« 2011年3月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年4月

2011年4月24日 (日)

青い空

まつこです。

先週末はうめぞうと二人で母に会いに行きました。夜中に目を覚ましてトイレがどこかわからなくなるといった混乱は多少ありますが、不平不満を言うこともなく、落ち着いて日々を送ってくれています。

Photo

[うめぞうと楽しそうにおしゃべりする母]

老人ホームの生活は三度の食事、午前中の体操とお茶、午後のおやつ、週3度の入浴のほか、時々、「クラブ活動」と称するリクリエーションがあります。母は「フラワーアレンジメント」「書道」「歌の会」の3つのクラブに入れてもらいました。

認知症が進むと、こういうアクティビティもだんだん難しくなります。母は今、どんどん文字を忘れています。本や新聞をあげると喜ぶのですが、たぶんあまり意味を理解して読んでいるのではなく、ただぼんやりと眺めているだけのようです。

Photo_2

[最近は『葉っぱのフレディ』を開いて眺めていることが多いです。テレビはスイッチを入れてもあまり見なくなりました]

そこで私は一緒に文字を書く練習をしてみました。太い罫の便せんに芯の柔らかい鉛筆で大きな文字で簡単な言葉を、見本に書きます。それを横に書き写してもらうのです。

Photo_3

[せっせと文字を書き続ける母]

この書き写す言葉ですが、昔の記憶に結びついた内容だと、わりとスラスラと書けます。母は長年教師をしていたので、「学校に行く」とか「数学を教える」とか「クラス担任をする」といった短い文章を書いているうちに、あれこれ思い出話をし始めます。

学校関係の話題が尽きたら、母の好きな自然に関わる言葉にします。「桜が咲いた」「きれいな赤い花」など、まるで小学校1年生の教科書みたいですが、頭の中に単純で美しいイメージができて、楽しい気持ちになるようです。

こうして文字を書くという単純な作業を30分ほど続けていると、情緒的にもとても落ち着いてきて、言葉や記憶の力も少しだけ復活します。調子が出たところで、だんだんこの言葉を長くしていきます。

しかし「青空に白い雲が浮かんでいる」と見本を書いたら、「『青い空に白い雲が浮かんでいる』の方が口調がいいんじゃないの?」と修正されてしまいました。確かに「あおぞらにしろいくも」より「あおいそらにしろいくも」の方が音に広がりがあって響きがよろしい・・・。

Photo_4

[青い空に白い雲が浮かんでいる・・・そんな景色を思い浮かべながら書きます]

私の書いた一行の横に母が書き写した行が並んでいきます。血がつながっているせいか、書体がよく似ています。以前は母の方がずっと字が上手かったのですが、認知症で下手になったら同じレベルになって似てきました。そのよく似た字を見つめながら、母と二人の静かな時間を過ごしました。

2011年4月17日 (日)

フライジン

まつこです。

原発事故の影響を恐れて、多くの外国人が関東や東北から去っていきました。西日本にいったん避難した人もいますが、故国に帰った人もたくさんいます。

東京に残った知り合いのイギリス人は、「そういうガイジンは"flyjin"(フライジン)って呼ばれているよ」と教えてくれました。「急いで逃げる」という意味の"fly"とガイジンを組み合わせた造語です。

Photo

[麻布十番のル・プティ・トノー。土曜の夜なのにガラガラ]

東京のフレンチ・クォーター神楽坂界隈でもフランス人たちの姿をすっかり見なくなりました。

いつもはフランス人のお客が多い麻布十番のビストロ、ル・プティ・トノーの前を通りかかったら、土曜日の夜なのに空っぽでした。フランス人のギャルソンが手持ちぶさたそうに立っていて、目があったら「ボン・ソワ―」とあいさつしてきました。なんだか気の毒になって、人気のないビストロで一人でお夕飯。

"flyjin"(フライジン)という言葉を教えてくれたイギリス人は、「今、東京に残っているガイジンは本当に日本が好きな人や、日本の技術を信頼している人だよ。こういうガイジンは税金や社会保険料もちゃんと払うガイジンだから大切にしてね」と言っていました。

私の友人たちの中にも、「母親が毎晩、アメリカから電話かけてきて、帰れ、帰れってうるさくってたまんないわ」と苦笑いしているアメリカ人女性や、「東京を離れた英会話教師の代役の仕事が増えて毎日やたらと忙しい」とうれしそうに笑っているアメリカ人男性がいます。

この危機的状況に際しても"flyjin"(フライジン)にならなかった彼らは、しっかりと東京に根をはって暮らしている東京人です。「この粋なギャルソンも、フライジンじゃなくてトウキョウジンなんだな・・・」と思いながら、閑古鳥鳴くフレンチ・ビストロでお一人様ディナーを味わった土曜日でした。

2011年4月10日 (日)

母への電話

まつこです。

3月23日に大阪の老人ホームに入居した母。2週間ほどたちましたが、そこが自分の居場所だと納得して、落ち着いて暮らしています。様子を見に大阪まで行ってきました。

Photo

[母の居室の電話]

母のいる老人ホームは、居室に電話をひくことが認められています。あまり電話をひく入居者は多くないと説明は受けたのですが、弟が電話設置を強く主張しました。それにはわけがあります。

3

[母の部屋のベランダから下を見るとこんな景色です。これは入居直後の3月29日。まだちょっと寒そうな景色ですが・・・]

母の入居している部屋は住宅街の細い道に面しているのですが、弟は毎朝毎晩、そこを通勤・帰宅の経路として使っています。

4

[1週間ほど後の4月7日には桜が満開になっていました]

弟は朝、家を出るときに母に電話してベランダに出てもらい、手を振ってあいさつしてから会社に向かう、それを日課にするという予定だったらしいのです。

Photo_4

[部屋のすぐ前の桜の木。左が3月末、右がその1週間後]

さらに弟は帰宅途中に母のところにより、ビールを一缶飲みながら母と語らってから帰る、という想像もしていました。こういう美しい光景を夢想するのが「息子」です。

実際、母が入居してみると、弟の出勤時間には母はラウンジで朝食中。残業を終えた弟が帰宅する頃には母はすでにベッドに入っているということが多く、母と息子の心温まる交流の計画はとん挫してしまいました。

娘はもっと現実的です。せっかく電話をひきこんだのだから、これ以上認知症が進んで使えなくなる前にせっせと使っておこうと考え、毎朝、毎晩、電話をしています。たいした話などなく、「おはよう。朝ごはん食べた? 残さなかった?」「お夕飯食べた? おいしかった?」と、毎日、判で押したように同じ会話。

Photo_3

[母が群馬の姉(私の伯母)に電話をしているところ。折にふれ、うめぞうも電話で母を笑わせてくれます]

内容のある会話はだんだんできなくなっていますが、声を聞かせ続けて、少しでも家族を忘れないようにする。それで十分です。いつか私の声を忘れてしまう日や、電話で話すこともできなくなる日もくるでしょうが、それまでは「もしもし、私よ・・・」という電話をかけ続けることにします。

« 2011年3月 | トップページ | 2011年6月 »