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2011年7月

2011年7月18日 (月)

ゆめまくらに立つまつこ

うめぞうです。

夜中にふと目を覚ますと、ベッドの端に浅く腰を掛け、凛と背筋を伸ばしてまつこが虚空を見ている。本を読んでいるわけでも、音楽を聴いているわけでもない。ただただまっすぐ背筋を伸ばして不動の姿勢で空を凝視している。そもそも人間、ベッドの端に腰を掛けるのは、靴下を履くとか、パジャマを着るとか、何かしら目的があってのこと。半分はだけたようなよれよれのパジャマをまとい、浅く腰掛けて背筋をぴんと伸ばし、うめぞうに背中を向けて、1分、2分、5分、10分、不動の姿勢を崩さない。

これはただごとではない。どう考えても、ドラマなら「私、あなたとの生活がつくづくいやになりました。長年そわせていただきましたが、堪忍袋の緒が切れました。明朝、あなたが寝ている間に出て行きます・・・」となる場面だ。いやこれは夢か。ひょっとすると、うめぞうの体たらくに愛想が尽きたまつこは、すでにこの家におらず、最後の別れに夢枕に立ったか。うーむ。これはうめぞうの悪夢なのだろうか。

「どうしたの・・・」と、おずおず声をかけてみる。「里へかえらせていただきますっ、て感じだけど・・・まさか本気で里に帰るんじゃないよね・・・」

「・・・いてっ、いてっ、・・・うぅぅ、笑わせないで!笑うのとくしゃみが一番きついのよ。くっ、くっ、くっ、あはは、いてててて、くっ、くっ、ああ、いてて、ちなみに、わたしにゃ、もう、里はないぞ、あはは、いてっ、いてて」

なんと、まつこはぎっくり腰になったのだ。リンと背筋を伸ばしているんじゃない、単に動けないで、固まっているのだ。

最近のまつこは健康おたくと言ってよいほど、身体に気を使っている。酒を飲まなかった日には、カレンダーに良い子のスタンプをおしているが、先月などは、ほとんどカレンダーがスタンプで埋まった。昔は毎日のように酒を飲んで、運動などからきしだめ。味噌汁も漬物も大嫌い、ニンジンも根菜類も海藻もあまり摂らず、ハンバーガーやポテトチップス、ポンフリーが大好きだった。「酸化した油と塩のかたまり」とうめぞうがいくら警告しても聞かなかった。しかし、ある時からこちらも殺し文句を覚えた。「酒や睡眠不足は肌を荒らすよ」。これである。「緑黄色野菜や根菜類で便通が良くなると、肌につやが出るよ」。これである。

かくしてまつこは変身した。つれあいのことを、あまりほめるのはどうかと思うが、30歳くらいまでのまつこは、美肌に関してはまず人後に落ちることはなかった。それでも最近は寄る年波を感じるらしく、ともかく健康でなければ若さと肌は保てない、ということが理屈抜きに分かるようになってきた。基本的に見栄っ張りなのだ。

そんなわけで昨日の日曜日、久しぶりにスポーツクラブにいって、背筋を鍛えようとして、ブチッときたという。50歳になったら、もう少し身体と相談しながらものをやらなければいけない。休日の今日も、ゼミの学生の発表会とやらで、とぼとぼと家を出て行ったが、今晩無事にもどってくるか、今夜も夢枕に立つことになるのか、今はまだわからない。

2011年7月17日 (日)

理性のゆくえ

引き続き、うめぞうです。

原発事故などが起こると、どうしても科学について、理性について考え直そうという気分になる。
世界には次々と予測できないことが起こる。しかし、根本のところでは世界を一つにつなぎとめている何かしら原理のようなものがあるはずだ。人類は長らくそう信じてきた。その「何か」は色々な呼び方をされてきたが、西洋哲学では神や理性などがその代表格だ。ただしこれが単なる名称なのか、実在なのかについては、長い議論の歴史がある。
いずれにしても、こういう考え方にたてば、理性は世界の中(背後、根底)に存在していて、世界に秩序を与えていることになる。ただし人間には、それが不完全にしかわかっていない。だから知識や思考力を深めていけば、いつかは世界を動かしている究極原理にも到達できるはずだ。

ところが、そう思って知識や思考力を深めていったところ、どうも理性は世界の中にではなく、われわれの頭の中にあるんじゃないかと人間は気づき始めた。しかも、もっと悪いことに、神や理性の権威などというのは、結局のところ支配者たちが自分の権力を都合よく正当化するために使ってきた方便じゃなかったのか、という疑いもわいてきた。この疑惑を追及した偉大な先駆者は例によってカントだ。因果関係などは、人間が経験可能な現象界を認識するための知性の形式以上のものではないと、カントは気付いた。だから理性は己の限界をちゃんとわきまえていなければいけない。経験可能な現象を超えたものに、その知性の形式をあてはめるようなまねは、理性の乱用にあたる。しかし同時に、理性が個々の主体に生まれながら与えられている能力であるとすれば、それを使用する際に、外部の権威の指図を受ける必要もない。人間は理性的存在として、絶対的な自由と自律と、そしてそれにともなう責任を負っている。こうしてカントによって、理性の住まいは世界から自律的主体の中に移された。
しかし、それでは世界の中に秩序原理は存在しないのか。家族を作り、共同体を作り、国家を生みだす歴史の運動には、ひとつの論理が貫通していないのか。あまりに自律的個人に注目しすぎたカントを乗り越えようと、ヘーゲルはもう一度、世界に宿る歴史的理性という壮大な観念論の創作に挑戦した。市民社会では交易や労働や相互行為といった関係の網の目から、たえざる紛争が生じる。個々の主体はその関係の中に自らを失いながら、やがては反省的に自己を回復し、倫理的に一段高いところに立つ国家によって宥和される。その暗黙のモデルは内発的な近代化の遅れを国家主導で取り戻そうとしたプロイセンだった。

しかし19世紀も半ばになると、資本制社会の現実(マルクス)や、その中で孤立化する自我の寄る辺なさ(キルケゴール)が切実に感じられるようになる。もはや世界設計者としての客観的理性、その世俗的代行者としての国家などという物語には、とうてい信頼を寄せるわけにはいかなくなった。

こうしてヘーゲル以降、理性(Vernunft)という概念は客観的なものから、むしろ操作的(operativ)、手続き的(prozedural)なものへと変貌していく。同時に「理性的」という言葉よりも「合理的」という言葉の方が学問的に好まれるようになる。
そして次なるステップとして、20世紀になると、理性は何より言語に結び付けられるようになる。世界は最初から言語的に構造化された形でわれわれに与えられている。カントは現象界の背後にある物自体は自由な道徳行為の目標にはなりえても、合理的認識の対象にはなりえないと見た。20世紀になると、言語の背後にある世界想定が怪しくなってきた。

こういう長いプロセスを経て、現代の哲学には言語ゲームのルール審判者の役割が与えられるようになった。どのようなルールの言語ゲームのもとで、ゲームの勝者は「真」であるとか「妥当」であるとかといった賞状を手にできるかを、公平に判定するのだ。
しかし、ここに来てまた、言語にはなりにくい「感情」が果たしている役割をこれまであまりに過小評価してきたのではないかという反省が生まれている。また、もしすべてが言語ゲームならば、世界についての客観的認識という科学のルールは、どこでその「客観性」という属性を手に入れることができるのか、という疑問もわいてくる。

究極的にはすべて、戦争や貧困、差別や人権侵害のない平和で愉快な世界を作るための作業の一環だと思うのだが、理性の歴史もまだまだ先が見えてこない。

2011年7月10日 (日)

時間のイメージ

ひさびさにうめぞうです。

その間、大震災とまつこの母の転居、そこに新学期の業務や原稿の締め切りが押し寄せてきた。原発事故についてはいろいろと考えるところがあったが、なかなか落ち着いてブログを書く余裕がない。まつこに言わせると、うめぞうは原発のせいですっかり鬱になっていたそうだ。

そうこうするうちに62歳の誕生日。hiyokoさんをはじめ思いがけない方々から温かい言葉を贈られ、すっかり舞い上がって、また時々はブログを書こうと決心した次第だ。

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[62歳だからろうそくは2本]

この年齢で誕生日を迎えると、やはり人生の残り時間について考えさせられる。ユダヤ思想の影響かもしれないが、その際、うめぞうはボートの漕ぎ手のように自分が背後に向かって進んでいるというイメージで時間を感じるよう努めている。ボートはいつか、とつぜん岸にぶつかる。それまで背後にどれくらい水辺が広がっているかはもちろん分からない。しかし確かなことは、年を重ねるごとに目の前にはより広い景色が広がっていくことだ。

われわれは通常、時間を前進としてイメージしている。その証拠に「過去を振り返る」という言い方をする。あるいは「未来に向かって前向きにものを考えなくては」などという。しかしこのイメージは現実とはまったくかけ離れている。なぜといってわれわれに見えているのは過去だけであり、未来はまったく視野の圏外にあるからだ。だからうめぞう流には「将来を振り返る」と言った方が正しい。過去に思いをいたすのは「後ろ向き」ではなく「前向き」なのだ。

認知症患者を身近に見てきたこの3年余り、人間の希望は過去の風景の中にこそあると何度も思った。義母の幼少時の自然との戯れ、姉妹との思い出、厳格な亡父や寛容な母親の片言隻句。おそらく義母が認知症にならなければ、それらをうめぞうが本人と共有することはなかっただろう。そうした過去の一こまが義母の表情をいっぺんに明るくする。認知症であっても過去は忘れさられるだけのものではない。それは日々新たに創造されてもいる。先ごろ義母は「夫は結核で早世した」という物語を創作した。希望が未来にあると思い込んでいる人は認知症患者の先行きに、あるいは自分自身の先行きにあまり明るい光を見出すことはできないかもしれない。しかし人生の楽しみが幼少時の追憶にあるならば、希望は常に眼前にある。年齢とともに広がり、豊かになる光景、まだわれわれが十分に発見し尽くしていない自分と他者の過去に幸福の源泉が潜んでいると考えれば、われわれはいくぶん「前向き」に生きられるだろう。

モーツァルト35歳、シューベルト31歳、ショパン39歳、シューマン46歳。これは早世した音楽家たちの没年だ。しかしこれに比べると哲学者には長生きが多い。40代前半で早世というのはスピノザやキルケゴールなど少数派だ。ソクラテスは70歳過ぎに処刑されたが、弟子のプラトンは80歳まで生きた。ライプニッツ70歳、カント80歳、シェリング79歳、ショーペンハウアー72歳、フッサール79歳、ハイデガーとヤスパースは86歳、エルンスト・ブロッホ92歳、ガダマー102歳、エルンスト・ユンガー103歳。昔の平均余命を考えると彼らはかなり長寿だった。その中におくとアリストテレスやヘーゲルの60歳初めというのが、むしろ若死にのように思えてくる。現在なお旺盛な執筆活動を続けているチャールズ・テイラーやユルゲン・ハーバーマスはいずれも80歳をこえてなお最先端の問題に立ち向かっている。哲学は加齢には比較的強い。

だからうめぞうも年々減っていく残りの人生を「振り返る」のではなく、年々増えていく過去の経験と出合いを「前向きに」直視していきたい。それがうめぞう62歳の誕生日の雑感だ。次回からは、その間に考えてきたことを、少しずつ語ることにしよう。

誕生日のお祝いを寄せてくれた方々、どうもありがとう。

2011年7月 7日 (木)

7月4日に生まれて

まつこです。

うめぞうの誕生日は覚えやすい日付です。オリバー・ストーン監督、トム・クルーズ主演のアメリカ映画『7月4日に生まれて』(Born on the Fourth of July)のタイトルそのまま。アメリカの独立記念日が誕生日です。

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[おめでとう、62歳!]

今年は日比谷のペニンシュラ・ホテルのPeterでお祝いをしました。

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[プレゼントは「てもみん」の回数券。カードは友人のゴーギャンがイギリスで見つけた"To My Wonderful Husband"と書かれている記念日用カード。「あまりにカワイイから買っちゃったけど、独身だから使いみちないし・・・」と私にくれたもの]

もうこの歳になればロマンチックなプレゼントよりも、実用優先。今年は老眼鏡とマッサージのお店「てもみん」の回数券です。てもみんの回数券は大いに喜ばれました。中高年カップルの皆さん、プレゼント選びの参考になさってください。

実はペニンシュラのPeterは今年の私の誕生日にもテーブルを予約していました。しかしそれは・・・

3月11日

東日本大震災の日だったのです。当然ながらキャンセル。

電話連絡もせずにキャンセルして、それっきりになっていたので、少し気になっていました。今回、あらためて誕生日のディナーをこちらでいただくことにしました。

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[左がモダン、右がクラシック]

前菜、スープ、メイン、デザートの4品のコースですが、それぞれエスコフィエのレシピをもとにしたクラシックなお料理とそれをモダンにアレンジしたお料理の二つから選べます。たとえばカリフラワーの温かいスープ(クラシック)かカリフラワーの冷たいムース(ブルーテというらしい。こちらがモダン)からひとつ選ぶという具合です。なかなか面白い企画のメニューでした。

皇居を見下ろし、暮れなずみ、やがて夜景に変わる都心の風景を眺めながら、今年も1年元気で過ごせたことを感謝するとともに、来年の私の誕生日までには少しでも世情が落ち着いていてほしいと改めて思った夜でした。

2011年7月 3日 (日)

真珠のネックレス

まつこです。

ネックレスやペンダントを、無意識のうちに指でもてあそぶ癖があります。ある日、レストランでおしゃべりしている間に、真珠のネックレスが切れてしまいました。バラリと真珠の粒がいくつか床に転がってしまいました。ずっと昔、学生時代に、母からもらったネックレスです。真珠のネックレスが切れたら、どこに修理に出せばいいのでしょう・・・。

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[今年の春から初夏にかけて白いブラウスに合わせて使うことが多かった真珠のネックレス]

インターネットで調べてみると、アクセサリー修理のお店がいくつもありました。そこにドキリとすることが書かれていました。

「ご依頼いただいた品がイミテーションだと判明する事態が多々あります。お母様から譲り受けた大切なお品がイミテーションだとガッカリしますが、それはそれとして大切な思い出の品です」

遠い昔、母からこれをもらった日のことを思い出してみました。「衝動買いしちゃったわ。あまり使いそうにないからあげる」と、ポンと渡されました。あの気楽さから想像するに、それほど高価なものではなさそうです。もしかしてこれもイミテーションかもと思いながら、ネットで見つけた1軒のアクセサリー修理屋さんに持って行くことにしました。場所は、フム、御徒町ね・・・。

ウェッブ・ページでは洒落た工房のイメージだったのですが、駅から歩くこと数分、戦前の建物とおぼしきオンボロな雑居ビルの4階。エレベータのドアは錆びた蛇腹です。ボタンを押してもウンともスンとも動きません。やむなくきわめて狭い階段を上がっていくと、ランニングシャツ姿のおじさんが扇風機回しながら研磨の機械を動かしている工場のような部屋がいくつも見えます。どの部屋も小さなアクセサリー製造会社のようです。

このたび初めて知ったのですが、御徒町は「ジュエリータウン」と呼ばれる宝飾品の卸問屋街です。小さなパーツ屋さんや修理屋さんも無数にあるようです。私が電話で予約していたのはそのうちの1軒でした。

無愛想な職人のおじさんに「ああ、予約のお客さんね。真珠? 長いね、これ、高くなっちゃうよ」と言われ、オドオドと「あのー、イミテーションかどうか見てもらえますか。模造品なら修理代もったいないので」と応える私。おじさんは時計屋さんのようなレンズを目につけ、しばらく見たのち、「本物だよ。悪くない品物だよ」とぶっきらぼうに教えてくれました。

かくして予想以上の修理代はかかりましたが、母からもらったネックレスは、無事修理されて戻ってきました。

まだ学生だった私は、「こんな長い真珠のネックレスなんてオバサンっぽい。使わないかも」と思いながらも、もらえるものはもらっておこうと受け取ったネックレスです。「お母様から譲り受けた大切な品」と言うより、「母の衝動買いの下取り」みたいな感じでした。それでも母が老いた今、若かった日の母の思い出と結びつく大切な品のひとつです。

思えばあの日の母の年齢を、私は超えています。若かった私にはオバサン用に見えた真珠のロングネックレスも、十分に使いこなせる貫禄の年齢。母はあまり使わないからとくれたネックレスですが、その分、私がこれからせっせと使うことにしましょう。

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