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2020年1月29日 (水)

カラヴァッジョ展

まつこです。

学期末で山積みになったレポートやら試験答案やらを採点しなければならないのですが、そこから逃げ出すようにうめぞうを伴って大阪に行ってきました。目的はPukiちゃんとのオフ会(Pukiちゃんのご両親と碁も打ちました)、そしてカラヴァッジョ展です。印象が薄れないうちにカラヴァッジョ展について書いておきます。

今回、特に見たかったのは『法悦のマグダラのマリア』。

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[1606年、個人所蔵]

複写や模写もたくさんある有名な絵です。画集などで見ながら、かなりエロティックな絵だろうと想像していました。「この絵がどれだけエッチっぽいのか実物を見て確かめたい」というゲスな気持ちが、わざわざ大阪まで出向いた動機でした。

しかし実際見てみたら、第一印象は「死にかけてる?」。顔色が青味を帯びていて、ほとんど閉じかけている目からは涙が流れおちそうになっています。宗教的にせよ性的なものにせよ恍惚状態の喜びというより、生と死の境目の不気味さが描かれているように見えました。

一方、エロティシズムが感じられたのは『洗礼者聖ヨハネ』。

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[1609-10年、ボルゲーゼ美術館所蔵]

この物憂げな表情と力ない姿勢は、なにやら情事のあとの気だるさを感じさせるような・・・。聖ヨハネを描くのに、羊飼いの少年をモデルにして、その少年となにかあったんじゃないかしらと勘ぐってしまいます。私の目にはどう見ても洗礼者には見えません。直情径行型の画家に強引に口説かれた田舎の少年といったふうに見えます。そこにあるのは愛情というより肉欲。

この絵は逃亡生活の間もずっと持ち続けていて、死の直前まで手放さなかったそうです。カラヴァッジョにとって大切な絵だったのね。いよいよあやしい。

カラヴァッジョの絵の魅力は、しかし、そういうあやしい危険性にあるのではないでしょうか。半死半生の瞬間とか、少年への欲情とか、一般には視線をそらしてしまうようなものを、あえて直視する強い精神が、これらの絵には共通しているような気がします。俗に堕するギリギリのところでこらえているのは、皆が見たくないものをえぐり出して見せる、突き抜けたリアリズムがあるからでしょう。

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[1605年、ボルゲーゼ美術館所蔵]

今回、大阪でのみ展示されたのは『執筆する聖ヒエロニムス』。こちらもラテン語聖書を執筆した聖人の偉業を称えるというより、髑髏のうつろなまなざしに射すくめられながらも、黙々と自らの仕事に生きる「老い」をとことんリアルに描いています。

やっぱ、いいわ〜、カラヴァッジョ。これを機会にカラヴァッジョについてはもう少し勉強してみたいと思っています。

 

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