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2009年7月20日 (月)

デジタル日めくりカレンダー

まつこです。

土曜日の晩に仕事があったため、日曜日から連休を利用して帰省しています。今回の帰省では、うめぞうからママへのプレゼントを預かりました。「デジタル日めくりカレンダー」です。

Photo[うめぞうからママへのプレゼント]

先回帰省したとき、和室でうめぞうが仕事をしていると、母は一時間に一回くらいお盆にお茶とお菓子を載せて、うめぞうのところに運んでいました。ムコ殿はいたって大切にされます。

その茶菓サービスの際に、「あのー、ちょっとお聞きしますが、今日は何日だったでしょう?」と母がうめぞうに訊ねたのだそうです。確かに、毎日、同じ生活の繰り返しだと曜日の区別はつけにくいものです。しかも認知症で日付や曜日を忘れがちな母。一人暮らしでは、日付を聞く相手もいません。

そこでうめぞうがネットで探し出してくれたのが、このシチズンの卓上カレンダーです。電波時計もついているし、温度・湿度も表示されます。なにより良いのが、文字表示が大きいことです。母も「これはいいわー」と喜んでいます。

私は金曜、土曜と、久しぶりにスポーツしたら全身が筋肉痛です。肉体に負荷をかけたら精神的な緊張も緩んだようで、心身ともフニャーッとした週末を過ごしています。今日はいっさい仕事をせず、村上春樹の『1Q84』を読んで過ごしました。

この『1Q84』の中で主人公の男が認知症の父親に会いにいく場面があります。村上春樹は認知症をこんな言葉で表現しています。「認知症には進行はあっても、回復はない。そう言われている。前にしか進まない歯車のようなものだ。」(p.163)「自らの内側で徐々にひろがっていく空白と共存することを余儀なくされている。今はまだ空白と記憶がせめぎあっている。しかしやがては空白が、本人がそれを望もうと望むまいと、残されている記憶を完全に呑み込んでしまうだろう」(p.184)

「前にしか進まない歯車」のように「空白」が記憶を徐々に呑み込んでいく・・・。村上春樹は比喩を多用する文体がその魅力の一つだと思うのですが、全体にその比喩が叙情性に傾き、時として事実としての質量をともなう切実さが消えていく傾向があります。(イスラエルでのスピーチでパレスチナ人を「割れやすい卵の殻」に喩えたのもそうした抒情詩的表現のひとつ。)

認知症は物語の中の小さなエピソードなのでそれでいいのかもしれないけれど、物語の中心テーマはカルト宗教という「やばい」領域なので、もう少しハードでダークな部分があってもよかったのにと、やや物足りない読後感が残ったのでした。

注:『1Q84』って外国語に翻訳するとき、タイトルは"1Q84"とするしかないんでしょうね。タイトルですでに「言葉遊び」が入っているなんて、翻訳者泣かせですね。

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コメント

をを、これはいいですね。
うちにも、日付の出る時計があるのですが、これより日付の部分が小さくて、見づらいようです。
父は新聞でチェックしています。
新聞が休みの日は困ります(^^;

「1Q84」買ったのですが、まだ読んでないのです。
そんなシーンがあるのですね・・・
母が先に読むと持っていってしまいましたが、読んでないようなので取り返してこようと思います。

確かに、このタイトルは英訳に困りますね(^^;

絵莉さん、コメントありがとうございます。

認知症の人って、とにかく「一目瞭然」の道具じゃないとダメですよね。それに新しいものに慣れるのにも時間がかかってしまうので、「今日は何日?」という質問を10回くらい繰り返して、定着を図りました。

『1Q84』では、千葉の房総の認知症患者用の施設に入っている父親に会いに行くという設定です。そういう施設が実在するのかしらと、思わずネットで調べてしまいました。

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