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2009年8月20日 (木)

ロンドンの芝居見物

ひさびさにうめぞうです。

今回は、まつこはロンドンで、うめぞうは東京で、それぞれの宿題を済ませてから、一緒に南仏でヴァカンスを楽しむという趣向。日曜日にロンドンで合流し、月曜日の夜はwomby、cherry夫妻、そして彼らの友人を交えて5人で芝居見物をした。まつこブログからは時間が逆戻りするが、ひとこと報告しておこう。

Photo[ロンドンの劇場街ウェスト・エンドのDuke of York劇場の前で。womby, cherry夫妻とお友達のKさん]

出し物はトム・ストッパードのArcadia、アーケイディアと発音するようだ。日本語の翻訳がまだないという。同じ作者の「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」という戯曲は、たまたま翻訳者が知り合いだったので、翻訳をいただいたり、芝居を見たりしたことがある。また、この作者が脚本を書いた映画「恋におちたシェイクスピア」はまつこの心の恋人レイフ・ファインズの弟が主演だという理由だけで、いっしょに連れて行かれた。(この兄弟は全く似ていない、兄が弟に圧勝している、という二点を確認して、まつこは満足げに凱旋した。)

うめぞうの芝居の知識はその程度のものだ。今回、ほかの4人はいずれもイギリス演劇の専門家ないしバイリンガル。英語もできず、演劇の知識もないうめぞうは一人、蚊帳の外だ。それでは可哀そうだという皆の温かい配慮で、芝居が始まる前にwombyがレクチャーをしてくれることになった。

Wombyは「気は優しくて力持ち」という男の子の理想形をそのまま大人にしたような好人物だが、さすがに新進気鋭の劇評家だけあって、芝居の内容とポイントの説明は天下一品だ。

同じイギリスのカントリーハウスを舞台に、180年の時を隔てて、2つの物語が交互に演じられていく。ひとつは19世紀初めの天才少女とその家庭教師をめぐる物語。もうひとつは、その時代を20世紀末に再構成しようとする二人の歴史家のライバル意識と葛藤の物語。

芝居そのものは、もちろんうめぞうには理解できなかったが、秩序とカオス、因果性と自由、解釈と事実、自然と歴史といった近代学問のかかえてきた難問が、登場人物の自己理解や歴史理解と複雑に交錯しながら浮かび上がってくるという、非常に知的にしくまれた芝居のように見受けられた。言葉遊びや皮肉、おちょくりなども各所にちりばめられているらしく、観客席からは途切れることなく哄笑が発せられる。この笑い声と、wombyが教えてくれたテーマとの間に、やや距離を感じることもあったが、これはもちろん、うめぞうが言葉をひとことも理解できなかったことによるのだろう。

それでもこの芝居のテーマは、近代化図式の修正と再構築という、最近うめぞうの頭を離れない問題とも、いろいろな面でつながっている。それについてはあらためて、この滞在中に書くことにしよう。いずれにしてもいろいろな意味で、貴重なヒントを与えられた一晩だった。

3年前と比べると、街全体がやや雑然とした印象を受けたロンドンでの2日間だったが、劇場の中はあいかわらずこの街らしい雰囲気だ。門前の小僧にも、その雰囲気だけはそれなりに伝わってくるものだ。

まつこです。wombyさん、cherryさん、今回もどうもありがとうございました。wombyさん、昨日はコメントありがとうございます。今泊っているところからはなぜかコメントの書き込みができません。後日、改めて返事書かせていただきます。

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