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2008年11月15日 (土)

プラトン主義

うめぞうです。

西洋の哲学はプラトンの著作への注釈にすぎない、などと言われることがあります。もちろんこれは誇張ですが、西洋哲学にはたしかにプラトン哲学のある側面がおもーく垂れこめていて、20世紀の哲学は、みずからのうちなるプラトン主義の払拭のために大部分の労力を費やしたのではないかとさえ思えてきます。

たとえば世界には、おでんのこんにゃくから、ゴチック教会の尖塔にいたるまで三角形をしたものが無数にあります。しかし、それらはすべて不完全な三角形にすぎません。完全な三角形とは、面積を持たない3点を、面積を持たない3本の完璧な直線で結んでできる図形でなければならないからです。しかし、そんな三角形は現実には存在しません。それはせいぜい、われわれの頭の中で思い浮かべられるだけです。つまり一つの理想、理念として存在しているにすぎません。しかしプラトンはこれを「完全な理念」と「不完全な現実」の対比としてとらえました。そして、現実に存在する三角形よりも、理念として存在する三角形のほうが、より完璧であるがゆえに、より普遍的で、より本質的だと考えました。一言でいえば現実よりも、理念を上位に置いたのです。プラトンがこのような考え方にいたったのは、ピタゴラス学派との接触を通じて、数学の理念を学んだからではないかとか、諸国漫遊の旅の途中でユダヤ人の一神教に影響を受けたのではないかとか、いろいろ説があるようですが、私は、数学との接触が大きかったと考えています。

ところで、こうした考え方には、良い面と悪い面があります。良い面は、不完全な現実に完全な理念や理想を対比させることによって、現実を少しでも良いものにしようとする理想主義の栄養源になりうることです。たとえば理念としての理想国家を頭の中に描き、その理念を満たしていない現実の政治を批判し、改善するという方向に向かえば、プラトン主義もけっして悪くはありません。

しかし他方、悪い面もあります。現実はどうせ不完全なものだから、そんな不完全な偶然的世界にかかわるよりも、永遠不滅の完璧な理念にかかわる仕事のほうが高級だ。現実の政治などはしょせんくだらない。哲学はもっと高尚な本質論に従事するのだ、という方向に向かうと、これは現実乖離をしたエリート主義的観念論に陥ってしまいます。

プラトン自身は前者の要素を強くもっていたと思いますが、不幸なことに後世のプラトン主義はその多くが、政治的理想主義よりも、むしろ非政治的な観念論に転落していきました。ニーチェを先駆者とする現代の哲学者たちは、この理念偏重のプラトン主義を批判し、哲学を現実に引き戻すために多大な努力をしてきました。

さて、わが家ですが、まつこと比べると、私の方が圧倒的にプラトン主義者です。私はもともと理系で数学が好きだったということも関係しているかもしれません。個別経験の多様性、偶然性を大切にし、楽しむまつこ、すぐに「要するに」と一般的、抽象的結論を求めたがるうめぞう、ふたりの議論は、ときに西洋哲学史の一断面のごとき様相を呈することがあります。

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コメント

うめぞうさん、まつこさん
こんにちは。

すてきなことはじめられましたね。私たち夫婦にとっても、楽しい話題がふえうれしいかぎりです。
ちょくちょく遊びにきます。そしてうめまつ中隊のキャンプにも遊びにいきたいなと思う今日この頃です。

ケイジ/チエ

ケイジさん、チエさん

コメント、ありがとうございます。

ウメマツ中隊、最近は高齢者救援隊としての遠征が多いのですが、たまには若い人たちとの合同演習も行いたいと思っています。これからもどうぞよろしく!

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