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2009年4月

2009年4月30日 (木)

オヤジギャルたちのその後

まつこです。

週半ばというのに、今朝は二日酔い気味でした・・・。昨晩、職場の女友達たちと仕事帰りにワイン・バーに寄って、気がつけば午前様。数時間の睡眠の後、ベッドからようよう這い出して出勤。でも飲みすぎてしまったのは、大いに盛り上がって楽しかったからです。

Photo[とにもかくにも、かんぱーい! 手前からゴーギャン、ぽにょ、アンジュ]

1990年頃、「オヤジギャル」という言葉がはやりました。オヤジ顔負けで酒を飲み、株を買い、ユンケル飲んでがんばるぞ・・・といったイメージの、元気な若い女たちがそう呼ばれていました。

あれからはや20年近くがたちました。40代を迎えた元オヤジギャルたちは、それぞれの職場で責任をになう中堅労働者となっています。仕事の帰りにほろ酔い気分で語り合うのは職場のカイゼン案。酔うほどにその口調は熱を帯び、組織の行く末は私たちの肩にかかっているとでも言わんばかりの勢いとなります。

そんな調子なので、最近、こういう場で恋愛関係の話題はめっきり減ってしまいました。私生活の話と言えば、マンション購入計画とかローンの残額とか。元オヤジギャルたちは、真正のオヤジに近づきつつあるようです。うーむ、ちょっとまずいかも・・・。しかし、飲みっぷりの良さ、ノリの良さ、そして二日酔いの気配など感じさせずに、翌日の職務に励む勤勉ぶりは、本物のおじさんたちを、もはやしのいでいるかもしれません。

Photo[帰りの電車の中でもにぎやかな私たち。自称手塚理美(左端)も遅れて参加しました]

夜遅くまで仕事の話で盛り上がった元オヤジギャルたちですが、ことファッション関係の話題になると、おしゃれ大好きな女性らしさを取り戻します。

まつこは今週この仲間たちに立て続けに、「あら、そのバッグ、素敵じゃない!」とほめてもらいました。新しい洋服、新しいバッグ、新しい靴、新しい髪型、新しい口紅、彼女たちは必ず気がつきます。そして鋭く短いコメントが交わされます。

Photo_2[これが仲間たちに褒めてもらったバッグ。ロンドンのJosephで買ったものです]

職場にこういう仲間がいると、互いに切磋琢磨できてなかなか良いものです。おしゃれは異性の視線をひきつけるためではなく、同性同士で楽しむための共通の趣味みたいなものですね。

人生を謳歌し続ける元オヤジギャルたち。あと20年たったら、おしゃれで元気の良いおばあちゃんになっていることでしょう。

PS:こういう内容の記事を書くと、必ずあとで、「私はオヤジギャルの世代より若いわ」とか、「まつこさんと私の間にはちょっと年齢差があるわ」とか、反論がくるはずです。しかし年の差というのは、年をとるほどに相対的に小さくなります!あと20年たてば、みんな同じような年齢です。

2009年4月27日 (月)

カントの平和論

うめぞうです。

カントに「永久平和について」という論文がある。

ちなみに、これまでの日本語タイトルはほとんどが「永遠平和のために」となっている。永遠、永久、恒久などの表現は趣味の問題として、ドイツ語の Zum ewigen Frieden の最初の前置詞を「・・・のために」と訳してきたわけだ。もちろん、そんな意味にも取れるかもしれないが、うめぞうの貧しいドイツ語力では「・・・について」というくらいの意味に感じられる。英語では単にPerpetual Paeceというタイトルで訳されているようだ。このzuは本や論文のタイトルとして「Zur Dialektik bei Adorno und Hegel」(アドルノとヘーゲルの弁証法について)といった具合に今日でもよく使われる。

まあそれはたいした問題ではないが、この小冊子は、とても200年前に書かれたとは思えないほど、今でも読み応えがある。カントが最終的に目指すのは、世界市民的憲法状態。いわば、世界のどこにあっても、一人の人間が尊厳ある個として、不可侵の自由と平等な権利を保障されている、法の支配がいきわたった世界状態だ。

これが一国内ですら難しいことはわれわれが日常的に経験していることだが、ここに主権国家が介在すると、問題は飛躍的に難しくなる。法の支配がいきわたるためには、違法行為をとりしまるための強力な権限や権力を、市民の合意に従って誰かに一元的に委譲しなければならない。たしかに自分の身は自分で守るという基本権は万人に保障されてしかるべきだ。しかし、みんなにそれを認めていると、つねに潜在的な敵対状態が生じる。場合によっては、機先を制して先制攻撃に出る人もいるかもしれない。だから自分の身を自分で守る基本権を万人に保障するためには、自分の身を自分で守る基本権の一部をたがいに放棄しあうことを市民が約束するしかない。これが社会契約という考え方だ。

たとえば日本であれば、市民は法に基づく武力行使権を警察に委ねている。だから、どんなに不条理な行為に対しても、一市民が「天に代わって成敗してくれる」というわけにはいかない。これが昔の西部劇の世界なら、自分の身は自分で守らねばならないから、銃の所有、および自己防衛のための銃使用は個人の基本権に属する。だから、ヒーローであるさすらいのガンマンは、法ではなく、自分の正義感にもとづいて銃を行使する。今でもアメリカの銃規制が問題になると、抵抗勢力にはこの時代の記憶が蘇るようだ。

しかし、これが主権国家の集まりである国際関係となると、こうはいかない。世界の警察機構に武力行使の権限を一元化するなどというのは、まったくの夢物語だからだ。そこでカントは理論的には必然性のある世界共和国の設立を当面あきらめて、平和を愛する共和国間の平和同盟からはじめることを提唱した。先ずはそこからはじめて、加盟国を徐々に増やしていくという方針だ。高邁な理論と厳しい現実のハザマにあって、カントは理論の一部を、現実論に即した形で修正したーーこんなふうにカントの論文はこれまで読まれてきた。

これについては、最近別の読み方も提唱されている。世界市民的憲法状態を実現するには世界共和国を設立するほかない、というカントの思い込みは、じつはカントが共和国のモデルとして、誕生したてのフランス共和国を念頭に置いていたために生じたというのだ。そこでは国民国家の主権の不可分性が前提とされていた。もし同じ共和国でも、主権が様々なレベルに分散していたアメリカ合衆国をカントが念頭においていれば、全体の議論はもうすこしちがったものになっていたはずだ、というのである。

うめぞうはこの鋭い指摘に大いに感心し、終わらない戦争を終わらせる理論的可能性について、あれこれと考えている。

2009年4月26日 (日)

忙中、遊あり

うめぞうです。

今週は、別々にそれぞれの実家で分隊行動。やはり家の中の掃除や、2,3日分のお惣菜作り、そしてこれは楽しみでもあるが、両親と卓を囲んで3人マージャンをするのが、うめぞうの当地での主たる任務だ。おもえば95歳の父親と84歳の母親と3人で遊べるという点でマージャンというのは実に素晴らしいゲームだ。もしマージャンをまだご存じない中高年の方がおられれば、今からでも覚えることをお勧めしたい。またルールを知っている方は、パートナーや、老後まで付き合いたい仲間たちに教えておかれるといい。うめぞうも、碁とマージャンをまつこに教えた(卓球も教えたがこちらはどうも続かなかったようだ)。碁はすっかりまつこの趣味になったし、マージャンもまだ「役」を覚えるまではいかないが、「リーチ」専門で行くように指導し、それなりにお付き合い程度のことはできるようになった。老後は友人夫婦と4人で、月に一度くらいはマージャン会をやりたい。

マージャンの良い点はまず、われわれのレベルでは、圧倒的に運とかツキがものを言うので、今日、ルールを覚えた人が、マージャン歴30年の人に勝ってしまうこともあるという面白さだ。これが将棋や碁となるとそうはいかない。まつこにはあらゆることで威張られているが、こと碁に関しては、差は縮まったとはいえ、たぶん負けることはあるまいと思う。

もうひとつのよい点は、指先を使うということだ。ゲームだけなら、コントラクトブリッジなどでもよいが、マージャンにはパイを混ぜる、積み上げる、つまんでくる、並び替えるといった一連の指先運動が必要で、これがなかなか老人の脳のトレーニングによいようだ。また基本的に順列組み合わせの問題だから、けっこう複雑な思考を要求されるが、単純に考えられないわけでもない。奥は深いが、ともかく入りやすい。

さらに、マージャンに限らず、ゲームのよい点は、とくに話題を探す必要なく、コミュニケーションが出来る点だ。毎週のように両親と一緒にいれば、だんだん話題が乏しくなる。もちろん無理に話をする必要もないが、あんまり同じパターンの話ばかりしていると、おたがいに飽きてくる。だからゲームに熱中しながら、「あーあ、まいったねえ」「よしっ、いいのがきたぞ」なんて言っているのが、とても具合がいい。

これまでの経験だと、マージャンをしているときに、両親の表情がいちばん生き生きする。多少欝のときでも、マージャンをやり始めると明るくなる。もちろん、うめぞうも真剣だ。だいたい半分強くらいはトップになる。まつこは、そんなお年寄りとやっているときくらい、ときどき勝たせてあげればいいじゃないのと、うめぞうの大人気なさを慨嘆する。しかし、うめぞうには、勝負で全力を尽くさないのは、相手に失礼だという気持ちがある。負けてあげる、なんて発想は、傲慢なのである。しかし、一生懸命やっても半分、よくて3分の2くらいしかトップになれない。もちろんぼろ負けすることもある。ここがマージャンの素晴らしいところなのだ。もちろん、家族マージャンだから賭けたりすることはない。でも、記録用紙に残しておいて、このところ、お父さんの調子が上向きだねえ、なんていい合う。これがまたいいのである。

あえて欠点を探すと、一般には4人集まることが難しいこと、ひと勝負が長いことなどがあげられる。しかし、この点で、3人マージャンはじつに優れている。基本的にはまったく同じルールでできる。

うめぞうは、本当はマージャンなどしている場合じゃないほど、仕事がたまりにたまっている。しかしこれは、親の介護の一環である、とみずからに言い聞かせて、大義名分のある忙中の遊を今日も楽しむ予定である。

PS:マージャンを知っている人のために付け加えると、ひとつ違うのは、一箇所人のいないところがあるので、そこの「風」をつねにドラに指定する。そのドラは、一枚でも引けばそのまま場に出して点数を倍にすることが出来る。そしてもう一枚パイをつもることができる。こうすることによって、点数がインフレ化して、はね満などすぐにでるようになる。あと、このゲームの難しさは点数の数え方だ。とくに基本点の計算がややこしい。だから、はっきりわからないときには、1翻1000点、2翻2000点、3翻4000点、4翻8000点という計算でやればいい。それで十分に楽しめる。

2009年4月24日 (金)

母娘の物々交換

まつこです。

いつも通り、週末を過ごすために、夕刻、新潟にやってきました。やや肌寒い春の夜です。こんな夜は冬の間、活躍した湯たんぽに再登場してもらいましょう。

Photo[愛用の湯たんぽはこれ。「みのじろう」という名前です]

こちらに戻ると、小学生の頃から使っているベッドで寝ています。このオレンジ色のベッド・カバーもずっと使い続けています。この歳になって、小学校時代以来の机やベッドをこれほど使うことになるとは思ってもみませんでした。

母は2週間ほど前に家庭菜園の草取りをしていたときに指に刺がささったところが、どうも化膿してしまったようで、今は炎症はおさまっているようですが、かさぶたの下がまだ腫れていて、少し痛みもあるようです。高齢者になると、小さな傷も治りにくくなるようです。医者に連れていくほどのことはなさそうですが。

それ以外は母の様子も変化なし。お買い物に行って夕食を作って待っていてくれました。こんなに順調なら、毎週、通わなくても大丈夫そうなのですが、毎週通っているから、この調子が保てているのかもしれません。

先週、化粧品のファンデーションが切れたと言っていたので、リフィルを買ってきてあげました。ボディ・ショップのパウダー・ファンデなのですが、もともと私が使いかけて合わなかったのを母にあげた(押しつけた)ものです。この1週間、お化粧などしなかったのかと思ったら、「引出しの中を探したら、前に使ってたのが出てきたから使っていたわ、これよ」と見せてくれたのは、クレ・ド・ポーのクリーム・ファンデでした。ボトルをねじると、ちょっとずつ出てくるやつです。「これって評判いいんだけど、高いんだよねー」と羨ましそうに言ったら、「パウダー・タイプの方が簡単でいいから、これあげるわ」とくれました。やったー!

こんな調子で今晩は、認知症の老母の介護というより、普通の母娘の会話をして過ごせました。こういう時間が少しでも長く続きますように・・・。

2009年4月23日 (木)

おじさん改造計画

まつこです。

うめぞうの職場が変わり、生活時間帯も大きく変わって4週目。少しずつ新しい生活にも慣れてきました。しかし今回の転職で、予想外のことが一つありました。それはうめぞうの通勤スタイルの変化です。

今までは、大学の一般教養を教える仕事で、同僚たちもあまり服装には頓着していませんでした。うめぞうもたいてい、よれよれのセーターとコーデュロイのパンツといった格好で出勤していました。ところが今回、経済学部に移ったら、同僚の皆さんがほぼ全員、ジャケットにネクタイといういでたちなのだそうです。一般教養が学生生活の延長だとすると、経済学はサラリーマンの延長ということなのでしょうか。

うめぞうも紺のブレザーにレジメンタル・タイという格好で通い始めたのですが、どうもネクタイを毎日するのがめんどくさいらしく、ジャケットにネクタイなしのスタイルで通いたいと言い出しました。これが実はなかなかの「難問」なのです。

「カジュアル・フライデー」とか「クール・ビズ」とか、アパレル・メーカーと政府が結託したようなキャンペーンが繰り広げられましたよね。いわゆるあの路線のスタイルです。この風潮にのってノー・ネクタイのスタイルに挑戦したおじさんはたくさんいると思いますが、なんとなくゴルフ・スタイルみたいな中途半端な雰囲気になりがちなんですよね・・・。

うめぞうははっきり言って、服飾オンチです。自分で自分の洋服を買ったことは、60年近い人生で一度もなかったそうです。やむなく今回も、月曜日の夜、閉店ぎりぎりのデパートにうめぞうを連れて行き、サイズを確かめながら、上から下まで一式、買いそろえることになりました。日本橋のデパートは中高年フレンドリーなので、おじさんおばさんが安心して買い物できます。

Photo で、この写真がその成果です。ふむ・・・まあ、まあ、合格点かな、とスタイリストのまつこは納得しております。デニムはジャスト・サイズのにしました。メタボ予防策です。「このデニムがきつくなりかけたら、駅でエスカレーターは使わず、階段を使うこと!」というメッセージが込められています。おじさん改造計画には、このあたりの深謀遠慮も必要です。みなさん、どうぞ参考にしてください!

2009年4月19日 (日)

女の敵は女!

まつこです。

1週間ぶりです。毎日毎日、自転車操業で、ブログを書く余裕がありませんでした。前傾15度の前のめりの姿勢、カッカッカッとヒールの音を響かせ、必死の形相で駅へ急ぐ毎日です。

Photo[通勤途中で目に入った若葉]

しかしそんな般若のようなまつこの表情がふと緩むのは、朝日を浴びる若々しい木々の緑が目に入ってきたときです。思わず足を止め、携帯電話のカメラでシャッターを切りました。

金曜日からはいつものように、新潟で母と二人で過ごしています。今のところ母はまだテレビを見て楽しむことはできます。しかし、今シーズン、NHKの朝の連続ドラマも日曜夜の大河ドラマも、あまり気に入らないようです。『篤姫』を食い入るような表情で見ていたときには、良い刺激になっていたようなので、残念です。NHKもあまり若者だけに迎合せず、老人がのんびり楽しめるドラマも提供してもらいたいものです。

最近、イギリス元首相のマーガレット・サッチャーが首相に就任してから30年というので、「サッチャリズム」とはなんだったのか、今日の経済崩壊を招いた責任はないのか、といった記事をいくつか目にしました。

なかでも強烈だったのはガーディアン紙に載ったフェミニズムの論客ジャーメイン・グリア氏の"The making of Maggie"という記事でした。要はサッチャー自身にはそれほどの政治的信念があったわけではなく、男性同僚たちが作り出した「鉄の女」「チャーチルの再来」「堅実な主婦」といった役柄を、なんの倫理的ためらいも感じずに言われたとおりにやっていただけじゃないか、という批判的総括です。

それにしても女が女を批判する舌鋒は極めて鋭い!「去年パーティで会った時も、目の覚めるようなブルーのドレスに真珠のアクセサリー。髪はシャンパン色のブロンドでキラキラしてたわ。ほっぺただってピーチみたいに艶やか。派手なピンクの口紅でだったわ。青い瞳の輝きは昔に比べるとちょっと色褪せてたけど。ジェフリー・アーチャーが忠実な下僕よろしくぴったりくっついていたわ。」ね、この容姿の描写の細かさが、女同士の戦いの怖さを感じさせるでしょう?

でも、ちょっと待って・・・サッチャーって認知症なんじゃなかったかしら・・・? 今でも社交の場に出るのかしら・・・? ちょっと調べてみたら、昨年9月には首相官邸に招かれてブラウン首相と会談していました。脳血管性の認知症で、夫が亡くなったことすら認識できず、フォークランド紛争とボスニア紛争の区別がつかなくなっているとのことですが、それでも「政権についていた時代の話になると記憶が冴える」のだそうです。

認知症の人でも、できるだけ社会的な活動をしたほうが良いとは言いますが、首相に会うとはびっくりです。母を見ていても記憶力が弱っているだけで、テレビ見ながらなかなか鋭い発言が飛び出すこともあります。「『天地人』って役者たちのしゃべり方が、現代ドラマふうで軽すぎるのよね。それなのに新潟が舞台になっているから話が地味なのよ・・・」といった具合です。認知症の人の発言を、ボケ老人のたわごとと、一概に切り捨ててしまうことはできません。

それにしてもブラウン首相、まさかサッチャー元首相に助言を求めたわけではないしょうが、何話したんでしょう? 別のBBCの報道では、「サッチャーの業績は労働党をダメにしたことだ。今の労働党は『サッチャーの亡霊だ』(pale shadow of herself)」と言われていました。マギー・サッチャー、老いてなお、存在感があることだけは確かなようです。

2009年4月15日 (水)

もっと抽象的に?

うめぞうです。

新しい職場に変わって、やはり最初はばたばたと忙しい毎日が続いている。今日はまつこが「そろそろブログ、おねがいね」と言い残して出勤していったので、ひさびさにペンを執る、いやキーボードをたたくことにした。

私の友人に著名な数学者がいる。教科書にも名前が出ているくらいだから、世界的な仕事をしたのだろう。ときどき「素人にわかりやすく言うと、だいたいどんな仕事をしてるの?」と彼に尋ねてみる。「今は、とんがり帽子をさかさまにして、球をつめると何個入るかという問題を考えてる」、「ただし、3次元じゃなくて、次元をもう少し上げていったときのことをね」などという。いったい4次元のとんがり帽子に球を詰めるということが、そもそも何を意味するのか、素人のうめぞうにはまったく想像がつかない。

そんな彼に、かつて「君のいうことはわかりにくいから、もうすこし抽象的に言ってくれないか」と言われたことがある。ふつうは、「君のいうことはわかりにくいから、もう少し具体的に言ってくれないか」というものだろう。彼から見ると、具体的なことは不規則で、個別的で、一般性に欠けるために、ずっと厄介なのだそうだ。抽象性というのは、個々の差異を振り落とすところがある。そのぶん、すっきりとしていてわかりやすい、と彼は言う。なるほど、いかにも数学者らしい意見ではある。

哲学というのは数学と同じように、一般には抽象的なものだと思われがちだ。哲学とは言語を用いた数学ではないかと思う人もいるかもしれない。理想の国家を夢見たプラトンもピタゴラス学派の数学的世界像と触れ合ったことによって、完璧な理念の存在を信じるようになったふしがある。この思想はその後の西洋哲学史に、少なからぬ影響を与えた。

しかし、一般に哲学が抽象性を相手にする時には、数学者よりはもうすこし用心深く構えるのが普通だ。この友人が見落としていることは、「具体的なもの」と「抽象的なもの」という対立とは別に、「実体的なもの」と「関係的なもの」という対立が存在していることだ。貨幣の哲学に興味を持つ最近のうめぞうは、この二つの対がどのように関係し合っているのかを考慮中だ。

これまでの経験からすると、この友人にこのことを聞けば、いとも簡単に、「そりゃ、具体的なものが実体的で、抽象的なものが関係的なものでしょ」と答えるにきまっている。ところが実際には、昨今のマネーゲームを見てもわかるように、抽象的なものは、たえず実体的なものに転化する。万物との交換可能性という抽象的な関係概念であるはずのお金が、拝金主義の対象となる。このメカニズムが、この友人にはなかなか通じない。これをうまく説明したいと思いながら、うめぞうも、この二つの概念対がどのように関係しているのか、なかなかわからない。だから「もう少し抽象的に説明してよ」といわれてしまうのである。

フランスに勉強に行っている医者兼哲学者である若い友人夫婦が帰国したら、このあたりのことを議論してみたいと思っている。

2009年4月12日 (日)

この花の名は?

まつこです。

Photo新潟も花の季節がやってきました。雪国では春の到来を待っていた花が、この時期にいっせいに咲き始めます。桜もこの週末が見ごろです。

Photo_2庭の白モクレンは満開を迎えたかと思うと、あっというまに大きな花びらをハラリハラリと散らせ始めました。木の下は白いまだら模様のじゅうたんのようになっています。

Photo_3チューリップも次々に咲いています。

Photo_4母は最近、花の名前が思い出せないことが増えました。昨日から、裏庭にあるこの花の名前がわからず、「うーん、なんだったかなあ?」と何度も頭をひねっています。まつこもうめぞうも、花のことは不案内なので、役に立ちません。どなたかご存じの方がいたら教えてください。

Photo_5この花なら、まつこにもわかります。タンポポです。

Photo_6花より団子のうめぞうは、裏庭の菜園の方に興味があるようです。「あ、イチゴに花が咲いている!」と喜んでいます。可愛い花です。

Photo_7ソラマメにも花が咲いています。これも可愛い花ですね。茹でたてのソラマメと冷えた白ワイン・・・ああ、初夏が楽しみです。(まつこも花より実の方に関心が・・・)。

Photo_8などとワイワイ言いながら、母が世話をしている家庭菜園で、うめぞうも少しお手伝い。今日はトマトとピーマンの苗を植えました。母も楽しそうでした。

2009年4月11日 (土)

古いロンドン土産

まつこです。

今週末はウメマツ二人で新潟に来ています。今日は母の薬をもらいにお医者さんに行って来ました。

仕事をしていない高齢者にとって、大切な書類と言えば、預金通帳、年金手帳、健康保険証といったところでしょう。母はそろそろ書類の管理能力がややあやしくなっているののを自覚しています。お医者さんの診察券と保険証はひときわ大切に、革製の小物入れに入れて、バッグの中の定位置に必ず置くようにしています。

Photo[この小物入れの中に保険証が入っています]

この小物入れは、私が初めてイギリスに行った時のお土産で、アクア・スキュータム製のものです。もう四半世紀も前のことです。先週渡した紅茶のことなどすっかり忘れていますが、昔のことはよく覚えていて、保険証を取り出すたびに、くたびれたピンクの皮の袋を眺めて、「これはあなたが初めてイギリスで買ってきてくれたものよね」と必ず言います。

1980年代、ポンドはまだ300円近くて、ボンド・ストリートにはロンドンの老舗が並んでいました。チョコレートのCharbonnelとか煙草のBenson & Hedgesなど、いかにもイギリスらしい重々しい雰囲気のお店には、「王室御用達」の紋章が掲げられていました。町のいたるところに、ダイアナの顔写真がプリントされた品があふれていた頃です。

そんなイギリスの老舗では、日本から来た女子学生が一人で店に入ってきても、堂々とした風格のあるおじいさんの店員が極めて丁重な口調で、"Madam, how can I help you?"と応対してくれました。おずおずと気遅れしながらも、精一杯の英語を駆使して、この皮の小袋を母のために買い求めたのを覚えています。

今年も同じボンド・ストリートを歩いてみましたが、トウキョウもパリもロンドンも同じ顔ぶれのブランドが並らび、同じ商品が、同じようなインテリアの店内に陳列されています。どこのお店も若くておしゃれな男女の店員が配されており、昔のように老紳士が重厚な英語で応対するお店はなくなったようです。なんだか少し残念な気がする、と古いロンドン土産を眺めながら思いました。

2009年4月10日 (金)

ご近所B級グルメ

まつこです。

4月は年度初めで何かと忙しいですね。忙しいとついつい外食がちになりますが、そんなとき「おいしくて、お財布に優しく、飽きない」お店が近所にあると、たいへん心強いものです。ウメマツの場合は、白山上の中華料理の「兆徳」が、まさにそんなお店です。

Photo[これは酢豚ではなく酢鶏」

酢鶏はメニューにはないのですが、頼むと作ってくれます。油通しした野菜と、カラリと揚げた鶏肉が、あっさりした甘酢でまとめられています。玉ねぎがシャキっとしていて甘くて、こういうのは自宅では出せない味です。

Photo_2[ここの餃子はニンニクを使っていません]

餃子は皮がもちっとしていて、具はあっさり。ニンニクが入っていないので、翌日の匂いを気にする必要もありません。

Photo_3[まつこの大好物!]

そして必ず頼むのが卵炒飯。卵とネギだけのあっさりとしたチャーハンです。ふんわり、ぱらり。本当においしい。

デコラ張りのガタガタするテーブル、ビニール張りの椅子、棚の上には小さなTV、極めて庶民的な雰囲気で、20人も入れば満員の小さなお店です。「中華料理屋」というよりは「ラーメン屋」という店構え。でもとってもおいしい。

これからの季節は、店内のテレビでナイター中継をやっていることが多いのですが、文京区という土地柄からか、お客さんは地元東京ドームを本拠地とするジャイアンツを応援している人が圧倒的に多いです。

ナイター中継の歓声と、ビールの泡と、ジャーッジャーッという威勢の良い炒め物の音、それが混じりあう街角の小さな店。最近、混んでいてすぐに入れないことも増えましたが、このままいつまでも地元のB級グルメの名店でいてほしいものです。

2009年4月 8日 (水)

職人技

まつこです。

以前、ダイニング用に使っているYチェアが痛んできたという記事を書きました。修理を依頼したら、2か月の予約待ち。修理自体にに2週間。修理代18,900円。さらに往復の輸送量8,000円弱。時間もお金もずいぶんかかりましたが、すっかりきれいになりました。

Photo[すわり心地抜群!]

修理済みのYチェアは、座面にたるみがなく、すわり心地も快適です。ペーパー・コードが規則正しく組み合わされて、ぴんと張っている様子は、とてもきれいです。まさに職人技。

3万円近く出せば、新しい椅子を買うこともできるでしょう。でも長年の使用で少し黒ずんだ木目には、愛着を感じます。こういう「なじんだ」雰囲気は、お金では買えません。古びた木部に、真新しいペーパー・コードの組み合わせもなかなか良いものです。ウメマツ二人で、椅子を眺めて満足しています。

次に修理したいのはソファです。わが家ではリーンロゼというメーカーのトーゴというシリーズの布張りのソファを使っています。これも気に入っているのですが、6年ほど使っているので、薄いベージュがだいぶ黒っぽくなってしまいました。こちらも問い合わせをしたら、張り替えにはかなりお金がかかるので、次のボーナスをもらってからということになりそうです。

女房、亭主も、いささか古びてきたけれど、これはまあ、修理を引き受けてくれるところもないので、お互い同士で手入れしながら長く使い続けるしかなさそうだ・・・と、椅子やソファを見ながら思うのでした。

2009年4月 7日 (火)

桜にはロゼのシャンパンを

まつこです。

Photo東京の桜は満開ですね。今日の午後は暖かく、まさにお花見日和。暖かなお天気と満開の桜を満喫するために、今日の夕食は外で食べることにしました。

我が家から歩いて5分ほどの住宅街の中に、名もない(区役所がつけた名前はあると思うけど)ごく小さな公園に1本の大きな桜の木があります。この桜の木の下には小さなテーブルとイスが据え付けられています。静かな住宅街の中なので、人ごみとも無縁。お花見に絶好の場所です。

Photo_3[さあ、お花見だ!]

仕事の帰りにサンドイッチを買ってきて、冷蔵庫にあったトマトでサラダを作って、ソラマメをゆでて、フルーツを切って、準備はそれだけ。でもこれにロゼのスパークリング・ワインがつくと、ぐっとお花見気分が盛り上がります。

Photo_2[お花見には桜色のスパークリング・ワインがよく合います]

ただし紙コップや紙のお皿ではなく、普通のグラスやお皿やフォークを用意します。白いクロスを広げれば、区立公園の木のテーブルが優雅なピクニックの食卓に早変わり。

夕暮れ時の公園には、会社から帰ってゴルフの素振りをするおじさんや、犬に散歩させるおじいさん、ブランコで遊ぶ子供、赤ちゃんを連れた若いお母さんなど、数名がいるだけ。ごく日常的な景色が、ほろ酔い気分の目にはとてもいとおしい風景のように見えてきます。

Photo_4[1時間ほどで日はとっぷりと暮れ、風が冷たくなってきました]

大勢でにぎやかな宴会もいいけれど、こうしてささやかに楽しむお花見もしみじみしていていいものです。皆さんもお家の近くに、静かなお花見スポットを探してみてはいかがですか。

2009年4月 4日 (土)

ヴィンテージものの良さ:A Vintage Affair

まつこです。

Photo今日の新潟は曇り空ですが、庭にはいろんな花が咲いています。秋にまつこが植えたチューリップも花を咲かせ始めました。でもなんでこんなに寸詰まりなの?こういう種類なのかしら?

先日、シルバー人材センターの人が、庭木の冬囲いをはずしてくれました。シルバー人材センターの人への連絡や支払などは、今のところ母がやっています。いつか家や庭の管理が母にできなくなった時、このド田舎のでかい家をどうすればいいのか・・・。考え始めると気が重いのですが、あらかじめ心配しても仕方ないので、そのときはそのとき、行き当たりばったりでいこうと思います。ある程度の計画性は必要ですが、心配し過ぎず、あえて思考停止する、というのも親が老いてきたときの心構えのように思います。

Photo_2ケ・セラ・セラ・・・というわけで、現実から読書にいったん逃避。今回、往復の飛行機の中で読んだのは例によってお気楽な「女子文学」(chick lit)の1冊。Isabel Wolff(イザベル・ウルフ)のA Vintage Affair(『ヴィンテージ・アフェア』)です。イザベル・ウルフは、これまでもガーデン・デザイナー、ラジオの悩み相談のパーソナリティ、ペットのトレーナー、お天気キャスターなど、ちょっと個性的な職業についている女性を主人公にしてきました。今回の第8作目の主人公フィービーは名門オークション・ハウス、サザビーズでのキャリアを捨て、Village Vintage(ヴィレッジ・ヴィンテージ)という名前の小さな古着屋を始めたという設定です。

2009年の1月に出版された小説で、描かれている物語の設定も2008年2月から2009月2月まで。"credit crunch"(信用収縮)という言葉がたびたび出てきますが、金融危機のロンドンを舞台に、億単位の取引をする世界最古のオークション・ハウスでの輝かしい経歴から、小さな個人経営の古着屋へ転身というあたりが、時勢を巧みに反映している部分です。

このVillage Vintage(ヴィレッジ・ヴィンテージ)のウィンドウを飾るのは、フランスのプロヴァンス地方のアンティーク・マーケットで買ったコットン・ドレスのような名もないものから、1930年代のマダム・グレのドレープの美しいドレスや、1940年代から80年代にかけてのシャネル、ギ・ラロッシュ、カルダン、オジー・クラークなどなど様々なデザイナーの手がけた時代を反映するイヴニング・ドレスやスーツの数々まで。素晴らしいカットや布地の手触り、細かな仕立ての職人仕事など、その描写を読んでいるだけでうっとりします。

それぞれの古着にはそれぞれの歴史があります。かつてそれをまとった女性たちの古い物語と、新たにそれを着る現代の女性たちの今の生き方が、時間を超えて交差します。老いや死、友情の喪失、そして再生といった物語が、古く美しいお洋服の歴史とともに語られていくという趣向です。

おもしろく読んだのですが、この小説にまつこは一つ不満を感じました。それは主人公フィービーの周りに、優しくて、ハンサムで、お金持ちと三拍子そろった男が3人もいることです。物語の始まる前に付き合ってた元彼、この小説の中で出会って付き合う彼、小説の終わりに付き合いが始まる彼。物語の「始め」、「中」、「終わり」の3人の男が、いずれも金融危機を切り抜けて生き延びているエリート・ビジネスマン、ロンドンの不動産バブルからタイミングよく抜け出しフランスのシャトーのワイナリーを所有しているナイスミドル、おばあちゃんから遺産を相続したミケランジェロのダビデ像に似たハンサム青年・・・。こんなの、ありえねー!

女たちの痛ましい過去が癒される物語なのですが、傷ついた主人公を1人癒すのに3人ものパーフェクトな男性は過剰でしょう。ヴィンテージのお洋服が丁寧に補修され、新たな輝きを取り戻すというモチーフが繰り返し使われているのですから、多少くたびれた男とか、いささか難ありという男が、実は味わい深いヴィンテージものだったという展開にしてほしかった。その点がちょっと減点されて、うーん、星4つかな。

Photo_3[記事と関係ないけど庭に「つくし」も出ていました]

2009年4月 3日 (金)

ロンドンのお土産

まつこです。

4月1日よりいつも通りの忙しい日々に戻りました。今日は金曜日なので、ウメマツはそれぞれの実家に移動。二人とも鞄に週末にやらねばならない仕事の資料をつめこんで出発。「お互い自転車操業だねー、がんばろう!」とエールの交換をしました。

2週間ぶりですが、母の様子はあまり変わっていなくてほっとしました。私がロンドンから送った絵葉書がピアノの上に飾られていました。お夕飯の支度もしていてくれていて、ポテトサラダ、シイタケの炒め物、青菜のおひたしなど、きちんと作ってあるので、「絶好調だ・・・よしよし」と安堵。しかし「鯛の尾頭つきを買ってきたので、これから焼く」というのですが、見てみたら「平目」でした。がっくり。「ママ、これ鯛じゃなくて平目だよ」と言ったら、「あらー、そうだったわねー、えーっと、鯛ってどんな魚だったかしら?」2か月くらい前にも同じ会話がありました。どうもママの頭の中では鯛と平目が混線しているようです。このあたりが認知症。

しかし、内臓の処理などはちゃんとしてあり、塩もふってあって、まさに焼く準備は出来ています。平目を鯛と呼ぼうと、平目の淡泊なおいしさは変わりはありません。大きな平目を一尾、母と二人でつつきあって食べました。地元であがったお魚らしく新鮮で、焼き魚の香ばしさをたっぷり味わえました。まつこが「おいしいねえ」と言うと、ママもニコニコして食べています。親がボケかけちゃったら、「魚の名前なんかどうだっていい」と開き直る図太さが肝心です。

というように、いつもの日常生活に戻り、ロンドンの休暇ののんびりした気分はあっというまに消えてしまいました。ママへのお土産はハーベイ・ニコルズの紅茶とパリのラデュレのお菓子です。あまり凝ったお土産より、「イギリス→お茶」「フランス→お菓子」というようなわかりやすいお土産のほうが混乱がなくていいのです。絵ハガキもおしゃれなのじゃなくて、いかにも観光客用の「ビッグ・ベンと国会議事堂」みたいなスタンダードなやつを選びました。

さて、うめぞうへのお土産ですが、うめぞうは物欲が欠如しているので、私が旅行に出るときはいつも「お土産はいらない」と言います。それが今回は珍しく、「ロンドンで買ってきてもらいたいものがあるんだけど」とリクエストがありました。これが実にささやかなリクエストで、「メモパッド」でした。

Photo[これが今使っている、うめぞうお気に入りのメモパッド。これを使うと偉くなった気分になるらしい]

うめぞうは2年半ほど前に、まつこと一緒にロンドンに行き、国会議事堂を見学しました。夏の間は公開していてガイド付きのツアーがあります。そのときに売店で買ったメモパッドを気に入って我が家のリビングルームで使っていたのですが、そろそろ紙が無くなりかけているのです。うめぞうは同じイギリス下院のマークの入ったメモパッドがほしかったようですが、国会に入れるかどうかわからないし、一人で行くのもめんどくさいので、ロンドンの文房具の老舗スマイソン(Smythson)で適当なものを買い求めることにしました。

しかしスマイソンのメモは黒とか茶とか、デザインが重厚すぎて、ちっぽけな我が家のリビングには雰囲気が合いません。前にも書きましたが、小さい家のインテリアは小物に至るまでイメージを統一することが大切です。

Photo_2[このメモパッドならイメージ通り]

ちょうど滞在していた週のTime Out(ロンドン版の『ぴあ』みたいな情報誌)の、買い物情報の欄に「レザーグッズはAspinal of Londonがお勧め」という記事が載っていました。「スマイソンと同じような高品質の革製品で、デザインがモダン、そしてスマイソンの半額くらいの値段」とのこと。

Photo_3[リフィルもついでに買ってきました]

オックスフォード・ストリートのデパート、セルフリッジに入っていることをネットで調べ、出かけてみたらちょうど良いのがありました。確かに値段もスマイソンよりずっと手軽だし、バッグやお財布などキュートで若々しいデザインのものがたくさんあります。パスポート・ケースやバニティ・バッグもほしいなと思うものがありました。日本では通販でしか買えないようですし、ロンドンでもまだ3か所にしか店舗がないようです。ロンドンでちょっと人とは違うプレゼントを探したいと思っている人にはお勧めです。

Photo_4[ギフト用のラッピングもちゃんとしています]

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