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2012年5月 4日 (金)

EUとは誰のことか

ひさびさにうめぞうです・・・

 新年度のばたばたがようやく一段落。今は空き家になっているまつこの実家で、数日間、休暇を楽しむことにした。とにかく水と空気、魚と野菜がうまい!これで、あの雪に閉ざされた長い冬さえなければ、老後の隠居所には最高のところなのだが…

 さて、初夏になっても「不満の冬」がいっこうに明けそうもないのが、EU諸国だ。ギリシャでもスペインでも、若者の半数が失業中だという。しかもそこに年金・福祉・教育の予算カットと増税が追い打ちをかけている。貴重な公共インフラを民間や外国資本に売却する動きもある。いきすぎた緊縮政策に、民衆の無力感と絶望が刻一刻と深まっている。これも、元はといえば巨大投資銀行の破綻がきっかけだ。なぜわれわれ庶民がその尻拭いをしなければならないのか、という怒りはよくわかる。

 かつてウォール・ストリートのエリートたちは金融工学の粋を尽くして、リスクの大きいサブプライムローンを優良なローンに混ぜ込んで証券化する手法を開発した。破綻した際の保険も整備した。そして市場の9割を独占する三大格付け会社(S&P、ムーディーズ、フィッチ)のお墨付きを得て、世界の投資家に売りまくった。膨大な利益が彼らの懐にころがりこんだ。

 しかしまもなく、リスクの分散は、実のところリスクの拡散に過ぎなかったことが判明した。急激な信用収縮が生じ、あっけなくリーマンが破綻。金融恐慌を恐れた各国政府は金融機関のベイルアウト(救済)のために巨額の税金を投じた。それが現在のソブリン(国債)危機を招いた。ひとことで言えば、公共性の高い金融市場を舞台に「利益の私物化」と「損失の社会化」がまかり通ったわけだ。わずか4年前のことなのに、今や世論は金融エリートや格付け会社の責任などはすっかり忘れてしまい、批判の矛先を「怠惰なギリシャ人」へと向けている。

 これと似た光景は、80年代のラテンアメリカ諸国の債務危機の際にも見られた。のちに「ワシントン・コンセンサス」と批判されることになるIMFのコンディショナリティ(貸付条件)もやはり緊縮財政、民営化、外国資本導入、規制緩和を組み合わせたものだった。結果は惨憺たるもので、この手法を導入した32ヵ国中、28ヵ国が失敗例だったとする研究報告もある。 

 今回、支援停止をちらつかせてギリシャに緊縮財政や民営化を迫っているのはIMFではなく、EUだということになっている。しかし、ここでいうEUとは誰のことか。EUには欧州委員会、欧州議会、閣僚理事会などの組織があるが、委員会や議会では行き過ぎた緊縮政策を批判する声が多く聞かれる。欧州議会議長マルティン・シュルツなどはその急先鋒の一人だ。ところがその批判はEUの決定にほとんど反映されず、したがって各国民衆の耳にも届いていない。現在のユーロ危機の根幹にはEU内の民主主義の欠如がある。

 そのことをはしなくも暴露した事件が最近あった。オランダ連立政権の崩壊だ。イスラム排斥などを唱えてきた極右の自由党党首ウィルダースが、EUが押し付ける緊縮政策を批判して連立を離脱、ルッテ内閣が総辞職した。9月には総選挙が行われる予定だ。
 これはとんだお笑いぐさの茶番劇だ。ウィルダースは閣外協力とはいえ連立与党としてルッテ政権を支えてきた。そのオランダは、ドイツ(メルケル)、フランス(サルコジ)、ルクセンブルク(ユンカー)とならんで、もっとも頑迷強固に緊縮政策を押し付けてきた張本人だ。行き過ぎた緊縮を危惧するシュルツ議長の意見をEU内で一蹴してきたのはほかならぬ上の面々だ。

 EU内では「緊縮政策を徹底しないかぎりギリシャ支援などしない」と強固に主張し、欧州議会の批判を封じておきながら、自国に戻ると国民に対して「EUが無理やり緊縮を押し付けている」と非難する。これがウィルダースたちの政治手法だ。基本的には金融資本の随伴者でありながら、緊縮財政の負の側面をEUに押し付け、脱ヨーロッパのナショナリズムを煽っている。

 もしEUの民主主義的正統性が欧州議会と欧州委員会にあるとするならば、EUはけっして過度な緊縮財政など押し付けてはいない。議会の批判を押さえつけて、EUの決定を操っているのは、ユーログループ(ユーロ圏の財務相理事会)の背後にいる各国首脳であり、そこには上記四カ国政府の利害が色濃く反映している。彼らの基本政策は、かつてのIMFのコンディショナリティと同様に、いわゆる新自由主義的(ネオリベラル)なパッケージにほかならない。一般には「英米の新自由主義」に対する「欧州の社会民主主義」というイメージが流布しているが、実情はまったく異なる。目下のところ、EUの基本政策はオバマの経済政策以上にネオリベだ。

 しかし、このことに良識あるヨーロッパ市民は気付きつつある。連休明けのフランス大統領決選投票、秋のオランダ総選挙、そして来年のドイツの総選挙がその転機となるよう、うめぞうは願っている。また、非常に問題の多い新財政協定がアイルランドで国民投票にかけられるのもけっこうなことだ。昨秋、ギリシャのパパンドレウ前首相が苛酷な緊縮政策と抱き合わせになった救済パケッジを国民投票にかけると発言した時、ユーログループは激しく非難した。パパンドレウはこの発言で政権を追われたようなものだ。ユーロ圏をリードする首脳たちが国民投票を蛇蝎の如く嫌うのは、ほかならぬ彼らの決定が民主的正統化を経ていないからだろう。

 緊縮財政の責任をEUに転嫁しながらユーロ離脱を声高に唱えているポピュリスト政治家たちは、陰では国民の不満をあおる緊縮財政に手を貸し、民衆よりも国際資本の随伴者として活動している。この事実を、欧州の選挙民にはしっかりと見ぬいてほしいものだ。

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