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2012年5月

2012年5月27日 (日)

青春の忘れ物

まつこです。

若い頃、恥ずかしくてできなかったことはたくさんあります。学生紛争のさなか、地味な理科系学生として鬱屈した青春を送ったうめぞうも、やり残したことがいろいろあるようです。人生の後半を迎えた今、その青春の忘れ物を取り戻すべく、出かけた先は・・・

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[うめぞう、初めての岩崎宏美コンサート]

某日、都内のとあるホール。背後のポスターでお分かりでしょうか。岩崎宏美のコンサートです。私も好奇心半分で付き添いとして同行しました。

いや〜、驚きました。70年代のアイドルのファンは、当然ながら多くが熟年、いや初老を迎えています。そのおじさんたちが、昔なつかしヒット曲メドレーが流れると、ペンライト振りながら、やや枯れた声をあわせて「ヒ・ロ・リ・ン!」と絶叫しているのです。

「あなたおねがいよ〜、席を立たないで〜」(『ロマンス』)・・・聞覚えのある曲の数々を聞きながら、私は胸が熱くなりました。企業戦士として日本経済の成長を支え、住宅ローンを払い、子供の学費を払い、気がつくと髪は白く(あるいは薄く)なっている。そんな人生を歩んだ人たちが、しばし世の憂いも忘れて、ちょっと照れながらペンライトを振る。その様子を眺めながら、私は「おじさんたち、よくがんばって生きてきたんだから、もっと堂々とペンライトを振って楽しんでください!」と励ましたい気持ちになりました。

うめぞうはペンライトを用意するほどコアなファンではなかったようですが、それでも十分楽しんだようです。休憩時間にロビーで、職場の同僚の方とばったり出くわし、二人ともちょっと照れくさそうにしていましたが、コンサート終了後は勇気を持って「握手会」にも参加していました。

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[元アイドルと握手するために並ぶおじさんたち]

「岩崎宏美の手握っちゃった〜。思っていたよりずっときれいだった!心配していたほど太ってなくて安心した〜」と、ちょっとはにかみながらも、うめぞうはうれしそうでした。

「青春は忘れもの〜、過ぎてから気がつく〜」(『思秋期』)・・・おじさんたちが青春の忘れ物を取り戻した一夜でした。

2012年5月26日 (土)

ピーマン、ピーマン、ピーマン

まつこです。

先週、ぎっくり腰で数日、動けない状態だったとき、うめぞうは老老介護の予行演習のように、せっせと家事をやってくれました。たいへんありがたい・・・

が、しかし

「男の料理」に豪快さはつきもの。鍋の底の焦げ付きやガス台の汚れに目くじらを立てていては夫の家事参加は進みません。さらに「男の料理」は衝動的で非計画的。これも致し方ないところです。冷蔵庫を開けてみたら、ピーマンが30個くらいあったとしても驚いてはいけません。「うめぞう、なんでこんなにピーマンばっかり買うのよっ!」などと頭ごなしに怒らないようにしましょう。

というわけで、毎日ピーマン。

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[1日目]
まずはピーマンのきんぴら。

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[2日目]
チンジャオロース風の炒め物。

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[3日目]

チーズ・トーストのトッピング。

それでもまだ冷蔵庫にはピーマンがたくさんあります。まだ数日はピーマン料理が続きます。ピーマンを使ったおいしいレシピをご存知の方、ぜひ教えてください!

2012年5月24日 (木)

プチ贅沢

まつこです。

最近、USBメモリーを一つ買いました。ペンケースに入れるのでできるだけ小さいのを選んだら、あまりに目立たないため、見失いがち。

そこでストラップを付けることに。

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[小さなキラキラがちょっとうれしい]

条件1)小さくて邪魔にならない。
条件2)だが存在感があって目立ちやすい。
条件3)熟年女性が持つのにふさわしい高級感があればなお良い。

この3条件を満たすものを見つけました。スワロフスキーの小さいキーのデザインのチャームをストラップに付けました。こだわりの条件を満たせてご満悦です。

しかし4GBのメモリーが850円で、スワロフスキーのチャームが○千円。いささか本末転倒な気がするプチ贅沢でした。

2012年5月19日 (土)

血は争えない

まつこです。

風邪もぎっくり腰も85%くらい治った気がします。あとひといき。

先週の週末は京都に行く前に、うめぞうの叔父さんのお見舞いに行きました。

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[あなご飯ともみじ饅頭]

この写真で出かけた先はお分かりになると思います。広島です。

うめぞうの叔父さんは原爆が投下されたとき広島にいて、原爆手帳を持つ被爆者ですが、92歳の今日に至るまで元気に過ごしてきました。そのお兄さん、つまりうめぞうのお父さんは98歳。こちらは皆さん長寿の家系で、80代はまだまだ初老、90代からがいよいよ高齢者、という感覚が基準になっています。

この叔父さん、うめぞうが何か話しかけても、耳が遠いのか返事もせず、自分の話をずっと続けます。でも私が話しかけると、ニコニコしてこちらを向いて聞いてくれます。看護師さんと廊下ですれ違うとハイタッチしていました。女の人が好きなんですね。私の手を握ってうれしそうにしている叔父さんを見ながら、「うめぞうもきっと長生するだろうな」と確信しました。

広島に行ったらぜひ食べたいものがありました。駅弁のあなご飯です。私の母方の祖母は、日本が植民地支配をしていた時代に、京城(今のソウル)で生まれ育ちました。毎年、夏休みになると、新潟に帰省したのだそうです。その帰省のたびに「下関で汽車に乗って、宮島のあなご飯の駅弁を食べるのが楽しみだった」と何度も懐かしそうに語っていました。

子供の頃からその話を繰り返し聞いていた私は、ぜひ広島まで行ったらあなご飯の駅弁を食べたいと思っていたのです。ふんわり柔らかく煮えた穴子がのったお弁当はとても美味しくて、「ああ、おばあちゃんがあんなに懐かしんでいたのもわかるなあ」と、ずっと前に亡くなった祖母のことを思い出しました。

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[老人ホームには鯉のぼりがたくさん飾られていました]

京都滞在中に、うめぞうと二人で老人ホームの母も訪ねました。母の症状は確実に進んでいて、私以外は家族の顔と名前も一致せず、自分との関係もわからなくなってしまいました。うめぞうが「おかあさん、お元気そうですね。顔色もいいし」と話しかけると、「母はいませんよ」と、とんちんかんな答え方をするといった具合です。

その母が、必ず興味を抱くのは私の身につけているものです。「あら、いい色ね」「あら、これは素敵ね」と気に入ったものがあるとほめてくれるのですが、母が特にお気に召すのは、たいてい私が思い切って買った、ちょっとお高めな、いわゆるブランド品なのです。ヘルノのダウンコートは「あら〜、いいわね〜、いいのが見つかって良かったわね〜」とファーの部分をなでながら、何回も言っていました。クロエのバッグも「いいわね〜、ちょっと持たせて」と見るたびに言います。一方、ナイロン製のエコバッグとか、無○良品のセーターとかにはコメントなし。

うーん、家族の顔を忘れても、ブランド品を見抜く力は残るんでしょうか。確かに昔はおしゃれ好きな母でしたが・・・。私も将来ボケちゃったとしても、エルメスのスカーフとかカルティエの時計とか見たら、「あら、いいわね〜、私も欲しいわ〜」とか言いそうな気もします。

やっぱり血は争えないと、広島でも大阪でも思った旅でした。

2012年5月18日 (金)

京都の夜

まつこです。

最終日にぎっくり腰にはなってしまいましたが、先週の週末はもりだくさんで充実した旅行をして楽しい思い出がたくさんできました。

金曜日の夜は京都で友人のPukiさんとお食事です。Pukiさんとうめぞうは初対面。Pukiさんは共通の知り合いからうめぞうのことを聞いたり、このブログを見て、「うめぞうさん=髪に寝癖のついている人」と認識していたそうです。それを耳にしたうめぞうは、「Pukiちゃんに会うから髪の毛とかさないと〜」とルンルンしながら髪をとかして出かけました。

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[Pukiさん、うめぞう、私の三人で京都の夜]

この晩、京都に詳しいPukiさんが選んでくれたのは京割烹のお店、御幸町つばき。約束の時間を目指して、うめぞうと私はホテルから歩いて行きました。「ヨーロッパの権力者は自分を中心に放射線状に街を作る。それに対して中国の権力者はわかりやすい碁盤状の街作りをした。実に合理的だ・・・」とうめぞうが、例によって演説しながら歩くうちに、そのわかりやすい碁盤状の京都の街で道がわからなくなってしまいました。途中からは競歩。さらにその先はランニング。「あの、この『みゆきちょう』というのは・・・」と息を切らせて道行く人に尋ねると、「ああ、『ごこまち』でんな〜」とのどかな京都弁で教えてもらいました。

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[どれもとても美味しいお料理の数々。千葉や茨城の筍は今年は放射能のせいで食べられないそうで、私たちは今年初めていただいた筍料理でした]

京都はお料理の味も柔らか。言葉遣いも柔らかく響きます。Pukiさんは、ものすごく優秀な研究者なのですが、関西育ちでのんびりした関西弁を話すので、怜悧さがむき出しにならず、実にたおやかな印象を与える女性です。本人は3歳まで横浜で育ったから標準語を話すと言い張るのですが、「よ・こ・は・ま」という地名を発音するだけで、イントネーションと発話スピードで関西人だということがわかります。そののんびりした話し方と明晰な頭脳の落差がとても魅力的です。

Pukiさんからはこんなプレゼントもいただきました。

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[すてきな白い箱]

開けてみると・・・

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[わー、かわいい!]

かわいいチョコレートがいっぱい入っていました。神戸のお店がイタリアから輸入しているチョコレートだそうです。一つ一つがすごく楽しいデザインです。Pukiさん、どうもありがとう!

アメリカでも東海岸のボストンやニューヨークの人は早口で、西海岸の、たとえばカリフォルニアの人の方がゆったりした話し方をします。いつも急いで歩き、急いで話し、急いで食べる大都会。そんな忙しい東京の生活からすっかり解放された、のんびりした京都の夜でした。

2012年5月17日 (木)

ぎっくり腰闘病記

まつこです。

日曜日の朝、京都駅のコインロッカーに小型スーツケースを入れようとしたその瞬間、「あっ!・・・」。やってしまいました、ぎっくり腰。

東京に戻って、そのままベッドへ。もともとひいてた風邪も重なり、月曜、火曜と、ひたすら安静、爆睡。ほとんど動けません。トイレだけは必死の思いでなんとか自力で行きましたが、ソロソロとすり足で歩く様子を見て、「曾呂利新左衛門殿のおなり〜」とゲラゲラ笑ううめぞう。つられて笑おうものなら、激痛が走ります。

3日目、4日目になると、寝返りがうてるようになり、ほっと一息。この二日間はずっと、ベッドで読書三昧です。重い本は持てないので、軽いペーパーバック。頭もぼーっとしているので、内容も軽いもの。こういう軽い読書って楽しい!歩けないから仕事にも行けないし、家事もできないし、時間はたっぷりあるので、どんどん読めちゃう。

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[イザベル・ウルフのThe Very Picture of You]

まずはイザベル・ウルフ(Isabel Wolff)のVery Picture of You。いわゆるChick Lit.ユーモアとペーソスにあふれるロマンティック・コメディ小説です。ウルフはこれが第9作目になりますが、いずれも働く女性、それもペットのトレーナーとか、クイズ番組の問題制作者とか、ちょっと個性的な仕事についている30代くらいの女性が主人公という設定です。彼女たちの仕事を通して、その仕事の顧客や同僚たちの人生も浮かび上がらせて、物語の広がりを作るというのがウルフのお得意の手法です。

今回のヒロインは肖像画専門の画家。ヒロインの恋愛の行方はやや単純過ぎて面白みに欠けるものでしたが、肖像画に描かれる脇役たちの過去が浮かび上がってくるエピソードが絡み合うところはいつもながらの手堅い面白さです。特にヒロインの母親の肖像画に秘められた意味が明らかになるところがクライマックス。この作家、おそらく40代後半です。そろそろ恋愛心理よりも母娘の葛藤のほうが、生々しく描ける年代なのでしょう。もし恋愛を描きたいなら、40代の働くママの恋愛にした方がいいわよ、と助言してあげたいところです。

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[久々に読んだ漫画はヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ』]

次は映画化で大きな話題になっているヤマザキマリのテルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX) 。漫画はあまり読まないので、こわごわ第1巻と第2巻だけ買ったのですが、止まらなくなって第4巻まで急遽取り寄せました。

ローマ帝国と現代の日本を「お風呂」という共通点で結びつけ、主人公を二つの世界の間を行き来させる—。この奇想天外さと、ローマ帝国史についてのしっかりとした知識が共存しているところが面白さです。読んでいる間に、どうしてもお風呂に入りたくなってしまい、おそるおそる、時々痛みにギャッと悲鳴を上げながら、三日ぶりのシャワーを浴びました。

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[ノーラ・エフロンのI Feel Bad About My Neckはアメリカではベスト・セラーになったそうです]

イザベル・ウルフは自分より若い女性を描くことにやや苦戦している様子でしたが、逆に開きなおって「私60代ですけど、それが何か?離婚2回に結婚3回ですけど、それが何か?」という堂々たる態度で女性のエイジングをめぐるエッセイを書いて大成功したのがノーラ・エフロン(Nora Ephron)のI Feel Bad About My Neck: And Other Thoughts On Being a Woman (Vintage)

ノーラ・エフロンは映画『恋人たちの予感』、『めぐり逢えたら』、最近では『ジュリー&ジュリア』の監督や脚本をやっています。めちゃくちゃサクセスフルな女性です。

でもどんなに大きな成功をおさめようと、加齢との戦いぶりは、私たちとまるで一緒。どうせ効かないと思いながら新製品の化粧品をあれこれ買ってしまい、老眼鏡はいくつあってもすぐに見当たらなくなり、エクササイズをすればぎっくり腰になり、さぼれば太る。どうがんばってみてものど元の皮膚のたるみはごまかしようがない・・・。そんなリアルな中年女のあがきが知的なユーモアたっぷりに語られています。

実はこの本、職場で私のことを毎週、見かけているアメリカ人女性が、「あの人にこの本を薦めて」とひとづてに推薦してきてくれたものです。本の後半、こんな名言が出てくるからです。

You can't own too many black turtleneck sweaters. (黒のタートルネックのセーターは何枚あってもいい。)

実は私、黒いタートルネックの服がやたらと多いんです。冬ともなれば、ほぼ毎日、黒タートル。実はいろんな種類を持っているのですが、よく見なければ、ドローワーもユニクロも同じように見えます。でもいいんです。首もとが暖かいし、加齢とともにどんどん貧弱になる胸元をカバーしてくれるし、いろんなジャケットとの相性もいいし。

いつ見ても黒タートルの私を見て彼女は、「あの黒タートル女ならノーラ・エフロンに共感するに違いない!」と思ったそうです。大当たりでした。ときどきくすっと吹き出しそうになり、腰に痛みが走りながらも、一気読みしてしまいました。ネックラインやフェイスラインに自信がなくなってきた世代に送るエールがつまった一冊です。

というわけで読書三昧のぎっくり腰闘病記でした。

2012年5月 6日 (日)

旅の人

まつこです。

せっかくの連休なのに風邪をこじらせてしまい、ちょっと不本意ではありましたが、田舎でのんびり静養出来ました。

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[お隣の家の鯉のぼり]

空き家にしている実家にいろいろ気を配っていただくので、帰省したらまずはお隣に挨拶。「昨晩いらしたのね!灯りがついているのを見るとうれしいわ」と言ってくださいました。

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[チューリップ]

近所を散歩すると「来てたんですね。田舎もたまにはいいでしょう」と声をかけてくださる人もいます。田舎ならではの親密なご近所づきあいの温かみを感じます。

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[菜の花]

新潟では「郷里を離れた人」のことを「旅の人」と呼ぶ古い言い方があります。遠隔地から転勤で引っ越してきた人も「旅の人」。ふるさとを離れて都会に出て行った人も「旅の人」。生まれ育った土地を離れた人を「旅の人」と呼んで、温かくもてなす風習が今もなおその名残を残しているようです。

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[新潟のお魚をたくさん食べて満足げなうめぞうも旅の人]

たまにやってきて留守宅に灯りをともす私たちは、まさに「旅の人」です。ご近所の方たちが懐かしそうに笑いかけてくださるのを見て、故郷ではあるものの、かすかな旅愁を感じた連休でした。

2012年5月 5日 (土)

下からのEU創設

うめぞうです。

美味い飯をくって、囲碁を楽しみ、すっかりくつろいだGWだったが、あいにくまつこはまだ風邪気味。そんなわけで、うめぞうが再登板することにした。

混迷するEUのことを考えると、やはりドイツとギリシャが同じ通貨をもつのは、経済的に無理なのかと考えてしまうことがある。しかし、前にも書いたように、EUのプロジェクトを経済合理性からだけ考えるのはまちがっている。

先日、ヨーロッパの知識人たちが連署した一つのマニフェストが公開された。ブリュッセルの官僚や、ユーログループのエリート閣僚たちによる「上からのヨーロッパ」政策に対抗して、「下からのEU創設」をしようではないか、という呼びかけだ。

ドイツには以前から、「自発的環境活動年」、「自発的社会活動年」などと称する研修プログラムがある。16歳から27歳の若者を対象とし、1年間、自分が希望する環境・福祉・教育等に関連する施設で実地研修を受けることができる。参加者の住居費や健康保険、傷害保険、それに月々1万5千円程度の小遣いを合わせて月額6~7万円を、国と各研修施設が2対1の割合で負担する。こうして若者に社会体験の場を提供しようというわけだ。

これにヒントを得て、ヨーロッパのあらゆる老若男女が1年間、他国で言語を学んだり、社会活動に参加できる制度を作ろうという呼びかけだ。ヨーロッパとは何か、ということを考えさせてくれるマニフェストなので、以下に大雑把な翻訳をしておこう。ちなみに、このマニフェストには、社会学者のベックや、哲学者のハーバーマス、ヘルムート・シュミット元首相、ノーベル賞作家のヘルタ・ミュラー、ヴァイツゼッカー元大統領、ドロール元欧州委員会委員長など、そうそうたる面々が署名している。

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われわれこそがヨーロッパだ
下からのEU創設を求めるマニフェスト

すべての人に――タクシー運転手と神学者に、サラリーマンと労働者と失業者に、音楽家と重役に、見習い工と芸術家と料理人に、裁判官と年金生活者に、女性たちと男性たちに――自発的研修のための一年を保証すること。これをユーロ危機への回答としよう。

かつてないほどに高度な教育を受けたヨーロッパの若者たちが、迫りくる国家破産と労働市場の混迷のために「ヨーロッパの宿命」を背負う憂き目にあっている。25歳以下のヨーロッパ人の4分の1が失業者だ。若いプレカリアート[貧困化する不安定就労者]たちはテント村をしつらえ、世の中に向かって声を上げている。そこで要求されているのは社会正義だ。スペインであれ、ポルトガルであれ、北アフリカ諸国であれ、あるいはアメリカの大都市であれ、モスクワであれ、その要求はいたるところで力強く発せられている。巨費を投じて銀行を救済しながら、若者の未来を使い捨てにする政治への怒りが高まっている。しかし、それではいったい高齢化するヨーロッパに、まだどんな希望があるのだろうか。

 アメリカ大統領ジョン・F・ケネディはかつてピース・コア[長期ボランティアのための平和部隊]を創設するというアイデアで世界を驚かせた。「国が君のために何をなしうるかではなく、君が国のために何をなしうるかを問うてほしい。」

 このマニフェストの発起人であるわれわれは、ヨーロッパの市民社会に発言権を与えたいと思っている。それゆえわれわれは欧州委員会と各国政府に、欧州議会と各国議会に、活動する市民のためのひとつのヨーロッパを創出するよう要求する。そしてすべての人々に自発的研修年を保証するための財政的支援と法整備を行うよう要求する。これは、これまで支配的であった上からのヨーロッパ、エリートとテクノクラートのヨーロッパへの対抗モデルだ。必要とあらばヨーロッパ市民の意志に逆らってでも無理やり幸福をひねり出してやろうとするようなヨーロッパ政策の暗黙のルールによって、ヨーロッパは挫折しそうになっている。重要なことは各国の民主主義をヨーロッパ的水準で民主化することであり、そのようにしてヨーロッパを新しく作りなおすことだ。ヨーロッパが君のために何ができるのかを問うのではなく、君がヨーロッパのために何ができるかを問おう。それがモットーだ。さあ、ヨーロッパしよう。

 民主主義理論の先達たちは――ジャン=ジャック・ルソーからユルゲン・ハーバーマスに至るまで――誰一人として、民主主義が定期的な投票行為で済むとは思っていなかった。目下、ヨーロッパを引き裂いている債務危機は単なる経済的危機ではなく政治的危機なのだ。これを解決するには、ヨーロッパの市民社会と、若い世代のヴィジョンが必要だ。ゆめゆめヨーロッパが目の敵にされ、ヨーロッパ人不在のヨーロッパに対する市民の「怒りの行動」がまきおこるような事を許してはならない。ヨーロッパ人の参加なしにはヨーロッパは機能せず、またヨーロッパ人は自由の空気を吸うことなしに行動することはできない。

 ヨーロッパのための自発的研修年を創設するための国と民族と宗教の境界線をこえた活動は、政治的怠惰を隠蔽するためのものではない。それはむしろ創造的空間を創出すべきものだ。それゆえ、すべての人のためのヨーロッパ研修年はヨーロッパ市民社会の自己創設行為であり、失業している若者への施しなどではない。それはヨーロッパが、下から作用する新たな憲法を自らに与え、それによって政治的創造性と正統性を生み出すための自己創設行為なのだ。政治的自由は、恐怖を免れた安心感を含むものでなければならない。そうした安心感は、雨露をしのぐ住まいがあり、自分が明日、そして老後にどのように生活していくのかを今日わかっている場合にのみ、育つ。だからこそヨーロッパ研修年には、しっかりとした経済的支えが必要だ。われわれはヨーロッパの経済界に、そのための寄与をするよう呼びかける。

 下からのヨーロッパは、既存の行動パターンに範を求めるわけにはいかない。ここでの市民は、他のヨーロッパ諸国におもむき、国民国家ではもはや解決できないような――たとえば気候変動や環境破壊、難民の流入、民族差別や極右運動といった――問題領域でトランスナショナルな活動をする。しかしまた、ヨーロッパ中でネットワーク化された美術、文学、演劇のための施設も彼らがヨーロッパのための舞台として利用できるようにしたい。個別国家、EU、政治的市民社会、市場、社会的安定、環境面での持続可能性の間で新たなバランス調整が必要とされる。

 ヨーロッパが良さを発揮できるのはどんなところか。ヨーロッパはわれわれにとってどれほどの価値があるのか。どんなモデルが21世紀のヨーロッパの未来を保証できるのか。これはまだ正真正銘、答えの見つかっていない問いだが、われわれの答えはこうだ。ヨーロッパは、他のどこにも存在していない政治的社会的理念の実験室なのだ。何がヨーロッパのアイデンティティを作り上げているのか。おそらくヨーロッパ的なるものとは、市民と訳される様々な語、「シトワイヤン」(仏語)、「シティズン」(英語)、「シュターツビュルガー」(独語)、「シュダダーノ」(スペイン語)、「オビヴァテル」(ポーランド語)、「ポリーテース」(ギリシャ語)がつくり上げる数多くの政治文化の間の対話と差異のなかにある。そしてまた、自分自身を笑い飛ばすヨーロッパのアイロニーの中にある。ヨーロッパを活気と笑いで満たすためには、市民同士が共に手をたずさえる行動に勝るものはない。

発起人一覧

Yuri Andrukhovych, Schriftsteller; Attila Ara-Kovács, Journalist; Jerzy Baszynski, Journalist; Zygmunt Bauman, Philosoph und Sozialwissenschaftler, Senta Berger, Schauspielerin; Mircea Cărtărescu, Schriftsteller; Patrice Chéreau, Theater- und Filmregisseur; Rudolf Chmel, Literaturwissenschaftler und ehemaliger Kulturminister der Slowakei; Jacques Delors, ehem. Präsident der Europäischen Kommission; Gábor Demszky, ehem. Oberbürgermeister von Budapest; Chris Dercon, Direktor der Londoner Tate Modern; Doris Dörrie, Filmemacherin; Tanja Dückers, Schriftstellerin; Peter Eigen, Gründer von Transparency International; Olafur Eliasson, Künstler; Peter Esterházy, Schriftsteller; Ádám Fischer, Dirigent; Iván Fischer, Musikdirektor, Budapest Festival Orchestra und Konzerthaus Berlin; Joschka Fischer, Bundes-außenminister a. D.; Jürgen Flimm, Regisseur und Intendant, Berliner Staatsoper, Anthony Giddens, Ökonom, Sozialwissenschaftler und ehem. Direktor der London School of Economics; Alfred Grosser, Publizist und Politologe; Ulla Gudmundson, Botschafterin des Königreichs Schweden; Jürgen Habermas, Philosoph, Miklós Haraszti, Schriftsteller, früherer OSZE-Vertreter für Medienfreiheit, Dunja Hayali, Journalistin; Roza Hodosán, Soziologe; Michal Hvorecký, Schriftsteller; Eva Illouz, Kulturwissenschaftlerin; Daniel Innerarity, Sozialwissenschaftler und Publizist; Gabor Ivanyi, Pastor, Rektor des John Wesley Theological College; Mary Kaldor, Politologin; Navid Kermani, Schriftsteller und Islamwissenschaftler; Imre Kertész, Literaturnobelpreisträger; Kasper König, Kurator und Direktor des Museum Ludwig, Köln; György Konrád, Schriftsteller und ehem. Präsident der Akademie der Künste, Berlin; Rem Koolhaas, Architekt; Michael Krüger, Schriftsteller und Verleger; Adam Krzeminski, Journalist und Schriftsteller, 
Wolf Lepenies, ehem. Direktor des Wissenschaftszentrums Berlin; Jutta Limbach, ehemalige Präsidentin des Bundesverfassungsgerichts und des Goethe-Instituts; Constanza Macras, Choreografin und Mode-designerin; Claudio Magris, Schriftsteller; Bálint Magyar, Soziologe, früherer Bildungsminister; Sarat Maharaj, Kunsthistoriker und Kurator; Olga Mannheimer, Autorin; Petros Markaris, Schriftsteller; Robert Menasse, Schriftsteller; Imre Mécs, Elektronik-Ingenieur; Adam Michnik, Herausgeber »Gazeta Wyborcza«; Herta Müller, Literaturnobelpreisträgerin; Hans Ulrich Obrist, Kurator und Direktor, Serpentine Gallery London; Thomas Ostermeier, Regisseur und Intendant der Schaubühne Berlin; Iolana Pârvulescu, Schriftstellerin; Petr Pithart, Journalist und ehem. Premierminister der Tschechischen Republik; 
Andrei Pleşu, Publizist, Kulturminister der ersten demokratisch gewählten Regierung Rumäniens; Martin Pollack, Journalist und Schriftsteller; Alec Popov, Schriftsteller; László Rajk, Architekt; Ilma Rakusa, Schriftstellerin und Übersetzerin; Peter Ruzicka, Komponist und Dirigent; Joachim Sartorius, Schriftsteller und Übersetzer; Saskia Sassen, Wirtschaftswissenschaftlerin und Globalisierungsforscherin; 
Hans-Joachim Schellnhuber, Direktor des Potsdam Instituts für Klimaforschung; Andras Schiff, Pianist; Helmut Schmidt, Bundeskanzler a. D.; Henning Schulte-Noelle, ehem. Vorstands- u. Aufsichtsrats-vorsitzender der -Allianz SE; Martin Schulz, Präsident des Europäischen Parlaments; Gesine Schwan, ehem. Präsidentin der Humboldt-Viadrina School of Governance; Richard Sennett, Soziologe und Schrift-steller; Martin M. Šimečka, Schriftsteller und Journalist; Konstantinos Simitis, ehemaliger Ministerpräsident der Hellenischen Republik; Johan Simons, Regisseur und Intendant, Kammerspiele München; 
Javier Solana, ehem. Generalsekretär des Rates der Europäischen Union und Hoher Vertreter für die Gemeinsame Außen- und Sicherheitspolitik; Sándor Szilágyi, Schriftsteller; Michael M. Thoss, Geschäftsführer Allianz Kulturstiftung; Klaus Töpfer, Gründungsdirektor des IASS und ehemaliger UNEP-Direktor; Klaus Wagenbach, Publizist; Richard von Weizsäcker, Bundespräsident a. D.; Christina Weiss, Kulturstaatsministerin a. D.; Wim Wenders, Filmemacher und Fotograf; Robert Wilson, Künstler und Theaterregisseur; Michel Wieviorka, Sozialwissenschaftler.

2012年5月 4日 (金)

EUとは誰のことか

ひさびさにうめぞうです・・・

 新年度のばたばたがようやく一段落。今は空き家になっているまつこの実家で、数日間、休暇を楽しむことにした。とにかく水と空気、魚と野菜がうまい!これで、あの雪に閉ざされた長い冬さえなければ、老後の隠居所には最高のところなのだが…

 さて、初夏になっても「不満の冬」がいっこうに明けそうもないのが、EU諸国だ。ギリシャでもスペインでも、若者の半数が失業中だという。しかもそこに年金・福祉・教育の予算カットと増税が追い打ちをかけている。貴重な公共インフラを民間や外国資本に売却する動きもある。いきすぎた緊縮政策に、民衆の無力感と絶望が刻一刻と深まっている。これも、元はといえば巨大投資銀行の破綻がきっかけだ。なぜわれわれ庶民がその尻拭いをしなければならないのか、という怒りはよくわかる。

 かつてウォール・ストリートのエリートたちは金融工学の粋を尽くして、リスクの大きいサブプライムローンを優良なローンに混ぜ込んで証券化する手法を開発した。破綻した際の保険も整備した。そして市場の9割を独占する三大格付け会社(S&P、ムーディーズ、フィッチ)のお墨付きを得て、世界の投資家に売りまくった。膨大な利益が彼らの懐にころがりこんだ。

 しかしまもなく、リスクの分散は、実のところリスクの拡散に過ぎなかったことが判明した。急激な信用収縮が生じ、あっけなくリーマンが破綻。金融恐慌を恐れた各国政府は金融機関のベイルアウト(救済)のために巨額の税金を投じた。それが現在のソブリン(国債)危機を招いた。ひとことで言えば、公共性の高い金融市場を舞台に「利益の私物化」と「損失の社会化」がまかり通ったわけだ。わずか4年前のことなのに、今や世論は金融エリートや格付け会社の責任などはすっかり忘れてしまい、批判の矛先を「怠惰なギリシャ人」へと向けている。

 これと似た光景は、80年代のラテンアメリカ諸国の債務危機の際にも見られた。のちに「ワシントン・コンセンサス」と批判されることになるIMFのコンディショナリティ(貸付条件)もやはり緊縮財政、民営化、外国資本導入、規制緩和を組み合わせたものだった。結果は惨憺たるもので、この手法を導入した32ヵ国中、28ヵ国が失敗例だったとする研究報告もある。 

 今回、支援停止をちらつかせてギリシャに緊縮財政や民営化を迫っているのはIMFではなく、EUだということになっている。しかし、ここでいうEUとは誰のことか。EUには欧州委員会、欧州議会、閣僚理事会などの組織があるが、委員会や議会では行き過ぎた緊縮政策を批判する声が多く聞かれる。欧州議会議長マルティン・シュルツなどはその急先鋒の一人だ。ところがその批判はEUの決定にほとんど反映されず、したがって各国民衆の耳にも届いていない。現在のユーロ危機の根幹にはEU内の民主主義の欠如がある。

 そのことをはしなくも暴露した事件が最近あった。オランダ連立政権の崩壊だ。イスラム排斥などを唱えてきた極右の自由党党首ウィルダースが、EUが押し付ける緊縮政策を批判して連立を離脱、ルッテ内閣が総辞職した。9月には総選挙が行われる予定だ。
 これはとんだお笑いぐさの茶番劇だ。ウィルダースは閣外協力とはいえ連立与党としてルッテ政権を支えてきた。そのオランダは、ドイツ(メルケル)、フランス(サルコジ)、ルクセンブルク(ユンカー)とならんで、もっとも頑迷強固に緊縮政策を押し付けてきた張本人だ。行き過ぎた緊縮を危惧するシュルツ議長の意見をEU内で一蹴してきたのはほかならぬ上の面々だ。

 EU内では「緊縮政策を徹底しないかぎりギリシャ支援などしない」と強固に主張し、欧州議会の批判を封じておきながら、自国に戻ると国民に対して「EUが無理やり緊縮を押し付けている」と非難する。これがウィルダースたちの政治手法だ。基本的には金融資本の随伴者でありながら、緊縮財政の負の側面をEUに押し付け、脱ヨーロッパのナショナリズムを煽っている。

 もしEUの民主主義的正統性が欧州議会と欧州委員会にあるとするならば、EUはけっして過度な緊縮財政など押し付けてはいない。議会の批判を押さえつけて、EUの決定を操っているのは、ユーログループ(ユーロ圏の財務相理事会)の背後にいる各国首脳であり、そこには上記四カ国政府の利害が色濃く反映している。彼らの基本政策は、かつてのIMFのコンディショナリティと同様に、いわゆる新自由主義的(ネオリベラル)なパッケージにほかならない。一般には「英米の新自由主義」に対する「欧州の社会民主主義」というイメージが流布しているが、実情はまったく異なる。目下のところ、EUの基本政策はオバマの経済政策以上にネオリベだ。

 しかし、このことに良識あるヨーロッパ市民は気付きつつある。連休明けのフランス大統領決選投票、秋のオランダ総選挙、そして来年のドイツの総選挙がその転機となるよう、うめぞうは願っている。また、非常に問題の多い新財政協定がアイルランドで国民投票にかけられるのもけっこうなことだ。昨秋、ギリシャのパパンドレウ前首相が苛酷な緊縮政策と抱き合わせになった救済パケッジを国民投票にかけると発言した時、ユーログループは激しく非難した。パパンドレウはこの発言で政権を追われたようなものだ。ユーロ圏をリードする首脳たちが国民投票を蛇蝎の如く嫌うのは、ほかならぬ彼らの決定が民主的正統化を経ていないからだろう。

 緊縮財政の責任をEUに転嫁しながらユーロ離脱を声高に唱えているポピュリスト政治家たちは、陰では国民の不満をあおる緊縮財政に手を貸し、民衆よりも国際資本の随伴者として活動している。この事実を、欧州の選挙民にはしっかりと見ぬいてほしいものだ。

2012年5月 3日 (木)

故郷の居酒屋

まつこです。

昨晩からうめぞうと二人で新潟に来ています。昨日は夕刻に到着。駅前の居酒屋から焼き魚の良い匂いが流れてきます。匂いにつられて、暖簾をくぐりそこで夕食。毎週の介護帰省していたころは、こんなふうに気ままに寄り道をするなんて想像もできませんでした。

きわめて庶民的なこの居酒屋。地元の港であがった魚を料理して出しています。盛り付けは素朴ですが、新鮮なお魚は甘味があってどれもおいしい。

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[マトウダイのお刺身]

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[めばるのお刺身]

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[ノドグロの塩焼き]

新潟のお酒で私のお気に入りは「吉乃川」。ほろ酔い気分になったところに、お店の人が「これはサービスです!」と持ってきてくれたものを見て、ウメマツともども酔いがさめました。

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[生きているよ~、これ!]

「シロウオのおどりぐい」です。ダメ、ムリ、絶対に!私たちは二人とも怖がりです。生きている魚をそのまま口に入れるなんて、とうていできません。写真だけとって、お店の方に即座に下げてもらいました。世に珍味は数々あれど、これはたぶん一生食べられないままだろうなあ・・・。

2012年5月 2日 (水)

コットン・クラブ:Joe Barbieri

まつこです。

昨晩の記事はあまりに感興に欠けるものだったので、もうちょっと楽しい記事をアップします。

先日、うめぞうが「たまにはおしゃれなところに出かけようよ〜」と誘ってきました。せっかくの金曜日の晩なのに、髪をターバンでとめ、老眼鏡をかけて、必死の形相でパソコンの前にはりついている妻の姿が興ざめだったのでしょう。

で、出かけた先は・・・

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[東京駅のそばのコットン・クラブ]

丸の内のコットン・クラブです。この晩はイタリアのナポリ出身の歌手ジョー・バルビエリ(Joe Barbieri)が登場しました。初めての来日で、この夜が最初のステージ。最初はちょっと緊張している様子でしたが、甘く切なく軽やかな歌声が会場を満たすうち、お客さんも本人もくつろいで音楽を楽しむくつろいだ雰囲気になりました。

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[老眼鏡を外して、エルメスのスカーフと赤いマニキュアで別人に変身(したつもり)]

バルビエリはちょっとだけハスキーな歌声で、ピアノ、ドラムス、ベースの他にチェロという組み合わせで、ジャズとポップスとボサノヴァがほどよくまじった明るい音楽を聞かせてくれました。お料理もワインもおいしくてご機嫌な夜でした。

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[ライブのあとCDにサインしてもらっちゃいました。一番新しいアルバムの『静かに、息をするように』(Respiro)です。朝昼晩、いつでも楽しめる軽やかな音楽です]

最近、繁華街は昼でも人疲れするので避けているウメマツ。夜、どこかのお店に入っても若い人が多いにぎやかなお店だと、なかなかのんびりした気分にはなれません。年をとってくると遊ぶ場所がだんだん減ってくるものだ実感しています。「大人の社交場」を名乗るコットン・クラブはほどよい落ち着きがちょうど良い感じです。たまにはお洒落して都会の夜を楽しみたいという中高年の皆さんにおすすめです。

2012年5月 1日 (火)

鬼の霍乱

まつこです。

連休の合間、出勤日だというのに、朝起きたら声が出なくなっていました。風邪です。うめぞうからは「鬼の霍乱」と呼ばれています。原因は自分でも分かっています。
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[机の上にはデスクトップ1台、ラップトップ2台…]

金曜日に届いた新しいパソコンで遊びすぎて、夜更かししてしまったのです。初めてのMac。この際だから、新しいオンラインサービスやソフトも試してみたい・・・と、あれこれ欲張るうちに連日の深夜作業。

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[床の上には数日前まで使っていたデスクトップとiPadが転がっています。女の部屋には見えないかも?]

OSのヴァージョンあげ、iCloudに, SkyDriveに、Dropboxにとあれこれ試しまくり、いろんなところに分散していたファイルをまとめて整理し直しなおしました。写真も6年前くらいのから整理し、これで一段落。Safariとココログの相性がいまいち良くないようなので、Firefoxもダウンロード。

これで完璧! これからはサクサク、スイスイと仕事がはかどるはず…。

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