2020年5月18日 (月)

コロナ危機によせて

ひさびさにうめぞうです。

在宅勤務も見た目ほど楽じゃないようだ。ズーム会議、テレワーク、遠隔授業、教材アップロード、学生レポートのフィードバック。マツコは連日、髪を振り乱して書斎に引きこもり。将棋でいえば穴熊戦法。かたや強運の持ち主うめぞうは絶妙のタイミングで定年退職。せめてガス抜きのため、せっせと家事にいそしんでいる。具体的成果はそのうちマツコがレポートするだろう。

医療介護現場の疲弊、中小企業の連鎖倒産、生活困窮者の急増、鬱や自殺の増加、途上国のデフォルト、金融不安、米中対立・・・メディアに溢れる近未来予測は惨憺たるもので、現場で奮闘されている方々には心よりお見舞いを申し上げる。

でも、こんなときは気分転換も必要だ。例えば超マクロ的に今の状況を考えてみてはどうだろう。弓の的のような4つの同心円を描き、一番外側の丸から順番にABCDとする。

Aは物理化学的な自然世界。Bは生物が作り上げる生態系。Cは国家という政治共同体。Dは資本主義という経済システム。

ところが現代人の頭の中では、この順序がほとんど逆になっている。これを小文字で表記しよう。頭の中での一番大きな丸aは経済。その中に国家bが収まっている。ここ数十年は「国家から市場へ」ということで、bは随分と小さな丸になった。その中に申しわけ程度に生態系cが、そしてさらにその中に物理化学的自然dが収まっている。こんなふうに人間の頭の中の秩序abcdは、客観世界を構成する秩序A B C Dからいちじるしく乖離している。だから21世紀になって、この現実乖離したイメージの修正が強いられたのは、ある意味、当然のことだった。

経済aが自分の外部にある国家bの存在に気付かされたのは、2008年の金融危機の時だった。公共部門に緊縮を迫り、金融部門に過剰投資してきた政策のツケがここで一気に吹き出した。高度な金融商品が生み出した錬金術はあえなく破綻。その時、資本主義システムの自壊を救済したのは国家と中央銀行だった。企業間競争に目を奪われていた資本家は、経済システムが自立的なものではなく、国家制度の内部でしか存続できないことを思い知らされた。

次に国家bが自分の外にある生態系cの存在に気づかされたのが、今回のコロナ危機だった。都市化による人口密集、森林伐採、気候変動、人と物の国際移動などは生態系を激変させる。新型ウィルスの誕生は生物進化史からいえば当然のこと。医療公衆衛生部門に緊縮を迫り、軍事部門に過剰投資してきた政策のツケがここで一気に吹き出した。国家間競争に目を奪われていた政治家は、国家制度が自立的なものではなく、生態系の内部でしか存続できないことを思い知らされた。

生態系のさらに外にある物理化学的自然dの存在にわれわれが気づかされたのは、東日本大震災とあの津波だったろう。原発神話はあっという間に崩れた。必ず到来する巨大地震はそのことをまた人類に思い出させるだろう。恐竜の世界も巨大隕石の衝突によって永遠に失われたと聞く。人類がabcdの幻想から目覚め、客観世界を構成するA B C Dの秩序を謙虚に受け入れ、自分たちの文明や知識や技術を過信しないこと。これが今回の危機の超マクロ的教訓だろう。

 

 

 

2020年5月 8日 (金)

オーダーメイド

まつこです。

オーダーメイドの服を作りました。いえいえ、私のじゃないですよ。うめぞうのでもありません。

この子のです。じゃーん。

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[新しいお洋服でごきげん]

もう10年以上前に、高島屋のクリスマスセールの景品でもらったクマのぬいぐるみです。ずっと同じ服ばかりだったので、着せ替えられる服が欲しいと思っていたのですが、自分で作るなんてムリとあきらめていました。

ネットで探してみたところ、nutteという縫製に特化して、仕事の依頼と縫製職人さんをマッチングしてくれるサイトが見つかりました。hana3さんというぬいぐるみのお洋服を中心に仕事をしている方にお願いすることができました。採寸して、写真をとって、イメージを伝えて仕事を依頼し、交渉が成立したところで、ぬいぐるみを送り、待つこと数週間。今日、新しいパリッとした洋服を着て、宅急便で帰ってきました。

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[こちらは秋のイメージ]

「春、夏、秋の季節にあった服で、幼稚園の男の子みたいなイメージ」という、ごく大雑把な注文に応じてくださり、こんなかわいいセットアップのお洋服をデザインして、縫ってくれました。この2組以外にも夏用のお洋服も作ってもらいました。ポケットがついていたり、ステッチがアクセントになっていたりと、細かいところまでとてもよくデザインされています。

ビスポークの服なんて高価なので、自分たちのはぜったいに作れないけれど、ぬいぐるみの服なら実現可能。コロナ騒ぎで、なんとなく息苦しい雰囲気がたちこめている毎日ですが、ぬいぐるみの衣装の新調というささやかな贅沢でぐっと気分が明るくなりました。心なしかクマも満足げな表情に見えます。

2020年4月23日 (木)

1ヶ月

まつこです。

コロナウイルス騒ぎで、心落ち着かない日々ですが、そんなときには自然に触れたくなるもの。人間社会がどんなに動揺していても、木々や草花は季節の移り変わりを、平然といつもどおりに見せてくれています。

そんな確実な季節の移ろいを心にとどめようと、この1ヶ月、毎朝、窓から見える東大農学部の景色を撮ってみました。

3月22日には、まだ寒々しい風景でした。

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[3月22日]

それが10日後にはこのとおり。

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[4月3日]

木々の梢に小さな芽が吹き出しています。いったんこうなると、緑の勢いはめざましいものがあります。

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[4月5日]

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[4月8日]

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[4月10日]

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[4月12日]

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[4月14日]

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[4月16日]

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[4月18日]

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[4月19日]

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[4月22日]

木々の緑の力強さに、励まされます。冬の寒さの中、じっと静かに春を待っていた木々が、生き生きと活気づくのを見ていると、忍耐の日々を黙々と積み重ねる大切さを教えられているようです。

さ、今日も、在宅勤務をしっかりやりましょう!

2020年4月16日 (木)

新しい日常

まつこです。

誰もが今までとは違った生活を送っている昨今ですが、専業主夫となったうめぞうは新しい日常生活にすっかりなじんでいます。

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[第1作目のパンを切るうめぞう]

退職記念にプレゼントしたホームベーカリーがさっそく大活躍しています。

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[記念すべき初めてのトースト]

最初はスタンダードな食パンから始まり・・・

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[柔らかい生地に切れ目を入れるのは意外とむずかしい]

翌日にはフランスパンに挑戦。さらに全粒粉のパン、ライ麦パン、天然酵母のパン・・・と順調にレパートリーを広げています。

外出自粛が続く中、フレッシュなパンが食べられるなんて、なんて贅沢!なんと時宜にかなったプレゼントを選んだことか!

と思っていたら・・・

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[どーんと届いた!]

ある日、なんと25キロ入りの小麦粉が配達されてきました。

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[業務用・・・?]

うめぞう、ドイツに住む友人がコロナ禍による籠城に備え50キロ入りの小麦粉を買ったというのを聞いて、触発されたようです。これでたとえ市中のスーパーの棚から強力粉が消えても、我が家ではパンを食べ続けることができる、と豪語しています。

狭い我が家には他に置き場もなく、25キロの小麦粉はウォークイン・クローゼットの中に収まっています。洋服の間で堂々たる存在感を放つ小麦粉の袋を眺めながら、いくらなんでもこの小麦粉がなくなる頃までには、コロナ騒ぎが収束していてほしいものだと願っています。

 

2020年3月31日 (火)

祝 定年退職

まつこです。

2020年3月31日をもってうめぞうは定年退職。

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[Happy Retirement!]

実は定年退職のお祝いとして、この3月末に1週間のイタリア旅行を計画していました。「70歳までよくがんばった!」というわけで、私の冬のボーナスを投入し大盤振る舞いのつもりだったのですが、このコロナウイルス騒ぎで当然ながらキャンセル。

JALはキャンセル料も取らずに全額返金してくれました。ふぅ。(安堵のため息)

そういうわけで、イタリア旅行の代わりにせめて何か記念になるプレゼントをしたいと思い選んだのは・・・

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[なんだ?この大きな包みは?]

うめぞうが前々からほしいと言っていたものです。「狭くて置き場所ないよ」「あんまり使わないんじゃない」とか、あれこれ理由をつけてこれまでは購入に反対していたのですが、今回は寿定年退職記念ということで、サプライズのプレゼントにしました。

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[象印の製品です]

それは、ホームベーカリー。

うめぞう、大いに喜んでくれました。「ずっとほしかったんだ〜」と喜色満面です。ひょっとしてイタリア旅行より、うめぞうにとってはこちらの方がうれしいプレゼントかもしれません。

これからは主夫として、せっせと料理に励むと、うめぞうは意欲満々です。おいしい焼きたてパンが食べられそうです。

 

 

2020年3月30日 (月)

サクラとスイセン

まつこです。

東京も週末は外出自粛要請が出ましたが、もっと厳しい状況のイギリスでは必要最小限度以外の外出は禁止、人との距離を2メートル以上あけることというルールが出され、行動が厳しく制限されています。友人たちからは「庭をぐるぐる歩いて運動不足の解消をしている」とか、「車でムーアまで行って歩いた」とか、「whatsappやzoomを使ってティー・パーティしている」という、いかにもイギリス人らしい対応をしている様子が伝えられてきました。

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[先週の木曜日の千鳥ヶ淵]

日本から桜の写真を送ったらたいそう喜ばれて、イギリスの水仙の写真がお返しに送られてきました。

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[イギリスも水仙が咲き乱れる春です]

感染症には国際的な協力関係で対応しなければなりません。医薬品やワクチンの開発だって、世界中の研究者が懸命に行っています。それなのに、中国政府の初期対応が悪かったとアメリカ人が集団訴訟を起こしたとか、アメリカ軍が持ち込んだウイルスだと中国人が言っているというのを聞くと、ほんとうにガッカリします。ネットで世界中がつながっている時代、国境を超えて互いに励まし合って難局を乗り越えたいものです。

ケンブリッジに住む友人は、近隣に住む人同士がよく協力しあっていると伝えてくれました。買い物を代行しあったり、時間を決めて互いに玄関ドア前に出てエールを交換しているそうです。懸命に尽力しているNHSの職員たちを讃え、全国で人々が時間を決めていっせいに拍手したときには、EU離脱騒動による国民の分断がこれで癒えた、と実感したそうです。

イタリアでも、スペインでも、イランでも、中国でも、アメリカでも、人々はみな苦労しながらウイルスの収束を願っています。見知らぬ国でも、そこには同じ問題を共有している人がいる。オリンピックなどより、このCOVID-19対策の方がよほど世界が一体感を持ち、国際協調を推進できる機会のはずです。サクラとスイセンの写真を見ながら、そう感じています。

2020年3月21日 (土)

歴史のひとこま

まつこです。

「知り合いが感染者と接触したため、私まで隔離措置の対象になって、家から出てはいけないと保健所職員に命じられ、出かけられなかったんです・・・」

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[シェイクスピアの時代のロンドン]

これは最近の新型コロナウイルスの話題ではありません。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』に登場する修道僧ジョンのセリフです。ペストの流行のせいでロミオのもとに連絡が届けられず、ロミオはジュリエットが死んでしまったと思い込んで毒をあおって死んでしまいます。

シェイクスピアの時代には、ペストは何年かごとに繰り返し流行していました。シェイクスピアが生まれた1564年も、ストラットフォードの町では7人に一人が亡くなったそうです。しかし生まれたばかりのシェイクスピアは運良く生き延び、そのおかげで数々の作品がやがて世に残されることになりました。

現在、世界中で猛威をふるっている新型コロナウイルスですが、「隔離」や「イベント会場の閉鎖」はシェイクスピアの時代のペストへの対応と同じだなあと、あらためて思います。『ロミオとジュリエット』が書かれた少し前の1592年から1593年もロンドンではペストが大流行し、人口の14%もが命を落としました。もちろん人々が密集する劇場は感染リスクが高いので、閉鎖されました。役者たちは仕事がなくなり、劇団員もバラバラになってしまいます。

でもシェイクスピアはこの劇場閉鎖の期間もムダにはしませんでした。『ヴィーナスとアドーニス』、『ルークリース凌辱』という長い物語詩を書いて、パトロンの青年貴族に捧げています。数々のソネットもおそらくこの時期に書いたものと推測されています。ペストが流行ったせいで、劇作家としてだけでなく、詩人としてもシェイクスピアは大きな足跡を残せたと言えます。

黒死病、ペスト、天然痘、コレラ、結核、スペイン風邪・・・。人類の歴史は感染症との戦いの歴史でもあります。これまでも様々な「新型」の感染症を、人類は乗り越えてきました。感染症が流行ると、パニックや差別が起きてしまうのも、人間が繰り返してきた歴史です。今回の騒ぎもやがて、人類史のひとこまになるのだろうと、超然とした視点を持つことも必要でしょう。

卒業式も入学式も中止、新学期開始は延期、旅行も中止。あれこれ計画が狂ってしまった春ですが、詩人シェイクスピアを見習って、イベント自粛でできた時間をなんとか有効に使いたいものです。

 

2020年3月12日 (木)

誕生日の赤いバラ

まつこです。

昨日は私の59歳の誕生日。うめぞうから花束をもらいました。

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[今年のプレゼントはこれとペンダント]

真っ赤なバラの花束なんて、若い頃であればなんとなく照れ臭かったんじゃないでしょうか。あげる方もキザだし、もらう方もよほどの美人じゃないと面映ゆい気がします。でもおじいさんがおばあさんに真紅のバラをあげるのであれば、実にほほえましい。赤いバラのケレン味を、白髪やシワがほどよく中和するからでしょう。これからは誕生日のプレゼントは赤いバラと決めましょう。

うめぞうは「59本は買えないので9本にしたよ」と言って渡してくれました。来年は60歳なので10本。そして再来年の61歳で1本にして、1年ごとに1本ずつ増やしてもらうことにしましょう。

ティファニーの指輪やエルメスのスカーフもらって大喜びした頃もありましたが、この歳になると、誕生日を二人とも元気で迎えられれば、それだけで大いに満足です。歳をとるのも悪くないな、と実感した誕生日でした。

2020年3月 3日 (火)

おひなさまケーキの思い出

まつこです。

3月3日はひな祭り。我が家も小さなお雛様を出して飾っています。このお雛様を見ていると遠い記憶が蘇ってきます。

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[我が家のちいさなお雛様]

今を遡ること50数年前、私が幼稚園に通う道の途中にお菓子屋さんがありました。そこのガラスケースに雛祭り用のケーキが飾られていました。今も鮮明に思い出せますがひし形で上に小さなお雛様がのっているかわいいケーキです。私は毎朝、店の前にしゃがみこんでは、そのケーキをじっくり眺めてから幼稚園に向かっていました。

親にそのケーキを買ってほしいと頼んだ覚えはありません。たぶんほしいという気持ちより、かわいいな〜と見とれているだけだったのだと思います。毎朝、決まって店の前にしゃがみこみ、しばし愛でてから幼稚園に向かう。それがしばらくの間の朝の習慣になっていました。

そして3月3日。夕方、母と一緒に自宅に帰宅したら、我が家の玄関にそのケーキが届けられていたのです。母は注文もしていないケーキが届いていたのでびっくりして聞いてみると、そのお店からのプレゼントとのことでした。毎朝、毎朝、幼稚園の制服姿で店の前にしゃがみこんでいた私の姿をお店の人も、当然、気づいていたのです。あまりの熱意にほだされて(?)、我が家に配達してくれたのでした。

憧れの的のお雛様ケーキが突然、我が家に届く。こんな夢のようなことがあっていいんだろうか・・・。幼心にとっては奇跡が起きたような出来事でした。そのときの興奮した気持ちを、毎年、3月3日になると思い出します。

まだ近所付き合いが濃厚だった1960年代のことです。地元に古くからあるお菓子屋の奥さんが、雛祭り当日に売れ残っていたケーキを、若くて貧乏だった教師夫婦の家の娘に届けてくれる。そんな心温まる交流が、ごく普通にあった時代でした。遠い、遠い、昔のことになりました。

2020年2月26日 (水)

『男と女 人生最良の日々』(Les Plus Belles Années d'une vie)

まつこです。

きっと泣けるだろうな・・・と期待して、そのとおり涙がポロポロ流れたロマンティックな映画は、クロード・ルルーシュ監督の『男と女 人生最良の日々』。

1966年の『男と女』は、大人の恋をとびきりスタイリッシュに描いていました。30代の子持ちの男女が偶然に出会って恋をする。それぞれの過去が落とす影や、ためらいやてらいが、恋に切ないほろ苦さを与える。それが美しい映像や音楽に合わせて描かれる洗練の極みの恋愛映画でした。

それから50余年・・・

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[ドーヴィルの海岸の美しい風景を背景とする大人の恋愛]

美男美女だったアンヌ(アヌーク・エーメ)とジャン(ジャン=ルイ・トランティニャン)は80代の老人になっています。

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[アヌーク・エーメは80代でもきれい!]

若い時の映像と老いてからの映像が重なり合うだけで、輝いていた日々と死を目前にした現在の間にある半世紀という年月の重みが感じられて、それだけでグッときます。

あのときの可愛い子役たちも半世紀たつとこのとおり、立派な中年になっています。

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[子供世代まで同じ俳優を使ったのが効果的]

ハンサムなレーサーだった男は認知症になり老人ホームで暮らしている。そこに訪ねていく女。あいまいになる記憶の中で、過去の思い出と今の幻想が混じり合う様子が、美しいフランスの光の中で描かれます。出会いや別れを経て人生の終わりにさしかかった男女の追想や諦念を、説明的にならず叙情的に描く佳作でした。

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[輝いていた日々]

老いて再会したとき、女は「一人でいると死が怖いけれど、二人でいると相手の死が怖い」と呟きます。去っていった人生の時と、これからくる人生の終わりがこの映画のメインテーマです。

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[人生の終わりに再会して]

原題の"Les Plus Belles Années d'une vie"はヴィクトル・ユゴーの"Les plus belles années d'une vie sont celles que l'on n'a pas encore vécues"(人生で最も美しい日々はこれから生きる日々)から取られています。過去の時間はどれほど輝いていようとも、もう取り戻せない。死を前にして、最も美しい日々を見果てぬ先に思いながら、人は今を受け入れて生きていくもの。

そのように静かに思いを定めたとき、人生の終わりの貴重な時間が美しい夕日のように見えてくる。そう感じられる映画でした。

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