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2009年2月

2009年2月28日 (土)

女子の文学

まつこです。

今週は一人で新潟に来ました。電話で母が「編み物の仕方がよくわからなくなった」と言っていたので、この数日間に認知症が進んでしまったのかと懸念しながら来たのですが、それほど大きな変化はなくホッとしました。認知症というのは見ているとPCのハードディスクの不調とちょっと似ています。少し動きが重くなったり、急にフリーズしたりする古いPCも、余分なソフトを削除したり、いらないファイル消したりすると、またしばらく使い続けられます。編み物も、毛糸のつなぎ目みたいたなところを一緒にやってあげたら、そのあとせっせと編み始めました。セーフモードでできるだけそっとがんばってもらいます。

こうして毎週、新潟と東京を行ったり来たりしていますが、その行き帰りの新幹線の中ではよく雑誌や軽い読み物を読みます。今週は、新幹線の中でSophie Kinsella(ソフィー・キンセラ)のRemember Me? (『リメンバー・ミー?』)を読み終えました。いわゆる"Chick Lit"(チック・リット)と呼ばれる若い女性向けの通俗小説の一冊です。実はまつこはChick Lit愛読者なのです。

Photo[表紙のデザインがカラフルで派手なのもChick Litの特徴です]

"Chick"はもともと「ひよこ」という意味ですが、そこから「かわいこちゃん」というような、若干、俗な言い方で若い女性を指す意味で用いられるようになりました。"Lit"は「文学」"literature"を短くした言葉です。『ブリジッド・ジョーンズの日記』や『セックス・アンド・ザ・シティ』あたりから始まり、この10年ほどに、若い女性を主人公とし、若い女性を読者とする、若い女性によって書かれた物語が次々と出版され、どんどんと売れるという現象がおきました。

若い女性ですから当然、恋愛が大きなテーマとなります。しかし従来のハーレクィン・ロマンスなどと違うのは、登場する女性たちが、職業を持って経済的に自立しており、多くの場合、マスメディアや金融業界などで働く都市生活者であるということです。必然的に彼女たちの恋愛模様とともに、きわめて活発な消費生活が描かれます。

今回のキンセラのRemember Me?も主人公は室内装飾からビルシステムまで扱う会社の一部門を率いる女性ボスです。ハンサムな夫はロンドンで高級ロフトの取引をするデベロッパー。ところが交通事故にあってしまい、記憶を失ってしまいます。さえない安月給の独身OLだった3年前までのことは思い出せるのだけれど、キャリアの階段を急速に駆け上がり、グラビアそのままのような高級フラットで結婚生活をするようになった経緯をまったく忘れてしまったという設定です。

なぜワードローブにアルマーニのスーツがずらりと並んでいるのか、なぜ免許を持っていなかったはずなのにベンツのコンパティブルを持っているのか、なぜルイ・ヴィトンのバッグやダイアモンドがたくさんあるのか、なぜディオールの化粧品がぎっしりと引出しにはいっているのか。全然思い出せない・・・という具合に、商標名が次々に出てきます。ちょっと商品カタログを見るような楽しみがあるのがChick Litの一つの特徴です。

もうひとつ従来のロマンスとChick Litの違いは、フェミニズムの波に洗われた後の女性たちの持つセルフ・アイロニーや批判精神がほどよく取り入れられていることでしょう。甘いロマンティックなハッピーエンドが必ず用意されていたロマンスに比べ、Chick Litの場合は男性への幻滅やキャリア志向の挫折などが、しばしばモチーフとして利用されます。

Remember Me?でも不動産バブルに沸くロンドンを舞台として、金に糸目をつけずに高級マンションを売買することへの疑問や、経営合理化をはかるために不採算部門を閉鎖していともあっさりと人員整理をする企業への批判が盛り込まれています。作者のキンセラはもともとファイナンシャル・ジャーナリストだったので、世界同時不況の気配を察知し、恋愛小説の中にもその危機感を取り込んだということなのでしょう。

現代の女子は恋愛もし、キャリアも積み、消費文化を楽しみながら、社会経済について批判精神も持っているというわけです。そんな働く現代女子の生態を描いたChick Litが、バブル経済が世界的にはじけた今、これからどんなトレンドに向かうのか、ちょっと関心を抱いています。

追記:キンセラの作品には"shopaholic"(お買いもの中毒)のレベッカを主人公にしたシリーズがあります。こちらは邦訳もあるようです。シリーズ第1作The Secret Dreamworld of a Shopaholicは映画化もされました。『お買いもの中毒な私』として5月に日本でも公開予定とのことです。

2009年2月25日 (水)

遺伝子との付き合い方

うめぞうです。

「できまさる」友人の眼科医のことは前に紹介したが、この友人の話によると、遺伝子が、いろいろな病気の発生や寿命に及ぼす影響力は、これまで予測していた以上に大きなものらしい。とはいえ、この種の話には落とし穴も多いから要注意だ。

少し前に、夫婦関係の成功率を左右する遺伝子についての記事を読んだ。PNAS(米科学アカデミー紀要)電子版に載ったスウェーデンの研究者たちの研究というから信用できるものなのだろう。アルギニン・ヴァソプレシン(AVP)という脳神経伝達物質の受容体生成にかかわっているAVPR1Aという遺伝子の一部にRS3-334という塩基配列を2本持つ男性は、そうでない男性に比べて、離婚率、独身率ともにほぼ2倍だったという。

また、別のところで聞いた話だが、次のようなデータがあるそうだ。以下の条件を満たしている場合、その条件を満たしていない場合と比べて寿命はどれだけ伸びるか、という調査だ。ここはひとつクイズ形式で皆さんにも考えていただこう。以下の(  )の中に、次の数字のいずれかを入れていただく。ただし寿命が延びる場合は+の数字を、短くなる場合には-の数字を入れることにする。

+6、+4、+2、-2、-4、-6

1)週に5回、30分以上の運動を続けた人は、そうでない人と比べて(  )年長生きする。

2)独身者は既婚者と比べて(  )年長生きする。

3)年収1千万円以上だと、それ以下の場合に比べて(  )年長生きする。

4)大学院卒の人は、そうでない場合と比べて、(  )年長生きする。

5)祖父母が2人とも80歳を超えた人は、そうでない場合と比べて(  )年長生きする。

6)一日10時間以上眠る人は、そうでない人と比べて(  )年長生きする。

さて、うまく数字が入っただろうか。正解は末尾に記しておこう。

さて、そこで本題である。こうした研究は世界中で競うように行われていて、10年後、20年後には、髪の毛一本、血液一滴で、その人の将来の寿命から、離婚率、各種の病気の発生率などが、ある程度、統計的にはじき出せるという時代がくるかもしれない。いや、技術的にはすでに可能になっているのだろう。この進歩自身はおそらく止められないし、研究自体を禁止することには、うめぞうは反対だ。しかしそれだけに、この進歩とわれわれがどうつきあっていくかは、われわれの側でよほどの見識と覚悟をもって考えておく必要がある。知る勇気と同時に、知りえても、あえて知ろうとしない勇気もまた必要となるだろう。

特に気をつけなければならないのは、科学的データの読み方である。たとえば、ある遺伝子の塩基配列がAという特徴をもっていると、そうでない場合と比べてBという疾患が約2倍の確率で出現する、という科学的成果が出たとすると、新聞はすぐに「AがあるとBになる?」などと書きたてる。しかし通常、そこにはAという特徴とBという疾患の通常の出現率までは書かれていない。0.001%の罹患率が0.002%の罹患率になれば、たしかに2倍にはなっているが、それほどおそれる必要はない。そのほか、調査方法やサンプル数などにも注意が必要だ。上のAVPの話も、サンプルはスウェーデン人男性500人余りを対象にした調査にすぎない。しかも浮気は考察外である。はたして日本で、イタリアで同じ結果を得られるかどうか、はなはだ疑わしい。

もうひとつ重要なことは、人間の遺伝素質というのは、ほとんどの場合、ある環境に対しての個体の反応形式を規定しているだけで、環境そのものや、最終的反応結果を規定しているわけではないということだ。かりに肥満遺伝子というものがあったとしても、それは同じカロリーを摂取したときに、より多くのものが体内脂肪として蓄積される傾向を示しているだけで、その人が摂取するカロリーまで遺伝子が決めているわけでなない。結果として肥満になるかどうかは、まったく別問題なのである。

さて上のクイズの正解は1)+4、2)-6、3)-2、4)+2、5)+6、6)-4。

うめぞうが意外だったのは、眠りすぎがもつマイナス効果。年収も1千万をこえるのはどうもよくないらしい。ふむふむ。これはいけそうだ。遺伝子は変えられないとすると、やはり結論的には運動が長生きの秘訣か。

2009年2月23日 (月)

新潟スローフード

まつこです。

ウメマツ、新潟で今週はたいへん平穏な週末を過ごしました。母はラジオを聞きながらリビングで編み物。ラジオのほうがテレビより集中して聞くので内容が頭に入りやすいそうです。うめぞうは奥の和室にノートパソコンを持ち込み仕事。まつこは食事の支度や買い物、合間に自室で本を読んだり、こうしてブログを書いたりして過ごします。

特記すべき出来事がないので、今日は新潟の食べ物の紹介をします。まつこは地元のスーパーで買い物をするときには、できるだけ新潟産のものを選んで買い物をするようにしています。全国的な現象ですが、この20年ほどで地方の中小都市はすっかり活気を失ってしまいました。大規模店舗の出店で昔の商店街はシャッター通りと化し、高齢者世帯が増え、行政主導の企業誘致もあまり効果を上げず、「あきらめムード」が人気の少ない駅前に漂っています。

そこできわめて微力ではありますが、地産地消、地元の農作物や水産物を食べて、地域経済に貢献しよう・・・。などという大げさなことではなく、実を言えば、単純に地元産の農水産物のほうが食べてみたら圧倒的においしかったので、「新潟産」を選ぶようになったというだけです。当たり前ですが、産地からの流通の時間やコストがかからない方が、新鮮で安いものがいただけます。

Photo_8[甘エビ] まずは佐渡で採れた甘エビです。殻をひとつずつむくのが、ちょっとめんどくさいのですが、東京のスーパーで殻をとって売っているのとは、だいぶ味が違います。つやつやとピンク色に輝き、もっちりとした身に、しっかりとした甘味があります。

Photo_2[メバル] 次は柏崎沖で釣れたメバル。「釣り針がついている場合がありますので、ご注意ください」と注意書きがあったので、たぶん一本釣りなのですね。鮮魚売り場のお兄さんが鱗や内臓は取ってくれるので、調理は簡単です。煮魚にしていただきました。生姜を入れて煮ましたが、新鮮で魚の臭みがないので、味はあまり濃くしない方が魚の身のうま味が味わえるような気がします。

Photo_3[えご] 次は加工品ですが、出雲崎の「えご」です。「えご」というのは海藻で作ったねりものです。ねっとりとした歯ごたえがあり、海の香りがふんわりします。辛子酢味噌でいただきます。うめぞうの好物です。

Photo_4[栃尾のあぶらげ] 厚さ3センチくらいある特大の油揚げです。フライパンで弱火で軽くあぶると、パリッとします。薬味をのせて、お醤油をさっとかけていただきます。シンプルですが、おいしいです。

Photo_5[断面はこんなに厚い] 厚みがあるので、皮のパリッとした食感と、中のしっとりとした食感が同時に味わえるのでおいしいのだと思います。

Photo_6[生産者限定の産直野菜] さらに究極の地産地消、ママが裏庭の家庭菜園で作った野菜が加わります。この季節は雪の中で育った青菜です。雪の中で育った野菜は甘味が強いと言われています。確かにえぐみが少なくおいしいです。

近所の農家のおばあちゃんからダイコンやハクサイなどの野菜もよくもらいます。スーパーで野菜を買う時も、レンコンや里芋も新潟産という表示のものを選んで買います。こうして地産地消を心がけると、加工品ではなく生の素材を買うことが増えます。おのずとスローフードを実践することになります。東京ではさっと作れるスピード料理ですが、新潟ではじっくりスローフード。もちろん地酒も一緒にいただきます。地元経済のためと言いながら、一杯、さらにもう一杯・・・。ほろ酔い気分のまつこです。

2009年2月22日 (日)

サンダーバード

まつこです。

「サンダーバード」と聞いて、思い浮かべるものは何ですか?岩山の割れ目から飛び立つ戦闘機(みたいなの)、力強くうなづく操縦士、「サンダーーバーード・・・」という主題歌を思い出した方もおられるでしょう。そういう方はまつこと同世代あるいは年上の人ですね。若い人は「それなあに?」って感じでしょうが、1960年代にテレビで放送されたSFの人形劇です。

『鉄腕アトム』などと同様、科学技術と人類の関わりをテーマにしており、人間が科学の進歩を制御しうる未来を楽天的に信じていた20世紀半ばの時代風潮を反映しています。頭脳明晰、運動神経抜群で、正義のために戦う、勇気をもった理想的な人々(の人形)が登場します。

その名前を冠した特急列車がJR西日本にあります。金曜日に京都出張だったうめぞう、仕事の後に、大阪発金沢行きの「サンダーバード」と金沢発新潟行きの「北越」を乗り継いで、新潟までやってきました。

Photo_3[新潟、また雪が積もりました]

湖西線を北上する車窓から琵琶湖を眺めていたうめぞう、ひらめきました。「サンダーバードというのは雷鳥やね!」この「・・・やね」というのは金沢弁のようです。最近、うめぞうは興奮するとときどき金沢弁が出てきます。1960年代、鉄道の電化が進み、SL列車が廃止された頃に北陸線を走り始めた特別急行列車が「雷鳥」でした。金沢の少年うめぞうにとっては、「雷鳥」は新鋭機種だったのです。

国鉄が分割民営化されたのち、1990年代に「雷鳥」は「サンダーバード」と改名されました。雷鳥を「雷→サンダー」と「鳥→バード」と1文字ずつに分けて直訳する言語感覚、科学技術の理想を具現した「サンダーバード」のかっこよいイメージ、これらを併せ持つのが1960年代の少年たちです。おそらくJR西日本の社員の中にいる、そんな元少年(今おじさん)が思いついた命名なのでしょう。

新幹線では車窓から景色を眺めるという気分にはあまりなりませんが、たまには在来線に乗るのんびりした旅も良いものです。地方色や時代を反映した列車名に想いをはせるのもそんな旅の楽しみの一つですね。

2009年2月18日 (水)

ヒラリーは来たけれど

まつこです。

昨晩の続きです。

Photo[このキャンパスの中でタウンミーティングをやっていました]

NHKのニュースで東大でのタウンミーティングの様子が少し報道されました。それを見てまつこ、三度目のガッカリ。質問した学生の英語がつたなかったことよりも、質問の内容が小学生のようにナイーブであることに失望しました。国際的な舞台で活躍する指導者が来訪するのですから、できるだけ意義のある回答を引き出せるように、あらかじめ質問を募って、その中から質問者を選んでおくというような準備を主催者はしておくべきだったのではないでしょうか。

せっかくアメリカの国務長官がやってきたのですから、世界の現状や未来について若者が多少背伸びをした質問をする――。そんな議論の土台を作る努力を教育現場はするべきですね。その議論の土台に乗るためには、おのずと求められる英語力のレベルも高くなるはずです。「ヒラリーさんみたいに強い女の子になりたいわ」くらいの内容だったら、中学生レベルの英語で十分。

政治家にも、大学生にも、教師にも、大人にも子供にも、それぞれ求める要求水準をもう少し高くすべきなのでしょう。お互い甘やかしあっている間に、こんなふうになっちゃったのかな、と朝から嘆いているまつこです。

2009年2月17日 (火)

ヒラリーがやってくる!

まつこです。

夕食の支度をしていると、窓の外から右翼団体の街宣車から発するものとおぼしき大きな音声が聞こえてきました。なかなか遠ざかっていきません。「日米同盟をさらに強化し・・・」という言葉が繰り返し聞こえてきたかと思うと、大音響でアメリカ国家が流れ出しました。やがて「ただいまより国務大臣ミセス・ヒラリー・クリントンがご当地にやってきます・・・」という声が聞こえました。

まさか、と思いながら窓の外をみると、たいへんな人だかり。警備の警察官も相当な数です。「うめぞう、ほんとにヒラリーが来るみたいだよ!」と、まつこはやや興奮気味に、うめぞうを誘って外に出て、群衆の中に混じって、ヒラリーの到着を待ちました。

Photo[ヒラリーの到着を待つ人々]

いつもは静かな本郷界隈。ご近所のお店の人たちや、同じマンションの奥さんたちも、街頭に出ています。まつこはNHKと日テレのカメラマンに挟まれた、なかなか良いポジションを確保し、じっと待つこと10分、20分・・・。なかなか車列は現れません。ときどき街宣車から「日米同盟強化」「国務大臣ミセス・ヒラリー・クリントン歓迎」という同じ言葉が流れるだけ。

やがて私の前にいた日テレの記者が、「ここは右翼団体がいるので、クリントンさん、別の入り口から入ったそうです」と連絡を受け、日テレのカメラマンたちは撤収。まつこもガッカリしてその場を去りました。でも部屋に戻ってしばらくしたら、外が騒がしくなり、長い車列が東大農学部の中に入っていくのが見えました。日テレの情報が違っていたのね。まつこは二度ガッカリ。ま、一目見てみたいという野次馬根性だけだったのですが。

それにしても中川大臣の醜態が世界で配信され、情けないというか恥ずかしいというか、日本の社会への不安を改めて強く感じる一日でした。ヒラリー・クリントンとのタウン・ミーティングに集まった学生の中に、気概を持った若者が一人でも多くいてくれるようにと願わずにはいられません。街宣車から流れるアメリカ国家を聞きながら、あれこれ思いをめぐらせ嘆息をもらしたまつこでした。

2009年2月16日 (月)

おばあちゃん力

まつこです。

今日の新潟は冬に逆戻り。うっすらと白い雪がベールのように庭を覆っています。

Photo[今朝はみぞれまじりの雪]

雪とまつこが東京に戻る日という悪条件が二つ重なり、ママは元気がありません。月に2度参加している近所の老人体操教室も、昨日は張り切って参加する気になっていたのですが、今朝は休むと言い出しました。「行きたくなかったら休んだらいいんじゃない。でもがんばって行ってきたら気分良くなるよ」と、励ますでもなく、慰めるでもなく、てきとうに曖昧な態度で接していたら、「病欠」であることを主張するために、「風邪気味だからベッドで休む」と寝室にひきこもってしまいました。やれやれ。まあ、お昼ぐらいまで寝かせておきましょう。

Photo_2[母のベッドの上の本]

昨日、母の寝室の掃除を手伝っていたら、ベッドに私が買ってきてあげた本が置かれていました。一冊は『佐賀のがばいばあちゃん (徳間文庫)』。以前、ネットで認知症の人でも楽しんで読んだという記事を目にし、母のために選んだものです。昨晩、私も借りて読んで、思わず目頭を熱くしてしまいました。貧乏でも明るくたくましいおばあちゃんの前向きな生き方、まだ日本が貧しかった時代に生きていた人達の人情、母親と少年の心の結びつきなど、つぼを押さえています。

もう一冊は『思うとおりに歩めばいいのよ―ターシャ・テューダーの言葉 (ターシャ・テューダーの言葉)』。写真がきれいですし、写真に付けられたメッセージもそれぞれ短いものなので、記憶力が衰えていても、これなら読めるのではないかと店頭で見つけて選んだ本です。これも母にはちょうどよかったようです。毎晩、適当なページを開いては、写真とメッセージを楽しんでから就寝しているそうです。「とても穏やかな素敵な生き方ねぇ」と感心しているので、「ママだって、冬は編み物やって、春から秋は庭と畑の手入れやっているんだから、ターシャ・テューダーとそれほど変わらないわよ」と言ってあげたら、ちょっとうれしそうでした。

二冊ともしなやかでたくましい「おばあちゃん力」を描いた本です。明るく笑い、日々の変化をいつくしみ、穏やかに老いを受け入れる、そんなおばあちゃんにいつか私もなりたいものです。

2009年2月15日 (日)

春はそこまで

まつこです。

新潟も今日は春めいた一日でした。母は早く編み上げないと春になってしまうと焦って、一心不乱にマフラーを編んでいます。何か仕事がある方が、気持ちが落ち着くと言うので、ほぼ毎週、毛糸を買ってきてあげています。

Photo_10[春のような一日、盆栽の梅を庭に出して日に当ててみました]

しかし、最近、ちょっと調子が落ちていて、編み目が不ぞろいになっていたり、編み方が狂ってしまったりということがしばしばあります。やや出来そこないのマフラーを見て、ママは不本意そうな表情を浮かべます。そんなときは、「大丈夫よ、首に巻けばわかんないわよ」と明るく励まします。

認知症というと、一方的にどんどん悪化する病気のようなイメージがありますが、母を観察していると、日々、あるいは一日のうちにも、調子の良し悪しがあります。今のところマフラーの編み上がりの出来不出来が、体調レベルの指標になるようです。自信を失うと、どんどん悪循環に陥るので、自己評価の下がっているときは、とにかくほめます。「あらー、きれいにできているじゃない!」「きれいな色ねー、私の黒いコートに合うわよ」などなど。

学生やうめぞうも、こうして少しほめてあげたほうが教育効果が上がるんだろうなと、日頃のわが教育方針の厳しさを、ちょっと反省。

Photo_8[庭の片隅のふきのとう]

春のような日差しの中を庭に出てみると、片隅にふきのとうが出ていました。ふとまわりを見ると、あそこにも、ここにもふきのとうが顔を出しています。雪国にも春がそこまで近づいてきているようです。

2009年2月14日 (土)

アラカンの集い

まつこです。

昨晩、うめぞうの金沢時代の友人たちが我が家に集まりました。まつこも仲間に入れてもらい、楽しいホームパーティとなりました。職場でそれぞれ責任を担い、若い人たちを率いて、要となる立場にいる世代ではありますが、こうして昔の仲間で集まれば、気持ちはティーンエイジャーに戻ります。うめぞうがまつこに隠していた過去のエピソードも披露されました。

Photo_4[大いに飲んで、大いに食べて、大いにしゃべる!]

一同の中心のアイドル的な存在のマキちゃん。高校受験を前に、マキちゃん理科系の科目でやや苦戦気味だったのだそうです。そこでうめぞうはマキちゃんのご両親のところまで出かけ、「同級生で理数系に強いタニ君を家庭教師として派遣します」と、申し出たのだそうです。タニ君は心ひそかにマキちゃんにあこがれていました。タニ君が正々堂々とマキちゃんの家を訪ねる理由ができ、マキちゃんの数学の成績もアップすれば、「一石二鳥」と踏んだわけです。うめぞうは中学生の頃から、親切で世話好きなおばさんのような男子だったんですね。

大人になっても、こんなパーティで盛り上がるのは、やはり恋愛談議。マキちゃんの妹マリちゃんは独身。マリちゃんの恋の行方にみんな興味津々。静かな紳士ゴローくんは、じっくりと長年観察を続け、やっぱり東京の女の子より同郷の女の子がいいと確信したそうです。金沢で秀才の誉れ高かったマサルくん(金沢では「優秀」な人を「できまさる」と言うそうです)。マサルくんは端正な顔立ちの眼科医です。うめぞうのお母さんも、以前、診察をしてもらったとき、「マサルくんはうめぞうより若々しくてハンサムだ」と言っていました。ですが本人いわく、「それほどもてない」そうです。眼科医なので、患者さんはみんな目が悪いのかもしれません。

こんなふうにワイワイ楽しいおしゃべりで盛り上がりました。うめぞうと同級生たちは、みなそろそろ還暦。この元気な「アラカンの集い」は深夜、日付が変わるまで、陽気に繰り広げられたのでした。

2009年2月13日 (金)

この人の亡霊に会いたい

まつこです。

先日、うめぞうが聖書についての記事を書いていましたが、うめぞうがイエスのように「復活」したら「まずはまつこに会いに来る」とのこと。でも我々俗人の場合は、「復活」ではなく「幽霊」とか「おばけ」というべきでしょうね。うめぞうのおばけはあまり怖くはなさそうですが、「ちゃんと野菜を食べろ」とか「運動不足はよくないぞ」とか、口うるさそうな気がします。

あの世から配偶者が幽霊になって戻ってきたという状況を、コミカルなドラマに仕立てあげた作家がいます。イギリスのノエル・カワード(Noel Coward)という劇作家が書いた『陽気な幽霊』(Blithe Spirit, 1941)です。カワードは男女の微妙な心理をウィットのきいた軽妙洒脱な会話で描くのを得意としていました。

Photo[劇作家ノエル・カワード、なかなか素敵でしょう?]

作家チャールズは一人目の奥さんエルヴィラを7年前に亡くしましたが、ルースと再婚し、執筆活動も順調で幸せな生活を送っていました。ところがある晩、小説の題材にしようと霊媒師を呼んで降霊会を開いたらエルヴィラの幽霊があらわれてしまいました。チャールズをめぐって、一人目の妻と二人目の妻の三角関係が繰り広げられることに・・・。

設定は荒唐無稽ですが、小気味よく繰り広げられるおしゃれな会話を通して、プライドの高い男女の心の中に隠れていた嫉妬や虚栄心が、滑稽に浮かび上がってきます。知的で成熟した二人目の妻ルースですが、実は、前の奥さんへのライバル意識が心の中にたっぷり隠れています。エルヴィラの亡霊が出てきてしまったのは、降霊会の前にチャールズにルースが先妻についてあれこれしつこく質問していたことが原因です。

ルース:「前の奥さんの方が私よりきれいだった?」

チャールズ:「そんな質問はつまんないし、どんなふうに答えてもその答えは間違いってことになるだろ」

ルース:「あら、子供っぽいのね。前の奥さんの方がきれいだったら、私が気にすると思っているの?」

チャールズ:「女はみんな気にするだろう。それとも女性心理についての僕の理解は古すぎるのかな。」

ルース:「古いって言うより、思考が単純なのよ。あなたが別の女性に魅力を感じたら、エルヴィラなら気にするでしょうけど、同じ欠点が私にも当てはまるとは限らないのよ・・・」

こんなふうに男女の恋愛感情の機微を巧みに描いたカワードですが、実は本人はゲイでした。劇作家でありかつ俳優。作詞、作曲もし、甘い歌声も残っています。そしてめちゃくちゃハンサムでめちゃくちゃファッショナブル。こんなノエル・カワードの亡霊が現れたら、甘くほろ苦い片思いをしてしまいそうだな、と思うまつこでした。

陽気な幽霊 [DVD]:デイヴィッド・リーンが監督した古い映画がDVD化されています。結末は舞台の芝居とはとちょっと違っていますが映画の脚本もカワードが書いています。

2009年2月10日 (火)

スーツケース騒動

まつこです。

昨日、職場でぽにょがゴーギャンに「スーツケースを買い取ってもらえないか?」と聞いていました。ゴーギャンというのはやはり女性の同僚の一人です。まつこがゴーギャンに初めて会ったのは真夏のとりわけ暑い日でした。すらりとした長身、腰まで伸びたまっすぐな黒髪、パレオみたいな長い腰巻風スカート、その姿を一目見て、私は「ゴーギャン」というあだ名をつけました。

ぽにょが売ろうとしているスーツケースはリモワの黒の大きいやつです。身長がそれほど高くないぽにょには大きすぎたのだそうです。「もう少し小さいの買えばよかったわ。この間、ヒースローで20キロを超えていたから1万円くらい超過料金取られちゃった・・・」と言っています。実は、まつこもリモワのスーツケースで苦い思いをしたことがあります。デュッセルドルフの空港で2万円以上の超過料金を取られました。

Photo[ぽにょと色違いのスーツケース]

たいていエコノミークラスで旅をする私たち。荷物は20キロの制限が付いています。この数年、重量制限が厳しくなっているようです。ただなんとなく成田では、「次回からお気をつけください」と言われてお目こぼししてもらえることが多い気がします。しかしアングロサクソン女やゲルマン女は気の毒そうな表情一つ浮かべずに、「ルールはルールです」と超過料金を請求する厳格さがあります。

リモワのサルサというシリーズはポリカーボネート製で、多少、中身が増えて歪んだ形になってもへっちゃらです。何よりもその軽さが魅力です。しかしその長所ゆえに、ついついたくさん詰め込んでしまい、結果として制限を超えてしまう危険があるのです。

私の赤いリモワには、さらにもう一つ苦い思い出があります。初使用の際、うめぞうがダイヤルロックの設定の仕方をよく読まずにロックしてしまい、暗証番号がわからなくなってしまったのです。

これを買ったのはロンドンで長年使っていたおんぼろスーツケースにひびが入った時です。買い物で荷物も増えていましたし、さらにドイツにも回る予定だったので、念のためもう一つスーツケースを買うことにしました。ロンドンのホテルで荷物を詰めて、さあ、出発という瞬間に、うめぞうが「暗証番号をちゃんと決めないうちにロックがかかってしまった!」と言い出しました。

さあ、ここでまつこの反応は次の3つのうちどれだったでしょう?

1)なんでちゃんと説明書読まなかったの?昨日買ったばかりなのよ!着替えも化粧品もみんな入っているのよ!ドイツでどうするのよ!・・・とガミガミどなりまくる。

2)えっ、と絶句した後、しくしく泣き始める。

3)うめぞうのあまりのマヌケぶりに思わず吹き出す。

正解は3)です。笑いながら「ま、ドイツに行ってからなんとかしようよ。いよいよとなれば、ファスナーを切り裂けば、中身は出せるよ」と開き直ったのでした。決して、これはまつこが寛容だからではありません。前日に、ハロッズとハーヴェイ・ニコルズと三越で値段を見比べて、一番安かった三越まで再び行って買ったものです。日本円で数万円。しかし、ここで喧嘩をして雰囲気が悪くなったら、旅行全体がおじゃん。損失はそちらの方がはるかに大きいのです。冷静な計算にもとづく余裕です。

しかし怒られる覚悟を決めていたうめぞうは、ますます、焦りました。そして「3桁だから組み合わせは999通りしかない。一つ一つしらみつぶしにやってみる」と言い出しました。000、001、002・・・「やったー!」。比較的小さい数字だったので、地下鉄の駅で空港に行く電車を待つうちに行き当たりました。やれやれ。以来、その数字を暗証番号として使っています。

Photo_2[暗証番号の数字がわかった瞬間。最初の数字はゼロです。指の形が証拠です]

そしてドイツ――。ドイツでうめぞうは、糖尿病の叔母のために、低血糖になったときに舐めるブドウ糖タブレットを大量に買いました。日本で買うよりはるかに安いのだそうです。何十袋も買い込んでリモワのスーツケースにぎっしりと詰め込みました。そして空港で超過料金を取られるはめに・・・。安いブドウ糖タブレットは、この瞬間、きわめて高価な「舶来キャンディ」に変わってしまいました。

2009年2月 9日 (月)

マルタとマリア

うめぞうです。

前にも書いたがうめぞうには躁鬱の傾向がある。ここ一週間は、どうもまつこのプチ鬱が感染したらしく低迷中である。ただし、季節も大いに関係しているようで、梅がほころび、彼岸を迎えて沈丁花が薫ってくる頃には再び高揚期に入る。そんなわけで、今日はお笑いネタではなく、ちょっと趣向を変えて聖書の話である。

ルカ伝10章には、聖書の中でも最も感動的な話のひとつである「よきサマリア人」の話がのっている。それに続いて紹介されているのが、今日取り上げるマルタとマリアという姉妹の話である。

聖書にはマリアという名前の女性がいろいろ出てきてまぎらわしい。まずはイエスの母親のマリア様。これは一番有名人なのでわかりやすい。あとはマグダラのマリア、マリア・マグダレーナという女性。ちなみに、母親のマリア様は、絵画ではたいてい紺色系のマントを羽織って登場するが、マグダレーナさんのマントは朱色系が多い。このマグダレーナさんは、どうもイエスの恋人、ないしは妻だったんじゃないかという説もある。ダビンチの最後の晩餐でイエスの横にいるのも、使徒ヨハネじゃなくて、マグダレーナだったという人さえいる。なにしろ復活したイエスが、12人の弟子たちをとびこして、最初に会いに来られた人だ。不謹慎な類推を許していただけるなら、やはりうめぞうだって、復活したらまずはまつこに会いに来るにちがいない。ただ、うめぞうの場合は気が弱いから、まつこの横に男がいたりすると、すごすごと冥界に戻っていくかもしれない。自分よりいい男でもなんか面白くないし、自分よりブ男だと、もっと腹が立つ・・・。うーむ。

本題に戻ろう。あとは、ヨハネ伝8章に出てくる罪の女。学者や宗教指導者たちが、姦通罪で捕えられた一人の女性をイエスの前に引き出し、「モーセの律法によれば石打の刑で殺すべきではないか」とイエスに迫る。ここでのイエスの答えは、新約聖書のハイライトのひとつだろう。「なんじらのうち、罪なき者、まず石をなげうて」。すると一人一人、その場を立ち去って誰もいなくなる。そしてその女性にイエスは「われもなんじを罪せじ。ゆけ、この後ふたたび罪を犯すな」と言う。あるいはルカ伝7章には罪あるひとりの女(これも姦通や売春を示唆する表現)がイエスの足を涙でうるおし、自分の髪でこれを拭い、口づけして香油を塗ったという記事がある。自分の涙と髪で先生の足を拭い、今でいえば超高級香水で、おみあしを清めるというのは、尋常ならざる感謝と情愛の表現だ。

この女性こそ、あのマグダレーナだったんではないかという説は昔からあって、実際グレゴール一世という教皇が認めたこともある。そんなわけで、たとえばかつて売春などで生計を立てていた女性たちの援助更生組織などにマグダレーナの名前が使われたことがよくある。また絵画などでは妖艶な娼婦の姿で登場することもある。

そして第三のマリアが、今日取り上げるベタニアのマリア。ラザロという兄弟とマルタという姉がいる。ヨハネ伝11章によると、これはあの髪の毛で足を拭い、イエスに香油を塗った女性だと説明されている。となると、マグダラのマリアとベタニアのマリアは同一人物?という疑問もわいてくる。じっさい西方のローマカトリックと、東方のギリシャ正教は、ながらくこの点で見解が分かれていた。東方では、最初から別人説だったが、たしかに普通の読者として聖書を読むと、この姉妹とマグダレーナさんは、性格も出自もかなり異なるように感じられる。ローマカトリック教会も第2バチカン公会議(1962-65)以降、別人物説になったようだ。

ともあれイエスはこの3人兄弟姉妹をとても愛していたようで、ラザロにいたってはイエスのおかげで死人から蘇っている。聖書によると、この奇跡が当時の宗教指導者に衝動と動揺を与え、イエス殺害への謀略に火をつけたようだ。

このマルタ姉さんと、妹のマリアの関係が面白い。ルカ伝10章は、イエスの一行が自分のところにやってくるというので、姉さんのマルタが「饗応のこと多くして、心いりみだれ」と書いている。接待準備でてんてこまいしているのである。ところが妹のマリアの方はいっこうに姉を手助けする様子もなく、イエスの足もとに座ってただイエスの言葉に耳を傾けている。そこで頭にきた姉さんがイエスに直訴する。「主よ、わが姉妹、われを一人のこして働かするを、なんとも思い給わぬか。かれに命じてわれを助けしめたまえ」。ちょっとは、妹にも台所を手伝うように先生からもおっしゃってください、というわけだ。それに対するイエスの答えがまた意表を突く。「マルタよ、マルタよ、汝さまざまの事により、思いわずらいて心づかいす。されど無くてならぬものは多からず。唯一つのみ。マリアは善き方を選びたり。これはかれより奪うべからざるものなり」。

食事の準備は、どうしても間に合わなければ不十分でもいいじゃないか。豪華な食事はまた明日でもできる。しかし今、自分の言葉に心を打たれ、信仰に目覚めるのであれば、それはもう二度と到来しないかもしれない瞬間ではないか。今、その瞬間に立ち会っている妹に不平不満をぶつけてはいけないよ――うめぞうにはイエスの言葉がそんな趣旨に聞こえる。たしかに、はっとさせられる話ではある。しかし、やはりどこかに割り切れない思いがある。何事につけ高邁な理想を夢見る人より、日々の雑用を黙々とこなす実践者こそが、最終的には問題解決により近い場所にいる、というのがプラグマティストうめぞうの基本信条だからだ。

うめぞうはクリスチャンの両親のもとで育ったから、小さい時から、日曜学校でこの話はよくきかされた。しかしこの話を聞くたびに、イエスの言葉より、マルタの気持ちの方により強く共感できた。これまた不謹慎な想像を許していただければ、うめぞうが嫁さんにするならマルタの方だと、今でも思っている。しかし多くの男性には、マリアの方が恋愛対象として素敵かもしれない。自分のやりたいことをやりとおし、ちまちましたケチくさいところがない。ゴージャスである。ヨハネ伝によると、このマリアは、ばか高い混じりけのない香油を愛するイエスに惜しげもなく振りかけて、のちにイエスを裏切ることになるユダから「そんなにもったいないことするなら、この油を売って貧乏人に施すべきだ」と皮肉をいわれている。

マルタとマリアの話はまた姉と妹の関係を示唆する話としても、じつに含蓄が深い。社会的にものを考え、犠牲的精神でてきぱき事を処理する合理主義者の姉さんと、やや現実感覚に乏しく、大胆かつ情熱的なロマンティシストの妹。それぞれ素敵な女性たちではあるが、さてみなさんはマリア派?それともマルタ派?マリアを嫁さんにしたい派?マルタを嫁さんにしたい派?

2009年2月 8日 (日)

禁断の味

まつこです。

以前、このブログで「うめぞう朝食長生きパン」のことを書きました。この長生きパンを送って我が家の朝食を支えてくれていた「ソモス友の会」、社長さんがスペインに移住されるとのことで、パンの通販が取りやめになってしまいました。うめぞうはおいしいドイツパンを手軽に買えるところを、目下検討中です。

日頃から比較的、健康な食生活を心がけているウメマツですが、ときどき羽目をはずしてしまいたくなる時があります。特にまつこ。「ねー、食べたいよー、たまにはいいでしょう?」とうめぞうを誘惑(強制)し、ウメマツともに禁断の魅力に身を任せてしまうことがあります。それは「ハンバーガー」。

我が家の近所にFire Houseという手作りハンバーガーのおいしい店があります。大口を開けて、分厚いハンバーガーをガブリ。肉汁がジュワー。このお店はパンも自家製です。水分の量がちょうどよいのか、お肉と重ねてもべたっとならずおいしくいただけます。

Photo[デリバリーだとこんな可愛い箱に入ってきます]

デリバリー・サービスもあります。数年前のまつこの誕生日。その日が締切という仕事があって、とてもレストランになど行く余裕はない、ということがありました。ボサボサの頭で半べそかきながら、パソコンに向かいつづけていました。その姿にあわれを感じたうめぞうが、Fire Houseのバーガーを出前でとってくれました。うれしかったー!

Photo_2[箱を開けると…]

最近も一度、デリバリーを頼んだのですが、以前のくし切りのホクホクのフライド・ポテトじゃなくて、マクドナルドみたいな普通のフレンチ・フライに変わっていて(しかもちょっと油でベチャッとしていた)、ちょっとがっかり・・・。やっぱりお店で出来たてを食べる方が、数段おいしいです。

仕事も、介護も、食生活も、ときどき手を抜くことが大切。口のまわりを肉汁で汚しながらハンバーガーをがつがつ食べたあとは、さあ、明日からは健康な食生活をするぞ、スポーツもするぞ、と気持が引き締まります。禁断の味もたまにはいいものです。

2009年2月 7日 (土)

おひなさま

まつこです。

今日は「しらふ」です。前回の記事を書いたときは、かなり酔っていました(反省)。有楽町マリオンで『マンマ・ミーア!』を見た後、マロニエ・ゲートのポール・ボキューズで食事したのですが、映画で勢いづいていたものですから、「うめぞう、シャンパン飲もう!」「うめぞう、白ワイン飲もう!」「うめぞう、赤ワイン飲もう!」と暴走してしまいました(再び反省)。

翌日、「ねえ、あの写真ひどすぎるよ・・・削除しようか?」とうめぞうに相談したら、「大丈夫だよ、顔、見えないし」とうめぞうは平然としていました。このあたりのふてぶてしさが年の功ということでしょう。ま、映画のメイン・テーマが「はじける熟年」ですので、ウメマツ体当たりで映画の紹介をさせていただいたということで、ご容赦いただきましょう。

Photoさて、今週末はまつこだけが新潟で過ごしています。母の認知症の薬や白内障の薬を取りに行ったり、食事の支度をし、まっとうな中年女性として堅実な週末を過ごしております(まだ反省・・・)。

新潟、今日は、春の訪れを予感させる暖かなお天気です。そこで思い切って、おひな様を出すことにしました。

このおひな様、まつこのために買われたものではありません。10数年前に弟のところに娘ができたとき、義妹の実家から送られてきたものです。大阪の社宅住まいの弟一家のところでは置場がないということで、新潟に送られてきたのです。あちらのご実家からせっかくいただいたものなので、母一人の独居世帯であるにも関わらず、母は毎年、がんばって飾ったりしまったりしていたのですが、さすがにこの4,5年はめんどくさくなってしまい、物置の2階にしまいっぱなしになっていました。

一緒に飾ったら、母も楽しい気分になるかなと思って、「ママ、おひな様飾ろうよ!」と提案してみました。ママは喜んでくれましたが、おひな様を飾るのって、ほんと、めんどくさいのねー。実は、まつこ、初めての挑戦でした。

Photo_2[必要なものはこれで全部かな?」]

まずは物置の2階から必要なものを運び出します。我が家の物置の2階は、わけのわからないものが積み重ねられているので、まずおひな様を探し出すために悪戦苦闘。それらしい箱を開けてみると、兜飾りでがっかり。次の箱もガラスケースに入った金太郎みたいなお人形。弟のところは一男一女なのです。これらぜーんぶ、義妹の実家から送られたもの。義妹の実家は北関東なのですが、どうもあちらは嫁いだ娘の婚家にこういうものを送るという風習があるようです。

Photo_3[床の間を片付けて…]

次に仏間の床の間を片付け、置き場を作ります。この床の間にもガラスケースに入った、翁と老女の対の人形(長寿を言祝ぐものでしょうか?)や、やはり巨大なガラスケースに入った市松人形が鎮座しています。これも義妹の実家から送られてきたもの。(いったいあちらからいくつガラスケース入り人形が送られてきているのでしょうか・・・?)これらのお人形にはいったん別の部屋に移動してもらいました。

Photo_4[まずは段を作ります]

3段の飾りなので、それほど大きくはありませんが、ちょっと床の間からはみ出してしまいました。さて、これでいよいよあれこれ並べるわけですが、まつこはお内裏様とおひな様の左右もわかりません。ママに聞いてもちょっと記憶が怪しい・・・。段ボールの中から出てきた解説を見ながら、ママと二人でなんとか並べてみました。「あらー、いいわね、今からならひと月たっぷり見て楽しめるわね」と母もうれしそうな声を出していました。

Photo_5[完成!]

ちょっとめんどくさいけれど、やっぱり良いものですね。忙しいとこういう伝統的な行事を、ついつい省略してしまいがちですが、どうせ都会の喧騒から離れて田舎で週末を過ごすのであれば、おひな様を出す気持の余裕は持ちたいものです。来年もこうして母と一緒におひな様を眺められますように、と心の中でそっと祈ったまつこでした。

2009年2月 6日 (金)

がんばれ、熟年世代!

まつこです。

今日はちょっと夕方時間が空いたので、ウメマツ二人で映画を見に行きました。久しぶりのウメマツ夫婦そろってのお出かけです。見たのはMamma Mia!  高校生のころはやっていたABBA(年がばれる?)。歌謡曲っぽい感じがして、当時、私はあんまり好きじゃなかったのですが、期待していたよりも面白かったです。

Photo[出かける途中、家の近所で見つけた変な彫刻(?)。ちょっとウメマツに似ている]

ずばり、熟年世代が元気になれる映画でした。ギリシアの島の女たちが、"Dancing Queen"に合わせていっせいに踊りだすところは圧巻。ギリシアの島の美しさ、海の青さが、映画の魅力を増しています。明日結婚式を迎える若い娘を中心にして、前半の物語が展開していくのが、後半は「おじさんおばさんの情熱の復活」がテーマになるところも、気に入りました。

タイトル・ロールを演じたメリル・ストリープ、やっぱりうまいですね。今までは過剰な演技力が鼻につくという気がしたのですが、この映画では思いきりはじけていました。そのハチャメチャに歌い踊りまくっていたメリル・ストリープが、複雑な心の揺れを、わずかな表情の変化で表現するあたりは、やはりさすが。

唖然としてしまったのが、コリン・ファース。この人、Love Actuallyあたりから、だんだんコミカルな役者に変貌してきていましたが、かつてのオースティンの冷やかなヒーロー、マーク・ダーシーのイメージは完全に粉砕されてしまいました。ましてや『アナザー・カントリー』の少年の面影はまるでありません。ややたるんだ体をキラキラのド派手な衣装に包んで、ABBAのヒット曲に合わせて歌い踊る姿は、見ている方が思わず赤面してしまいました(本人もかなり照れていましたが・・・)。

でもいいんです。皺のよったメリル・ストリープ、お腹のたるんだコリン・ファース、引退したジェイムズ・ボンドのピアース・ブロスナン・・・みんなみんな熟年世代。超高齢化社会をこれからまだ数十年生きていくには、これくらい元気じゃなければいけません。おじさん、おばさんたちよ、歌って、踊って、恋をしようという力強いメッセージをしっかりと受け取ったウメマツでした。

Photo[はじけるおばさん。メリル・ストリープのまねをするまつこ]

Photo_2[はじけるおじさん。コリン・ファースのまねをするうめぞう] 

2009年2月 3日 (火)

イギリス人の自虐ネタ

まつこです。

出張やら何やらあれこれ仕事や用事がたてこみ、ぐだぐだ愚痴を並べたてていたら、1月31日の記事のコメントにあるように、うめぞうから「一人で一週間くらいイギリスに行ってこい!」と言われております。

それで思い出したのは『ハムレット』のセリフです。叔父に父を殺害されたのかもしれないという疑いを抱いているハムレットは、狂人のふりをして、真実を探ろうとします。母が叔父と再婚してしまったために、女性不信にも陥り、「ふり」だけではなく本当に精神のバランスを崩してしまいます。王子の言動が常軌をはずれていることに危機感を募らせた叔父は、急いでハムレットをイギリスに送り出そうとするのです。

Photo[2006年の夏、ロンドンで。後ろに見えるのはグリニッジの天文台です]

頭がおかしくなったせいで王子ハムレットはイギリスに送られてしまった。それが国中の人々の知るところとなり、ひそかに身を隠してデンマークに帰国したハムレットは墓掘り職人がこんな冗談を言っているのを耳にします。

「王子様のおつむの病気もイギリスで治るだろうよ。まあ、治んなくなって構わねえけどな・・・イギリスじゃ目立たねえよ。あそこじゃみんな王子様と同じくらい頭がへんだからな。」(A shall recover his wits there.  Or if a do not, 'tis no great matter there... 'Twill not be seen in him there.  There the men are as mad as he.)

シェイクスピアはロンドンの市民たちのために芝居を書きました。このセリフを聞いて劇場に集っていた観客たちは、どっと笑い転げたはずです。シェイクスピアの芝居にはこんなふうに自国のイギリス人をわざと笑い物にするジョークが結構出てきます。イギリス人の自虐ギャグはシェイクスピアの芝居にも表れているというわけです。

そういう自虐癖のあるイギリス人にとって、かっこうのネタがイギリスの天気です。その天候の悪さを嘆きながら、悪ければ悪いほど、どこか喜んでいる風情すらあります。友人のイギリス人は昨年の夏、"one of the wettest summers officially for over a hundered years"とメールに書いてきました。「明らかに過去100年で最も雨の多い夏」というのですが、ああ、また始まった、イギリス人の天気の愚痴ね、という感じです。

さて、その天気の悪いイギリスですが、行くべきか、行かざるべきか、それが問題です。ポンドも安くなっているし・・・と思いながらも、貯金通帳の残額と手帳に書き込まれた仕事の予定を、額にしわを寄せながらにらんでいるまつこです。

2009年2月 2日 (月)

風呂の入り方

またまたうめぞうです。

今日は久しぶりに夫婦再会。まつこお得意のパスタ料理とサラダで赤ワインを飲んで、ようやく二人とも旅の疲れをいやした。まつこのプチ鬱も谷間をすぎて回復の兆しあり。食卓には、オンケルMの送ってくれた極上のヴルスト(手作りソーセージ)も並んだ。オンケルMとその一家は、われわれの大切な友達で、心やさしくとびきりユニークな才人の集まりなので別の機会に紹介してみたい。

考えてみると、まつこもうめぞうもそれぞれ自分の実家で過ごしているわけだから、別に気兼ねがあるわけでなし、異文化圏にいたわけではないのに、やはり帰ってくるとほっとする。こここそが自宅という思いは二人とも共通している。やはり知らず識らずのうちに、両方の実家とは異なる我々独自の家族文化を築いているのだ。

家族文化で思いだしたのは、面白いことに、まつこの実家と、うめぞうの実家と、わが家では風呂の入り方が三者三様なのである。

まつこの実家では風呂は夕食前と決まっている。5時半ころから風呂に入って、湯上りにビールなど一杯やりながら、夕食をともにする。まあ、これは日本人のスタンダードかもしれない。温泉旅館などではたいていの客がこの手順に従う。風呂上りのいっぱいはなんといってもおいしいし、リラックスして夕飯が食べられるのはやはり健康にもいいだろう。

ところがうめぞうの実家では昔から風呂は寝る前に入る。冷え症の一家で、夜、寒い布団に入る時に足が冷たくて寝るまでに時間がかかるというのが主な理由だ。たしかにこれはこれで快適だ。うめぞうも実家で寝るときには、体が暖まっていて眠りやすい。

これがわが家となると、就寝前には入らない。したがって寝るときに「さむいさむいさむい」と芋虫状態でしばらく布団の温まるのを待たねばならない。やむなく(?)となりの上官のふくらはぎあたりから暖をとる。

で、わが家はいつ入るかというと、ずっと昔から朝ぶろである。まず起床時にタイマーをセットしておいて、ベッドから這い出ると、トイレを経由して、湯船に直行する。そのときいろいろな香りのオイルを入れて入る。そこで感じることは、寝ている間にずいぶんと体温が下がっていることだ。だからここで一気に体温を上げて、体にカツを入れる。

うめぞうは朝食が大好きで、いつもまつこが入浴後の風呂掃除とベッドメーキングをしている間に自分で作る。りんごをすったものにヨーグルトとバナナをかけた一品。あとはそば粉のホットケーキやクロワッサン、チーズ、時には目玉焼きかゆで卵。うめぞうは、ザウアークラウトやピクルスを食べることもある。湯上りの朝食というのも、また捨てがたい魅力がある。

さてみなさんは、どんな入浴文化を楽しんでおられるのだろうか。

4つの原因

引き続きうめぞうです。

まつこは今晩帰京し、夫婦、ひさしぶりの再会となる。まつこは出張中も携帯でブログを読んだとのこと。声の調子から判断して、徐々に上向きになっているようで、まずはひと安心。

さて、以前、アリストテレスのことを書きかけて中途半端に終わった。なにしろ万学の祖。知の巨人としては圧倒的存在。どんなことでもたいていはアリストテレスがすでに考えてしまっていて、しかもまっとうな答えを出しているといわれるくらいだから、浅学非才の徒としては、ほんの聞きかじり程度のことである。テーマはアリストテレスの4原因。

たとえばわれわれが家を建てるとき、その家がたつ原因となるものにはどんなものがあるだろうか。ここで「原因」という言葉がすでに問題だが、とりあえずここでは「理由」や「条件」といったものも含む広い意味で理解しておこう。

まずは家が建つためには家を必要とする人がいて、家を建てるという目的を設定していることが必要だ。誰かが目的を設定しないまま突如として家が出現することはないだろう。そこでこれを目的因という。「目的」を「原因」と混同するというのはちょっと不思議な感じもするが、これはわれわれの日常言語でもよく見られる現象だ。たとえば「彼は風邪のため欠勤した」という「ため」は原因を、「彼は葬儀のため欠勤した」の「ため」は目的を表現している。でも、われわれはその違いにほとんど気付かないのが普通だ。

次には家が家であるためのもっとも本質的な設計図が必要だ。家が出来る前に、まず家とは何であるか、家はどうあらねばならないかという形(形相)が、家を建てる人の脳裏に浮かんでいなければならない。そこでこれを形相因という。この漢字はギョウソウではなく、ケイソウと読む。

さて次には家を作るための材料がなければ始まらない。そこでこれを質量因という。

そして最後にこの素材を加工し組み立てていく労働が必要で、これを動力因という。この4つの原因が協働してはじめて家ができあがる。

興味深いことに、アリストテレスは、この4つの原因を、ある程度独立した要素と見ていた。しかし人間の理性は悲しいことに、どうしても究極原因を求めたがる。たとえば中世のキリスト教神学は、このうちの目的因を究極原因と見なした。もちろん目的を設定するのは神である。創造主の目的こそがあらゆるものの第一原因で、その他のものはそこから派生したという説明だ。これに反旗を翻した近代科学は、今度は動力因を第一原因と見た。ニュートンの運動方程式が第一原因で、あらゆるものは自然法則を出発点にしているという考え方だ。原理主義的神学も自然科学主義も、単一の原因からすべてを説明しようとする理論戦略では軌を一にしているわけだ。

この対立は現代にまで及んでいて、いまだに自然科学にも哲学にも、この究極原因についての共通理解があるわけではない。それでも近頃は、自然を記述する因果論と、自由意志をもつ人間の相互行為を律する目的論は、領分の異なる、相互補完な理性のルールであり、どちらか一方を他の原因とみなす考え方は好ましくないと多くの人が考えるようになっている。アリストテレスの復権である。頭の中でつい単一の究極なるものを求めて、極端に突っ走る人間の弱さを見抜き、何事につけ中庸の徳とバランスを重視したアリストテレスの偉大さを、現代哲学はあらためて見直しているというわけだ。

2009年2月 1日 (日)

ドイツの労働時間

またまたうめぞうです。

この週末、まつこはプチ欝をかかえながら介護週末から直接地方出張へ。その留守をあずかるうめぞうが、客足が遠のかないようにせっせとこうしてブログを更新しているわけだ。しかし、いかんせん、うめぞうは写真を貼り付けられない。写真がなくて、理屈の多いうめぞうブログではかえって逆効果になりかねないが、ここはなんとか、まつこの現役復帰までがんばるしかない。いずれ近いうちに「ふっかーつ」とか言いながら、けろりともとのまつこにもどるだろう。うめぞうは血液型性格診断は信用していないが、信者である友人に言わせると、その変わり身の不連続性こそがAB型の特徴だそうだ。ちなみにうめぞうはどこからみても典型的なB型だそうである。

さて、しょうさんが紹介してくれたドイツ人の労働時間の意識。前回のブログでは、国民性などというものはどうも怪しげなものだという趣旨のことを書いた。しかし、休暇に対する意識は、たしかに日独では、はっきりとちがう。これは生活経験からも、国際統計からも一目瞭然だ。

少し古いデータだが、2003年の年間総労働時間(製造業)をみると、日本が1975時間に対して、アメリカ1929時間、イギリス1888時間、ドイツ1525時間、フランス1538時間。年度や統計の取り方、業種などによって数字は若干異なるが、いずれの統計でも「日米英」と「独仏オランダ」では年間350-450時間の差がある。実際には日本ではこれに「サービス残業」が加わり、総務省の調査では実態は2273時間に迫る。

さらに問題なのは、年次有給休暇。日本が「最高」20日に対して、ドイツは「最低」24日。通常は労働協約で平均30日程度はとられている。フランスも30日。

さらに、さらに独仏では有給休暇の連続付与が法律で定められており、ドイツは12日、フランスは最高24日。

さらに、さらに、さらに、日本では最高20日与えられていても、じっさいの年次有給休暇の取得平均は8・5日。対する独仏では労働者の権利として年休の完全消化は常識。それによって周りから冷たい視線を向けられるなんてことはまずない。つまりドイツのサラリーマンなら、年に2回、家族やパートナーと2週間の長期滞在型ヴァカンス(ドイツ語ではウアラウプ)を気兼ねなく楽しめるということだ。これは日本とは、はっきり違う。

さてそこで問題は、この違いを「国民性の違い」で説明してよいかという点である。かなり前のことになるが、「日本は労働者をウサギ小屋に住まわせ、長時間労働を強いることによって低コストで安い製品を輸出している。これは不公正貿易だ」という悲鳴と非難が当時の西側先進国から寄せられた。そのとき、ある保守派の女性作家が、勤労は日本人の美徳であり、国民文化だ、外国から働きすぎなどと非難される筋合いはない、という趣旨の猛反発をした。

しかしうめぞうの意見では、これは文化や伝統の問題ではない。ついでにいえば、長時間労働があたかも日本の労働者の自発的意志によるものであるかのようなことを、保守派の作家などに代弁してほしくはない。これはひとえに政治による制度設計の問題であり、法律に労働者の権利をどこまで書き込ませうるかという政治力学の問題なのだ。

ためしに、勤労者に連続12日間の長期休暇を付与することを法律で全企業に義務付けてみよう。あっという間に、日本人はそのすばらしさを体感し、すぐにそれに適応するだろう。そして、これを長年妨げていたのは、けっしてわれわれの「国民性」や「文化」や「伝統」ではなかったことを即座に理解するだろう。

国民性って本当にあるの

うめぞうです。

前回のブログに読者のしょうさんからコメントとご質問をいただいた。

そこで今日は、はたして国民性などというものが実際に存在するかどうか、という問題を考えてみたい。われわれは他国についても、自国についても、いろいろなイメージを持っている。スペインと聞けば、フラメンコ、闘牛士、カルメン。さぞ熱血漢、情熱的女性たちの国なんだろうと想像する。ブラジルと聞くだけで、うめぞうの胸は騒ぐ。サッカー、サンバ、ボッサ・ノーヴァ、リオのカーニヴァル、黒いオルフェ、底抜けの明るさと、健康な肉体。昼下がりの海岸のけだるさ、真っ青な海と空が広がるイパネパ海岸の砂の上を黒い瞳のすらりとした美少女が歩いていく・・・。うー、いいね、いいね。やっぱりラテン系言語を勉強しておくんだった。ところがこれがドイツとなると、勤勉、努力、几帳面、台所を磨き、書類を整理して、議論の後で森を歩く。ひぇー、つまんないー。まつこの関係で言えば同じ英語圏でも、イギリス人とくれば、一風変わった、とっつきにくい皮肉屋、でもアメリカ人は信仰深くて超フレンドリー。ロシア人となるとやっぱりチャイコフスキー、あのメランコリックな叙情性。そしてアジア人はといえば、しょうさんのコメントにもあったように、ともかくよく働く。シエスタ(午睡の時間)なんてとんでもない。5時に帰宅なんて人はめったにいない。大型連休もせいぜい10日。ウサギ小屋に住む働き蜂。

さて、こんなイメージが本当に現実を反映したものなのか。バルチモアに国立エージング研究所というのがあって、そこのアントニオ・テラツィアーノさんをリーダーとする研究チームがこの問題にとりくんだ。49カ国、4000人の男女を対象に、①あなたは、色々な国の国民がどんな性格特性を持っていると思うか、②あなた自身はどういう性格特性を持っていると思うか、という2点を尋ねた。ただし、②については自己記述をそのまま信用するわけにはいかないので、中立的な観察者の判断によって修正を加えた。

すると①については、世界中でほぼ似たようなイメージが定着していることが分かった。しかも、そのイメージは自国でも共有されていた。つまり、日本人は勤勉だ、というイメージは、外国が日本に対して持っているイメージであるだけではなく、日本人自身もそう思っているということだ。いいかえれば、国民性のステレオタイプは、かならずしも他国に対する無知や偏見によってだけ作られているわけではないということだ。しかし、面白いことに、②の結果は、①とはまるで一致しなかったそうだ。アメリカ人にアメリカ人ってどんな性格?と尋ねると、攻撃的で、いらいらしやすい国民という返事が多く見られ、カナダ人にカナダ人ってどんな性格?と尋ねると、心優しい、ゆったり、のんびりした性格という返事が多く見られた。ところが、あなたはどんな性格?という返事(第三者による補正を経た結果)は、両者ともその正反対だったそうだ。

あるいはイリノイ州のブラッドリー大学のシュミット教授の研究では、56カ国、17837人を対象とした調査が行われたが、そこでも同じような結果を得た。超勤勉で努力家だと、他国からも自国からも思われていた日本人と韓国人は、むしろ相対的に規範意識が弱く、気まぐれな性格と出たそうだ。逆に、誠実性や規範意識はエチオピアとコンゴの住民がトップレベルだったという。

内気なラテンアメリカ人、仕事嫌いのアジア人、規律正しいアフリカ人。これはわれわれだけではなく、調査に当たった研究者にとっても直感に反する結果だったようだ。ことほどさように、国民性のステレオタイプはひとつの幻想である可能性が高い。少なくとも現在までの経験的研究では、あまり根拠がないようである。

では、しょうさんのご質問の日独の労働時間の違いはどう説明すべきか。これはまたの機会にしよう。まつこから「スクロールしないと読めないような長文はだめ」となんども言われているので・・・。みなさん、よい日曜日を!

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