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2013年1月

2013年1月31日 (木)

心の切り替え

まつこです。

先週末の京都滞在は、楽しいこともたくさんありました。老いた親の変わっていく姿を見るのは悲しいことですが、ただただ嘆き悲しんでばかりいては、心身に良くありません。あえて悲しみに歯止めをかける心構えも大切という気がします。

そんなときに貴重なのが一緒に楽しい時間を過ごしてくれる友人です。

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[うめぞうとPukiちゃん。点邑はコンクリートうちっぱなしのモダンな建物でした]

今回は京都でPukiちゃんが、「点邑」という天ぷら屋さんに案内してくれました。あの老舗旅館「俵屋」が経営しているのだそうです。とっぷりと日の暮れた寒い京都の冬の夜、御幸町にあるずいぶんお洒落な建物の二階のお店を訪ねました。

天ぷらはあげたての熱々を食べたいので、写真はなし。パリッと香ばしい海老の頭、ふんわりとしたクワイのすりおろしたもの、小さくて香り高いふきのとう、磯の香りのする海苔と雲丹など、次々と美味しい天ぷらをキリリと冷えたシャブリと一緒にカウンターで頂きました。

その食事中にPukiちゃんから、てっさい堂という骨董屋さんの豆皿の話を聞きました。てっさい堂を営んでいる貴道裕子さんという方は、豆皿など小さくて親しみやすい骨董を集めていて、お店に行くと可愛らしいものがたくさんあるのだそうです。

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[底冷えのする京都は、空いていて、静かな時間が流れています]

さっそく、翌日は老人ホームの母を見舞ったあと、てっさい堂へ直行。ひときわ寒い日でした。祇園の街並に小雪が舞います。観光客の姿もあまりないひっそりとした夕暮れ。小さなお店の中に、ぎっしりと並んだ小さな骨董の数々を眺めれば、心も静かに落ち着いてきます。

ちょっと心ひかれたお皿があったのですが、小さく書かれた数字を見て、「あの・・・お値段の見方がわらかないのですが、これ、おいくらでしょう・・・」と、おずおずと聞いたところ、ゼロを三つつけてくださいとのこと。一瞬、ひるんで、呼吸を整えてから、そっと棚に返してお店を出ました。

その翌日も、老人ホームから錦小路へ直行。観光客や地元の買い物客でにぎわう狭い道を、人ごみにまぎれて歩くうち、老人問題の重苦しさも、日常生活の光景のひとこまとして受け止めようという気持ちになります。こうしてうまく心の切り替えをしながら、親の老いを見守って行きたいと思っています。

2013年1月27日 (日)

車椅子の母

まつこです。

今週末は京都に行きました。うめぞうは研究会、私は高槻の老人ホームの母を訪ねました。

[1日目]

金曜日に老人ホームに行くと、母は自室にいませんでした。ラウンジに行ってみると、車椅子に乗っています。初めて見た母の車椅子姿です。表情をなくし、車椅子に座る母の姿に、一瞬、息がつまりそうになりました。

職員の方の説明では、ふらつきがひどく歩くのが難しくなったそうです。この1週間ほどで急激に症状が進み、朝もベッドから身を起こすのが難しく、食事の仕方もわからなくなったとのこと。お正月に行った時には、別れ際にエレベータの前まで来て手を振って見送ってくれました。あまりの急な変化がショックです。

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[母の今年の書き初め]

母の自室で二人で過ごすうち、整理ダンスからクルクルと丸めた書き初めが見つかりました。「寿」の一文字。もちろん以前の母の字と比べようはありませんが、おおらかな気持ちのよい文字です。急速に悪化した状態と、この「寿」の文字がチグハグですが、この文字を見ていると、私も少し明るい気持ちになります。

「これ、ママが書いたのね。いいわね〜。おめでたい感じがするわ〜」と派手にほめまくると、母の表情も少し明るくなりました。ふらつきながらも立ち上がることもできるようになりました。

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[認知症の母と二人で『論語』を唱和する]

[2日目]

午前中の方が調子が悪いと聞いたので、翌日はお昼前に訪ねてみました。職員の方は食事の様子を見てほしいとおっしゃいます。「黙って見ていてください。食べ方がわからなくて、手で食べようとすることもあります。たいていご飯は残します」とのこと。なんだか実験のようで悲しかったのですが、職員の方は日頃の状態を家族に理解してほしいのだと思います。

ただこの日の母は、私がそばにいるせいか気分も落ち着いていて、お箸の使い方も問題なく、残さずきれいに食べました。「いつもはもうちょっと状態が悪いんですけど・・・」と職員の方は目論見がはずれたというような口調でおっしゃいます。参観日だけ良い子になる生徒の調子良さに、ちょっとイラッとくる教師の気分に似ているかも。「ご苦労をおかけして申し訳ありませんがどうぞよろしくお願いします」と、保護者としてはひたすら低姿勢を貫きます。

この日は母の居室に『論語』のテキストのコピーがありました。こちらの老人ホームでは毎日、早口言葉や簡単な体操を組み合わせたリクリエーション(リハビリテーション?)の時間帯があります。そこで使ったもののようです。

「ママ、『論語』だね。一緒に読んでみよう」と誘ってみました。「子ののたまわく」、「学びて時にこれを習う」、「また説しからずや・・・」とちょっとずつ区切って真似してもらいました。母はなぜか「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」の「楽し」のところで必ず笑いだします。何回繰り返しても、「また楽し・・・ホホホ」と声を上げて笑います。

なぜここで笑うのか理由はわからないけれど、笑いは心身に良いはず。この日は母を笑わせたくて、『論語』ばかり10回も20回も繰り返してしまいました。

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[久しぶりにうめぞうと再会。「この赤い色がいいわ〜」とセーターをほめる母]

[3日目]

症状が悪化したと聞いて、最終日はうめぞうも来てくれました。うめぞうは優しくいろんな話をしてくれます。うめぞうに会えてうれしい母は、「これ、とても良いわね〜」とうめぞうのセーターをほめ始めました。最近買ったばかりのヘンリー・コットンズのセーターです。

三日続けて娘夫婦がやって来て、「ほめる」「笑わせる」「優しくする」の連続で、母の調子もだいぶ回復しました。三日目にはだいぶスムーズに歩けるようにもなりました。症状の進行を心配し始めればキリがありませんし、どのような対処をしてもいずれはもっと不自由になってしまいます。せめて一緒に過ごせる短い時間は、無条件の愛情をそそぐ、それだけでいいと思った週末でした。

2013年1月22日 (火)

電波時計の日

まつこです。

軽度の買い物依存症という自覚はあるのですが、幸いにして私の場合は宝飾品にはあまり興味がありません。指輪も2、3個しか持っていません。時計もいつも同じのを使っています。

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[年がら年中この組み合わせ]

服がカジュアルであろうとエレガントであろうと、いつもこの組み合わせばかりです。指輪はティファニー(アトラス)のリング。古いものですがすっきりとしたデザインで気に入っています。

けれど1月から2月にかけては、時々、時計を変えます。

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[1月、2月はときどきこちらの組み合わせ]

こちらは電波時計です。正確な時刻がわかります。文字盤がソーラーパネルになっているので、電池が切れる心配もありません。入学試験、学期末試験など試験監督をする時には電波時計が便利です。

時計の色に合わせて、指輪もゴールド。こちらもだいぶ前のティファニー(シグネチャー)のリングです。

時計や指輪をたくさん持っている人は、洋服に合わせて、あれこれ組み合わせを楽しむのでしょうが、私の場合は二者択一。実にシンプル。

いよいよ試験の季節。私の手元もゴールドの組み合わせの日が増えます。雪がちらつき、梅が咲きほころび、陽射しが徐々に強まるこの季節は、毎年、ちょっと切ない気分になります。失敗のほろ苦さ、合格の安堵、そんな若者たちの悲喜こもごもの思いが、冬から早春にかけての冷たい空気の中に混じり込んでいる気がします。18歳の甘酸っぱい緊張感が漂う受験会場に足を踏み入れる時には、「これも青春の一場面、がんばれ」と心の中でエールを送ります。

2013年1月14日 (月)

うめちゃんの写真

まつこです。

うめぞうの両親が、老人ホームへの入居を決めました。義父99歳、義母88歳の寿カップルです。

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[60年くらい前のうめちゃん]

これまでは二人でほぼ自立的な生活をしていたのですが、いかんせん高齢なので、老人ホームで暮らしてもらう方が、家族としても安心です。長年お世話になっている主治医が、老人ホームを開設されたので、そちらにお世話になることを決意しました。

週末はその老人ホームの見学や契約手続きなどをしました。実際の入居はもう少し先ですが、必要な手続きや家具の準備など、いろいろやることがあります。高齢者はそういう手続きや準備の煩わしさを考えただけで、二の足を踏んでしまうものです。「めんどくさいことはぜーんぶ私たちが引き受けますから大丈夫ですっ!」と安心してもらうことが大切だと実感しています。

私の母の時には、震災後直後に急遽、入居を決めましたが、今度は少し余裕があります。うめぞうの両親が入居するのは、1DKみたいな二人部屋です。人生の後半に再び、こじんまりとした空間で、夫婦二人で過ごすことになります。できるだけ気持ちの良い住まいにしてあげたいので、私は張り切って、カーテンや家具などを買いそろえています。

義母はボチボチと今の家の中の整理をし始めました。しかしなんといっても高齢。高齢者はものが捨てられない傾向が強まるものです。押し入れをのぞいては、「まつこさん、こんなの出てきたけれどいらない?」と言って、メリヤスの端切れとか綿(わた)とか古〜い三越のポイント・カードとかその他、予測のつかないものを取り出しては、「あら、いらないの・・・じゃあ、ここに入れておくわね」とまた元に戻すという具合です。

うめぞうの子供の頃の写真も出てきました。お気に入りだったらしく、この写真は焼き増ししたのが何枚も出てきたので、これはもらってきました。たぶん60年くらい前のうめぞうです。20代だった若い頃のお義母さんが、息子のために編んだカーディガンを着ています。

こうやって古い思い出を語り合いながら、新しい生活の準備をする日々がしばらく続きます。


2013年1月 6日 (日)

映画レ・ミゼラブル

まつこです。

昨日は友人のミスプリンちゃんを誘って、うめぞうと3人で映画『レ・ミゼラブル』を観に行ってきました。映画らしくクローズアップや大パノラマや特殊効果を使っていて、舞台のミュージカルとは違う面白さも加わった大娯楽映画です。多いに楽しめました。

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[ヘレナ・ボナム・カーターとサッシャ・バロン・コーエンの演じるテナルディエ夫妻]

アン・ハサウェイやヒュー・ジャックマンなど大物スターぞろいの豪華キャストが撮影しながら生で歌うというのが、話題の一つになっていました。皆、それぞれ芸達者ぶりをいかんなく発揮していましたが、ノリノリで演技を楽しんでいたのがヘレナ・ボナム・カーターとサッシャ・バロン・コーエンの演じるテナルディエ夫妻です。

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[ヘレナ・ボナム・カーターは日頃からこんなファッション。このペチコート・パンツみたいなのがコスチュームっぽい]

ヘレナ・ボナム・カーターは曾祖父がイギリス首相アスキス、オックスフォード伯爵家につながる血筋を持ち、現首相デイヴィッド・キャメロンもお友達という、正真正銘のセレブリティです。そしてイギリスでは、こうした名家の出身の人は、しばしば過激でエキセントリックな言動が目立つもの。

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[女優らしいお洒落とは無縁だったヘレナ・ボナム・カーター(Daily Mail, 2010年11月30日より)]

ヘレナ・ボナム・カーターの場合、ファッション・センスが「悪趣味」とよく非難されるのですが、その奇妙キテレツぶりが、むしろ「この人、やっぱり普通の人じゃないのね・・・」とセレブなご出身を証明していたようなところがあります。

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[テナルディエ夫妻・・・じゃなくて、ヘレナ・ボナム・カーターと映画監督のティム・バートン夫妻]

そんな高貴な血筋のヘレナ・ボナム・カーターが、社会の最底辺のいかがわしい宿屋の女将を演じているのですが、コスチュームに関しては日頃の彼女のユニークなファッション・センスの延長のように、まったく違和感がありません。本物の夫の映画監督ティム・バートンと一緒にいてもテナルディエ夫妻のように見えます。

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[次の役はミス・ハヴィシャム]

ヘレナ・ボナム・カーターの次の映画出演はディケンズ原作『大いなる遺産』のミス・ハヴィシャムだそうです。ボロボロになった古いウェディング・ドレスを身にまとった不気味な老嬢の役です。これも、きっとはまり役でしょう。

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[映画のあとはミスプリンちゃんと一緒にカラペティバトゥバで食事]

六本木ヒルズで『レ・ミゼラブル』を観たあとは、麻布十番のカラペティバトゥバで3人で食事しました。ミスプリンちゃんは『レ・ミゼラブル』の大ファンです。実は、ミスプリンちゃんのご主人は体調を崩されて入院中。でもこんな時こそ、明るい気分でいることが大切です。3人で麻布十番の商店街を歩きながら、テナルディエが歌うコミカルな「宿屋の主人の歌」を口ずさみ、おいしいもの食べておいしいワインで乾杯しながら、ミスタープリンの一日も早いご快癒を祈りました。

2013年1月 5日 (土)

おとしだま

まつこです。

大晦日から元旦にかけて、うめぞうの実家に泊まりに行きました。

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[お年玉は大人になってもうれしい]

帰ってきてバッグの中を整理していると、「まつこ様、いつもありがとう・・・」と書かれたお年玉のポチ袋が入っていました。お義母さんがこっそり入れておいてくれたものです。

「わーい、おとしだま!」と喜んだら、うめぞうが「ボクの鞄にも入っているかもしれない!」とがさごそとリュックの中を探し出しました。

しかし、うめぞうのリュックには入っていませんでした。うめぞうは心なしかがっかりした表情をしています。その顔を見て、「わーい、私だけお年玉もらっちゃったもんね〜」と、つい自慢するヨメ——。

ところが昨日、うめぞうのコートのボタンがとれてしまったので、それをつけるついでに、ポケットの中のゴミなどを出していると、内ポケットに「うめぞう君、いつもありがとう・・・」と書かれたお年玉袋を発見。

「やっぱりボクにもあったんだ〜」と、うめぞうはうれしそうです。63歳の息子、51歳のヨメが、88歳の母からお年玉もらって喜ぶのもいかがなものか、とは思うものの、大人になってもやっぱりお年玉はうれしい!

2013年1月 3日 (木)

母の幼なじみ

まつこです。

今日は大阪の母を訪ねました。

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[新幹線から富士山がよく見えました]

新幹線の車中で母の友人の男性からのメールを受け取りました。母に代わって年賀状を書き、母のことを心配してくださっているので、安心してもらうために最近の母の写真も一緒に添えて送っておいた、そのお礼のメールでした。母の写真を見て、「年甲斐もなく涙ぐんでしまった」とありました。

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[老人ホームのお正月。老人ホームでもおせち料理が出たり、松飾りが飾られたりします。入居者を訪ねてきた家族の方が、「うちよりよっぽどお正月らしいわ〜」と苦笑いしていました]

母とこの男性は同い年。家もすぐ近所で、まるで双子の兄妹のように一緒に成長したようです。この男性のご家庭はお父様が戦争に行っておられる留守を、お母様と子供たちが力を合わせて守っておられたそうで、両親が教員をしていて比較的余裕のあった母の家庭が、若干の支援をしていたというような関係だったようです。

大人になっても母はこの方を「エイスケ」(仮名)と親しげに呼び捨てにし、この方は母のことを「ユキコさん」(仮名)と、常に礼儀正しく「さん」付けで呼んでいました。母が認知症になったと知ると心を痛めて、「残念でなりません・・・」という心のこもったお手紙やメールを娘の私宛にくださいました。いつも折り目正しい文面と、端整な文字のお手紙に、誠実さがあふれています。

母に「〇〇さん(名字)からご連絡いただいたわよ。よろしく言ってくださいって書いてあったわよ」と伝えても、母は「誰?知らないわ」とキョトンとしています。「ほら、あのエイスケだよ」と呼び捨てにしたら、母の記憶がよみがえり、「ああ、エイスケね」とニッコリ笑っていました。

二人の間では、子供時代の大切な思い出が共有されているようです。のびのびとお嬢さんふうに育った「ユキコさん」と、苦学ののちに東京で出世した「エイスケ」。この二人の間には、ひょっとして『嵐が丘』みたいな物語があったのかも・・・と娘の私は勝手な空想を繰り広げています。でも、たとえ血がつながった娘でも踏み込むことのできない母の思い出の世界。遠くでそっとしておきましょう。

2013年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます

ウメマツです。

あけましておめでとうございます。

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[アヌシーの街で]

年末に我が家の2012年の重大事件はなんだっただろう・・・と二人で振り返ったら、特別なことはあまり思いつきませんでした。遠距離介護や震災で大わらわした2011年に比べ、平穏な年だったのだと、改めて安堵しました。

こうして穏やかに日々が過ぎていくことの尊さをかみしめ、感謝したいと思っています。

昨年8月に訪れたアヌシーの街は、雄大な自然に囲まれていました。あの澄んだ水と大きく広がった青空を思い出し、おおらかな気分で新年を迎えています。

今年もどうぞよろしくお願いします。

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