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2008年11月23日 (日)

アルツ哲学入門

うめぞうです。

まつこは、アルツのおっかさんの同じ話を何度も聞いて、少々気が滅入る時もあるようですが、私はその点では、もとい、その点でも、よくよく鈍感なのか、ほとんどストレスを感じません。よく「うめぞう、あんたはえらい!よくもまあ、それだけ、はじめて聞いた話のように相槌を打ったり、感心したりして聞けるもんだ」とまつこはあきれ顔で褒めてくれます。ムコ・ノーベル賞候補にまで推してくれる理由も、主にその辺の業績が評価されているようです。しかし時には心配そうに「ひょっとして、うめぞう、何度も聞いていること、忘れているんじゃないだろうね・・・」とアルツ2号誕生を恐れているふうです。

とんでもない。わたしだって、ハンカチをトイレに落とした時、母親が「そんなことでもなけりゃ、新しいハンカチなんかなかなか買ってもらえないんだから」と慰めてくれた話、この母君の曾祖母が彦根から嫁にきた家老の娘で、雪国がいやで四谷に移り住んだら、お化けが出たので舞い戻った話、少なくとも数十回は聞いていますよ。

ではなぜ、私がストレスを感じないのか。まずなんといっても、まつことは接触時間がまったく違いますし、実の親子でもないので、余裕をもって接することができるというのが一番大きな理由です。そしてこの母君がウィットに富み、リベラルで辛口なまつこと同じタイプ、つまりは私の好みの女性であるというのが第二の理由です。ですから私がとくべつ能力があるわけでも、偉いわけでもありません。

しかし、今日は、いままでまつこにも言ったことのない第三の理由を告白することにします。ちょっと誤解される可能性があるので、今まで口にするのがはばかられたのですが、実は私がストレスを感じないのは、この母君を、ちょっと失礼かもしれませんが、ひとつの哲学的関心をもって観察し、研究しているからなのです。時には不謹慎にも、小さな実験も行います。それは実に興味津津、現代哲学の最大の謎に接している知的興奮すら覚えます。

たとえば私は、その間に、母君がパターン化された想い出話しをし始めると、どこかの時点で、ふいに表情が豊かになり、元気が出て、それと同時に、表現にめりはりがつくようになることを発見しました。ただしそれは単に「近所の人がおかずをもってきてくれた」、「今日は御寺様が月行に来てくれた」、といった日常会話の中では起きないことなのです。そこには少なくとも二つの必要条件があります。ひとつはそれが「幼少期から思春期までの思い出話である」という要素。もうひとつは、それが「パターン化された物語としてそれなりに完成されている」という要素です。そしてこの二つが、物語っている母君に「表情」の豊かさと「表現」の豊かさを生み出すのです。

こういうと皆さんはちょっと疑問を抱くかもしれません。「パターン化されている」ことと「表現の豊かさ」とは矛盾するではないかと。私も最初はそう思っていました。しかし、パターン化されているにもかかわらず、実はよく注意して聞いていると語り方には微妙に毎回、違いがあります。たとえば、例の四谷でお化けに出会ったばあさんですが、通常のヴァージョンだと、田舎に舞い戻るときに、「この曾祖母の息子の嫁さんが、この家老の娘のことを、彦根から毛やりをふって嫁に来たから、なんでもヤリっぱなしなんだと言ってね」というフレーズと笑いが入ります。しかし、時にはこのフレーズが入らないこともあります。そんなとき、うめぞうはとっさに「ああそういえば、なんかケヤリがどうのこうのって話、ありましたねえ」とか、「ケヤリ振ってきたのは、その方でしたかねえ」という相の手を入れます。相の手を入れるこの行為は、この物語に新しい地平を開き、忘却の中から毛槍の家老の娘を呼び出します。実は、この技がまつこには苦手なのです。

相の手はパターン化されたものからあまり逸脱してはいけません。ちょっといつものヴァージョンから、かけているものを、さりげなく補ってやるのです。するとどうだ。ぱっと表情が明るくなって、毛槍の話が入りますが、そこから思いもかけない方に話が飛んで、今まで聞いたことのない新しい話が始ったりします。

「幼少期の思い出」「パターン化された物語」「表現の多様化」「相の手を入れる聞き手の問いかけ」「表情の豊かさ」「新しい物語の創出」。ここには何か、記憶力の喪失をただ嘆き、実用的な目的連関の中にもう一度母親をひき戻そうとするような努力を笑い飛ばす究極のユーモアがあります。わたしはそれを心から楽しみ、人間の素晴らしさ、面白さ、不思議さを日々味わっているわけで、ほとんどストレスなど感じないのは当然のことなのです。記憶力がどんどん落ちて行った時、実用連関では不便なことが増えるとは思いますが、これらの物語がいったいどんなふうに単純化されていくのか、不安な想像をするまつこをしり目に、うめぞうは知的好奇心をかきたてられているのです。

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