文化の差より、男女の差
ひさびさにうめぞうです。
今週はまたまたそれぞれが親の実家に分かれての介護週末である。もっとも介護などという言葉を使うのは、本当はおこがましい。本格的介護をしておられる方々からみれば片腹痛いだろう。まつこの母親、うめぞうの両親、合計年齢こそ、73+84+95=252才となるが、いずれもなんとか自立的生活ができている。自分でトイレに行ったり入浴できる間は、世話もまだほんの準備体操というところだろう。
しかし、それでも、2人とも実家で2泊3日過ごすと、けっこう疲れる。時間がないわけではないのに、自分の仕事はまずできない。机に向かっていても、母親がごそごそ動いている気配を感じるとやはり気になる。せっかく来ているのに家事をしないのも気が引ける。唯一、例外なのはまつこの実家にいるときのうめぞうである。ムコさんがへたに台所を手伝おうとすると、こんどはまつこママが落ち着かない。ありがたいことに、うめぞうが座敷にこもって仕事をしているのが八方丸く収まるのである。男女平等社会は少しずつ実現しているとは思うが、このときだけはやはり男女の役割期待についての伝統の強固さを感じてしまう。
ところで、ここのところ、まつこは――本人の言い分によると――プチ欝だそうである。その原因は――本人の分析によると――介護、仕事、そして忍び寄るコーネンキだそうである。だから今日は、せっかくアクセスしてくれる少数の読者が無駄足を踏まぬように、自分に代わってブログを更新しておいてくれ、とさっき電話があった。プチ欝というわりには、この人の場合、頭が妙に整理されていて、うめぞうに対する命令も自信に満ちている。うめぞうがプチ欝のときには、こうはならない。ひたすらぼんやり、おこもりとなる。第一、自分のプチ欝の由来や根拠を相手に説明する人が、ほんまに欝なんやろか。
やはりこのあたりは男女に差があるようだ。そういえば最近ドイツの新聞に、あるアンケート調査の結果が出ていた。パートナーと暮らす男女に、相手に対していちばんアタマにくることは何かを尋ねたところ、女性の側から、男の態度として一番頭にくるのは
第一位(13.2%)自己憐憫
鼻かぜ程度のことで、まるで死にそうな病気になったかのごとくオーバーに騒ぎ立て、自分に献身的に尽くしてくれることや、自分に優しくしてくれることを暗黙のうちに要求する態度。
第二位(10.3%)引きこもり
何を言ってもふさぎ込んで、人に気を使わせることで無言の自己主張をしている態度。
うーん、よく分かるではないか。要するに、自分はカワイソーな人なんだ、こんなカワイソーな人間を放って置くことはできまい、これを保護するのはお前の義務だ、という傲慢な要求を、弱者を装ってつきつけてくる、そのずうずうしさと卑劣さに女性たちは怒っているのだ。
ではわれら男性の側が、パートナーの女性たちに対して頭くるのはどんなときか。
第一位(13.1%)不安症
こんな収入でこれからどうなるのかなあ、ああ最近しわが増えてまずい、親の面倒もみないといけないし、仲間と会いたいけどいいお洋服がないし・・・、と女性たちはいつもなにか心配事があり、これを割りと平気で口にする。ところが男は、これをすべて自分へのあてつけ、自分への要求、不満として理解する。「もっと給料を取ってこい」「しわが増えたのはお前が苦労をかけるからだ」「親の面倒をみられないのは、お前に手がかかるから」・・・といわれているように聞こえるのだ。だから男としては、そんなこといわれても、俺にだって苦労はあるんだ、ただそんなこといちいちお前みたいに愚痴らないだけだ、と不満を鬱積させるわけだ。
第二位(%は不明)しゃべりすぎ
これは、説明の要なしだろう。これは上の不安症とワンセットになって日々男たちを苦しめているわけだ。
こう見てくると、男女のすれ違いは思いのほか国際的に共通しているようで、日ごろよく耳にするドイツ人と日本人の国民性の違いなど男女の違いの前にあえなく吹っ飛んでしまう。男は弱者を装わず、女は愚痴を控えめに、というのが男女睦まじく暮らすコツのようだ。おたがい、気をつけましょうね。
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新潟、いよいよ寒さが厳しくなり、今朝は台所の給湯器が凍結してしまいました。お湯の出ない台所は、冷たい水で手がちぎれそうで、つらいです。しかし、うめぞうとママは昔の雪国の生活は、もっと寒くて不便だったと昔話で盛り上がっています。窓がサッシじゃなかったとか、暖房がコタツしかなかったとか・・・。







[今日のお夕飯は地元で外食。お通しの牛スジの煮込み]















あけましておめでとうございます。
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