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2008年12月30日 (火)

古い机

まつこです。

今年の年末はウメマツはウメとマツに分かれて、それぞれの実家で過ごすことにしました。システム故障と帰省ラッシュが重なり、とんでもない混雑となった新幹線に乗って、昨晩、まつこはなんとか新潟にたどり着きました。

実家というのは昔使っていた懐かしい道具があるものです。まつこの場合、実家でもっとも馴染み深いものは「机」です。小学校に入学するときに買ってもらった木の机を、いまだに自室に置いて使っています。

Photo[40年以上使い続けている机]

昭和40年代初期はこんな机が小学生用としては最も一般的でした。この机で計算ドリルも夏休みの宿題も、大学受験の勉強もしました。4学年下の弟の机はスチール製だったのですが、そちらはずっと前に捨ててしまいました。やはり木製のものは特に高価なものでなくても、古くなった時に愛着がわきます。

さてこの机の上にあるのは、今、話題の一冊、水村美苗さんの『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で 』です。最終章の教育論の部分が、賛否両論呼んでいるようですが、私にはごくまっとうな議論であると思えます。政治的、経済的、社会的にリーダーの役割を果たすべき人材にはもっと徹底した英語教育をしてバイリンガル・レベルの運用能力を身につけさせるべきである、そして初等中等教育では、全員を対象にもっと徹底した日本語教育を、特に近代文学を読ませることを通して行うべきであるという趣旨です。

右往左往しているうちに次第に生ぬるいものとなった日本の教育に対する憂いが、かなり痛烈な言葉で表現されているので、挑発的な印象ではありますが、同じ焦燥感を共有している人が読めば、かなりすっきりした気分になれます。英語教育に対する日本政府の無為無策ぶりを「危機感の不足と、勇気のなさと、頭の悪さ」(p.268)と断じているあたりは、爽快感すら感じました。

この本を読んでむしろ私が興味深く感じたのは、いわゆる評論のたぐいの本であるにも関わらず、私小説のように一人称の筆者の姿がくっきりと浮かび上がることです。日本政府とは逆に、「危機感を抱く、勇気があって、頭の良い」筆者が、直接、読者に訴えてくる主張の強さがあります。思春期に母語と切り離された環境でむさぼるように日本近代文学を読み、日本語、英語、フランス語という三つの言語をそれぞれを極めて意識的に分析したという個人史が、この筆者の主張と密接に結びついているからだろうと思います。個人的な経験の中で、一人の人間が切実に考え抜いた議論こそが、多くの人が共有できる問題意識を提示できるのだと、改めて考えさせられました。

水村美苗さんの小説、『私小説 from left to right (新潮文庫)と『本格小説〈上〉 (新潮文庫)』はどちらも、以前、とても面白く読んだので、この年末年始の休暇の間に『続 明暗』を読んでみようと思っています。古い木の机で、やや古めかしい小説を読む、ちょっとセピア色の冬休みです。

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