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2010年9月28日 (火)

アルツ哲学再考

ひさびさにうめぞうです。

今月で、まつこの遠距離介護生活はちょうど3年になる。

「3日、3月、3年」と、よく言われる。いったん始めたことに、飽きが来る時期だ。さすがに昔の人は人間の性(さが)をよく弁えている。

この3年間、まつこはほとんど一日も欠かさず朝晩に電話をかけ続けた。2000回以上かけた計算になる。わが家ではこの電話を「ポコ電」と呼んでいる。まつこは、公務と旅行以外、ほとんど欠かすことなく毎週末、東京と柏崎の間を往復した。

対するうめぞうは、それほど貢献はしなかったが、それでも2週間に一度くらいはハガキを書き続けた。おそらく数十通はくだらないだろう。聞くところによると、その分厚いはがきの束を、いつも孫の自慢話をする自分の姉に見せているという。うつろな記憶力の中で、ひそかに自慢のお返しをしているのかもしれない。

さて、こんなふうに書くと、いかにもウメマツの孝行ぶりを自慢しているように聞こえるだろう。「えらいわねえ」と誉めてもらいたがっているんだな、と思われそうだ。

そんな心理が少しくらいはあることは否定しないが、今日、うめぞうが書きたいことは、それとはまったく別のことだ。

最近、まつこは過去3年間の疲れが自分の内側に次第に蓄積してきて、そろそろ心身の許容限界に近づきつつあるのではないかと、ひそかに不安を募らせている。しかし、うめぞうの見立てはまったく違う。この3年間の生活を経て、うめぞうには、ひとつ、くっきりと見えてきたものがある。

それは、ウメマツが、そしてわれわれの関係が、この3年の間に、確かな成長を遂げたということだ。朝起きてポコ電をする。勤務に出る。帰ってポコ電をする。これが4日繰り返されたところで新幹線に乗る。買い出しをして、4日分の料理をストックして帰途につく。日曜日の夜、家に戻り、月曜日の朝、同じことが始まる。週末がないため、週日の間に仕事の準備や人との会合をすませておかねばならない。

この単調な反復が、われわれの生活を律したのだ。

もう、気まぐれで映画を見にいったり、見境なく飲みほうけたり、だらだらとテレビを見たりする時間はほとんどなかった。最近では、前もって2人の手帳を照らし合わせ、約束を取り付けておかないと、夕食を一緒に取ることすらなかなかままならない。あまり考えることなく、たんたんと、あたりまえのように、日々の仕事を反復する。それだけだ。

この一見何でもないことが、われわれ二人に、いかに苦手なことであったかを、われわれはこの3年、身を以て学ばされたのだ。

そしてその学習過程の中で、うめぞうには、一つの光景が見えてきた。それは自分と姉と父親のために、3年どころか、10数年にわたって1日も欠かさず、早朝に起きて、食事を作り、弁当を作り、電化製品もろくにない貧乏生活の中で、明るく一家を支えてきた母親の姿だ。

そしてまつこの母親もまたしかり。目の不自由な夫と、脳こうそくで寝たきりの舅と、きつい性格の姑の3人の面倒をみながら、自分だけが、たった一人、まともな労働力として、子供2人を含む5人の人間を養ってきたのだ。それは、いっさいの気まぐれや、思いつきの遊びを許さぬ、30分の予定時間のずれすら、大きなストレスになるような生活だったはずだ。それが証拠に、記憶力がどんどん落ちているその中で、「早く家に帰らなければならないのに、どうしようかと思った」という話を、うめぞうは何度も何度も聞かされている。その生活は、はたから見れば、ほとんどマニュアル化された機械的な反射運動のつみかさねから成り立っているような生活に見えたはずだ。しかし今、こうした反復がもつ凄さをウメマツは日々教えられつつある。若き日々の両親の姿が、介護を通じてありありと思い出され、介護を通じて、親ともう一度、新たに出会っているのだ。こうした機会でもなければ、けっして会えなかったであろう親の姿と。

うめぞうは、こうした淡々とした積み重ねが作り上げる静かな威厳を、これまであまりにも見くびっていたことを深く反省している。その意味では、まつこの2000回の電話もまた、あっぱれだ。うめぞうには次第に神々しく見えてきた。

これから困難な道を経て死におもむこうとしているわれわれの親たちのかつての生活史からみると、ここ3年くらいのわれわれの生活を苦労と呼ぶのはまだ早い。まだまだ、われわれは人生の何たるかをわかっていない。そして、そのことをほんの少し学ばせてもらったことは、この3年のウメマツにとっては大きな恵みであった。

日々の単調な積み重ね自身が、ひとつのプレゼントなのだ。というのも、こうしてわれわれもまた、いつかは死におもむくための準備の一歩を踏み出すことができたからだ。親の介護から学ぶことは多い。アルツ哲学は、まだまだ奥が深いと感じる3年目だ。

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