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2012年2月15日 (水)

往年の輝き

性懲りもなく、再度、うめぞうです。

まつこの仕事もようやく山を越し、とりあえずは散髪に行ったり、洋服を漁ったりして、春休みモードに切り替え中かとおもいきや、以前から頼まれていた原稿の締め切りが迫っているそうで、木曜日まではまだブログに手が回らないらしい。そこでその間隙を縫って、またちょっとだけ書き忘れたことを付け足しておこう。

今日のニュースによると、ギリシャへの支援をめぐってドイツを筆頭とする優等生諸国がますます高飛車な態度でギリシャに緊縮政策を迫っているようだ。通貨同盟を結んでいる以上、財政破綻しそうな国が出れば、安定化基金なり中央銀行が最後の貸し手機能を果たすのは当然の義務であり、ギリシャにはそれを求める権利がある。これだけ経済がグローバルな相互依存関係にあるときに、ギリシャの国家債務を肩代わりするのは、ドイツをはじめとするEU諸国自身の利益にもかなうことだ。なにもギリシャ国民にこれほどの屈辱を味合わせ、戦後ドイツが営々と築いてきた信頼関係を犠牲にしてまで、もったいぶって行う必要はない。ここで生じたドイツへの猜疑心は今後何十年にもわたって計り知れない代償をドイツに支払わせることになるだろう。

今回の危機はもとをたどればリーマン・ショック以降の金融危機だった。リーマン・ショックの時、信用収縮を防ぐために、各国は巨大銀行に湯水のごとく公的資金を投じた。そこから各国の財政赤字が問題化し、「金融危機」がいつのまにか「国債危機」にすり替えられた。国家債務問題はそれまでもずっと存在しており、ドイツもみずからEUルールを破ってきた。にもかかわらず、混乱の責任がここへきて投資銀行やヘッジファンドから、南欧諸国へと転嫁された。このトリックを見逃してはならない。真の原因を作った仕組みを温存したまま、ギリシャ国民に責任を取らせるような政治ショーに対して、ギリシャ国民が怒りをぶつけるのは当然のことだ。

ドイツ国民の多くは「働かない公務員に金をばらまいていた国の国民がいまさら緊縮政策に不満をぶつけるのはお門違いだ。われわれは賃金を抑制しながら営々と働いてきた。その成果として手にしたお金を彼らのために使うのだから、われわれが緊縮を要求するのは当然のことだ」と考えている。政治家も一見もっともらしいこうした国民の声を代弁している。しかし、すでに書いてきたように、これは真理の半面しか語っていない。ドイツのように生産性の高い国が賃金抑制によって自国産業の競争力を強化すれば、ギリシャのように競争力に劣る国の国際収支を悪化させる。しかも通貨統合があるために競争力の差を為替で調整することができない。好調な輸出と相対的に低い賃金によってドイツ企業に蓄えられた内部留保は、インフレを過度に封じられた国内に十分な投資先を見つけられず、たとえばスペインなどの土地住宅に投じられ、バブルを生み出した。そこで安心して投資できた大きな理由は為替リスクがなかったことだ。その意味でドイツもまた十分に通貨統合の果実を摘み取ってきたのだ。出来の悪いメンバーのためになぜ優等生である自分だけが費用を負担しなければならないのか、という被害妄想は真実の半分でしかない。

ただし、こうした経済面だけからユーロ危機を論じるのは、あまりにも一面的だ。総じて日本のマスコミや経済評論家のEU論は経済的視点に偏りすぎているきらいがある。いわく、競争力の異なる国が通貨統合などできるはずがない、経済原則に逆らうユーロ構想はいずれ崩壊する、といった具合だ。たしかに、ドイツが今のように頑迷な態度で緊縮政策の実施を迫り続け、またドイツの財布を当てにしている他国が内心の不快感をこらえてそれに追随していれば、いつかは予想外の形でギリシャのデフォルトとユーロ離脱が現実となるかもしれない。

しかし、万一そうした事態になっても、それでEUというプロジェクトが破綻するわけではけっしてない。浜矩子さんはクールな現状分析と軽妙な造語能力で、わが家ではなかなか人気の高い経済学者だが、それでも浜さんのEU論はその背後にある政治的意志、つまり、欧州に二度と戦争を起こさせない仕組みを作るというヨーロッパ人たちの固い決意をしばしば過小評価しているように思える。

もっとも、こうした傾向は日本だけのことではない。本家のドイツでさえ、EU問題はその間にすっかり経済問題に格下げされた感がある。

そんな中、一人の政治家がひさびさに往年の輝きを見せてくれた。2011年12月4日、SPD(ドイツ社会民主党)の党大会に現れ、1時間以上にわたって静かに、しかし心に響く名演説をした93歳のヘルムート・シュミット元首相だ。

シュミットはまず欧州の戦争の歴史を振り返る。そこでは中心部が弱体化すれば、周縁部から諸民族が侵入し、また中心部が強大化すれば周縁部への征服が開始されるという悲劇が繰り返されてきた。ドイツ語圏が廃墟と化した1618年からの30年戦争、ルイ14世の侵略戦争、ナポレオンをめぐる戦争、そして19世紀に入るとデンマーク、オーストリア、フランスに対するビスマルクの戦争、20世紀には第一次世界大戦を経て、ヒトラーの戦争とホロコースト。こうした歴史を概観した上で、シュミットはこう説明する。現在のEUを生み出したのは、けっしてヴィクトル・ユゴーの理想主義的理念などではない。この構想は過去の歴史に対する冷徹なリアリズムから生まれたものなのだ、と。

第二次大戦後に具体化したEUへの歩み。その背景には2つの動機があったとシュミットはいう。1つはもちろん東側共産圏への防波堤を建設すること。しかしもう1つは、いずれ強大化するであろうドイツに手綱をつけることだった。事実、ドイツ統一は、現ポーランド国境(オーデル・ナイセ線)を最終確認してでもヨーロッパの一員となるというドイツ人の確固たる決意とひきかえに、はじめて実現したものだ。

ところが2011年末現在、あらためて隣人たちの目を通してドイツを見ると、この国はかつてのような信頼に足る国ではなくなってきている、とシュミットは警告する。このたびはたしかに軍事力ではなく、経済力による支配だが、強すぎるドイツがヨーロッパを不安定化させる事情は今も昔も変わりない。ドイツの黒字は必然的に他国の赤字になる。このことをドイツ人はもっと意識していなければならない。

「我々ドイツ人が、自分たちの経済力を頼りに、ヨーロッパ政治で指導的役割を果たそうとする誘惑に屈すれば、ますます多くの隣人たちがドイツへの猜疑心を抱くようになるでしょう。…過去60年間のドイツの経済的成功は自分たちの力だけで成し遂げたものではないのです。西側戦勝国の援助なしには、欧州共同体とNATOへのドイツの編入なしには、そして我々の隣人たちの支援、東欧市民による政治変革、共産主義独裁政権の終焉なしには、それは不可能だったのです。われわれドイツ人には、感謝の念をいだくべき十分な理由があります。そして同時にわれわれには、われわれを受け入れてくれた連帯に対して、われわれ自身による連帯を証明する義務があるのです。」こうシュミットは説く。これは戦後日本についてもそのままあてはまる重い言葉だ。

過去何十年にわたってドイツはたしかに資金提供者の側に立ってきたが、それは当然のことであったし、これからも当然のことであるべきだ、とシュミットは断言する。ドイツは自分の力をたのんで、ゆめゆめヨーロッパで孤立する道を選んではならない。「そのために、われわれが必要としているのはヨーロッパ的理性です。そしてまた理性だけではなく、われわれの隣人とパートナーに対する共感です。」

シュミットはまたヨーロッパ議会が国際金融規制の先頭にたつべきだと力説する。そしてこう続ける。「けっして全ヨーロッパに対して極端なデフレ政策を押し付けてはなりません。ジャック・ドロールが言うように、財政の健全化と同時に成長を促すプロジェクトを導入し、そこに資金を投じることが必要です。成長と、新しい職場を作ることなしに、国家が財政を建てなおすことはできません。節約だけでヨーロッパが健全になりうると信じる人には、1930/32のハインリヒ・ブリューニングのデフレ政策が何をもたらしたかを勉強していただきたい。」

一時間以上に及ぶ演説は、次のような文章で締めくくられている。

「老人となった今も、私はなおゴーデスベルク綱領が依拠した3つの基本的価値、自由、公正、連帯を固く信じています。ちなみに現在、公正という面ではなによりも要求されるのは、子供たち、青少年、若者たちに対する機会均等の保証です。1945年、1933年(当時私は14歳になったばかりでした)のことを振り返ると、その間にわれわれがなしとげてきた進歩はほとんど信じがたいものがあります。しかしそれは、ヨーロッパ人が1948年のマーシャル・プランと1950年のシューマン・プランのおかげで手にしたものであり、われわれドイツ人が、レフ・ヴァウェンサ(ワレサ)と自主管理労組「連帯」のおかげで、ヴァツラフ・ハヴェルと憲章77のおかげで、そしてライプツィヒと東ベルリンの市民たちのおかげで、1989/91年以来、手にしたものなのです。ヨーロッパの大部分が今日享受している人権と平和は、1918年にも、1933年にも、1945年にも想像出来なかったことです。ですからみなさん、この歴史上唯一無二の欧州共同体が目下抱えている弱点から確固たる信念と自信をもって立ちあがるよう、ともに働き、戦おうではありませんか。」

この演説は何度も場内の拍手によって中断を余儀なくされた。シュレーダー政権以来、SPDが長らく忘れていた原点をもう一度思い起こさせてくれたこのメッセージこそ、現在のEU問題を語る人がつねに拳々服膺すべきものだ。EUのプロジェクトはその本質において経済的性格のものではなく、戦争に明け暮れたヨーロッパの政治哲学的挑戦なのだということを、われわれとしても忘れてはならないだろう。

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