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2009年5月17日 (日)

男と女の役割分担

うめぞうです。

今週末もまつこは実家で勤労奉仕。うめぞうは仕事と家事。家事といっても、週末、まつこがいないあいだに散らかし放題にしていたのを、日曜日の夜に上官が帰還するのに合わせて、もとの状態に戻すという仕事だ。家事は比較的嫌いではないので、下手ながら、たいがいのことはこなす。その中で一番苦手なのはアイロンかけである。

今日は、自分のワイシャツと、乾燥機からしわくちゃになって出てきた布団カバーにアイロンをかけてみた。ズボンでもワイシャツでもそうだが、微妙にいろいろなところが曲線になっていて、なかなか手強い。とくに端っこの方にアイロンによって押し出された布が余ってくることがよくある。力を入れると、変なしわができてしまうことがあり、これはいったんつくとなかなかとれない。かといって横にだけ動かしていても、ぱりっとは仕上がらない。ハンカチのような単純なものでさえ、しっかりとした正方形にはなかなか収まらないものだ。自分でやってみると、クリーニング屋さんのプレス技術にはやはり頭が下がる。

うめぞうと同世代以上のドイツ人なら、たいてい小学校の時にシラーの「鐘の歌」Das Lied von der Glockeという長い詩の一節を暗唱させられたことがあるだろう。そこには「男は敵の多い生活のなかに踏み出し、活動し、努力し、耕し、創り、」「女は従順な主婦として子供たちの母親となり、家を守る」といった男女の役割分担が歌われていた。まあ200年前の詩だから目くじらを立てる必要はないが、今ならフェミニストならずとも、ちょっと抵抗があるだろう。

われわれの友人夫婦で、子供ができたときに、男性の方が育児休暇を取った人がいて、端から見ていても日本がいい方向に変わりつつあることを感じた。また今年の夏に出産予定の別の友人夫婦も、二人で育児休暇を取るという。ただ、これは二組とも男性が大学教師なのであまり抵抗もなく取れたようだが、一般企業ではまだなかなか厳しいかもしれない。これが一般企業でも、官公庁でもごく常識的なことになれば、日本も本当の意味で変われるだろう。そのためには法整備とともに、意識改革が必要だ。

「変わりつつある男性たち」と題する、ドイツの「プロテスタント教会男性労働担当部」および「カトリック男性協議会」による研究調査がある。17歳から85歳までの1216人の男性に対する聞き取り調査だ。

それによると男性の意識は4つのグループに分けられる。1)伝統的役割分業意識をもつ男性(男は仕事、子供と家事は女性)、2)現代的男性(男女がともに家事と育児を分担、収入も両者が貢献)、3)中間派(上記二つのポジションのあいだで、自分に合う位置を探しているグループ。

ここまでは予想どうりだが、問題は第4のグループだ。それは4)暗中模索派ともいうべきグループで、彼らは自分の従うべき男性像というものをまったく持てず、職業、パートナーシップ、社会の三分野でいずれも自分のはっきりした居場所を見つけられないでいるという。たしかにパートナーとの関係がなければ、そもそも二人で共同生活をどう負担し合おうか、という問題自体が発生し得ない。うめぞうは、フェミニストでもアンチ・フェミニストでもないが、これまで男女の役割分担について議論してきた人々は、これからは役割分担の問題と並行して、関係喪失現象について真剣に考える必要があるようだ。どんな役割分担にするかは、その次の問題として、ともかくパートナーと二人で生活できる経済的、社会的条件がほしい、という声が聞こえてくる。

さらにショッキングなのは、この第4グループが全体の約3分の1を占めており、最大グループだという調査結果だ。それに対して、1)は27%、2)は19%、3)は24%となっている。つまり、あらゆる負担と貢献を両性で分け合うことを原則とするグループは、一番少ないということだ。それだけではない。1998年度の調査と比べても、現代的男性の割合はほとんど増えていないという。

この調査では、コントロール・グループ(調査の比較対象とするための集団)として、800人の女性にも質問をしている。ここでは、2)の「現代的女性」の割合は、男性よりはっきり多い。ところが、面白いことに、「子育ては男性よりも女性の方が、本能的に適している」という意見に対しては、54%の男性が賛成しているのに対して、女性は57%が賛成していて、この点では、女性の方が伝統的な意見を多く支持している。

もうひとつ。「理想の女性など存在しない」という意見に、11年前の調査では39%の男性が「その通り」と答えていた。今回はそれが、8%に急落したそうだ。うーん。理想の女性は存在する、されど私の横にはいない、ということか。あるいは理想の女性が存在するはずだ、だから、その女性に出会うまでは一人でいる、ということなのか。この現象をどう説明したらいいのか、皆さんのご意見をお聞きしたいところだ。以上はドイツの調査だが、日本だったらどんな結果になるだろう。

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コメント

うめぞう様

「5/17は世界反ホモフォビアデー」という新聞記事を読んでから、この日記を拝見しました。
ふと、これからはパートナーが“男と女”とは限らない時代になるのかなーと思いました。
私は独身主義ですが、現在のパートナーは母です。
母は、外で私のことを「うちの主人です」といいます。
(あっ、見当識障害ではないですょ。病気になる前からそういってましたから。)
どんなかたちにしろ、『パートナーと二人で生活できる経済的、社会的条件がほしい』ですね。

しょうさん、お久しぶりですね。
お元気でしたか。
われわれの親しい友人にゲイのカップルがいます。
おたがい夫婦としてつきあっていますが、まったく違和感はなく、端から見ていても、いいカップルだなあと思います。
姉妹で老後を過ごす人、あるいは母子で、男同士で共同生活をする人、いろいろあっていいと思います。そしてもちろん、一人の生活もまた尊重されるべきです。「老人の一人暮らし」というと、それだけで気の毒なイメージがつきまとう社会はあまり健全ではありませんよね。一人でも安心して暮らせる体制を整備したうえで、一人の生活をもっと尊重できるようにしたいですね。
わたしも、ときどき、まつこのことを「うちの主人です」と言いそうになります。

うめぞう様

お久しぶりでした。一応元気です。気にかけていただいて嬉しいです。
母の状態がわりと安定しているものですから、ついまた仕事をしすぎてしまって、ちょっと疲れています。
でも、どんなに帰宅が遅くなっても、Ume-Mats Diary は毎日更新チェックしております。
これからも楽しみにしていますので、よろしくお願い致します。

そんなにしょっちょうみていただいてるなら、もう少し気の利いた記事を書かないといけないですねえ。反省。
最近、わが家もそれぞれが猛烈な自転車操業、明日の準備で今日が終わるという日がずっと続いています。そのせいか、自分の文章にもゆったりとした落ち着きや、さびの利いたユーモアなどが感じられず、どうもいかんなあ、と思っているところです。忙しいという字は心が亡びると書く、とはよく言われることですが、なるほどなるほど、と得心する毎日です。でもお互い、励まし合いながらなんとかがんばりましょうね。

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