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2009年5月

2009年5月31日 (日)

ノスタルジックでエコな匂い

まつこです。

母の温泉旅行も無事終わり、いつも通りの週末を過ごして、日曜夜の新幹線で帰ってきました。日曜の夜の上り列車には、週末遠距離介護から帰京するところらしい人が、ちらほら乗っています。ビジネス客でも観光客でもない雰囲気で、なんとなく単身赴任みたいな荷物の量の中年女性。隣席でお互い「気配」を感じあい、「もしかしたら・・・」みたいな調子で話してみると、やはりご同輩だったということもあります。

Photo[今週はイチゴがたくさんとれました]

こんなふうに定期的に田舎暮らしをするようになるとは、あまり考えていなかったのですが、母の症状があまり悪くならない間は、きれいな空気やおいしい食べ物など、楽しい面を見るようにして、精神的な負担感を減らしたいと思っています。

ただ、夏の田舎暮らしの大敵は、「虫」です。昔から私は爬虫類や昆虫など、生き物が大の苦手なのです。怖い、気持ち悪い、という気分に加え、皮膚が異常に弱く、蚊に刺されると痕がなかなか消えず、虻にでもさされたりすると大きくはれあがって皮膚科にかからなければなりません。

Photo_2[まつこお気に入りの虫よけスプレー]

虫よけスプレー、虫よけマットなどは必需品。でも化学物質をたっぷり浴びるのも、ちょっと気がかり・・・。そう思っていたら通販で良いものを見つけました。オーストラリア製のbuzz offというボディ・スプレーです。ラベンダーとかユーカリなどの天然成分100%の虫よけスプレーです。おしゃれな香りというより、なんとなく「ノスタルジックでエコっぽい匂い」がします。この匂いに包まれると、気分はターシャ・テューダーです。

2009年5月29日 (金)

お土産は失敗談と笹団子

まつこです。

母が一泊の温泉旅行から帰ってきました。帰宅第一声は、「私、失敗しちゃった~」。事情を聞いてみると、宿の売店に買い物に行った後、お財布がなくなったと思いこんでしまったのだそうです。同じ部屋に泊まった人たちが一緒に探してくれたのだそうですが、結局、よく見たらバッグの中に入っていたとのこと。あちゃー。ですがその時の様子を細々話してくれたので、それだけちゃんと覚えているのであれば、それはそれでよし。

Photo[新潟名物の笹団子]

ま、とにもかくにも、「楽しかったわー」と言っているので、仕事さぼって留守番した甲斐があったというべきでしょう。お土産の笹団子を食べながら、どんな様子だったのかあれこれ話し続けていました。「孫自慢の時期は終わったわね。誰も孫の話なんかしなかった。自分たちのことばっかりだった」そうです。73歳あるいは74歳、孫世代ももう高校生、大学生など。おじいちゃん、おばあちゃんという役割も終わっているようです。

Photo_2[私の部屋の窓の下のヤマボウシ。今年はどういうわけか花が少ない。去年は上から見ると真白だったのに。ちょっと残念!]

今日の新潟は真夏のような晴天でした。気温は30度近くまで上がり、青空が大きく広がりました。私が実家で一人で過ごすのはめったにないことです。夜の間に少し雨がふったようで、朝、起きて窓を開けると、庭の緑がキラキラ光っていました。静かな家でコーヒーいれて、じっくり新聞を読んで。贅沢なのんびりした時間を過ごすことが出来ました。

Photo_3[田植えの終わった水田。すがすがしい景色です]

あまりお天気が良いので、カメラを持って、初夏の田舎の景色を撮りに出かけました。水がはられた水田に植えたばかりの稲が規則正しく並んだ景色もきれいです。

Photo_4[ちょっと前まで残雪の残っていた山も、すっかり緑が濃くなりました]

遠くに見える山も、すっかり夏山です。冷奴がおいしい季節になりました。

2009年5月27日 (水)

今日の駅弁

まつこです。

まだ週の真ん中の水曜日ですが、仕事の後、夜の新幹線で新潟に帰省しました。母が明日からクラス会で一泊の温泉旅行に参加することになりました。そのサポートです。

母も人の名前がすぐに出てこなかったり、話をすぐに忘れてしまうことを自覚しているので、参加するのは気が重いようなのですが、「でも、私、幹事だから行かないと・・・」というのです。「えー、幹事ー!!!」、内心は仰天したのですが、参加者が30名程度で、うち幹事が9人もいるのだそうです。小学校時代の仲良しグループ全員が幹事とのこと。

ひと月ほど前から、「行きたくないけど、責任あるから行かないといけないし」とグダグダ、ずっと不安そうに繰り返していました。「私が留守番をしに帰ってあげるから、途中で何かあればすぐ連絡して、迎えに行くから」と言ってあげたら、そのとたんにすっかり安心した表情になりました。心理的不安がなくなったら、テキパキと新しい下着など買いに行って旅支度を整えていました。

認知症でもできる限りは社会参加していた方が良いし、幼なじみとの温泉旅行なんて、もしかしたらこれが最後になるかもしれない・・・そう思って、木曜、金曜の仕事は休ませてもらいました。ちょっと母親に甘すぎる娘でしょうか。

Photo[今日の駅弁]

というわけで今晩のまつこの夕食は新幹線の中。東京駅地下のGranStaのDean & Delucaで買ったキッシュとタコとブロッコリーのマリネと赤ワイン。発車時間の直前に買って、キッシュは電子レンジで温めてもらいました。赤ワインはオーストラリアのシラーズでした。ちょっとおしゃれな「駅弁」になりました。

2009年5月25日 (月)

コシヒカリアイス

まつこです。

日曜日の夜、いつものように母と一緒に夕食を取ってから、東京に戻りました。毎週、日曜の夜の新幹線の中では、月曜の仕事の準備をあせってやっています。資料出して、ノート取って必死です。自転車操業もいいところ。まるで受験生の上京みたいです。隣に缶チューハイ飲んでいるおじさんがいたりすると、せっかくおくつろぎのところを隣が仕事モードですいませんね、という気分になります。

眠気覚ましにコーヒー飲むことも多いのですが(最近、上越新幹線の中のコーヒー、前より少しおいしくなった気がします)、今晩は前から気になっていたアレを食べてみました。

Photo[新潟産コシヒカリ100%と記載されています]

キオスクで売っているコシヒカリアイスです。アメリカ人の友人で、健康のためにライス・ミルクというのを毎朝飲んでいる人がいます。飲ませてもらったらお米のとぎ汁みたいなものでした(はっきり言ってまずい!)。そのライス・ミルクで作ったアイスかなと想像して食べてみたら、予想とは違いました。脱脂粉乳で作ったあっさりしたラクトアイスの中に、お米の粒粒が入っているのです。

この味はライス・プディングに近いですね。さっぱりした甘みのしゃりっとしたアイスの中にミルクで煮たお米の柔らかい粒粒が入っています。想像していたのよりおいしかったです。新潟限定の商品のようです。新潟にいらっしゃる機会があったら試してみてください。

2009年5月24日 (日)

自然の力

まつこです。

Photo今週もまた新潟で週末を過ごしています。こうして定期的に帰省していると、1週間ごとに庭で咲いている花が違っていることに気がつきます。先週は白いつつじが満開でしたが、今週はもう茶色っぽくなってしまいました。花の命は本当に短いんですね。

Photo_2[これはアザミ。触るとイタイ]

母は最近、庭にいつのまにか生えてきてしまった野の草花を、雑草と一緒に取ってしまわず、そのまま大きくして、花が咲くと切って家の中に飾っています。素朴で楚々とした野の花もなかなかきれいです。今週、たくさん咲いているのはアザミ、マーガーレット、ツユクサです。

Photo_3[かわいいイチゴが実りました。このあとで食べました。みずみずしくておいしかったです]

寒くも暑くもないこの季節。母は一日のうちだいぶ長い時間を庭や裏の菜園で過ごしています。私も一緒に外に出て、「あら、きれいね」とか「イチゴが可愛いわね」とか、そんな平凡な会話をしていると、本当にうれしそうです。

Photo_4[そらまめもたくさん実がつきました。あともう少しすると食べられそう]

今日は近所のスーパーマーケットにアサガオの種があったので買ってきて、午後のやわらかな日差しの中で、一緒に種まきをしました。母は小学生のように「早く芽が出ないかしら、楽しみねえ」とわくわくしています。

Photo_5[キャベツに穴があいています。イモムシいそう・・・。でも無農薬野菜の証しですね。回鍋肉にしようかな]

言いたい言葉がスムーズに出てこなかったり、数分前のことをきれいに忘れ去ってしまったりと認知症の典型的な症状は出ていますが、それにともなう不安感や恐怖感は、比較的小さいように見えます。こうして草木や野菜の世話をして、日々の変化を見ていることが、母にとっては大きな励みになっているように思えます。力強く育つ野菜や、可憐な花には、老いた人の心を支えてくれる癒しの力があるようです。

2009年5月23日 (土)

家庭内論争

うめぞうです。

うめまつは、普通の意味でなら、まあ仲の良い夫婦といえるだろう。おたがい面倒は避けたいからけんかはしない。ひょっとしてむこうが我慢をしているのかもしれないが、少なくともこちらとしてはけんかの種になるような不満を感じたことはない。

では何事につけ「そうそう、そうだよねえ」と意見や趣味が合うかといえば、それはまったく違う。だからわが家ではよく議論になる。しかも、おたがい、見た目よりはるかに頑固で、しかも頑固なのは相手の方だと両方で思っているので、なかなか自分の方からは妥協しない。

ほかの人がもし一日われわれに同行取材していたら、「よく一緒にいますねえ」という感想のほかに、「よくそれだけ議論しますねえ」とあきれられるかもしれない。

議論のテーマは政治、経済、社会全般に及ぶ。しかし、議論の土台というか、視点というか、基本的な発想、目の付け所がまったく違う。

たとえば政治家についての評価。うめぞうはやはりその人の政策や主張についての判断が主になる。まつこは違う。「この人、なんかヘン、なんかイヤ」。これだけである。ところが、すごいのはこれがほとんど揺れ動かないところだ。考えてみれば当然である。政策や主張は時流によって変化する。人間の個性は変わらない。理屈もへったくれもない。まつこは自分の直観の正しさを確信している。そしてそれがなぜヘンで、なぜヤなのかは、そのうち立証されるだろうと思っている。だから本人がその立証責任を負う必要はない。

もう10年以上も前になるが、橋本内閣が倒れた後、小渕、梶原両氏に対抗して小泉氏が自民党総裁選に立候補した。結局小渕氏の勝利に終わるが、このときの選挙は田中真紀子氏から「凡人、軍人、変人」の闘いと揶揄された。この言葉には、田中真紀子という政治家の非凡なセンスを感じたものだ。

この小泉氏に対しては、まつこはいちばん最初から「ヤダ」である。うめぞうは、この時点では少なくとも何を主張しているのかがはっきりわかる政治家だという点で評価していた。その後、時代は変わり、うめぞうは小泉批判に鞍替えする。「だから最初から言ったじゃない」と、まつこには今でも言われる。まつこが昔から「わりといい」と言うのは河野洋平。宮沢喜一や加藤紘一も比較的良かった。野中氏も良い方の部類にはいる。なるほど、政治的主張や派閥ではなく、人柄の点で懐の深そうな印象がある。

こんなふうだから、まつこは立場が変わる人にはきわめて厳しい。最近では、新自由主義者から「ざんげの転向」をしたという中谷巌氏などに対して、「今まで言ってきたことが本当に誤りだったと思うなら、まずは10年くらい沈黙して学問的検証をすべきだ」と舌鋒鋭い。うめぞうは、これに比べるとすぐにごまかされる。まつこには「人の見方が甘い」といわれるゆえんである。

ところで、ここ数日のうめまつの議論は、組織の中でこまごまとした規則が作られ、皆が自分の感覚や常識を鈍磨させている、というまつこの批判をめぐるものだ。うめぞうは、公平な判断や個人の人権保護のためには、法の支配が浸透していくこともある程度やむをえない、と主張し、まつこは、なにか解決すべき問題が生じたとき「規約ではどうなっていますか」というのが最初の反応だという集団はおかしい、と主張している。この議論はまだまだ当分続きそうだ。

2009年5月22日 (金)

通信簿の見方

うめぞうです。

今日は、うめぞうに通信簿が送られてきた。さいわい学力評価ではない。先日受診した人間ドックの成績表だ。項目ごとにA(問題なし)から順にEくらいまでランク付けがしてある。

コレステロール220、動脈の石灰化、胃の粘膜下腫瘍、逆流性食道炎、十二指腸ポリープ、腎臓囊胞、AFP(腫瘍マーカー、肝臓ガンや精巣ガンに反応する。標準値の上限は10)12.5、リューマチ反応(+)など、BやC(経過観察)という項目が結構あって、それほど成績優秀とはいえない。

でもうめぞうは、どれもこれもあまり気にしてはいない。手術すれば取れる悪性腫瘍が見つかれば手術はするが、ガンにならなければ心筋梗塞か、脳溢血、脳梗塞、腎不全、あるいは認知症、どれがどのような順序で生命維持の限界を超える直接原因になるかは、体質や偶然による。われわれの努力で多少順序を変えたり、何年か遅らせたりすることはできるかもしれないが、どんな順番でも基本的には天命としてありがたく受け入れたい。冷静に考えてみれば、認知症が増えている最大の原因は長寿化であり、介護の体制さえ社会的に整っていけば(これが絶望的なほど遅れている!)、本人にはもっとも苦痛の少ない自然な命の終わり方のようにさえ思えてくる。

ともあれ、もう1ヶ月半で還暦を迎えるうめぞうの健康診断結果などは、あまりたいした話題ではない。今日、書きたかったのは成績表や通信簿の正しい見方についてである。

医学的に見て本当に意味のあるデータは、標準的な平均値からの偏差、つまり他人との比較ではない。はるかに重要なのは私自身の去年、一昨年の結果との比較だ。たとえばコレステロールが220だとして、昨年の値が180であれば、やはり少し気になる。AFPも昨年が5であれば、今年12を超えていれば、少し何かあるな、と感じる。しかし、昨年、一昨年と同じ値であれば、あまり心配はいらない。他人との数値比較は、そもそも体質の違いがあるので、ほとんど意味をなさないのだ。

同じ事は、子供たちの学校成績についてもいえるのではないだろうか。人間の創った車ならば、同じ工場からは同じ品質の車が排出される。しかし自然はもっとずっと巧妙にできているから、種には必ず多様性が確保されている。数学の得意な子供、暗記が得意な子供、足が速い子供、人の気持ちがよくわかる子供、千差万別、あらゆる特徴について得手不得手がある。だから基本的に平均値や他者との比較はほとんど意味がない。それよりも、昨年、一昨年との比較が重要だ。それは時間や経験による学習過程の貴重な指標となる。

そこで具体的な提案がある。たとえば1学期の成績をそれぞれの生徒について基準点100とする。そして、2学期の成績はその基準点からの偏差で表現するのだ。1学期の数学の試験が、A君は80点、B君は40点だったとしよう。2学期にA君が72点を取り、B君が60点をとれば、A君の2学期の成績は90点、B君の成績は150点となる。3学期は、あらためて2学期の点数72点、60点をそれぞれ100とした時の点数で表現する。A君が1学期と同様、80点をとれば、3学期の成績は111点、B君が40点をとれば67点となる。

従来の成績一覧は、A君80-72-80、B君40-60-40。新制度による成績一覧は、A君80-90ー111 B君40ー150ー67

生徒たちには、「いつでも100点を超える」ことをめざそう、と発破をかける。この点数は何を意味しているかと言えば、もちろん正確ではないが、直近の過去と比べて、今学期その生徒がどれだけがんばったかを示している。通常の評価方法では、B君がA君を抜くことはほとんど不可能だ。しかしそんなことは、もともとコレステロールが低い体質(まつこは同じものを食べているのに160くらいしかない)と高い体質の人を比べているのと同じで、本人の努力とはほとんど関係がない。しかし、うめぞう評価システムなら、B君が100点を超すことはそれほど難しいわけではない。

ところでTOPIXという株価指標は、うめぞうが大学に入学した年の株価総額を100として決めている。だいたい平均株価の10分の1くらいになるのが普通だから、今なら800円くらいだとすると、うめぞうが大学に入ったときに比べて8倍になっているという計算だ。不景気、不景気と言うが、うめぞうが学生時代に比べて、株価総額が8倍になっているのなら、これはとてもつもない成長ではないか。こんなことも、この成績表の見方は教えてくれる。

衝動買いのすすめ

ひさしぶりのまつこです。

職場でちょっと仕事の多い役職にあたってしまい、ここしばらくブログを書く時間がありませんでした。うーむ。でも、お酒を飲む暇も、買い物する暇もあまりないので、この忙しさは健康や家計には有益かもしれません。

その間、すっかり緑の色も濃くなり、初夏の日差しがまぶしい季節になりました。昨日の朝、出勤途中で同僚のゴーギャンと一緒になったとき、私のしていたサングラスを「カッチョイイー」とほめてもらいました。

Photo[Dolce and Gabbanaです]

これ10年以上前に買った古いサングラスです。前世紀のことです。夏休みを使って、1か月近い一人旅をしていた私。(あー、あの頃は、今に比べると時間の余裕がありました。)ヒースロー空港でミラノ行きの飛行機を待ちながら、(たぶんワイン飲みながら)うめぞうに絵葉書を書いていました。そこに搭乗のファイナル・コール。

機内で、はっと、気づきました。テーブルの上に当時愛用のアニエスbのサングラスを置いてきてしまったのです。日差しが強烈な夏のイタリアではサングラスは必需品。ミラノのガレリアの小さなお店に飛び込み、出会ったのがこのDolce and Gabbanaのサングラスです。

サングラス選びは意外と難しく、髪型や服装の雰囲気が変わると合わなくなっちゃうものも多いのですが、このD & Gは、時間もかけずにぱっと選んだにもかかわらず、持っている他のに比べると汎用性が高くて愛着のある一品です。ただレンズにキズもついているし、そろそろこれに代わる新しいサングラスがほしいのですが、最近のはやたらとブランドのロゴが目立つようにデザインされていたり、誇張されたビッグ・フレームだったり、この傷だらけのD & G以上に気に入るものになかなか出会えていません。

買い物って、出会い頭でビビッときたものの方が、じっくり比較検討して買ったものより、長く愛用したりしますよね。衝動買いは正解の確立が高い、というのが私のお買いもの哲学の一つです。(えっ、恋愛もまたしかり? うーん、どうでしょう・・・)

2009年5月17日 (日)

男と女の役割分担

うめぞうです。

今週末もまつこは実家で勤労奉仕。うめぞうは仕事と家事。家事といっても、週末、まつこがいないあいだに散らかし放題にしていたのを、日曜日の夜に上官が帰還するのに合わせて、もとの状態に戻すという仕事だ。家事は比較的嫌いではないので、下手ながら、たいがいのことはこなす。その中で一番苦手なのはアイロンかけである。

今日は、自分のワイシャツと、乾燥機からしわくちゃになって出てきた布団カバーにアイロンをかけてみた。ズボンでもワイシャツでもそうだが、微妙にいろいろなところが曲線になっていて、なかなか手強い。とくに端っこの方にアイロンによって押し出された布が余ってくることがよくある。力を入れると、変なしわができてしまうことがあり、これはいったんつくとなかなかとれない。かといって横にだけ動かしていても、ぱりっとは仕上がらない。ハンカチのような単純なものでさえ、しっかりとした正方形にはなかなか収まらないものだ。自分でやってみると、クリーニング屋さんのプレス技術にはやはり頭が下がる。

うめぞうと同世代以上のドイツ人なら、たいてい小学校の時にシラーの「鐘の歌」Das Lied von der Glockeという長い詩の一節を暗唱させられたことがあるだろう。そこには「男は敵の多い生活のなかに踏み出し、活動し、努力し、耕し、創り、」「女は従順な主婦として子供たちの母親となり、家を守る」といった男女の役割分担が歌われていた。まあ200年前の詩だから目くじらを立てる必要はないが、今ならフェミニストならずとも、ちょっと抵抗があるだろう。

われわれの友人夫婦で、子供ができたときに、男性の方が育児休暇を取った人がいて、端から見ていても日本がいい方向に変わりつつあることを感じた。また今年の夏に出産予定の別の友人夫婦も、二人で育児休暇を取るという。ただ、これは二組とも男性が大学教師なのであまり抵抗もなく取れたようだが、一般企業ではまだなかなか厳しいかもしれない。これが一般企業でも、官公庁でもごく常識的なことになれば、日本も本当の意味で変われるだろう。そのためには法整備とともに、意識改革が必要だ。

「変わりつつある男性たち」と題する、ドイツの「プロテスタント教会男性労働担当部」および「カトリック男性協議会」による研究調査がある。17歳から85歳までの1216人の男性に対する聞き取り調査だ。

それによると男性の意識は4つのグループに分けられる。1)伝統的役割分業意識をもつ男性(男は仕事、子供と家事は女性)、2)現代的男性(男女がともに家事と育児を分担、収入も両者が貢献)、3)中間派(上記二つのポジションのあいだで、自分に合う位置を探しているグループ。

ここまでは予想どうりだが、問題は第4のグループだ。それは4)暗中模索派ともいうべきグループで、彼らは自分の従うべき男性像というものをまったく持てず、職業、パートナーシップ、社会の三分野でいずれも自分のはっきりした居場所を見つけられないでいるという。たしかにパートナーとの関係がなければ、そもそも二人で共同生活をどう負担し合おうか、という問題自体が発生し得ない。うめぞうは、フェミニストでもアンチ・フェミニストでもないが、これまで男女の役割分担について議論してきた人々は、これからは役割分担の問題と並行して、関係喪失現象について真剣に考える必要があるようだ。どんな役割分担にするかは、その次の問題として、ともかくパートナーと二人で生活できる経済的、社会的条件がほしい、という声が聞こえてくる。

さらにショッキングなのは、この第4グループが全体の約3分の1を占めており、最大グループだという調査結果だ。それに対して、1)は27%、2)は19%、3)は24%となっている。つまり、あらゆる負担と貢献を両性で分け合うことを原則とするグループは、一番少ないということだ。それだけではない。1998年度の調査と比べても、現代的男性の割合はほとんど増えていないという。

この調査では、コントロール・グループ(調査の比較対象とするための集団)として、800人の女性にも質問をしている。ここでは、2)の「現代的女性」の割合は、男性よりはっきり多い。ところが、面白いことに、「子育ては男性よりも女性の方が、本能的に適している」という意見に対しては、54%の男性が賛成しているのに対して、女性は57%が賛成していて、この点では、女性の方が伝統的な意見を多く支持している。

もうひとつ。「理想の女性など存在しない」という意見に、11年前の調査では39%の男性が「その通り」と答えていた。今回はそれが、8%に急落したそうだ。うーん。理想の女性は存在する、されど私の横にはいない、ということか。あるいは理想の女性が存在するはずだ、だから、その女性に出会うまでは一人でいる、ということなのか。この現象をどう説明したらいいのか、皆さんのご意見をお聞きしたいところだ。以上はドイツの調査だが、日本だったらどんな結果になるだろう。

2009年5月12日 (火)

第九と神楽坂散策の休日

まつこです。

日曜日は初夏のような良いお天気でした。ウメマツは友人夫妻が所属している俊友会管弦楽団の演奏会を聞きに出かけました。いちおうアマチュアですが、弦楽器の音が澄んでいてきれいで、管楽器の音も華麗で、レベルの高い演奏を存分に楽しみました。

今日のプログラムはベルリオーズの序曲「海賊」とベートーヴェンの「第九」でした。テンポが速めで若々しい演奏でした。皇太子さまもビオラで参加していましたが、当り前のことだけれど、演奏が始まれば特別な存在ではなく、他の人と同じオーケストラの一員です。普通の人として音楽を楽しんでいるという様子で、いい感じでした。

演奏会終了後、久しぶりに神楽坂界隈を散策しました。日仏学院の裏の静かな住宅街を散歩すると、緑が豊かで気持ちが落ち着きます。

Photo_6[普通の住宅街にも落ち着いた雰囲気が]

ゆるやかに曲がった道や坂の多いこのあたりを、特に目的なくのんびり歩いていると、新しい発見もあります。ちょっと古めかしい端正なたたずまいの和風の住宅を改装したギャラリーや、おしゃれな小さなフレンチ・レストランなど、初めて見るお店もありました。

Photo_4[石畳と縄のれんがいかにも神楽坂]

歩き疲れたら、ちょっと早めの夕食を。石畳の細道を入って行ったところに、風情たっぷりの格調高そうな居酒屋さんがあります。でもまだ青空が大きく広がっている時刻、こんな日こそオープン・エアのお店で風を感じながら、食事を楽しみたいもの。

Photo_5[こんなお天気の日に、テラス席でいただく白ワインは最高]

和の趣のある居酒屋さんのお向かいにフランス人がたくさんいるおしゃれなカフェがあるのが、神楽坂ならではの面白さです。今回はそちらのクレープのお店ル・ブルターニュにしました。

今回いただいたのはそば粉のガレットとサラダと、デザートのクレープ。隣の席ではフランス人の女の子が一人で、おそらくフランスに送るのでしょう、ジャポネスクなデザインのカードに何か一生懸命書いていました。

Photo_7[これはホワイト・アスパラガスと生ハムと卵のガレット]

Photo_8[こちらはブルーチーズとクルミと生野菜のガレット。はちみつもかかっています]

というわけで、初夏のような陽気の一日、休日をたっぷり楽しんだウメマツでした。

2009年5月11日 (月)

やっぱり京都

まつこです。

土曜日は京都に日帰り出張でした。東京駅から新幹線に乗るときに、ささやかな楽しみにがあります。

Photo_2[これがお気に入りの組み合わせ]

東京駅の中央コンコース地下のエキナカショッピング街GranStaのDean and Delucaのコーヒーとドーナツが、新幹線車中のまつこ定番のおやつです。ここのドーナツはDoughnut Plantのです。Dean and Delucaの軽めのコーヒーと、ふわふわのドーナツの組み合わせがぴったり。カロリー高そうだけど、ついつい買ってぺろりと食べてしまいます。

仕事の後は、京都在住の仕事仲間の方に京料理のお店につれていっていただきました。丸太町の「かじ」というお店です。気取らないお店ですが、味も見た目も上品な京料理をいただきました。鱧をちょっと炙ったのがおいしかったです。五月らしくお料理には兜や菖蒲があしらわていました。仕事関係の食事会だったので、写真はなし。ちょっと残念。

食事のあとは八坂の塔のそばの「The Garden Oriental」でお酒。日本画家の竹内栖鳳の私邸だったところだそうですが、広大な日本庭園とどっしりとした和風建築を、おしゃれなバーに改装したところでした。あまりに贅沢な空間なので、気分はシャンパン。モエ・エ・シャンドンをグラスで一杯。新幹線に乗るため、一人早めに失礼し、ほろ酔い気分で外に出ると、東山の静寂が広がっています。若葉の匂いが宵闇の中に漂っていて、空を見上げると満月に近い月が明るく輝いていました。

京都・・・やっぱりいいですね。

2009年5月 9日 (土)

上野千鶴子の「悩みのるつぼ」批判

久しぶりに、うめぞうです。

朝日新聞の土曜版にBeという別冊がある。そこに「悩みのるつぼ」と題する人生相談のコーナーがあり、本日5月9日の回答者は社会学者の上野千鶴子だ。相談者は研究職に就いているという女性。最近ガンが再発した上司のパワハラに苦しめられているという。この上司のパワハラは「人格否定から業績の否定」、さらには外見の批判にまで及び、「優秀じゃない」、「任せられない」、「その化粧は何だ」、「その格好は学生みたいだ」などと非難を受け、昨夏は食事がのどを通らず激やせをしたという。

さて、皆さんならこれに対してどのようなアドヴァイスをされるだろうか。

うめぞうはこれに対する上野の回答を見て、それこそ目がテンになった。

「この職場にいすわるしかないと思えば、困った環境の一部と考えて、省エネ・省コストでスルーするしかありません。馬耳東風、柳に風ってやつですね。あなたのまじめさではそれもむずかしいでしょう」、「注意した方がよいのは、絶対にひとりで抜け駆けしないこと」、「パワハラで労災認定も受けられます。が、そのためには被害を証明しなければなりません。たとえ保障が得られても、心身を病むようなら、本末転倒ですね。」

女性の敵は女性というが、それが女性の権利擁護を標榜してきた社会学者の代表的存在となれば、洒落にもならない。本末転倒とはこの上野の回答の方だ。上野のこの回答には、社会学者としての資質はもとより、成熟した市民としての人権意識も、一人の人間としての倫理的感受性もまったく感じられない。「この職場にいすわるしかない」という表現、「あなたのまじめさではそれもむずかしいでしょう」というシニカルな物言い、「抜け駆け」という言葉遣い。うめぞうには、非常に違和感がある。この上野の鈍感な言語感覚には、まともな常識人なら品の悪さを感じないではいられないだろう。

長いものには巻かれなさい。一人で抵抗してもどうせつぶされるのだから、環境の一部と思ってすりぬけなさい。これこそ、パワハラ、セクハラを行う側にすり寄り、これをひそかに応援するものの言い方だ。簡単に言えば、社会的、人為的に作られたものを、自然的所与として受け入れろといっているのだ。そして、それに抵抗することを、青くさい「まじめさ」としてたしなめ、もっと「大人になれ」と勧めている。そして条件が変わらなければ「長期のキャリアプランを考えて、転職の可能性を探った方がよい」とまで言う。不条理な上司を辞めさせるのではなく、自分が去っていくことを、より利口な生き方だというのが、上野の回答から浮かび上がってくる処世訓だろう。

これが社会学者のアドヴァイスだというならば、われわれは社会学というものをまったく必要としていない。むしろ有害だ。上野と同じ業界にいる社会学者たちには、きちんとした理論上の批判を展開してもらいたいものだ。しかし、よく考えてみると、こういうものの見方の中に、上野という社会学者の欺瞞的な本質がはしなくも暴露されている。これが日本で一番良い大学と思われている東京大学の社会学教授であり、これが日本で批判的社会学者の騎手だとすれば、日本の古い男性社会も、旧弊な組織防衛者たちも心強い限りだろう。

この相談者の描写が、事実とどれくらい一致しているかは、別の次元の問題だ。回答者はあくまで、この相談が事実であることを前提に回答する。そしてこの相談者の描写が事実であれば、犯罪行為となる可能性がある。この相談者の場合には、今のところ露骨なセクハラはないようだが(化粧についての言及にはその萌芽はある)、セクハラがあればストーカー防止法、刑法の強制わいせつ、強姦等に関する規定に触れる場合がある。ちなみに回答者上野は「こういうカンちがいオヤジに『キミだけが救いだ』なんてストーカーされなくてよかったですね」と相談者に向かって書いている。なんという鈍感さか。

またこの相談者のようなパワー・ハラスメントの行為に辞職を強いる要素があれば、労働基準法の解雇、労働時間等に関する規定や、労働組合法の不当労働行為に関する規定に触れる場合があるし、また民法の不法行為に関する規定に抵触する可能性がある。犯罪性の立証が難しいということは、それが犯罪行為である可能性を、いささかも軽減することはない。

犯罪的行為から身を守るために、市民は社内ルールや法に則ってあらゆる手段を行使する権利を有する。会社や大学をはじめ、既存の組織は当然のことながら、こうした手段をとられることに対して、さまざまな自己保身を行なう。日本で訴訟が起きにくいのは、訴訟をあきらめさせるためのさまざまな前法律的な圧力が行使されるからだ。また法体系自体も、また犯罪の立証責任の規定も、個人犯罪に比べて組織犯罪に対して甘くできている。しかし、そうであればなおのこと、この日本でいやしくも社会科学でメシを食っている人間は、その先頭に立って、少しでも個人の権利主張をうながし、それを側面援助し、理論面で現実の変革に手を貸すことが求められているのではないか。

しかし現在、会社の経営陣や大学の教授会は、少なくとも、悩みのるつぼ回答者上野千鶴子などよりは、人権問題に敏感だ。もしこうした訴えを、組織的な圧力でつぶそうとすると、それ自体が次なる犯罪行為を構成しうる可能性が出てくる。なにより組織は、この種の問題がマスコミに流れるのを恐れる。企業でもコンプライアンスが叫ばれているのはそのためだ。企業が倫理的になるのは、それが業績を左右する要因にもなるからだ。1996年にアメリカの三菱自動車がセクハラの集団訴訟を受け、結局50億円近い巨額の和解金を支払うことになった。それだけではすまない。それが大きく社会問題化することによる企業損失は計り知れない。今や人権を守り、ハラスメントを根絶することは、企業にとっても大学にとっても、死活問題なのだ。そんな中にあって、左翼的言辞をもてあそんで社会批判を商売のネタにしてきた上野のこのアドヴァイスは、まじめにこうした問題に取り組んできたカウンセラーや、組合員や、各組織の相談窓口の人々の努力への裏切りである。

さて、うめぞうなら、どんなアドヴァイスをすることになるだろう。おそらく次のような趣旨になるだろう。

「今日から、テープレコーダーでも、日記でも、あらゆる手段を使って、パワハラの証拠集めをしなさい。そして、その証拠(ないしはその証拠の存在)をまずは相手に知らしめることからはじめてはどうでしょうか。ほとんどはそこで何らかの改善があると思いますが、改善がなければ、組合なり、会社の相談窓口に持ち込み、なおかつそこで協力を得られない場合には、弁護士に相談し、訴訟も辞さないという姿勢をお取りなさい。ここはひとつ、凛としたプライドをもって、闘ってみてはどうでしょうか。ただし、そのためには、自分の方も、就業規則を遵守し、かつ、あらゆる交渉で、冷静に、誠意を持って紳士的に対処することが必要です。言い方は柔らかに、言う内容は妥協せずに、という戦法です。かなりめんどくさいかもしれませんが、かならず支援者が出現します。われわれの権利はわれわれが主張することによって実現しなければなりません。でも、その戦いの成果は自分一人のものではなく、同じ事情に苦しんでいる多くの人々の希望の芽となります。ひょっとすると今回も同じようにストレスで激やせするかもしれませんが、社会的公正のために戦ってやせるのと、不当な圧力に屈してやせるのと、どちらがいいでしょうか。」

2009年5月 8日 (金)

レストランの味を再現

まつこです。

料理をするのが「負担」だと感じるときもあれば、逆に「楽しみ」に感じられるときもあります。今日は後者の日でした。

・・・というか、朝から机に向って仕事をしていたのですが、とつぜんムラムラとお料理したくなり、雨の中を自転車に乗ってスーパーまで買い出しに行ってしまいました。はっきり言ってデスクワークからの逃避行動です。

Photo_3 [この写真ではオレンジ色っぽく見えていますが、実際はピンク色です]

作ったのはまずビーツのスープ。ロンドンのLa Boucheeで"betraves"というフランス語がわからないまま注文した、あの"Soupe de Betraves"を再現してみました。ビーツは水煮の缶詰を使いましたが、まあまあ、近い味になったような気がします。今日は雨降りで、ちょっと肌寒さも感じるような日だったので、温かいスープがおいしく感じられます。

Photo_4[これもLa Boucheeのメニューをまねたものです]

もう一品はチキンのサラダ。セロリの端っこや玉ねぎでマリネしたチキンを、電子レンジでチンして、小さく裂いて使いました。このチキンと、適当な葉っぱもの、リンゴ、クルミを、粒マスタード入りのドレッシングで和えます。バルサミコの煮詰めたのをちょっと加え、最後にオリーブを飾りました。

うめぞうが月曜日に人間ドックを受けるので、にわかに野菜中心の健康志向メニューとなりました。試験直前の受験勉強みたいです。

今日のは2品ともLa Boucheeで食べたものを思い出しながら作りました。そっくり同じにはならなくても、私はこんなふうに、外食でおいしかったものを、ちょっと真似して作るのが好きです。

世の男性諸氏に申し上げたい。パートナーの女性においしい料理を作ってもらいたいという願望を持っているのであれば、おいしいレストランに行って、おいしいものを一緒に食べることですおいしいものを食べたことのない人においしいものは作れませんっ(断言)!熟年夫婦のレストラン・デートは、家庭料理の水準向上につながりますよ。

2009年5月 6日 (水)

仕事の記憶

まつこです。

仕事の関係で、今週は週の真ん中で帰省しています。週末は大阪から弟が来て、母と一緒に過ごしてくれました。弟のところでは子供二人の高校受験もすみ、懸案事項だった家の購入・引っ越しも無事終了しました。それで精神的に余裕ができたのか、弟も今回は母をドライブに連れて行ったり、優しく接してくれたようです。

Photo[昔、この庭で弟がヘビを捕まえて、家の中に持ち込んだことがあります。子供のころの最も恐ろしい記憶の一つです]

そんなこんなで今回はまる1週間ぶりの帰省だったのですが、庭の緑が急に増えていてびっくりしました。写真で見ると、ちゃんとした和風の庭に見えるかもしれませんが、あまり手入れの行き届いていない荒れた庭です。これから夏にかけては、か なりジャングル化します。

母の様子はあまり変わりありません。同じ話の繰り返しに付き合わされる以外は、特に負担になることもありません。NHKの連続ドラマ『つばさ』の放映のたびに、「なんでNHKなのに、こんなドタバタ喜劇なのかしら? それにこの主人公、童顔ねえ」と必ず言います。再放送があるので、一日二回、必ず言います。ま、その通りなのですが。

今日もお昼ごはんのあとテレビ見ながら、「ドタバタでいやねえ」と言っていたのですが、やがてアンジェラ・アキの「手紙」を歌う中学生たちを取材したドキュメンタリーが始りました。長崎県の離島の中学生たちが、合唱コンクールに出場するまでと、その思い出を胸に卒業していく様子を描いたものです。

そしたら母の「先生スイッチ」がオンになりました。母は30年以上、中学校教師をやっていました。思春期の子供たちのぎこちなさ、反発、純情さ、ひたむきさなどを、長年見続けてきました。そんな子供たちを描く番組を見るうちに、母の表情がどんどん経験豊かな教師の顔に変わっていくのです。「島で育っている子供たちはすれていなくていいわね」と穏やかに微笑みながら、画面に見いっていました。

いろんな記憶があいまいになっていますが、職業人としての長い経験は、深く記憶の中にしまいこまれているのだなあ、と改めて思いました。制服を着た中学生たちが笑ったり、泣いたり、怒ったりしている光景を目にして、そんな古い記憶が母の体の中でふわりとよみがえっているようでした。

現役で働いている私たちは、毎日毎日の業務に追いかけられるようにして暮らしていますが、こういう日常的な仕事の記憶が、知らないうちに私たちの体の中にも刻みこまれているんでしょうね。

2009年5月 5日 (火)

垂直テイスティング

まつこです。

連休ど真ん中。昨日は友人のアメリカ人P君から、自宅でのカリフォルニア・ワインのテイスティングの会に招かれました。"Vertical tasting"(垂直テイスティング)をすると言われていたのですが、なんのことやらと思いつつ、とにかく美味しいカリフォルニア・ワインが飲めるのだろうと、いそいそと出かけて行きました。

Vertical tasting(垂直テイスティング)とは、同じ生産者で同じ銘柄のワインの異なるヴィンテージのものを比較試飲することだそうです。知らなかったわー。今回はBeringerというワイナリーの、Knight's Valleyという銘柄のCabernet Sauvignonで、1999, 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006の各年のものを飲み比べました。

Photo[真剣に味や香りを分析しているうめぞう。隣はウメマツのお友達のKちゃん]

ただ飲んで「おいしい」とか「いい香り」とか言えばよいわけではなく、チャートが渡され、Nose(香り), Body(こく)、Persistence(余韻)などの項目に分けて、評価を記入するよう求められます。さらにワインの専門家が書いたそれぞれのヴィンテージについての説明文と、実際に飲んで感じた味とを一致させるというクイズまでついていました。

しかし下記の二つの説明文(原文は英語)の違いを読み分け、なおかつその精妙なる違いを舌で判別するのは、至難の業です。

「この年の特徴は明るいチェリー系のフレイバーに甘いヴァニラ・オークとスモーキーなアロマで、乾いたハーブや木イチゴの茂みのような香りがアクセントとなっています。甘く生き生きとしたフルーツ系の味と、軽やかな刺激とやわらかなタンニンの組み合わせが素晴らしいワインです」

「この年の特徴は、さまざまなアロマが重なり合っていることで、口いっぱいにフルーツの香りが広がり、タンニンのなめらかさが素晴らしく、濃い色のフルーツやヴァニラ、キャラメル・タフィー、ヒマラヤスギ、甘いスパイスのまじりあった香りが鼻腔に広がります」

最初の一口。大きなグラスからあふれてくる柔かな甘い香り、口に含んだ時のまろやかさ・・・ゴクリ、あー、おいしい。そのあとはもう、みんないい加減。適当なうんちくを述べ合いました。

テイスティングの際には、ほんの一口ずつしか飲めないので、主催者のP君以外は全員、まじめな「垂直テイスティング」は適当に切り上げて、早く宴会モードに切り替えたいという気持ちがコメントににじみ出ます。「これもおいしいね。何か食べ物と一緒ならもっとおいしいだろうね・・・」などなど。投票の結果、2001年のものが一番おいしいということになり、それは権威あるワイン評論家の意見と奇しくも一致しているとかで、めでたしめでたし。あとは一気にパーティで盛り上がりました。

Photo_2[テイスティングの後のパーティのお料理を作ってくれるP君とM君。おいしかった!」

次回は"horizontal tasting"(水平テイスティング:同じ年で違う生産者のワインを比べる)をやろうと言っていました。うーん、ただのワイン・パーティも気楽でいいのですが・・・。いやいや、知識が増えれば、ワインの美味しさにより鋭敏な感覚を身につけられるのかもしれません。ワイン道、なかなか奥が深いようです。

2009年5月 3日 (日)

大人サラダ

まつこです。

Photo今日はまつこにとって、久しぶりに東京の自宅で過ごす休日です。スポーツ・クラブに行き汗を流し、散歩をして、近所で買い物。うめぞうも今日は休日モードです。

ベランダのプランターのビオラが、そろそろ花の季節が終わったようなので、白いペチュニアに植えかえました。わが家では花の世話はうめぞうの役目。何やら花に話しかけながら、植えかえたり、お水をあげたりしています。優しく話しかけてあげると、きれいに咲くと言う人もいますが、ほんとかな?

Photo_2[これで完成!家の向かい側にある大学のキャンパスも若葉がきれいです]

小さなベランダですが、こうして花が並ぶと、ふと目に入ったときに、心が和みます。

うめぞうがせっせと花の植えかえをしている間に、まつこは夕食の支度。3月の終わりにロンドンに行った時に、wombyとcherryの夫妻とまつこのお気に入りのお店La Boucheeで一緒に食事をしました。そのときcherryが食べた「チコリとロックフォールのサラダ」というのがとても美味しそうでした。ちょっと味見をさせてもらったので、今晩はそれをまつこ流にアレンジしたサラダを作りました。

Photo_3[苦味がちょっとある大人の味です]

チコリ、エンダイブの2種類のちょっと苦味のある野菜、ブルーチーズのロックフォール、クルミと松の実を炒ったもの、それらをドレッシングであえて、バルサミコ酢の煮詰めたのを上から散らして、ちょっと甘みを加えます。ロックフォールの味が強いので、ドレッシングは控えめに。ロックフォールの塩味、野菜の苦味、ナッツの香ばしさの組み合わせが、なかなか複雑でおいしいですよ。まつこはこれを「大人サラダ」と名づけました。我が家の新しいレパートリーの一つです。どうぞお試しあれ!

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