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2009年4月15日 (水)

もっと抽象的に?

うめぞうです。

新しい職場に変わって、やはり最初はばたばたと忙しい毎日が続いている。今日はまつこが「そろそろブログ、おねがいね」と言い残して出勤していったので、ひさびさにペンを執る、いやキーボードをたたくことにした。

私の友人に著名な数学者がいる。教科書にも名前が出ているくらいだから、世界的な仕事をしたのだろう。ときどき「素人にわかりやすく言うと、だいたいどんな仕事をしてるの?」と彼に尋ねてみる。「今は、とんがり帽子をさかさまにして、球をつめると何個入るかという問題を考えてる」、「ただし、3次元じゃなくて、次元をもう少し上げていったときのことをね」などという。いったい4次元のとんがり帽子に球を詰めるということが、そもそも何を意味するのか、素人のうめぞうにはまったく想像がつかない。

そんな彼に、かつて「君のいうことはわかりにくいから、もうすこし抽象的に言ってくれないか」と言われたことがある。ふつうは、「君のいうことはわかりにくいから、もう少し具体的に言ってくれないか」というものだろう。彼から見ると、具体的なことは不規則で、個別的で、一般性に欠けるために、ずっと厄介なのだそうだ。抽象性というのは、個々の差異を振り落とすところがある。そのぶん、すっきりとしていてわかりやすい、と彼は言う。なるほど、いかにも数学者らしい意見ではある。

哲学というのは数学と同じように、一般には抽象的なものだと思われがちだ。哲学とは言語を用いた数学ではないかと思う人もいるかもしれない。理想の国家を夢見たプラトンもピタゴラス学派の数学的世界像と触れ合ったことによって、完璧な理念の存在を信じるようになったふしがある。この思想はその後の西洋哲学史に、少なからぬ影響を与えた。

しかし、一般に哲学が抽象性を相手にする時には、数学者よりはもうすこし用心深く構えるのが普通だ。この友人が見落としていることは、「具体的なもの」と「抽象的なもの」という対立とは別に、「実体的なもの」と「関係的なもの」という対立が存在していることだ。貨幣の哲学に興味を持つ最近のうめぞうは、この二つの対がどのように関係し合っているのかを考慮中だ。

これまでの経験からすると、この友人にこのことを聞けば、いとも簡単に、「そりゃ、具体的なものが実体的で、抽象的なものが関係的なものでしょ」と答えるにきまっている。ところが実際には、昨今のマネーゲームを見てもわかるように、抽象的なものは、たえず実体的なものに転化する。万物との交換可能性という抽象的な関係概念であるはずのお金が、拝金主義の対象となる。このメカニズムが、この友人にはなかなか通じない。これをうまく説明したいと思いながら、うめぞうも、この二つの概念対がどのように関係しているのか、なかなかわからない。だから「もう少し抽象的に説明してよ」といわれてしまうのである。

フランスに勉強に行っている医者兼哲学者である若い友人夫婦が帰国したら、このあたりのことを議論してみたいと思っている。

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