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2008年11月 2日 (日)

教育者ミーム

うめぞうです。

うちのまつさんがブログを始めるという。

「そうかいそうかい、それは楽しみだねえ。やっぱりまつさんは進んでいるねえ」〔ちびまるこちゃんのおじいちゃんの口調〕と頷いていたら、「うめぞうも書くんだよ」という。

「えーっ、そうなんすか」〔急遽、英語でしゃべらないとの松本の口調〕と返事はしたものの、小生はブログなど自分ではほとんど読んだこともないし、書く気もあまりない。いや、なかった。

しかし、わが隊は上下関係が厳しい。まつさんはいやしくも私が所属するウメマツ中隊の隊長である。私はその部隊の軍曹でしかない。将官と下士官の間には天と地の開きがある。基本的に命令には従わねばならない。

しかもまつさんは代々、教育者の一家である。

おいおい書くことになると思うが、父親が教師、母親が教師、父親の父親が教師、父親の母親が教師、母親の父親が教師、母親の母親が教師…と、どこまで続くぬかるみぞ、家系図をたどるとこれでもか、これでもかと先生が出現する。

もちろん後天的獲得形質が遺伝することはない。しかし、ここまで家系に教育者ミームが仕込まれていると、本人には意識できないところで、それがパーソナリティや行動パターンに刻みこまれていく。

教育者ミームは、一族の耳元にいつもこんなふうにささやく。

「本人にとってよいことは、いま本人が嫌がっていても、ある程度押し付けてでもさせるのが、結局は本人のためになり、最終的には感謝されることになるのです」。

このミームのお告げは、まったくの善良な意図と使命感に発している。だからいっそうわけが悪い。「でも本人にとってよいこととは、だれがどうやってきめるんでしょうか」などという質問は愚の骨頂、将棋で言えば二歩のような禁じ手である。

そこで、うめ軍曹としてはまつ隊長の言うことには、10年後を信じて従順に従うことにしている。まつさんが私にあれこれと指示を与えても、気がすすまなかったり、当初その意味が分からなかったりしたことは多々ある。たとえばMS・DOSをウィンドウズに変えさせたのも、PHSを携帯に変えさせたのも、ズボン下を追放したのも、すべてまつさんの指示である。そのたびに私はぐずぐずと抵抗したが、苦節十数年を経て、それらはすべてよい結果を小生にもたらした。本当に「最終的には感謝する」ことになるのである。恐るべし、教育者ミーム。

とはいえ、忠実に指示に従っても、いまだに効果が分からず、感謝できないものも多々ある。たとえばわが家ではご飯を食べるときに「いただきまする」と言わないといけない。読者は「いただきます」でもいいように思うだろう。でもまつさんは「いただきます」と小生が言うと「いただきまする、でしょっ」と、「る」の一字を必ず復唱させる。これなどは、この「る」の一字が将来、小生の何を成長させ、小生の未来に何をもたらすのか、いまだに理解できていない。

しかし、教育には長い時間がかかる。まつさんの見識は、政府の教育再生会議などとはレベルが違う。まつさんはきっと十数年後を見据えて、「ああ、あのとき、いただきまする、と言っていたおかげで今日のうめぞうがあるんだなあ」と思える日をしかと視野に入れているに違いない。それを信じて、すべての指示に従うのである。そんなわけで今回の命令も、ブログを書くことがうめぞうにとっても良いことのはずだからという理由で下ったのである――そう信じて、軍曹としては行動するほかない。

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