« ワイルド・ローズ | トップページ | ポピュリズムの罠 »

2012年2月 2日 (木)

いつか来た道

うめぞうです。

前回は格付け会社によるフランス国債の格下げのことを書いた。今までのところ、この格下げは欧州の国債利率にほとんど影響を与えていない。おそらく、ECBのドラギが12月に50兆円の資金供給をしたのが効いたのだろう。IMFのラガルド専務理事も、過去のIMFの失敗から学んだようで、今回は正しい方向を目指しているように見える。

前にも書いたように、ECBのバズーカで時間を稼ぎ、その間に欧州版IMFであるESMの規模拡大を目指すのが急務だと、うめぞうは考えている。そしてドンと200兆円くらいの資金を積んで、金融市場との心理戦を勝ち抜く必要がある。そのうえで10年、20年かけて、ギリシャやポルトガルの経済の近代化を目指す。これが結局のところ、相対的に犠牲の少ない解決になるはずだ。

しかし、今回のダボス会議で開会演説をしたメルケルはあいかわらず「実行できないことは約束しない」の一点張りで、各国の財政規律を優先するドイツ流を貫いた。ラガルドとメルケルが差しで対談したようだが、その詳しい内容はわからない。しかしメルケルがラガルドの意見に謙虚に耳をかたむけたとも思えず、うめぞうの脳裏には、ユーロゾーンの一部解体も少しちらついてきた。

西欧諸国の政策責任者たちは過去20年間の日本の経験をいまだに対岸の火事のように思っている。「日本から学ぶ?冗談じゃない。20年間の日本の経済政策など、ぜんぶ失敗だったじゃないか。日本の真似をしないようにするのが、われわれの仕事だ」。多くの人々はまだそう思っているに違いない。しかし、これは大きな間違いだ。

2008年9月にリーマンが破綻したあと、すわ世界恐慌かと思いきや、2009年4月にはG20と、続くロンドン・サミットで各国首脳たちが500兆円もの財政出動に合意し、経済のブロック化や保護主義政策の台頭を防いだ。その時うめぞうは、やはり人類は馬鹿じゃない、1930年代の悲劇からちゃんと学んでるじゃないかと拍手を送ったものだ。すでに忘れられているようだが、この時、アメリカのわがままを許さず、コンセンサス作りに手腕を発揮したのはイギリス首相ゴードン・ブラウンだった。しかし、マクロ経済に通じていたこの首相はその後、まったく人気を失って政界から放り出されてしまう。

そしてわずか1年後の2010年春には「財政健全化」を求める声が高まる。イギリスでは保守党が極端な緊縮政策に走り、アメリカではティーパーティなどに押された共和党が財政出動に待ったをかけた。かくして、日本の誤りが繰り返されることになる。なぜ、このことが彼らに理解できないのだろうか。

バブルが崩壊すると、地価や株価が暴落し、企業は一朝にして巨額の不良債権や赤字を抱えることになる。信用収縮のため銀行間での資金のやり取りが停滞し、資金ショートを恐れて皆が現金を握りしめる。多少の公的資金を入れても、銀行は借金返済に充てて自己資金率を回復しようとする。こうして実体経済が貧血状態になる。こんな時にはケインズの教えに従うしかない。そして事実、それは日本でも繰り返し、功を奏したのだ。ところがもうちょっとがまんして、銀行や企業のバランスシートが回復するまで財政赤字に耐えなければならないときに、きまって早すぎる緊縮財政の反動がやってくる。

ゴードン・ブラウンに限らず、バブル崩壊後のケインズ政策には風当たりが強い。なぜギャンブルに狂った連中の後始末に税金を使うのか、という批判が起こるからだ。90年代初めに日本の土地住宅バブルが破裂した時、やはり経済通の宮沢喜一は住専処理に公的資金を早急に投入すべきだと主張して総スカンをくらった。あの時、あの時点で宮沢の言うことを聞いていれば、平均株価が4分の1にはならなかっただろう。結局は、90年代半ばまでかかって住専国会ですったもんだした挙句、6850億円の公的資金を投入することになった。

そこで少し回復の兆しが見えてきたところで、今度は橋本龍太郎が時期尚早の緊縮策に打って出た。かくして戦後初の都市銀行の破綻が起こる。しかし次の小渕は積極財政に打って出て、ふたたび景気は回復した。もう少し続けていれば、と悔やまれるが、突然の逝去もあって、やがて小泉時代の緊縮策へと戻っていく。

こうした歴史は、アメリカ住宅バブル崩壊から始まった今回の危機にも重要な教訓を与えているはずだ。銀行の自己資本規制や財政規律の強化自体は、悪いことではないが、今この時点でそれを優先すれば、貯蓄は投資には向かわない。バランスシートの穴埋めのためにみんなが現金を握りしめて、誰も金を使う人がいないまま全員が貧困化していくという合成の誤謬が生じやすい。

うめぞうの見るところエコノミストの中で、かつての日本の状況を正確に分析していたのは、リチャード・クーと植草一秀だった。今でもうめぞうは、この二人の経済学者の著作を評価している。近年では小野善康の議論も参考になる。イギリスでは、かつてケインズの伝記を書いたスキデルスキーがまだ頑張っているようだし、金融庁総裁アデナ・ターナーなども良いセンスをしている。アメリカでもドッド・フランク法という金融規制法が制定された。ドイツ人にも国連のUNCTADのチーフエコノミストをしているハイナー・フラスベックというケインジアンがいる。

問題は、そうした声がうまく民衆にまで伝わるかどうかだ。「財政規律を守れない国に、われわれの税金は使わない」といった議論は、圧倒的にわかりやすい。対して、「ミクロの合理的行動が、マクロでは合成の誤謬をもたらす」などという説明は、あまりにも難しい。国内に投資先が見つからないためにギリシャやスペインなどの国債利回りを目当てに資金を投じ、南欧諸国にバブルを発生させたのは、ほかならぬ独仏の銀行だった。ドイツがやり玉に挙げるギリシャ政府の無駄遣いは、ドイツの戦車の購入費に充てられたなどといったことは、誰も口にしない。今、そうした国から一斉に逃避したドイツの国内資金は、バランスシートの回復ではなく、南欧諸国からの輸入品購入や、それらの国のインフラ整備、観光業の振興などに積極的に投じられるべきだ。ドイツが自分を見習えといわんばかりの緊縮政策をこれ以上、南欧諸国に求めるのは、プロテスタンティズムの倫理の宣伝にはなっても、マクロ経済的解決にはならないだろう。

次回はまつこに「マンデヴィルの蜂の寓話」を解説してもらうことで、資本主義における合成の誤謬について考えることにしよう。まつこさん、どうぞよろしく。

« ワイルド・ローズ | トップページ | ポピュリズムの罠 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: いつか来た道:

« ワイルド・ローズ | トップページ | ポピュリズムの罠 »