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2011年1月31日 (月)

理論と実践

うめぞうです。

まつこブログと比べると、うめぞうブログは、ついつい抽象的になりがちだ。
男女差や世代差もあるかもしれないが、やはり二人の好奇心が向かう対象の違いから来ているものだろう。

ところで身近な生活について具体的に考えるのと、世界について抽象的に考えるのと、いったいどっちが重要で、高級なことだろうか?

こんな質問は、もちろん無意味だ。
どちらも重要に決まっているし、どちらかについて深く考えれば、もう片方についても考えないわけにはいかない。
それでもこの無意味な問いは哲学史の中で、いやというほど繰り返されてきた。

西洋哲学の元祖と言えばプラトンとアリストテレスだが、この両者が世界初の哲学者と見ていたのはミレトスのターレスという人物だった。
ターレスについては、直径の円周角が常に直角になるという定理の発見や日食の予言、あるいは天候を予測してオリーブの圧搾機を買い占め巨利を得たことなどが、エピソードとして残されている。いずれも世界の計算可能性を示唆するもので、世界を神話から解放する第一歩をターレスが踏み出したことは間違いない。

しかしもう一つ、忘れられないエピソードがある。
それは、星の運行に興味を持っていたターレスが空ばかり見て歩いていて、穴に落っこちたという話だ。
このとき近くでこの光景を見ていた身分の低いトラキアの女が「あなたは空の星を見ていながら自分の足元の穴に気付かない」と言って大声で笑った。
片や金持ちのインテリであるターレスと、片や教養も身分も金もないトラキアの女が、その地位を反転させた瞬間だ。

このエピソードには見た目以上に重要な意味がある。それは観照的な理性と実践的な知恵との対立が、最初に明確な姿をとった瞬間でもあったからだ。

プラトンから始まった西洋哲学は、観照的な理性の側に圧倒的優位を認めた。労働の蔑視、職人仕事の軽視。日常生活を思考空間から追放する西洋形而上学の宿痾がここに始まる(ギリシャにもデモクリトスやディオゲネスのような破天荒で魅力的な人物がいるが、快活な男であったデモクリトスの著作はプラトンによって多くが焼かれてしまったようだ)。
こうした観照的な生活からの日常生活の排除は、思索からの女性の排除でもある。労働や育児を奴隷と女に一任したエリート男性たちは、それでは何をするかといえば政治と哲学だ。

男同士が天下国家を論じ、思想を語り合い、女性たちがその酒宴の世話をするという光景は、ヨーロッパでも日本でもついこの間まで見慣れた風景だった。うめぞうの同世代にはその光景にいまだにあこがれている親父たちが少なくない。この構図はフランス革命によっても、二つの世界大戦後の西側民主主義によっても、68年の学生運動によってさえも、基本的には覆されなかった。単発的に批判されたとしても、それはいまだに男性の、男性による、男性のための批判だった。

実践に対する理論の優位、具体性に対する抽象性の優位、女性に対する男性の優位、庶民に対する知識人の優位、存在に対する意識の優位…この構図が本格的に崩れてきたのはごく最近の事だ。

いったい最後のところ、何がその解体を押し進めたのだろうか。女性の高学歴化と社会進出?消費活動?インターネット?グローバル化?それとも理性の自己反省?
これが、ときにうめぞうの頭をよぎる疑問だ。

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コメント

 理論と実践の対立、興味深く読ませていただきました。
 近代以降にはこれに加えて、こうした典型的な男性陣に加わりきれなかった「ひ弱」なインテリが多数出現することによって、もう一つの側面が「理論」の側に加わったのではないかと思います。「天下国家を論じ」る男性たちは、その当否はともかく、自分たちは国のために実践的な思想活動を行っているのだ、という自負を持っていた。彼らに言わせれば、いわゆるインテリの連中なんて、自分の殻にこもって何やら書き散らかしているが、それが国のため、社会のため何の役に立つんだ、ということになる。インテリたちは、そういう批判は百も承知で、それでも自分たちのそのような性向をどうすることも出来ない。ただ、自分たちの活動こそが文化であると自覚し、主張している。うめぞうさんのお書きになった対立軸の片方には、軸の中に内蔵されたこんな対立軸が閉じこめられていたようにも思います。

 最近になってこうした対立が解体してきたのには勿論多くの原因があるのでしょうが、理論・抽象性・知識人・意識、どれを取っても、その絶対的なレベルが昨今著しく低下して、頑強な1本の対立軸となり得なくなってしまった、ということはその一つとして間違いなくあるのではないかと思います。

 P.S. 今日は大学院試験の日で、これから面接補助に行ってきます。

鋭いご指摘、ありがとうございます。
理論の内部での分裂過程についてはその通りですね。
その経緯や理由についての愚見はまた書くことにします。
そこには、レベルの低下だけには帰着させられない近代の論理が含まれていると思います。
また今後ともよろしく。

門外漢の雑文にわざわざお返事を頂いてありがとうございました。
この記事の続編、また「近代の論理」を楽しみに待たせていただきたいと思います。

まつこ様
 鈍感にしていたら、そのうち自然に嵐は引いて、日常が戻って参りました。貴重なご助言をありがとうございました。

Hiya, まつこさま、うめぞうさま。ずっと前から楽しみに読ませてもらっていたけれど、これがはじめての投稿です。二日前にKingstonからLondonに戻ってきて、久しぶりに覗いたら(ふふふ、これで何人かの人には、あたしが誰だかわれますね)、お二人の生活、すこうし余裕がでてきたようで、よかった、よかった。兄弟姉妹にも、ご近所にも恵まれて、でもそれはウメマツの人徳でありましょう。Well done.で、その余裕の出て来たブログ、興味のある話題が満載で、思わずコメントしたくなりました。まずはMI5のHP!思いつきもしなかったけど、さっそくchecked it otu! HPで人材募集してるのね。それにしても給料£24.750って、あれ、月給?ってことはないか?しかし年俸だとしたら安すぎ。MI5,ちょくちょくボケかますのも仕方ない・・・中等教育のヒラ教師の平均が£34.000~£36.000、電車の運転手さんが£41.000だよ。う~む。う~むと言えば、うめぞうさんの「理論と実践」もアタマに愉しかったです。ちょっと話がずれるというか、話がどど~んと落ちるのですが、わたし、子供の頃に???と思ったテツガクの謎があります。小学校低学年のときだったか、はじめてプラトンさんという人がイデアということを考えたとききました。それで超down to earthな子供だったわたし(今もそうですが)は、「では、poopのイデアとは?」と、毎日、毎日、ブツを見つめたものです。うめぞうさん、こういう子供にテツガク者のお導きを!長くなりました。今晩はこんなところで。XXX

wa a gwaanさん、コメントありがとうございます。

実は公安調査庁のHPも見てみました。こちらも募集広告出ています。こちらの初任給も、決して高くはありません。まあ、公務員だから仕方ないのかもしれませんが。(MI5もこちらももしかしたら「経費」とか「手当」で補っているのかもしれませんね。)

テツガクの話題については、またいずれうめぞうから。きっとウンチクを傾けてくれるでしょう。

では寒い国に戻られて、風邪ひかないように気をつけてね。

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