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2012年8月31日 (金)

ぎっくり腰哲学

うめぞうです。

今回の旅も無事終了。マントン、リヨン、ロンドン、それぞれの場所でさまざまな景色、食事、文化を楽しむことができた。公共空間での規範意識の低下に首を傾げることもままあったが、ホテルの従業員や店員さんたちの感じの良さに感心する場面も多かった。それぞれがグローバル化の陰陽両面なのだろう。ともあれ、人権や民主主義についての価値観を共有しながら、各地域の多様性を尊重しようとするヨーロッパの挑戦には今後ともエールを送りたいものだ。

この旅の唯一の誤算は、例のぎっくり腰。色々とご心配を頂いた方々には心から御礼をもうしあげます。どうもありがとうございました。お陰様でほぼ完治しつつありますので、ご安心ください。

旅行中は、まつこには大いに苦労をかけてしまったが、うめぞうがロビーに腰掛け、まつこが重いスーツケースをえっちらおっちら運ぶ光景はさすがにバツが悪い。レセプションの女性たちに、気の弱いうめぞうがカタコトで弁解する。「あのう、僕、腰痛でね・・・日本の男は男尊女卑だ、なんて思わないでね」。はっはっは、と笑った女性たち。内心「おまえが、マッチョなわけねえだろ、見りゃ分かるよ」とつぶやいていたかもしれない・・・。

しかし、今回のぎっくり腰からは、学ぶところも多かった。

まずは風景の美しさも料理のおいしさも、心ゆくまで楽しもうとすれば自分の健康状態が前提となるということ。われわれは足の小指がどんなに重要な働きをしているかを意識することはない。それを思い知るのはそこを捻挫したときだ。1ミリに満たない口内炎や奥歯に挟まったケシ粒でさえ不快の種になる。いわんや膝や腰の痛みがわれわれの行動と意識に課す制約は、想像以上に大きい。

そこではじめて、当たり前のように享受していた旅行も、自分の意識していない無数の条件によって可能になっていたのだと気付かされる。腰や膝が痛くても、まだ見えている目、聞こえている耳、その他無数の運動感覚思考器官がある。いやそれだけではない。自分たちの経済状態や休暇、機能する交通機関や信頼できる治安、何よりも平和な時代。自分たちの旅を可能にしている無数の条件にもう一度思いをいたし、今うめぞうが享受している条件を満たしえない人々への想像力も持てるようにと、これはベッドに丸まりながらの反省だ。

加えてもう1つ分かったことは、こうした痛みや不便も、時間とともに急速に日常の一部になっていくという事実だ。痛みそのものは持続しても、痛みと共存していく術を身体は学習していく。そしてそれが結果として痛みを軽減していく。機能不全を抱えた感覚器官は、それを日常生活の一部にとけこますために、思いのほか高い適応能力を発揮するものだ。

これらはある程度、社会にもあてはまる。

社会においても機能不全に陥ったものは、うまく機能しているものより、ずっと強く意識される。官僚制がわれわれの意識に上るのは、汚職や行政の停滞を通じてだ。しかし秩序を全体として維持している行政の働きについては、うまくいっている限り、あまり意識されることはない。行政の捻挫した足の小指にマスコミ報道が集中することは当然だが、だからといって官僚制全体を無用の長物のように言い立てるのは危険な錯覚だ。相対的に見れば、世界で最も住みやすい社会のひとつである現在の日本で、人々の満足度が思いのほか低い理由は、そのあたりにあるかもしれない。しかし同時に、危機は容易に日常化してもいく。

かくして、ぎっくり腰哲学は次の2つのことを教えてくれた。

1)日常の現実には、それを可能にしている無数の前提条件がある。それらは機能不全に陥らない限り、強く意識されることはない。通常意識してはいないが、現実を支えている無数の条件に想像力を働かせ、それらに敬意を払うべし。

2)機能不全は最初、人々に強く意識されるが、それは急速に日常の現実に溶け込んでいく。この感覚の鈍麻は危機を未解決のまま潜在化させる。通常意識されないが、現実の中に隠れている機能不全に想像力を働かせ、それらに注意を払うべし。

第1テーゼは健全な保守精神の、第2テーゼは健全な批判精神の勧めだ。日常の現実を、簡単に修正できるものとして軽視するのは危険だが、また修正不要なものとして過信するのも危険だ。保守精神と批判精神のうまいバランスが保てるよう、うめぞうも努力したいと思っている。

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コメント

うめぞうさま、まつこさま、長旅お疲れ様でした。今夏もブログを楽しませて頂きました。到着して早々のぎっくり腰のハプニングにはちょっとひやひやしましたが、こんな深遠な哲学談義も捻り出され、大成功でしたね。日本はまだまだものすごく暑いです。心してご帰国を。

Pukiさん
いつもコメントをありがとうございます。なんとか無事帰国しました。
帰国してすぐに、2人でそばを食べに行きました。
天ぷら、山芋、そばの芽をつつきながら、ビールと冷酒を飲んで、大ざるで締めをしたころには、ヨーロッパもいいけど、やっぱりこの国も去りがたいわ、とあらためて感じ入りました。
また、お会いできるのをの楽しみに。

うめぞうさま

長旅お疲れ様でした。グラインドボーンではとりわけ様々神経をすり減らす体験をさせてしまい、申し訳ありませんでした。
私は、駅のパニックのおかげで危機対応メカニズムが過敏になっているのですが、それもまた困りものですね。きっと来年再びグラインドボーンにご一緒するころには回復しているでしょう!

こちらこそ、何から何までお世話になりました。
ショウガネコさんの目が{▼▼}になっている写真を見るたびに吹き出します。
でも終わりよければ全てよし。
イギリスの鉄道は甘く見ちゃイカンぞ、ということがよく分かりました。
次回はバッチリ、対策を立てて事に当たりましょう。

上官殿 小生はかつてニューヨークでぎっくり腰を発症し、JFK空港で妻に車いすを押してもらったことがあります。車いすは妻が事前に手配して航空会社から貸し出してもらいました。いつもながら手際が良い。それでも空港ではボディ・チェックの時には立たされましたけど。あやしいコルセットとかしてましたからね。でもさすがポスト9/11。

Womby殿
それは大変だったですね。やはり経験してみないと、あのどうしようもなさはなかなかわかってもらえないですね。あとは相棒のたのもしさ。まあ、こちらはお互い、ぎっくり腰でなくても日々感じていることではありますが…。
回復したら、残暑払いを企画しましょうね。

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