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2009年3月 8日 (日)

視界に入っても見えないもの

まつこです。

いつもどおり新潟で週末を過ごしています。うめぞうは広島に行き、ご先祖のお墓の処分をしています。うめぞうのお父さんの生まれ故郷は広島なのですが、70年以上も前に郷里を離れ、信仰も変えているので、関東地方に別に墓地を購入しました。そこで広島のお墓を処分することになったのですが、お墓の処分というのもなかなかお金がかかるようです。スピリチュアルな面ではお寺にお金をおさめ、マテリアルな面では石の撤去のために石屋さんにお金を払います。宗教は不況知らずの第三次産業です。

Photo_2

[花を撮影するときは、ミツバチに注意]

さて、こちら新潟は毎週ごとに少しずつ春の気配が濃くなっています。庭を歩いていると黄色い沈丁花が目に入ったのでカメラを持って近づくと、ブーンブーンとミツバチの羽音がします。よく見ると、何匹ものミツバチが花の中を出たり入ったりしていました。

Photo_3[これはたぶん雪割草?]

日陰の目立たないところに、一輪だけ小さなうす紫色の花が咲いていました。写真を見せて母に聞いてみると、おそらく雪割草の一種ではないか、とのこと。「台所の窓の下に咲いていたんでしょう? あれ一輪しか咲いていないのよね」と言います。こういう記憶は比較的確か。

しかし、最近忘れやすいのは「ニボシ」です。私が一人で泊まりに来ている時には、朝ごはんのお味噌汁は母に作ってもらうようにしています。母は従来、お味噌汁のダシはニボシ派だったのですが、どうも最近、妙にさっぱり、物足りない味。「ママ、このお味噌汁、ダシだしたの?」、「あ!忘れちゃったわ」ということが多くなりました。

対策として、キッチンのいつもの置き場所以外に、複数の引き出しや棚にニボシの袋を置いておくことにしました。いろんなところにニボシがあれば、いやおうなく視界に入って、「あ、そうそうニボシ!」と思いだすかな、と期待したわけです。

でもこの作戦、今のところあまり功を奏していないようです。母の様子を見ていると、視野に入っているものから、見たいものとか、見ようとするものだけを選んで認識しているみたいです。頭の中からニボシの存在が消えていると、いくら目の前にニボシがあっても見えない。そういえばうめぞうの友人で眼科医のマサルくんも、物を見るのは脳というようなことを言っていました。

先日、日本料理の名店「分とく山」(注:行ったことありません)の料理長さんが、ダシは多すぎるとおいしくない、引き算こそがおいしい料理を作る秘訣、と書いておられました。「ニボシのダシが出ていなくても、ダイコンやネギの滋味を味わえばよいのだ。これが分とく山風お味噌汁だ」と思いながら、朝ごはんを食べました。

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コメント

「脳が見る」ということに関しては、昔読んだ、岩田誠『 見る脳・描く脳―絵画のニューロサイエンス』という本がすごく印象に残っています。おすすめですよ。まだ出版されているみたいですし。

wombyさん、コメントありがとうございます。岩田さんの本、面白そうですね。味や香りを認識するのも脳ならば、ワインもやはり脳が飲んでいることになるのでしょうか?こちらの3月は、宴会が多いです。

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