてきてしまったようです。

今日はうめぞうのお母さんから送っていただいたブドウが届きました。すぐに母はあちらの実家に電話をしてお礼を言っていました。ごくまっとうな普通の会話をしていましたが、電話を切ったあと、「私が何かを送ったお礼とおっしゃっていたけれど、私、何か最近送ったかしら?」と、やはりキョトンとした顔で聞きます。1か月ほど前に農家からいただいたお米を送っていたのでした。

いやはや、だんだん怪しくなってきたぞ・・・しかし、電話の会話は普通、花を飾ったり、お洗濯したりもまだできる・・・と、一喜一憂しながら、秋の庭を眺め、ブドウを食べています。

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2009年8月29日 (土)

期日前投票

まつこです。

昨晩から久しぶりに新潟に帰省しています。盛夏の2週間を不在にしている間に、庭の様子も変わっていました。母と一緒に種まきしたアサガオは花の盛りを過ぎたようです。さるすべりの花も終わっていました。代わりに野生のユリがいくつも咲いています。

2009829_003[未明の驟雨の露が花びらに残っていてきれいです]

今日は母を期日前投票に連れていきました。葉書が届いて以来、「投票の仕方がわからない、候補の名前がわからない」と国際電話でも何度も繰り返しており、母は不安を感じていたようです。「棄権してもいいんんだよ」というと「国民の義務だから」と言います。このあたりは、戦後直後の徹底した民主主義教育の成果のなごりでしょう。

明日の投票日に、近所の投票所に行くのは気が進まないらしいので、今日、市役所まで行って期日前投票をしてもらうことにしました。小選挙区とか比例区とか最高裁判所裁判官国民審査とか、前もって説明すればするほど不安そうな表情になるので、「いいよ、いいよ、行けばなんとかなるから」ということで出発。

受付を済ませていよいよ投票用紙をもらいます。秘密投票で私が一緒に投票所についていくことはできないのかと思っていたら、「付き添いの方もどうぞ」という感じで、記入も見守ることができました。しかし・・・

ママ:「えーっと、民主党の候補の人は・・・ああ、この○○○○○さんね」

まつこ:「ママ、だめだよ、そんな大きい声で言ったら」

立会人:「大丈夫ですよー、見えてませんから」(苦笑)

比例区ではさらに・・・

ママ:「えー、党の名前変わっているのね。知らない党ばっかりだわー。知っているのは社民党しかないわ」

まつこ:「じゃあ、それでいいんじゃない、それ書いて」

ママ:「えー、じゃあ、自民党ね・・・」

まつこ:「えっ?ママ、自民党でいいの?政権交代って言ってたじゃない」(焦って小声でささやく)

ママ:「そうそう、だから自民党・・・じゃないわね・・・えー、もう一度見直して・・・社民? 民主?どっちかわからなくなったわ」

まつこ:「出かける前は民主党って言っていたよ」(周りの目を気にしながらさらに小声で耳元でささやく)

長年続いた55年体制のもと、教員だった母は日教組の一員として、選挙のたびに「社会党」の候補に投票し続けていました。そのため今回も思わず「社民党」と書きかけたのでした。しかしちょっと違うと気づいた瞬間、頭の中が混線し党名が混乱してしまったのです。

確かに「民主」「自民」「社民」、これでは認知症の老人には区別がつきにくいですね。もし二大政党制が定着するのであれば、もう少しはっきりと違いのわかる名前にしてほしいものです。(ついでに、理念の違いもはっきりわかるようにしてほしい!)

ま、とにかく「国民の義務」を無事果たし、表情が一気に安らいだ母。「私、これが最後の選挙かもしれないわね」と言うので、私はちょっと焦りながら「いやー、衆議院はいつ解散するかわかんないからねー」とごまかしました。内心は「確かに、これが最後の投票かもしれないな」と思いましたが。母よ、あなたは「国民の義務」はもう充分果たしました、そう思った投票所の出口でした。

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2009年8月 7日 (金)

夏の景色

まつこです。

うめぞうと一緒に新潟にやってきました。梅雨空のような曇天が続いていて、なかなか夏休み気分が盛り上がりませんが、青々と広がる水田を眺めると、日本の田舎の夏の景色だなあと実感します。

Photo[典型的な日本の田園風景です]

田舎の夏は野菜がおいしい!トマト、キュウリ、トウモロコシ、カボチャ、エダマメなどなど、近所の農家のおばあちゃんからもらったものや、母が裏庭の家庭菜園で育てたものなど、どれも野菜の甘味がしっかりとしています。母はがんばって、カボチャの煮物やキュウリと薄焼き卵のサラダなど作って待っていてくれました。

食事の際の話題はどうしても母の思い出話が多くなります。しかし、この思い出話がどうも最近あやふやになってきている気がします。認知症ですから最近のことはすぐに忘れてしまう、けれど昔のことは妙にクリアに覚えている。そういう時期がしばらく続いていました。しかしその時期から、昔の記憶も次第におぼろげになる段階に入りつつあるのかもしれません。

この季節だと戦時中の子供のころ、特に終戦の頃の話が多くなります。でも話にだんだん曖昧な部分が増えてきました。「終戦の時は、えーっと、私は4年生・・・いえ5年生・・・」「空襲?市内には爆弾は落ちなかった・・・いえ、工場が一度爆破されたわ」「玉音放送・・・聞いたような気がするんだけど、あまりはっきり聞こえなかったような気がする。よく覚えていないわ・・・」

記憶が消えていく――それは確かにとても悲しいことです。でも家族が悲嘆にばかりくれているわけにはいきません。悲しむことでエネルギーを消耗してしまってはいけません。母の記憶力の減退を嘆き悲しむよりも、むしろ今、母が安心や幸福を少しでも感じられるよう、そちらの方に精力は向けるべきです。

「このカボチャおいしいね」「作ってくれてありがとう」「トマトもきゅうりも採りたてだとおいしいね」「ママが家庭菜園やっていてくれるからおいしい野菜が食べられるね」などなど。虚ろな過去の記憶をなんとか手繰り寄せようとするのではなく、たった今の単純な喜びにあふれた言葉を母にはっきりと伝えることのほうが大切です。(でもそうすると、ついつい食べ物の話ばかりになってしまいがちですが。)

60数年前、おかっぱ髪の小学5年生の少女が終戦の日を迎えた時も、青々と水田が広がり、緑濃い山が遠くに見えていたはずです。その少女が成長し、やがて時を経て、老いていく。記憶は薄らぎ、心の中の様々な物語は消えていこうとしています。でも自然は何一つ変わることなく、季節を繰り返し、悠久の時が流れ続けています。老いも病もその大きな自然の一部です。そのことを受け入れて、今できるささやかなことをひとつずつ探していかなければと、あらためて思う夏の日です。

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2009年7月20日 (月)

デジタル日めくりカレンダー

まつこです。

土曜日の晩に仕事があったため、日曜日から連休を利用して帰省しています。今回の帰省では、うめぞうからママへのプレゼントを預かりました。「デジタル日めくりカレンダー」です。

Photo[うめぞうからママへのプレゼント]

先回帰省したとき、和室でうめぞうが仕事をしていると、母は一時間に一回くらいお盆にお茶とお菓子を載せて、うめぞうのところに運んでいました。ムコ殿はいたって大切にされます。

その茶菓サービスの際に、「あのー、ちょっとお聞きしますが、今日は何日だったでしょう?」と母がうめぞうに訊ねたのだそうです。確かに、毎日、同じ生活の繰り返しだと曜日の区別はつけにくいものです。しかも認知症で日付や曜日を忘れがちな母。一人暮らしでは、日付を聞く相手もいません。

そこでうめぞうがネットで探し出してくれたのが、このシチズンの卓上カレンダーです。電波時計もついているし、温度・湿度も表示されます。なにより良いのが、文字表示が大きいことです。母も「これはいいわー」と喜んでいます。

私は金曜、土曜と、久しぶりにスポーツしたら全身が筋肉痛です。肉体に負荷をかけたら精神的な緊張も緩んだようで、心身ともフニャーッとした週末を過ごしています。今日はいっさい仕事をせず、村上春樹の『1Q84』を読んで過ごしました。

この『1Q84』の中で主人公の男が認知症の父親に会いにいく場面があります。村上春樹は認知症をこんな言葉で表現しています。「認知症には進行はあっても、回復はない。そう言われている。前にしか進まない歯車のようなものだ。」(p.163)「自らの内側で徐々にひろがっていく空白と共存することを余儀なくされている。今はまだ空白と記憶がせめぎあっている。しかしやがては空白が、本人がそれを望もうと望むまいと、残されている記憶を完全に呑み込んでしまうだろう」(p.184)

「前にしか進まない歯車」のように「空白」が記憶を徐々に呑み込んでいく・・・。村上春樹は比喩を多用する文体がその魅力の一つだと思うのですが、全体にその比喩が叙情性に傾き、時として事実としての質量をともなう切実さが消えていく傾向があります。(イスラエルでのスピーチでパレスチナ人を「割れやすい卵の殻」に喩えたのもそうした抒情詩的表現のひとつ。)

認知症は物語の中の小さなエピソードなのでそれでいいのかもしれないけれど、物語の中心テーマはカルト宗教という「やばい」領域なので、もう少しハードでダークな部分があってもよかったのにと、やや物足りない読後感が残ったのでした。

注:『1Q84』って外国語に翻訳するとき、タイトルは"1Q84"とするしかないんでしょうね。タイトルですでに「言葉遊び」が入っているなんて、翻訳者泣かせですね。

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2009年7月14日 (火)

手作りジャム

まつこです。

新潟の実家の庭に梅の古木があります。古い木なので、あまりたくさん花は咲かないのですが、今年は予想外にたくさん実がつきました。先々週末、落ちた梅の実を母がかごにたくさん集めてきました。

Photo[こんな梅の実がかご一杯とれました]

実は昨年、母が梅干しを作りたいと言い出したことがあります。梅干しの作り方など見当もつかなかった私は、「えー、うめぼし? めんどくさいなー」と思いながら、インターネットであれこれ調べ、梅の実をはじめ材料を全部買いそろえて、一緒に作り出したのですが、そろそろ日に干すというあたりで母が駄目にしてしまいました。

かごに一杯になった梅を見て、「どうしたらいいかしら?」と言う母に、「もー、めんどくさいから梅干しはやめようよ。去年も途中でダメになっちゃったし。きれいだから飾ってしばらく眺めることにしよう」と、逃げ腰の私。その様子に母は、娘の協力は得られないと悟ったようです。「そうね・・・じゃあ、しばらく眺めて捨てちゃうわ」と母。「よしよし、あきらめたな・・・この忙しいのに、梅干しどころじゃないわ」と内心、私はほっとし、そのまま梅のことなど忘れてしまいました。

ところが今週、帰省したら、あの梅がジャムに変わっていました。私が東京に戻った平日の間に、群馬に住む自分の姉に電話し相談した模様。姉(まつこの伯母)から一つ一つプロセスごとに電話で指示を受けながら、皮むいたり、煮詰めたりして、ジャムを作ったというのです。

Photo_2[酸味がきいていて、味もなかなかよろしい]

「ママ、すごい! よく作ったね! やればできるじゃん! おいしいよ」と大げさに褒めたら、嬉しそうでした。ここでママ・スイッチがオン。「味はともかく、梅は体にいいって言うから、あなたこのジャム、半分東京に持って行きなさい。あなたの生活はとにかく忙しすぎるわ。ちゃんと朝ご飯を食べなさい。このジャムとパンで朝ご飯にするといいわ」と、ママ・モード全開、上から目線の口調で娘に指示を出していました。

いやー、それにしても、やる気になると、それなりのことができるものです。最近、料理はごく簡単なものをワンパターン、それもちょっと怪しかったのですが。きっと何度も何度も、伯母に電話し、あれこれ苦労しながら、完成にこぎつけたのでしょう。よくがんばったなー、と感心しながら、甘酸っぱいジャムを味わっています。         

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2009年7月12日 (日)

舌好調

まつこです。

今日は母の寝室のカーテンと浴室のブラインドの交換を業者の人にしてもらいました。実家は築15年。少しずついろんなところの補修が必要になってきています。最近、不動産業者が母のところにやってきて、家と土地を売却する気はないかと尋ねたのだそうです。知り合いの地元建築家に聞いたところ、中古住宅を安く買い取り、リフォームして高く売る、あまり評判のよくない不動産業者が出没しているとのこと。認知症の一人暮らしのおばあさんなんて、格好の標的になりそうで心配です。

母はカーテンがきれいになったので、がぜんやる気が出て、猛烈な勢いで部屋の片づけをし始めました。うめぞう、まつこも少し手伝って、寝室は余計なものがなくなり、さっぱりときれいになりました。思えば、母の認知症の兆候は部屋の片づけが急に苦手になったというあたりから現れ始めたような気がします。部屋の中の乱雑さは、頭の中の混乱を反映していたようです。部屋がさっぱりすると、気分もすっきり。初期認知症の人には、生活環境をさっぱりさせて、生活動線を単純にし、ものの収納場所がわかりやすいように整えてあげることが必要ですね。

フェルガードの効果なのか、アリセプトの効果なのか判然としませんが、母は妙に元気です。記憶力そのものは減退しているのですが、情緒的にはむしろ躁状態かと思うほどです。同じ話を楽しそうに、ぐるぐるぐるぐる何度も繰り返しながら、とにかくよくしゃべります。もともとはこんなにおしゃべりな人ではなかったのですが。独り言もやたらと増えています。認知症で何か抑制機能が落ちているのか、あるいは薬の効き目で残った脳の機能が活性化しているのか・・・。まあ、いずれにせよ、明るく楽しそうなので助かります。

Photo [うめぞうの肖像画]

うめぞうの方も絶好調です。「あー、田舎は空気がおいしい」、「あー、田舎はご飯がおいしい」、「あー、田舎では大切にされて快適だ」と、これも何度も繰り返しています。和室にこもってなにやら仕事をしていたかと思ったら、ブログで長い演説を繰り広げていましたね。こちらの方も、週末介護に同行してもらっているわりに、明るく楽しそうなので助かります。

Photo_2[実はこれはバースデー・カード]

うめぞうは先週の土曜日が誕生日でしたが、先週末は別行動だったので、私から特別なお祝いはしませんでした。ただカードだけはあげました。このバースデー・カード、春にイギリスのデパートで見かけたとたん、あまりにもうめぞうに似ているので、迷わず買ったものです。本人もカードを見たとたん、「あっ、僕だ」。それくらい似ています。

同じおしゃべりを繰り返す母と、延々と演説を繰り広げる夫と、舌好調の二人にはさまれ、明日もにぎやかな日曜日になりそうです。

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2009年7月 4日 (土)

名前のない世界

まつこです。

いつもどおり新潟での週末です。母は元気に暮らしていますが、最近、いろんなものの名称がすぐに出てこないということが増えています。ごく日常的な、「じゃがいも」とか「とうもろこし」といった名前もすぐに出てこなくて、ほら、あれあれ・・・ということが頻繁にあります。

Photo[これが夏椿]

花の名前もしかりです。今朝、「夏椿が今年はたくさん咲いたわね」と言ったら、「ナツツバキ??? そんな花うちにあったかしら??? ナツツバキってなに???」と、きょとんとしています。こういうことが増えました。

「明後日の月曜日は体操教室がある」とか「うめぞうさんの植えた野菜の苗が大きくなった」とか「まつこに頼まれたコーヒー豆を買いに行く」というような、文脈のあることは覚えていられるのですが、名称がだんだん記憶の中から消えていっている、という印象です。

Photo_2[お中元シーズンですね]

今日は亡くなった父の従弟からお中元が届きました。やはり名前がすぐに出てきません。「『この人』いつもお花送ってくれるのよね。冬は『あの・・ほらあの花』の盆栽だったわ」という調子です。(『あの花』は梅です。)

豪華な蘭の鉢植えをいただいたので、玄関の正面に飾ることにしました。この花台は父のまた別の従兄が、天然木で手作りしてくれたものです。「この台は『ほら・・・あの人、あの人』が作ってくれたのよね。『この人』と『こっちの人』はいとこ同士で、二人は仲がいいのよ。『この人』ほら『あの仕事』をやっていたから器用なのよ。こんな台を手作りしてくださるなんてね」。(『あの仕事』とは宮大工さんです。)

まあ、言いたいことは伝わるし、まだ会話は成立していますが、不便ではあります。名前のない世界にトリップした感じです。

蘭の鉢植えには、種類や育て方を書いたリーフレットがついてきました。それを見て「デンドロビューム・・・覚えにくいわね」と母。そりゃ、無理だ!名前なんかなくたって、「あの方からいただいたあの花がきれいでうれしい」と、それだけで良しとしましょう。

名前になんの意味があるというの。バラと呼ぶその花を別の名前で呼んだところで、甘い匂いに変わりはないわ。

What's in a name? That which we call a rose/By any other name would smell as sweet. (Romeo and Juliet, II.ii)

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2009年6月20日 (土)

ヒナかえる

まつこです。

いつもどおり、金曜の晩、新潟に来ました。玄関を入って、そっとガラス越しに見ると、鳥が先週と全く同じポーズで、じっと卵を温めていました。

Photo[朝はこんな風にじっとしていました]

今日の昼くらいから動きが慌ただしく、リビング・ルームの前を、しばしば黒っぽい鳥が行き来します。どうやら今日、少なくとも一羽はかえったようです。お昼過ぎ、見てみると、ちっちゃな黒っぽいものが口を開いているのが見えました。おおー、テレビの自然ドキュメンタリー番組と同じ風景だ!

おのずと食事の際の母と私の会話は鳥のことになります。「これであの鳥も一安心ねぇ。ほっとしたでしょうねぇ。御苦労さまだったわねぇ。」「それにしてもあの鳥、見た目がおじいさん風だわ。年寄りなのかしら。」「巣立つときには、お世話になりました、の一言くらい挨拶してもらいたいわねぇ。」

Photo_2[お昼過ぎに見た時は、こうして立ち上がっていました。肉眼では黒い雛が一羽見えました]

母は昔からわりと、ユーモアのセンスがある方ではあったのですが、もはやこれが冗談なのか、ボケて本気で言っている発言なのか、娘の私にも判然と区別できなくなってきました。まあ、ボケているとしても「明るいボケだ」と思って、笑ってすますことにしよう、と内心あせりながら、力なく笑うまつこでした。

Photo_3[アサガオも芽を出しました]

5月24日に植えたアサガオの種は、先週、双葉を出し、今週はさらに葉が増えていました。こうした自然観察以上に、私にとって切実なる観察対象は、まずは母です。「ママ、前にアサガオの種植えたじゃない・・・」と、さりげなく切り出します。「そうそう、芽が出てきたわね。」この会話は、数週間前と今がちゃんとつながっているので、一安心。

しかし・・・棚の上に意味不明なメモを発見。「ペット前、トレイ後」と書いてあります。母に聞いてみると、資源ゴミの日に、ペットボトルとトレイを一緒に持って行ったら、ペットボトルは前の日であると言われたそうです。それで書いたのだそうですが、どうも資源ゴミの分別がややあやしくなっています。

市の回収方法も今年度から変わって、以前、プラスチックとしていた四角いマークのボトル(おしょう油なんかの容器)もペットボトルとして、一括して集めることになったのです。母には、昨年苦労して、このプラスチック製ボトルとペットボトルの分け方を教えたのですが、その区分がなくなったわけです。プラスチックであればトレイと同じ木曜日回収なのですが、ペットボトルは火曜日回収なのです。

こう書いているだけでもややこしいので、母が混乱するのも当り前なのですが。でも上記のようなことをゆっくり、繰り返し、説明していたら、母が大きなため息をついて、「あー、疲れた」と一言。どうも聞けば聞くほど、混乱し、頭が疲れるらしいのです。

東京のマンションの掲示板に、「ご近所に認知症の人がいたら見守ってあげましょう。ゴミの分別をしばしば間違えたりしたら、認知症かもしれません」という広報が貼ってありました。ちょっと進行しちゃったかな、と思うことが少しずつ増えています。覚悟はしているものの、不安も感じる週末です。

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2009年5月29日 (金)

お土産は失敗談と笹団子

まつこです。

母が一泊の温泉旅行から帰ってきました。帰宅第一声は、「私、失敗しちゃった~」。事情を聞いてみると、宿の売店に買い物に行った後、お財布がなくなったと思いこんでしまったのだそうです。同じ部屋に泊まった人たちが一緒に探してくれたのだそうですが、結局、よく見たらバッグの中に入っていたとのこと。あちゃー。ですがその時の様子を細々話してくれたので、それだけちゃんと覚えているのであれば、それはそれでよし。

Photo[新潟名物の笹団子]

ま、とにもかくにも、「楽しかったわー」と言っているので、仕事さぼって留守番した甲斐があったというべきでしょう。お土産の笹団子を食べながら、どんな様子だったのかあれこれ話し続けていました。「孫自慢の時期は終わったわね。誰も孫の話なんかしなかった。自分たちのことばっかりだった」そうです。73歳あるいは74歳、孫世代ももう高校生、大学生など。おじいちゃん、おばあちゃんという役割も終わっているようです。

Photo_2[私の部屋の窓の下のヤマボウシ。今年はどういうわけか花が少ない。去年は上から見ると真白だったのに。ちょっと残念!]

今日の新潟は真夏のような晴天でした。気温は30度近くまで上がり、青空が大きく広がりました。私が実家で一人で過ごすのはめったにないことです。夜の間に少し雨がふったようで、朝、起きて窓を開けると、庭の緑がキラキラ光っていました。静かな家でコーヒーいれて、じっくり新聞を読んで。贅沢なのんびりした時間を過ごすことが出来ました。

Photo_3[田植えの終わった水田。すがすがしい景色です]

あまりお天気が良いので、カメラを持って、初夏の田舎の景色を撮りに出かけました。水がはられた水田に植えたばかりの稲が規則正しく並んだ景色もきれいです。

Photo_4[ちょっと前まで残雪の残っていた山も、すっかり緑が濃くなりました]

遠くに見える山も、すっかり夏山です。冷奴がおいしい季節になりました。

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2009年5月27日 (水)

今日の駅弁

まつこです。

まだ週の真ん中の水曜日ですが、仕事の後、夜の新幹線で新潟に帰省しました。母が明日からクラス会で一泊の温泉旅行に参加することになりました。そのサポートです。

母も人の名前がすぐに出てこなかったり、話をすぐに忘れてしまうことを自覚しているので、参加するのは気が重いようなのですが、「でも、私、幹事だから行かないと・・・」というのです。「えー、幹事ー!!!」、内心は仰天したのですが、参加者が30名程度で、うち幹事が9人もいるのだそうです。小学校時代の仲良しグループ全員が幹事とのこと。

ひと月ほど前から、「行きたくないけど、責任あるから行かないといけないし」とグダグダ、ずっと不安そうに繰り返していました。「私が留守番をしに帰ってあげるから、途中で何かあればすぐ連絡して、迎えに行くから」と言ってあげたら、そのとたんにすっかり安心した表情になりました。心理的不安がなくなったら、テキパキと新しい下着など買いに行って旅支度を整えていました。

認知症でもできる限りは社会参加していた方が良いし、幼なじみとの温泉旅行なんて、もしかしたらこれが最後になるかもしれない・・・そう思って、木曜、金曜の仕事は休ませてもらいました。ちょっと母親に甘すぎる娘でしょうか。

Photo[今日の駅弁]

というわけで今晩のまつこの夕食は新幹線の中。東京駅地下のGranStaのDean & Delucaで買ったキッシュとタコとブロッコリーのマリネと赤ワイン。発車時間の直前に買って、キッシュは電子レンジで温めてもらいました。赤ワインはオーストラリアのシラーズでした。ちょっとおしゃれな「駅弁」になりました。

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2009年5月24日 (日)

自然の力

まつこです。

Photo今週もまた新潟で週末を過ごしています。こうして定期的に帰省していると、1週間ごとに庭で咲いている花が違っていることに気がつきます。先週は白いつつじが満開でしたが、今週はもう茶色っぽくなってしまいました。花の命は本当に短いんですね。

Photo_2[これはアザミ。触るとイタイ]

母は最近、庭にいつのまにか生えてきてしまった野の草花を、雑草と一緒に取ってしまわず、そのまま大きくして、花が咲くと切って家の中に飾っています。素朴で楚々とした野の花もなかなかきれいです。今週、たくさん咲いているのはアザミ、マーガーレット、ツユクサです。

Photo_3[かわいいイチゴが実りました。このあとで食べました。みずみずしくておいしかったです]

寒くも暑くもないこの季節。母は一日のうちだいぶ長い時間を庭や裏の菜園で過ごしています。私も一緒に外に出て、「あら、きれいね」とか「イチゴが可愛いわね」とか、そんな平凡な会話をしていると、本当にうれしそうです。

Photo_4[そらまめもたくさん実がつきました。あともう少しすると食べられそう]

今日は近所のスーパーマーケットにアサガオの種があったので買ってきて、午後のやわらかな日差しの中で、一緒に種まきをしました。母は小学生のように「早く芽が出ないかしら、楽しみねえ」とわくわくしています。

Photo_5[キャベツに穴があいています。イモムシいそう・・・。でも無農薬野菜の証しですね。回鍋肉にしようかな]

言いたい言葉がスムーズに出てこなかったり、数分前のことをきれいに忘れ去ってしまったりと認知症の典型的な症状は出ていますが、それにともなう不安感や恐怖感は、比較的小さいように見えます。こうして草木や野菜の世話をして、日々の変化を見ていることが、母にとっては大きな励みになっているように思えます。力強く育つ野菜や、可憐な花には、老いた人の心を支えてくれる癒しの力があるようです。

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2009年5月 6日 (水)

仕事の記憶

まつこです。

仕事の関係で、今週は週の真ん中で帰省しています。週末は大阪から弟が来て、母と一緒に過ごしてくれました。弟のところでは子供二人の高校受験もすみ、懸案事項だった家の購入・引っ越しも無事終了しました。それで精神的に余裕ができたのか、弟も今回は母をドライブに連れて行ったり、優しく接してくれたようです。

Photo[昔、この庭で弟がヘビを捕まえて、家の中に持ち込んだことがあります。子供のころの最も恐ろしい記憶の一つです]

そんなこんなで今回はまる1週間ぶりの帰省だったのですが、庭の緑が急に増えていてびっくりしました。写真で見ると、ちゃんとした和風の庭に見えるかもしれませんが、あまり手入れの行き届いていない荒れた庭です。これから夏にかけては、か なりジャングル化します。

母の様子はあまり変わりありません。同じ話の繰り返しに付き合わされる以外は、特に負担になることもありません。NHKの連続ドラマ『つばさ』の放映のたびに、「なんでNHKなのに、こんなドタバタ喜劇なのかしら? それにこの主人公、童顔ねえ」と必ず言います。再放送があるので、一日二回、必ず言います。ま、その通りなのですが。

今日もお昼ごはんのあとテレビ見ながら、「ドタバタでいやねえ」と言っていたのですが、やがてアンジェラ・アキの「手紙」を歌う中学生たちを取材したドキュメンタリーが始りました。長崎県の離島の中学生たちが、合唱コンクールに出場するまでと、その思い出を胸に卒業していく様子を描いたものです。

そしたら母の「先生スイッチ」がオンになりました。母は30年以上、中学校教師をやっていました。思春期の子供たちのぎこちなさ、反発、純情さ、ひたむきさなどを、長年見続けてきました。そんな子供たちを描く番組を見るうちに、母の表情がどんどん経験豊かな教師の顔に変わっていくのです。「島で育っている子供たちはすれていなくていいわね」と穏やかに微笑みながら、画面に見いっていました。

いろんな記憶があいまいになっていますが、職業人としての長い経験は、深く記憶の中にしまいこまれているのだなあ、と改めて思いました。制服を着た中学生たちが笑ったり、泣いたり、怒ったりしている光景を目にして、そんな古い記憶が母の体の中でふわりとよみがえっているようでした。

現役で働いている私たちは、毎日毎日の業務に追いかけられるようにして暮らしていますが、こういう日常的な仕事の記憶が、知らないうちに私たちの体の中にも刻みこまれているんでしょうね。

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2009年4月24日 (金)

母娘の物々交換

まつこです。

いつも通り、週末を過ごすために、夕刻、新潟にやってきました。やや肌寒い春の夜です。こんな夜は冬の間、活躍した湯たんぽに再登場してもらいましょう。

Photo[愛用の湯たんぽはこれ。「みのじろう」という名前です]

こちらに戻ると、小学生の頃から使っているベッドで寝ています。このオレンジ色のベッド・カバーもずっと使い続けています。この歳になって、小学校時代以来の机やベッドをこれほど使うことになるとは思ってもみませんでした。

母は2週間ほど前に家庭菜園の草取りをしていたときに指に刺がささったところが、どうも化膿してしまったようで、今は炎症はおさまっているようですが、かさぶたの下がまだ腫れていて、少し痛みもあるようです。高齢者になると、小さな傷も治りにくくなるようです。医者に連れていくほどのことはなさそうですが。

それ以外は母の様子も変化なし。お買い物に行って夕食を作って待っていてくれました。こんなに順調なら、毎週、通わなくても大丈夫そうなのですが、毎週通っているから、この調子が保てているのかもしれません。

先週、化粧品のファンデーションが切れたと言っていたので、リフィルを買ってきてあげました。ボディ・ショップのパウダー・ファンデなのですが、もともと私が使いかけて合わなかったのを母にあげた(押しつけた)ものです。この1週間、お化粧などしなかったのかと思ったら、「引出しの中を探したら、前に使ってたのが出てきたから使っていたわ、これよ」と見せてくれたのは、クレ・ド・ポーのクリーム・ファンデでした。ボトルをねじると、ちょっとずつ出てくるやつです。「これって評判いいんだけど、高いんだよねー」と羨ましそうに言ったら、「パウダー・タイプの方が簡単でいいから、これあげるわ」とくれました。やったー!

こんな調子で今晩は、認知症の老母の介護というより、普通の母娘の会話をして過ごせました。こういう時間が少しでも長く続きますように・・・。

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2009年4月19日 (日)

女の敵は女!

まつこです。

1週間ぶりです。毎日毎日、自転車操業で、ブログを書く余裕がありませんでした。前傾15度の前のめりの姿勢、カッカッカッとヒールの音を響かせ、必死の形相で駅へ急ぐ毎日です。

Photo[通勤途中で目に入った若葉]

しかしそんな般若のようなまつこの表情がふと緩むのは、朝日を浴びる若々しい木々の緑が目に入ってきたときです。思わず足を止め、携帯電話のカメラでシャッターを切りました。

金曜日からはいつものように、新潟で母と二人で過ごしています。今のところ母はまだテレビを見て楽しむことはできます。しかし、今シーズン、NHKの朝の連続ドラマも日曜夜の大河ドラマも、あまり気に入らないようです。『篤姫』を食い入るような表情で見ていたときには、良い刺激になっていたようなので、残念です。NHKもあまり若者だけに迎合せず、老人がのんびり楽しめるドラマも提供してもらいたいものです。

最近、イギリス元首相のマーガレット・サッチャーが首相に就任してから30年というので、「サッチャリズム」とはなんだったのか、今日の経済崩壊を招いた責任はないのか、といった記事をいくつか目にしました。

なかでも強烈だったのはガーディアン紙に載ったフェミニズムの論客ジャーメイン・グリア氏の"The making of Maggie"という記事でした。要はサッチャー自身にはそれほどの政治的信念があったわけではなく、男性同僚たちが作り出した「鉄の女」「チャーチルの再来」「堅実な主婦」といった役柄を、なんの倫理的ためらいも感じずに言われたとおりにやっていただけじゃないか、という批判的総括です。

それにしても女が女を批判する舌鋒は極めて鋭い!「去年パーティで会った時も、目の覚めるようなブルーのドレスに真珠のアクセサリー。髪はシャンパン色のブロンドでキラキラしてたわ。ほっぺただってピーチみたいに艶やか。派手なピンクの口紅でだったわ。青い瞳の輝きは昔に比べるとちょっと色褪せてたけど。ジェフリー・アーチャーが忠実な下僕よろしくぴったりくっついていたわ。」ね、この容姿の描写の細かさが、女同士の戦いの怖さを感じさせるでしょう?

でも、ちょっと待って・・・サッチャーって認知症なんじゃなかったかしら・・・? 今でも社交の場に出るのかしら・・・? ちょっと調べてみたら、昨年9月には首相官邸に招かれてブラウン首相と会談していました。脳血管性の認知症で、夫が亡くなったことすら認識できず、フォークランド紛争とボスニア紛争の区別がつかなくなっているとのことですが、それでも「政権についていた時代の話になると記憶が冴える」のだそうです。

認知症の人でも、できるだけ社会的な活動をしたほうが良いとは言いますが、首相に会うとはびっくりです。母を見ていても記憶力が弱っているだけで、テレビ見ながらなかなか鋭い発言が飛び出すこともあります。「『天地人』って役者たちのしゃべり方が、現代ドラマふうで軽すぎるのよね。それなのに新潟が舞台になっているから話が地味なのよ・・・」といった具合です。認知症の人の発言を、ボケ老人のたわごとと、一概に切り捨ててしまうことはできません。

それにしてもブラウン首相、まさかサッチャー元首相に助言を求めたわけではないしょうが、何話したんでしょう? 別のBBCの報道では、「サッチャーの業績は労働党をダメにしたことだ。今の労働党は『サッチャーの亡霊だ』(pale shadow of herself)」と言われていました。マギー・サッチャー、老いてなお、存在感があることだけは確かなようです。

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2009年4月 3日 (金)

ロンドンのお土産

まつこです。

4月1日よりいつも通りの忙しい日々に戻りました。今日は金曜日なので、ウメマツはそれぞれの実家に移動。二人とも鞄に週末にやらねばならない仕事の資料をつめこんで出発。「お互い自転車操業だねー、がんばろう!」とエールの交換をしました。

2週間ぶりですが、母の様子はあまり変わっていなくてほっとしました。私がロンドンから送った絵葉書がピアノの上に飾られていました。お夕飯の支度もしていてくれていて、ポテトサラダ、シイタケの炒め物、青菜のおひたしなど、きちんと作ってあるので、「絶好調だ・・・よしよし」と安堵wink。しかし「鯛の尾頭つきを買ってきたので、これから焼く」というのですが、見てみたら「平目」でした。がっくりdespair。「ママ、これ鯛じゃなくて平目だよ」と言ったら、「あらー、そうだったわねー、えーっと、鯛ってどんな魚だったかしら?」2か月くらい前にも同じ会話がありました。どうもママの頭の中では鯛と平目が混線しているようです。このあたりが認知症。

しかし、内臓の処理などはちゃんとしてあり、塩もふってあって、まさに焼く準備は出来ています。平目を鯛と呼ぼうと、平目の淡泊なおいしさは変わりはありません。大きな平目を一尾、母と二人でつつきあって食べました。地元であがったお魚らしく新鮮で、焼き魚の香ばしさをたっぷり味わえました。まつこが「おいしいねえ」と言うと、ママもニコニコして食べています。親がボケかけちゃったら、「魚の名前なんかどうだっていい」と開き直る図太さが肝心です。

というように、いつもの日常生活に戻り、ロンドンの休暇ののんびりした気分はあっというまに消えてしまいました。ママへのお土産はハーベイ・ニコルズの紅茶とパリのラデュレのお菓子です。あまり凝ったお土産より、「イギリス→お茶」「フランス→お菓子」というようなわかりやすいお土産のほうが混乱がなくていいのです。絵ハガキもおしゃれなのじゃなくて、いかにも観光客用の「ビッグ・ベンと国会議事堂」みたいなスタンダードなやつを選びました。

さて、うめぞうへのお土産ですが、うめぞうは物欲が欠如しているので、私が旅行に出るときはいつも「お土産はいらない」と言います。それが今回は珍しく、「ロンドンで買ってきてもらいたいものがあるんだけど」とリクエストがありました。これが実にささやかなリクエストで、「メモパッド」でした。

Photo[これが今使っている、うめぞうお気に入りのメモパッド。これを使うと偉くなった気分になるらしい]

うめぞうは2年半ほど前に、まつこと一緒にロンドンに行き、国会議事堂を見学しました。夏の間は公開していてガイド付きのツアーがあります。そのときに売店で買ったメモパッドを気に入って我が家のリビングルームで使っていたのですが、そろそろ紙が無くなりかけているのです。うめぞうは同じイギリス下院のマークの入ったメモパッドがほしかったようですが、国会に入れるかどうかわからないし、一人で行くのもめんどくさいので、ロンドンの文房具の老舗スマイソン(Smythson)で適当なものを買い求めることにしました。

しかしスマイソンのメモは黒とか茶とか、デザインが重厚すぎて、ちっぽけな我が家のリビングには雰囲気が合いません。前にも書きましたが、小さい家のインテリアは小物に至るまでイメージを統一することが大切です。

Photo_2[このメモパッドならイメージ通り]

ちょうど滞在していた週のTime Out(ロンドン版の『ぴあ』みたいな情報誌)の、買い物情報の欄に「レザーグッズはAspinal of Londonがお勧め」という記事が載っていました。「スマイソンと同じような高品質の革製品で、デザインがモダン、そしてスマイソンの半額くらいの値段」とのこと。

Photo_3[リフィルもついでに買ってきました]

オックスフォード・ストリートのデパート、セルフリッジに入っていることをネットで調べ、出かけてみたらちょうど良いのがありました。確かに値段もスマイソンよりずっと手軽だし、バッグやお財布などキュートで若々しいデザインのものがたくさんあります。パスポート・ケースやバニティ・バッグもほしいなと思うものがありました。日本では通販でしか買えないようですし、ロンドンでもまだ3か所にしか店舗がないようです。ロンドンでちょっと人とは違うプレゼントを探したいと思っている人にはお勧めです。

Photo_4[ギフト用のラッピングもちゃんとしています]

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2009年3月16日 (月)

顔で笑って

まつこです。

昨日の夕刻、新潟にやってきました。今日と明日は在宅で仕事をしながら、母と過ごします。新潟もずいぶん暖かくなり、庭の梅の木に花が咲きました。

Photo[古い木なので、花が少ないのですが、我が家の庭にも春が来ました]

最近の母は、私が少しでも体調を崩すと、まるで我が家の一大事のように大騒ぎします。純粋に母親として子供を心配する気持ちもありますが、頼りにしている娘という支えがぐらつくのが不安という、本能的な危機感を感じるようです。「忙しすぎるんじゃないの」「年を考えて体調管理をしなさい」「若いころと同じような気分でいちゃだめよ」「毎週毎週、新潟と東京の往復は無理よ」などなど、いつまでも延々とまくしたてます。かなーり、うんざりします。

なので、風邪をひこうが、ぎっくり腰になろうが、虫歯が痛もうが、新潟では不調の気配は隠し通します。顔で笑って、心で泣いて、娘はつらいよ、という気分です。しかし、「顔で笑って」という演技は、介護する側の心理的負担も、少し軽減してくれるように思います。

疲れていて、本気では優しい気持ちになれないとき、心からの笑顔が出てこないとき、そんなときは「ここは優しいふりをしよう」、「演技でいいから笑いかけよう」と、うわべを取りつくろう自分を認めてしまうのです。

介護の悩みの一つに、「親に優しく接したいのに優しくなれない」自分を責める気持ちがあるように思います。しかし、まつこは断言しましょう。嘘の笑顔や優しさの演技に罪悪感を抱く必要はありません。むしろ「ふりだけでいいや」と思う割り切りや、「あー、自分は今演技しているんだ」という自覚が、心の余裕につながる気がします。

だって、「あなたも年なんだから気をつけなさい」なんて、老母に繰り返し言われて、それでも心から微笑んでいられたら、その人はマザー・テレサ級ですから。むっ・・・とした内心を隠す作り笑いは介護の必須ツールですね。

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2009年3月 8日 (日)

視界に入っても見えないもの

まつこです。

いつもどおり新潟で週末を過ごしています。うめぞうは広島に行き、ご先祖のお墓の処分をしています。うめぞうのお父さんの生まれ故郷は広島なのですが、70年以上も前に郷里を離れ、信仰も変えているので、関東地方に別に墓地を購入しました。そこで広島のお墓を処分することになったのですが、お墓の処分というのもなかなかお金がかかるようです。スピリチュアルな面ではお寺にお金をおさめ、マテリアルな面では石の撤去のために石屋さんにお金を払います。宗教は不況知らずの第三次産業です。

Photo_2

[花を撮影するときは、ミツバチに注意]

さて、こちら新潟は毎週ごとに少しずつ春の気配が濃くなっています。庭を歩いていると黄色い沈丁花が目に入ったのでカメラを持って近づくと、ブーンブーンとミツバチの羽音がします。よく見ると、何匹ものミツバチが花の中を出たり入ったりしていました。

Photo_3[これはたぶん雪割草?]

日陰の目立たないところに、一輪だけ小さなうす紫色の花が咲いていました。写真を見せて母に聞いてみると、おそらく雪割草の一種ではないか、とのこと。「台所の窓の下に咲いていたんでしょう? あれ一輪しか咲いていないのよね」と言います。こういう記憶は比較的確か。

しかし、最近忘れやすいのは「ニボシ」です。私が一人で泊まりに来ている時には、朝ごはんのお味噌汁は母に作ってもらうようにしています。母は従来、お味噌汁のダシはニボシ派だったのですが、どうも最近、妙にさっぱり、物足りない味。「ママ、このお味噌汁、ダシだしたの?」、「あ!忘れちゃったわ」ということが多くなりました。

対策として、キッチンのいつもの置き場所以外に、複数の引き出しや棚にニボシの袋を置いておくことにしました。いろんなところにニボシがあれば、いやおうなく視界に入って、「あ、そうそうニボシ!」と思いだすかな、と期待したわけです。

でもこの作戦、今のところあまり功を奏していないようです。母の様子を見ていると、視野に入っているものから、見たいものとか、見ようとするものだけを選んで認識しているみたいです。頭の中からニボシの存在が消えていると、いくら目の前にニボシがあっても見えない。そういえばうめぞうの友人で眼科医のマサルくんも、物を見るのは脳というようなことを言っていました。

先日、日本料理の名店「分とく山」(注:行ったことありません)の料理長さんが、ダシは多すぎるとおいしくない、引き算こそがおいしい料理を作る秘訣、と書いておられました。「ニボシのダシが出ていなくても、ダイコンやネギの滋味を味わえばよいのだ。これが分とく山風お味噌汁だ」と思いながら、朝ごはんを食べました。

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2009年3月 1日 (日)

庭仕事の治癒効果

まつこです。

3月ですね。今日の新潟は春の到来を感じさせる良いお天気でした。東京と新潟を行き来していると、表日本と裏日本の季節のずれを実感します。新潟では東京に比べると花の時期が遅れ、ある日、いっせいにいろいろな花が咲き始めます。

Photo_2[モクレンのつぼみはまだ固い]

庭に出てみると、梅やモクレンや椿のつぼみが、少しずつふくらみはじめていました。足元を見るとクロッカスが咲いています。まだ冷たい風の中で、おひさまに向かって小さな花びらをせいいっぱい広げているのを見ると、けなげだなあと思います。

Photo_3[クロッカスの黄色い色が鮮やかです]

まつこはこの家で小学校入学から高校卒業まで12年間過ごしましたが、その頃は庭にどんな木があるかなんて、まるで気にもとめていませんでした。大人になってたまに帰省しても、庭に出てみることもめったにありませんでした。こんなふうに季節の移り変わりを細かく気づくようになったのは、母の診断が出て、毎週、帰省するようになってからです。

母も暖かな気候に誘われるように外に出て、庭に落ちている枯れ葉や枯れ枝を集めて掃除をしています。イギリスの新聞『タイムズ』で読んだ記事によると、認知症を患う人にとって、植物の世話は失われつつある自信を回復させる効果があるのだそうです。イギリスにはガーデニングを通して、認知症の人々を支援する慈善団体があり、ガーデニングの治癒効果について啓蒙活動も行っています。植木鉢やプランターでも、植物を植えて育てる喜びを感じることで、患者本人の孤独も癒され、家族も安らぎを得られる、たとえそれが1時間でも貴重なことだと、その慈善団体の代表は語っています。("How Gardening Helps People with Dementia", 2008年12月27日付The Times)確かに庭の手入れをする母の明るい表情を見ていると、植物と接するのは良い効果があるように思えます。

しかし、まつこの場合は、虫が大嫌い、日に当たるのイヤ、爬虫類でも見かけたら悲鳴をあげて逃げ出す・・・という、完全に室内派の少女時代を過ごしました。そんなまつこが年老いた時は、はたして自然の治癒力の恩恵にあずかれるかどうか、いささか疑問です。「コンピュータ技術を使ったヴァーチャル・ガーデニングで老化防止」では、あまり効果がないでしょうねえ。

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2009年2月16日 (月)

おばあちゃん力

まつこです。

今日の新潟は冬に逆戻り。うっすらと白い雪がベールのように庭を覆っています。

Photo[今朝はみぞれまじりの雪]

雪とまつこが東京に戻る日という悪条件が二つ重なり、ママは元気がありません。月に2度参加している近所の老人体操教室も、昨日は張り切って参加する気になっていたのですが、今朝は休むと言い出しました。「行きたくなかったら休んだらいいんじゃない。でもがんばって行ってきたら気分良くなるよ」と、励ますでもなく、慰めるでもなく、てきとうに曖昧な態度で接していたら、「病欠」であることを主張するために、「風邪気味だからベッドで休む」と寝室にひきこもってしまいました。やれやれ。まあ、お昼ぐらいまで寝かせておきましょう。

Photo_2[母のベッドの上の本]

昨日、母の寝室の掃除を手伝っていたら、ベッドに私が買ってきてあげた本が置かれていました。一冊は『佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫)』。以前、ネットで認知症の人でも楽しんで読んだという記事を目にし、母のために選んだものです。昨晩、私も借りて読んで、思わず目頭を熱くしてしまいました。貧乏でも明るくたくましいおばあちゃんの前向きな生き方、まだ日本が貧しかった時代に生きていた人達の人情、母親と少年の心の結びつきなど、つぼを押さえています。

もう一冊は『思うとおりに歩めばいいのよ―ターシャ・テューダーの言葉 (ターシャ・テューダーの言葉)』。写真がきれいですし、写真に付けられたメッセージもそれぞれ短いものなので、記憶力が衰えていても、これなら読めるのではないかと店頭で見つけて選んだ本です。これも母にはちょうどよかったようです。毎晩、適当なページを開いては、写真とメッセージを楽しんでから就寝しているそうです。「とても穏やかな素敵な生き方ねぇ」と感心しているので、「ママだって、冬は編み物やって、春から秋は庭と畑の手入れやっているんだから、ターシャ・テューダーとそれほど変わらないわよ」と言ってあげたら、ちょっとうれしそうでした。

二冊ともしなやかでたくましい「おばあちゃん力」を描いた本です。明るく笑い、日々の変化をいつくしみ、穏やかに老いを受け入れる、そんなおばあちゃんにいつか私もなりたいものです。

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2009年2月15日 (日)

春はそこまで

まつこです。

新潟も今日は春めいた一日でした。母は早く編み上げないと春になってしまうと焦って、一心不乱にマフラーを編んでいます。何か仕事がある方が、気持ちが落ち着くと言うので、ほぼ毎週、毛糸を買ってきてあげています。

Photo_10[春のような一日、盆栽の梅を庭に出して日に当ててみました]

しかし、最近、ちょっと調子が落ちていて、編み目が不ぞろいになっていたり、編み方が狂ってしまったりということがしばしばあります。やや出来そこないのマフラーを見て、ママは不本意そうな表情を浮かべます。そんなときは、「大丈夫よ、首に巻けばわかんないわよ」と明るく励まします。

認知症というと、一方的にどんどん悪化する病気のようなイメージがありますが、母を観察していると、日々、あるいは一日のうちにも、調子の良し悪しがあります。今のところマフラーの編み上がりの出来不出来が、体調レベルの指標になるようです。自信を失うと、どんどん悪循環に陥るので、自己評価の下がっているときは、とにかくほめます。「あらー、きれいにできているじゃない!」「きれいな色ねー、私の黒いコートに合うわよ」などなど。

学生やうめぞうも、こうして少しほめてあげたほうが教育効果が上がるんだろうなと、日頃のわが教育方針の厳しさを、ちょっと反省。

Photo_8[庭の片隅のふきのとう]

春のような日差しの中を庭に出てみると、片隅にふきのとうが出ていました。ふとまわりを見ると、あそこにも、ここにもふきのとうが顔を出しています。雪国にも春がそこまで近づいてきているようです。

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2009年1月25日 (日)

童心にかえる

まつこです。

Photo新潟、いよいよ寒さが厳しくなり、今朝は台所の給湯器が凍結してしまいました。お湯の出ない台所は、冷たい水で手がちぎれそうで、つらいです。しかし、うめぞうとママは昔の雪国の生活は、もっと寒くて不便だったと昔話で盛り上がっています。窓がサッシじゃなかったとか、暖房がコタツしかなかったとか・・・。

認知症の人が、こういう昔話をすると、脳を活性化させる「回想療法」の効果があるのだそうです。ママも生き生きと思い出話をしています。まあ、だいたい聞いたことがある話ばかりなのですが。ここは初めてのように「ふーん」と適当に相槌をうちながら聞きます。まつこも同じ話を右耳から左耳にスルーしながら聞く技が少しは身についてきました。要はあまり真剣に聞かず、適当に聞き流すのがコツみたいです。

Photo_2[雪景色を見ると兼六園を思い出すうめぞう]

うめぞうは高校卒業まで金沢で育ちました。寒がりのくせに雪景色を見ると、童心がよみがえるようです。今年還暦のうめぞう、雪の中ですっかり少年に戻っています。雪玉作っては、あっちこっちに投げています。

Photo[少年時代のうめぞうは、兼六園で雪合戦をやっていた。まつこに雪玉、投げないでー!]

「介護帰省」だと思うと、あれこれ不安も感じ気がめいりますが、今のところ母もそれほど病気が進行していません。「週末を過ごす田舎の家」だと思えば、だいぶ気が楽になります。「ママ、私たちの別荘の管理人みたいね」と冗談めかしていったら、母は「その管理人が最近、ちょっと管理能力があやしくなっているのよ~」と笑っていました。こんなふうに冗談が返せるあいだはまだ大丈夫と、ちょっとほっとしたまつこでした。

Photo_2[雪だるまだって作っちゃう]

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2009年1月16日 (金)

雪かき

まつこです。

今朝は窓の外のガリガリ、ゴリゴリ・・・という音で目を覚ましました。ママが玄関の前の雪かきをする音です。カーテンを開けてみると、10センチくらいの積雪で、庭は一面白。空は灰色、無彩色の世界です。

Photo[雪かきされた玄関の前]

階下に降りていくと、雪かきを終えたママが、お味噌汁を作っていました。なかなか良い調子。ママ、がんばっています。

母が認知症の初期と診断されたとき、わたしはなんでもかんでもやってあげて、生活にできるだけ支障が出ないようにしようとしました。でも、少しくらい物忘れがあっても、できることはまだ残っています。できる仕事は取り上げたりせず、できるだけやってもらうのが良いようです。

その時に、1)ストレスのかからない仕事、2)成果が目に見えて残る仕事、3)人の役に立っていると実感できる仕事、を選んでやってもらうことが大切なポイントです。

1)認知症の患者や老人にとって、以前はできたことができなくなったと実感するのが、大きなストレスになるようです。なんでこんなことができなくなっちゃたのかしら、と自分の衰えを認識することが、老いや病への不安を増大させます。これならできそう、ということをやってもらうよう配慮が必要。

2)認知症の人にとっては、自分のやったことも、記憶として定着しないので、達成感を感じるには、成果が後に形として残ることが重要です。あー、これを私がやったんだわ、と実感できるためには、一目瞭然、はっきりと結果が残る仕事をしてもらいます。

3)最近思うことなのですが、人間が満足を感じるのは、他者のために何かをしてあげた時です。若い時は自分のために時間や労力やお金を使うのが楽しいのですが、退職後のご隠居さんや、弱者とされいつも人から支えられている人たちは、人の役に立つ出来事に大きな喜びを感じるようです。

まつこのママの場合、春から秋にかけては、庭や家の裏の家庭菜園の世話を楽しみにしています。これ、上の3条件を満たしています。「草が刈られて、庭がきれいになりましたねー」、「いやー、やっぱり家庭菜園で採れたトマトは味がぜんぜん違いますねー」、「落ち葉、きれいに片付きましたねー、こうやって庭を眺めると気分がいいですねー」などなど、うめぞうが大げさにほめてくれるのもセラピー効果大です。

雪かきも、ぴったりの仕事です。「あらー、きれいに雪かきしたのねー、すべらなくて安心だわー、助かるわ―。」今週末はうめぞうが来ていないので、わたしがほめます。「お味噌汁もおいしいわー。」

しかし考え直してみれば、別に認知症の人じゃなくても、人から感謝され、達成感を得るのは気分の良いことです。アメリカ人は"Beautiful!"とか"Great!"などの賛辞を普通の会話のなかでもよく使います。日本人ももう少しはっきりと、感謝や称賛を言葉にして表現したほうがいいのかもしれません。

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2008年12月21日 (日)

冬の花

まつこです。

今日も北国はお日様に恵まれました。冬枯れの庭にも陽光がたっぷりとさしこんでいます。南天の赤、山茶花の紅、水仙の薄い黄色などが、冬の庭にわずかな色味を与えています。

Photoまつこのママは認知症になって、他の情報処理能力がぐっと後退してしまったのに比べると、家の中に花を飾るという感覚だけはまだきちんと残っています。むしろ自然をいとおしむ気持ちは以前より強くなったような印象です。茶色く色づいた葉や小さな木の実など、見過ごしてしまいそうなささやかな季節のしるしを手折ってきては、小さな瓶に活け、家の各所に飾っています。それがなかなか趣があっていい感じです。

素人が考えると、日付や名前を覚えていることよりも、色や造形などの美的な感覚を維持する方が、ずっと難しいことのように思うけれど、脳の働きというのは不思議なものです。

[これは玄関に飾られている水仙と山茶花]

日曜日の朝は、政治討論会などおじさん系情報番組がたくさん放送されます。それを見ながら「テイガクキューフキンって何なの?」という定例の質問を繰り返すママ。「景気対策と生活支援のためにみんなにお金を一律に配布するのよ」と、これまたいつもと同じ答え。「え? そんな目的のはっきりしない税金の使い方は無駄だわ。国会はちゃんと議論していないの? あの、あの・・・あの人、名前なんだっけ、あの何にも考えてない顔つきの、あの人、あんな人が首相をしているからダメなのよ・・・。」こんな会話が延々と繰り返される部屋に、水仙の甘い香りが漂っています。

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2008年12月20日 (土)

年賀状奮闘記

まつこです。

Photo今日の新潟は雲ひとつない晴天です。日本海側は11月から3月まで、鉛色の雲に覆われている日がほとんどで、こんな青空はごくまれです。

[冬枯れた庭で南天の赤い実が目立ちます]

昨年から母の様子を見ていると、気分や病状が天候によって、かなり左右される気がします。お天気の良い日はご機嫌ですが、しとしとと冷たい雨が降り続くと鬱気味、暴風雪警報が出るような嵐の夜は何も手につかずうろうろと家の中をさまよっている感じです。その情緒の変化が、認知能力にも影響を与えていることは明らかです。

今日は快晴。今朝は朝からお風呂のカビとりをしたり、お布団を陽にあてたり、大奮闘しています。このような単純で、成果がよく見える仕事は、本当に楽しそうにやります。

一方、非常に苦戦しているのが、年賀状書きです。書きかけて失敗したはがき、差出人が書いてないはがき、作りかけて挫折した中途半端な送付先リスト、2年前、3年前にもらった古い賀状が、ごちゃごちゃに折り重なっていて、収拾のつかない事態となっていました。昨晩は、私がそれを整理し、「はい、これは○○さんあてよ」と一枚ずつ確認しながら、ママが書く様子を見守りました。

うーん、来年はもう年賀状は無理かもね・・と、まつこの内心の懸念を察する気配もなく、一枚書くごとに、それぞれの人との思い出を長々と話すママ。かなり時間がかかります。世間の喧噪と切り離されたように、ゆっくりゆっくりと時間が流れている年の瀬です。

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2008年12月14日 (日)

愛馬の復活

まつこです。

今週末の新潟は曇天です。昨日は、かかりつけ医の先生のところに母を連れて行き、インフルエンザの予防接種を受けてきました。「インフルエンザ予防接種?私、昨年も受けなかったからいいわ」と先週まで言っていたのですが、今週はどこかで記憶の回路がつながったらしく、「今年はまだインフルエンザの予防接種受けていないわ。早く受けたほうがいいわね」と言い出しました。

この「回路がつながった瞬間」をとらえることが重要です。もともと頑固な性格なので、いったん思いこむと、なかなか理屈や説得は通用しません。(え?「まつこも全く同じ性格だ、がんこ遺伝子だよー」とうめぞうが言っています。)

午後から夕方にかけては町内会の雑務。まつこのママは今年は町内会の班長さんなのです。昨年の暮、「来年は班長の順番がまわってくる」と言い出した時、私は少し反対したのですが、ママは「住民として果たすべき責任である」と正論を主張し引き受けてしまいました。

新年の町内の集まりでは、「私は認知症なので、いろいろ間違えるかもしれませんが、よろしくお願いします」と宣言までしてしまいました。おばあちゃんの冗談だと思って近所の方たちが暖かく微笑するのを見て、「本当なんです。お医者様からお薬ももらっています」と根拠を提示。このあたりの主張の強さが確かに「がんこ遺伝子」の働きかもしれません。

かくして、1年間、まつこがサポートしながらママは班長さんの仕事をしてきました。東京ではマンション暮らしのまつこ。地域密着型の田舎の生活で、町内会の仕事がこれほどまでにたくさんあるとは想像していませんでした。広報誌や各種お知らせの配布、資源ゴミ回収のマナー監視、各種募金、季節行事などなど。お知らせ配布などの単純労働はママがやり、お金の徴収などめんどくさいことはまつこが週末にやってきました。

昨晩は班長さんなど、地域コミュニティの役員が集って、年度引き継ぎの相談でした。みなさん、私の予想を超えて、はるかに熱心に議論しておられました。認知症宣言したまつこのママを、特別扱いするでもなく、普通に仕事を任せる地域住民の方たちの生活感覚の健全さも実感しました。町内会を維持するには、こういう仕事を引き受けなければならない煩雑さはありますが、老いた人や病んだ人を地域で支援する社会ネットワークの機能があることを、再認識した1年でした。

慣れない町内会の会合から帰って、やれやれとホッとするまつこの目に、ふと映ったのはコンセントを抜かれて長いこと使われていなかったJobaです。昨年、週末介護を決めた時、自分の健康管理のため、それにママにも使わせればリハビリ効果があるかもなどと思って、ボーナスで買いました。ちょっと高い買い物でした。昨年の今頃、大評判だったんですよね。この流行には乗ったものの、Jobaには乗っていないという人、まつこ以外にもたくさんいると思います。

Photo[愛馬はずっと待っていてくれました]

そこで久しぶりに愛馬にまたがり、耳にはiPod、夜中のエクササイズです。あぶみに足を乗せず、手も離して乗ると、結構な運動になります。今朝はかすかな筋肉痛。そうです、高い買い物だって頻繁に使えば安くなります!これから毎週末やろう、と決意を新たにしているまつこです。

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2008年12月 7日 (日)

雪の朝

まつこです。

朝、目を覚ますと、シーンと静まり返っています。雪です。車の交通量が減り、まるで雪が音を吸い込んだように、いつもより静かな朝は、カーテンを開ける前から雪が積もったとわかります。

1ママは「初雪ね」と言うのですが、しかし1週間くらい前にも電話で「今日は庭が白くなったわ」と言っていました。このあたりが認知症の認知症たるゆえんです。多少のことは「ま、どっちだっていいわ」と内心パスする鷹揚さが肝心。

[初雪・・・かな?]

No3 朝は曇っていて灰色の景色だったのですが、朝食を終えると陽がさしてきました。そうなるとうっすらと積もった雪が、いっせいにきらきらと輝きだします。

[朝日でキラキラと輝く雪]

物置からゴム長靴を持ちだしてきて、ブーカブーカと大きめのゴム長を引きずりながら、雪景色の中を散歩してみました。サングラスがほしいほどまぶしい、美しい景色です。雪国の冬は長く厳しいのですが、こんな瞬間は、その厳しさを忘れてしまいます。わずかな雲の隙間から射しこむ陽光や、久しぶりに見る青空を見た時の、心からの喜びは、病んでいる人の笑顔を見た時の気持ちに似ています。

先日、ママが「私も昔はこんな文章が書けたのね。なんか気取った文章だけど」と照れくさそうにしながら、中学校の数学教師をしていた頃、卒業文集に寄せた短文を見せてくれました。

確かな年輪を刻んで

 「雪深い冬を耐えて育つ木は、きめが細かく、建てた家は一分の狂いもない」と聞く。一つの年輪のうちに雪の中で過ごす静かな日々が必ずある。その静けさの中で一分の狂いもないエネルギーを蓄える。

 雪に耐えることは卑屈の服従でもなく、片意地張ったつっぱりでもない。細胞の一つ一つは確かなものを求めて力強く息づき、決して裏切ることのない自然を信じて春を待つ。

 暖かい土地では三十年で大木に育つ木も雪のこの地では五十年もかかるかもしれない。

 でも雪の冬を過ごすゆえ、この確かさを持つ。

 この地に根をおろし成長してきたあなたにも、雪に耐える木の強靭さと、たおやかな心を見ることができるであろう。あなたの輪郭にこの木を重ね、柱となり梁となることを。

自然に対する敬意を持ち、70余年の日々を雪国で実直に生きてきた母、その人生の終盤を、私もまた謙虚さを持って静かに見守りたい、と決意を新たにする雪の朝です。

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2008年12月 6日 (土)

ママ・スイッチがオン

まつこです。

ウメマツ中隊はウメとマツに分隊し、まつこだけが新潟に移動、うめぞうはそのまま自分の実家で両親と今週末は過ごします。東に老いたる父母あれば、行って誕生日を祝い、北にボケたる母あれば、行って大丈夫かと励まし・・・、東奔西走です。

Photo[新潟、寒いです。山茶花だけが健気に咲いています]

「たいへんね・・・」と言ってくれる人が多いのですが、こんなふうに親の世話ができるのも、私たち自身が健康や仕事に恵まれているおかげです。実際、まつこの新潟通いの交通費はバカにならないのですが、この不況下にあって、自分のお洋服や旅行を我慢すれば、遠距離介護の交通費が出せるのは、感謝すべき状況だと思います。

さて中11日開いて再会したまつこのママの様子ですが、あまり変わりがなく安堵しました。血糖値や血圧と違って、認知症はその日の具合を数値で測ることができません。顔の表情や会話の内容などで、日々の調子を見定めるのですが、その他にまつこのママの場合は、調子の良し悪しを測るインデックスが一つあります。

それは「料理をする意欲」です。絶不調のときは何もする気が起きないので、まつこが全部用意します。ほぼ1週間分、まつこが日持ちのしそうなおかずを作り置いておき、それをママが食べつないで次週のまつこの来訪を待つという状態です。

ややマシなときは、料理をしようとはしてみるものの、調味料の入っていない炒め物を作ったり、おかず1品だけで、お味噌汁もなく、冷凍ご飯をチンして、それで終わりという具合です。金曜日の夕刻、新潟に到着してこの状態に遭遇すると、まつこ、いささか焦ります。

調子の良いときは、「あなたは仕事で忙しいんだから、新潟にきたときくらいはゆっくりしなさい」と「ママ・スイッチ」がオンになります。こういうときはスーパーまで出かけ、あれこれ買い物してきてお料理を作ります。もちろん以前のようなママの味は期待できず、同じようなものしか作らなくなりましたが、それでも娘のために料理をしてあげたいという意欲に、まつこはかつての「元気だったママ」を思い出します(涙・・・)。

昨晩は「ママ・スイッチ」がオンでした。煮魚、ポテト・サラダ、なめこのお味噌汁、お刺身。私の好きな銘柄のコーヒー豆も買っておいてくれました。絶好調です。

好不調の波と外的要因の関連は今まで1年間観察していても、よくわかりません。サプリメントのフェルガードを飲み始めて2か月目に入ったのですが、その効果が出ているのかどうかもよくわからないです。今週は庭の手入れにシルバー人材センターの人たちが来てくれたので、その刺激があったのかも知れません。

ただひとつはっきりしているのは、まつこが優しく接していると、調子が上向くということです。交通費や時間の余裕も必要ですが、優しくできる心の余裕が何よりも必要だと、改めて思うのでした。

Photo_2[藪のような庭ですが、シルバー人材センターの人たちが「雪囲い」してくれました]

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2008年11月29日 (土)

家事の腕前

まつこです。

今週末は仕事のため、新潟に帰省できません。このように帰省できない週末は、大阪にいる弟夫婦か、群馬にいる伯母に、母と一緒に過ごしてもらうよう頼むことが多いのですが、今回は母が「一人でも大丈夫よ」と言うので、特別シフトを組みませんでした。いつも平日は毎日2回、朝NHKの『だんだん』が終わった頃と夜9時頃、母に電話をして様子を聞いているのですが、今日はそれに加え昼にも電話しました。

とにかく不安を感じさせないこと、誰かに支えられているという安心感を持ってもらうこと、これが認知症の症状を抑え、進行を遅らせるために、今のところ私たちにできる唯一のことです。電話でできるだけのんびりした口調で、なんでもない些細な出来事でもできるだけ笑いを交えて話すようにしていると、母の声の調子も明るくなります。

最近はこちらが実は仕事でかなりせっぱつまった状況でも、電話の口調だけはゆったり、という技を身につけました。パソコンのキーボードをカタカタとたたき、眼は血走って、視線はディスプレイの上を激しく動かしながらも、受話器を顎で押えて、「わたしよぉー、どうかしらぁー、今日の調子は? ふぅーん、スーパーまで出かけたのぉ? 何かおいしそうなものあった? あら、サンマ、いいわねぇー・・・」みたいな調子で話し続けます。そろそろ会話も終わりという最後の30秒ほどは仕事の手を休め、電話の会話に専念します。

いつまででもママの話し相手してあげるわ、という調子で話していると、電話はせいぜい長くて10分、早く切り上げて仕事に専念したい、という気持で話していると、どうもそれが伝わるのか、同じ話をぐるぐるぐるぐる回転し続けることになってしまうようです。

というわけで今週は久しぶりに東京で過ごす週末です。今日は時間に余裕があったので、美容院に行きました。美容院に行くと言うと、うめぞうが「帰りにデパート寄るなら買ってきてほしいものがあるんだけど・・・」と言います。何かと思ったら、サラダ用の水切りでした。回転させて遠心力で水を切るタイプのものです。我が家のはもう10年以上使っているのですが、最近調子が悪く、うまく回転しないのだそうです。

「うまく回転しないのだそうです」って、まるで他人事みたいな口調ですが、実はまつこはこのところ仕事がなかなか終わらず、帰宅が遅くなりがち。朝食に加え、夕食まで、うめぞうが引き受けてくれています。冷蔵庫の中身を把握しているのも、洗剤の買い置きの残りがあといくつか知っているのも、断水のお知らせがきたことを知っているのも、全部うめぞう。水きりの調子が悪くなった不便を切実に感じているのもうめぞうでした。主婦(夫)の座は完全に譲ってしまった状態です。

うめぞうもしばしば自分の実家に帰って、両親の家の雑事を手助けしていますが、実家ではお母さんが、「最近、うめぞう(ここもちろん本名で)は家事の腕前を上げたわねえ」と感心しているそうです。お義母さんは決してヨメに対するイヤミを言っているのではなく、率直に息子をほめてくれているのですが、まつこはちょっと肩身が狭い。うーん、せめて使いやすそうな水きりを買ってきてあげよう・・・。

Photoというわけで買ってきたのはOXOの「サラダ・スピナー」。たまにはこれでおいしいサラダを作ってあげよう、と心に誓ったまつこでした。

[軽やかにスピンしてなかなか調子よさそう]

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2008年11月23日 (日)

アルツ哲学入門

うめぞうです。

まつこは、アルツのおっかさんの同じ話を何度も聞いて、少々気が滅入る時もあるようですが、私はその点では、もとい、その点でも、よくよく鈍感なのか、ほとんどストレスを感じません。よく「うめぞう、あんたはえらい!よくもまあ、それだけ、はじめて聞いた話のように相槌を打ったり、感心したりして聞けるもんだ」とまつこはあきれ顔で褒めてくれます。ムコ・ノーベル賞候補にまで推してくれる理由も、主にその辺の業績が評価されているようです。しかし時には心配そうに「ひょっとして、うめぞう、何度も聞いていること、忘れているんじゃないだろうね・・・」とアルツ2号誕生を恐れているふうです。

とんでもない。わたしだって、ハンカチをトイレに落とした時、母親が「そんなことでもなけりゃ、新しいハンカチなんかなかなか買ってもらえないんだから」と慰めてくれた話、この母君の曾祖母が彦根から嫁にきた家老の娘で、雪国がいやで四谷に移り住んだら、お化けが出たので舞い戻った話、少なくとも数十回は聞いていますよ。

ではなぜ、私がストレスを感じないのか。まずなんといっても、まつことは接触時間がまったく違いますし、実の親子でもないので、余裕をもって接することができるというのが一番大きな理由です。そしてこの母君がウィットに富み、リベラルで辛口なまつこと同じタイプ、つまりは私の好みの女性であるというのが第二の理由です。ですから私がとくべつ能力があるわけでも、偉いわけでもありません。

しかし、今日は、いままでまつこにも言ったことのない第三の理由を告白することにします。ちょっと誤解される可能性があるので、今まで口にするのがはばかられたのですが、実は私がストレスを感じないのは、この母君を、ちょっと失礼かもしれませんが、ひとつの哲学的関心をもって観察し、研究しているからなのです。時には不謹慎にも、小さな実験も行います。それは実に興味津津、現代哲学の最大の謎に接している知的興奮すら覚えます。

たとえば私は、その間に、母君がパターン化された想い出話しをし始めると、どこかの時点で、ふいに表情が豊かになり、元気が出て、それと同時に、表現にめりはりがつくようになることを発見しました。ただしそれは単に「近所の人がおかずをもってきてくれた」、「今日は御寺様が月行に来てくれた」、といった日常会話の中では起きないことなのです。そこには少なくとも二つの必要条件があります。ひとつはそれが「幼少期から思春期までの思い出話である」という要素。もうひとつは、それが「パターン化された物語としてそれなりに完成されている」という要素です。そしてこの二つが、物語っている母君に「表情」の豊かさと「表現」の豊かさを生み出すのです。

こういうと皆さんはちょっと疑問を抱くかもしれません。「パターン化されている」ことと「表現の豊かさ」とは矛盾するではないかと。私も最初はそう思っていました。しかし、パターン化されているにもかかわらず、実はよく注意して聞いていると語り方には微妙に毎回、違いがあります。たとえば、例の四谷でお化けに出会ったばあさんですが、通常のヴァージョンだと、田舎に舞い戻るときに、「この曾祖母の息子の嫁さんが、この家老の娘のことを、彦根から毛やりをふって嫁に来たから、なんでもヤリっぱなしなんだと言ってね」というフレーズと笑いが入ります。しかし、時にはこのフレーズが入らないこともあります。そんなとき、うめぞうはとっさに「ああそういえば、なんかケヤリがどうのこうのって話、ありましたねえ」とか、「ケヤリ振ってきたのは、その方でしたかねえ」という相の手を入れます。相の手を入れるこの行為は、この物語に新しい地平を開き、忘却の中から毛槍の家老の娘を呼び出します。実は、この技がまつこには苦手なのです。

相の手はパターン化されたものからあまり逸脱してはいけません。ちょっといつものヴァージョンから、かけているものを、さりげなく補ってやるのです。するとどうだ。ぱっと表情が明るくなって、毛槍の話が入りますが、そこから思いもかけない方に話が飛んで、今まで聞いたことのない新しい話が始ったりします。

「幼少期の思い出」「パターン化された物語」「表現の多様化」「相の手を入れる聞き手の問いかけ」「表情の豊かさ」「新しい物語の創出」。ここには何か、記憶力の喪失をただ嘆き、実用的な目的連関の中にもう一度母親をひき戻そうとするような努力を笑い飛ばす究極のユーモアがあります。わたしはそれを心から楽しみ、人間の素晴らしさ、面白さ、不思議さを日々味わっているわけで、ほとんどストレスなど感じないのは当然のことなのです。記憶力がどんどん落ちて行った時、実用連関では不便なことが増えるとは思いますが、これらの物語がいったいどんなふうに単純化されていくのか、不安な想像をするまつこをしり目に、うめぞうは知的好奇心をかきたてられているのです。

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2008年11月22日 (土)

失言の報い

まつこです。

今週末も新潟に来ています。重くたれこめた鉛色の雲の切れ間から時々青空がのぞきますが、いよいよ冬の到来。庭木もすっかり葉を落としてしまいました。

Photo[最後の一葉、11月2日の写真と同じ木です]

まつこのママの調子は比較的安定しています。フェルガードの効果かどうかは判然としませんが、表情も明るく、ウメマツとの会話を楽しんでいます。

認知症初期の人と接するとき困るのは、とにかく同じ話を繰り返しがちになること。まつこのママの場合は、子供のころ、特に戦時中の思い出話が多くなり、どのエピソードもまつこはもう100回くらい聞いています。病気のせいとわかっていても、かなりうんざりした気分になるものです。

物資が極端に不足していた小学生時代、学校のトイレにハンカチ落として真っ青になって帰宅したところ、母親(まつこのおばあちゃん)に「ハンカチなんてなくしたり落としたりするものよ」と慰めてもらってうれしかった・・・という話は、もうおばあちゃんの口調でその部分を真似できるほど、たぶん200回以上は聞いています。

そんなママが病気の気配も感じさせないほど冴えわたった発言を連発するのは、テレビのニュース番組の政治ネタに接した時です。「いやねえ、この人、一国の首相がこんなことでいいのかしら。人を見下しているだけで、何にも考えていないわ。この表情を見ればわかるわよ。一目瞭然、誰にだってわかるわ」と、舌鋒鋭く切り込んでいます。

このママの批判の俎上に載せられたのは、外相時代、中国へのコメ輸出問題に関し、「アルツハイマーの人にでもこれくらいはわかる」と失言したあの人です。そうです、ママはアルツハイマーです。この人の首相としての適性の有無は、アルツハイマーの人にでもわかるくらいはっきりとしているようです。

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2008年11月 8日 (土)

お薬カレンダー

まつこです。

一人暮らしのまつこのママ。アルツハイマーの初期と診断されてから1年2か月ほど経過しました。今のところ、買い物、食事、掃除などの日常生活では、それほど大きな支障が出ていません。病気の進行を遅らせるアリセプトを毎日1錠服用していますが、心配なのはそのお薬の飲み忘れです。そこで対策としてメモ欄のついているカレンダーを買ってきて、そこに1日1錠ずつ、お薬を貼ることにしました。このカレンダーで、これまでだいたいうまくいっていました。

1 これが毎日飲んでいるアリセプト

最近、朝日新聞(2008年10月27日)でフェルガードというサプリメントに含まれている成分が認知機能の低下を抑制するという臨床試験結果が報道されました。フェルガードについては、それまでも他の方たちのブログなどを通して、少し関心を持っていたのですが、医学的に効果が立証されていないものを使うのには躊躇があって、母に服用を勧めてはいませんでした。臨床試験で効果が認められたのであれば、さっそく使ってみようということになり、取り寄せました。

とりあえず説明書きにしたがって朝晩1包ずつ飲んでもらうことにしたのですが、はたしてそれをママが覚えていられるかどうかが不確かです。この他にもママは、夜、便秘予防のため酸化マグネシウムの錠剤とビフィズス菌も飲んでいます。なんだか混乱しそうなので、お手製の「お薬カレンダー」を作ることにしました。朝、晩に欄をわけて、そこに服用するお薬を貼りつけるという方式です。まずは欄を大きめにとったカレンダーをエクセルで作ります。A4に1週間分です。

2 朝と夜の欄は別々に

忘れてしまいそうな資源ゴミの回収の予定なども書き込んでおきます。その上からベタベタとお薬やサプリメントを貼りつけておき、それを飲むために剥がすと下から、書き込まれた予定が出てくるという仕組みです。朝晩、横一列に飲めば良いので、間違えにくいようです。

3 サプリメントを貼りつけたところ

まだ始めてから1週間ですが、今のところはうまく機能しています。「いずれ、一人暮らしはできなくなりますよ」とお医者さんにも言われていますし、根本的な治療法がない以上、これから先はだんだん進行するのは仕方ありませんが、ママが自立した生活を一日でも長くしていられるよう、あれこれ工夫してみたいと思っています。

うめぞうは今週末は自分の実家で両親と過ごしています。うめぞうのお父さんは90代、お母さんは80代。二人ともお元気です。まつこのママは70代ですから、老化というのは個人差があるものだと改めて思います。ウメマツは一回り違いの年の差夫婦ですが、うっかりうめぞうを追い越して老けこんでしまわないように、がんばって若づくり――いや心身のアンチエイジングに励まなければ。

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2008年11月 2日 (日)

ノーベルおムコさん賞

まつこです。

昨日、11月1日はまつこのママのお誕生日でした。73歳ですbirthday。まつこのママは新潟県日本海沿いの小さな町で一人暮らしをしています。昨年9月、もの忘れがひどくて不安だというので、もの忘れ外来を受診したところ、アルツハイマーの初期と診断されてしまいましたweep。その直後、入院中だった夫(まつこのパパ)を亡くし、精神的に落ち着かない様子で認知症の症状も若干出始めたので、以来、まつこは毎週週末には東京から実家に来て、一緒に過ごすようにしています。昨日は誕生日のお祝いをするため、うめぞうも一緒にきました。

いろいろなところに書いてありますが、アルツハイマーは記憶力が徐々に失われる病気です。診断をしてくださったお医者さんも言っておられましたが、記憶力以外の部分まで失われるわけではなく、記憶力という理性的思考の基盤が弱まる分だけ、喜怒哀楽の情緒はより鋭敏になるようです。不安感や恐怖感をできるだけ減じるよう環境を整えることで、進行を遅らせ症状の出かたをやわらげることができる、とのことでした。

当初まつこは「ここは愛の力で進行をとどめてみせる」と張り切ったのですが、仕事を月曜から木曜に集中させ、毎週、新幹線で遠距離を通ううち、"eye bag"がぶよーんと垂れ下がり、次第に疲れのたまった不機嫌な表情に・・・pout。ママは5分前に自分で言ったことを忘れて聞き返すことや、壊れたレコードみたいに同じ話を繰り返し、昔の思い出話ばかりをすることが増えてきました。最初は優しく「そうだねえ」と聞いていても、だんだんイライラしてきて語気荒く「そう」と無愛想な返事をしてしまいがちになります。そうするとママの表情も不安そうになり、焦ってますますしつこく同じ話をするという悪循環。「まずい」と内心思うものの、こういうときの気分転換は容易ではありません。

そこで、じゃーん、うめぞう登場。ムコ殿と話すときには、ママも少し見栄をはり、しゃっきりとした気分にもなるようです。心優しいうめぞうは同じ話を何回繰り返されても、「あー、そうなんですか」「へえー」と優しく相槌を打ち続けてくれます。ママが「私、なんだかぼけていくみたいで不安なの」と言うと、私なら「あんまり心配しても仕方ないよ」くらいしか言えないのですが、ムコ殿は「お義母さん、大丈夫、ぼけちゃったとしても僕たちがみんながついているから安心していていいですよ」と明るい笑顔で言ってくれます。それを聞いてママも「そうよね、ぼけちゃったらぼけちゃった時よね」と笑い出します。

うめぞう、あんたは偉い!君には『ノーベルおムコさん賞』を授与しますcrown。靴下を丸めたまま洗濯機に入れることも、汗まみれのスポーツウェアをうっかり鞄に入れたまま出し忘れることも、みんな許してやろう。認知症に限らないと思いますが、老いた人や病んでいる人とともに過ごすと、ついつい不安や苛立ちが連鎖的にひろがっていってしまいがちですが、それを断ち切るのは健全な鈍感力と笑顔です。一緒に不安に同調するのではなく、まあ、なんとかなるよ、と言ってくれる良い意味での鈍重さ(包容力と言うべきか?)に、ほんとうに救われます。うめぞう、ありがとう!

私たちからママへのプレゼントはお花と冷蔵庫。冷蔵庫は財布にちょっと痛かったのですが、今までのはもう15年くらい使っていて古くなっていたし、それに認知症がこれ以上進むと新しいものには適応できなくなる可能性が高いので、思い切って購入しました。フリーザー、冷蔵室、野菜室の位置関係が変わったのですが、今ならまだ覚えられるでしょう。バースディのディナーは、鯛のカルパッチョ、ステーキ、ブロッコリーのグラタン。ママもおいしそうに食べていました。ウメマツ二人は赤ワインをちょっと飲み過ぎ、今朝は二日酔い気味です。

Photo_6 ママへのプレゼントの小さなブーケ

Photo_7 新潟はもう晩秋です

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