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2009年3月 6日 (金)

恋人を作る方法

うめぞうです。

まつこの友人たちが集まる時、ときどきうめぞうにもお声がかかり、お相伴にあずかることがある。両手に花どころか、うめぞう以外は全員、すばらしく魅力的な女性たちとの食事とお酒の席だから、これは目下のところ、うめぞうのもっとも贅沢で幸福な時間である。話題が尽きるいとまもなく数時間があっという間にすぎていく。

そんなときよく耳にする話題というか、嘆きのひとつに「それにしても、いい男、いないよねえ」というのがある。「そうよねえ」と、この話題に関してはめずらしく全員一致、反対意見はほとんど聞かれない。しかもそのさい、うめぞうも一応XY染色体の持ち主であることには誰も気づいていない様子だ。

しかし、考えてみると、ほぼ人口の半分は男だ。一夫多妻も一妻多夫も例外状態であることを考えると、独身女性の数とほぼ同数の独身男性がいるはずで、しかもその男が大半「ダメ男」なんてことは考えにくい。むしろ関係の中で女も男も「いい女」「いい男」となっていくし、また「いい女」「いい男」を作り出していくはずだ。

それでも、お見合い結婚のような形ならともかく、やっぱり心の通じる相手、ぴったりと気持の合う人に出会うのは難しいのではないか、と読者は言うかもしれない。モンテーニュも「愛情と友情ほど完璧に、われわれの自由意思の結果だと言えるものはほかにない」と書いている。友人や恋人の選択が、あくまで自発的なものであるとすれば、そう簡単に誰でもが運命的な出会いを経験できるはずもないということになりそうだ。

ところが、現代心理学は、ちょっと別のことをわれわれに教えてくれる。

最近ライプツィヒ大学の心理学者たちがある調査をした。ミーチャ・バック氏をチームリーダーとするこの研究者たちは、たがいにまだ知りあっていない心理学科の新入生全員に、第一回目の授業だけ、くじ引きで席を割り当てた。ただし二回目以降の座り方は学生の自由に任せた。さて一年後、誰が誰と親しくしているかを調査をしたところ、第一回目の授業でたまたま隣に座った人と一年後に親しくなっている割合が、そうでない場合に比べて有意に高いことが確認された。

もうひとつ別の心理学調査がある。1995年にカルフォルニアの心理学者デイヴィッド・ファンダーが行った調査で、誰かに自分と一番気の合う親友を2人連れてきてもらう。そしてその2人の性格テストを行い、その類似性を数値化する。その結果は、まったくランダムに2人の人間をとりだしたときの類似性の数値と全く変わらなかったという。つまり同じ人間の気の合う親友同士といっても、性格上、特別な共通性があるわけではないということだ。

この2つの調査が示唆しているのは、われわれが誰かの友人や恋人になる時、そこで案外無視できない要因になっているのは、その友人の性格よりも、むしろ偶然的な出会いの機会、もっといえば物理的な距離だということだ。友情や愛情というとついつい精神的な理念に高められてしまうが、もっと具体性や身体性を大切にする必要があるのではないか。

だから恋人を作るためのうめぞうのレシピはこうだ。ともかく誰かの横に座り、声を掛け合う関係を多様化し、豊富化しよう。いろいろな会合、サークル、集会に積極的に参加しよう。そしてちょっと興味ある人がいたら、まずは物理的に近づいてみよう。好きになったら、目を見ながら話しかけ、相手に嫌がられていないことを十分に確認したうえで、いつもより半歩近づいて話してみよう。相手の気持ちが確認できたら、手をつないでみよう。西洋社会の真似をする必要はないが、親子や親友がたえずハッグしたり、ホッペにチュッをしたりする彼らの身体表現をもう少し日本人も学んではどうか。日本人に鬱傾向が多くみられるのは、愛情の表現がそういう身体表現をとらないために、必要以上に言語化され、内省化されるためではないか。若者たちが、近くにいる友人と携帯を通じて話をするなんて、どうみても、人間の本能に逆らっている。

まつこは、うめぞうのことを、よく「おサルさん」と言う。「おサルさんは困ったものだねえ」と迷惑顔をされるときもあるが、「おサルさんはいいわねえ」とうらやましがられることもある。われわれは、もっと自分たちがサルであった時のことを思い出すべきだ、というのが、うめぞうの常日頃からの主張なのだ。生命進化の歴史をふりかえれば、それはそれほど昔のことではなく、人間のDNAはそれからほとんど変わっていないのだから。

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コメント

うめさんのブログに初コメのふぐです。先日は飲みに行けなくて残念でしたいつかまたこちらから江戸に参上したいです。ところで今日のテーマ、うめさんのいつもの哲学講座とは一味違いますね。私もこの「距離の関係」には大賛成です。人の脳は複雑な構造のように見えますが、実は単純なんとちゃうか?って思います。
いつでも会える距離に存在する人が「縁」のある人っていう文章をある時たまたま読んでこれまでの発想を変えた昨秋、不思議な偶然でずっと音信普通だった今の相棒(元Arbeitskollege)に再会しました。
でもうめさんがおサルさんとは知らなかった やはり見ザル言わザル聞かザルの対極でしょーか?(笑)

そうですか。もと同僚との再会だったんですか。それじゃあ、ほんとにフグさんのご縁は、今回のブログのよき実証例ですねえ。
私は哲学が好きですが、哲学の現実離れは好きじゃないので、哲学といっても、ドイツ観念論より、プラグマティズムを愛しています。
でも最近は、カントをプラグマティズムに近づけて読もう、なんていうのが流行になってきたので、じつにうれしいことです。
最近は、まともな哲学者は本当はみんな現実主義者だったんじゃないかとすら思えてきました。ただ、書き方がやたらと抽象的でねえ。あれはなんとかせなあかん。
今度、二人でぜひ江戸に上ってきてください。

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