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2009年11月

2009年11月29日 (日)

スーザン・ボイル

まつこです。

昨日の土曜は仕事、夜は知人宅でワイン・パーティ、帰宅は午前1時過ぎでした。ちょっと二日酔い気味のぼーぅっとした頭で、スーザン・ボイルのデビュー・アルバムI Dreamed a Dreamを聞いてみました。

Photo[1曲目のWild Horsesは意外な感じ。聖歌How Great Thou Artのソロの歌い出しでは心洗われます(あとから出てくるコーラスがちょっとうるさい)。私のは安い直輸入番なので日本版のボーナス・トラックはついていませんが、「翼をください」って英語で歌ったんでしょうか?]

ローリング・ストーンズやマドンナの曲のカバーから、聖歌まで、ピアノ伴奏に控えめなオーケストラ演奏をかぶせたアレンジで並んでいます。売上初日に13万枚以上売れたとか、1週間で40万枚が売れる見込みとか。

イギリスのアマゾンではプロモーションのためのビデオ・クリップが見れます。一躍話題になったタレント発掘番組での模様や、スコットランドの景色や、教会でひざまづき祈る姿など、モノクロ・タッチで編集してあります。最後は「夢をあきらめないことを世界中に気づかせてくれた女性」というナレーションで締めくくられます。

こういうわかりやすい物語を少し批判的に見るCD評や記事などもありますが、メディアの発信する様々なコメントが、自ら作りあげた"SuBo"という虚構の中に吸収されて、SuBo物語がますますふくらんでいくといった様相です。

英紙『タイムズ』では11月20日に音楽評論家のボブ・スタンリーが「俗っぽい寄せ集め、Wild Horsesのカバーだけがちょっとまし」(uncomfortable package that rises above oddball kitsch with her take on Wild Horses)という手厳しい評を出したかと思うと、数日後にはその辛口コメントを引用しながら、「意地悪な批評家だって彼女の声には特別な素晴らしさがあると認めるだろう」(Wild and eccentric but Susan Boyle lets her voice do the talking)と持ち上げる記事が出ました。さらにその数日後には、スーザンをスーパー・スターにするためいかに強力な"Team SuBo"が編成されているかを解説しています。ジョージ・マイケルを何度もスキャンダルの危機から救った辣腕マネージャーのアンディ・スティーブンズがチームを率いているのだとか(The man who turned Susan Boyle into a superstar — and it’s not Simon Cowell)。

『タイムズ』ってこんなに芸能記事が多かったのかしら、という感じですが、『ガーディアン』だって同じような調子です。話題を作り、その話題を食い物にしながら、さらにその話題をどんどん膨らませていくマス・メディア。

そんなメディアでの喧噪をよそに、スーザン・ボイルの声はあくまでイノセント。透明で、ときどき震えそうになるもろさと、スコットランドの自然を思わせるような伸びやかさがあります。この声でスコットランドやアイルランドの民謡や古い歌を集めたアルバムなど作ったら、次のヒット作になるのではないかという気がします。強力なマネジメントとプロデュース力を誇るTeam SuBoがそんな企画をたててくれないかなあ、などと思いながら聞いています。

2009年11月28日 (土)

ハロッズからの電話

まつこです。

お世話になっているイギリスに住む友人にお礼をしようと思いました。以前だと海外駐在の人にはウナギの真空パックとか芸能ネタ満載の週刊誌などを日本から送ったりすると、大いに感謝されたものです。でも最近はインターネットで日本の情報も時差なしで手に入りますし、大都会であれば和食材もいろんなものがそろっています。

Photo[老舗ハロッズにも簡単に買い物できるオンライン・ショッピング・サイトがあります。ローラン・ペリエのシャンパンのマグナム・ボトル1,600ポンド(25万円くらい)というのもありますが、19ポンドのクリスマス・プディングもあります]

わざわざ日本から送るほどのこともないので、ロンドンの老舗デパート、ハロッズのオンライン・ショッピングで、適当なものを選んで配達してもらうよう、クリックしました。

ところがクリックした直後、その友人から日本に一時帰国すると連絡がありました。だったらその前に配達してもらいたいと思い、メールで配達日の変更をお願いしておきました。

その翌日の夜、番号非通知の電話がありました。電話を取ると「こちらロンドンのハロッズです。ご注文のことでお電話いたしました」という丁重な口調のイギリス英語です。ひぇー、ハロッズって配達日の変更でいちいち国際電話してくるのねー、と仰天しました。なんでも私が注文した品はクリスマス・ギフト用のパッケージなので、配達日を早めることはできないとのことでした。

電話をきったらうめぞうが怪訝な顔をしてこちらを見ています。「日頃は気の弱いまつこが電話でカツマカズヨみたいなきつい話し方をしていた」と言っています。「本当にダメですか?あまりうれしくはない。クリスマス用ではないプレゼントとして配達を早めることはできないのか」というようなことを言ったのですが、相手が妙に慇懃な口調だったので、ついつい「ここはちゃんと希望を主張するぞ」という、やや高圧的な態度だったかも・・・(反省)。

しかし選んでいた商品は数あるハロッズの品揃えの中で、もっともささやかなパッケージです。とらやの羊羹1本程度のものです。それをめぐって、日本まで電話してくるハロッズも大げさですが、またそれに配達日変えてほしいの、クリスマス用のラッピングはいらないのと、あれこれ注文するのも大げさでした。でも、ま、ちょっとだけ「ハロッズで買い物する奥様」の気分を味わった気がしました。

2009年11月26日 (木)

甘エビの殻むき

まつこです。

土曜日に仕事があるため、今週は木曜の晩、授業を終えてから新潟に来ました。日曜の夜、東京に戻ったので、中三日での登板です。今月もJR東日本ビュー・カードの請求書を見てタメイキ・・・。「遠距離介護の交通費は所得から控除する」という案を民主党政権にぜひご検討いただきたいです!(航空券は遠距離介護割引というのがあるらしいです。)

Photo[今日の夕飯のおかずは山盛りの甘エビ!]

新幹線に乗る前に実家の母に電話をすると、お夕飯のための買い物はしたとのこと。娘のために買い物をしておこうと、バスに乗って出かけたようです。その前向きな気分や行動力は非常に良いことなのですが、母の買い物でちょっと困ったことがあります。

母は私のためにしばしば鮮魚類を大量に買っておいてくれるのです。「東京ではマンション暮らしで焼き魚は臭いがこもるから作らない」「新潟は魚がおいしい~」などと私たちが言うのを、母は覚えていて、新潟の実家に戻ったときにはぜひ魚を食べさせようと思うらしいのです。しかし母は魚を料理することはしなくなりました。今晩もカボチャ煮て、ホウレンソウ茹でて、ご飯を炊いて待っていてくれました。でも魚は私が来るのを待って、冷蔵庫の中にそのまま入れてあります。

この魚がだいたい尾頭つきなんです。丸のままの魚なんで、あれこれ処理しないと食べられません。仕事終えて、新幹線でようやくたどり着いて、夜遅く、台所で包丁持って魚をさばくわけです。かなーり、めんどくさいです。そもそも私は魚のさばき方なんか知りませんでした。舌平目のときは、どうやったら皮がむけるのかわからず、悪戦苦闘しました。

今晩はアジ1尾、サンマ2尾、殻つき甘エビ1パックが私を待っていました。量の多さも問題ですが、甘エビの殻むきがめんどくさい!小さくて身が柔らかいから焦るとすぐにちぎれてしまいます。お腹ペコペコの状態で、一尾ずつそっと殻をむくのはかなりな苦行です。

「あなた、甘エビ好きなのよね~。私いらないから、全部食べてね」という母の愛情あふれる言葉を聞きながら、甘エビをむく私。かなり悲喜劇的状況です。

いや、確かに佐渡で採れた甘エビ、おいしかったです。パリパリの海苔の上に、炊きたてのコシヒカリ、その上にピンクに光る甘エビをのせて、筒状に丸めてほおばる・・・。うん、確かにおいしい!その様子を見てニコニコしている母。

「わざわざお魚を買いに行かなくてもいいわよ」とか、「お店の人に下ごしらえしてもらってね」とか、「お魚たくさん一度に買うと鮮度が落ちちゃうからやめて」とか、何回か言ったことがあるのですが、認知症なのでそういうのは覚えられません。しかし「まつこは甘エビが好き」「新潟のお魚はおいしいと言った」というのは深く記憶に刻みこまれています。愛情と結びついている情報は忘れないのです。

この分では、今年の冬、あと何回かは、甘エビの殻むきをすることになりそうです。吉田健一が新潟の甘エビをいたく気に入っていたそうです。白ワインと合うと随筆に書いていたはず。次回に備えて、冷蔵庫の中に白ワインを一本入れておくことにしましょう。

それにしても、母の愛と甘エビは、(どっちもちょっとめんどくさいけど)味わい深いものです。

2009年11月22日 (日)

モミの木は残った

まつこです。

新潟ではずっと降り続いていた冷たい雨があがり、今日は久しぶりの晴天です。母も張り切って朝からお洗濯をしています。洗濯とアイロンがけは、母の好きな家事です。きれいになったのがはっきりとわかるので、とてもやりがいを感じるようです。一人暮らしの老人ですから汚れものもあまりないのですが。自分のパジャマもシーツも、2,3日おきに洗っているようです。ほとんど「洗濯=生きがい」といった様子です。久々に顔をだしてくれた太陽に感謝です。

Photo[この木が先週、真っ赤に染まっていた紅葉です]

この1週間で庭の景色は一変していました。先週、秋田出張前に立ち寄ったときに、真っ赤だった紅葉はすっかり散ってしまい、寒々とした裸木になっています。

庭の木々の葉が落ちると、わずかに残った常緑樹や針葉樹が目立つようになります。そんな庭を見ていて、「あれっ?」と1本の針葉樹に気づきました。40年前にクリスマス・ツリーだった木です。

子供の頃のクリスマスというのは、楽しい思い出です。私たちが子供のころ、1970年前後は、プラスチックとビニールとで作られたクリスマス・ツリーがよく使われていました。若かった母は、そのおもちゃのようなクリスマス・ツリーが気に入らず、なんとか天然の木のツリーを飾ろうとしていました。こんな田舎でしゃれたお店もなく、インターネット通販などない時代なので、知り合いのつてを頼るしかありません。

ある年、山で林業をやっている方にお願いしたら、モミの木ではなく杉の大きな枝が配達されました。枝ぶりがまるで違っていて、すごく奇妙な形のクリスマス・ツリーになり、母も私たちもがっかりしながら大笑いしました。

その次の年、どういう経路でかはわかりませんが、鉢植えの小さな針葉樹が届きました。80センチくらいの高さだったと思います。最近、よく見かける鉢植えのモミの木とは葉の太さが少し違いますが、この鉢植えの針葉樹を私たちは「モミの木」と呼んでいました。その前の年の杉のツリーに比べると、ずいぶん洒落たツリーになったと、子供心にもうれしかった覚えがあります。

そのツリーはクリスマスが終わったら、庭の片隅に植えられたのだと記憶していますが、それきり忘れていました。今朝、すっかり葉の落ちた庭を眺めていたら、「えっ? もしかしてあれがあの時のクリスマス・ツリー?」と、大きく伸びた針葉樹に驚きました。5メートル近くになっています。

Photo_2[これが昔、クリスマス・ツリーだった木。40年たちました]

母と一緒に庭に出てその木を見てみました。

ママ:「ああ、あのクリスマス・ツリーね。まさかこんな大きいわけないじゃない」

まつこ:「でも40年くらい前だからねえ、もしかして・・・」

母:「え?40年・・・もうそんなにたったのね・・・じゃあ、これだわ。この木がクリスマス・ツリーだったんだわ」

他の庭木の邪魔にならないように、下の方の枝を切ってあるので、あまりツリーらしい形ではありませんが、確かにこの針葉樹がかつてのクリスマス・ツリーです。

大きくなった木の幹に手を触れて40年前のクリスマスを思い出している母。その様子を眺めていると、子供のために愛情と手間をいろいろかけてきてくれた母の若いころが思い出されます。年老いた母に、今、その分のお返しをしているのだなと改めて思いました。

2009年11月21日 (土)

ポインセチア

まつこです。

快晴の土曜日の朝、母に電話をすると「こっちは土砂降りよ・・・暖かい服装で来てね」。東京の真っ青な空を少し恨めしく眺めながら、モコモコとしたダウンジャケットを着込み、新幹線に乗って雨の新潟に向かいました。

Photo[お花屋さんの店先にポインセチアが目立つ季節になりました]

寒い北国で過ごす週末、気分を少し明るくしようと思い、上野駅構内の花屋で見かけたポインセチアを買いました。

下りの上越新幹線は群馬県の高崎をすぎると、すぐに長い長いトンネルに入ります。トンネルを出ると越後湯沢。上越国境の山々の上には、灰色の雲が広がっています。冷たい雨にぬれた景色が続いています。

「いよいよ裏日本の冬だな・・・」とやや重い気分で窓の外を見ていると、雲の切れ目から光がさし、大きな虹がかかりました。その虹を見たとたん、ふっと心が軽くなりました。虹を見ると、いつもちょっとうれしくなります。

「月月火水木金金」というのは、休日返上で訓練に励んでいた海軍の将兵たちが艦隊勤務の厳しさを、やけっぱち気味に表現した言葉だとか。授業だ、会議だ、出張だ、介護だ・・・と、ぎっしりと予定がつまり、なかなか自分の時間が取れない私の生活も、ちょっと「月月火水木金金」という感じです。

そんな余裕のない生活の中では、虹が出た瞬間や、店先の赤いポインセチアにふと目がとまった瞬間に、心の緊張が緩みます。

リビングの窓辺に飾ったポインセチアを見て、母は「まあ、きれいねー」と歓声をあげてくれました。冷たい雨が降り続く寒い冬の夜、ポインセチアのある窓辺だけがひときわ華やかに感じられます。

2009年11月19日 (木)

暴風雨の秋田

まつこです。

先週末の秋田出張、仕事の翌日が日曜日なので、少し秋田市内の観光でもしようと思っていました。しかし翌日は、雷鳴が鳴り響き、暴風が吹き荒れ、ときおりあられが激しく窓をたたく、あいにくのお天気でした。出張にかこつけて観光しようというもくろみは、あっけなくくじかれてしまいました。

Photo[秋田名物のじゅんさい。これお箸ではすごく食べにくいです・・・]

というわけで秋田の印象は、ひたすら食べ物だけ。

雨降る夜の街を歩きながら見つけた「さい賀」という郷土料理のお店に入りました。内装はおしゃれなダイニングバー。カウンター席に座ると、目の前はガラスばりで、その向こうに川沿いの景色が眺められます。

初めての秋田なので、とりあえず全部そろっている郷土料理コースをいただきました。

Photo_2[カウンターの向こうに川沿いの夜景眺められます。おしゃれなお店でした]

前菜のじゅんさいから始まり、しめはきりたんぽ鍋。最近はどこにいても、いろんな食材が手に入り、旅行に行ってその土地の料理を食べるという楽しみが小さくなってしまいました。でも、やはり旅の楽しみは食です。新政のひやおろし、お燗をした高清水など、地酒を楽しみながら、トンブリや比内地鶏など、秋田料理をのんびり味わいました。

Photo_3[コースの途中で出てきた栗の茶わん蒸し]

今回、いただいたものの中で、初めての味は「栗の茶わん蒸し」です。薄い味の卵の中に、栗と花豆が入っています。栗や豆の自然なほのかな甘みが柔らかい卵にくるまれていて、優しい味でした。

Photo_4[これを使えば秋田美人に近づけるでしょうか?]

ほろ酔い気分でホテルに戻ると、基礎化粧品を持ってきていないことに気付きました。ホテルの売店で売っていたのは「秋田美人」。おお、これはよさそう!さっそく使ってみました。東京に戻っても引き続きこの化粧品を使っています。毎朝、毎晩、ローションをパチャパチャやっています。

しかし秋田美人というのは、もしかしたら厳しい冬に、雨や雪のまじった冷たい風が頬にふきつける、あの天然エステゆえに生み出されるものではないか、という気がします。裏日本の冬は確かに暗くて、寒いけれど、紫外線や乾燥による肌ダメージはありません。そんなことを思いながら、暴風と雷鳴の秋田出張を思い出しています。

2009年11月16日 (月)

新潟の駅弁

まつこです。

土曜日の早朝、実家から出張先の秋田へと向かいました。新潟から秋田への鉄道は羽越線です。米どころを走る特急列車の名前は「いなほ号」。海岸沿いを走り、車窓からの眺めが良く、旅行ファンにも人気があると聞いていたので、みどりの窓口で駅員さんに海側の指定席をお願いしました。日頃、介護に協力してくれているうめぞうにも秋の観光シーズンを楽しんでもらおうと、夫同伴の出張です。しかし・・・

Photo[あいにくの雨。景色はずっと灰色]

当日は朝から雨。しかも大雨。灰色の空から灰色の海に雨が降り続ける景色がずっと続きます。山側も鉄錆色の枯葉が山をおおう晩秋の景色。いよいよ本格的な冬に向かうという寂寥感たっぷりの景色です。灰色の景色を眺めながら4時間近い鉄道の旅・・・。うーむ、こうなると楽しみは駅弁ですね。

Photo_2[こちらうめぞうの選んだお弁当]

Photo_3[ふたをあけると大きな焼きたらこと鮭が入っています]

うめぞうが選んだのは「焼きたらこ、トロ鮭弁当」。たらこと鮭ですから、豚肉と卵の他人丼ぶりの海鮮版といったところです。たらこの煮たのをほぐしたのや漬物ものっています。たらこをちょっともらって食べたけれど、なかなかおいしかったです。

Photo_4[まつこが選んだのはこちらのお弁当]

私が選んだのは「雪だるま弁当」。テレビや雑誌にも時々登場する「駅弁業界のアイドル」だそうです。知らなかったわー。

この雪だるま、眉や鼻が動きます。このりりしい表情もいいけれど、ちょっと動かすと、がらりと表情が変わります。

Photo_5[なさけない顔もかわいい]

食べ終わったあとの容器は貯金箱にも使えるそうです。

見た目はややお子様向け。でもこういうの、ついつい買いたくなっちゃいます。

Photo_6「こちらが雪だるまの中身です]

卵と鳥そぼろはやはりお子様向け。でも数の子と山菜も入っています。こちらのお弁当もおいしく頂きました。

お弁当を食べてお腹一杯になったところで、また灰色の海を眺めているうちに、うとうとと睡魔が・・・目が覚めたら秋田到着。ひるどきだったので、秋田名物「稲庭うどん」で昼食。

ここまではすっかり観光気分ですが、午後はわたしは仕事モードに切り替え。秋田大学に行って研究会に参加しました。16世紀のラテン語の手書きの文書を解読し、新しい発見をしたという、きわめて学術的な発表など聞きました。お天気には恵まれませんでしたが、なかなか充実した一日でした。

2009年11月13日 (金)

おばあさんのファッション

まつこです。

週末に秋田への出張があるため、木曜の夜、新潟に来ました。土曜の朝、新潟から秋田へと日本海沿いを北上しようという計画です。この羽越本線は車窓からの景色が良いらしいというので、うめぞうも秋田まで同行することになっています。

Photo[花びらが一重の古い種類の山茶花です。今が花のまっさかり]

今朝の新潟はきれいな晴天が広がっています。11月になると新潟はすっかり晩秋。この時期は、日本海側は雨ばかりが続く陰鬱な季節です。12月になるとそれが次第に雪へと変わります。11月の晴天というのはごく限られていて、裏日本にとっては青空とお日様はとても貴重です。

Photo_2[紅葉は散りかけています]

今日は母をかかりつけ医のところに連れていき、インフルエンザの予防接種を受けてもらいました。バスに乗ったら、老人たちで混み合っていました。田舎の生活では自家用車が必須。一家に一台ではなく、一人一台というお宅が多いです。バスに乗るのは、運転をしないお年寄りばかり。貴重な晴天の日に病院に行こうというお年寄りでバスがいっぱいになっていました。数十人の乗客のうち、高齢者ではないのは、おそらく私ひとり。高齢化社会の縮図のようでした。

Photo_3[紅葉が散り敷いた地面もきれいです]

この老人たち、その多くがおばあさんです。みな押し並べて同じような服装をしています。茶色や灰色の服と帽子に、黒っぽい靴と黒っぽいリュック。田舎に住む高齢者たちは、おばあさんの服装はこういうものと思い込んでいるようです。そのため老人で満員のバスの車内は、全体に暗い色調になります。高齢者こそ、むしろもう少し明るい色のものを着たほうが、顔色も表情ももっと明るく見えて良いのにと思いました。

Photo_4[菊の花が冬を迎える直前の庭に精いっぱいの彩りを添えています]

うめぞうのお母さんの誕生日が近づいています。うめぞうはお母さんに洋服をプレゼントしたいのだそうです。いくつになっても息子(娘)は母親にきれいでいてもらいたいと思うものです。婦人服など選んだことのないうめぞうに代わり、私が先日、デパートまで適当なものはないか見に行きました。

うーん、日本の老人ファッション市場、まだまだ開拓の余地ありと感じました。ニットのアンサンブルなど見てみたのですが、いわゆる高齢のミセス向きの服がそろっている売り場にあるものは、地味であまり面白みのないデザインか、そうでなければビーズや刺繍でゴタゴタと装飾過剰なデザインか、目にも鮮やかなケバケバした色のデザインか、そのあたりに大別されるようです。(日本の高齢女性は、「フツーのおばあさん」、「お金持ちそうなおばあさま」、「すっとんきょうな派手ばあさん」という3つのカテゴリー分類されるとでも、アパレル業界は認識しているのでしょうか?)

ベージュにアイボリーが組み合わされたデザインの、素敵なカシミアのが見つかって、「これだっ!」と思ったら、イタリア製でうんと高く、予算オーバー。おばあさん服って、探すの難しいですね。

Photo_5[春に咲くはずのボケがなぜか咲いています。これを見て母が「ボケがボケたわね~」とダジャレを言いました。思わず大笑いしてしまいました]

2009年11月10日 (火)

電波時計のプラシボ効果

まつこです。

朝、目を覚ますと、枕元の時計のデジタルはなんと11時30分を示しています。「うめぞう、11時半だよ!!! 私、1時に打ち合わせの約束入っているから急がないと・・・」「えー、11時半? よく寝たなー。体がすっきりした。」「二人とも気づかないうちに疲れがたまっていたんだね。アラームに気づかずに眠り続けるなんて。ゆっくり休めてよかったね。」

Photo[どれも電波時計です。腕時計はソーラー電池で動きます]

毎朝、実家の母に電話することにしているので、急いで電話すると、「あらー、今朝はずいぶん早いのね」。(この時点では、ママがまたぼけたことを言っている、としか考えていませんでした。)

「え、朝ご飯?まだよー、今、顔洗っていたところ・・・。」このあたりでもしかしたらと思い、別の時計を見てみると「6時59分」。寝室のデジタル電波時計は電池が切れて、11時半を示したまま止まっていたのでした。ウメマツ、ここで大笑い。二人とも10時間以上眠って、疲れがとれたと思ったのは、まったくの誤解に基づく、ただの「気分」でした。

何の効用もないニセ薬でも、医者から処方されると、薬を飲んだという思い込みによって体調が回復する「プラシボ効果」というのがあります。それに似たようなものです。電波時計の正確さを信じ込んでいたため、その表示を見て10時間以上眠ったと確信してしまった。そう思いこんだとたん、たっぷり睡眠を取り、体調がよくなったと感じてしまったわけです。

我が家では家の中にだんだん電波時計が増えてきています。携帯電話の時刻表示も標準時の電波を受信しているようです。私の腕時計も電波時計です。常に秒単位まで正確な時刻を知ることができます。しかし高度な電子技術も過信すると、ときどき失敗することがあります。以前も一度、海外から戻った際に、腕時計の針の基準がずれているのに気づかず、電波時計なんだから狂うわけがないと思いこんでしまい、バスに乗り遅れてしまいました。

それにしても睡眠10時間超と思いこんだ「プラシボ効果」。損したような、得したような、妙な気分です。

2009年11月 7日 (土)

アニメと大河ドラマ

まつこです。

食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋・・・。秋はいろいろやりたいことがあって忙しい季節です。今週末は母の姉、私の伯母が新潟に行って母と過ごしてくれているので、久しぶりに東京で週末を迎えています。いつもより時間があるので、おいしいものを大いに食べ、そのカロリーを消費すべくせっせと運動し、音楽や読書も楽しみたいと張り切っています。

Photo[新国立劇場『ヘンリー六世』のちらし]

先日、学生と一緒に新国立劇場の『ヘンリー六世』を見に行きました。英仏の対立とイングランド国内の内乱を描く歴史劇なので、学生たちは「むずかしそう・・・」と尻込みしていたのですが、シェイクスピアの歴史劇は歴史的背景をそれほど詳しく知らなくても、王冠をめぐる人物の思惑や、権力の力学の生臭さなどが描かれているので、それなりに楽しめるはずです。

『ヘンリー六世』は三部作の作品ですが、学生と一緒に見に行ったその晩は第一部でした。ジャンヌ・ダルクの活躍と破滅、勇将トールボットの果敢な戦いぶりと壮烈な最期といったあたりが見どころです。

今回の演出、あまり私の好みではありませんでした。見ていて思ったのは「日本は大河ドラマとアニメの国なのね」ということ。鎧に身をまとった乙女ジャンヌ・ダルク(ソニン)が、甲高い声でイングランド軍を愚弄する様子は、秘密戦隊ゴレンジャーの紅一点モモレンジャーみたい。舞台いっぱいに投影された火あぶりの刑の燃え盛る炎は、中世魔女狩りの暗い歴史よりは、SFアニメのクライマックスを連想させます。

木場勝己氏が演じるトールボットは、なかなか重厚でしたが、息子とともに戦場で命を散らすさまは、『天地人』の一場面のような印象でした。トールボットという名前の発音を、英語ふうに冒頭の「ト」のところを強く言うのではなく、「ボッ」のところに強勢を置いていました。その方が日本語のセリフになじむのかもしれませんが、その和風の名前が連呼されると、ますます日本の時代劇を見ているような感じになります。

終演後、学生に感想を聞くと、「思ったよりわかりやすかった」とのこと。アニメあるいは特撮風の少女ヒロインと、愛と義の武将が活躍する和風シェイクスピアです。確かにこれなら日本人にも分かりやすいでしょう。歌舞伎や文楽のような伝統演劇に改作していなくても、これは十分に異文化に移し替えられたシェイクスピアだと確信した一夜でした。

2009年11月 5日 (木)

スカイライン

まつこです。

祝日の11月3日、東京での休日となりました。平日は昼間は勤務、週末は新潟で過ごすため、日中を東京の自宅で過ごすのは本当に久しぶりです。「文化の日って毎年、お天気いいわねー」と言いながら遅めの朝食をとっていたとき、窓の外の景色を見て驚きました。

Photo[食卓横の窓から見えるTokyo Sky Tree]

窓の外の景色の中に突如、建築中のタワーが出現しているのです。トーキョー・スカイ・ツリーです。

こちらは東側の窓なので、いつも朝食のときは眩しくてブラインドを下げているので、今まで気づきませんでした。帰宅はいつも夜ですし。

今のマンションに引っ越して6年ほど過ぎました。窓から見えるスカイラインは6年間で結構、変化しました。最初はこの写真に写っているタワー・マンションもありませんでした。これから、日々、このスカイ・ツリーが成長するのを眺めて暮らすわけです。あまり奇妙な景観にならないといいのですが・・・。

ずいぶん昔、チャールズ皇太子がロンドンのスカイラインの美しさを損なうというので、ロンドンの都市開発に激しく反発していた時期がありました。確かにその後、ロケットみたいな形のビルや黒いガラスのキューブみたいなビルが次々と建ち、ロンドンのスカイラインは大きく変化しました。セント・ポール寺院の大きなドームも立ち並ぶビルの隙間に埋没してしまいました。巨大観覧車のロンドン・アイも、テムズ対岸のビッグ・ベンの古めかしい風格をやや損なっている感は否めません。

しかし、パリのエッフェル塔も完成当初は、美しい都に立つ醜悪な鉄塔として批判されたそうです。今ではパリの象徴です。タワー脚部の曲線に美しさを感じる人もいるでしょう。美意識は時代とともに変化するので、あまり守旧的になってもいけません。でもこの窓の外に見えてきたTokyo Sky Tree、完成したら毎日眺めて暮らすことになるわけです。あまり奇妙奇天烈な姿に成長しないようにと、願っているところです。

2009年11月 1日 (日)

1年を経て

まつこです。

このブログを始めてちょうど1年経ちました。

Photo[また秋がめぐってきました。夏にヒヨドリが巣を作った南天にも赤い実がつきました]

東京と新潟の二重生活の忙しさ、母の認知症への不安、それらのストレスを解消しようと思ったのが、ブログを始めたきっかけです。介護だけではなく日々の暮らしの中で経験した楽しいことやおもしろいことを書き残せば、「そんな大変なことばかりではない」と楽観的な気持ちを持ち続けられるのではないかと思ったわけです。

1年の間、読んでくださったみなさん、コメントを書き込んでくださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。ブログにコメントもらうというのがこんなに楽しいことだとは知りませんでした。人とつながることの喜びを感じました。

Photo_2[庭の木には実のついているものがたくさんあります。これは百日紅の実]

ブログを始めてもうひとつよかったことは、何か新潟らしい写真を撮ろうと心がけるうちに自然の変化に敏感になったことです。四季折々の色、におい、光、風、それらが毎週、どんどん変わることに気づくことができました。

Photo_3[こちらはクコの実だと思います。葉の色もきれいです]

また時折、母の状態を書き残すことで、1年間の変化も記録することができました。1年たって母は74歳になりました。生活の身の回りのことはそれほど変わりなくやっていますが、明らかにここにきて記憶障害や失語が目立つようになりました。

Photo_4[写真にはないけれどうめぞうのパンツまでアイロンがけしてくれました]

これだけ記憶障害があればいろんな事がどんどん出来なくなるのかと思っていましたが、洗濯や掃除などの単純な家事には、まだできることがずいぶん残っています。今日の新潟は曇り空。お洗濯ものがすっきりと乾かないからと言って、せっせとアイロンがけをしていました。婿殿うめぞうのパジャマや下着にもアイロンをかけきちんとたたんでくれました。

来年の今頃はもしかしたらアイロンがけも出来なくなっているのかもしれません。でも先のことを心配し過ぎず、現実の変化に一つ一つ対処していく一年にしたいと思っています。

そして私は今までと同じように、仕事や生活を積極的に楽しむ「攻め」の姿勢でいきます。ママが認知症になったって、美食もお洒落も旅行もあきらめませんっ! 介護しながらも楽しいことも引き続きたくさんこのブログに書ける1年にしたいと思っています。

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