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2021年8月16日 (月)

夏休み読書感想文 ダニエル・デフォー『ペスト』を読んで

まつこです。

夏休みといえば読書感想文。

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[平井正穂訳で読みました。原文で読まずにゴメンナサイ(?)]

武田将明訳(2017年)、中山宥訳(2020年)の新訳もあるのですが、今回は平井正穂訳で読みました。たぶんもともとは1959年に筑摩の世界文学体系に収録されたものだと思います。たまに前の世代に属する平井氏のような、少し古めかしくて格調高い日本語に触れると、自分の日本語感覚を若干軌道修正できるような気がします。デフォーの場合は、即物的なジャーナリスト的側面がある一方で、非常に信仰厚いプロテスタンティズムが著作の根底を支えているので、聖書への言及や引用も多く含まれています。文語訳聖書からの引用が地の文に馴染むのは、やはり平井訳の硬質な文体です。

このデフォーの『ペスト』(A Journal of the Plague Year)の描く疫病に苦しめられるロンドンの生活が、パンデミック下の現在といかに重なりあうかは、昨年からしばしばいろいろなところで論じられています。病の苦しみや死の恐怖だけでなく、防疫のための自由の制限、経済の退潮と人々の困窮、行政による貧困支援、デマに踊らされる大衆心理など、17世紀も21世紀も、感染症に襲われた社会でおきる問題の構造はまったく同じです。無症状者が感染に気がつかずに病気を広げてしまうことが問題だという、デフォーの指摘はそのまま今日でもあてはまります。「だから、もっと徹底的にPCR検査をして無症状感染者を特定することが重要なんだ!」と科学者が力説しても、なかなか検査を拡大しようとしない日本の行政の判断は、デフォーが持っていた近代的合理主義に及ばないということでしょう。

延々と続くと思われた苦しみも、やがて感染が収束する日がきます。新しい薬も新しい治療法もないまま、事態は好転します。今なら「集団免疫が獲得された」と言うところでしょうが、デフォーの時代は「神の、あの見えざるみ手のなせる業」と受けとめられました。デフォーはこの感染収束を過去の記録として描いているのですが、結末はしかし、苦々しいものです。これだけの悲惨な経験をしながら、あっというまに神への感謝も敬虔さも忘れ去ってしまう大衆に冷ややかな一瞥を投げかけて、長い長い記録は終わります。

「彼ら神の頌美(ほまれ)をうたえり、されどしばしがほどにその事跡(みわざ)を忘れたり」

この旧約聖書からのデフォーの引用が、現代にも再び思い出されるとしたら、コロナ収束後、何もなかったかのように、またあっけらかんと、人類の可能性を楽天的に信頼し、経済発展や科学技術開発をめざす姿勢が、あっというまに戻ってくる時でしょう。「いやー、コロナ終わってよかったねえ。え、次の感染症のリスク? また新しいワクチンできるから大丈夫でしょう!」そんな会話がすぐに聞かれるようになるだろう、というのがデフォーの記録の、時代を超えたもっとも鋭い洞察でしょう。

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コメント

感想文拝読。パンデミックという語が使われ始めてすぐ私も平井訳を買ったのですが、未読のまま・・・。(カミュは再読したものの加藤秀造も積んであり。)なのでとても参考になりました。とてもプラグマティックな面が多いのですね。
それにしてもコロナや政府の無策を嘆いている間に、気づいたらもう8月もあと1週。驚くばかりです。オープンキャンパスや保護者会(オンライン)も先週から始まり、もはや後期に入ったも同然。なのに酷暑続きでため息です。
対面で会えるのはいつのことやら・・・。希望をもって待ちたいです。

Mochaさん、コメントありがとうございます。

カミュの『ペスト』も新訳が出ていますが、今のところ積読です。夏休み中に読めるかと思っていたのですが、あっというまですね。私もオンライン・オープンキャンパスの担当に当たってしまいました。空っぽな教室でカメラに向かって、営業用の笑顔をまじえつつ模擬授業・・・かなりabsurdな風景だなあと内心思いながら(笑)。授業再開まであとしばし、面白い本でも探しながら、酷暑をのりきりましょう!

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