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2012年10月26日 (金)

学貴日新

まつこです。

先日、出張に行ったおり、秋田大学の図書館に掲げられていた扁額が目にとまりました。

Photo
[内藤湖南は秋田の師範学校出身。大阪朝日新聞でジャーナリストとして活動した後、中国の歴史、文化の研究をして京都大学教授となった人です]

秋田出身の東洋学者、内藤湖南(1866-1934)の書です。おおらかでいながら真摯な文字で、眺めていると深呼吸をしたような良い気分になります。本名は内藤虎次郎。内藤虎という署名は、どこか諧謔味もあって、ほのぼのとしているように感じられます。

この書にも心引かれましたが、そこに付されていた、茶色く変色しかけた説明文にも心動かされました。30年ほど前の秋田大学の教育学部長が書かれたものでした。

この書は「学は日に新たなるを貴しとす」(学問は日々新たな探求をすべく不断の精神を持って継続すべし)と読むのが一般的であろうが、自分はもう少し実存的意味をここに見て、「学びて日に新たなるを貴しとす」と読みたいというのです。学問を通し、日々、自分が新しくなってこそ、教育者として子供たちと豊かな経験が共有できるという趣旨のことが書かれていました。

「学びて日に新たなる」。学問とは人を老成させるばかりでなく、学問を通して、日々、新しい自分へと再生することができる——。清々しい発想でに心洗われた気持ちになりました。

内藤湖南は秋田南部藩の儒家の生まれだそうですが、幼少期から外国人教師について英語も学び、秋田師範学校の生徒だった頃はスペンサーの進化論を研究していたそうです。江戸時代の藩校や儒学の学問の厚みは、明治期の師範学校にも引き継がれ、戦後も各地の国立大学はその後継として、地方の教育文化の基盤として機能していました。その水準の高さが、この学部長のメッセージには現れているように思えます。

共通一次試験導入と大学設置基準大綱化などによる、改革という名目での大学教育の合理化と画一化、マスメディアによる文化の中央集権化によって、今日では地方大学の存在意義が一見薄らいでいるように見えます。それでもなお、人々の生活や地方の歴史に根ざして積み重ねられてきた教育の支柱として地方大学の果たすべき役割は大きいはずです。一枚の扁額を前に、そんなことも考えさせられました。



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コメント

「おおらかでいながら真摯」とは言い得ています。いい言葉ですね。すがすがしい気持ちになりました。

Pukiさん、コメントありがとうございます。

「学びて日に新たなる」を女子的に解釈すると、「研究も喜びを持ってやればアンチエイジングの手段になる」。いやいややれば皺が増えるが、楽しんでやれば口角があがる、ということでしょうか。

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