2018年4月11日 (水)

まつこです。

新緑の季節に、家族や老人ホームの職員の方達に見守られながら、母が息をひきとりました。認知症と診断されてから11年目、その間、このブログを通して多くの方から母や私に励ましのコメントをいただきました。あらためて感謝申し上げます。

Img_0552
[母に会いに行く日は、新幹線から富士山の写真をよく撮りました。これが葬儀の日の朝の富士山です]

最期の数日間、老人ホームに泊まり込んで母のそばにいましたが、その間、職員の方達の本当に献身的な介護に感銘を受けました。

母の手をさすって「がんばってや、がんばってや」と声をかけ続けてくれた若い男性職員。夜を徹して30分に一度、巡回してくれて、母が無事に朝を迎えられたときには、「がんばってくれてありがとう」と号泣してしまった若い女性職員。いよいよ最期の時が近づいたとき、「私にできることがもうない」と泣いてくださった方もいます。亡くなったときも、次々と職員の方たちがきて、涙ぐみながら母の体をさすってくれました。

毎日の食事、排泄、入浴の世話をしてくださっていた職員の方たちは、血はつながっていなくても、母と濃密な触れ合いがあったのだと、改めて思い知らされました。母の世話をすることが自分にとっての癒しだったとまで言ってくださる方もいました。自分ではなにもできない、最も弱い存在となっても、人は他者と人間的なつながりを持ち続けられるのだと、教えられたように思います。

このブログは遠距離介護をしていた頃に、気分転換のために始めたものです。葬儀の前の晩、眠れなかったのであらためて読み返してみました。この10年間の母との思い出が、思った以上にたくさん残っていました。認知症になって次第に変わっていく母の姿を見るのは辛い経験でしたが、ほんとうに多くのことを学べた気がします。たとえ病を得たとしても、人は愛し、愛されることで、人生の終わりまで豊かな日々を過ごせるのだと、それが母が身をもって示してくれた、最期の教えでした。


2018年3月31日 (土)

桜づくし

まつこです。

この1週間は桜三昧でした。

24日(土曜日)、市ヶ谷に用事があって出かけたので、ついでに千鳥ヶ淵まで行ってみようということになりました。

Img_0481
[満開までもうひといき]

靖国通りを九段方面に行くと、どんどん人混みが激しくなり、千鳥ヶ淵までたどり着いた時には押すな押すなの大混雑。千鳥ヶ淵の遊歩道はラッシュアワーの駅のように人が押し合いへし合いしていて、とてもじゃないけれど入っていけず、お花見はあきらめて退散しました。

26日(月曜日昼)、千鳥ヶ淵が無理ならご近所の桜の名所でお花見を楽しもうと、ジムの帰り道に播磨坂へ。

Photo
[播磨坂は文京さくらまつりをやっています]

昼食どきだったので、近所の会社のサラリーマンや学生たちが、ずらりと並んで座り込み、コンビニで買ったお弁当を食べています。

Photo_2
[播磨坂の桜並木は文京区が管理する公園です]

私たちも近所のパン屋で買ったサンドイッチとコーヒーでお花見ランチ。

同日、夜、夕食のあと思い立って、六義園の夜桜を見に行きました。

Img_0491
[六義園のしだれ桜]

六義園も文京区が管理していて、この季節は夜桜のライトアップをしています。

Img_0498_2
[色のついたライトアップは好みの分かれるところ]

8時過ぎに行ったのですが、夜桜見物の人で大混雑でした。ライトアップされた大きな桜の木は2本しかありません。あとは暗い回遊式庭園を切れ目なく続く人々の列につらなって黙々と歩くだけ。

Img_0501
[夜桜に月]

ライトアップされた桜もきれいではありますが、暗闇をぞろぞろと行列して歩きながら、「やっぱり桜は青空の下で眺める方がいいね・・・」と思ってしまいました。

27日(火曜日早朝)、夜桜で少し欲求不満になったため、翌朝、早起きして6時過ぎに千鳥ヶ淵へ。

Img_0511
[朝の千鳥ヶ淵]

この早朝のお花見では、すばらしい景色を堪能できました。桜はまさに満開。お堀の水に映り込んでいる様子もきれいです。

Img_0516
[朝日を浴びて千鳥ヶ淵を散歩]

 

遊歩道はまだ人影もまばらで、通勤前のサラリーマンや、早朝をめがけてやってきた中高年カメラマン、すぐそばのインド大使館関係者とおぼしきサリー姿など、みなさんゆったりと散策しています。

Photo_3
[ベッドから抜け出しノーメークのままタクシーでやってきた甲斐がありました]

 

生涯で見た桜景色の中でも一番印象に残る風景かもしれません。

Img_0509
[皇居沿いの風格ある桜景色]

 

ゆっくり散歩してもまだ7時過ぎ。

Photo_4
[ホテル・グランドパレスのブュッフェで朝ごはん]

九段下のグランドパレスで朝ごはん食べたら、周囲のテーブルはみなフランスから来た団体客。千鳥ヶ淵の非日常的な風景を眺め、フランス語を聞きながらホテルで朝ごはんを食べると、なんだか遠いところに観光に来た気分です。

31日(土曜日)、桜もそろそろ散りかけているので、今年最後のお花見をしようと小石川植物園へ。

Img_05321
[週末なので家族づれがたくさん]

前日の夕食の残りのローストビーフやパプリカのマリネに、サンドイッチを作って、ゴザを持って出かけました。

Img_0525
[このメニューだとワインがほしくなる・・・]

残念ながら小石川植物園は東大の教育実習施設なのでアルコールの持ち込みは禁止されています。

Photo_5
[おいしいランチでうめぞうもご機嫌]

ハラハラと花びらが舞い続け、お弁当の中にもどんどん落ちてきてしまいます。あっというまの1週間でした。今年の桜もそろそろ終わりです。

Photo_6
[桜の花びらのじゅうたんのよう]

満開の桜の季節がほんの短い時間であることを改めて実感しました。雪のように降りしきる桜の花びらは、舞いながら午後の光の中でキラキラと光っています。それを手のひらで受けながら、去り行く時間を慈しむ気持ちになりました。

2018年3月26日 (月)

年々歳々

まつこです。

卒業式の日、ゼミの学生たちからこんなゴージャスな花束もらっちゃいました。

Img_0477
[お花もらうのって無条件にうれしい]

みんなで先生を驚かせるという計画だったらしいけれど、卒業式当日のドタバタで全員集合しきらないうちに、ゼミ長が花束贈呈をしてしまい、遅れた学生が「先生のびっくりする顔見そびれた〜」と拗ねるというハプニングつき。

残念ながら当日は雨降りで袴姿の学生たちは気の毒でしたが、花束に負けないくらい華やかな着物姿で晴れやかな笑顔を見せてくれました。

Photo
[今年の卒業式はこのスタイル。Yoko Chanのロングジャケットに、Hermesのスカーフ。パンツはTheoryのだけど、もう少し太いものの方が良かったかも]

入学式、卒業式でちょっと悩むのが「登壇する教師は略礼服」という指定。男性の教員はだいたい黒いスーツにシルバーっぽいネクタイという結婚式スタイル。女性教員はそれとだいたい釣り合うような服装にすればいいのですが、プレーンなスーツだとつまんないし、あまり着飾っても場違いだし。

Photo_2
[卒業おめでとう]

今年は誕生日に若い友人のNS夫妻からもらったエルメスのスカーフを、黒いジャケットに合わせてみました。ぐっと華やかになっていい感じ。Nさん、Sくん、ありがとう!

来週はもう入学式。馴染んだ顔がキャンパスから去っていき、ぴかぴかの一年生が入ってきます。「年々歳々、花相似たり、歳々年々、人同じからず」を実感する季節です。

2018年3月19日 (月)

時間・演劇・俳優:『ドレッサー』

まつこです。

先日、下北沢の本多劇場でドナルド・ハーウッドの『ドレッサー』(松岡和子訳)を観ました。老俳優と付き人の関係を描く、いわゆるバックステージものの芝居です。

この芝居を最初に見たのは1988前、老俳優が三國連太郎で付き人が加藤健一でした。今回はその加藤健一が老俳優を演じます。劇中、「役者は観客の中にしか生きられない」というセリフが印象的に語られますが、30年前の記憶が蘇ってきて、記憶の中の上演と目の前の上演が重なり合って、「時間・演劇・俳優」についてあれこれ思いを巡らせる観劇になりました。

Photo
[左が30年前、右が今年の上演のフライヤー。(両方ともネットで拾ってきた画像です)]

身勝手で、女好きで、奥さんに頭があがらない、根っからの役者バカ。こんな役柄がぴったりだった三國連太郎の記憶は鮮烈で、芝居の進行とともに、「ああ、ここではあんなふうに若い女優のお尻をなでてたなあ」、「ここではこんな表情で重量級の渡辺えり子のコーディリアをかかえあげたなあ」と、細かなことが思い出されてきます。自分でもこんなにはっきり覚えていたことにびっくり。

その天衣無縫な老俳優にぴったりと寄り添う付き人の加藤健一の生真面目な表情も、一緒に鮮やかに蘇ってきました。終幕、老俳優の遺体のそばにひざまずき、喪失感の中で呆然と佇んでいた若い俳優の記憶と、今、目の前で死んだ老人を演じている俳優の姿。その間に流れた年月が30年・・・。

演劇は美術や映画とちがって、時間の法則に縛られた芸術です。2〜3時間の芝居が終われば、残るのは観客の記憶だけ。その記憶もやがて観客とともにこの世から消えていきます。

だから地道な演劇史の研究もなされています。17世紀のバラッドや、18世紀の劇場ポスターや、19世紀の劇評を詳細に検証し、少しでも古い上演の記憶の破片を再生しようとする試みがなされます。でもそれはどこか、失われた時を蘇らせようとするのにも似た、見果てぬ夢を見る努力でもあります。

そうしたことを考えた時、「30年前にこの芝居を見た。加藤健一の付き人を見た目で、30年後に加藤健一の老俳優を見た」と言えるのは、稀有な幸運に思えます。俳優にとって観客の記憶に残ることが大切であるように、観客にとっても観劇とは、その場を楽しむと同時に、記憶を残すという経験に他なりません。そして「記憶する」というのは、他の誰かに代わってやってもらうことも、AIで置き換えることもできない、代替不可能な行為です。

映画なら繰り返し見ることができます。でも映画を繰り返し見ることは、次第に成熟していく経験です。1回目に見た時より、5回目に見る時には馴染んでいるのです。ところが1回しか見られない演劇の記憶は遠ざかるけれど、古くはならない。思い出す時には、1回だけの新鮮な体験として、時のかなたから引き寄せられるのです。

こんなにいろんなメディアが発達しているときに、演劇ってまだ生き延びるんですか、と学生に質問されることがあります。その難しい質問に答えるヒントがちょっとだけ見つかったような気がした『ドレッサー』でした。

2018年3月15日 (木)

雪国から届いた春

まつこです。

我が家では一足早くお花見です。

Img_0459
[左が啓翁桜、右は種類はわからないけれど、少し小さくてピンク色の濃い一重の桜]

山形県の鶴岡市に住む友人が、桜の枝をどっさり送ってくれました。山形名物の啓翁桜にくわえ、開花時期や色合いの違う様々な桜をとりまぜてくれました。

東向きの我が家のダイニングは昨日からの暖かさで温室のようで、一気に花が咲き始めました。

Img_0458
[種類が違うので開花時期が異なり、長く楽しめます。左から3番目はアーモンドの花枝です]

雪深い冬を過ごした山形にもそろそろ春が近づいていることでしょう。

今は納税の季節でもあります。先日、確定申告に行ってきました。私は昨年は医療費が多かったので、ちょっとだけ還付金があります。提出するために領収書を持って行ったのですが、ところが今年から領収書は自宅で保管するようにとのこと。ええ〜?せっかくちゃんと整理して持ってきたのに〜!

書類の破棄などでお騒がせの財務省。国税庁長官の辞任もあります。私も税務署で領収書の束を抱えてついつい言ってしまいました。

「イヤミで聞くわけじゃないんですが、これ何年間、保管しなくちゃいけないんですか?」

税務署の職員の方も思わず苦笑いしていました。「5年です・・・。」

人間の社会は欺瞞や嘘で満ち満ちていますが、それに比べて自然の世界は誠実です。桜は冬は雪の重さにじっと耐え、春がくれば確実に花を咲かせる。雪国から届いた桜の花を眺めて、ほっとした気分になっています。

2018年3月13日 (火)

サプライズ

まつこです。

せっかく楽しみにしていた誕生日にもかかわらず・・・

Img_0445
[近所のかかりつけの先生はフレンチ・ブルドッグに似ている優しい先生。クリニックの受付によく似たぬいぐるみが飾られています]

風邪ひいて寝込んでしまいました(涙)。

友人たちからのプレゼントもいろいろ届いたのに・・・

Img_0448
[お友達から届いたカードやプレゼント!]

喉が痛くなり、声が出なくなり、咳こみながら、ベッドに寝たままの誕生日を迎えました。ややつまづきながらの57歳の出だしです。57歳の課題は、まずは健康管理です。

半月も前に用意しておいたうめぞうからのプレゼントはいちおう、誕生日当日に手渡してもらいました。

Photo
[おめでとう(箱の中身は知らないけど)]

私自身が選んだプレゼントなので、うめぞうにとって「サプライズ」のプレゼントです。箱を開けてびっくり。「へえ、こんなの選んだんだ。うん、いいよ。なかなかおもしろい」と言われた品はこのとおり。

Img_0440_2
[イギリスのデザイナー、Charlotte OlympiaのUnion Jack Felineという名のバケツ型バッグ]

こういう可愛いものを、若い子が持つと「ぶりっ子」っぽくなるけど、貫禄十分のおば(あ)ちゃんが持てば、遊びココロが感じられていいんじゃないかと思って選びました。

Photo_2
[57歳の貫禄で持つとこんな感じ]

黒いタートルに黒いパンツという、私の定番スタイルにも合うでしょう。さっさと風邪を治して、このバッグを持って春の街に遊びに行きたいです。

2018年3月 2日 (金)

春到来

まつこです。

夜半からの激しい嵐が去って、春の到来。

Img_0370
[水に映る青空の色も鮮やか]

暖かさに誘われ、六義園まで散歩に出かけました。広々とした園内に気持ちの良い春の空気が満ち満ちています。

Photo
[二足歩行をするうめぞう]

うめぞうも散歩ができるまでに回復しました!良かったです。

Img_0375
[紅梅がきれいに咲いていました]

うれしい春を実感した午後でした。

2018年3月 1日 (木)

神経痛と名講義

ひさびさにうめぞうです。

2月はほぼ2週間、脊椎管狭窄による座骨神経痛に苦しめられベッドに横臥。入試など重要な職務も着任以来、初めて病欠。3月を迎え、ようやく痛みもとれ、まつこの報告にあるように杖なしでも歩けるようになった。その間、ご心配いただいた読者の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとうございました。

これまでも何度か、ドイツ語で「魔女の一撃」(Hexenschuss)と称するぎっくり腰は経験しているが、今回のような座骨神経痛は初体験。痛みそのものは激痛というより鈍痛なのだが、これが思いのほか手強い。波のように押しては引き、引いては押し、それがまたなんともいえぬ不快な、引きつるような痛みだ。ぎっくり腰なら痛まない姿勢を見つけてひたすらじっとしていることが可能だが、神経痛は痛くない姿勢がとれない。それゆえ眠れない。特に左足を伸ばすと激しい痛みがあるため、トイレに行くにも二足歩行以前の類人猿のごとく歩くほかない。

Conflict_resolution_in_human_evolut

[うめぞうの腰痛は進化の代償か?]

医学部教授だった友人によれば「頚椎と腰椎の痛み、および痔疾は、直立二足歩行などという不遜な進化を目指した人類の三大宿痾である」とか。言語や道具を作り出し、これだけ便利な世の中を楽しんでいるんだから、その程度の進化の代償は甘受するほかないようだ。とはいえ失楽園の原罪をなんでうめぞう一人が背負わなきゃいけないのか。オレはキリストじゃないぞ、と拗ねながら、寝る時も当然ながらひたすら横臥。地質学で言えば褶曲地層。まあそれでも断層よりはましだろうと、ひたすら耐えるほかない。

 しかし、1年ほど前に製造販売が始まったというリリカという神経障害性疼痛の治療薬は、じつによく効いた。ただ効き始めるまでに若干時間がかかるとかで、トラムセットという強力な痛み止めをつけ加えて、「ここは最強コンビでガツンといきます!」と、かかりつけの女医さんはいくぶん興奮気味。この人、ちょっと喜んでないか、と痛みに苦しんでいる時には、痛みが他者に伝わらないことにとかく僻みっぽくなる。しかし、今では女医さんに感謝感謝。この薬は今も飲み続けているが、たしかにこういう時には苦しい時の神頼み、新薬の治験や価格設定をめぐる多国籍製薬会社の手法には日頃から批判的なうめぞうも、めざましい新薬には感謝せずにはいられない。

とまあ、いろいろな経験をした2月。しかし、とても良いこともあった。ほかにすることがないので、ユーチューブでディートマール・ヒュープナー(Dietmar Hübner)の社会哲学講義、各1時間半、全12回シリーズを聞くことができた。こんなことは横臥褶曲状態の時くらいしかできなかっただろう。ヒュープナーというのは、今うめぞうが注目しているドイツの哲学者だが、同時に詩人でもあり、作曲家でもある。1968年生まれだから、今年50歳を迎えるが、哲学の分野ではまだ若手という印象だ。これからも多くの著作を発表していくことだろう。倫理学の哲学的基礎づけに関心をもち、新自由主義的な選択理論を批判している。ヒュープナーの強みは、さまざまな哲学潮流を自分なりの視点で相互比較し、それを新たな理論へと統合していく能力にじつに長けている点だ。また詩人であり作曲家であるだけに、講義がじつに名調子で活舌もしっかりしている。

英語のレクチャーの理想は、おそらく落ち着いたロー・ヴォイスで、流れるような柔らかいリズムと抑揚でうっとりさせ、要所要所にユーモアと辛辣な皮肉をはさみこみ笑いを取るといったスタイルだろう。あれはあれでじつに魅力的で、演劇や政治家の議論にも同じ味が感じられる。それに比べるとドイツ語の演説は体操の跳馬のようで、いったん、わっと高く飛び上がり、できるだけ滞空時間を長引かせたあとで、最後にがちっと着地を決めて聴衆をうならせるというスタイルを理想とする。イギリスの大学での名講義、コモンズでの政治家の討論には、ユーモアや皮肉で聴衆を大笑いさせる要素が不可欠だが、ドイツの講義には、その種のサービスはあまり見られないように思う。ヒュープナーの講義も全体としてはいかもにドイツ風の尖った演説調だが、内容的にはプラトンからハーバーマスまでじつに見事に西洋の社会哲学の流れを論じている。これは、今回のみじめな2週間が贈ってくれた、苦痛を補ってあまりあるプレゼントだったと感謝している。

2018年2月26日 (月)

転ばぬ先の杖

まつこです。

うめぞうは、あぶなっかしい足取りで杖をつきつつ病院通い。私は付き添い・・・

Img_0335
[もうじきひな祭り]

うめぞう:「ごめんね、おじいさんになっちゃって」
まつこ:「いいよ、いいよ、私ももうすぐおばあさんになるから」

というような、味わい深い会話もし、「夫の介護」という言葉も頭をよぎっていましたが、さいわいにしてお薬の効き目がよく、うめぞうは杖なしで歩けるようになりました。

まつこ:「杖、2、3回使っただけで、いらなくなっちゃったね」
うめぞう:「だいじょうぶだよ、そのうちまた使うようになるから」

いずれ使う日がくるかもしれないけれど、とりあえずしばらくは不要です。下駄箱の奥深くにしまいこまれた杖は、まさに「転ばぬ先の杖」です。

うめぞうが動けない間、私は大学の仕事と家事いっさいと病院の付き添いでおおわらわ。自分でもよくがんばった気がします。そこで・・・

Img_0326
[開けるのは誕生日まで待とう・・・]

「もうじき私の誕生日だし、わたしこの数週間よくがんばったから、うめぞうからのプレゼント、自分で好きなもの選んで買ってきてもいい?」

予算無制限(?)、選びたい放題、なんでも好きなもの買ってもいいと言われ、喜び勇んでデパートへ。誕生日は3月の半ばですが、早々とプレゼントをゲットしました。

3月の到来が待ち遠しい今日この頃です。

2018年2月15日 (木)

はじめての・・・

まつこです。

昨日、うめぞうはMRIの検査を受けました。結果がわかるのは翌日なので、気持ちが落ち着きません。せめてSt Valentine's Dayのチョコレートでも食べて気を静めようと、取り寄せしておいたアンリ・ルルーのチョコレートをいただきました。

Img_0271
[ヴァレンタイン仕様で大きなリボンのついたパッケージ]

アンリ・ルルーのチョコを食べるたび、うめぞうは「パリのお店の店員さん、すごーくきれいな人だったね〜」と必ず言います。チョコレートより甘い思い出のアンリ・ルルー。

でもやっぱり気になる精密検査の結果・・・

で、一夜明けて再び病院へ。

いつもの女医さんが「悪いものじゃなかったです!よかったですね。要は、ま、老化です」とにっこり笑ってくれました。腰椎のすべり症に加え、脊柱管狭窄、椎間板ヘルニアもあって、それらによって坐骨の神経が圧迫されているのだそうです。痛みのコントロールはこれからの課題ですが、とりあえず骨がんとかカリエスというような悪性のものではないとわかり本当にホッとしました。

ホッとしたところでデパートへ。

Img_0281
[うめぞう、はじめての杖]

足腰に痛みやしびれがあるので、杖が必要です。うめぞう、杖を持つなんて年寄りっぽい・・・とやや気落ちしているようですが、もはや見栄をはるような事態ではありません。でも革張りでかっこいい杖を選びました。

ついでにちょっと靴売り場をのぞいたら、セールで半額近くになっていたレペットのボルドー色のフラットシューズ。ちょうど私のサイズだけ残っていました。

うめぞうが歩けるようになって、一緒に散歩できる日が早くくるといいなあと願っています。

«リリカちゃん