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2010年8月

2010年8月30日 (月)

ジャージー牛

まつこです。

うめぞうがお腹をさすりながら、「今日はスポーツ・ジムに行こう」と言いだしました。確かに私も体がちょっと重めです。その原因のひとつは・・・

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[ジャージー牛です。「大人しい性格で可愛い」と島の人たちは自慢しています]

ジャージー島といえばジャージー牛。200年ほど前から、この島には他の種類の牛を入れないという法律を作って純血種を守っているそうです。(ちなみに精子は貴重なこの島の輸出品だそうです。)

ジャージー島のミルクについてはそれほど特別な印象を受けませんでしたが、バターがとてもおいしいのです。

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[ジャージー・バター。上の写真は二晩目の夕食、Old Court House Innのレストランのもの。下の写真は宿泊したLa Haule Manorで毎日、朝食についたバター]

色が普通のバターより濃い黄色をしています。なめらかで、風味がとても良く、パンにつけると、いくらでも食べられる感じです。エシレ・バターよりもっと力強い。あのバターの香りを経験してしまうと、普通のバターではもの足りない気がしてしまいます。

そしてジャージー・ミルクから作られたアイス・クリームも忘れられない味です。

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[セント・へリアのメイン・ストリート、つまり島で一番にぎやかな通りのアイスクリーム屋さん]

私はソフト・クリームを、うめぞうはラム・レーズンのアイスクリームを食べました。どちらも濃厚でなめらか~。

今日はランニング・マシーンで、うめぞうは3キロ、私は1.5キロ走ったら、二人ともヨロヨロ。暑さと時差ボケで体力落ちています。でもあのバターをつけたパンを一切れ食べられるのなら、あと1キロくらい走ってもかまわない。そう思えるほどおいしいバターでした。

2010年8月29日 (日)

カンタベリー

まつこです。

昨晩、短いパンツをはいて寝ていたら、夜中にふとももを蚊にさされました。「あ~、ジャージ島にも蚊がいるんだな・・・ムニャムニャ」と夢の中で思った瞬間、目が覚めました。新潟の子供の時から使っているベッドの上でした。脳がまだヴァカンス気分から通常モードに切り替えられていないようです。

ヴァカンス気分が抜けないうちに、旅の追記を書きます。

うめぞうがロンドンで合流した週末、私の友人ゴーギャンと、うめぞうの友人Oさんを誘って、カンタベリーまで出かけました。ロンドンから電車で1時間ほどのところです。

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[カンタベリーの大聖堂。このろうそくの燃えているところでトマス・ベケットが暗殺されました。写真撮影はOさん]

カンタベリーはローマ教皇の指示でアウグスティヌスが布教を始めたところで、イギリスにおけるキリスト教の拠点です。12世紀には国王と対立した大司教トマス・ベケットが暗殺され、カンタベリーは殉教の地となり、多くの巡礼が訪れるようになりました。16世紀の宗教改革以来、英国国教会の総本山となっています・・・。

というようなことを大学の講義で話すことは何度もありましたが、実は私、思い切って告白しますが、「今までカンタベリーに行ったことがなかった」のです。これは日本史の先生が、奈良の法隆寺を訪ねたことがないまま、仏教伝来や聖徳太子について語るようなものです。上記のような概説をしながら、内心、「まずいな・・・」と思い続けて、教師生活数十年。

で、ようやく行きました。次回からは心のわだかまりなく、講義ができます。やれやれ。

カンタベリーの大聖堂を作った石灰岩はノルマンディーから海路運んだそうです。それを街の中にさらに運ぶために水路を利用しました。カンタベリーの町ではその水路を、パントと呼ばれる浅い箱型に乗って遊覧することができます。

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[水路からは美しい古い街並みが眺められます。写真撮影はOさん]

カンタベリーの大聖堂に向かう参道で、この船遊びの業者が宣伝をしていました。二つの業者と話してみて、料金の安い方を選びました。ところがこの二つの業者は、昔から営業していたA社と、最近参入した新興のB社で、はげしく対立していたことが後から判明しました。

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[パントの上のゴーギャンとOさん。船上からはいろんなものが見えます。可愛いカモの親子も見えましたし、水上にはり出した枝からラズベリーの実をとって食べることもできました]

B社のパントに乗り、一通りの遊覧を終えて、発着所に戻った私たち。ところが発着所にはA社のボートが横付けされたままで、私たちが下船できません。狭い水路でにらみ合うA社とB社の船。それぞれの関係者が激しく口論をしています。やがて警察が呼ばれ、A社がいったんは退いて、ようやく私たちは船を降りることができました。

ヒートアップした口論でしたが、両者とも内容はなかなか理路整然としいました。どちらの言い分に法的根拠があるのか、乗客の安全は優先すべきである、発言は録音して裁判の証拠とする・・・などなど。田舎町の遊覧船業者でも、議論をする際には、論理的言語を使うなんて、いかにもイギリスらしいなどと感心しました。

このパント遊びのあとは、アウグスティヌスの建てた修道院跡を見学。

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[6世紀から14世紀まで増築され続けていた修道院が、ヘンリー八世によって解散され、今は廃墟となっています]

古代ブリタニアのキリスト教の歴史から、現代ツーリズムにおける地元業者の縄張り争いまで見学でき、面白くてためになる一日でした。

2010年8月28日 (土)

テスコのテレフォン・カード

まつこです。

およそ20日ぶりに、母の住む実家に帰省しました。その間の週末は、一度は弟が、翌週は伯母夫婦が、泊まりにきてくれていました。

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[今日の玄関の花]

母の様子はあまり変わっていないようでもあり、少しずつ病状が進行しているようでもあり。昨夕、玄関の花が少ししおれていましたが、今朝は違う花に活けかえられていました。その程度のことはできます。

一方、牛乳配達の集金のため5,983円をお財布から出そうとし、50円玉一個と10円玉三個で80円になることがなかなか理解できなかったり、お夕食の時にそうめんをつけ汁につけて食べるということが、ふいにできなくなったり。その程度のことが難しくなっています。

海外に出ていた2週間ほどの間、いつもと同じように朝晩2回電話をしていました。イギリス滞在中、日本に電話するのにとても役に立ったのがTesco International Calling Cardです。スーパーのテスコで売っている国際通話用のテレフォン・カードです。

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[このカードが大いに活躍しました]

アクセス・ナンバーにダイアルして、カード裏に記載されているPINナンバーを入力してから、日本の通話先電話番号にかけます。日本への通話料は普通の電話だと1分2ペンス、通話先が携帯電話でも1分8ペンスです(ただしイギリス国内での通話料金は普通にかかります)。残額が少なくなりかけたら、テスコに行けば、3ポンド、5ポンド、10ポンドという単位でスイカのようにチャージすることもできます。

今までもロンドンから日本に電話するのに、いろんな会社の同様なカードを購入して使いましたが、Tescoのはずっと使いやすかったです。通信状態も安定していて音声が途切れることがないし、アクセス先が混み合っていることもないし、リチャージできるので残額を心配する必要もありません。

イギリスにいようとフランスにいようと日本にいようと、会話の内容はほぼ同じ。日本時間の朝7時半から8時の間に、「朝ごはん食べた? お薬飲んだ? 『ゲゲゲの女房』がもうじき始まるよ。」日本時間の夜8時半から9時半の間に、「お風呂入った? 戸じまりした? お薬飲んだ?」このテスコのテレフォン・カードを見ると、この判で押したような会話が耳の中によみがえります。これも今年の旅行の思い出の一つです。

2010年8月27日 (金)

時差ボケ解消失敗

まつこです。

海外旅行から戻った日は、ウメマツはお蕎麦屋に行くことが多いです。荷物を片付け、シャワーを浴びてから、蕎麦屋で一杯。たまりません。

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[まずはビールで乾杯。つまみはなんにしようかな・・・]

今回も帰国した日の夕暮れ時、ご近所の『夢境庵』に行きました。残念ながら夏休みでお店は閉まっていました。しかし頭の中が「お蕎麦」のイメージでいっぱい。いまさらお鮨にも中華にも変更できません。そこで本郷三丁目の『田奈部』まで出かけました。何が何でもお蕎麦という執念が表れています。

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[とりあえず枝豆]

蕎麦味噌をつつきながら、日本酒をちびちび飲む。和の粋を味わうことで、一気に時差ボケが解消できるような気がします。

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[蕎麦屋の卵焼きは自宅で真似ができないもののひとつ]

ほろ酔い気分で蕎麦をたぐります。わさびと蕎麦の香りが鼻腔で混じり合う。「ヨーロッパもいいけど、日本もいいねえ」という気分になります。

ほどよく酔いが回ったところで、ぐっすり眠って、目がさめれば時差ボケは解消・・・

・・・のはずでしたが、2時間で目が覚め、その後はどうやっても眠れない。翌日、仕事に取りかかろうとしたところで、猛烈な眠気。どうも歳をとると時差ボケがひどくなるようです。帰国後二日目でも眠りのサイクルがくるっています。

海外旅行をすると「老眼が進む」「白髪が増える」「時差ボケが直らない」。中高年の海外旅行にはこんな副作用があるようです。時差ボケ解消の良い方法、どなたかご存知なら教えてください!

2010年8月24日 (火)

パリの朝

まつこです。

長い旅もとうとう最後の朝を迎えました。今日のパリの朝は真っ青な空が広がっています。

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[朝焼けの中のセーヌ川]

ロンドン、ジャージ島から、モン・サン・ミッシェルに立ち寄ってパリへ。2週間ほどのもりだくさんな旅でした。その間旅先でいろんな方たちにお世話になりました。ロンドンのゴーギャン、Oさん、womby, cherry、パリのSくん、Nさん、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

またこのブログを読んでくださったみなさん、コメントくださったみなさん、どうもありがとうございました。(ショウガネコさん、白玉さん、パリからはコメントの書き込みができず、お返事のコメントができずごめんなさい。東京に戻ったら書かせていただきます。)

途中パソコンのリカヴァリーをしたため、写真加工のソフトが使えず、アップロードできなかった写真などもありますので、東京に戻ってから時間があれば、旅の記録の追記を書きたいと思っています。

パリの朝は秋の到来を告げるひんやりとした空気に包まれていました。昨晩、少しワインを飲みすぎたので早朝に目が覚めてしまいました。人気の少ない朝の街を一人で散歩してきました。朝6時半のパリ。足元でマロニエの落ち葉がかさかさと音を立てます。サンジェルマン・デ・プレ教会はまだ門を閉ざしたままでしたが、お向かいのカフェやブティックでは開店前の準備が始まっていました。旅をして心に残るのは、こんなさりげない瞬間です。

このちょっと切ないような旅の終わりの気分を、大切に胸にしまいこんで、またいつものあわただしい生活に戻っていきます。早朝のパリの空気を吸い込んで、心も体もリフレッシュしました。さあ、日本に戻ってがんばりましょう・・・。

2010年8月23日 (月)

モン・サン・ミッシェル

まつこです。

晴天にめぐまれたジャージー島滞在。最終日の朝も快晴でした。うめぞうはこの島がたいへん気に入って、また来たいといっています。でも今回は4泊5日で滞在終了。巨大なフェリーに乗って島を離れました。Photo

[私たちが滞在したのはセント・オーバンという村です]

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[ジャージー島が朝の光の中で遠ざかっていきます]

1時間ほどの航海でフランス、ブルターニュの港町サン・マロに着きます。そこからタクシーに乗って30分ほど、到着したのは・・・

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[サン・マロからタクシー。運転手さんは英語ができませんでしたが、とても親切でした]

世界遺産モン・サン・ミッシェルです。昔、TBSの『世界遺産』でこの修道院を見てから、いつか一度来たいと思っていました。

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[とうとうモン・サン・ミッシェルまでやってきました]

予想以上のすごい人ごみです。小さな岩山に世界中から観光客が結集しているようです。狭い参道の両側にはお土産屋さんがびっしりと並んでいます。ブルターニュのバター・クッキーやクレープなどに混じって、キティちゃんのお人形やプラスチック日本刀まで売っています。この参道だけ見ているときわめて俗っぽい観光地です。

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[人、人、人・・・]

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[なかなか前に進めません]

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[ようやく修道院の入り口。しかしここでまた長蛇の列]

しかし修道院の中に入ると、やはり荘厳です。岩の上に何層にも建築を積み重ね、修復を繰り返し、天高く伸びた尖塔。その頂きには天使ミカエルが輝かしく降り立っています。

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[修道院付属教会の内部]

日本語の音声ガイドを借りて、細かい説明を聞きながら見学しました。イギリスとの百年戦争やフランス革命で破壊され、過酷な牢獄として使われた後、再び修道院として使われるようになったそうです。増築や修復された時代によって建築様式が異なるため、複雑な迷路のような内部に、力強いアーチや軽やかな装飾が混在しています。

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[たいへん美しい回廊。空中庭園を取り囲んでいます]

観光客でごったがえしていて騒々しい印象ですが、岩壁の向こうには修道士や修道女がひっそりと祈りの日々を送っているようです。目の前の小さな木のドアが開いたと思ったら、若い修道女が姿を現しました。

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[夕暮れ時、刻々と表情を変える景色が魅力です]

夕暮れ時になると、観光客の波も引いていき、島全体がだんだん静かになります。刻々と変わる空の色、それを映す海の水の潮位も変化します。

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[ライトアップされたモン・サン・ミッシェル]

とっぷりと闇が降りてくるころには、修道院がライトアップされ、重々しいシルエット夜の空に浮かび上がります。昼の喧騒を忘れるような厳かな空気が石造りの町に流れます。

厳粛な空気の中でもお腹はすきます。ホテルのレセプションで勧められたレストランに行ってみました。しかし・・・

「名物にうまいものなし!」

この格言をこれほど強く確信したことはありませんでした。モン・サン・ミッシェルの名物は巨大オムレツと羊です。観光地のレストランだからあまり期待はできないと覚悟はし、あまりおいしくないという口コミ情報にも接していました。それでも「名物」は一度は経験しておきたかったのです。

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[これが名物の巨大オムレツ]

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[うめぞうが選んだ羊もいまいち・・・]

モン・サン・ミッシェルの教え―その1
見学は観光客の少なくなる夕暮れ時をねらうべし

モン・サン・ミッシェルの教え―その2
非常に高くておいしくないことを覚悟の上でオムレツは食べるべし

2010年8月21日 (土)

ジャージー島の犬かきトラック

まつこです。

今日のジャージー島は薄曇り。島の中心地のセント・ヘリアという町まで出かけてみました。ジャージー島は租税回避地、いわゆるタックス・ヘイブンです。セント・ヘリアは古いヨーロッパの町に最新の金融センターが共存しているような町でした。

Photo_4[海に浮かぶ石造りの要塞、エリザベス城]

そのセント・ヘリアの真正面の海に石造りの城が浮かんでいます。干潮の時には地続きになるようですが、それ以外の時には海に浮かんでいます。このエリザベス城に行くには定期的に運行している水陸両用車に乗ります。

水陸両用車というとなんだか最新鋭の乗り物のようですが、実際はポンコツトラックの後部に水中エンジンを搭載したような乗り物でした。砂の上は力強く走りますが、いったん水中に入ると、まるで犬かきをしているように、えっちらおっちら、左右に揺れながらゆっくり進みます。「ポンコツ犬かきトラック」という感じです。本当にこんな乗り物で無事に海を渡れるんだろうかと、かすかに不安を感じます。

Photo_5[こんなボロいトラックで本当に海を渡れるのでしょうか?]

このポンコツ犬かきトラックが動き始めると、車内に007のテーマソングが流れます。これには思わず笑ってしまいました。確かに船と車を合体させた最新鋭の水陸両用車であれば、ジェイムズ・ボンドが危機一髪の脱出の際に用いそうです。しかしこの息を切らせるようにあえぎあえぎ進むポンコツ・トラックに007のテーマソングはいかにも不釣合い。もしかしたら乗客を笑わせて、不安を忘れさせる方策かもしれません。

エリザベス城は石造りの堅牢な要塞で、ジャージー島がいかにヨーロッパの戦いに巻き込まれ続けたか、その歴史を刻みこんだ建物でした。もともとは16世紀末にウォルター・ローリーがエリザベス女王のために築いた要塞です。清教徒革命の時にはチャールズ二世がいったん拠点としました。18世紀英仏戦争の際にも、英国の重要な軍事拠点でした。20世紀にはドイツ軍が、ロシア人の戦争捕虜を労働力として使って頑丈な要塞へと強化しました。

そんな戦いの歴史に思いをはせた後、再びポンコツ犬かきトラックに乗ってセント・ヘリアに戻りました。再び007のテーマソングを聞きながら、平和な時代を実感しました。

2010年8月20日 (金)

ジャージー島の自然と歴史

まつこです。

今日もお天気に恵まれました。こちらで知り合いになったスペイン人夫婦ミゲルとラウラは昨年も2週間、ジャージー島で夏の休暇をすごしたそうですが、昨年は2週間で1日しか晴れた日がなかったそうです。先週も1日しか晴れなかったそうです。「『太陽の昇る国』から君たちが太陽を連れてきてくれた」と感謝されています。

Photo[島の西の海岸からツアーは出発]

今日もミゲル、ラウラたちと一緒にウォーキング・ツアーに参加しました。今日は島の西の海岸で集合です。ローカルバスの運転手に降りるところを教えてくれと頼んだのに、3,4キロ先のバス停まで連れて行かれてしまいました。バスは1時間に1本あるかないかという辺鄙な人気のない海岸です。

集合時間まで余裕がないので、やむなくヒッチハイク。うめぞうはひたすら前を向いて歩き続けます。たまに通りかかる車に手を上げて止まるように頼むのは私の役目。まつこ生まれて初めてのヒッチハイクでしたが、3台目で止まってもらえました。素敵な女性が運転するフィアットです。

Photo_2[ナショナル・トラストが管理する自然保護地区を今日は歩きました]

今日のツアーガイドはジャージー島のナショナル・トラストの活動員の女性でした。自然保護地区を歩きながら、植物、鳥、虫、魚などの種類や生態について説明を受けます。この近くで生まれ育った彼女は、子供のころから四季折々に姿を変える豊かな自然に囲まれた環境が最高の遊び場だったそうです。

Photo_4[地元で育った女性が詩のような言葉で、小さな生き物について語ってくれます]

こうした自然の多様性をできるだけそのままの状態に守るためには、どれだけの努力が必要か聞きました。目先のお金のためにゴルフ場開発や別荘開発を無制限に受け入れず、また痛んでしまった自然環境は粘り強く修復をし、美しい自然を守り続ける。風と光の中に小さな生き物たちのさまざまな声が聞こえる・・・と語る彼女の言葉は、詩のように聞こえました。

Photo_5[午後は美しい岬とビーチを散策]

半日の自然観察教室のあと、ミゲルたちとパブランチ。そのあとは南西の突端の岬で別れ、彼らはビーチで海水浴。ウメマツ二人は島の南の岬とビーチをウォーキングすることにしました。松林がうっそうと茂った岬と、白っぽい細かい砂が美しいビーチが交互に現れる起伏のある地形です。

Photo_6[道に迷ってたどり着いたドイツ軍の陣営跡。大きな大砲が海に向かっています]

途中、ある岬の上で道に迷ってしまいました。杖を突いてヨロヨロと歩く老夫婦とすれ違ったので道を教えてもらいました。「君たち、もし時間があるならこの先まで足を伸ばしてごらん。ドイツ人が残していったバンカーがあるよ」と言われました。「バンカー」とは何だろうといってみると、うめぞうが「ブンカーだ」と声をあげました。Bunker、第二次世界大戦でドイツ軍が敗戦が決定的になった後の1945年5月まで死守し続けた地下壕でした。

ジャージー島は1940年から45年までドイツ軍に占領されていました。ドイツ軍はこの島を守るために海岸線には高さ2メートルの防波堤を築きました。さらにこの南に突き出した岬の突端には地下司令部と海に向かった大砲群が築かれています。今は羊がのんびり草を食べている草原の下には、地下二階建ての要塞があるのだそうです。

Photo_7[こちらはノルマン人が作った要塞跡。島にいくつもあります。今も海からの目印として使われています]

イギリスとヨーロッパの間に海峡にあるこの島は、ヨーロッパの軍事的な要でした。小さな島のいたるところに、ノルマン人の要塞、イギリス軍の兵舎、ドイツ軍の防波堤など、長い戦いの歴史が地層のように跡を残しています。

きれいな景色の中を歩きながら理科や社会の勉強にもなった一日でした。

2010年8月19日 (木)

ジャージー島の青空

まつこです。

一夜明けると、天気予報がはずれ、晴天でした。うめぞうは「僕は晴れ男なんだ」と威張っています。天気の変わりやすい小さな島では貴重な晴天です。ガイドさんつきのウォークに参加することにしました。

Photo_2[最初は木漏れ日がきれいな森の中を歩きました]

バスに乗って島の北の待ち合わせ場所に行ってみると、参加者は私たちを含めて6人。トムというおじさんのガイドさんの説明つきで、森を抜け、草原を歩き、岬をめざし、さまざまな変化の多い、3時間ほどのコースでした。

Photo_3[ジャージー牛が牧場でのんびり草をはんでいます]

ジャージー島の経済は80%が金融、18%が観光、そして2%が農業によって支えられているそうです。有名なジャージー牛の姿も見えました。

Photo_4[海の向こうにはお隣のガンジー島が見えます。東側にはうっすらとフランスも見えます]

森を抜け、かわいい家の並ぶ村を抜け、農場の横を歩き、岬の山を登ると海が大きく広がって見えます。お隣のガンジー島ははっきりと見えます。視線の方向を少し東に移すと、フランスも見えました。

同じツアーに参加していたスペイン人の夫婦と親しくなり、ウォークの後はパブでビールを飲みながらおしゃべり。昨年夏に引き続き二度目のジャージー滞在だそうです。バルセロナの夏の暑さを逃れてやってきているので、少しぐらいの雨は気にしないそうです。

午後はホテルのプールでくつろぎました。海からの風が少し冷たいけれど、プールの水は温めてあるので快適です。

Photo_5[泳ぐうめぞうをデッキチェアから見たところ。爪先は私のです]

プールサイドで見知らぬ宿泊客から「昨日Salty Dogでディナーを食べたでしょう?どうだった?」と聞かれました。なんで私たちがその店で夕食を食べたことを知っているのでしょう?さらに「今晩はOld Court Houseというレストランで食べるといいよ。窓際の席を予約しておくほうがいいよ」と勧めてくれました。親切なおじさんです。

夕刻になりその勧めてもらったOld Court Houseというレストランに向かって歩いていると、まったく見知らぬご夫婦から声をかけられました。「あなたたち昨晩、Salty Dogでお夕食召し上がったでしょう。おいしかった?」この東洋人が見当たらない小さな村では、もしかして私たちは注目されているんでしょうか?

この島にやってくるのは中高年のイギリス人が圧倒的に多いようです。昨日も、今日も、レストランでは私たちが一番若いお客のようでした。若い人たちがいない分、おしゃれな感じはまったくありませんが、定年後の日々をのんびりすごしている老人たちが多いので、静かで落ち着いた空気が流れています。

ジャージー島二日目、のんびりした村で、のんびりした時間をすごしています。牧場の牛になった気分です。

Photo_6[今日の夕食です。うめぞうはスズキ]

Photo_8[私はドーヴァーソールを食べました]

Photo_9[付け合せの野菜は、昔ながらのイギリス料理らしく、くったりとするまで茹でられています。ジャガイモはジャージー島の名物のひとつです。ジャージー・ロイアルという名前のジャガイモです。]

2010年8月18日 (水)

雨のジャージー島

まつこです。

灰色の厚い雲を抜けた瞬間、ドッシーンと大きな衝撃とともに着陸したのはジャージー島の空港です。フランスのノルマンディ地方から手を伸ばせば届きそうなところにある小さな島です。ここで優雅な休暇を過ごすはずでした。

しかし・・・

Photo[私たちが降り立った直後、悪天候のため空港は閉鎖になりました。そのくらいの視界の悪い中でのハードランディングでした]

雨です。冷たい雨です。タラップを降りると乗客は、倉庫のような小さなターミナルまでみな小走りです。ラベンダーが咲き乱れ、青々とした草原で、のんびり牛が草を食べている。そんな写真が空港内のいたるところで目に入りますが、建物の外に見えるのは、ただただ灰色の世界。しかも天気予報によると、この天気は私たちの出発日まで続くそうです。

おまけに寒い!夜になるとホテルではヒーターが入ります。飛行機で私の隣に座っていたオーストラリアから乗り継いできた男性は、「オーストラリアは今は冬だけど、あっちの冬より、ここの夏のほうが寒い」と愚痴っていました。

Photo_3[ホテルの部屋の窓からは灰色の海が見えます。晴れればきれいでしょうけれど・・・]

海辺のプールつきホテルに部屋を予約してありました。半ズボン、水着、サンダル、Tシャツ、サングラスなど、スーツケーにたくさん詰め込んできましたが、どうも使う可能性はなさそうです。代わりに念のために持ってきた毛玉だらけの冬物セーターを着込み、さらに出かけるときにはその上からヤッケです。

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[防水加工のされたウォーキング・シューズによれよれセーターにヤッケ。ファッション性ゼロです。でも今日この島ですれ違った人はみんなこんな格好でした]

この黄色いヤッケ、10年以上前にイギリスの湖水地方で買ったものです。あれも8月でしたが、あまりに寒くて地元のアウトドア用品のお店で買いました。

せっかくの休暇なのに雨は残念ですが、灰色の海を眺めながら、のんびりここで数日過ごす予定です。

Photo_4[1日目の夕食はSalty Dogというビストロに行きました。今日の特別料理を頼みました。まつこはスズキの料理を選びました]

Photo_5[うめぞうが選んだのは採れたてのマグロステーキで、辛味と甘味が入り混じったココナッツのソースがとてもおいしかったです]

2010年8月14日 (土)

ロンドンは今日も雨

まつこです。

今日もロンドンは雨。涼しいのを通り越して寒いほど。今日はお酒も飲まず、買い物もせず、昼間は図書館で本を読み、夜は劇場へ。今日の研究課題は「女性大学教師のワーク・ライフ・バランス:消費活動と研究活動に見る相関関係」。

001[ロンドンは今日も雲に覆われています]

見た芝居はアラン・ベネットのThe Habit of Art。舞台はナショナル・シアターのリハーサル・ルームに設定されています。ナショナル・シアターの本当の舞台の上に、ナショナル・シアターのリハーサル室が再現されているわけです。演劇をテーマにした演劇、いわゆるメタ・シアターです。

そこで役者やスタッフがイギリスの詩人W. H. オーデンを主人公にした芝居のリハーサルをしています。年老いたオーデンは、キッチンのシンクでおしっこはする、若い男娼を部屋に入れるという無軌道ぶり。これはアナーキーな暴走老人を描く芝居なのかと思いましたが、後半になると音楽家のベンジャミン・ブリテンと詩人オーデンの対話になり、ぐっと緊張感が高まります。芸術についてのオマージュ、あるいはナショナル・シアターへのオマージュのような作品でした。

ロンドンのナショナル・シアターが完成したのは1976年。テムズ川の河畔にあるコンクリートの要塞のような建物です。19世紀から使われ続けているほかの劇場に比べると、ひときわ現代的な複合演劇施設という印象でしたが、30年以上の時を経て、ずいぶん古ぼけてきました。

擦り減ったカーペット、ニスの剥げ落ちたドア、黒ずむコンクリートの壁面。こうして建物が古びるまでに、無数の役者が舞台にたち、無数の芝居が演じられてきました。観客の拍手の嵐が場内を満たすこともあれば、閑散とした客席に冷え冷えとした空気が漂うこともあります。栄光のオーラを放つスター俳優もいれば、黙々と働く無名の裏方もいます。その一日一日を積み重ねて、長い年月を経たとき、劇場は老俳優のような陰翳をその空気の中にしのばせるようになります。

私は残りの生涯であと何回、この劇場に足を運ぶのかな・・・。今までナショナル・シアターで見たいくつもの芝居をあれこれ思い出しながら、そんなちょっとセンチメンタルな気分になってテムズ川を眺めた夜でした。

2010年8月13日 (金)

七面鳥の焼き方

うめぞうです。

今回はまつこが先にロンドンに行き、うめぞうは東京に残り、たがいに1週間それぞれの仕事をすませてから、今週末にロンドンで落ち合い、それから10日間、二人でヴァカンスを楽しむという計画。

まつこはBL(図書館)に通って勉強するという触れ込みだったが、どうも芝居とショッピングと酒におぼれている様子。

われわれは外国に出かけていくとき、今でも職場に書類を提出することが義務づけられている。しかもその目的を明記しなければならない。正直に「観劇およびショッピング」でもいいはずだが、やはりひとかけらの見栄があり、なぜか今でも多くの人が「資料収集」、「研究打ち合わせ」と書く。遺跡発掘ならいざしらず、今時、資料収集や研究打ち合わせのために飛行機に乗る人はいない。書類を受け取る事務側もそんなことは百も承知だが、正直に書かれても困るのである。

そんな日本の偽善的習慣に反発したあるフランス人教員は、クリスマス休暇に帰国するのに無意味な書類の提出を求められ、こう書いた。「渡航目的:フランスの一地方都市におけるクリスマス・イヴの夕食メニューの国際比較研究ーー七面鳥の焼き方を中心として」。この書類は形式的にせよ、事務局から教授会に提出され、学部長は役職上これを読み上げなければならない。あまりのあほらしさに爆笑の嵐であったことは言うまでもない。ところが学部長は重々しくこう付け加える。「これについて何かご質問、その他、ございますでしょうか。(沈黙)とくにご異議がないようですので、原案の通り、承認といたしたいのですが、よろしいでしょうか。ではそのようにさせていただきます・・・」。

あらゆる文化現象は研究対象になる。学問の自由である。しかも衣食住についての文化比較研究は、これまでインテリの頭ん中にしか興味を持たなかった理性の帝国主義に対する反植民地闘争として大いに栄えている。ポスコロ(ポスト植民地主義)、カルスタ(カルチャル・スタディーズ)などと恰好をつけている以上、七面鳥の焼き方が研究課題としていかがなものか、なんてことはまず言えない。お役所仕事に首をかしげる人々は、ひそかにフランス人のエスプリに拍手を送ったものだ。

だから次の出張の時には、まつこも「ロンドンにおけるファッション・アイテムの記号論的解読の一局面――ジョセフを中心に」とか「ロンドンの劇場周辺パブにおける大衆的劇評の分析――コーヒーハウスからワインバーへの公共性の構造転換」とか、わけのわからないことを書いてだしてみてはどうか。そうすれば、今と同じ生活をしながら、提出した書類に従って研究活動をしているんだ、と自己評価を高められるのではないか。

とはいえ教授会の中には、会議の後でまじめにこんなふうに聞いてくる人も数人はいるだろう。「さすがまつこ先生、最近はこんな事にも切り込んでおられるのですか。これはデリダですか、ハーバーマスですか?それにしてもジョゼフというのは、何ジョゼフ(ファーストネームを尋ねている)ですかね。どんな論文を書いている人なんでしょうか。いやあ、最近はとんと不勉強で・・・」。

似てない親子

まつこです。

昨晩も芝居を観に行ったのですが、酔っ払って深夜の帰還となりブログに記録を残せませんでした。劇場で友人のwombyさんと一緒になり、終幕後、Joe Allenへ。芝居の感想など語り合いながら飲むワインはおいしいものです。

009[『お気に召すまま』を見たオールド・ヴィックも古い劇場のひとつです]

見た芝居はシェイクスピアの『お気に召すまま』(As You Like It)。最近、ケイト・ウィンスレットとの破局が伝えられたサム・メンデスの演出です。光と影をうまく利用したシンプルな舞台に、老いと若さ、友情と恋愛、兄弟の権力闘争のドラマが繰り広げられます。しっかりと台詞を聞かせる落ち着きのある舞台は、いかにもシェイクスピア劇の本舗イギリスという感じがします。

男装に隠れて好きな男の人の気持ちを確かめるヒロインのロザラインは、ほっそりとした金髪美人です。その大の仲良しの従妹はぽっちゃり型で色黒の元気娘。恋して一喜一憂する親友を冷静かつ辛辣な批評家として眺めます。この二人の組み合わせが楽しかったです。

このロザラインを演じていたのは正統派美人のジュリエット・ライランスという女優さんでした。芝居のあと「あの人、マーク・ライランスの娘かな?」というwombyさんに、「違うでしょう。マーク・ライランスにあんな美人の娘がいるとは思えない」と言ってしまいましたが、ネットで調べたらやはり親子でした。ただし血はつながっていません。お母さんが子連れ再婚した相手がマーク・ライランスだそうです。

翌日は、たまたまなのですが、そのくしゃくしゃな顔のマーク・ライランスの出演する喜劇を見ました。La Beteというタイトルです。マーク・ライランスが演じる野獣のように奔放な大道芸人と、一方のモリエールを下敷きにした知性派の演劇人の出会いを通して、二つの異なった芸術観の対立を描きます。大衆を喜ばせる芸か、理念を実現するための芸術か。17世紀のフランスが舞台です。

台詞は終始、脚韻を踏んだ韻文です。マーク・ライランスは野卑な芸人を、付け歯をつけて演じていました。その歯をむき出しにした口から唾を飛ばし、口に入れた食べ物を飛ばし、ゲップはする、おならはする、まあ、とにかく汚い、汚い。この野蛮で下品で猥雑な芸人が30分ほど一人で韻文をまくし立て続けるという場面が圧巻でした。

このLa Beteを見たのは「コメディ・シアター」という古くて小さな劇場です。ちょっと残酷な笑劇を、盛装した男女が見る。ボックス席でシャンパン飲んでいる人たちもいました。古きよき時代の名残が感じられる夜でした。

気分転換

まつこです。

不調だったパソコンがとうとう立ち上がらなくなりました。あれこれ、思いつく限りの手を試してみたのですがダメ。リカヴァリー機能を使って出荷時の状態に戻し、セットアップからやり直しました。よりによって旅行中にパソコンがクラッシュするなんて、ついていません。「私って運のない女なのかしら・・・」と自己評価が下がります。

しかし、ここでめげたらせっかくのロンドンでの一日が台無し。こういうときこそ気分転換が必要です。

Photo[今日も克己心に勝ちました]

というわけで、昼間はブリティッシュ・ライブラリーで勉強する計画でしたが、急遽予定変更。気分転換にはやはりショッピングが一番。

私のお気に入りはFulham RoadのJosephです。ロンドンに来たら必ずここで何か買っちゃいます。今日も克己心に勝っちゃいました。ジョゼフのセーター二枚にジル・サンダーの薄手のハーフコート。ハーフコートは70%オフ!店員さんに「このコートは今日から値下げなのよ。昨日来なくてよかったわね」と言われました。「私って運のいい女なのね」と、ここで自己評価が急上昇。

Fulham RdのJosephはお店が二つに分かれて並んでいます。ひとつはセレクトショップ。もうひとつはオリジナルだけ売っています。今日は両方で買い物しました。大きな袋ひとつにまとめますかと店員さんに聞かれたのですが、「まとめなくていいわ。ショッピング・バッグをたくさん持って歩くとハッピーな気分になるから」と言ったら、周りの店員さんたちが「わかるわー」と大いに賛同してくれました。この気分、男性にはわからないかもしれませんね。

2010年8月11日 (水)

雨のロンドン

まつこです。

今、宿泊しているホテルはサウスケンジントンのフランス人学校の隣にあります。授業のある時期に泊まると、校庭で元気に遊ぶ子供たちの声(もちろんフランス語)が聞こえてきてちょっとうるさい時もあります。今は夏休み。ここ数日はカモメの鳴き声が聞こえています。

Photo[私の泊まっている部屋の窓からはこんな景色が見えます。フランス人学校の向こうに見える立派な建物の屋根は自然史博物館とヴィクトリア&アルバート博物館です]

今日のロンドンは雨でした。傘をスーツケースに入れるのを忘れてしまい、駅の売店で黒い折りたたみ傘を買いました。10ポンド(1400円)近くしますが、ちゃちですぐ壊れそうな感じです。

夏でも雨が降ると気温が急激に下がります。こんな日の夜は劇場に行くのがちょっと気が重い。でも友人から面白かったと聞いていた『テーバイにようこそ』(Welcome to Thebes)という新作を見に行きました。

何の予習もせずに見に行ったら難しい芝居でした~。子供の民兵が客席に機関銃を向けて「携帯電話の電源を切れ」と脅して芝居は始りました。ギリシア神話と現代のアフリカの政治状況が重ね合わせられています。内戦で荒れ果てた国テーバイが復興と平和維持のために強国アテネの支援を受けるという内容です。登場するのはエウリュディケ、テーセウス、オイディプスなど神話上の人物たちです。

フェミニストの作家らしく、殺戮と混乱を招くのは男。女たちが民主的な国家を作るため精いっぱい努力するという図式でした。大統領は女性差別主義者で女好きのだらしない男だけれど、女性の外交官は身をはって平和維持に貢献します。シークレット・サービスもかっこいい女性でした。

Photo_2[劇場を出ると雨に濡れたロンドンの夜景がきれいです。でもテムズ川を渡る風が冷たい…]

そういえば今日は図書館で社会科学のセクションの閲覧室にいたのですが、机を埋め尽くしているのはほとんど女性でした。隣の席は国際法の本を積み重ねている若い女性、お向かいの席も中国経済の本を読んでいる女性でした。これからは世界の指導者になる女性が次々登場してくるんだろうなあ、と改めて思いました。

復活した宗教

久々にうめぞうです。

長らくご無沙汰してすみません。なにしろ忙しい。といって勤勉に過ごしているわけでもない。仕事Aに取りかかると、いけね、仕事Bの方が先に頼まれていたんだっけと、申し訳ない気持ちになる。かといってBをやり出すと、Aのことがやはり気になる。たとえていえばA君とB君の求愛を受けて迷っている女性が、A君とデートをするとB君に悪いと思い、B君とつきあえばA君に申し訳ないと思う。そんなとき、とくに好きでもない、いたっていい加減なC男にさそわれて、とりあえず軽く遊んでしまう。すると不思議なことにA君にもB君にもそれほど申し訳ないと思わないですむ…

まあそんなふしだらな心の習慣で、うめぞうも、とりあえずは目先の逃避行動に走ってしまう。普通の人ならこれを「誘惑に負ける」というところだが、わが家ではあえて「克己心に勝つ」と表現する。同じことならポジティヴに表現した方がよいだろうというウメマツ流の処世術である。というわけで、克己心にはこのところ連戦連勝。勝ちすぎて破綻寸前の生活をつなぎあわせながら、ようやくなんとか夏休みにゴールインしたのが、ついこの月曜日である。せいぜい数人の読者とはいえ、まずはお詫びし、その間にうめぞうがつらつら考えたことなどを、またぼちぼちと語っていきたい。

ここ数カ月、なんとなく考えていたのは宗教のことである。だいたい1980年代はじめころまで、近代社会が成熟すると宗教の役割は次第に縮小していくだろうと多くの人が考えていた。啓蒙主義は人間を神から解放し、あらゆる分野で人間の自律を手助けするだろう――これがほぼ300年間、ヨーロッパ知識人の大方の予想だった。政治では政教分離がすすみ、既成宗教は信者数の減少に苦しみ、それまで宗教が担ってきた役割は、たとえば自然現象の説明なら科学に、社会現象の解明なら社会科学に、心のケアなら心理カウンセラーに、倫理教育なら非宗教的な道徳理論にといった具合に、近代社会が提供する専門化された制度にとって代わられるだろう、と予測されてきた。

ところがこの予測は当たらなかった。当たったのは、せいぜいヨーロッパ諸国で、日曜礼拝に来る人の数が減ったことくらいだ。ヨーロッパで過半数の国民が定期的に教会に通っているのはアイルランド、ポーランド、スイスの三国だけ。大半のヨーロッパ諸国では二〇%に満たず、旧東ドイツとスカンジナヴィア諸国では一ケタ台にとどまる。フランス、イギリス、オランダ、旧東ドイツでは、教会にまったく行かない人が五〇%を超えている。つまりたいていの西欧諸国では教会堂は日曜日になっても不気味なほどがらんとしているというわけだ。

ところが世界に目をやると、それとは正反対の像が浮かび上がってくる。キリスト教信者の数がこれほど集中的な拡大局面を迎えているのは、歴史始まって以来のことだ。

現在アフリカでは、一日につき二万三千人のペースでキリスト教信者が増加している。主に子供の誕生によるものだが、六分の一以上は改宗によるものだ。アフリカの人口に占めるキリスト教徒の割合は、1965年から2001年までの間に25%から46%に上昇した。アジアでも韓国はキリスト教国だ。ラテンアメリカではペンテコステ派とプロテスタント系諸派が勝利行進を続けている。イスラムももちろん負けてはいない。サハラ以南のアフリカ諸国のイスラム教は、ラテンアメリカの福音派と同様に原理主義的な傾向を強めながら幅広いネットワークを築いている。あきらかに21世紀は宗教復活の世紀なのだ。

そんなわけで、ウメゾウは目下、この現象と近代社会が掲げた理想とが、どんなふうにつながり、どんなふうにつながっていないのかをつらつらと、いや正確に言うと、うつらうつらと考えているのだ。

2010年8月10日 (火)

エンロン

まつこです。

飽きっぽくて根気のない私がめずらしく続けていることがあります。イギリスで芝居を見たら、必ず「シアター・ノート」という小さな手帳に記録を残すことです。イギリスの老舗文具メーカーのスマイソンでこのシアター・ノートを買ったのは15年前です。それ以来、書き続けています。

Photo[小さいサイズなので、ごく短い記録しか書けませんが、愛着のある手帳です]

でも今晩はコメントを書きあぐねました。歳のせいかだんだん時差ボケがひどくなり、今日は劇場で猛烈な眠気に襲われてしまいました。今晩は印象がおぼろです。

見たのは昨年から話題の『エンロン』。アメリカのガス石油会社がマネーゲームで企業価値を膨れ上がらせ、やがて破綻するまでを描いています。朦朧とした眠気の中で見て、一番印象に残っているのが、胴体が一つで頭が二つの双生児として登場したリーマン・ブラザーズです。歌やダンスも交え、人間の欲望をコミカルにおちょくる場面がたくさんさしはさまれています。

主人公はハーバード大学を出て、ヘッドハントされた切れ者という設定なのですが、ちょっと鈍重なおじさんという印象の役者がやっていました。初演からしばらくはサミュエル・ウェストが演じていたそうです。ダリッジ・カレッジからオックスフォードに進んだハンサムな二世俳優です。サミュエル・ウェストで観たかったなあとちょっと残念でした。

2010年8月 9日 (月)

おはよう電話

まつこです。

新潟の母には毎日、朝と夜の2回電話をすることにしています。母は最近、曜日や日付の認識が難しくなりました。毎朝電話するたびに、「体操教室に行かないと・・・」とあわてています。そのたびに「体操教室は来週の月曜日よ。今日は体操教室はやっていないわよ」、「あら~、そうなの?よかったわ。うっかり出かけるところだったわ」という会話が繰り返されます。

Photo[母への電話の直後に乗った新型スカイライナー]

今朝もこの同じ会話をしたあとで、新型スカイライナーに乗って成田空港に向かいました。今週のお盆は弟が帰省してくれます。来週は伯母が母のところに行ってくれます。

というわけで2週間あまりのバカンスです。まずはロンドンで1週間ほど、過ごします。

成田と日暮里駅を36分で結ぶ新型スカイライナー。デザインも良いし、早いし、快適なのですが、ガラガラに空いていました。2,400円と運賃もそれほど高くないのですが。

そのあとは12時間の空の旅でロンドンに到着。こちらはヒースロー・エクスプレスでロンドンのパディントンまで15分ほど。運賃は18ポンド。

Photo_2[ロンドンで同僚のゴーギャンと再会]

夜は同僚でロンドンで長期研修中のゴーギャンと食事。ゴーギャンがサウスケンジントンまで来てくれたので、ロンドンに来るたびいつも行く私のお気に入りのフレンチレストランLa Boucheeへ。

ワイン飲んで、おいしい食事を食べながらも、ついつい職場の最新情報などを話しがちになります。わいわい盛り上がって楽しい夕食でした。

夕食を終えてホテルに戻ればそろそろ日本時間で8時。母に「おはよう電話」をする時間です。「もうすぐ『ゲゲゲの女房』が始まるわよ。今日は体操教室はないわよ。熱中症にならないように水分をたくさんとってね」といつもどおりの判で押したように同じ会話。

ながーい一日でしたが、最初と最後はまるでデジャブのように同じ内容の電話でした。ロンドンまでやってきてもいつもどおりの生活が続いていますが、それでも大いに開放感があります。この開放感を存分に楽しんで英気を養いたいと思っています。

2010年8月 7日 (土)

マトリョーシカ作戦失敗

まつこです。

昔から旅行の荷物は少ない方でした。うめぞうと二人で二週間以上の旅行でも、80リットル程度の容量のスーツケース1つで済ませてきました。

でもリモワの82リットル入りスーツケースは、うっかり詰め込み過ぎると重量制限を超えてしまいます。機内持ち込み手荷物が増えるのもうっとうしいです。そこで二つ目のスーツケースを買うことにしました。

Photo[入れ子にすればしまうスペースが無駄になりません]

しかしスーツケースの置き場が問題です。我が家は極狭のマンションです。スペースを有効に使うために「マトリョーシカ作戦」を考案しました。入れ子のお人形のように大きなケースの中に中型のケースを入れ、その中にさらに小さな機内持ち込みできる小さなケースを入れようという算段です。

念のため丸の内のリモワのお店に行って、82リットルのケースの中に63リットルのケースをマトリョーシカみたいに入れることができるかと聞いてみました。でも店員さんは何を聞かれたのか分からないという表情です。結局最後まではっきりとした答えはもらえませんでした。

やむなくウェッブページで寸法を確かめ、十中八九いけそうな気がしていたのですが・・・

ダメでした。

Photo_2[ふたが閉まらない]

外寸ではうまくおさまりそうなのですが、車輪の部分が内側に引っ込んでいるので、その部分がつかえてすっぽりとは収まりません。マトリョーシカ作戦、失敗です。今日の教訓は「旗艦店まで行ったならしつこく最後まで問いただせ」です。そして「入れ子にするなら2段階のサイズ差が必要!」

それにしてもみなさん場所ふさぎなスーツケースをどう収納しているのか、良い知恵があったら教えてください。

2010年8月 5日 (木)

夏休み

まつこです。

一昨日からうめぞうと一緒に新潟に帰省しています。新潟も猛暑です。暑さと関係があるのかどうか知りませんが、蝉の数がいつもより多いようで、夜になってもうるさいほどに鳴き続けています。

Photo[今日の母の玄関の花は白いハイビスカス]

今日は母のケア・マネージャーさんが来てくれました。相変わらず母は何でも一人でできると言い張ります。「あなたたちも大変なお仕事ねー。お忙しいんだから私のところはいいですよ」と「上から目線」の発言。これはおそらく自分が他者のお世話になることを受け入れられない自尊心の表れだと思います。長年教師をしていたせいかもしれません。

うーん、私も教師生活すでに20年以上。「先生」と呼ばれることに慣れてしまっています。「先生」と呼ばれる職業の人は、老人になってもプライドだけ高く、可愛げがなくなる危険性大です。「親の振りみてわが振り直せ」が今日の教訓その1。

Photo_2[インテリゲンちゃん・うめぞうの夏休み]

茶筒片手に母はお茶がないと言っています。テーブルの上にあるお茶の袋を指し示し、そこにあるわよと教えてあげました。その1分後。茶筒のふたを開けてまた「お茶がないわ~」。思わず「今言ったじゃない、そこにあるわよ」と言ってしまいました。

その様子を見ていたうめぞうに「修行が足りん。君にはまだまともな母親像の幻想がある」と言われてしまいました。確かに、同じことの繰り返しや記憶障害にイライラするのはまともな言葉のやり取りを基準にしているからです。確かにここはきっぱりと病人相手と悟って接するのが、お互いの精神衛生にとって望ましいことです。記憶障害を修復しようと思ってもムダ。同じ会話を何も考えずに10回繰り返せる精神的脱力こそが肝心。「無抵抗主義でいこう」が今日の教訓その2。

こんな調子ですが、母はムコ殿うめぞうのために、家庭菜園で採れたカボチャ煮たり、枝豆茹でたり、イキイキしています。母も楽しい夏休み気分のようです。

2010年8月 3日 (火)

白いテレビ

まつこです。

とうとう我が家も薄型テレビになりました!今回は部屋の壁の色に合わせ、白いテレビにしてみました。それに合わせて、スピーカー内蔵のラックも白。かなり時間をかけてネットで調べたり、大型家電量販店を実物を見たりして選定しました。ブルーレイのレコーダーが黒っぽいのが玉に瑕。でもインテリア的には満足です。

Photo[とうとう我が家にも薄型テレビがやってきた!]

しかし・・・

新しいテレビって設定が複雑なんですね。搬送して設置してくれた業者の人が、「テレビにもブルーレイにもCSチューナー内蔵なので、今までのCSチューナーは不要、ただし手続きは必要。NHKにもデジタル受信開始を知らせる必要あり」と教えてくれました。

どうも 今までの「スカパー光」から「スカパーe2」というのになるらしい・・・ということはおぼろげに理解できました。しかし「光」の方に連絡すると、まずは「e2」の契約が先と言われ、じゃあそのようにお願いしますと言ったところ、別会社なのでそちらに先に電話しろとのこと。

「e2」の契約をしようとしたら、やれCSの何チャンネルを出せ、次はBSだ、ブルーレイに切り替えろ、そこに表示された番号を言え、このまま15分待て、あれこれ指示されます。ボタンがたくさんついているリモートコントローラーの使い方がよくわからず、指示ごとにオタオタします。

さらにNHKにも連絡。そこでも青いボタンを押せ、次は黄色だ、番号を読め、ブルーレイに切り替えろ。再びリモコンを手にアタフタ、オロオロ。しかも言われたことをやるだけで、自分が何をやっているのか理解できていないのが、これまた不愉快です。うーん、こんな複雑な手続きを全国の善男善女のみなさんがやっているのでしょうか。

大昔のアマチュア無線少年うめぞうは、こんなとき全く役に立ちません。「君にわからないことが僕にわかるわけないよー」と開き直っています。逃げるようにベランダに出て、花に水あげています。

なんとか設定は終わりましたが、考え直してみると、そもそも我が家はテレビをあまり観ないのです。スカパーもたまにBBCのワールドサービスを見る程度。一度もテレビの電源を入れないという日も少なくはありません。

せっかく手間ひまかけてそろえたテレビ一式、これからはもうちょっと積極的に活用してみましょう。とりあえず『龍馬伝』と『ゲゲゲの女房』は自動的に録画できるようにしたいのですが、この設定がまた厄介なんだろうなあ・・・と、リモコン片手にうんざりしています。

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