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2018年7月29日 (日)

夏祭り

まつこです。

先日、東京メトロの飯田橋駅に忘れ物の傘を取りに行ったあと、神楽坂で夕食をとろうと駅の外に出てみるとすごい人、人、人・・・。

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[浴衣姿の人がけっこうたくさんいました]

神楽坂祭りの初日でした。外国の人や浴衣姿も目立ってにぎやかです。

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[へぎそばとか獺祭とか魅力的な屋台が並んでいます]

このお祭りの屋台は、神楽坂の料理屋さんが出店しているので、クレープとかワインとか、おいしそうなものが並んでいました。

列に並ぶ若さも忍耐力もない私たちは、いつものビストロ、サクレ・フルールへ。

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[ステーク・フリットがおいしい肉ビストロのサクレ・フルール]

若くない・・・とか言いながら、お肉はペロリと二人で450グラムいただいてしまいました。

食事を終えて外に出ると、人混みはますます増えていました。にぎやかでみんな楽しそうです。

でも、こういう夏祭りの喧騒の中を歩いていると、ふと寂寥感を感じるのは私だけでしょうか。暑い夏の一日が終わり、赤い提灯が並び、宵闇を人々のざわめきが満たしている。その祭りの歓楽がつかのまのものであることを、誰もがわかっていて、わかっているからこそ、今こそ宴を楽しまなければと皆が陽気に振舞っているような気がするのです。神楽坂の路地の暗がりにしゃがみこんでお酒を飲みながら笑っている若者たちの楽しそうな姿にも、ちょっとそんな翳りが忍び込んでいる・・・。

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[我が家から小さく見える隅田川の花火]

夏祭りのさなかのこのちょっと切ない感じは、花火を見るときにも感じられます。今日は隅田川の花火でした。我が家からも遠くにその様子が望めます。芥川龍之介三島由紀夫の「舞踏会」という短編に「我々の生のような花火」という一節があったのを思い出します。

夏祭りも花火も人生も一瞬の輝き。だからこそ飲み、歌い、笑うのかもしれません。

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コメント

予期せぬ形で、思いがけずに出会う祭りって、非日常の空間に紛れこむような感じでいいですよね。バス停降りたら、いきなり祇園祭の鉾が出現していたり、通りがかった路地で地蔵盆が行われていたり、偶然花火が遠くに見えたり・・・と、祭りに対してはどこまでも傍観者的な私です。。。

Pukiさん、コメントありがとうございます。

「地蔵盆」とはなんぞや、とネット検索してしまいました。近畿地方が中心の行事のようですね。祇園祭はたいへんな人混みでしょうから、通りかかりに遠巻きに眺める程度の方が、風情が感じられるのかもしれませんね。京都在勤の人の特権ですね。私は五山の送り火を見たことがないので、その時期に一度行ってみたいなあ、と思っているのですが。その頃にはそろそろ暑さも一段落でしょうか。

全くの他人です。とても楽しみに読ませていただいております。読み終えた余韻も大好きです。私の方が少々年寄りです。「舞踏会」は芥川龍之介だったような気がするのですが。

森田登代子さま、コメントありがとうございます。

とりとめのない雑記を読んでくださり、ありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。「舞踏会」、芥川でした。失礼しました。ご指摘ありがとうございました。たしか高校の現代国語の教科書で読んだような気がしています。40年も前のことなので、記憶もあいまいですが、花火を見るたび、そのかすかな記憶がよみがえってきます。

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