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2012年2月

2012年2月29日 (水)

春は名のみ

まつこです。

昨日、早めに職場から帰宅する際、梅の花がほころび始めているのを見つけました。青空に梅の花。日ざしも力強くなっています。春はすぐそこまできています。

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[同僚のぽにょ]

夕方、寒くなる前に、うめぞうを誘って梅の花を見に外出しました。近所の梅の名所と言えばここ。

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[合格祈願の絵馬がたくさん]

学問の神様、菅原道真を祀った湯島天神です。

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[今年の見ごろは3月上旬のようです]

ほころび始めたうめがちらほら咲いています。

梅祭り開催中なので、境内には屋台もたくさん並んでいます。

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[甘くてあったか~い]

赤い毛氈のひかれたベンチで「合格甘酒」を飲んで、しばし梅を眺めました。「入試シーズンもそろそろ終わりだね。もうすぐ春だね~」とのどかな会話。

しかし・・・

一夜明けたら雪景色。

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[今朝の雪]

春は名のみの寒さです。でも東京で降る雪は春の訪れの先がけです。春は行ったり来たりしながら少しずつ近づいています。入試結果発表の悲喜こもごもの季節ですが、春はみんなに平等にやってきます。ピカピカの1年生にも涙を飲んだ浪人生にも、暖かな季節の到来はすぐそこです。

2012年2月26日 (日)

『トスカーナの贋作』

まつこです。

先週末、久しぶりにうめぞうと二人で映画を見に行きました。昨年見逃してしまっていた『トスカーナの贋作』を、飯田橋の名画座ギンレイで。中年男女の心理のずれを描く知的遊戯にあふれた映画でした。

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[左から、フランス版(Copie Conforme)、日本版(『トスカーナの贋作』)、イギリス版(Certified Copy)のポスター。タイトルの付け方やポスターのデザインに文化の違いが反映していて面白い]

たまたま夫婦と間違えられた中年の男女が、夫婦のようにふるまっている間に、男女それぞれのエゴがむき出しになる。「贋物」の夫婦が、男女関係の「真実」をむき出しにする、という内容です。

イタリアに住んでアンティーク・ショップを経営するフランス人女を演じるのはジュリエット・ビノシュ。この女優さん、『存在の耐えられない軽さ』で初めて見たときから、美しさより上手さが目立つという印象でした。スタイルも完璧とは言い難いし、もっときれいな女優さんはたくさんいるし、映画女優の華麗さにいまひとつ欠けるというか、いわばフランス映画界の大竹しのぶ、という感じ。

それが今回、『トスカーナの贋作』ではすごく魅力的に見えました。シングル・マザーのフラストレーションも、イギリス人評論家とお似合いカップルを演じてちょっとはしゃいでいる様子も、真っ赤な口紅とイヤリングで「女」に変身する場面も、自分のロマンティックな気分に付き合ってくれない男に怒りをぶつける修羅場も、それぞれに中年女の弱点や欠点がチャーミングに見えてきます。

ジュリエット・ビノシュは1964年生まれ。『存在の耐えられない軽さ』の時が24歳。今回の『トスカーナの贋作』では46歳。24歳の時より、46歳の方がずっときれい。なぜ?

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[左が46歳、右が24歳]

年をとって頬がこけ、デコルテには厚みついています。これがいいのではないでしょうか。人生の酸いも甘いも経験するうちにふっくらとした頬はやせ、一方、二の腕から胸元にかけては貫禄がつきます。年月を経たからこそ得られる冷静さと余裕が、エレガントな雰囲気を作りだすのです。

こけた頬とふっくらとしたデコルテが熟年女性の魅力のポイント。これが逆になるとマズイです。たるんだ頬と貧弱な胸ではエレガンスにもゴージャスさにも欠けます。

私も含め、比較的痩せている中年女性は要注意です。ダンベル体操でもして、肩から胸にかけての筋肉づくりに励もう、とトスカーナの美しい田舎町の景色とジュリエット・ビノシュの豊かなデコルテをスクリーンに眺めながら、決意を新たにしました。

2012年2月17日 (金)

和風ヴァレンタイン・デー

お久しぶりです。まつこです。

寒い日が続きますが、春まであとひといきです。東北で被災された方々、雪国で豪雪に耐えている方々に、一日も早く暖かい春の日ざしが届くよう祈っています。

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[寒い冬、白クマくんも毛糸のマフラーを巻いています]

冬の寒い日には、せめて部屋の中は明るい春の花を飾りたくなります。花屋に行くとチューリップや水仙など春を先取りした花々が並んでいます。香り豊かな水仙を飾ったら、部屋いっぱいに香りが広がりました。

このところ忙しかったので、うめぞうはカギっ子状態。せめてヴァレンタイン・デーにはチョコレートくらいあげようと思って、近所のお気に入りの洋菓子屋ジャンヌ・トロワに行ったところ、押すな押すなの大混雑。あきらめて向かいの和菓子の三原堂へ。

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[我が家のヴァレンタイン・デーはこれ]

三原堂とジャンヌ・トロワは同じ経営です。チョコレートの代わりにうめぞうの好物の鶯餅か桜餅でも買おうと思って入ったら、ヴァレンタイン・デー用の練り切りがありました。和菓子屋さんもいろいろ工夫していますね。

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[お店のホームページから写真は拝借しました]

三原堂は昭和7年創業だそうです。実は最近、書道を始めたのですが、角川書店の高等学校用の書道の教科書(『書法Ⅰ』平成13年版)をパラパラとめくっていたら、見覚えのある看板の写真に目がとまりました。本郷三丁目の交差点にあるこの三原堂の看板の写真です。武田霞洞という明治から昭和の初期に活躍した有名な書家の手になるものだとか。いつも見慣れた看板の文字ですが、なんだかありがたみが増しました。

少しでも気持ちの余裕があると、見慣れた街の景色の中にもいろんなものが見つかります。少しずつ日ざしが強くなってくるこの季節、ご近所散策などしながら何か楽しい発見をしたいものです。

2012年2月15日 (水)

往年の輝き

性懲りもなく、再度、うめぞうです。

まつこの仕事もようやく山を越し、とりあえずは散髪に行ったり、洋服を漁ったりして、春休みモードに切り替え中かとおもいきや、以前から頼まれていた原稿の締め切りが迫っているそうで、木曜日まではまだブログに手が回らないらしい。そこでその間隙を縫って、またちょっとだけ書き忘れたことを付け足しておこう。

今日のニュースによると、ギリシャへの支援をめぐってドイツを筆頭とする優等生諸国がますます高飛車な態度でギリシャに緊縮政策を迫っているようだ。通貨同盟を結んでいる以上、財政破綻しそうな国が出れば、安定化基金なり中央銀行が最後の貸し手機能を果たすのは当然の義務であり、ギリシャにはそれを求める権利がある。これだけ経済がグローバルな相互依存関係にあるときに、ギリシャの国家債務を肩代わりするのは、ドイツをはじめとするEU諸国自身の利益にもかなうことだ。なにもギリシャ国民にこれほどの屈辱を味合わせ、戦後ドイツが営々と築いてきた信頼関係を犠牲にしてまで、もったいぶって行う必要はない。ここで生じたドイツへの猜疑心は今後何十年にもわたって計り知れない代償をドイツに支払わせることになるだろう。

今回の危機はもとをたどればリーマン・ショック以降の金融危機だった。リーマン・ショックの時、信用収縮を防ぐために、各国は巨大銀行に湯水のごとく公的資金を投じた。そこから各国の財政赤字が問題化し、「金融危機」がいつのまにか「国債危機」にすり替えられた。国家債務問題はそれまでもずっと存在しており、ドイツもみずからEUルールを破ってきた。にもかかわらず、混乱の責任がここへきて投資銀行やヘッジファンドから、南欧諸国へと転嫁された。このトリックを見逃してはならない。真の原因を作った仕組みを温存したまま、ギリシャ国民に責任を取らせるような政治ショーに対して、ギリシャ国民が怒りをぶつけるのは当然のことだ。

ドイツ国民の多くは「働かない公務員に金をばらまいていた国の国民がいまさら緊縮政策に不満をぶつけるのはお門違いだ。われわれは賃金を抑制しながら営々と働いてきた。その成果として手にしたお金を彼らのために使うのだから、われわれが緊縮を要求するのは当然のことだ」と考えている。政治家も一見もっともらしいこうした国民の声を代弁している。しかし、すでに書いてきたように、これは真理の半面しか語っていない。ドイツのように生産性の高い国が賃金抑制によって自国産業の競争力を強化すれば、ギリシャのように競争力に劣る国の国際収支を悪化させる。しかも通貨統合があるために競争力の差を為替で調整することができない。好調な輸出と相対的に低い賃金によってドイツ企業に蓄えられた内部留保は、インフレを過度に封じられた国内に十分な投資先を見つけられず、たとえばスペインなどの土地住宅に投じられ、バブルを生み出した。そこで安心して投資できた大きな理由は為替リスクがなかったことだ。その意味でドイツもまた十分に通貨統合の果実を摘み取ってきたのだ。出来の悪いメンバーのためになぜ優等生である自分だけが費用を負担しなければならないのか、という被害妄想は真実の半分でしかない。

ただし、こうした経済面だけからユーロ危機を論じるのは、あまりにも一面的だ。総じて日本のマスコミや経済評論家のEU論は経済的視点に偏りすぎているきらいがある。いわく、競争力の異なる国が通貨統合などできるはずがない、経済原則に逆らうユーロ構想はいずれ崩壊する、といった具合だ。たしかに、ドイツが今のように頑迷な態度で緊縮政策の実施を迫り続け、またドイツの財布を当てにしている他国が内心の不快感をこらえてそれに追随していれば、いつかは予想外の形でギリシャのデフォルトとユーロ離脱が現実となるかもしれない。

しかし、万一そうした事態になっても、それでEUというプロジェクトが破綻するわけではけっしてない。浜矩子さんはクールな現状分析と軽妙な造語能力で、わが家ではなかなか人気の高い経済学者だが、それでも浜さんのEU論はその背後にある政治的意志、つまり、欧州に二度と戦争を起こさせない仕組みを作るというヨーロッパ人たちの固い決意をしばしば過小評価しているように思える。

もっとも、こうした傾向は日本だけのことではない。本家のドイツでさえ、EU問題はその間にすっかり経済問題に格下げされた感がある。

そんな中、一人の政治家がひさびさに往年の輝きを見せてくれた。2011年12月4日、SPD(ドイツ社会民主党)の党大会に現れ、1時間以上にわたって静かに、しかし心に響く名演説をした93歳のヘルムート・シュミット元首相だ。

シュミットはまず欧州の戦争の歴史を振り返る。そこでは中心部が弱体化すれば、周縁部から諸民族が侵入し、また中心部が強大化すれば周縁部への征服が開始されるという悲劇が繰り返されてきた。ドイツ語圏が廃墟と化した1618年からの30年戦争、ルイ14世の侵略戦争、ナポレオンをめぐる戦争、そして19世紀に入るとデンマーク、オーストリア、フランスに対するビスマルクの戦争、20世紀には第一次世界大戦を経て、ヒトラーの戦争とホロコースト。こうした歴史を概観した上で、シュミットはこう説明する。現在のEUを生み出したのは、けっしてヴィクトル・ユゴーの理想主義的理念などではない。この構想は過去の歴史に対する冷徹なリアリズムから生まれたものなのだ、と。

第二次大戦後に具体化したEUへの歩み。その背景には2つの動機があったとシュミットはいう。1つはもちろん東側共産圏への防波堤を建設すること。しかしもう1つは、いずれ強大化するであろうドイツに手綱をつけることだった。事実、ドイツ統一は、現ポーランド国境(オーデル・ナイセ線)を最終確認してでもヨーロッパの一員となるというドイツ人の確固たる決意とひきかえに、はじめて実現したものだ。

ところが2011年末現在、あらためて隣人たちの目を通してドイツを見ると、この国はかつてのような信頼に足る国ではなくなってきている、とシュミットは警告する。このたびはたしかに軍事力ではなく、経済力による支配だが、強すぎるドイツがヨーロッパを不安定化させる事情は今も昔も変わりない。ドイツの黒字は必然的に他国の赤字になる。このことをドイツ人はもっと意識していなければならない。

「我々ドイツ人が、自分たちの経済力を頼りに、ヨーロッパ政治で指導的役割を果たそうとする誘惑に屈すれば、ますます多くの隣人たちがドイツへの猜疑心を抱くようになるでしょう。…過去60年間のドイツの経済的成功は自分たちの力だけで成し遂げたものではないのです。西側戦勝国の援助なしには、欧州共同体とNATOへのドイツの編入なしには、そして我々の隣人たちの支援、東欧市民による政治変革、共産主義独裁政権の終焉なしには、それは不可能だったのです。われわれドイツ人には、感謝の念をいだくべき十分な理由があります。そして同時にわれわれには、われわれを受け入れてくれた連帯に対して、われわれ自身による連帯を証明する義務があるのです。」こうシュミットは説く。これは戦後日本についてもそのままあてはまる重い言葉だ。

過去何十年にわたってドイツはたしかに資金提供者の側に立ってきたが、それは当然のことであったし、これからも当然のことであるべきだ、とシュミットは断言する。ドイツは自分の力をたのんで、ゆめゆめヨーロッパで孤立する道を選んではならない。「そのために、われわれが必要としているのはヨーロッパ的理性です。そしてまた理性だけではなく、われわれの隣人とパートナーに対する共感です。」

シュミットはまたヨーロッパ議会が国際金融規制の先頭にたつべきだと力説する。そしてこう続ける。「けっして全ヨーロッパに対して極端なデフレ政策を押し付けてはなりません。ジャック・ドロールが言うように、財政の健全化と同時に成長を促すプロジェクトを導入し、そこに資金を投じることが必要です。成長と、新しい職場を作ることなしに、国家が財政を建てなおすことはできません。節約だけでヨーロッパが健全になりうると信じる人には、1930/32のハインリヒ・ブリューニングのデフレ政策が何をもたらしたかを勉強していただきたい。」

一時間以上に及ぶ演説は、次のような文章で締めくくられている。

「老人となった今も、私はなおゴーデスベルク綱領が依拠した3つの基本的価値、自由、公正、連帯を固く信じています。ちなみに現在、公正という面ではなによりも要求されるのは、子供たち、青少年、若者たちに対する機会均等の保証です。1945年、1933年(当時私は14歳になったばかりでした)のことを振り返ると、その間にわれわれがなしとげてきた進歩はほとんど信じがたいものがあります。しかしそれは、ヨーロッパ人が1948年のマーシャル・プランと1950年のシューマン・プランのおかげで手にしたものであり、われわれドイツ人が、レフ・ヴァウェンサ(ワレサ)と自主管理労組「連帯」のおかげで、ヴァツラフ・ハヴェルと憲章77のおかげで、そしてライプツィヒと東ベルリンの市民たちのおかげで、1989/91年以来、手にしたものなのです。ヨーロッパの大部分が今日享受している人権と平和は、1918年にも、1933年にも、1945年にも想像出来なかったことです。ですからみなさん、この歴史上唯一無二の欧州共同体が目下抱えている弱点から確固たる信念と自信をもって立ちあがるよう、ともに働き、戦おうではありませんか。」

この演説は何度も場内の拍手によって中断を余儀なくされた。シュレーダー政権以来、SPDが長らく忘れていた原点をもう一度思い起こさせてくれたこのメッセージこそ、現在のEU問題を語る人がつねに拳々服膺すべきものだ。EUのプロジェクトはその本質において経済的性格のものではなく、戦争に明け暮れたヨーロッパの政治哲学的挑戦なのだということを、われわれとしても忘れてはならないだろう。

2012年2月10日 (金)

インフレ目標

またまたまた、うめぞうです。スミマセン…

今日の新聞によれば、FRBは長期的な物価上昇率の目標を「2%」とする事実上のインフレ目標を導入したそうだ。米国の物価上昇率は、景気低迷で2014年まで2%以下になる見通しのため、2%になるまで金融緩和を続ける姿勢を鮮明にしたという。そして何事につけアメリカの真似をしたがる日本でも、これに追随しようとする動きがあるようだ。

これを読んだ時、うめぞうの頭には「ん?」という疑問符が浮かんだ。たしかに経済が2%弱のインフレ状態を保持できれば、望ましいだろうとうめぞうも思う。問題はそのための手段だ。いまだに経済政策を担当する人々は金融緩和によってインフレが誘導できると考えているらしい。しかし、過去20年間の日本の経済停滞は、まったく別のことを教えている。現在の先進国のインフレ率は、中央銀行が市中に供給する通貨量、いわゆるマネタリーベースにはあまり敏感に反応してくれない。むしろインフレ率と強い相関性をもつのは賃金の動きだ。

国連UNCTADのチーフエコノミストであるフラスベックは欧州12カ国(ベルギー、ドイツ、フィンランド、フランス、ギリシャ、アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、オーストリア、ポルトガル、スペイン)の賃金と物価の変動率を過去50年間にわたってグラフにしている。これを見ると、両者の動きは見事なまでに一致している。

他方、労働生産性と名目賃金の変化を見ると、1995年から2007年まで日米欧いずれにおいても労働生産性は右肩上がりで向上している。1995年を100とすると、2007年は日本120、米国125、欧州110といったところだ。かたや賃金はというと、日本95、米国165、欧州130で、とてつもなく大きな差が付いている。日本だけが労働生産性の向上に逆行して、賃金が下がり続けてきたのだ。こんな賃下げが続いていれば、いくらゼロ金利で市場にマネーを供給してもインフレなどは生じようがない。欧米のように労働生産性の伸びが賃金に反映する仕組みがあってこそ、初めて利下げがインフレ誘導力を持ちうるのだ。日本の「インフレターゲット論者」たちは「一段の金融緩和」などではなく、「最低賃金の引き上げ」や「不安定雇用の解消」をこそ強く要求すべきなのだ。

最低賃金を上げるなどというと、企業はきまって、こんな不景気に賃上げなどされたら、ますます企業経営が苦しくなり、それによって結果的に失業者も増えるだろう、と警告する。しかし、イギリスでは1999年に最低賃金制度が導入された後、年率平均6%のペースで最低賃金が引き上げられ、今では当時より6割くらい高くなっている。しかし、それによってむしろ景気は良くなり、失業も増えなかった。酷な言い方になるが、最低賃金をあげることで持たなくなる会社は、むしろ、より付加価値の高い分野に再編される方が良い。

ついでに言うと、この10年、EUの中で賃金の伸びがもっとも抑制されてきたのがドイツだ。国内の賃金抑制による競争力向上は、それだけ見ると立派に見えるし、ドイツもそのことに胸をはる。しかし、ドイツの生産物が南欧諸国に比べて25%、フランスと比べても20%も安く作れるようになると、国際収支にアンバランスが生じるのは避けられない。通常ならそのアンバランスは、日本の場合と同様にドイツの通貨が切り上げられることによって調整される。しかし、共通通貨を使っていると、これができない。このアンバランスが今回の危機の大きな原因の一つだ。だから、ドイツは日本と同様に、自国の賃金を上げ、競争力の差を縮める努力をすべきなのだ。

2012年2月 7日 (火)

ポピュリズムの罠

またまたうめぞうです…

まつこは仕事に追われて、なかなかブログに手が回らない。あまり、うめぞうの記事ばかりが続くと、ただでさえ少ない読者が離れていってしまいそうだが、まつこ復帰までもう少しなので、今しばらくご容赦願いたい。

民主党政権は公務員給与を平均 7.8% 引き下げる特例法案を国会に提出した。人事院勧告がそもそもマイナスなので、これが通れば8% を超えるカットだ。400万円の収入から32万円減れば相当な緊縮効果が生じる。うめぞうの目には見当はずれの愚策に映るが、国民はこの国が役人天国だと信じこまされているため、反対運動はあまり盛り上がっていない。

そこでちょっとデータを覗いてみよう。OECDのI-Libraryというネット図書館に行くとGovernment at a Glance 2011という国際比較データが簡単に見られる。ひと目でわかる各国政府といったところか。

これを見ると2008年の公的部門の雇用者数(労働力人口に占める割合)は以下のとおり(最初の数が公務員general government、あとの数が公的部門public corporations。日本の国立大学法人の職員などはこちらに入る)。

ノルウェー   34.5% (29.6+4.9)

デンマーク   31.5% (28.7+2.8)

フランス       24.4% (21.9+2.5)

オランダ      21.4% (12.6+8.8)

カナダ         18.8% (16.5+2.3)

イギリス    18.6% (17.4+1.2)

アメリカ       14.6% (区別なし)

イタリア       14.3% (区別なし)

ドイツ     13.6% ( 9.6+4.0)

スペイン      13.0% (12.3+0.7)

日本      7.9% ( 6.7+1.2)

この一覧表には計30カ国がリストアップされているが、日本がダントツの最下位だ。

国・地方の総支出に占める公務員の人件費の割合はOECDのデータにはないが、国公労連の計算によると、2009年については日本が15.0%で、これも最下位となるそうだ。「英米は小さな政府」と思っている人が少なくないが、アメリカは26.2%、イギリスは23.5%で、日本とは比べものにならない。

ちょっと面白いのが公務員の年齢構成だ。中央官庁の公務員のうち50歳以上が占める割合は、上に挙げた各国では以下のようになっている(2009年、ただしスペインのみ2005年)。カッコ内は、全労働人口にしめる50歳以上の労働者の割合だ。

イタリア       49.2% (40.8)

ドイツ     42.2%  (28.0)

アメリカ       41.6%  (30.1)

デンマーク   38.0% (27.1)

スペイン      36.5% (?)

ノルウェー   36.4% (28.6)

オランダ      34.7% (25.6)

カナダ         34.0% (27.8)

イギリス    31.2% (26.6)

フランス       30.5% (24.3)

日本     25.0% (37.9)

このデータから言えることは

第一に、日本の総労働人口に占める50歳以上の労働者の割合は、イタリアと並んでダントツに高いということ、

第二に、日本の中央官庁に占める50歳以上の公務員の割合は、他のOECD諸国に比べてダントツに低いということだ。

日本では天下り役人への風当たりが強い。うめぞうも、現状のままで良いとは思わないが、50歳少し過ぎた所で同期の入省組から次官が出ると、同級生たちがいっせいに外に出ていくという雇用慣行は、公務員の高齢化による人件費圧迫に一定の歯止めをかけている側面もある。天下りを禁止するなら、公務員が定年まで働く権利を保証する必要があり、そのためには他国と同様に役人の高齢化を覚悟しなければならないだろう。

日本の公務員は、労働基本権の柱である団体交渉権が一部制限されている。ILOは繰り返し勧告を発しているが、日本政府は無視してきた。その代償措置として設けられているのが人事院の給与勧告だ。したがってそれに上乗せして特例法案で給与カットを行なうのは憲法違反の匂いさえする。

私立学校などで人事院勧告に準拠して給与を定めているところも多くあり、国家公務員給与の引き下げは地方公務員のみならず、やがて民間への賃下げ圧力として顕在化するだろう。フランスでも、イギリスでも、そのことがわかっているから、公務員のストに対しては広い国民が支持をする。ロンドン在住の親友Oさんによると、昨年11月30日のイギリス公務員ストには200万人が参加したそうだ。比較的地位が安定している労働者こそ、賃上げ闘争の先頭に立つべきで、その労働分配率が上がることによって消費が回復し、多くの民間企業も景気回復の恩恵をこうむることになる。今、早急になさねばならないことは、民の懐を暖め、消費マインドを煽ることであり、給与を下げるなどというのはまったく方向違いだ。

ユーロが不安定化し、ソブリン危機が深刻化している中で、公務員給与を下げて消費税を上げれば、97年の橋本行財政改革の二の舞になるのではないか、とうめぞうは危惧している。橋本改革も長期的政策としては正しかった。消費税もいずれ上げるべきだ。しかし、そのタイミングと手順と説明の仕方が決定的に重要だ。安易な賃下げは、消費マインドを冷え込ませることで、給与を節約した以上に税収減をもたらし、結果として財政赤字を拡大してしまう。税金を取るなら、まずは金融部門でしこたま儲けた人たちに白羽の矢が立つべきだろう。

2012年2月 2日 (木)

いつか来た道

うめぞうです。

前回は格付け会社によるフランス国債の格下げのことを書いた。今までのところ、この格下げは欧州の国債利率にほとんど影響を与えていない。おそらく、ECBのドラギが12月に50兆円の資金供給をしたのが効いたのだろう。IMFのラガルド専務理事も、過去のIMFの失敗から学んだようで、今回は正しい方向を目指しているように見える。

前にも書いたように、ECBのバズーカで時間を稼ぎ、その間に欧州版IMFであるESMの規模拡大を目指すのが急務だと、うめぞうは考えている。そしてドンと200兆円くらいの資金を積んで、金融市場との心理戦を勝ち抜く必要がある。そのうえで10年、20年かけて、ギリシャやポルトガルの経済の近代化を目指す。これが結局のところ、相対的に犠牲の少ない解決になるはずだ。

しかし、今回のダボス会議で開会演説をしたメルケルはあいかわらず「実行できないことは約束しない」の一点張りで、各国の財政規律を優先するドイツ流を貫いた。ラガルドとメルケルが差しで対談したようだが、その詳しい内容はわからない。しかしメルケルがラガルドの意見に謙虚に耳をかたむけたとも思えず、うめぞうの脳裏には、ユーロゾーンの一部解体も少しちらついてきた。

西欧諸国の政策責任者たちは過去20年間の日本の経験をいまだに対岸の火事のように思っている。「日本から学ぶ?冗談じゃない。20年間の日本の経済政策など、ぜんぶ失敗だったじゃないか。日本の真似をしないようにするのが、われわれの仕事だ」。多くの人々はまだそう思っているに違いない。しかし、これは大きな間違いだ。

2008年9月にリーマンが破綻したあと、すわ世界恐慌かと思いきや、2009年4月にはG20と、続くロンドン・サミットで各国首脳たちが500兆円もの財政出動に合意し、経済のブロック化や保護主義政策の台頭を防いだ。その時うめぞうは、やはり人類は馬鹿じゃない、1930年代の悲劇からちゃんと学んでるじゃないかと拍手を送ったものだ。すでに忘れられているようだが、この時、アメリカのわがままを許さず、コンセンサス作りに手腕を発揮したのはイギリス首相ゴードン・ブラウンだった。しかし、マクロ経済に通じていたこの首相はその後、まったく人気を失って政界から放り出されてしまう。

そしてわずか1年後の2010年春には「財政健全化」を求める声が高まる。イギリスでは保守党が極端な緊縮政策に走り、アメリカではティーパーティなどに押された共和党が財政出動に待ったをかけた。かくして、日本の誤りが繰り返されることになる。なぜ、このことが彼らに理解できないのだろうか。

バブルが崩壊すると、地価や株価が暴落し、企業は一朝にして巨額の不良債権や赤字を抱えることになる。信用収縮のため銀行間での資金のやり取りが停滞し、資金ショートを恐れて皆が現金を握りしめる。多少の公的資金を入れても、銀行は借金返済に充てて自己資金率を回復しようとする。こうして実体経済が貧血状態になる。こんな時にはケインズの教えに従うしかない。そして事実、それは日本でも繰り返し、功を奏したのだ。ところがもうちょっとがまんして、銀行や企業のバランスシートが回復するまで財政赤字に耐えなければならないときに、きまって早すぎる緊縮財政の反動がやってくる。

ゴードン・ブラウンに限らず、バブル崩壊後のケインズ政策には風当たりが強い。なぜギャンブルに狂った連中の後始末に税金を使うのか、という批判が起こるからだ。90年代初めに日本の土地住宅バブルが破裂した時、やはり経済通の宮沢喜一は住専処理に公的資金を早急に投入すべきだと主張して総スカンをくらった。あの時、あの時点で宮沢の言うことを聞いていれば、平均株価が4分の1にはならなかっただろう。結局は、90年代半ばまでかかって住専国会ですったもんだした挙句、6850億円の公的資金を投入することになった。

そこで少し回復の兆しが見えてきたところで、今度は橋本龍太郎が時期尚早の緊縮策に打って出た。かくして戦後初の都市銀行の破綻が起こる。しかし次の小渕は積極財政に打って出て、ふたたび景気は回復した。もう少し続けていれば、と悔やまれるが、突然の逝去もあって、やがて小泉時代の緊縮策へと戻っていく。

こうした歴史は、アメリカ住宅バブル崩壊から始まった今回の危機にも重要な教訓を与えているはずだ。銀行の自己資本規制や財政規律の強化自体は、悪いことではないが、今この時点でそれを優先すれば、貯蓄は投資には向かわない。バランスシートの穴埋めのためにみんなが現金を握りしめて、誰も金を使う人がいないまま全員が貧困化していくという合成の誤謬が生じやすい。

うめぞうの見るところエコノミストの中で、かつての日本の状況を正確に分析していたのは、リチャード・クーと植草一秀だった。今でもうめぞうは、この二人の経済学者の著作を評価している。近年では小野善康の議論も参考になる。イギリスでは、かつてケインズの伝記を書いたスキデルスキーがまだ頑張っているようだし、金融庁総裁アデナ・ターナーなども良いセンスをしている。アメリカでもドッド・フランク法という金融規制法が制定された。ドイツ人にも国連のUNCTADのチーフエコノミストをしているハイナー・フラスベックというケインジアンがいる。

問題は、そうした声がうまく民衆にまで伝わるかどうかだ。「財政規律を守れない国に、われわれの税金は使わない」といった議論は、圧倒的にわかりやすい。対して、「ミクロの合理的行動が、マクロでは合成の誤謬をもたらす」などという説明は、あまりにも難しい。国内に投資先が見つからないためにギリシャやスペインなどの国債利回りを目当てに資金を投じ、南欧諸国にバブルを発生させたのは、ほかならぬ独仏の銀行だった。ドイツがやり玉に挙げるギリシャ政府の無駄遣いは、ドイツの戦車の購入費に充てられたなどといったことは、誰も口にしない。今、そうした国から一斉に逃避したドイツの国内資金は、バランスシートの回復ではなく、南欧諸国からの輸入品購入や、それらの国のインフラ整備、観光業の振興などに積極的に投じられるべきだ。ドイツが自分を見習えといわんばかりの緊縮政策をこれ以上、南欧諸国に求めるのは、プロテスタンティズムの倫理の宣伝にはなっても、マクロ経済的解決にはならないだろう。

次回はまつこに「マンデヴィルの蜂の寓話」を解説してもらうことで、資本主義における合成の誤謬について考えることにしよう。まつこさん、どうぞよろしく。

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