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2012年11月 2日 (金)

われ、それ風とならんかな

ひさびさにうめぞうです。

夏休みころまではユーロ圏の行く末を心配していたのが、ここにきて東アジア情勢が気がかりなことになってきた。
直接の引き金は東京都知事の尖閣購入発言とその後の国有化。伏線は民主党政権による「島への国内法の適用」と「棚上げ合意の否定」。ただでさえ薄氷を踏むような日中関係を、実効支配している側からわざわざ突き崩すという愚策を、この時点でなぜ日本政府が選択したのか。うめぞうの目を引くのは、都知事発言が米国のヘリテージ財団で飛び出したという事実だ。一連の動きの背後には、もう少し大きな力が働いていると見るべきだろう。
東西のイデオロギー対立が終わった後、産軍複合体は新たな緊張の火種を探してきた。着目したのは、宗教対立と民族対立だった。冷戦に勝利を収めた資本主義は金融化とグローバル化によって貧富の格差を拡大した。各国政府は金融部門の富に動かされ、この趨勢に抵抗するよりも、むしろ適応する道を選んだ。こうして採られた新自由主義政策が雇用や生活を不安定化させた。
排除された人々はグローバル化に反感を抱き、情緒的一体感を与えてくれる宗教共同体や民族共同体に希望を託すだろう。政府の形式主義や官僚主義に失望した彼らはカリスマ的指導者の権威に服従しようとするだろう。それはやがて宗教対立と民族対立の火種となっていく。金融部門と産軍複合体部門は、このようにして互いの利益を支えあっている。
次の選挙の主役となる日本の政治家たちは、今いっせいに憲法改正を主張している。戦争放棄を宣言した画期的憲法のもとで、半世紀以上にわたってただ一人の戦死者も出さず、軍需産業に依存しない経済を作り上げてきたこの国の平和主義に、彼らはなぜ誇りを持てないのか。これこそ世界に誇れる文明史上の一大功績にあらずや。
日清日露戦争が起こる以前、中江兆民の『三酔人経綸問答』に登場する洋学紳士君はこう述べていた。
「民主、平等の制度を確立して、人々の身体を人々に返し、要塞をつぶし、軍艦を撤廃して、他国にたいして殺人を犯す意志がないことを示し、また、他国もそのような意志を持つものではないと信じることを示し、国全体を道徳の花園とし、学問の畑とするのです。」
「試みにこのアジアの小国を、民主、平等、道徳、学問の実験室としたいものです。ひょっとすると、私たちは世界のもっとも尊い、もっとも愛すべき、天下太平、万民幸福という化合物を蒸留することができるかもしれないのです。」
今日こんなことを言えば、豪傑君ならずとも、そんな甘っちょろい理想を一方的に掲げても、それにつけこんで敵が攻め込んできたらどうするのか、と問いつめることだろう。洋学紳士君はこんなふうに答える。
「もし彼らが頑迷凶悪で、心に恥じ入らないだけでなく、こちらが軍備を撤廃したのにつけこんで、たけだけしくも侵略して来たとして、こちらが身に寸鉄を帯びず、一発の弾丸をも持たずに、礼儀正しく迎えたならば、彼らはいったいどうするでしょうか。剣をふるって風を斬れば、剣がいかに鋭くても、ふうわりとした風はどうにもならない。我れ其れ風と為らん哉」
ちなみに、この戦法は、まつこの攻撃に対するうめぞうの戦法としてすでに20年近く実証済みである。かつて一度たりとも喧嘩なく、うめぞうが数多くの失策を重ねてなお、一度たりともまつこの鋭い剣先がわが心身に傷痕を残したことがない。
家族関係、職場関係に悩む諸氏もぜひ、この戦法を試して見られたい。
「われ、それ風とならんかな」。

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コメント

最後のオチに爆笑です。私の親戚に「夫婦喧嘩はするの?」と聞かれた夫が、「喧嘩はしたことがないですよ。ただ、僕が時々叱られるだけ」と答えたのを思い出しました。私一人が悪者になったことは言うまでもありません(泣)。「われ、それ風とならんかな」こそ必勝の策です。。。

Pukiさん、コメント有難うございます。私が見るところ、Pukiさんのところは夫婦そろって春風のようにゆったり、ふんわりとしていて、ウメマツのところとはちょっと違う感じがします。ただ風と風がいったんからみあうと、時に竜巻に発達することもなきしもあらずですので、一定の警戒は注意は必要かもしれません。

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