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2017年6月18日 (日)

本郷中央教会

まつこです。

マルティン・ルターが「95カ条の論状」で、宗教改革の火蓋を切ってから500年。ドイツのヴィッテンベルクでは大々的な記念行事が行なわれているようです。

今日は東京の本郷中央教会でもささやかな記念のコンサートが催されました。

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[建物は登録有形文化財だそうです。写真は教会のFacebookより]

この教会は『三四郎』の終盤にも出てきます。三四郎が借りた金を返し、嫁いでいく美禰子への恋心を断ち切る場面です。自分に想いを寄せていたウブな青年に向かって最後につぶやく、「我はわが咎を知る。わが罪は常にわが前にあり」という言葉は、『旧約聖書』の詩篇の51章です。インテリ女性美禰子らしいキザなセリフではありますが、田舎出の若者の淡い恋をかきたてたことが、女の「原罪」とされてようで、気になる部分です。

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[教会の内部。建物の2階が礼拝堂になっています。立派なオルガンもあります。写真は教会HPより]

漱石の時代の建物は関東大震災で壊れてしまい、現在の教会は1929年に建てられたものです。この再建の際に購入したらしい1929年製のスタインウェイのピアノの音を聞く、というのが今日のコンサートの趣旨でした。

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[こちらが90年前のスタインウェイ。直しながら長く使われ続けているピアノです]

演奏してくれたのは山田康弘さんというオルガンやピアノの演奏家です。音楽家特有のジストニアという病気になってしまい、右手が不自由なのだそうですが、リハビリを続けながら演奏活動をなさっているそうです。

山田さんは演奏の前に楽曲の解説をしてくれました。平均律クラヴィーアで「十字架」をバッハが4つの音で表そうとしたことや、ベートーヴェンの「熱情」の出だしの和声がとてもわかりやすいことなど。「複雑に響く古典音楽の中に単純なものが含まれている。それは聖書と同じ。わかりやすい物語の中に、複雑な教えがある」と語っておられました。

演奏はときとして、手の不自由さを感じさせるものでしたが、誠実に演奏する姿勢の中に、音楽への愛や敬虔さが感じられて、宗教改革500年の記念行事にふさわしいコンサートでした。

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コメント

そうなのですか、ここがあの教会なのですか!「三四郎」も美禰子も好きなのに、全然知らなかったです。木造の内観も美しいです。

Pukiさん、コメントありがとうございます。

礼拝堂をとりまくガラス戸の桟が少し和風な雰囲気で、面白い建物ですよ。

本郷界隈も風景が変わって、文学散歩の面白さを実感しにくくなっています。『三四郎』に出てくる「かねやす」もずっとビルになってしまいましたし。東大の中の三四郎池だけかな、変わらないのは・・・。

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