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2011年8月21日 (日)

マルクスの墓と『ピグマリオン』

まつこです。

「イギリスで芝居を見る」という私の趣味(いちおう仕事の一貫でもある)にうめぞうは、連日、付き合わされています。しかし、私がうめぞうの趣味につきあってあげることも、たまにはあります。たとえば「マルクスの墓参り」です。

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[マルクスの墓の前で「団結」するうめぞうとうめぞうの親友のOさん]

うめぞうのお友達には、いわゆる「サヨクのおじさんたち」がいます。ある晴れた日、そのサヨクのおじさんたちと一緒に私もハイゲートの墓地とハムステッドを散策しました。

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[私もせっかくなので記念写真を一枚]

マルクスの墓なんて、誘われなければ、私ひとりでは決して訪れることはないでしょう。こうして世界が広がるのが二人旅の良いところだから、夜は芝居に一緒に行こう・・・と、今晩も、うめぞうを劇場に誘うのでした。

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[マルクスの墓参りの後、ハムステッドを散策しました。『ノッティング・ヒルの恋人』でジュリア・ロバーツ演じるアメリカ女優が映画撮影をしていた場面に使われたケンウッド・ハウスの前です]

このあとはうめぞうにバトン・タッチ―

うめぞうです。

昨晩は、まつこに連れられてバーナード・ショウの芝居『ピグマリオン』を観に行った。いつもこのブログにコメントくださるショウガネコさんも一緒である。うめぞうは映画『マイ・フェア・レディ』の原作という以外には何の予備知識もなかったが、この芝居には、うめぞうのようなタイプの人間への警告がいたるところにちりばめられていて、実に身につまされるものがあった。

卓越した言語学者のヒギンズ教授はふとした偶然から、ある実験に挑戦することになる。みずからの専門的知識を駆使して、下町言葉まるだしの花売り娘イライザに、英国のミドルクラスでも立派に通用するような言葉とたしなみを教え込もうというのだ。実験は大成功、イライザはサロンへのデビューを果たし、ついでにフレディ君という、良家のお坊ちゃんまでゲットしてしまう。

ヒギンズ教授のもくろみは、ミドルクラスが自慢する文化的洗練など、科学的な教育をもってすれば、半年で容易に打破できる程度の障壁にすぎない、と証明することにある。母親にてんで頭の上がらない教授は、何かというと持ち出されるミドルクラス・モラリティなるものの鼻をあかしてやりたいのだ。その恰好の実験台が自分が拾ってきた花売り娘だった。

このもくろみにみごと成功したヒギンズは有頂天になる。しかもこれはイライザにとっても、人生の可能性を切り開く快挙だった・・・はずである。だからこの成功を、自分と一緒に素直に喜ぼうとしないイライザの心中が、教授にはまったく理解できない。感謝されてもいいはずの自分に、いったいこの女はなぜ不満をいだいているのか。俺は確かに我儘な男かもしれないが、金も時間も住居も提供して、つらい境遇から救い出してやったじゃないか。

ここで発せられるイライザの言葉が、われわれ男たちの胸に突き刺さる。「私があなたに望んでいたのは、ただ、もう少し優しい態度で接してくれることだった。ピカリング大佐は私をレイディとして扱ってくれた。だから大佐の前では私はレイディでいられる。でもあなたはいつまでも私を花売り娘として扱った。だから私はいつまでもあなたの前では花売り娘にしかなれない。」

ピカリングやヒギンズの母親はミドルクラス・モラリティのど真ん中にいる人びとだが、彼らはそれゆえにイライザにも礼儀正しく接する。いかにそれ自体が優越性のもとでの敬意であったとしても、その洗練にはある種の普遍的要素が含まれているのだ。しかし、こうしたモラリティの批判者であるはずのヒギンズは、本人が気付かないままに、濃厚なパトロン意識に支配されている。ミドルクラス文化など、半年の教育でいくらでも作ることができる程度のものだ、と息巻くヒギンズがつい「下町の労働者をそこまで引き上げてやったのは誰のおかげなんだ」と口走ってしまう。さらにまずいことは、ヒギンズが次第にイライザに心惹かれていく自分自身に気づいていないことだ。

他方のイライザは、自分がヒギンズの学説を証明するための小道具にすぎなかったと気づくことで、しっかりと自立を遂げていく。このイライザの自己認識にちょうど逆行する形で、ヒギンズの立場は、教育する者の強みから、愛する者の弱みへと転化しているのだ。かくして支配関係は逆転する。洗練された母親もピカリングも、この逆転をすでにお見通しで、ヒギンズをたしなめている。なのに一人ヒギンズだけはその逆転にいつまでも気づかない・・・。

一般に、社会の保守性を批判する改革派が、その保守性の中でなお保たれていた普遍的要素を軽視し、みずからの内なるルサンチマンに濃厚に残っている保守性に鈍感になるというのは、68年世代の運動にも多々見られたことだ。その意味で、この芝居の結末はやはり、映画のようにハッピーエンドにせず、孤独なヒギンズの溜息で終わる方が良いな、とうめぞうは初めての舞台を見ながら、感じたのであった。

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コメント

まつこさま、うめぞうさま

2晩にわたってご一緒させていただき、ありがとうございました。
久しぶりのロンドン、そして芝居、一人で回る時より数倍楽しかったです。

マルクスの墓。10年以上前、お墓参り(というより見物)に行く途中で交通事故に遭って以来、再びのチャンスは巡ってきていません。こんな大きな顔が載っているとは知りませんでした。
『ピグマリオン』。さすが、実に的確・明快なサマリーですね。今回はエンディングで結婚式を実際に見せることで、イライザとヒギンズのその後を明確に示していましたね。

まつこさまとは、あと数回ご一緒させていただけるのを楽しみにしております。
うめぞうさま、日本はずいぶん涼しくなっているようです。お気をつけてご帰国くださいませ。

ショウガネコさん
コメントをありがとうございます。
われわれこそ、ご一緒できて数倍楽しませていただきました。
まつこは、素人のうめぞう相手では、観劇後のワイン・トークも、もうひとつ深まらないので、ショウガネコさんと丁々発止の演劇批評を楽しめて、いつもよりずっとうれしそうでした。
今後ともどうぞよろしくおつきあいのほど、お願いします。

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