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2015年10月

2015年10月31日 (土)

エクレア革命

まつこです。

芸術の秋にふさわしいクイズです。この絵は誰の何という絵の一部でしょう?

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[答えはこの記事の下にあります]

パリのエクレア専門店レクレール・ド・ジェニのエクレアです。カスタード・クリームだけのいちばんシンプルなものですが、「マリアンヌ」と名前がつけられています。

「マリアンヌ」はフランス共和国の象徴する女性です。ニューヨークの(お台場にもある)「自由の女神」もこのマリアンヌの像です。

昨日、日本橋高島屋でこれを見つけました。エクレアに革命の絵なんて大げさだと思い、「なんでマリアンヌなんですか」と聞いてしまいました。若い女性の店員さんが「大阪にレクレール・ド・ジェニの一号店ができた記念です。関西に革命を起こそう!という気合をこめています」と教えてくれました。関西の王統派のみなさん、エクレア革命に気をつけてください。

もうひとつ買ったエクレアはこれ。

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[ハロウィン!]

こちらのジャック・オ・ランタンのエクレアはカボチャが練りこまれたカスタード・クリームでした。

実は私は幻のエクレアを求めて、あちこちのエクレアを試しています。生涯で食べたエクレアで忘れられないものが2つ。ひとつは2012年の夏休みに滞在したアヌシー湖畔の村マントン・サン・ベルナールのパン屋さんboulangerie le fournil de mon pèreのエクレア。もうひとつはロンドンのサウス・ケンジントンにあったフランス・パン屋さんBagatelleのエクレア。

どちらもパン屋さんだけどお菓子も美味しく、特にエクレアは卵の味がしっかりしているのにカスタードの甘みはさっぱりしていて、皮はパリンと軽く焼き上げられ、食べ飽きない美味しさでした。残念ながらBagatelleは閉店してしまい、アヌシーの小さな村も再び行く機会はなかなかないだろうなあ・・・。

レクレール・ド・ジェニやおしゃれなパティスリーの洗練されたエクレアも美味しいのですが、卵の滋味が感じられる素朴なエクレアが食べたい・・・と思いながら、ジャック・オ・ランタンの顔を崩しながらパンプキン・エクレアもとても美味しくいただきました。

冒頭のクイズの答えはこれです。

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[ウジェーヌ・ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』(1830)ルーブル美術館所蔵]

1789年のフランス革命ではなく1830年の7月革命の絵なので間違えないようにしましょう。(参照記事:そういえば以前、フォションにダ・ヴィンチの『モナリザ』をプリントしたエクレアがありました。)

2015年10月29日 (木)

誤訳の定義は難しい

まつこです。

バターと蜂蜜をたっぷりつけたトーストに紅茶でまずはエネルギー補給。この朝食時に私はその日の講義の内容をうめぞうに話して復習をすることがあります。

「今日はね、ロンドン・オリンピックの開会式の解説する講義なんだけど、田園風景が産業革命で一変する大転換のパフォーマンスが見事でね。メリー・イングランドが「悪魔の工場」にダイナミックに変わるんだよ。まさにSatanic Millsだよ」

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[ロンドン・オリンピックの開会式で表現されたSatanic Mills]

しかし、この朝はここから会話が混線しました。

うめぞう:それポランニーの「悪魔の挽き臼」でしょ。
まつこ:ブレイクの詩だよ。「悪魔の工場」だよ。
うめぞう:ポランニー、知らないの?
まつこ:だれ、それ?
うめぞう:ポランニー、有名だよ。市場経済が拡大して資本主義が労働者を飲み込んでいくのを「悪魔の挽き臼」って呼んだんだよ。
まつこ:ふーん。でももとはウィリアム・ブレイクのJerusalemだよ。イングランドの国歌みたいなもんだよ。誰でも知っているよ。Satanic Millsは産業革命で工場が出現したことを指すというのが一般的な説明だよ。


さて、Satanic Millsを「悪魔の挽き臼」と訳したのは果たして「誤訳」でしょうか?ブレイクの詩は"was Jerusalem builded here,/ Among these dark Satanic Mills"です。かつてイエスがイングランドを訪れたのか。こんな工場ばかりのところにエルサレムがあったのか、と問う詩行です。この詩の文脈の中であれば「挽き臼」は明らかに誤訳でしょう。

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[ウィリアム・ブレイク自身が彩色したJerusalemの詩(長詩Miltonの序詞)]

ただし市場経済の強力なメカニズムや資本主義が人々を労働力として飲み込んでいく暴力性をイメージさせるには、「悪魔の工場」より「悪魔の挽き臼」という日本語の方がシンボリックで効果的かもしれません。

ここが「誤訳」の定義の難しいところです。日独の2言語で創作活動をしている多和田葉子さんは、翻訳家とは自分なりの理解を別の言語で再現する一種の演出家のようなものだから、自分としてのアイディアを持ってオフェンシブに仕事をすべきだと言っています。「誤訳のように見えて、実は名訳」というものがいろいろあるとも言っています。

しかし勇気をもって「誤訳」するためには、原文を誤読していないという自信が必要です。自信のない翻訳者は、誤訳と言われないようディフェンシブに安全な訳語を選んでしまいます。

この朝はこの「悪魔の挽き臼」が誤訳かどうかをめぐってうめぞうと議論している間に遅刻しそうになりました。

2015年10月20日 (火)

秋深し

まつこです。

10月ももう終盤、すっかり日が短くなりました。健康維持の目的で、私たちはときどき夕食の後で、散歩をしています。こんな都心の片隅でも、秋の夜らしく、いろんな虫の音が聞こえます。

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[中学校の校庭の裏の植え込みにいろんな虫がいて、虫の声のシンフォニーが聞けます]

のんびり夜の散歩を楽みながら、ところどころ開いているお店などのぞいていたら・・・

またやっちゃった、衝動買い!

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[お気に入りのブランドseventyのジャケット]

前の日、ファッション雑誌をパラパラめくっていたら、「大人の秋には大人の白」という特集がありました。「素敵だけど白のアウターなんて、すぐ汚れるし、実用性ナイナイ。グラビアだけの世界だよね〜」と思っていたのに。

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[この部分にやられた・・・]

襟元の飾りのキラキラと、超薄手のダウンの軽さにひかれて、お買い上げ。

千駄木という地味な土地柄にもかかわらず、店主の洗練されたセンスで選んだ素敵なイタリア製のファッションがそろっているセレクトショップがあります。閉店は8時半。街灯に吸い寄せられる虫のように、散歩途中でこの店に足が向いてしまう私・・・。

秋の夜長、夜の散歩を楽しめば、体重もお財布も同時に軽くなるのでした。

2015年10月17日 (土)

素直なヨメ

まつこです。

お久しぶりです。ウメマツともども自転車操業で、余裕があまりない日々です。そんな我が家の強い味方は「コミヤン」。

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[また黒くなりかけているバナナが・・・]

うちでは2週に一度、ミッシェルという会社に家事代行サービスを頼んでいます。今、過去の記事を振り返ったら2009年6月から頼んでいますからもう6年以上です。2週に一度、プロの手で家をきれいにしてもらっています。もはやミッシェルなしの生活は考えられません。

この春までずっと「シマちゃん」の担当だったのですが、旦那さんの介護が始まってしまい残念ながらお辞めになってしまいました。新しく交代したのが「コミヤン」。

同じ会社から派遣されていても二人のお掃除スタイルは少し違うようです。昔気質の律儀なシマちゃんは丁寧な仕事ぶり。一方のコミヤンはきっぷの良い江戸っ子風です。

留守中にお掃除をして、帰るときに必ずメモを残すというシステムになっているのですが、二人のメモのスタイルもだいぶ違います。洗剤や雑巾をかなり大量に使うシマちゃんからは、洗剤の買い足しをするようにという伝言がしばしばでした。コミヤンはいつも「毎度ありがとうございます!」だけのことが多いのですが、今週のメモはちょっと違っていました。

「バナナが黒くなっています。捨てようかと思ったのですが、バナナミルクにすればまだ大丈夫と思い、捨てずにおきます。バナナミルクにしてください」

これを読んだうめぞうは、「おしゅうとめさんみたい・・・」と焦っていました。翌朝の朝食にはコミヤンの指示どおり、うめぞうはバナナミルクを作っていました。素直なヨメのようなうめぞうです。

2015年10月15日 (木)

大学教育の目的は?

うめぞうです。

まつこの体調はまあまあだが、大学に行くたびに調子を落として帰ってくる。
そんなわけで、ブログ更新にまでなかなか手が回らないようだ。
そこでまた、埋め草原稿をひとつ。
まつこを見ていると、つくづく今の大学が以前と比べて働きにくくなっている様子を感じる。ともかく受験生を減らさぬよう、競争力を落とさぬよう、大学を魅力あるものにするよう何とかしなくては、という焦りが大学側にあるようだ。そして会議とペーパーワークと大小様々な改革案が、誰もその有効性を心から信じていないままに次から次へと襲ってくる。その徒労感の中で、皆がほとほと疲れ果てているのだ。
問題の根幹は何か。
うめぞうが思うに、それは大学教育の目的は何か、ということについて明確な意思表明がないことにある。もちろんそれは教師によって異なるし、異なっても良い。しかし違いは認めたうえで、それぞれがいったんは「自分はXXを大学教育の目的だと考えている」と明確に語ることが大切だ。
「大学教育の目的は就職率をあげることにある」、「知識を増やすことにある」、「社会性をつけることにある」「受験生を増やすことにある」など、なんでもいい。自分が本当に信じていることを、まずはそれぞれが表明する。もちろん、学長や学部長は率先して語る。そして、そのつぎにはじめて、「だから、自分はこういう授業をやりたい」、「こんなカリキュラムが欲しい」という議論になる。学生は、それを見て、その目的に賛同すれば、その授業に参加すればいい。目的は多様であり得るので、共通目的などなくてもいいと思うが、それでは大学としてのまとまりがないということであれば、たとえば学長選挙などの時には、それぞれがそれを表明して議論すれば良い。
ではうめぞうはどう考えているか。「大学教育の目的は、自分が合意していない強制に抵抗し、それを批判する能力を養うことにある」というのが、うめぞう個人の教育の目的だ。それはわれわれが主権者として設立している政治社会を実りあるものにするために、成熟した社会成員に要求される必要不可欠な能力だと考えるからだ。あらゆる知識の獲得は、この目的を達成するための手段にすぎない。
この目的からいうと、お上の要望にあわせて学生の商品価値を高めることを目的としている大学教育などは、うめぞうの理想からもっとも遠い。しかし、それはまあ個人的な考えだから、他の人におしつけるつもりはない。しかし、もし就職率向上が教育の目的だと考えているならば、まずはそのことをきちんと表明すべきだろう。目的が明確にならないかぎり、ある具体的な策が有効かどうかは議論できない。
大学に行くたびに体調が下降するまつこをみて、そんな雑感が湧いてきた。

2015年10月 1日 (木)

神無月

まつこです。

朝の東大キャンパスでは、銀杏の実を拾っている人たちがいます。

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[大きなイチョウの木の下にはギンナンの実がたくさん落ちています]

通勤途中に空を見上げると赤い実が見えました。

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[この実はなにかしら?]

爽やかな空気の中、金木犀の香りも甘く漂っています。

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[香りに誘われて上を見上げると、お寺の塀の向こうに大きな金木犀の木]

そして食卓の上にも秋。

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[虎屋の栗羊羹、おいしい〜]

例年、東京では1年間で最も降水量が多いのは、梅雨時ではなく9月だそうです。その雨の季節も終わり、さわやかな秋の青空が広がるようになりました。

実りの秋、たっぷりと味わいましょう。

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