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2012年6月30日 (土)

補完性原則

ひさびさにうめぞうです・・・

夜中、ひそかにシャキシャキと包丁を研ぐ不気味なヤマンバと同居しているうめぞうも、目下ひそかにデジタル化した生活の一部をアナログに戻す努力をしている。

たとえばインターネットで囲碁を打つのをやめて、本を見ながら碁盤に石を並べることにした。ろくに先もよまない粗雑な囲碁を「ザル碁」という。また、相手が打った瞬間に石をばらまいていくような囲碁は「種まき碁」と称する。うめぞうはインターネットでは4段程度の棋力だが、先日、「囲碁も、漫然と石を並べているアマ五段どまりの人が多い」という一文を読んでハッとした。囲碁の面白さが分かるのは、その先だという。そこで、ひさびさに碁盤を出して石を並べてみると、ひとつひとつの手が味わい深く、忙しく勝敗を争うネット碁より格段に密度が濃い。ドイツ語では気晴らしのことをZerstreuung(ツェアシュトロイウンク、気散じ)というが、これは集中とは対極にある散漫な状態を指す言葉だ。ネット碁は、外から見れば一心不乱に集中しているように見えるが、じつのところは心ここにあらず、読みの浅いゲームに流れがちだ。

それからもうひとつ、授業を板書に戻そうとしている。パワーポイントのスライドよりも、学生はずっと集中しているように感じる。そしてひさびさに板書をしてみて痛感したのは、自分が漢字を書けなくなっていることだ。先日は、恐慌の「慌」の字が一瞬わからなくなって焦った。そして何より良いのは、板書をすると、これまでの1回分の授業準備で、2回分の話ができることだ。情報量は半減するが、説明の密度は2倍になる。読み物もネットからではなく、できるだけ本から取って与えるようにしている。

とはいえ、このブログでもそうだが、デジタル媒体を使わざるをえない場合も多々ある。そこで思いあたったのが、EUの統治原則である「補完性原則 the Principle of Subsidiarity」の適用だ。これはもともとカトリック教会が提唱した問題解決法だが、社会政策はまずは身近な共同体レベルでできるだけ解決するようにする。たとえば家族で解決できるものは家族で解決する。そこで解決不可能な問題についてのみ地域のレベルにあげる。更にそれでダメなら、地方自治体のレベル、国家のレベル、超国家組織のレベルへと持ち上げていく。上位組織には下位組織よりも強い権限が与えられるが、上位組織はあくまで下位組織の「補完組織」として位置づけるという考え方だ。

したがってスポーツ政策などは各国家に責任をもたせ、EUがとやかく口を出さない。しかし海洋汚染の規制は各国単位ではできないので、これについてはEUが独占的に引き受けるといったふうだ。昨今の大阪市長さんも、大学の教授会組織も、とかく下位組織で原理的に解決可能な問題についてまで上位組織の権力を動員しようとする。しかし、こうしたやり方は下位組織の自律性を毀損するだけではなく、下位組織では解決不可能な問題を上位組織に上げていくメカニズムまでも弱体化させる。組織が健全に機能するには、上位組織の「優越性」と下位組織の「優先性」とが両方確保されなければならない。これによってのみ、リーダーシップなき現場主義と、現場から遊離した管理主義の双方の欠陥を修正することができる。

うめぞうが3年前に書いた上野千鶴子批判には、いまだに時々コメントが寄せられることがある。そこで問題になっているセクハラ・パワハラ解決法についても、やはり補完性原則が有効だろう。まずは前法律的手段で対処してみる。それがうまくいかない時には一段上のレベルにあげていく。そのさい、補完性原則には2つのメッセージが含まれている。一つは下位組織が解決可能な問題にまで、上位組織はいたずらに介入してはならないというメッセージ。もう一つは、下位組織で解決不可能な問題を、いたずらに下位組織は抱え込んではならない、というメッセージだ。状況に応じて、下位組織で解決可能な問題なのか、上位組織に委ねるべき問題なのかを適切に協議し、判断することが組織構成員には求められている。それは伝統の解決能力を強化すると同時に、普遍的理性原理の真の強みを再認識することにもつながるだろう。

うめぞうはいまこの考え方を応用して、「アナログでもできることはできるだけアナログで、そこで解決しにくいことだけをデジタルで」という原則を生活に取り入れようと努力している。というわけで、今日はお中元の挨拶を、メールではなく、はがきに書いて送った。アナログ世界が古くから持っていた能力を再発見すると同時に、デジタル世界の真の強みを再確認するためにも、この下位原則と上位原則の仕分けは重要だ。同じ教室にいる同級生と携帯で意思疎通するなどというのは、このデジタル補完性原則への重大な違反だ。

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コメント

なるほど、下位原則と上位原則の仕分けや補完性原則というのは上手な「根回し」の原則だなあ、と頷いております。デジタルかアナログか迷った時の尺度にもぴったりですね。まつこさんのIPadにはかなり刺激を受けたのですが、己の力量に不安があって、まだまだ悩み中です。

Pukiさん、いつもながら適確かつ鋭いコメントをありがとうございます。
それに比べてまつこのコメントはどうです。
「ほーっ、なるほどなるほど、まつこが買えるだけ買って、そこでどうにもならなくなったら、うめぞうが補完する。補完する側は、まつこが限度に達するまでは余計な口出しはしない。ただし買いすぎて限度に達したら、まつことしては、あまり我慢せずにさっさとうめぞうに請求書を回す。はっは、補完性原則、いいねえ。わが家もこれからEUでいこうぜ」と、こうです。
それじゃなにか、うめぞうはメルケルか。おまえは黄金の夜明けか。補完性原則も一歩間違えるとユーロ危機まっしぐら、適用にあたっては、くれぐれも慎重に。

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