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2017年1月 2日 (月)

プロスペローの罪

まつこです。

うめぞうをひとりぼっちで帰国させ、イギリスまでやってきたのはどうしても観たい芝居があったから。RSCの『テンペスト』、サイモン・ラッセル・ビールの演じるプロスペローです。

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[木の幹に閉じ込められたエアリエル]

今回の『テンペスト』(演出グレゴリー・ドーラン)はRSCがインテルと組んで最新のデジタル・テクノロジーを使ってシェイクスピアの魔法の世界を作り上げるという企画でした。凝ったデジタル映像と舞台の組み合わせはもう珍しくはありません。でもストラットフォードの三方から観客が取り囲むステージにどんなふうに映像を組み込むのか、RSCがデジタル・テクノロジーを導入して演劇の新しい可能性を提示できるのかどうか、それを実際に見てみたかったのです。

それよりもどうしてもサイモン・ラッセル・ビールのプロスペローを観てみたかった。2年前にリアを演じ、今年はプロスペロー。シェイクスピア劇の主なる役はこれで終わりです。自分と同い年の名優がシェイクスピア俳優としての仕上げをするところを見てみたかったのです。

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[悔恨、苦悶、喪失感]

苦い絶望を抱え込んだプロスペローでした。地位を奪われた被害者としての嘆きではなく、自らの過ちを意識し、取り返しのつかない13年を悔い、娘も奴隷も支配しきれない無力を感じている、苦悩する一人の老人がビールの演じるプロスペローです。

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[淡々としたエアリエルと、苛立ちに満ちたプロスペロー]

エアリエルが口にする「愛」や「慈悲」という言葉はプロスペローの心を引き裂き、傷ついた動物のような苦渋に満ちたうめき声が漏れだします。

1993年、ラベンダー色の人民服に身を包み、ひたひたと無表情なエアリエルを演じたビールは、解放された瞬間、プロスペローに唾を吐きかけました。支配者に対するエアリエルの隠されていた憎悪があらわになったその瞬間に、自分を被害者であり支配者だと思っていたプロスペローの自己欺瞞がむき出しになったのです。

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[1993年、無表情の下に憎悪を隠していたエアリエル]

23年後、その同じ役者がプロスペローを演じるとき、自分についての甘い幻想はもはや許されません。国を失い、娘を失い、時を失ったプロスペローは、それが自分の過誤だと認識しています。罪を犯された人ではなく、罪を犯した人の苦しみをプロスペローは背負っていました。

モーション・キャプチャーの技術を取り入れ、エアリエルが複数のアバターに分離して舞台を飛び回るというテクノロジーは確かに斬新なものでした。しかしプロスペローの苦しみをここまであらわにした解釈もまた、『テンペスト』の上演史に新しい足跡を残したと思います

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