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2011年8月10日 (水)

トスカーナ事件

うめぞうです。

ウメマツは、一般的にはあまり喧嘩はしない。ほとんどしたことがないと言ってもよいくらいだ。上下関係がはっきりしているので、基本的にまつこの命令に、うめぞうは逆らわない。いや、逆らえない。だから派手な喧嘩にはなりようがない。とはいえ夫婦だから、時にはコミュニケーション・ギャップが生じることはある。そのパターンはだいたいきまっていて、これが今回、思わぬ形で現実となった。すわ、トスカーナ事件の勃発である。

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[トスカーナの夕日はかくも美しいのに・・・]

今回は「長期滞在型リゾートでいく」とまつこから通達があった時、うめぞうは「それなら小さな講演の準備と次の論文の構想を立てようか」と計画した。その時、今から思い出すとまつこは、さかんに「リゾートには翻訳の仕事をもっていったら?」と忠告をしていた。その意味が今になって分かったのである。

翻訳というのは精神衛生には悪くない。だいたい3時間もやっていると飽きるし、それ以上やっても最後は露骨に質が落ちてくる。しかしやっただけの成果は出るので、一日の仕事を果たした、という感覚は残る。だからあとは罪意識なく自由時間を満喫できる。ところが論文となるとそうはいかない。3日間考えこんでいたことがまったくナンセンスだったということに気付くことがよくある。しかもそんなとき、うめぞうにはまったく外の世界が見えなくなってしまう。

まつこ:「散歩行く?」
うめぞう:「ああ」(うわのそら)

まつこ:「そろそろコーヒーでも飲まない?」
うめぞう:「ああ」(うつろな返事)

まつこ:「夕日綺麗だね」
うめぞう:「ああ」(実は見ていない)

まつこ:「じゃあ、一人でちょっとでかけてくるね」
うめぞう:「ああ・・・リンゴとみかん買ってきて」(こんな時だけ、しっかりと自分の要望は伝える)

まつこ:「ねえ今晩の食事はどうしよう?」
うめぞう:「・・・・・」(自分の世界にひたっていて返事無し)

まずいことに、その間、本人はまったくこの反社会的言動に気付いていない。ぼーと虚空を見て暗い顔をしている。周りからは「俺の思考の邪魔をするなよ」と偉そうに不機嫌光線を発しているように見える(ようだ)。

「ふん、どうせ、たいしたこと考えてないくせに、なんだその態度は」と、まつこはうめぞうの頭の中なんか、はなからお見通しなので、ストレスを募らせる。それでも数日は「あーあ、こいつ、また上から目線で世界を語ろうとする、例の病気が始まっちまったぜ・・・」とある程度はあきらめ、我慢する。

しかし、時あたかも一年に一度のリゾート、舞台はトスカーナの陽光あふれる山の上である。そこでこれを連日やられた日には、旅の計画から、飛行機や宿の予約、パッキングから宿の主人との細かなやりとり、果ては支払いにいたるまで、一切合財を引き受けて夢の舞台をしつらえてきたまつこの堪忍袋の緒が切れる。まつこは爆発はしないが、ぐっすん、とべそをかく。

この時になってようやく、事の重大さに気づいて、うめぞうは現実世界に引き戻される。

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[反省するうめぞう]

考えてみると、うめぞうが育った家庭は、親父がやはりこういうタイプで、長男であるうめぞうにも、小さい時からこの種のエゴイズムが許されていた。夫と息子が好きな時間に好きなように自分たちの(それほど高級ではない)世界に没頭しているのを、専業主婦である母がすべてこまごまと面倒を見る、という典型的な性的役割分業の家族だった。子供が何かに没頭しているときには「御飯よ!」という声を無視しても良いことになっていた。

他方、まつこは共働きの家に育ったので、「御飯よ!」と声がかかれば、すぐさま集まらねばならない。家族といえども公的なルールがあった。うめぞうの生家は専業主婦である母親が、他の全員のエゴイズムの受け皿として一人で公的機能を果たしていたため、圧倒的に甘えの構造が支配していた。

うめぞうには、自分の育った家族のありようを懐かしむつもりはまったくない。女性が職業を持つのがごく普通になった時代、家族もまた一定のルールの下で男女それぞれが責任を分担する方が良い。うめぞうの世代は、頭だけは革新派が多いので、固定された性的役割分業などはすぐに批判の対象となる。しかし、頭ではそのように言う世の男性の多くが、いまだにそのことを感覚的には身に付けていない。

男性諸氏よ、心してこの事態を回避すべく、自らの内なる「母親任せ」体質をできるだけ早く払拭し、女性を一個の人格として尊重し、家事全般について自己管理ができるよう、自らの理論を血肉と化す努力を怠るなかれ。そして優しき女性たちには、その学習過程に、一定の時間と猶予を与えてくれるよう、お願いしておこう。

うめぞうは、かく総括をし、反省と謝罪を申し出て、なんとか、まつこに機嫌を直してもらった。

こうしてこのトスカーナ事件を無事、乗り越えたウメマツであった。

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[まつこの許しを得て、ほっとするうめぞう]

ロバート・レッドフォードに似たフランス人の素敵な男性がプールサイドで撮ってくれたツーショット。うめぞうの涙ぐましい努力よりも、こちらのおフランス人さまが、まつこの機嫌を直してくれたようだ・・・。ありがとう、ロバート。

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コメント

うめぞうさま

トスカーナ事件が平和的解決を迎えられたこと、お喜び申し上げます。
ご夫妻が円満でいらっしゃる秘訣は、手遅れになる前にコミュニケーションのチャンネルをチェックする、ということなのでしょうね。

トスカーナの青い空のもと、残りのヴァカンスをどうかゆっくりお楽しみください。

いやー、危機一髪でしたねえ。
昨日からは、山の風景や、近くの修道院の姿が、不思議によく目に入るようになりました。
今日は雲一つない真っ青な空に強烈な陽の光がみなぎっていますが、空気はひんやりと乾燥していて半袖では肌寒いほどです。
幸い、フィレンツェもまだ3、4日ありますから、トスカーナの風景と食事を楽しみたいと思います。

こんにちは、うめぞうさん。
旅先でのケンカはつらいですね。
まつこさんのお許しを得られて何よりです。
ロバートにも感謝感謝です。

私はまだ独り身でございますが、「優しき女性」であれるよう努力したいと思います。

絵莉さん、コメントをありがとうございます。
これからいくらでも素敵な出会いがあると思いますが、相手を選ぶとき、男女ともついつい完成品を求めてしまいがちです。もちろん完成品の方が良いにきまっていますが、すこし未完成であっても、ケンカと仲直りを繰り返しながら、徐々に自分に合ったパートナーに改造していくこともまた人生の楽しみです。
ですから、成長への素直で柔軟な意志と、自分のふがいなさへの謙虚な自覚を持っている人であれば、あとは時間をかけて、だんだん素敵なパートナーに育て上げることができるでしょう。その過程で、自分もまた成長できることは言うまでもありません。
絵莉さんのような優しき女性に発見される男は幸運ですね!

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