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2009年1月 4日 (日)

経済危機に寄せて

またまた、うめぞうです。

はじめて、うめぞうブログにもコメントをいただいてすっかり舞い上がり、ぐっとモチベーションが上がりました。とはいえ、お世辞を真に受けてその気になって、呼ばれてもいないのにしゃしゃり出るというのは、われら団塊の世代が嫌われる定番のパターンなので、ここは重々気をつけなくては。

Photo[冬山を眺め、大いに勇壮な気分になって演説するうめぞう]

さて新年の話題と言えば、なんといってもこの深刻な経済危機。しかし、うめぞうはへそまがりである。みんなが下を向いているときには、どうしても上を向きたくなる。希望が見えないこの時こそ希望を語りたいのである。

もちろん現実を直視すれば気持ちは落ち込む。失業問題しかり、介護と医療の現場もしかり。決壊寸前の堤防のあちこちからどんどん水があふれ出している。しかし、である。目を凝らしてみれば、そこには堤防の穴を素手で必死にふさいでいる実に多くの方々の姿が見える。このブログの読者もしかり。(ト書き:このあたりからうめぞう、演説モードに。まつこ、あきれ顔でバカボンのママモードにはいる。)

たとえば年末年始に日比谷公園に派遣村を立ち上げた人々。そこに自発的に参加、協力した老若男女。彼らは声高に語ることはなかったけれど、わずか数日のその活動には、憲法25条に違反する立法府、行政府の不作為に対する確かな告発が聞き取れた。そしてなによりもわれわれに、忘れかけていた共感と連帯の底力を思い出させてくれた。暗闇の中に一瞬、希望の稲妻が輝いたのである。

もちろんそれぞれの素手はすでに凍りついている。指のあいだから容赦なく泥水がもれだしている。一人、また一人と指を離さざるを得ない人々が脱落していく。それがまた他の人々の手だけではなく、足を、体を丸ごと要求する。一刻も早く政治によって大量の土嚢が運びこまれなければならない。しかし、政治は土嚢を運ぶことができても、自発的に堤防を素手でふさぐ人々を創り出することはできない。こうした人々が存在するかぎり、この社会には希望があるのである。

社会が暗くなった時、用心しなければならないのは、社会の過剰な倫理化だ。あんなに困っている人たちがいるのに、のうのうと贅沢三昧の生活をしているのはケシカラン、という論調が世にはびこりだしたら、これは警戒した方がいい。

へそまがりのうめぞうはいいたい。こういう時こそ、お金に余裕のある人は大いに消費生活を楽しむべし。笑える人は大いに笑うべし。幸福を謳歌する人がいてこそ経済も回復する。価値の物差しが単純化することは、今、苦労のどん底にある人にとってもけっして良いことではないのだ。本当に恐れなければならないのは経済の低迷ではなく、自由と人権の抑圧である・・・

と、いうわけで、今年もうめぞうはあまり成長することもなく、本の世界におこもりをしたり、とつぜんまつこ相手に口角泡を飛ばしながら、バカボンのパパを演じていくようです。

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コメント

うめぞう様

 今まで、うめぞう様のブログも興味深く拝見させていただいておりました。ただ自分が無知ゆえ、なかなか同じ土俵に上がれずコメントを書けないでいました。うめぞう様のブログは、私の知的欲求を刺激します。今回は『憲法25条』って何?・・・と思い、早速ウィキペディアで調べました。そこには『最低限度』という言葉がありましたが、物差しが人それぞれちがうのに何をもって『最低限度』というのだろう・・・とちょっと不思議に思いました。

 ところで、私はこの年末年始に体調をくずしまして、(今は何よりもまずカラダを休めるべきだ)と思い、自分なりに決めていたやるべきことを全てあきらめ、大晦日から年始まで、ずっと自分の部屋でテレビをみてゴロゴロ寝ていました。認知症の母は見当識しょう害の為、お正月休みということをあまり認識できず、私の部屋に入ってきて『あなたは、毎日仕事もしないで何をしているの?』と泣いていました。私は、『いやいや正月休みだし、カラダしんどいから寝ているだけだよ。休みが明けたら、きちんと仕事に行くからね。』と説明しておきましたが、たぶん連日テレビや新聞で報道される経済危機や派遣切りのニュースをみて、わが子の身を案じたのでしょう。そういえば、お盆休みの時も、お友達との電話で、『最近うちの子、会社にいかないのよぉ・・・』と話していました。(´▽`)

しょうさん
コメントありがとうございます。お正月は少しのんびりできたようでなによりでした。身体が欲しているものを十分に与えることは一番大切なことですからね。それにしても、親心とはありがたく、またせつないものですね。
たしかに憲法の「最低限度」というのが具体的に何を意味しているのかは、はっきりしませんね。でも、この条項は、そのときどきの国民と政府に、自らの責任でそれを定義するように促しているのだと思います。憲法とは実体的な命令ではなく、常時その解釈と具体化を時の主権者に要求する、柔軟で動的なプロセスだと理解した方がいいでしょう。だからこそ、自らの改正条項も含んでいるわけで、そこがモーセの十戒との一番の違いだと思います。
今年が、しょうさんにとって、よい年でありますように。

うめぞう様

ありがとうございました。とても勉強になりました!

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