« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月

2008年12月31日 (水)

感謝状

まつこです。

ぶるるるっ、寒い! 新潟は雷鳴と暴風の中です。ときおりあられが激しくガラスをたたきつけます。空は鉛色。「日本海側」などというなまやさしい表現よりも、やはり「裏日本」という言葉の方が、この荒々しさにはあっているように思います。

Photo[空は鉛色]

大阪から弟の一家もやってきて、日頃はがらんとした家の中が賑やかです。静かな日常と生活リズムが違ってしまうので、母には若干、負担があるようですが、それでも孫の顔を見るのはうれしいようです。昨年の今頃を思い出すと、少し病状が進んだかもしれませんが、ともあれ、穏やかな気持ちで新年を迎えることができるようで、ホッとしています。

東京と新潟を行ったり来たりする忙しさの中で、母が老いていく様子をじっと見ていると、ついつい気分がふさぎがちなので、その気分転換のためにこのブログを始めました。ちょうど2か月続きました。

あまり一貫したテーマなど設定せずに始めたブログです。でも仕事が忙しかったり、介護の厄介さを実感する日々のなかでも、ささやかな楽しみや、ちょっとうれしいことを書こう、と心がけてきました。「いったいこれからどうなるんだろう・・・」というような不安を抱えていたのが、こうして書いてみると、「楽しいこともたくさんある生活だ、悪くないじゃん」という気持ちになってきます。

厳しい冬の景色の中にも、美しさを見出すことができるものです。雑然とした日常生活の中に、小さな喜びを見つる気持ちを来年も忘れないようしたいと思っています。また、しばしば笑いのネタを提供してくれた、夫うめぞうにも改めて年末感謝状を贈りたいと思います。

感謝状

うめぞう殿

あなたは今年も、よくまつこを支えてくれました。特にこのUme-Mats Diaryの12月9日付記事作成に際しては、モン族作成のピンクのエプロン姿でポーズまでとり、筆者まつこおよび読者のみなさんの笑いを誘ってくれました。笑いは免疫力向上につながり、アンチエイジングの効果もあります。この1年にわたり、意図せぬ失態、よくできたダジャレ、自然なおとぼけなどで、しばしばまつこを笑わせてくれました。その功績は誠に大なるものがあります。よってここに深く感謝の意を表します。

2008年12月31日

まつこ

そしてここまで読んでくださった皆さんにも感謝します。どうもありがとうございました。

Photo_2[雪の降った庭]

Photo_3[でも庭の片隅には水仙が咲いています]

2008年12月30日 (火)

古い机

まつこです。

今年の年末はウメマツはウメとマツに分かれて、それぞれの実家で過ごすことにしました。システム故障と帰省ラッシュが重なり、とんでもない混雑となった新幹線に乗って、昨晩、まつこはなんとか新潟にたどり着きました。

実家というのは昔使っていた懐かしい道具があるものです。まつこの場合、実家でもっとも馴染み深いものは「机」です。小学校に入学するときに買ってもらった木の机を、いまだに自室に置いて使っています。

Photo[40年以上使い続けている机]

昭和40年代初期はこんな机が小学生用としては最も一般的でした。この机で計算ドリルも夏休みの宿題も、大学受験の勉強もしました。4学年下の弟の机はスチール製だったのですが、そちらはずっと前に捨ててしまいました。やはり木製のものは特に高価なものでなくても、古くなった時に愛着がわきます。

さてこの机の上にあるのは、今、話題の一冊、水村美苗さんの『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で 』です。最終章の教育論の部分が、賛否両論呼んでいるようですが、私にはごくまっとうな議論であると思えます。政治的、経済的、社会的にリーダーの役割を果たすべき人材にはもっと徹底した英語教育をしてバイリンガル・レベルの運用能力を身につけさせるべきである、そして初等中等教育では、全員を対象にもっと徹底した日本語教育を、特に近代文学を読ませることを通して行うべきであるという趣旨です。

右往左往しているうちに次第に生ぬるいものとなった日本の教育に対する憂いが、かなり痛烈な言葉で表現されているので、挑発的な印象ではありますが、同じ焦燥感を共有している人が読めば、かなりすっきりした気分になれます。英語教育に対する日本政府の無為無策ぶりを「危機感の不足と、勇気のなさと、頭の悪さ」(p.268)と断じているあたりは、爽快感すら感じました。

この本を読んでむしろ私が興味深く感じたのは、いわゆる評論のたぐいの本であるにも関わらず、私小説のように一人称の筆者の姿がくっきりと浮かび上がることです。日本政府とは逆に、「危機感を抱く、勇気があって、頭の良い」筆者が、直接、読者に訴えてくる主張の強さがあります。思春期に母語と切り離された環境でむさぼるように日本近代文学を読み、日本語、英語、フランス語という三つの言語をそれぞれを極めて意識的に分析したという個人史が、この筆者の主張と密接に結びついているからだろうと思います。個人的な経験の中で、一人の人間が切実に考え抜いた議論こそが、多くの人が共有できる問題意識を提示できるのだと、改めて考えさせられました。

水村美苗さんの小説、『私小説 from left to right (新潮文庫)と『本格小説〈上〉 (新潮文庫)』はどちらも、以前、とても面白く読んだので、この年末年始の休暇の間に『続 明暗』を読んでみようと思っています。古い木の机で、やや古めかしい小説を読む、ちょっとセピア色の冬休みです。

2008年12月27日 (土)

手作りカッセラー

まつこです。

京都からうれしい贈り物が届きました。手作りのカッセラー(Kasseler)とレバーブルスト(Leberwurst)です。京都に住む友人オンケルMは、日本の伝統芸能について造詣が深く、現代版歌舞伎の演出までするドイツ人です。哲学の道を散策し、夕暮れにはお寿司をつまみながら日本酒で喉をうるおし、日本の古都の生活にすっかり馴染んでいます。

Photo[馬蹄形のがレバーブルスト、大きなのは豚の燻製カッセラーです]

このオンケルMの趣味がハム・ソーセージづくりです。お肉の中にスモークの香をたっぷりとしみ込ませた本格的な味です。本格派のハム・ソーセージづくりは豚選びから始まります。飼料や飼育方法まで検証して納得のいく養豚業者を探し出し、そこから取り寄せた豚肉を材料にして、工程のひとつひとつを大切にしながら、何日もかけてスモークします。

Photo_3[スライスしたところ]

昨日は折よく来客があり、我が家で夕食を共にしたので、さっそく切ってワインと一緒にいただきました。お肉の滋味とスモークの香りが混じりあうカッセラー、レバーのコクがギュっと詰まったレバーブルスト。どちらもこれがまたワインとよく合います。一口食べて口の中においしさが広がると、穏やかに微笑むオンケルMの顔が思い浮かびます。Danke Schoen!

オンケルMは京都育ちの日本女性と結婚しています。日本文化について深い理解を持つオンケルMは、「日本女性=おしとやかでひ弱な守ってあげたくなる存在」というようなステレオタイプ化された幻想など持っていません。世界どこへ行こうとも女は強い、という普遍的真理を見抜いています。奥さんお元気?と聞くと、ちょっと困ったような表情になり、「元気すぎるよ・・・」とはにかんだような笑顔を浮かべます。温厚なドイツ紳士とパワフルな京女、ぴったりの組み合わせのご夫婦です。二人の家庭の幸せな空気も小包の中に一緒に入っていた気がしました。

2008年12月26日 (金)

The Constant Gardener

まつこです。

クリスマス・プレゼントはいくつになってもうれしいものです。まつこはうめぞうからクリスマスの少し前にサプライズのプレゼントをもらいました。ある晩遅く新潟から帰ったその翌日、ベランダのプランターにずらりと白いパンジーが植えられていました。

Photo[寒さの中でもかわいい花を咲かせています]

このプランターに植えられていた白いゼラニウムが枯れてしまい、実はずっと気になっていたまつこ。でもなかなか植えかえの時間もとれず、できるだけ見て見ぬふりをして過ごしていました。まつこがいない週末の間に、サンタさん、いやうめぞうがせっせと植えかえ作業をしてくれたのです。ありがとううめぞう!

植物の世話に関しては、ウメマツの性格の違いが表れます。はっきり言って、まつこの植物に対する態度は「がさつ」です。水やりをすぐに忘れてしまい、ちょっと枯れ始めるとあっさりと見捨てて、さっさと違う植物に植えかえてしまいます。そこにいくとうめぞうは枯れかけた植物もなかなか捨てられず、いつまでも大切にします。

ある日、うめぞうがぶつぶつと植物に話しかけながら水やりをしていました。「かわいそうにねえ・・・僕がいないとお水もらえないから・・・あの継母は怖いからね、枯れるとすぐに捨てられちゃうよ・・・。」 え? 継母(ままはは)って私のこと?!

ル・カレの小説を映画化した『ナイロビの蜂』(The Constant Gardener)では、レイフ・ファインズが庭の手入れを趣味とするエリート外交官の役を演じていました。あちらは静寂の中で花木を愛する穏やかなイギリス紳士でしたが、我が家のConstant Gardenerはよくしゃべります。これからは継母呼ばわりされないように、私も水やりを忘れないようにしなければ・・・。

2008年12月24日 (水)

メタボ牛

まつこです。

23日の祝日にクリスマスのお祝いをした人も多いと思います。我が家ではうめぞうが数日前におずおずと「23日に銀座のレストランを予約しといた」と言い出しました。まつこを喜ばせようという特別企画です。

ありがたいプレゼントではありますが、この時期のフレンチ・レストランは「クリスマス特別メニュー」と称してお値段が割高という懸念があります。しかもどのテーブルも気合いの入った(?)カップルで占められていたりすると、なんというか、ちょっとだけ居心地が悪い気がするシニカルまつこ・・・。うーん、だったら、いつもよりおいしいワインを買ってうちでゆっくり食事をしようよ。

Photo[一皿目はサーモンのサラダでした]

というわけで、ワインはうめぞうの担当、料理はまつこの担当で、本日は自宅ディナーとなりました。二人とも「銀座のレストランに行ったのに比べれば多少奮発しても平気」と気分が大きくなっています。うめぞうはサンテ・ミリオンのグラン・クリュを、近所の酒屋さんから買ってきてくれました。

それに対してまつこは、じゃーん、「和牛霜降りサーロイン」! しかも270グラムくらいの超厚切り2枚!

しかし・・・二口目くらいまでは「おいしいね」と感激して食べたウメマツですが、やがてペースダウン。「ねえ、これってメタボの牛を食べてるって感じだね、このまま全部食べたら私たちも霜降りになっちゃうよ」とまつこ。うめぞうも「うーん、次は赤身のステーキがいいな、ちょっと胸につかえてきた」と正直な感想を吐露。

あーあ、今までの生涯で買った一番高価なビーフだったんだけど、残念無念。熟年カップルのウメマツ、そろそろライフ・スタイルも食べ物の好みも変わるべき時が来ているのでしょう。銀座のフレンチ・レストランのクリスマス・ディナーでも、霜降りステーキでもなく、もうちょっとさりげなく、軽やかな計画を、来年のクリスマスには用意しようと思った晩でした。

2008年12月21日 (日)

まつこ好みの男とは・・・

ひさびさのうめぞうです。

うめぞう!アリストテレスの続き、どうなった?とまつこ。

うん?なんのこと?と思って見直してみると、たしかにずっと前にブログを書いたときに「これについては次回に」なんて、誰にも頼まれていないのに自分で自分に宿題を出している。じつにとんまだ。

しかし、これはうめぞうの典型的パターンである。我が家には「脳圧」という言葉があり、うめぞうは脳圧が高い時と低いときの差が激しい。世に言うところの躁鬱的な気性なのだ。文章を書いていて調子が出てくると、よーし世界全体を説明しちゃうぞ、というような実に高揚した良い気分になる。そんなときは口角泡を飛ばしてやたら大声で議論をしまくる。

いったんそのモードに入ってしまうと、すべてお見通しのまつこは、天才バカボンのお母さん役になって、議論はほとんど聞いていない。まつさんは、基本的にはいつもクールなプラグマティスト、つまり冷静な実用主義者なのだ。だから高揚しているうめぞうをみると、深いため息をついて「あーあ、今度生まれてきたら、もうちょっと無口で渋い、かっこいい男と一緒になるんだ」などと、うめぞうに言う。

たしかにまつこが「かっこいいねえ」という男性は、近所の酒屋の若旦那をはじめ、一見不愛想で無口、しかし実直かつ純朴な職人さんタイプ、わかりやすく言うと、うめぞうの対極に位置する人が圧倒的に多い。来世といわず、一回り違いのうめぞうが旅立ったら、ぜひともまつさんの老後には願いをかなえてやりたいと、草葉の陰から応援するつもりだが、しかし同時に、案外、まつさんは、またバカボンのお父さんタイプといっしょになるんではないかと危惧している。

それはなぜかというと、まつこの男の趣味は、じつは本人がその矛盾に気づかないまま、2系統に分裂しているからだ。まつこが好きな俳優は、たとえばレイフ・ファインズ、ヒュー・グラント、ジョージ・クルーニー、古いところではショーン・コネリー。どうです。苦悩を胸にしっかりと秘めて、永遠の恋人を思い続ける純粋系に、なにやらお調子者の無責任男、女好きの浮気男、永遠の恋人など全く関係ないハッピー、ハッピーなテキトー男のイメージが紛れ込んでいるでしょ?そうなんです。そのあたりのことを、あれだけ冷静なまつさんは、はたして気づいているんでしょうか。

というわけで、今回はじつはアリストテレスの4原因について、書くつもりが、ぜんぜんあさっての方向に行きました。次回、次回必ず、続きは書きます。なにしろ、ここのところ低下していた脳圧が次第に回復に向かっていますから。

冬の花

まつこです。

今日も北国はお日様に恵まれました。冬枯れの庭にも陽光がたっぷりとさしこんでいます。南天の赤、山茶花の紅、水仙の薄い黄色などが、冬の庭にわずかな色味を与えています。

Photoまつこのママは認知症になって、他の情報処理能力がぐっと後退してしまったのに比べると、家の中に花を飾るという感覚だけはまだきちんと残っています。むしろ自然をいとおしむ気持ちは以前より強くなったような印象です。茶色く色づいた葉や小さな木の実など、見過ごしてしまいそうなささやかな季節のしるしを手折ってきては、小さな瓶に活け、家の各所に飾っています。それがなかなか趣があっていい感じです。

素人が考えると、日付や名前を覚えていることよりも、色や造形などの美的な感覚を維持する方が、ずっと難しいことのように思うけれど、脳の働きというのは不思議なものです。

[これは玄関に飾られている水仙と山茶花]

日曜日の朝は、政治討論会などおじさん系情報番組がたくさん放送されます。それを見ながら「テイガクキューフキンって何なの?」という定例の質問を繰り返すママ。「景気対策と生活支援のためにみんなにお金を一律に配布するのよ」と、これまたいつもと同じ答え。「え? そんな目的のはっきりしない税金の使い方は無駄だわ。国会はちゃんと議論していないの? あの、あの・・・あの人、名前なんだっけ、あの何にも考えてない顔つきの、あの人、あんな人が首相をしているからダメなのよ・・・。」こんな会話が延々と繰り返される部屋に、水仙の甘い香りが漂っています。

2008年12月20日 (土)

年賀状奮闘記

まつこです。

Photo今日の新潟は雲ひとつない晴天です。日本海側は11月から3月まで、鉛色の雲に覆われている日がほとんどで、こんな青空はごくまれです。

[冬枯れた庭で南天の赤い実が目立ちます]

昨年から母の様子を見ていると、気分や病状が天候によって、かなり左右される気がします。お天気の良い日はご機嫌ですが、しとしとと冷たい雨が降り続くと鬱気味、暴風雪警報が出るような嵐の夜は何も手につかずうろうろと家の中をさまよっている感じです。その情緒の変化が、認知能力にも影響を与えていることは明らかです。

今日は快晴。今朝は朝からお風呂のカビとりをしたり、お布団を陽にあてたり、大奮闘しています。このような単純で、成果がよく見える仕事は、本当に楽しそうにやります。

一方、非常に苦戦しているのが、年賀状書きです。書きかけて失敗したはがき、差出人が書いてないはがき、作りかけて挫折した中途半端な送付先リスト、2年前、3年前にもらった古い賀状が、ごちゃごちゃに折り重なっていて、収拾のつかない事態となっていました。昨晩は、私がそれを整理し、「はい、これは○○さんあてよ」と一枚ずつ確認しながら、ママが書く様子を見守りました。

うーん、来年はもう年賀状は無理かもね・・と、まつこの内心の懸念を察する気配もなく、一枚書くごとに、それぞれの人との思い出を長々と話すママ。かなり時間がかかります。世間の喧噪と切り離されたように、ゆっくりゆっくりと時間が流れている年の瀬です。

2008年12月19日 (金)

ドイツびいき

まつこです。

最近、うめぞうは難しそうなドイツ哲学の本ばかり読んでおり、なかなかブログを書く時間がないようです。ある一つの国に関わりのある仕事をすると、いつのまにかその国をひいきするようになります。うめぞうもその例外ではなく、ドイツびいきです。世界同時不況でも、「ドイツの国内需要はまだまだ堅調だよ」と、メルケル首相とともに、ドイツ経済の足腰の強さを訴えています。

ものづくり大国のドイツ。しかし残念ながらうめぞうはベンツやポルシェは持っていません。ドイツ製品で持っているのはウムラウトの点々がたくさんついているドイツ語の本ばかりです。まつこだってポルシェの助手席に乗ってみたい!  いやしかし、まつこの圧倒的な信頼を勝ち得ているドイツ製品が、我が家にもありました。台所製品です。

Photo[我が家で愛用しているのはWMFのシリーズです]

ドイツ人は一般に清潔好きと言われています。聞くところによると、ドイツ人の中には台所を汚したくないから、あまり料理をしないという人もいるそうです。またドイツ料理というとソーセージとジャガイモしか思い出さず、それほど洗練された食生活を楽しんでいる印象はありません。

しかしなぜかドイツ製の調理器具には、使いやすく、壊れにくく、そして同時に形状が美しいものがたくさんあります。我が家でも愛用しているものがいくつもあります。いずれも手にしたときに、ある程度しっかりとした重みがあり、その程よい重さが使用時の安定感につながっているようです。

Photo_2[円高でもっとチーズが安くなってほしい]

なかでもこのWMF社のチーズ・スライサーは我が家の毎朝の朝食に欠くことのできない必需品です。ウメマツが好きなのはヤールスバーグというノルウェーのセミハードのチーズです。癖のないやわらかな味で、ちょっとナッツの風味がします。これをこのチーズ・スライサーで薄く切っていただいています。

人間工学的に計算されつくした機能性、そして余分なものを付与していない美しさ。ドイツ製品の完成度はゲルマン民族の誇りとするところ。その機能美はポルシェにもチーズ・スライサーにも共通しているのです。(ポルシェは乗ったことないからよくわかんないけど・・・)

2008年12月17日 (水)

駝鳥のどぶ川

まつこです。

世界同時不況と言われていますが、まつこのごく身近なところにも不景気の影響が及んできてしまいました。しばらく通い続けていたバレエの教室が閉鎖になってしまったのです。

オフィス街と住宅街の中間のような地域にある古い雑居ビル。たまたまそのビルの前を通りかかったとき、「バレエ・スタジオ○○」という目立たない看板を見つけました。「ほんとうにここにバレエ教室があるのかしら?」とにわかには信じがたい、倉庫のような雰囲気の地下室。恐る恐る入ってみると、優雅なピアノの調べが聞こえてきます。まつこが「おばさんバレエ」の世界に足を踏み入れた瞬間でした。

しかしあまり宣伝もせず、いっこうに生徒が増える気配もなかったこの教室。経営者の方の善意と熱意だけでなんとか続いていたのですが、数ヶ月前にとうとう経営不振でやむなく閉じてしまいました。

もはやこれまでか・・・と、いったんは落胆したのですが、生徒の一人がなんと自宅の一部をスタジオに改装し、先生にお願いして教室再開となりました。趣味のために自宅の改装までしてしまう熱意も見上げたものですが、その妻の熱意を理解し、全面的協力を惜しまなかったご主人の愛情の深さに、おばさんバレエ仲間は心打たれました。

そのスタジオに初めて行ってみると、「まっ白」です。床も、壁も、天井も、スピーカーまで白に統一されています。白へのこだわりはご主人の趣味だそうです。入口には「Dance Studio Hanae(仮名)」と奥さまの名前をスタジオの名称として彫りこんだ、銀色のプレートが飾られています。

Photo[まつこは・・・ここには写っていません]

このスタジオでのレッスン、ちょっと照れちゃいます・・・。かつての薄暗い倉庫のようなスタジオから、うって変わったメルヘンチックな白い世界ですから。しかしこうなったら、白いチュチュを着た『白鳥の湖』のオデット姫になった気分で、妄想の世界に入るしかありません。恥や照れの感覚を捨て去ることが肝要です。

それにしても妻、しかも決して若くはない妻(50代)に対し、これだけロマンチックなイメージを抱いていられる夫も、そういうイメージを維持し続けている妻も偉いものです。うめぞうなんてまつこのバレエを『白鳥の湖』ではなく『駝鳥のどぶ川』と呼んでいます。ときどき億劫になってレッスンをサボろうとするまつこに、「さあ『駝鳥のどぶ川』に行っといで。健康のためだよ」と、はっぱをかけてくれるのも愛情の一種でしょうけれど・・・。

2008年12月14日 (日)

愛馬の復活

まつこです。

今週末の新潟は曇天です。昨日は、かかりつけ医の先生のところに母を連れて行き、インフルエンザの予防接種を受けてきました。「インフルエンザ予防接種?私、昨年も受けなかったからいいわ」と先週まで言っていたのですが、今週はどこかで記憶の回路がつながったらしく、「今年はまだインフルエンザの予防接種受けていないわ。早く受けたほうがいいわね」と言い出しました。

この「回路がつながった瞬間」をとらえることが重要です。もともと頑固な性格なので、いったん思いこむと、なかなか理屈や説得は通用しません。(え?「まつこも全く同じ性格だ、がんこ遺伝子だよー」とうめぞうが言っています。)

午後から夕方にかけては町内会の雑務。まつこのママは今年は町内会の班長さんなのです。昨年の暮、「来年は班長の順番がまわってくる」と言い出した時、私は少し反対したのですが、ママは「住民として果たすべき責任である」と正論を主張し引き受けてしまいました。

新年の町内の集まりでは、「私は認知症なので、いろいろ間違えるかもしれませんが、よろしくお願いします」と宣言までしてしまいました。おばあちゃんの冗談だと思って近所の方たちが暖かく微笑するのを見て、「本当なんです。お医者様からお薬ももらっています」と根拠を提示。このあたりの主張の強さが確かに「がんこ遺伝子」の働きかもしれません。

かくして、1年間、まつこがサポートしながらママは班長さんの仕事をしてきました。東京ではマンション暮らしのまつこ。地域密着型の田舎の生活で、町内会の仕事がこれほどまでにたくさんあるとは想像していませんでした。広報誌や各種お知らせの配布、資源ゴミ回収のマナー監視、各種募金、季節行事などなど。お知らせ配布などの単純労働はママがやり、お金の徴収などめんどくさいことはまつこが週末にやってきました。

昨晩は班長さんなど、地域コミュニティの役員が集って、年度引き継ぎの相談でした。みなさん、私の予想を超えて、はるかに熱心に議論しておられました。認知症宣言したまつこのママを、特別扱いするでもなく、普通に仕事を任せる地域住民の方たちの生活感覚の健全さも実感しました。町内会を維持するには、こういう仕事を引き受けなければならない煩雑さはありますが、老いた人や病んだ人を地域で支援する社会ネットワークの機能があることを、再認識した1年でした。

慣れない町内会の会合から帰って、やれやれとホッとするまつこの目に、ふと映ったのはコンセントを抜かれて長いこと使われていなかったJobaです。昨年、週末介護を決めた時、自分の健康管理のため、それにママにも使わせればリハビリ効果があるかもなどと思って、ボーナスで買いました。ちょっと高い買い物でした。昨年の今頃、大評判だったんですよね。この流行には乗ったものの、Jobaには乗っていないという人、まつこ以外にもたくさんいると思います。

Photo[愛馬はずっと待っていてくれました]

そこで久しぶりに愛馬にまたがり、耳にはiPod、夜中のエクササイズです。あぶみに足を乗せず、手も離して乗ると、結構な運動になります。今朝はかすかな筋肉痛。そうです、高い買い物だって頻繁に使えば安くなります!これから毎週末やろう、と決意を新たにしているまつこです。

2008年12月12日 (金)

幸福は伝染する

まつこです。

忘年会シーズンたけなわ。ウメマツも昨晩は忘年会でした。でも職場の仕事仲間が多人数集まる忘年会ではなく、近所に住んでいる友人夫婦とのささやかな夕食会です。

まつこが「おばさんバレエ」教室で知り合い、親しくなったお友達のJunちゃん。Junちゃんは今年の1月1日に結婚したばかりのホヤホヤ新婚カップル・・・と言っても、ご夫婦とも古くからの知り合いで、ウメマツ同様の熟年カップルです。すぐ近所に住んでいるため、ここ数年は親戚同様のおつきあい。何かあったときのために家の合鍵も預かってもらっています。

Risaki[場所はRisakiという、ご近所、根津のフレンチ・レストラン。キャベツに包まれているのは鱈。アメリカン・ソース(かな?)が軽やかでおいしかったです。]

近所に住んでいる友人の大切さを、科学的に証明した研究が発表されました。ハーバード大学の医学部の研究チームが取り組み、『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』(2008年12月4日)に発表した大真面目の研究です。5000人近くの人々の友人、親戚、仕事などのネットワークと、それぞれの人が抱く幸福感を20年にわたって調査した結果、幸せな人同士は集まりやすいことが判明したというのです。

この調査結果は「幸福は人に『伝染する』」(Happiness 'rubs off on others')という見出しでBBCでも取り上げられました。「遠くの親戚より近くの他人」というようなことわざもありますし、地域の社会的ネットワークの重要性はさまざまに指摘されています。しかしその「常識」の根拠を客観的に検証し、数値で示すのが「科学」です。この研究では、1マイル(1.6キロメートル)以内に幸せな友人がいる人は、幸福である率が25%高いという結果が得られたそうです。半マイル(800メートル)以内に幸せな友人が住んでいれば、確率は42%まで上がります。

確かに他の人の嬉しそうな表情を見たり、喜ばしい知らせを聞けば、幸せのおすそわけをしてもらった気分になります。幸福というのは他者におすそわけしても自分の分は減らない、というのが良いところです。その上、このハーバード大の「幸福伝染論」に従えば、友人が幸福になれば自分が幸福である確率も上がるのですから、幸せのおすそわけは自分の幸せを増強する可能性が高くなる。つまり幸せはシナジー効果があるということです。

Photo_2ということを本能的に知ってか知らずか集まった中年カップル二組。お互いサプライズのつもりで用意していたのは、両方ともがお花のプレゼントでした。Junちゃんたちからはクリスマスらしいキャンドルのついたアレンジをもらいました。ウメマツが持っていったのはラベンダーがかったピンクのバラのちっちゃっな花束。同じ発想だったことに苦笑いしながらお花の交換をし、シャンパンで乾杯して、大い語って笑って、幸福感を高めた一夜でした。

[Junちゃんたちからもらったお花。クリスマス間近の雰囲気を盛り上げてくれます。]

2008年12月 9日 (火)

姉と弟

まつこです。

血液型による性格分析は根強い人気がありますが、血液型よりもはるかに確実に性格形成に影響を与えるのは兄弟構成ではないでしょうか。人間関係に対する基本的姿勢は、幼少時から日々経験した、兄弟姉妹の関係の中で養成されるものです。

「姉と弟」という組み合わせの中では、どんな人格が育つでしょうか?「年上の女性への思慕・・・」というような甘酸っぱいロマンスを想像する人もいますが、現実にははるかにハードでリアルな絶対的支配関係が構築されることが多いようです。そこで作り上げられるのは、「弟を完全に手なずけているしっかり者の姉」と「姉に威張られることが日常になっている甘えた弟」という関係です。

そう、ウメマツはたいへんうまい具合に、両方ともがこの「姉・弟」という関係の中で育ちました。つまり「女にいばられ慣れた男」と、「男にいばり慣れた女」という組み合わせの夫婦です。あまり喧嘩もせず、日々、平穏に暮らせるのは、この組み合わせの妙のなせる技です。

うめぞうは今でもお姉さんに頭が上がりません。何か意見の相違があるときは、このお姉さんの名前を出せば、かなり強い援軍となります。このお姉さん、きわめて正義感の強い社会派です。憲法九条を守り、自衛隊海外派遣に反対し、政官財の癒着に憤り、社会保障制度の崩壊を憂いています。

お姉さんはフェミニストでもあります。社会悪はかなりな部分が、男性支配に付随する構造的悪だと位置づけているようです。派遣労働者の雇用不安や貧富の格差拡大について大いに悲憤慷慨するのですが、それは男性社会への批判ともなります。そして議論に熱が入ると、ついつい目の前にいる男、つまりうめぞうを男性社会の代表として糾弾しているかのような口調になりがちです。

そこは長年、培われた従順な弟としての性格が十分に発揮されるところです。うめぞうはなぜか自分も悪いような気がして、恭順と反省の色をにじませながら、姉の悲憤を受け止めることになります。

昨日、実家でこの姉弟の議論をみっちりやってきたうめぞう。たまたま帰宅途中、難民支援NGOのバザーに出くわしました。お姉さんの正義を訴える声が耳の中に木霊のように鳴り響いています。うめぞうはふらふらとバザーに吸い寄せられ、気がつくとモン族の人が作ったエプロンを買っていました。

3[うめぞうは東南アジア系の顔をしています。よく似合っています]

モン族はビルマの軍事政権に弾圧されている民族だそうです。タイに難民として逃れた人も多いようです。その難民キャンプで作られたピンクのエプロンを、うめぞうは買ってきました。なかなか似合っています。姉の影響力というのは、弟の無意識の中に深く根付いているようです。

2008年12月 7日 (日)

雪の朝

まつこです。

朝、目を覚ますと、シーンと静まり返っています。雪です。車の交通量が減り、まるで雪が音を吸い込んだように、いつもより静かな朝は、カーテンを開ける前から雪が積もったとわかります。

1ママは「初雪ね」と言うのですが、しかし1週間くらい前にも電話で「今日は庭が白くなったわ」と言っていました。このあたりが認知症の認知症たるゆえんです。多少のことは「ま、どっちだっていいわ」と内心パスする鷹揚さが肝心。

[初雪・・・かな?]

No3 朝は曇っていて灰色の景色だったのですが、朝食を終えると陽がさしてきました。そうなるとうっすらと積もった雪が、いっせいにきらきらと輝きだします。

[朝日でキラキラと輝く雪]

物置からゴム長靴を持ちだしてきて、ブーカブーカと大きめのゴム長を引きずりながら、雪景色の中を散歩してみました。サングラスがほしいほどまぶしい、美しい景色です。雪国の冬は長く厳しいのですが、こんな瞬間は、その厳しさを忘れてしまいます。わずかな雲の隙間から射しこむ陽光や、久しぶりに見る青空を見た時の、心からの喜びは、病んでいる人の笑顔を見た時の気持ちに似ています。

先日、ママが「私も昔はこんな文章が書けたのね。なんか気取った文章だけど」と照れくさそうにしながら、中学校の数学教師をしていた頃、卒業文集に寄せた短文を見せてくれました。

確かな年輪を刻んで

 「雪深い冬を耐えて育つ木は、きめが細かく、建てた家は一分の狂いもない」と聞く。一つの年輪のうちに雪の中で過ごす静かな日々が必ずある。その静けさの中で一分の狂いもないエネルギーを蓄える。

 雪に耐えることは卑屈の服従でもなく、片意地張ったつっぱりでもない。細胞の一つ一つは確かなものを求めて力強く息づき、決して裏切ることのない自然を信じて春を待つ。

 暖かい土地では三十年で大木に育つ木も雪のこの地では五十年もかかるかもしれない。

 でも雪の冬を過ごすゆえ、この確かさを持つ。

 この地に根をおろし成長してきたあなたにも、雪に耐える木の強靭さと、たおやかな心を見ることができるであろう。あなたの輪郭にこの木を重ね、柱となり梁となることを。

自然に対する敬意を持ち、70余年の日々を雪国で実直に生きてきた母、その人生の終盤を、私もまた謙虚さを持って静かに見守りたい、と決意を新たにする雪の朝です。

2008年12月 6日 (土)

ママ・スイッチがオン

まつこです。

ウメマツ中隊はウメとマツに分隊し、まつこだけが新潟に移動、うめぞうはそのまま自分の実家で両親と今週末は過ごします。東に老いたる父母あれば、行って誕生日を祝い、北にボケたる母あれば、行って大丈夫かと励まし・・・、東奔西走です。

Photo[新潟、寒いです。山茶花だけが健気に咲いています]

「たいへんね・・・」と言ってくれる人が多いのですが、こんなふうに親の世話ができるのも、私たち自身が健康や仕事に恵まれているおかげです。実際、まつこの新潟通いの交通費はバカにならないのですが、この不況下にあって、自分のお洋服や旅行を我慢すれば、遠距離介護の交通費が出せるのは、感謝すべき状況だと思います。

さて中11日開いて再会したまつこのママの様子ですが、あまり変わりがなく安堵しました。血糖値や血圧と違って、認知症はその日の具合を数値で測ることができません。顔の表情や会話の内容などで、日々の調子を見定めるのですが、その他にまつこのママの場合は、調子の良し悪しを測るインデックスが一つあります。

それは「料理をする意欲」です。絶不調のときは何もする気が起きないので、まつこが全部用意します。ほぼ1週間分、まつこが日持ちのしそうなおかずを作り置いておき、それをママが食べつないで次週のまつこの来訪を待つという状態です。

ややマシなときは、料理をしようとはしてみるものの、調味料の入っていない炒め物を作ったり、おかず1品だけで、お味噌汁もなく、冷凍ご飯をチンして、それで終わりという具合です。金曜日の夕刻、新潟に到着してこの状態に遭遇すると、まつこ、いささか焦ります。

調子の良いときは、「あなたは仕事で忙しいんだから、新潟にきたときくらいはゆっくりしなさい」と「ママ・スイッチ」がオンになります。こういうときはスーパーまで出かけ、あれこれ買い物してきてお料理を作ります。もちろん以前のようなママの味は期待できず、同じようなものしか作らなくなりましたが、それでも娘のために料理をしてあげたいという意欲に、まつこはかつての「元気だったママ」を思い出します(涙・・・)。

昨晩は「ママ・スイッチ」がオンでした。煮魚、ポテト・サラダ、なめこのお味噌汁、お刺身。私の好きな銘柄のコーヒー豆も買っておいてくれました。絶好調です。

好不調の波と外的要因の関連は今まで1年間観察していても、よくわかりません。サプリメントのフェルガードを飲み始めて2か月目に入ったのですが、その効果が出ているのかどうかもよくわからないです。今週は庭の手入れにシルバー人材センターの人たちが来てくれたので、その刺激があったのかも知れません。

ただひとつはっきりしているのは、まつこが優しく接していると、調子が上向くということです。交通費や時間の余裕も必要ですが、優しくできる心の余裕が何よりも必要だと、改めて思うのでした。

Photo_2[藪のような庭ですが、シルバー人材センターの人たちが「雪囲い」してくれました]

2008年12月 5日 (金)

二輪車を卒業したら三輪車

まつこです。

昨日はうめぞうのお母さんのお誕生日でした。84歳です。ウメマツ二人そろって昨晩はお祝いに行きました。仕事の後だったので、デパ地下で買った幕の内弁当しか用意できませんでしたが、95歳のお義父さんとウメマツが声を合わせて「ハッピー・バースデー・トゥー・ユー・・・」と歌い、ボジョレー・ヌーボーで乾杯しました。(ウメマツ今年初めてのヌーボーでした。おいしかったです。)

うめぞうの両親は首都圏近郊に住んでいます。80歳を過ぎて、お義母さんは家に閉じこもりがちだったのですが、数か月前に自分から申し出て、週に一度、教会のお掃除当番をするようになりました。みなさんにも喜んでいただけるし、体を動かすので健康にも良いし、私たちも応援していました。ところが最近、二度ほど自転車で転んでしまいました。幸い、怪我などなくほっとしたのですが、そろそろ自転車に乗るのはちょっと不安です。

そこで今年のお誕生日のプレゼントは「三輪車」にしました。高齢者の方が乗っているのを、ときどき見かけるあれです。「三輪車」と言えば、幼児の乗り物というイメージでした。しかし、この超高齢化社会にあっては、「二輪車を卒業したら三輪車」という人が増えることになるのでしょう。

Photo[ウメママ80年ぶりの三輪車]

うめぞうの両親は今年で結婚65年目の寿カップルです。今日は年賀状に取り込む二人の写真を撮ってあげたのですが、何枚かを見比べて、お義父さんは「この写真がいいよ、おかあさんの笑顔がいいよ」と嬉しそうに選んでいました。この仲の良さが長寿の秘訣かもしれません。あやかりたいものです。

Photo_2[マツばあさんも試乗・・・おっとっと、最初はちょっと慣れが必要]

Photo_3[大丈夫、すぐに慣れます]

2008年12月 3日 (水)

Girls Night Out

まつこです。

最近、飲食店でサーブされたお皿を前に、カメラを向けている人を時々見かけるようになりました。私もたまにはおいしそうな写真をアップ・ロードしてみようと思い、先日、女性の同僚2人と出かけたお店にカメラを持って行きました。

西麻布のHouseというビストロ。プロバンス風の温かみのある素朴なインテリアで、Staubのココット鍋を使った煮込み料理などが評判のお店。私たちがオードブルとして選んだ1皿目は「スモークしたシーフードのサラダ」。しっかりと香りをつけた帆立や鯛などのシーフード、チコリ、グレープフルーツを合わせたサラダです。ちょっとアレンジして家でも応用できそう。

House_2[これで私も一人前のブロガー?]

と、ここまではグルメ・ブログ風なのですが、2皿目、リードヴォーとキノコのグリルは、うっかり写真を撮るのを忘れて食べてしまいました。食べ終わったところで、「あっ、しまった・・・」。3皿目、メークインのグラタンは食べている途中で思い出して撮ったのですが、チーズがからまったジャガイモの残骸は、どうにもおいしそうに見えません。グリュイエールチーズの香りが高く、すごくおいしかったのに、こんな写真では作った人に失礼です。4皿目、『走る豚と黒豆の煮込み』は、「ちょっと待て!」と仲間を制し、手をつける前にシャッター切るには切ったのですが、食前酒を飲んだ後、ワイン2本目に突入しており、酔いのため手元がぶれてこれも掲載不可。一人前のブロガーへの道は、まだまだ長く険しそうです。

この日は仕事を終えた後の打ち上げでした。仕事の関係で昼間は3人ともスーツ姿だったのですが、早めに仕事が終わった1人だけがいったん家に帰り、遊び着に変身。デニムにカシミアのセーター、毛足の長い毛皮のショールとシンプルなプラチナのチェーンのネックレス。おしゃれかつカジュアルで、お店の雰囲気にぴったり。一方、あとの2人は仕事を引きずった、黒いパンツ・スーツ姿。「なんであなただけ抜けがけしておしゃれしてくるのよー」と、ひがんでしまいました。

おいしいお料理、おいしいお酒、素敵なインテリア、そして雰囲気にあったおしゃれ、これがすべてそろってこそ、完璧なGirls Night Out。たとえおばさんになっても、おしゃれとおしゃべりを楽しむ意欲はますます盛んです。次はいつ、どこに、何着て出かけようか、と仕事の疲れも忘れて盛り上がった西麻布の夜でした。

2008年12月 2日 (火)

プラトンとおでん

うめぞうです。

以前、プラトン主義について書いたところ、まつこが得意満面で質問してきました。「うめぞう!あの三角形のおでんの話はよくわかった。プラトン主義、面白い。でもあの三角形のおでんのコンニャク、あれって、おそ松君でしょ。いや、天才バカボンかな。どっち?」。

こいつ、本当に問題のホンシツ、わかってんのかなあ、と思いながらも、「コンニャクの三角形」からわが内なる赤塚不二夫を探り当てるとは、やはりまつこは甘く見てはいかんぞ、と思い直しました。

すると今度は超ド級の質問。「ねえ、プラトン主義の反対は何?」

よっぽど「ぎしゅんとらぷ」と答えておこうかと思いましたが、これではまるごと赤塚不二夫になってしまうので、「まあ、しいていえばアリストテレス主義か・・・」。

「じゃあ、今度はアリストテレスについて書いて。やっぱり二大政党制にしないとね。」

どうもまつこは、プラトンとアリストテレスを麻生と小沢みたいに考えているらしい。でも、あなたねえ、気楽に言うけどアリストテレスについてちょっと一言とはなかなかいかないんだよ、と口に出そうになったのをぐっとこらえて、こういう質問にはそれなりのレベルで答えられないといけない、週刊こどもニュースを見よ、けっこうあれは勉強になるぞ、と自分に言い聞かせる。

さてそこで次回はアリストテレスについて少し書くことにしよう。今日はそのための準備。

プラトンは実在する不完全な三角形(おでんのコンニャク)よりも、魂の目に映るその純粋な形の方が、より本質的な存在だと考えました。形といっても、からなずしも幾何学的な形だけではなく、一般に物のあり様といったほうがいいかもしれませんが、哲学ではこれを形相などといいます。ただしこれは「あの人はすごい形相で私をにらんだ」というときのギョウソウではなく、ケイソウと読みます。

アリストテレスは、この点ではプラトンとは違って、実在する個物を個物たらしめている形相は、個物を超えたイデアの世界にあるのではなく、あくまで個物と不可分な可能性として個物の内にあると考えました。たまごの中にヒヨコが隠れているように、いつかそのあり方は外に向かって現実となります。そう、プラトンが数学っぽい世界観だとすれば、アリストテレスはわりと生命主義的な世界観をもっていたわけです。

そして、可能性としてあるものが現実のものとなる原因をアリストテレスは4つに分けて考えました。これについては次回に述べますが、いずれにしても、原因を複数個考えていたというのが今日からみると面白い。プラトン主義だと原因は究極的な一原因に帰着しがちです。どうしても最終原因といったものを考えてしまうからです。それは神であったり、物理法則であったり、場合によっては民族であったり、理性であったりしますが、いずれにしても、ある現象が生じる原因を単一のものに求める発想は、いろいろ危険な面があるのです。その点で、アリストテレスは、プラトンよりもプラグマティスト、現実主義者だと思います。

ちなみにわが家は、どちらかというとまつこがアリストテレス派、うめぞうがプラトン派ということになっています。続きはまた次回。

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »