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2010年10月20日 (水)

サヨクとウヨク

ひさしぶりにうめぞうです。

実家に帰ると、86歳の母親から懐かしい言葉を聞くことがある。たとえばいまだに小麦粉はメリケン粉、ワインは葡萄酒と称する。ベビーパウダーを天花粉(テンカフン)などといっても、今の若い方には通じないだろう。そういえばサヨク、ウヨクという言葉も、もうそろそろ時代遅れになってきたようだ。今どきの学生たちがこの言葉を使ったのをついぞ聞いたことがない。

わが家ではいちおう、うめぞうがサヨク、まつこがウヨクということになっている。なっている、というのは、それぞれが、そのように自称しているということで、イデオロギー闘争などが生じるわけではない。

ウヨクといっても、まつこが神社で手を合わせたことなどたぶん一度もないだろうし、日の丸、君が代ともまったく接点がない。和食はほとんど食べず、みそ汁も漬物も基本的に口にしない。自民党に投票したこともなければ、皇室アルバムを見たこともない。基本的にコスモポリタンで、第三世界の子供の里親として、わずかながら月々お金も払っている。常日頃から日本を脱出したがっていて、旅行といえばまず海外、だから老後はどこか外国で過ごしたいという。

たしかにまつこは、アメリカ大統領選挙では、オバマよりもマケインを評価していたが、ペイリンなどを副大統領候補にしてからはすっかり見放し、最近のティーパーティ運動などまったくの論外、ひどく毛嫌いしている。だからウヨクといっても、普通のイメージとはちょっとちがう。生活感覚ではウメゾウのほうがよほど保守系オヤジなのだ。

ではなぜ、まつこは自分をウヨクと称するのか。うめぞうが思うに、これは、うめぞうをふくめ、現実をいつも憤慨している人々へのまつこの暗黙の抵抗宣言なのだ。人間はエゴイスティックで、勇気がなく、自分の快楽や生き延びを優先する、どうしようもない存在だ。自分で稼いだお金で消費生活を楽しめれば、世界にどんな矛盾があろうが、人間はけっこう幸せになる。このありのままの現実を、批判する前に、まずは正直に表明させてくれ、とまつこは言っているのだ。うめぞうは、このまつこの正直さを、非常に高く買っている。哲学の第一歩は現実を正直に認めることでなければならないからだ。

そう思ってよく観察すると、サヨクだってけっこう人生を楽しんでいるではないか。にもかかわらずサヨクは、第三世界の収奪を考えると、そうそう先進国の消費生活を楽しんでばかりはいられない、というポーズをついついとりたがる。そのかすかな偽善性が、まつこを自称ウヨクに追いやっているのだ。

日本に限らず、「道徳」の話は長らくウヨクの専売特許であり続けたために、サヨクはいまだにこの言葉をなかなか使えない。サヨクが語りたがるのは、一般に個人の行動ではなく、社会の構造や強制であり、あるがままの現実ではなく、あるべき理想なのだ。たしかにこのあたりの一面性がサヨクの弱いところかもしれない。これからはサヨクもまた個人の行為について、道徳について、自らの言葉を語るべきだろう。といいつつ、気が付けばやっぱり「べき」論を語っているうめぞうであった・・・

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コメント

楽観的な性悪説的立場がウヨクで、悲観的な性善説的立場がサヨクということでしょうか? ・・・あれ、逆ですかね。

うーん、難しいですねえ。
まつこに言わせると、「僕たち」と複数形で語るのがサヨク、「私は」と単数で語るのがウヨクだとか。
このあたり、もう少しつめないといかんねえ…

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